[過去ログ] / ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門131m [無断転載禁止]©2ch.net (51レス)
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1(2): 転載ダメ©2ch.net (JP 0Hc7-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 19:51:26.78 ID:dWkHb5CaH(1/12)調 AAS
【アフィサイトへの転載・誘導禁止】
夏の暑さと冬の寒さを一日で体感する過酷な環境の富士山。
>>2〜のテンプレを参考に「余力を残して登頂・余裕を持って下山」でご安全に。
■ ご覧の皆様へ
登山キャンプ板にはブログ宣伝を行う荒らしやアフィ業者が常駐しています。
2chスレ:out
「wi1d28jp」(栗城ハンター)などの悪質ポストは踏まずにNG登録を。
踏んでしまった人は関連cookieを残らず削除し、ネットショッピングは別ブラウザから。
■普段からアフィ対策を!
ブラウザにadblockやuBlock導入+国内フィルタ全部載せが推奨です。
スマホは広告ブロッカーも多いのでお好みのものを(フィルタ追加できるものが効果的)。
勝手な広告やスパイウェアをブロックして安全で快適なネットライフを♪
スマホ通信量の節約、時短にもなります。
※前スレ
127m 2chスレ:out
128m 2chスレ:out
129m 2chスレ:out
130m 2chスレ:out VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured
2(1): (JP 0H5b-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 19:53:36.40 ID:dWkHb5CaH(2/12)調 AAS
開山期間は山梨県側で7/1〜9/10。静岡県側で7/10〜9/10です。
初心者が登れるのは山小屋が営業する期間に限られます。
初冠雪(積雪)は例年10月初旬ですが、9月でも降雪の可能性があります。
10月以降、風雪と強風に磨かれカチカチに凍った急斜面は氷の滑り台のようになります。
毎年のように滑落事故があります、十分なご注意を。
3: (JP 0H5b-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 19:55:38.89 ID:dWkHb5CaH(3/12)調 AAS
高度が100m上がるごとに気温は0.6℃下がり、風速1m/sごとに体感温度は1℃下がります。
富士山では台風並みの強風が吹くこともあり、夜明け前の山頂は真冬のような寒さに、体感温度は氷点下になります。
冷えた体を温めるために多くのエネルギーが消耗され、真夏でも低体温症や疲労凍死のリスクがあります。
万全の準備で臨みましょう。
4: (JP 0H5b-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 19:58:03.72 ID:dWkHb5CaH(4/12)調 AAS
2ちゃんねるの書き込みは、釣りや冗談、初心者以下の知識で語る人、また受け売りなども多いので気をつけましょう。
また、各種業者のステマやアフィリエイト目的のブログ誘導などにも注意、まずは対策から>>1。
「自分はこれで大丈夫だった」「他の人もこうしてる」という話は鵜呑みにせず、信頼できる情報源から総合して慎重に判断しましょう。
5: (JP 0H5b-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 20:00:24.68 ID:dWkHb5CaH(5/12)調 AAS
■リンク
(公共性の高いものを抜粋。不適切サイト、推奨サイトお知らせください)
・富士登山オフィシャルサイト
外部リンク:www.fujisan-climb.jp
・静岡県「世界遺産 富士山とことんガイド」
外部リンク:www.fujisan223.com
・環境省「富士箱根伊豆国立公園」
外部リンク[html]:www.env.go.jp
・富士山ガイド.com(富士吉田市)
外部リンク[aspx]:www.fujisanguide.com
・富士宮市「富士山」
外部リンク[html]:www.city.fujinomiya.lg.jp
・御殿場市「富士登山」
外部リンク[html]:www.fujisan-climb.jp
・小山町「富士山」
外部リンク[html]:www.fuji-oyama.jp
・山梨県警察「富士登山情報」
外部リンク[html]:www.pref.yamanashi.jp
・静岡県警察「夏の富士登山情報」
外部リンク[html]:www.pref.shizuoka.jp
・富士山五合目観光協会
外部リンク:www.fujiyama5.jp
・フジヤマNAVI
外部リンク:www.fujiyama-navi.jp
■その他の個人サイト
(掲載基準が不明ですが一旦継続しておきます)
・あっぱれ!富士登山
外部リンク:www001.upp.so-net.ne.jp
・富士登山をしてみたい!
外部リンク:www.tozan.org
・富士さんぽ
外部リンク:www.fujisanpo.com
6: (JP 0H5b-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 20:02:32.46 ID:dWkHb5CaH(6/12)調 AAS
■天気予報
・気象庁HP
外部リンク:www.jma.go.jp
・富士山の天気 - 日本気象協会 tenki.jp
外部リンク[html]:www.tenki.jp
・snow-forecast.com
外部リンク:www.snow-forecast.com
・富士山山頂の天気 - てんきとくらす
外部リンク[html]:tenkura.n-kishou.co.jp
7: (JP 0H5b-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 20:04:48.13 ID:dWkHb5CaH(7/12)調 AAS
■気象について
雨の日に登っても楽しくありません。天気が悪ければ延期する決断を。予報が晴れでも、夏は局地的な夕立や雷雨があります。
雨具や荷物の防水も忘れずに。降水確率と雨量は無関係です。確率が低くても大雨ということも。
風の強さも確認を。天気概況で「大気の状態が不安定」「急変する恐れ」「雷を伴い」と予報されていたら、登山は中止してください。
冷たい風が吹き降ろしてきたら夕立の合図です。降り出す前に雨具を着用しましょう。
8: (JP 0H5b-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 20:07:10.87 ID:dWkHb5CaH(8/12)調 AAS
■装備 ◎必須○有効△状況しだい×余計な荷物
◎ザック....防寒着が嵩張るので、30〜35gが適当
○ザックカバー.雨のとき被せる防水カバー。砂埃除けにも
○スタッフバッグ ..小物をまとめ、パッキングが楽に。電子機器、着替えなどは防水袋へ
◎登山靴....防水のミドルカットが最適。ハイカットは必要ないが、スニーカーはNG
◎雨具.....予報にかかわらず必要。ポンチョ、100円雨合羽はNG。傘は不可。強風で雨が下から
吹き上げるので、上下セパレートタイプが必須。強風時はウィンドブレーカーとして使える
◎ヘッドランプ.日帰りでも下山遅れに備えて必ず必要。予備の電池も忘れずに
◎帽子.....風に飛ばされない対策を。ご来光待ち用にニット帽も
◎サングラス..目も日焼けする。安物はレンズに歪みがあるのでNG
◎手袋.....軍手と防水の手袋を別々に。転倒時に怪我をしないように、下りでは必ず着用
◎防寒着....夜明け前は真冬並みの寒さ。ダウンなど、脱ぎ着しやすいものを
◎長ズボン...伸縮性の物が良い。ジーンズは濡れると動き難くNG。半ズボン、短パンは、風が吹くと寒い
◎化繊の下着..必ず100%のものを。綿は濡れると乾きにくく、体温を奪う
◎中厚手の靴下.長時間歩行のクッションとして。柔らか過ぎず、網目が密でしっかりしたものを
◎日焼け止め..汗で落ちたら塗り直し、首筋、耳も忘れず
◎登山地図...下山時に道を間違う人が多い
◎飲み物....2〜3gが目安だが個人差がある。怪我や目に入った砂埃を洗う真水も必要
◎救急セット..下痢止め、バンドエイド(靴擦れ対策にも)、テーピングテープ、保険証のコピーなど
◎その他....飴や干し梅など行動食を定期的に摂ろう。タオルや日本手ぬぐい。ゴミ袋
×保冷水筒...重く嵩張るのでペットボトルが良い
○保温水筒...ご来光待ち用に。山小屋でお湯を売っていれば出発時に補給
△スパッツ...砂や小石が靴に入るのを防ぐ
○ストック、金剛杖.腕の力を活かし、足(特に下りの膝)の負担軽減に有効
△その他....マスク(下山時の砂埃対策)、ウェットティッシュ、カイロ
△頭痛薬....高山病の頭痛も和らげるが、症状を隠すので却って危険という意見も
×酸素缶....吸っている間しか効果ない
9: (JP 0H5b-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 20:10:30.19 ID:dWkHb5CaH(9/12)調 AAS
■登山の注意点
余計な荷物は体力を消耗するだけ。無駄は省きましょう。但し、必要な装備を重いとかザックに入らない
などといって持たずに登るのは本末転倒。きちんと装備を揃え、背負える体力をつけてから登りましょう。
登り始めは靴一足分の歩幅で、ゆっくりと登りましょう。追い抜かれても慌てずに。オーバーペースの人は
すぐバテるので、いずれ抜き返せます。高所は乾燥しています。水分は少量を定期的に摂るのが最適。
グループで登る方は、途中ではぐれないように必ず2人以上での行動を維持しましょう。何か問題が起きた
ときに対処が遅れると命取りです。登山中は最も遅い人のペースに合わせ、登るのが早いからといって
子供に単独行動をさせないように統率しましょう。初心者は隊列の真ん中に挟み、経験者が前後を固め
て目を配りましょう。
一人にひとつずつ地図のコピーを持たせること。どの登山口から登って来たか、全員が覚えておくこと。
はぐれた場合に落ち合う場所を複数決めておくこと。特に下山時の分岐点について予習しておくこと。
万が一体調不良、怪我人が出た時は全員で下山するのが大原則です。どうしても登山を続行する場合
でも病人などを一人で下山させるのは絶対に避け、必ず付き添いを付けるようにしましょう。 体調不良の
人は高山病も疑われるので、山小屋などで待たせるよりもすぐに下山させた方が良い場合もあります。
トイレは有料なので、100円玉を多く用意しておきましょう。順番待ちになることも多いので限界まで粘らず、
出来るときに早めに済ませましょう。ツアー登山は、スケジュールが決められているために自分のペースが作り
難く、無理について行くと高山病を誘発する場合もあり、あまりお薦めしません。
下山時は重心を軽く前にかける。歩幅も小さく、靴一足分。滑りやすいところでは、足を逆八の字に開く。
富士宮ルートの、岩の平らな所は砂で滑りやすい。岩の角に靴底の溝を引っ掛けると滑らない。爪先で
踏ん張らず、力を抜いて足裏全体で接地するか、親指の付け根を意識する。猫のように下れ。
10: (JP 0H5b-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 20:12:33.22 ID:dWkHb5CaH(10/12)調 AAS
■高山病の予防と対策
高山病は体質に起因すると言われ、年齢や性別、体力やスポーツ経験もあまり関係ないようです。
自己の体力を過信せず、登り始めはゆっくりと時間を掛け、身体を慣らしながら登りましょう。
息を吸う事よりも吐く事を特に意識してください。有圧呼吸法も有効とされています。
大きく息を吸い込み、2秒ほど息を止めるとともに、胸に圧力をかけるように力を入れた後、口先を
