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闇夜の鮟鱇★
2012/03/30(金) 11:29:58 ID:???0
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104: 闇夜の鮟鱇★ [] ●●●書き言葉の衝撃と万葉人の責任感●●●(1/6) ちょっと間が空き過ぎて、うまくまとまる自信がありませんが…… 今回は、先ず『さつや』の話から始めようと思います。 以前に『何故、海の幸・山の幸と言って畑の幸と言わないのか』 という話をしましたが、それに関し、笠金村の歌には驚きました。 それは古典講読の第44回に出てきた志貴皇子の挽歌でしたが、 その冒頭付近に『ますらをの さつやたばさみ』とあった分けですね。 訓読表記の場合、ここの『さつや』を『幸矢』と書く人が多いですが、 原文を探すと、何とそこが『得物矢』となっていたんですね。 これだと『幸』が『獲物』を意味することは、ほぼ自明ですね。(^^;) 志貴皇子,笠金村,白毫寺,萩 http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/108.htm 因みに、志貴皇子が葬られた高円山は、皇子の別荘があった所らしいですが、 実は、この山は奈良の大文字焼で火床となることでも有名のようですね。 つまり、大の文字に薪を並べる為の台座が置かれている山だった分けです。 更には、以前にビデオ評で取りあげた映画『殯の森』にしても、 この高円山を舞台にしていた、という話が出て来てびっくりしました。 志貴皇子と言えば、何と言っても新古今集の歌が有名ですよね。 岩そそぐ たるひの上の さ蕨の 萌えいづる春に なりにけるかな いかにも新古今集にはぴったり、という感じのキラキラした感性ですが、 そんな斬新な感性を持つ人が、これほど昔の人だったというのも驚きでした。 彼は天智天皇の第七皇子でしたが、権力が天武天皇の系列に移った結果、 生臭い政治の世界からは身を引いて、専ら歌の世界に没頭したようです。 そうした点を考えると私は、例の東歌が献上された相手というのも、 他ならぬこの志貴皇子だったんじゃないか、という気がし始めています。 結局、一般論として言えるのは、こうした文学というものが権力者よりも、 権力から疎外された人々によって担われることが多い、ということですね。 ただ志貴皇子の場合、彼の存命中は傍流に落ちたかもしれませんが、 結果的には、その後も政治的キーパーソンであり続けたわけですね。 というのも、後々になって天武系の血筋が途絶えた時に、 彼の息子が光仁天皇として即位し、その血筋が、 平安時代へと受け継がれて行くことになったからです。 ひょっとすると、彼の歌人としての名声も、 そうした復権に寄与したんでしょうか。 政治的な疎外という点で言うと、大伴旅人や山上憶良にしても同様ですね。 恐らく当時、都で権力を独占しつつあった藤原氏にとっては、 彼らが煙たい存在だったからこそ、この二人を左遷して、 太宰府のような遠隔地に追いやったのではないでしょうか。 その結果、筑紫歌壇とか筑紫文学圏と言われる状況が現出した分けですが、 第45回に取り上げられていた『酒を讃むる歌』などを読むと、 旅人のかなり鬱屈した心情が反映されているように感じられます。 大伴旅人・酒を讃むる歌 http://www.h6.dion.ne.jp/~jofuan/myhaiku_065.htm 例えば、次の歌などは都の藤原氏へのあてこすりと見る説がありましたが、 それは多かれ少なかれ、当たっているのではないでしょうか。 つまり、都でまじめくさって政治を取り仕切っている藤原系の人々を、 猿に見立ててあざけっているとも読めますよね。(^^;) あな醜く 賢しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似む (ああ嫌だ。大切な仕事があるとかいって、 酒を拒む人の顔を良く見ると、猿にそっくりな気がする。) http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/3729/1069922074/104
書き言葉の衝撃と万葉人の責任感 ちょっと間が空き過ぎてうまくまとまる自信がありませんが 今回は先ずさつやの話から始めようと思います 以前に何故海の幸山の幸と言って畑の幸と言わないのか という話をしましたがそれに関し笠金村の歌には驚きました それは古典講読の第回に出てきた志貴皇子の挽歌でしたが その冒頭付近にますらをの さつやたばさみとあった分けですね 訓読表記の場合ここのさつやを幸矢と書く人が多いですが 原文を探すと何とそこが得物矢となっていたんですね これだと幸が獲物を意味することはほぼ自明ですね 志貴皇子笠金村白寺萩 因みに志貴皇子が葬られた高円山は皇子の別荘があった所らしいですが 実はこの山は奈良の大文字焼で火床となることでも有名のようですね つまり大の文字に薪を並べる為の台座が置かれている山だった分けです 更には以前にビデオ評で取りあげた映画の森にしても この高円山を舞台にしていたという話が出て来てびっくりしました 志貴皇子と言えば何と言っても新古今集の歌が有名ですよね 岩そそぐ たるひの上の さ蕨の 萌えいづる春に なりにけるかな いかにも新古今集にはぴったりという感じのキラキラした感性ですが そんな斬新な感性を持つ人がこれほど昔の人だったというのも驚きでした 彼は天智天皇の第七皇子でしたが権力が天武天皇の系列に移った結果 生臭い政治の世界からは身を引いて専ら歌の世界に没頭したようです そうした点を考えると私は例の東歌が献上された相手というのも 他ならぬこの志貴皇子だったんじゃないかという気がし始めています 結局一般論として言えるのはこうした文学というものが権力者よりも 権力から疎外された人によって担われることが多いということですね ただ志貴皇子の場合彼の存命中は傍流に落ちたかもしれませんが 結果的にはその後も政治的キーパーソンであり続けたわけですね というのも後になって天武系の血筋が途絶えた時に 彼の息子が光仁天皇として即位しその血筋が 平安時代へと受け継がれて行くことになったからです ひょっとすると彼の歌人としての名声も そうした復権に寄与したんでしょうか 政治的な疎外という点で言うと大伴旅人や山上憶良にしても同様ですね 恐らく当時都で権力を独占しつつあった藤原氏にとっては 彼らが煙たい存在だったからこそこの二人を左遷して 太宰府のような遠隔地に追いやったのではないでしょうか その結果筑紫歌壇とか筑紫文学圏と言われる状況が現出した分けですが 第回に取り上げられていた酒を讃むる歌などを読むと 旅人のかなり屈した心情が反映されているように感じられます 大伴旅人酒を讃むる歌 例えば次の歌などは都の藤原氏へのあてこすりと見る説がありましたが それは多かれ少なかれ当たっているのではないでしょうか つまり都でまじめくさって政治を取り仕切っている藤原系の人を 猿に見立ててあざけっているとも読めますよね あな醜く 賢しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似む ああ嫌だ大切な仕事があるとかいって 酒を拒む人の顔を良く見ると猿にそっくりな気がする
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