無差別級 (157レス)
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96: 闇夜の鮟鱇★ [] ●●●万葉集の極彩色●●●(3/6) ただ、一つ気になったのは、その後に新羅で作った歌が一首もなく、 3718番から突然、帰途の歌に転ずることなんですね。 ですから私は最初、ひょっとして彼らは目的を果たすことなく、 途中で引き返したんじゃないか、とさえ思いましたが…… 色々調べてみると、彼らが新羅まで行ったのは事実のようです。 実は、この使節団が行った先の新羅でも、戻った後の日本でも、 その直後には疫病がはやったので『彼らは行路の途中で疫病にかかり、 行く先々でそれを広めたのではないか』とも疑われているようです。 因みに、この時の大使と副使も、帰途に病没したそうですね。 他方、これらの歌の素性に関して、ここに面白い説を見つけました。 遣新羅使の歌(万葉集を読む) http://blog.hix05.com/blog/2007/07/post_304.html 万葉集に収められた一群の歌は、 この船旅を記録した歌日記のようなものだ。 だがそれは使節団の成員一人ひとりの歌を集めた アンソロジーというようなものではなく、ある特定の人物が、 自分の歌を中心にして、時折他の人々の歌を交え、 全体として旅の雰囲気が伝わるようにと纏め上げたものである。 つまり、遣新羅使の歌は特定の人物の旅日記だ、という分けですが、 もしこの見方が正しいとすると、作者名があるのは他人の歌で、 無署名の部分は全て、当人の創作ということになるんでしょうね。 (因みに、このサイトでも冒頭11首は贈答を装った創作としています。) こうして、ひとりの人物が書き残した旅の歌日記が、 何らかの形で見いだされて、そっくり万葉集に取り入れられた、 と考えるのが案外、妥当な解釈かもしれません。 その場合、玄界灘の向こうで作られた作品が一つもないことは、 ひょっとすると、この人だけ半島に渡らずに残ったのかもしれません。 それなら、玄界灘の向こうの作品が全くないのも、納得がいきますよね。 例えば、彼も同じ伝染病にかかってしまった結果、 その地で療養することになり、帰途に合流したと考える分けです。 或いは、3718番からの歌はたった5首しかなくて、全て無署名ですから、 むしろ、帰途は使節団とは別途に帰った可能性が高いですかね。 仮に、帰途に使節団と合流したのなら、 大使や副使の病没に関する挽歌があっても良いですしね。 因みに、そもそも遣唐使とは別に、遣新羅使がなぜ必要なのか、 その存在理由が私には、もう一つ良く分からなかったんですね。 新たな文物を手に入れる為なら、遣唐使で十分のような気もしますが、 敢えて、新羅や渤海に使者を送る意味は何だったのかということです。 考えて見れば、少し前に戦争をしたばかりの唐や新羅に使者を送り、 親しくつき合うというのも、現代からはもう一つ解せない所ですよね。 実際問題として、白村江の戦いに大敗した後『唐と新羅の連合軍が、 その余勢を駆って日本まで攻め込んでくるんじゃないか』 と心配したからこそ、防人による防衛を固めたわけでしょ!? でも実を言うと、こうした遣亜使には他国の情勢をさぐったり、 国際関係を修復して日本への脅威を減らす役割があったみたいですね。 ですから、遣亜使の主眼が新たな文物の入手になるのは、むしろ、 そうした国際緊張が和らいだ結果である、というのが真相に近いようです。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/3729/1069922074/96
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