すぼめてゆっくり吐き出す。これを5〜6回繰り返すと、血中の酸素濃度が上がり、楽になります。
水分を定期的に摂ることも大切です。行程の時間から逆算して必要量を算出し、計画的に摂取し
ましょう。1時間あたり、体重kg×5mlを4回ぐらいに分けて飲むのが良いそうです。(間隔や量は各自
調整してください)
・Yutaka Miura's home page:私の高山病の治療方針
外部リンク[html]:www.med.nagoya-cu.ac.jp
睡眠中は呼吸が浅くなるため、高山病になりやすいです。なるべく低い標高の山小屋を選択し、着い
てからすぐ横にならずに、しばらく身体を動かして高度に慣らしましょう。催眠成分を含有する頭痛薬
なども呼吸を浅くするため、高山病を誘発しやすいようです。
高山病になったら悪化する前に下山させるのが一番の解決策です。無理に動かしたり、引っ張って
登らせてはいけません。重篤な場合には、診療所・救護所へ助けを求めましょう。
初期症状は、頭痛、息切れ、むくみ、不眠症、食欲不振、脱力感、吐き気など。さらに、激しい頭痛、
嘔吐、空咳、 意識障害(支離滅裂なことを言う、問いかけに無反応など)になると、とても危険な状態
です。登山は諦めて付き添いの人と共にすぐに下山してください。高山病は最悪の場合死に至ります。
11: (JP 0H5b-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 20:15:43.65 ID:dWkHb5CaH(11/12)調 AAS
■ご覧の皆様へ
現在、>>1の注意喚起とadblock周知を妨害しようとする者によって
前スレが連投荒らしに遭っています。
ここが同様に荒らされた場合はさらに新スレを立て対処していきます。
・荒らしの状況
128m 2chスレ:out
129m 2chスレ:out
130m 2chスレ:out
・異常者による荒らし予告
SN7P4m6n
外部リンク[html]:hissi.org
YmBsHqVJ
外部リンク[html]:hissi.org
・連投荒らしの抽出(冒頭にアフィスレへ誘導しています)
55THIflI
外部リンク[html]:hissi.org
12: (JP 0H5b-ynyw [106.171.76.104]) 2017/09/20(水) 20:19:18.37 ID:dWkHb5CaH(12/12)調 AAS
IP表示にしてみました。
果たして異常者は荒らすことができるのでしょうか。
実験は続きます。
13: (エムゾネ FFbf-2dmp [49.106.188.91]) 2018/01/10(水) 17:39:39.45 ID:dVGozoraF(1)調 AAS
NEW!
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】
2chスレ:out
2chスレ:out
14: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 08:09:59.89 ID:OFvIEban0(1/38)調 AAS
0−ともに、登拝が困難な人々に対しては川辺で垢離を取り、
祈ることで登拝と同等の利益があるとする「富士垢離」の手法
を広めている。加えて富士山をエムゾネ航海の目印とする伊豆半島
の漁業者に対しては航海安全と大漁の祈願を行った。興法寺の
勢力は地元支配者である今川氏の支援を受けていた16世紀前
半が最も強かったが、それ以降衰退しつつも聖護院の力を背景
に一定の権威をもち、登山道及びその頂エムゾネ上部の大日堂周辺
を支配した。社殿については、1697年徳川幕府により修復
され、現在の大日堂は建築様式や部材の状況から19世紀半ば
に建立されたと推定される。また、浅間神社は1913年改築
されたものを基本としている。1868年、神仏エムゾネ分離令に
より浅間神社と興法寺(大日堂)は分離され、山伏は還俗し、
1906年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし
、富士峰修行と加持祈祷は1940年代まで継続された。現在
は1970年代より活発になった地域住民による伝統復活エムゾネ
のための活動が見られ、水垢離等の行事が行われている。また
、村山浅間神社の影響を受けた地域のうち、滋賀県甲賀市、三
重県南伊勢町等では現在でも富士垢離の行事が継続されている
。写真村山浅間神社の写真B−4須山浅間神社富士山の南東麓
、須エムゾネ山口登山道の入り口に位置し、木花開花姫命を主祭神
とする神社である。その起源は1598年作の社伝旧記による
と110年、日本武尊が蝦夷征伐の際、この地を訪れ浅間神社
を創起し、さらに552年有力豪族の蘇我稲目が再興したとあ
る。記録上神エムゾネ社の存在が確認できるのは1524年で修築
時の棟札による。また、市天然記念物である境内の杉は、樹齢
500年以上と推定されており、遅くともこの時期までに須山
浅間神社が現在の地に存在したと推測できる。現在の社殿は1
823年の再建であるエムゾネ。1707年の宝永噴火によ
15: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 08:15:57.79 ID:OFvIEban0(2/38)調 AAS
道も含め大きな被害を受けたが、1780年に登山道が再興さ
れ、1800年の御縁年には約5,400人の登拝者があった
。須山浅間神社は12軒の御師とともに当時の須山村の中心的
存在であり、村全体で須山口登エムゾネ山道と山頂部銀明水を管理
した。また、京都吉田家より神道裁許状を得たり、朝廷・公家
に銀明水を献上したりする等して権威を高めているが、山頂部
で発生した問題については、浅間大社の判断を仰いでい
16: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 08:21:32.96 ID:OFvIEban0(3/38)調 AAS
山浅間神社は村山三坊とも関わりを持ちエムゾネ、1940年頃ま
で境内で富士峯修行の一環としての祈祷が行われていた。18
83年、御殿場口登山道が開設され、1899年の東海道本線
開通による御殿場口利便性の向上は須山口からの登拝者や登山
者を奪い、加えて1912年登山道の一部が陸軍エムゾネ演習場と
なり使用不可能となったため、須山口は衰退した。しかし、そ
の後都市化の影響を余り受けなかったため、須山浅間神社周辺
は日本的伝統に基づく村落景観を保っている部分が多い。写真
須山浅間神社の写真B5冨士浅間神社富士山東麓、須走口エムゾネ
登山道の起点に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社であ
る。境内西側には鎌倉往還が通り、神社周辺は古来、交通の要
衝であった。社伝では802年、噴火の鎮火祈願のために祭事
を行い、翌年噴火が収まったことから、807年に祭事の跡地
であエムゾネるとされる現在の地にお礼のために社殿を造営したと
される。その他の文書で確実に存在が確認できるのは、157
1年のものである。16世紀には地元支配者である武田氏の保
護を受け、山頂部の散銭取得権の一部を得ている。17世紀以
降、須走浅間エムゾネ神社は当時の須走村の御師などと共に須走口
登山道を支配し、山頂部薬師嶽(現−31−久須志岳)の薬師
堂開帳の権利及び山頂部の散銭取得権の一部を得ていた。これ
ら山頂部の権利については八合目以上の支配権を主張する富士
山本宮浅間大社と争いエムゾネになり、須走村は1703年と17
72年の2回、幕府に裁定を求めている。この結果、これらの
権利は幕府によって認められた。また、冨士浅間神社神主や御
師は須山の場合と同じく、京都吉田家より神道裁許状を得て権
威を高めている。社殿は、記録エムゾネの残っている範囲では16
62年、地元領主である沼津城主大久保氏や小田原藩主稲葉氏
などの援助によって修造が行われた。しかし1707年
17: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 08:26:43.83 ID:OFvIEban0(4/38)調 AAS
噴火では3m以上の降砂に埋もれ崩壊したため、1718年に
再建された。この後もこの際の部材を使エムゾネ用し、2009年
の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。境内には水路
があり、水垢離に利用された。18世紀末から19世紀初頭に
かけて富士講が隆盛を迎えると須走口にも関東からの登拝者が
登山又は下山の際立ち寄った。その数は1800エムゾネ年の御縁
年の際に約27,300名であった。同時期から20世紀前半
まで富士講信者は境内に登山回数等の記念碑を約80基造営し
た。また、神社には神社神官や御師が発行した木版印刷による
神影や神符の版木が保管されている。写真冨士浅間神社のエムゾネ
写真B6河口浅間神社古くから富士山に関わる祭祀は南麓の浅
間神社(山宮浅間神社か〜)が執り行っていたが、864年〜
866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも浅間神社が
建てられることとなった。それが、富士山を望む河口湖の北岸
にあエムゾネり、溶岩の届かなかった河口浅間神社であるとされる
。浅間神社を中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官道の
宿駅という役割に加え、富士登拝が大衆化した中世後半から御
師集落として発展を遂げた。しかし、江戸における富士講の大
流行と、それエムゾネに伴う吉田御師の隆盛により、河口の御師集
落としての機能は、19世紀以降衰退してしまった。ただし、
河口浅間神社は、現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を
行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠
かすことができない資エムゾネ産である。写真河口浅間神社の写真
表法的保護、修理・整備の経緯2011年文化財保護法の下に
他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定)2011年
「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B7冨士御室浅間
神社冨士御室浅間神社は吉田口エムゾネ二合目に鎮座した本宮(も
とみや)と、河口湖畔に建立された里宮から構成されて
18: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 08:32:53.05 ID:OFvIEban0(5/38)調 AAS
8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初
とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もあ
る。富士修験の信仰拠点は南西の村山でエムゾネあるが、北面の二
合目、御室浅間神社が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点と
して役行者堂が整備されたようである。また、社記によると9
58年、二合目は冬季における参詣が難儀であることから河口
湖畔の現在地に里宮が建立されたという。江戸時エムゾネ代以降富
士講の隆盛にともない、吉田口登山道の信仰拠点の一つとして
この二合目の役割はさらに増すことになる。しかし、昭和に入
ると富士信仰のありかたの変化や、富士スバルラインの開通等
もあって吉田口登山道は衰退する。それに伴い二合目を通エムゾネ
過する登拝者も激減する。また、富士御室浅間神社本宮を支え
てきた氏子にとっても、その維持管理が困難となって、197
3年から74年にかけて、−32−本殿を里宮地内に移転する
こととなる。修験や登拝といった様々な富士信仰の拠点として
位置エムゾネづけられる二合目の本宮と、土地の産土神としての里
宮が一体となって機能してきた神社である。写真冨士御室浅間
神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯1973年本宮本殿
