レス書き込み
スレへ戻る
写
レス栞
レス消
新京成を大手私鉄にしよう
PC,スマホ,PHSは
ULA
べっかんこ
公式(スマホ)
公式(PC)
で書き込んでください。
名前
メール
引用切替:
レスアンカーのみ
>>449 > 用地買収にあたっては、江戸川を境に千葉側を新京成電鉄が、東京川を京成電鉄が担当した。 > 松戸寄りには市街地、国鉄車庫線、千葉大学園芸学部の実習農場などがある。その先には > 矢切の田園地帯、水田地帯が続き江戸川に至る。江戸川を渡ると葛飾・柴又の町である。 > まず昭和31年12月に松戸市の市有地と新京成電鉄社有地との交換、及び松戸市有地の一部 > 払い下げを受ける契約を結んで、戸定館下の土地を習得した。また一方、矢切の田園地帯では > 上矢切、中矢切、下矢切、小山地区で三矢小台土地区画事業が始まろうとしていた。新京成電鉄 > は区画整理組合の保留地のうち約6,000坪を鉄道用地として譲り受ける事が出来た。昭和34年 > 12月のことである。坪単価は8,500円、総額5,100万円であった。しかしそれ以外の用地買収は > なかなか進まなかった。免許が認可されたのは6年半後の昭和37年(1962)7月16日である。 > その時には松戸市内の数々の区画整理事業が進み、住宅が次々と新築され、常盤平団地の入居 > も完了して、新京成電鉄が予測したように沿線の風景は一変していた。またその前年、昭和36年 > 7月には国道6号線がバイパスとして開通し、柴又線用地は分断された。千葉大学園芸学部の > 実習農場の一部買収もできない。さらに常磐線の複々線化によって予定していた用地も利用でき > なくなった。そのため認可を受けたものの着工することができず、38年6月14日に第1回目の > 工事施行認可申請期限延長願を提出して以降、昭和45年(1970)まで毎年、申請を更新する事になる。 > その間、昭和42年8月には松戸市長を立会人とし、三矢小台土地区画整理組合と新京成電鉄との > 間に、保有地の一部追加払い下げ(443坪)を受ける代わりに、新京成電鉄は区画整理事業協力金 > 6,000万円を組合に支払う、との協定が結ばれている。新京成電鉄は柴又線の実現をあくまで追求 > したかったのであろう。だが東京側でも市街地の買収はほとんど不可能に近かった。市街地の > 買収は松戸側でも頓挫していた。
ローカルルール
SETTING.TXT
他の携帯ブラウザのレス書き込みフォームはこちら。
書き込み設定
で書き込みサイトの設定ができます。
・
ULA
・
べっかんこ(身代わりの術)
・
べっかんこ(通常)
・
公式(スマホ)
・
公式(PC)[PC,スマホ,PHS可]
書き込み設定(板別)
で板別の名前とメールを設定できます。
メモ帳
(0/65535文字)
上
下
板
覧
索
設
栞
歴
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.010s