[過去ログ] 愛用ザック 58個目 [転載禁止] (349レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
177: 2018/06/11(月) 03:49:00 ID:64WVYAX8(174/320)調 AAS
mである。東側を走る沢から一段上がった平坦面に所在している。
平坦面は2段あり、上−45−段には小さな祠が建てられている。
また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。運営江戸時
代には馬返しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここか
らは女人は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女人堂として
使われた時期もあったと考えられる。下段平坦面の南側には溝が東
西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡運営をたどれなくな
る。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の写真・八
大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王」と
刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられている。水神祠には「文
化十三年寅年六月日」、八大龍王には運営「文化七年七月十七日」
との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の主人が、天保
14年(1843)から文久3年(1863)にかけて記録した『
袖日記』には、安政7年(1860)5月11日の条に「中宮八幡
堂の井戸を掘ったので山が荒運営れた」との記述がある。この「中
宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある井戸跡を指すものと考え
られている。井戸跡は幅80?、深さ50?ほどである。・5号建
物跡4号建物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面の倒木帯と
なり、その中に5号運営建物跡がある。標高は約1,865mであ
る。平成5年の富士宮市による調査では、平場の北側の斜面の縁に
3体の石像が発見されていたが、平成20年の静岡県埋蔵文化財調
査研究所による調査では石像が4体見つかっている。木が倒れた際
に地面が掘運営り起こされ、地中にあった石像が地上に現われたと
考えられる。うち1体の不動明王像には、文化7年(1810)の
銘がある。背面には「瀧本前」と刻まれており、ここが「アフィ表
口南面路次社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であ
る運営と推測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる
。廃仏毀釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内盾顧
1-
あと 172 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ

ぬこの手 ぬこTOP 0.214s*