・二合目から里宮境内地に移築、整備された(〜74年)19
85年本宮本エムゾネ殿・文化財保護法の下に重要文化財として指
定1983年回廊修理工事を行う1995年外部の漆塗の塗り
直しほか一部補修を行う2010年「重要文化財冨士御室浅間
神社本殿保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の下に
他の文化財とともに史エムゾネ跡富士山として指定(予定)201
1年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B8御師住宅
御師は、道者に宿や食事を始め登拝のための一切の世話をする
とともに、登拝の指導や祈祷を行うことを業とした。富士山御
師として代表的なのは、吉田口エムゾネ登山道の起点である
19: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 08:37:51.87 ID:OFvIEban0(6/38)調 AAS
宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に沿って大規模な
集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くは短冊状を
なし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れる水路の
奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄エムゾネ関から奥へ客室が
続き、最奥部には神殿が設けられている。最古の部類に入る旧
外川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最
盛期の典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧
20: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 08:43:05.22 ID:OFvIEban0(7/38)調 AAS
住宅は、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉エムゾネ田市上吉
田・下宿の東側南端に位置する。1572年の町割によって成
立した東西方向の奥行きが150mほどの長大な短冊形の屋敷
地に建てられている。外川家は、屋号を塩屋ないし大外川、塩
廼屋(しおのや)と号し、富士信仰における上吉田に居住エムゾネ
し、下総地域を檀家とした富士山御師である。1572年の「
吉田宿屋敷割帳写」には、外川家の位置に「仁科六郎ゑもん」
の屋敷が記されており、外川家ではこの人物を中興の初代とし
ている。また、1669年の「検地帳」では、塩屋多兵衛の屋
敷とエムゾネして確認される。御師としての活動は江戸末期頃隆盛
期を迎えるが、1962年に御師を廃業している。建物の老朽
化に伴い、所有者が取り壊す意向であったが、富士吉田市が寄
贈を受け、2006年から2007年にかけ大規模保存修理事
業を行った上エムゾネで、2008年4月から富士吉田市歴史民俗
博物館の附属施設として一般公開されている。写真旧外川家住
宅の写真表法的保護、修理・整備の経緯2006年大規模保全
修理を行う2008年富士吉田市歴史民俗博物館の附属施設と
して一般公開を行う2エムゾネ010年「山梨県指定有形文化財旧
外川家住宅保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の下
に重要文化財として指定小佐野家住宅は、富士講によって大き
く発展した御師集落である富士吉田市上吉田地区にあって、富
−33−士山に登拝する人々をエムゾネ宿泊させた宿坊として、代
表的な御師住宅である。上吉田地区は、富士の雪代の被害を避
けるため、1572年に旧地である古吉田地区から集落ごと移
転し、北口本宮冨士浅間神社の北西隅から北東方向の傾斜面に
沿って短冊状に町割が行われたと伝えらエムゾネれている。小佐野
家住宅は、南北の間口が16m、東西方向の奥行きが150m
ほどの長大な屋敷地に建てられている。小佐野家は、元
21: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 08:47:46.45 ID:OFvIEban0(8/38)調 AAS
落移転に合わせて現在地に移転してきたと伝えられる。代々御
師を勤め、屋号を堀端屋と号し、江戸時代には当エムゾネ主は小佐
野壱岐あるいは小佐野大隈と名乗っていた。当家に宿泊する参
詣者は年間1,000人に達したとされる。現在、屋敷地の東
側には所有者が住む住居が建築されており、小佐野家住宅には
所有者の親族が居住している。写真小佐野家住宅の写真表エムゾネ
法的保護、修理・整備の経緯1976年文化財保護法の下に重
要文化財として指定1977年消防設備設置を行う1979年
屋根の葺替えを行う1996年雨樋いの補修を行う1997年
主屋、蔵の修理を行う1998年主屋、蔵の修理を行い201
0年エムゾネ「重要文化財小佐野家住宅保存活用計画」を策定B9
山中湖富士山の火山活動によって形成された堰止湖で、富士山
の北東に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡
りが行われたが、この山中湖にも多くの富士講徒が訪れた。古
くから景勝地エムゾネとして有名で、20世紀前半には湖畔に洋式
ホテルが建てられたほか、別荘地としても整備された。ゆかり
のある芸術家も多く、山中湖を描いた文学や絵画が散見する。
富士山の頂上付近に日の入りが重なる様子はダイアモンド富士
と呼ばれ、多くの写真エムゾネ家を集める。写真山中湖の写真B1
0河口湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で、富士山
の北に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡り
が行われたが、この河口湖にも多くの富士講徒が訪れた。古く
から景勝地として有名で、20エムゾネ世紀前半には湖畔に洋式ホ
テルが建てられた。ゆかりのある芸術家も多く、湖を題材にし
た文学や絵画は、富士五湖中この河口湖が最も多い。葛飾北斎
や歌川広重といった浮世絵師も、河口湖越しに見える富士山を
描いている。写真河口湖の写真表法的保エムゾネ護、修理・整備の
経緯(B9・B10)1936年所在地が国立公園法の
22: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 08:53:34.08 ID:OFvIEban0(9/38)調 AAS
富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静穏
の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に本栖
湖の湖面全域での動力船の使用が規制される−3エムゾネ4−20
11年文化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名
勝富士五湖保存管理計画」を策定(予定)B11忍野八海富士
山の北東、忍野村忍草にある、富士山の伏流水による八つの湧
水地(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡エムゾネ
池、菖蒲池)の愛称である。それぞれに八大竜王を祀る富士信
仰に関わる巡拝地であった。富士登山を目指す行者たちはこの
水で穢れを祓った。長谷川角行が行った富士八海修行になぞら
れ「富士御手洗(みてらし)元八湖」と唱えられた古跡の霊場
と伝エムゾネえられ、1843年に富士講道者によって再興された
とされる。写真忍野八海の写真(どれか1つ)図忍野八海周辺
図表法的保護、修理・整備の経緯1934年史蹟名勝天然紀念
物保存法の下に天然紀念物に指定2010年忍野村景観計画を
策定、忍野八エムゾネ海周辺を景観形成重点区域に指定2010年
街なみ環境整備事業により忍野八海周辺環境の整備を行う(〜
14年)2011年「天然記念物忍野八海保存管理計画」を策
定(予定)B12船津胎内樹型1617年、富士講の祖とされ
る長谷川角行が富士登エムゾネ拝の際、現船津胎内樹型の南方に焼
入(船津胎内樹型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひ
とつと考えられる)を発見し、浅間明神を祀った。1673年
、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見され、開祖
が祀った焼入の地の浅間明神がエムゾネ遷宮された。浅間明神誕生
の地ともいわれ、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子
を出産したという故事に倣い社号を無戸室浅間神社と名付けた
。富士道者は、富士登拝の際に、樹型を入って身を清める風習
があり、洞穴内外の地形空間に宗教的なエムゾネ意義付けが
23: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 08:59:07.34 ID:OFvIEban0(10/38)調 AAS
るとともに、奥には富士講にとっての富士山の祭神である木花
開耶姫などが祀られている。写真船津胎内樹型の写真表法的保
護、修理・整備の経緯1929年史跡名勝天然記念物法の下に
天然紀念物として指定2010年「山梨県南都留エムゾネ郡富士河
口湖町町内国指定天然記念物溶岩洞穴等保存管理・整備活用計
画書」を策定B13吉田胎内樹型吉田胎内本穴は、1892年
に富士道者により整備された「御胎内」である。吉田胎
24: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 09:23:56.04 ID:OFvIEban0(11/38)調 AAS
。本計画では、顕著な普遍的価値に対し、資エムゾネ産に含まれる
要素を「顕著な普遍的価値を構成する諸要素」と「顕著な普遍的
価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さらに
緩衝地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、表に示
すとおり整理を行った。A富士山山体及び登山エムゾネ道B信仰に
関わる周辺のものC富士山から離れた眺望に関わるもの表富士山
の構成要素A富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡・富士
25: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 09:30:35.75 ID:OFvIEban0(12/38)調 AAS
奥宮・東北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉(剣ヶ峰
、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、エムゾネ浅間岳、
駒ヶ岳、三島岳)・大内院・小内院・馬の背・東安河原・西安河
原・虎岩(獅子岩)・割石・雷岩・このしろが池・荒巻・吉田須
走拝所跡・須山拝所跡・村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経塚・外浜道
・内浜道A2大宮・村山口登山道・札打場・中宮八エムゾネ幡堂跡
(1号建物跡)・八大龍王・5号建物跡・8号建物跡・12号建
物跡・鳥居A3須山口登山道・須山御胎内(溶岩洞穴)・石像・
石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須走口登山道・古御岳神社・迎久須
志之神社・鳥居・狛犬・石碑A5吉田口登山道・現登エムゾネ山道
・旧登山道・馬返・五合目・烏帽子岩A6北口本宮冨士浅間神社
−38−−39−・本殿・東宮本殿・西宮本殿・大塚山・御鞍石
A7西湖・湖水A8精進湖・湖水A9本栖湖・湖水・中ノ倉峠か
らの展望B1富士山本宮浅間大社・神立山・湧玉池(上エムゾネ池
、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿)・透塀・楼門・手水
舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥居・桜の馬場・禊所・神
幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)・護摩堂跡(推定)・随身像・
狛犬・御神幸道首標の碑・三之宮・七之宮・鉾立石・欄干エムゾネ
橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅間神社・溶岩流地形・社叢・
籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(参道)・石塁・玉垣・遥拝所・
石鳥居・参道B3村山浅間神社・元村山溶岩流・水源地「竜頭ヶ
池」・御神木(イチョウ、大スギ)・社叢・浅間神社社殿・エムゾ
ネ大日堂(興法寺)・水垢離場・護摩壇・氏神社(高嶺総鎮守社
)・石鳥居・氏神社鳥居・手水舎(手水鉢)・石段(参道)・狛
犬B4須山浅間神社・社叢・社殿・神輿殿・狛犬・灯籠・手水舎
・参道・鳥居・石碑・古宮神社B5冨士浅間神社(須走浅間神エム
ゾネ社)・社叢(浅間の杜)・ハルニレ・エゾヤマザクラ・根上
がりモミ・社殿・楼門・参道大鳥居・裏参道鳥居・富士塚
26: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 09:37:57.28 ID:OFvIEban0(13/38)調 AAS
富士講講碑群B6河口浅間神社・社殿、鳥居B7冨士御室浅間神
社・吉田口二合目(拝殿の一部、行者堂跡、定善院跡、建物礎石
エムゾネ)・移築された二合目本殿B8御師住宅(旧外川家住宅、
小佐野家住宅)・主屋・離座敷・中門・屋敷地(タツミチ)B9
山中湖・湖水B10河口湖・湖水B11忍野八海・八つの池(出
口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)・
湧エムゾネ水B12船津胎内樹型・溶岩樹型・無戸室浅間神社、石
造物群B13吉田胎内樹型・溶岩樹型・洞内の石祠、石造物群−
40−B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・犬涼み溶岩流・
溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・碑塔群・参道・建物跡・参道跡
・道エムゾネ跡・炭焼窯跡・井戸跡B15白糸ノ滝・古富士泥流堆
積物・白糸溶岩流・白糸の滝・音止の滝・鬢撫水・植物・富士講
・白糸の滝の勝景・音止の勝景・富士山の展望・富士の巻狩の伝
承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規制B地区・
第1種エムゾネ規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区@自然
地形(山林、河川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞穴、樹型
等富士山体・側火山からの噴出物による地形・富士山原始林及び
青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹型、鳴沢氷穴、本
栖風穴等エムゾネ)A森林、植栽樹木(山林を構成する森林、寺社
・遺跡等の植栽樹木など)・自然林、森林施業地、人工林・社叢
林、境内林・富士山特定地理等保護林・富士箱根伊豆国立公園富
士山管理計画区B保存管理又は公開活用を目的とした建造物(展
示館、管理エムゾネ棟、解説板など)・総合案内標識、解説板C道
路とその他の人工物(生活用道路、電柱、看板など)顕著な普遍
的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素・富士山測候所・
NTT富士山頂分室・便益施設@自然的要素(山並み、河川など
)A歴史的要エムゾネ素(埋蔵文化財、社寺境内、伝承地など)成
する諸要素周辺環境を構B人文的要素(農耕地、市街地、
27: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 09:46:18.07 ID:OFvIEban0(14/38)調 AAS
その他人工物)上表において分類した諸要素について、以下に提
示する。(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体
及び登山道A富エムゾネ士山富士山体のうち、標高約1500m以
上の範囲である。この範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見
た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重
が最も高い。各登山道における山体の神聖性に関する境界の一つ
である「馬返」(エムゾネ乗馬登山が物理的にも、宗教的観点から
も不可能になる地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地
元住民が、とりわけこの「馬返」より上を目指して「オヤマ」又
は「オヤマサマ」と呼び、富士山の範囲と見なす地域もあった。
景観的には山体の傾エムゾネ斜角の変化率が大きくなり「平野部」
と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画
などの対象となることが多い範囲である。御中道巡りのルートに
は、現在も石碑が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿
って、富士山体を一周エムゾネする。15〜16世紀ごろ富士講の
祖とされる長谷川角行によって開かれたとされその後大沢崩れ−
41−を通るため富士講信者により修行の道として利用された。
写真標高約1500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺
跡の分布図・富士山本宮エムゾネ奥宮富士宮口登山道頂上に位置し
、7、8月の開山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命
である。『本朝世紀』には、久安5年(1149)「富士上人末
代は、富士山に数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、
写経を埋納下した」とあるエムゾネ。江戸時代には、村山三坊所有
の大日堂があったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈により山
中の仏像を取り除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅間大神を祭っ
た。写真奥宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)蹲虎の碑(高さ
139×幅64×厚さ18pエムゾネ)奥宮の裏手、浅間岳の麓に
所在する。一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵が彫ら
28: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 09:55:24.79 ID:OFvIEban0(15/38)調 AAS
る。天保年間(1830−34)に、岸岱が作ったとされる。(
b)鎮國之山(高さ146×幅61×厚さ31p)奥宮の前に所
在する。碑面に「鎮國之山」とエムゾネ彫られている。明治31年
(1898)に書家の中林梧竹により建碑された。後年、落雷に
より破壊されたが、昭和42年(1967)に再建された。・東
北奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦
名命を祀る。須走口登山道、吉田エムゾネ口登山道の終点に
29: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 10:04:35.38 ID:OFvIEban0(16/38)調 AAS
室町時代以降、頂上の一つである久須志岳(旧薬師ヶ嶽)に薬師
堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であ
った。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久
須志神社と改称した。写真東北奥宮エムゾネの写真・金明水雪解け
水が湧く泉で、その湧き水は霊験あらたかな「御霊水」として珍
重された。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の柵で囲
われ、旗や幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、富士
山頂の霊験あらたかな湧き水として珍エムゾネ重された。『富士の
歴史』によれば、「如何なる旱にも水の涸れることはない」と記
している。写真銀明水の写真[銀明水の石碑群](a)石碑@(
高さ112×幅62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年
」の2つの年代が確認できる。富士講のエムゾネ人々が建碑したも
のと考えられる。(b)石碑A(高さ162×下幅76×上幅6
3p)表面に龍が、裏面には文字が刻まれている。(c)石碑B
(未計測)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水の石碑
群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳エムゾネ、久須志岳、成
就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の直径
約800mの火口を囲む峰々の総称で、それぞれの峰に仏が住む
とされた。文永年中(1264〜1275)の作である『万葉集
註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあエムゾネることから、
鎌倉時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」に見立てていたと考
えられる。江戸時代後期の地誌である『駿河国新風土記』には「
ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コマカニカゾ
ヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉エムゾネを構成する
峰も、またその名称も一定でないことがわかる。峰の名称は、明
治8年に廃仏毀釈により仏教色を払拭したものに変更された。以
下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所による発掘調査
報告書で示された9つの峰について、最高峰の剣エムゾネヶ
30: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 10:14:53.94 ID:OFvIEban0(17/38)調 AAS
お鉢巡りの回り方である時計回りの順に、記述する。なお、浅間
大社では、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」としている。図
八葉の配置図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]かつては剣ノ峰
、阿弥陀岳とも呼ばれた。遠くから見ると剣を立てエムゾネたよう
にそびえ立っているためにこの名があるという。道者たちはあま
りに険しいこの峰を恐れて多くは登らなかったという。この峰の
石は「神の惜ミ給ふ」とされ、採取を禁じられたが、麓からの石
と取り替えるということが行われていた。写真剣ヶ峰エムゾネの写
真図気象庁測候所跡周辺の平面図[白山岳(標高約3,756m
)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ばれた。現在は一般の立入は禁止さ
れている。頂上には鳥居が立ち、また二等三角点が存在する。[
久須志岳(標高約3,725m)]かつては薬師岳ともエムゾネ呼
ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。他の峰々と比べ傾斜
はなだらかである。頂上には鳥居が火口の方向に向けて建てられ
ている。頂上付近には石造物が残存し、首から上と手首から先が
欠損している。台座正面に「食行」「身禄」の文字が確認エムゾネ
できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就岳(標高約3,73
4m)]かつては大日岳とも呼ばれ、大小2つの鳥居が、噴火口
の方角を向いて建てられている。[伊豆岳(標高約3,748m
)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社のエムゾ
ネ歴史』には、「中腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の険を
越え、成就岳にいたるまで、至る所に蒸気を噴出する」とある。
頂上には鳥居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)]
伊豆岳と同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。エム
ゾネ頂上に鳥居は存在しない。石積みがあるが時期は不明である
。他の峰々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3,
722m)]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現
在は一般の立入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3,
31: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 10:37:24.86 ID:OFvIEban0(18/38)調 AAS
、形状が虎(獅エムゾネ子)のうずくまる姿に似ていることから名
付けられた。・割石かつては「釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、
溶岩が急速に冷えて固まったため割れていた。高さが15m程あ
ったが、現在は崩壊してしまっている。古くから行者の修行場と
して知られ、食行エムゾネ身禄がここで入定しようとしたが、大宮
浅間の社人からの許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子岩で
入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側に
32: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 10:49:35.42 ID:OFvIEban0(19/38)調 AAS
で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。
また、文化年間の初エムゾネめ、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出
現し、8合目の石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々
が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪解
け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を
現し、雪解け水の供給エムゾネが無くなると消えてしまう。・荒巻
−44−かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士山
頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた
石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったとこ
ろにあったとされる。拝エムゾネ所は初穂打場とも呼ばれ、登山者
たちが賽銭を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間
大菩薩を拝む場所であった。また、御来光を拝む場所でもあった
。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特
定することはできない。写エムゾネ真吉田須走拝所跡の写真・須山
拝所跡銀明水の裏手の火口を臨む位置にあったとされる。大正2
年(1913)の登山スタンプが押された写真では、銀明水裏手
の火口の縁に立っている鳥居が確認できる。現在その地点には、
2つの目印の石が存在していエムゾネる。写真須山拝所跡の写真・
村山大宮拝所跡『隔掻録』は、大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮
拝所」としている。『富士山明細図』は、このしろが池の裏手の
鳥居を影拝所としている。このしろが池から剣ヶ峰の登山道に沿
って3体の大日如来があり、そエムゾネれぞれ延徳2年(1490
)、天文12年(1543)、寛永元年(1624)の銘があっ
たとされる。昭和初期の絵葉書にも、剣ヶ峰の手前の火口を臨む
位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所跡の写真・三島ヶ
岳経塚昭和4年(1929)、頂エムゾネ上の神官が銅仏の破片と
一石経を採集して下山、それを受けて昭和5年に三島岳のふもと
を調査したところ、経巻が詰まった経筒や木槨、土器片な
33: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 11:03:31.64 ID:OFvIEban0(20/38)調 AAS
物が出土した。富士山本宮浅間大社には、現在10巻分の経巻が
残っており、うち5巻は開かれていエムゾネて内容を確認できる。
経巻のスタイルや計測値から平安時代後期までさかのぼる可能性
が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回
し八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河
原の北側で道が二手に分かれるが、峰エムゾネの外を回り雷岩、割
石を経て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿って
回り金明水に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わる工作
物や自然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在
は立入禁止となっている。A2大宮・村エムゾネ山口登山道図登山
道に要素が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約3
.5q、天照教社の西南西約1qの地点(標高約830m)に、
東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きなケ
ヤキの巨木があり、ここが札打場であったエムゾネ。札打とは、自
分の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛
んであった頃、山伏が峰入修行に先立ち札打を行った。昭和30
年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られたという写
真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡エムゾネ)村山口登山
道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方向に約50
0mの地点に位置する。標高は約1,280mである。東側を走
る沢から一段上がった平坦面に所在している。平坦面は2段あり
、上−45−段には小さな祠が建てられているエムゾネ。また下段
には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸時代には馬返
しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここからは女人
は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女人堂として使われ
た時期もあったと考えられる。下段平坦面の南側エムゾネには溝が
東西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡をたどれなくな
る。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の
34: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 11:10:10.89 ID:OFvIEban0(21/38)調 AAS
八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王
」と刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられていエムゾネる。水
神祠には「文化十三年寅年六月日」、八大龍王には「文化七年七
月十七日」との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の
主人が、天保14年(1843)から文久3年(1863)にか
けて記録した『袖日記』には、安政7年(1860)エムゾネ5月
11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘ったので山が荒れた」との
記述がある。この「中宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある
井戸跡を指すものと考えられている。井戸跡は幅80p、深さ5
0pほどである。・5号建物跡4号建物跡から登山道跡エムゾネを
登りしばらくすると一面の倒木帯となり、その中に5号建物跡が
ある。標高は約1,865mである。平成5年の富士宮市による
調査では、平場の北側の斜面の縁に3体の石像が発見されていた
が、平成20年の静岡県埋蔵文化財調査研究所による調査エムゾネ
では石像が4体見つかっている。木が倒れた際に地面が掘り起こ
され、地中にあった石像が地上に現われたと考えられる。うち1
体の不動明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面に
は「瀧本前」と刻まれており、ここが「富士山表口南面路次エムゾ
ネ社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であると推
測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる。廃仏毀
釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建
物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7エム
ゾネ号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位
置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の
中で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西
部の平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残
エムゾネ存しており、石段の東西には石垣が組まれている。また平
場中央部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存してい
35: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 11:16:50.28 ID:OFvIEban0(22/38)調 AAS
う一つの北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸
約15m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の
縁エムゾネに石組が確認できる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」
として載っており、「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図
」に描かれた「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられ
る。室大日堂は大日如来と役行者像が祀られていたとの記述が『
駿河エムゾネ国新風土記』にあり、また末代上人が建てた往
36: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 11:23:49.65 ID:OFvIEban0(23/38)調 AAS
あったところだともいわれている。写真8号建物跡の写真・12
号建物跡村山口登山道跡に残る遺構のうちで、一番標高の高い位
置(約2,390m)にある。11号建物跡から北に50mの地
点に所エムゾネ在する。東西約8m、南北約5mの方形の区画が石
組によって作られている。東側には直径約90pの丸い穴が二つ
ある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)便所跡と考えられ
る。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然木により構築さ
れた鳥居エムゾネが設置されている。「昭和五十二年七月吉日」と
刻まれており、個人が設置したものである。A3須山口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧
須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長10m
余の溶岩洞エムゾネ穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西
側に入口があり、内部を通り抜けることができる。登山者は、こ
の洞穴を通って登山するのがならわしであった。かつて洞穴の延
長は数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現
在の長さになエムゾネった。崩落した部分は、長さ約30mのU字
型の溝状の溶岩地形として須山御胎内の南東側に残っている。こ
の付近の溶岩は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では10
30〜1230年という結果が出ており、永保3年(1083)
の噴火時に噴出エムゾネした可能性がある。平成21年に実施した
測量調査では、須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485
m付近から認められており、須山口登山道がこの溶岩流に沿って
形成されていることが判明した。写真須山御胎内の写真・石像須
山御胎内の洞穴内エムゾネ部に、「木花咲耶姫」の石像が安置され
ている。地元在住の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興
後の平成12年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内の南
東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山御胎内
の南東側入口前に高エムゾネさ3m前後の木製の鳥居が建て
37: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 11:30:41.49 ID:OFvIEban0(24/38)調 AAS
いる。・標柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内)
」と記された標柱が、富士山須山口登山道保存会によって設置さ
れている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の溶岩地形脇に
、石造りの祠が設置さエムゾネれている。写真祠の写真A4須走口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅
間神社の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在の社殿
は、昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九尺の
規模である。その際、御エムゾネ室浅間神社を合祀した。神社の前
には鳥居がある。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝
殿、庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志
之神社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)
に建てられている。かつてエムゾネは向薬師、向ヒ薬師、手引薬師
と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管
理していた。元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富
士信安等返答下書」に「前薬師之小屋」の記述があることから、
江戸時代初期以降にはすでにエムゾネ祀られていたものと考えられ
る。道者はここで薬師に線香を手向けたという。廃仏毀釈によっ
て仏像は山を降ろされ迎久須志神社と改められた。祭神は大己貴
命と少彦名命である。以前は登山道が建物の西側を通るルートで
あったが、現在は建物の東側をエムゾネ通るようになっている。迎
久須志神社の直下には、「日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる
日の出を遥拝する場所があり、江戸時代には「日ノ御子石」とい
う富士山型の石が置かれていた。富士講の講中が大きな平石の上
で朝日を拝したという。現在「日エムゾネノ御子石」はないが、祠
と鳥居が建てられている。写真迎久須志之神社の写真・鳥居登山
道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山道終点)、9合目
、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御嶽神社前に自然
木などにより構築された鳥居が設置エムゾネされている。・
38: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 11:38:35.84 ID:OFvIEban0(25/38)調 AAS
山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。この場所は「鳥
居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目付近の
登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高い場
所にあったが、雪崩によって流されてエムゾネ別の場所に転がって
いたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置したという。
日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉
田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口
登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点エムゾネとし、富士山頂を
目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者が吉田口
登山道を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から
頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要
素として、現存する吉田口登山道や沿道のエムゾネ宗教施設や山小
屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから急坂とな
り馬が使えなくなることからこの名がついた。この一体は草山か
ら木山への境でもあり、ここからが御山の聖地ということにもな
る。富士山有料道路が開通する以前の馬返のエムゾネ周辺は、本格
的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、登拝者たちがい
ったん休憩を取る場所として賑わった。登山期間には4軒の茶屋
が営業され、登拝者の便に供された。写真馬返周辺の写真・五合
目ここは木山と焼山の境界でもあるこの地は天エムゾネ地境(てん
ちのさかい)とも言われる場所である。役場、中宮の社、小屋等
がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三社の神供料として
役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所となった。小屋
については、江戸後期には4軒があったが、すでエムゾネに武田信
玄の1566年の文書に「中宮之室」という名称があり、戦国時
代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわかる。最
盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周辺の
写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があエムゾネ
39: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 11:47:08.01 ID:OFvIEban0(26/38)調 AAS
れを烏帽子岩という。ここにて富士講中興の祖と称される食行身
禄が、1733年に31日間の断食修行を経て入定した。「甲斐
国志」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小
屋アリ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝スエムゾネ」と
あり、江戸後期にはすでに身禄の聖地として信者が登拝していた
ことがわかる。現在も富士講の聖地として重要な地である。写真
烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要
40: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 11:56:25.11 ID:OFvIEban0(27/38)調 AAS
在している平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのエムゾネつ
ながりが強く1730年代に富士講の指導者である村上光清の寄
進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内
の景観の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、この神
社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。エムゾネ
富士講や吉田御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である
。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠点で
もある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起点などが
ある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守エムゾ
ネ成次によって建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母
屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の向拝一間をつけた
形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各部に漆塗り、
極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装飾を展開エム
ゾネし、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、すぐ
れた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写真図本殿の図
・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の創建とも伝えられ
るが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営したも
エムゾネのである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の
向拝をつける一間社流造の形式である。東宮本殿は、本社本殿は
もとより西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇
股に挿入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最
もエムゾネ古い建物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・
西宮本殿西宮本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重に
より東宮に替わる本殿として建立されたが、1615年、鳥居成
次の本殿建立により現在地に移され西宮となった。本殿の形式は
東宮エムゾネと同じ一間社流造であるが、両側面と背面は二間で一
間の向拝をつける。西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に
取り入れていて、やがて豪華な本社本殿建築へと発展する
41: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 12:12:03.19 ID:OFvIEban0(28/38)調 AAS
エムゾネ富士山(ふじさん、英語:Mount Fuji)は、静
岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と
、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。
標高3776.12 m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰で、そ
のエムゾネ優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られ
ている。数多くの芸術作品の題材とされ芸術面で大きな影響を与
えただけではなく、気候や地層など地質学的にも大きな影響を与
えている。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され
、そエムゾネの山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。古来霊峰とされ、特
に山頂部は浅間大神が鎮座するとされたため、神聖視された。噴
火を沈静化するため律令国家により浅間神社が祭祀され、浅間信
仰が確立された。また、富士山修験道の開祖とされる富士上人に
より修エムゾネ験道の霊場としても認識されるようになり、登拝が
行われるようになった。これら富士信仰は時代により多様化し、
村山修験や富士講といった一派を形成するに至る。現在、富士山
麓周辺には観光名所が多くある他、夏季シーズンには富士登山が
盛んであエムゾネる。日本三名山(三霊山)、日本百名山、日本の
地質百選に選定されている。また、1936年(昭和11年)に
は富士箱根伊豆国立公園に指定されている。その後、1952年
(昭和27年)に特別名勝、2011年(平成23年)に史跡、
さらに20エムゾネ13年(平成25年)6月22日には関連する
文化財群とともに「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」の名で世
界文化遺産に登録された。日本の文化遺産としては13件目であ
る。富士の山とは詠んだとしても、「ふじやま」という呼称は誤
りであり、愛エムゾネ媛県大洲市柚木にある冨士山(とみすやま)
とは字も呼び方も異なる。富士山についての最も古い記録は『常
陸国風土記』における「福慈岳」という語であると言われている
。他にも多くの呼称が存在し、不二山もしくは不尽山と
42: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 12:18:47.83 ID:OFvIEban0(29/38)調 AAS
古文献もある。エムゾネまた、『竹取物語』における伝説もある。
「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と
称されたという説もある。近代以降の語源説としては、宣教師・
バチェラーは、名前は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フ
ンチヌプリ」に由エムゾネ来するとの説を提示した。しかし、これ
は囲炉裏の中に鎮座する火の姥神を表す「アペフチカムイ」から
きた誤解であるとの反論がある。その他の語源説として
43: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 12:24:48.17 ID:OFvIEban0(30/38)調 AAS
語説・マオリ語説・原ポリネシア語説等がある。明確に「富士山
」と表記されるに至エムゾネるにおいては駿河国富士郡に由来する
とするものがあり、記録としては都良香の『富士山記』に「山を
富士と名づくるは、郡の名に取れるなり」とある。富士山に因む
命名富士山が日本を代表する名峰であることから、日本の各地に
「富士」の付く地名がエムゾネ多数存在している。富士山の麓とし
て静岡県に富士市・富士宮市、富士郡、山梨県に富士吉田市・富
士河口湖町・富士川町があるほか、よくあるものとして富士山が
見える場所を富士見と名づけたり(例:埼玉県富士見市)、富士
山に似ている山(主に成エムゾネ層火山)に「富士」の名を冠する
例(信濃富士など)がある。日本国外に移住した日本人たちも、
居住地付近の山を「○○富士」と呼ぶことがある。詳細は「富士
見」および「富士街道」を参照また、全国各地には少なくとも、
321座を超える数の富士エムゾネと名の付く山があり、それらを
郷土富士と呼ぶ。詳細は「郷土富士」を参照なお、地名以外にも
「富士」を冠した名称は多く存在する。詳細は「フジ」を参照ま
た、異名として芙蓉峰とも言う。詳細は「芙蓉」を参照地質学上
の富士山富士山周辺の地形図エムゾネ富士山の構造図地質学上の富
士山は典型的な成層火山であり、この種の火山特有の美しい稜線
を持つ。現在の富士山の山体は、大きく分けて下記の4段階の火
山活動によって形成されたものだと考えられている。先小御岳(
せんこみたけ)火山小御岳(こエムゾネみたけ)火山古富士(こふ
じ)火山新富士(しんふじ)火山この中で先小御岳が最古であり
、数十万年前の更新世にできた火山である。東京大学地震研究所
が2004年4月に行ったボーリング調査によって、小御岳の下
にさらに古い山体があることが判エムゾネ明した。安山岩を主体と
するこの第4の山体は「先小御岳」と名付けられた。古富士は8
万年前頃から1万5千年前頃まで噴火を続け、噴出した
44: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 12:30:58.75 ID:OFvIEban0(31/38)調 AAS
降り積もることで、標高3,000m弱まで成長した。山頂は宝
永火口の北側1〜2kmのところにエムゾネあったと考えられてい
る。2009年10月に、GPSによる富士山の観測で地殻変動
が確認された。これは1996年4月の観測開始以来初めてのこ
とである。この地殻変動により最大2センチの変化が現れ、富士
宮市−富士吉田市間で約2cm伸びたエムゾネ。これはマグマが蓄
積している(活火山である)現れとされている。プレートの観点
からは、ユーラシアプレート外縁部で、北アメリカプレート又は
オホーツクプレートと接するフォッサマグナ(すぐ西に糸魚川静
岡構造線)に南からフィリピン海プレーエムゾネトが沈み込む位置
であり(ほぼ、相模トラフと駿河トラフ及び伊豆・小笠原・マリ
アナ島弧を陸上に延長した交点)、3個のプレートの境界域(三
重会合点(英語版))となっている。富士山下で沈み込んでいる
フィリピン海プレートのさらに下に太平洋エムゾネプレートが沈み
込んでおり、富士山のマグマは、東日本にある島弧火山と同様に
太平洋プレートに由来するものである。富士山の火山上の特徴は
、日本列島の陸上で他にない均整のとれた山体であること、日本
の火山のほとんどが安山岩マグマを多く噴出エムゾネしているのに
対し、富士山は玄武岩マグマを多く噴出すること、側火山が非常
に多いことがある。富士山頂山頂火口を上空より山頂火口山頂に
は火口(お鉢)がありこれを「大内院」と呼ぶ。これを囲むよう
にして8つの峰がありこれを八神峰と呼ぶ。火エムゾネ口の南西側
に最高点の剣ヶ峰があり二等三角点(点名は、富士山。標高37
75.51m2014年4月1日改算)、火口の北側には二等三
角点(点名は、富士白山。標高3756.23m2014年4月
1日改算)が設置されている。火口の構造は、国エムゾネ土地理院
によると、最深部の標高が3538.7m、火口の深さは約23
7m、山頂火口の直径は780m、火口底の直径は13
45: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 12:37:35.50 ID:OFvIEban0(32/38)調 AAS
る。登山道を除く8合目より上は、富士宮市にある富士山本宮浅
間大社の私有地であるが、県境と市町村境界は未確エムゾネ定であ
る。2014年1月の富士山世界文化遺産協議会後の記者会見で
も静岡県知事の川勝平太と山梨県知事の横内正明は県境を定めな
いことを明言している。国土地理院がインターネット上で公開し
ている地形図では2013年10月から地図上の地点エムゾネを指
定すると住所、緯度・経度、標高が表示される機能が加わったが
、帰属未確定の地点の場合には近くの帰属が確定している住所が
表示されるという設定になっているため、富士山頂(剣が峰)を
指定すると静岡県富士宮市として表示されることが山梨エムゾネ県
などから指摘され、これを受けて富士山頂の住所表示については
非表示になるよう変更された。宝永山宝永山と宝永噴火口宝永山
(ほうえいざん)は宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生
した側火山(寄生火山)である。富士山南東斜面に位置しエムゾネ
標高は2,693mである。宝永山の西側には巨大な噴火口が開
いている。これらを間近で見ることができる登山コースも整備さ
れている。詳細は「宝永山」を参照富士山と火山活動富士山の噴
火詳細は「富士山の噴火史」を参照最終氷期が終了した約1エムゾ
ネ万1千年前、古富士の山頂の西側で噴火が始まり、溶岩を大量
に噴出した。この溶岩によって、現在の富士山の山体である新富
士が形成された。その後、古富士の山頂が新富士の山頂の東側に
顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約2,エム
ゾネ500〜2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大
規模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こして崩壊した。新
富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千年前〜約8
,000年前の3,000年間と、約4,500年前〜約3,2
エムゾネ00年前の1,300年間と考えられている。山頂部から
の最後の爆発的噴火は2300年前で、これ以降は山頂
46: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 12:44:49.99 ID:OFvIEban0(33/38)調 AAS
噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの噴火が散発的
に発生している。延暦19年−21年(800年−802年)に
延エムゾネ暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出し
た貞観大噴火。最後に富士山が噴火したのは宝永4年(1707
年)の宝永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4c
mの火山灰が降り積もった。また、宝永大噴火によって富士山の
山体エムゾネに宝永山が形成された。その後も火山性の地
47: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 13:00:57.19 ID:OFvIEban0(34/38)調 AAS
辺から東へは足柄平野へ、南へは三島周辺を通って駿河湾へ流下
、山体崩壊の発生原因は不明。1331年の元弘地震に伴い発生
。1891年濃尾地震に伴い発生。災害対策火山噴火予知連絡会
(気象庁)−富士山のエムゾネみを限定するものではないが、日本
の火山活動についての検討を実施する。状況に応じて見解を発表
するが、噴火の日時を特定して発表することはない。定例会は年
3回実施されるが、噴火時には随時開催される。2000年10
月に富士山の低周波地震エムゾネが増加した際は、ワーキンググル
ープが設置され、富士山に関する基礎データの収集・整理、監視
体制の検討、火山情報発信の方法などが集中的に検討された。富
士山ハザードマップ検討委員会(内閣府防災担当)−噴火時の広
域避難のために必要なハザエムゾネードマップの作成が、検討委員
会を通じて進められている。富士直轄砂防事業(国土交通省)−
大沢崩れを源にして発生する大規模な土石流から、下流の保全対
象を守る砂防事業を実施中。山梨県は2015年6月11日、「
富士山噴火時避難ルートマッエムゾネプ」を作成した。「静岡市市
長の田辺信宏は2016年1月22日の定例記者会見で、市消防
航空隊が2013年、富士山で滑落した登山者を救助中にヘリコ
プターから落下させ、この登山者が死亡した事故を受け、再発防
止策として、市消防局がヘリでエムゾネ救助できる山の高さに32
00メートルと上限を設けたことを明らかにした。」。地殻変動
の観測国の機関(防災科学技術研究所、気象庁、国土地理院、産
業技術総合研究所)及び大学(東京大学地震研究所)などにより
観測が行われている。国土地理院エムゾネ:地磁気観測点が、鹿野
山測地観測所、水沢測地観測所および江刺観測場に設置されてい
る。また、山頂にはGPSの電子基準点。気象庁観測所:地震計
(山頂、御殿場口8合目、吉田口6合目、鳴沢塒塚東、太郎坊)
、傾斜計(太郎坊)、空振計(太郎エムゾネ坊、上井出)
48: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 13:10:26.19 ID:OFvIEban0(35/38)調 AAS
(太郎坊)、望遠カメラ(萩原)防災科学技術研究所:火山活動
可視情報化システム(VIsualizationsystem
forVolcanicActivity)噴出物災害などへの
対策国土交通省、富士砂防事務所:静エムゾネ岡県、山梨県と連携
し火砕流、溶岩流などの火山活動に伴う災害を防ぐための調査・
検討を実施しハザードマップが作成されている。しかし、山体崩
壊を想定したハザードマップは2012年現在未作成である。富
士山と気象気候山頂は最暖月の8月でもエムゾネ平均気温が6℃し
かなく、ケッペンの気候区分では最暖月平均気温が0℃以上10
℃未満のツンドラ気候に分類される。太平洋側の気候のため1月
や2月は乾燥し、3月、4月、5月、6月が最深積雪トップ10
を占める。観測史上最低気温は−38.0エムゾネ℃で最高気温が
−30℃未満の日も過去に数回観測されていて−30℃を上回る
ことがない1日というのは北海道でも例がない。富士山での気象
観測かつて気象庁東京管区気象台が富士山頂剣ヶ峯に設置してい
た気象官署が富士山測候所である。現在は富エムゾネ士山特別地域
気象観測所となっており、自動気象観測装置による気象観測を行
っている。詳細は「富士山測候所」を参照気象現象山体に強風が
吹くと砂が巻き上げられ、周辺の自治体に降ることがある。20
10年12月15日には、神奈川県の西部からエムゾネ南部にかけ
て黒い砂が積もり、その状況から富士山の砂が巻き上げられ、西
風に乗り降り積もったと考えられると報道された。富士山北麓の
一部農地(現在の山梨県富士吉田市など)では、富士山の標高2
600m付近に現れる農鳥(鳥の形に見える残雪エムゾネ)の出現
する時期によって、農作物が豊作になる・凶作となるという言い
伝えがある。富士山では山岳波が発生することもあり墜落事故も
起きている(英国海外航空機空中分解事故など)。富士山麓の自
然環境富士山麓の天然記念物として、「富士山原始エムゾ
49: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 13:20:17.66 ID:OFvIEban0(36/38)調 AAS
青木ヶ原樹海」(天然記念物:1926年2月24日指定、20
10年3月8日追加指定・名称変更)、「富士風穴」(天然記念
物:1929年12月17日指定)などがある。伏流水白糸の滝
(静岡県)富士山に降った雨や雪は、長い年月をかけエムゾネ伏流
水として地下水脈を流れ湧き出てくる。最も高い地点から湧き出
す湧水として確認されている例は標高1670m(富士宮口二合
目付近)とされ、その他山麓を帯状に分布している。富
50: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 13:31:07.23 ID:OFvIEban0(37/38)調 AAS
おける湧水の総湧出量は1968年で1日あたり154エムゾネ万
立方メートル以上だという。しかし、近年湧出量の減少が確認さ
れている例がある。地域名称南東麓されてい柿田川(日本三大清
流)、小浜池南麓吉原湧泉群西麓湧がってい玉池(特別天然記念
物)、白糸の滝(国指定の名勝及び天然記念物)、猪之頭エムゾネ
湧泉群北麓忍野八海(国指定の天然記念物)またの、一部で駿河
湾や富士五湖の西湖(水深25m付近)で湧出があるとされてい
る。富士山を源とする伏流水を利用し、周辺地域で製紙業や医薬
関連の製造業などの工業が活発に行われている。また、富士エムゾ
ネ山の伏流水はバナジウムを豊富に含んでいるため、ミネラルウ
ォーターとして瓶詰めされ販売されている。溶岩洞窟西湖コウモ
リ穴入口富士山麓周辺には大小100以上の溶岩洞窟が形成され
ている。その中でも総延長2139mの三ツ池穴(静岡県富士エム
ゾネ宮市)は溶岩洞窟として日本一の長さを誇る。また、山麓周
辺で最大規模の溶岩洞窟として西湖コウモリ穴(山梨県南都留郡
富士河口湖町)があり、国の天然記念物に指定されている。その
他、鳴沢氷穴(山梨県南都留郡鳴沢村)も国の天然記念物に指定
エムゾネされている。植生富士山は標高は高いが、日本の他の高山
に比較すると高山植物などの植生に乏しい。これは富士山が最終
氷期が終了した後に山頂から大規模な噴火が繰り返したために山
の生態系が破壊され、また独立峰であるため、他の山系からの植
物エムゾネの進入も遅れたためである。しかし、宝永山周辺ではい
くらか高山植物が見られる。山の上部ではタデ科オンタデ属のオ
ンタデ(御蓼)、山腹ではキク科アザミ属のフジアザミ(富士薊
)が自生している。中部山岳地帯の高山の森林限界の上にはハイ
マツエムゾネ帯が広がっているのが通例であるが、富士山にはハイ
マツ帯は欠如し、その代替にカラマツ林が広がっている。人間史
富士山本宮浅間大社古代古代より富士山は山岳信仰の対
51: (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) 2018/02/21(水) 13:53:43.69 ID:OFvIEban0(38/38)調 AAS
の8つの峯(八神峰)を「八葉」と呼ぶことも神仏習合に由来し
、文永年間(1264エムゾネ年−1275年)の『万葉集註釈』
には「いただきに八葉の嶺あり」とある。その他多くの書物で「
八葉」の記述が確認できる。江戸時代江戸時代になると、徳川家
康による庇護の下、本殿などの造営や内院散銭取得における優先
権を得たことを基に江戸エムゾネ幕府より八合目以上を寄進された
経緯で、現在富士山の八合目より上の部分は登山道・富士山測候
所を除き浅間大社の境内となっている。登山の大衆化と共に村山
修験や富士講などの一派が形成され、富士信仰を発展させていっ
た。富士講の隆盛が見られエムゾネた18世紀後半以降、新興宗教
として旧来の登山道では発展できなかったために吉田口を利用す
る道者が目立つようになっていたと考えられ、18世紀後半以降
では、他の登山口の合計と同程度であったという。富士参詣の人
々を「道(導)者」といい、エムゾネ例えば『妙法寺記』の明応9
年(1500年)の記録に「此年六月富士導者参事無限、関東乱
ニヨリ須走へ皆導者付也」とある。また、登山における案内者・
先導者を「先達」といい、先達の名が見える道者帳(『公文富士
氏文書』、文中に「永禄6年」エムゾネとあり)などが確認されて
いる。明治以後慶応4年(1868年)に神仏分離令が出される
と、これら神仏習合の形態は大きく崩されることとなる。富士山
中や村山における仏像の取り壊しなどが進んだ。富士山興法寺は
分離され、大日堂は人穴浅間神社エムゾネとなり大棟梁権現社は廃
されるなど改変が進んだ。北口本宮冨士浅間神社では仁王門や護
摩堂などが取り壊されることとなった。仏教的な名称なども改称
され、「八葉」の呼び名も変更された。1883年(明治16年
)に御殿場口登山道が、1906年エムゾネ(明治39年)に新大
宮口が開削された。富士山は平成23年(2011年)2月7日
に国指定文化財である「史跡」に指定された。史跡とし
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