[過去ログ] ☆奈良県立畝傍高等学校☆Part3 [無断転載禁止]©2ch.net (950レス)
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528: 2016/01/25(月) 05:39:46.19 ID:iQh+uG5R0(1/7)調 AAS
このスレを見ている畝傍高校関係者のうち、卒業生で社会人になっている方々は、学歴は確かに重要ではあるが社会人としての職業能力や社交力のほうが比較にならないほど決定的であり、
それが欠けている者はいかに高学歴であろうとその後の人生で詰まる(典型例:辻正彦)ということを皆認識されているであろう。
また、大学生も、高校と比べてはるかに広がった世界を目の当たりにして、高校まで学歴至上価値観に染まっていた者も多くが目を覚まされたことだろう。

ただ、まだ世界の狭い現役畝傍高校生の諸君は、東大京大や医学部を頂点とする学歴ヒエラルキーのピラミッドが頭から離れていない者が多いのではないだろうか?
(非進学校の高校生たちは学歴市場価値観からとうに解放されているが、進学校の高校生たちの多くは日々その価値観に強く晒されておりまだまだ解放されていない。)
成績上位で旧帝大や奈良県立医大が有望視されている者は、自らの今後が光の当たるものになることを確信し、
また成績がそうでない大多数の者たちは、優秀な○○君がエリートとして未来永劫輝くことを確信して仰ぎ見るイメージから離れられないのかもしれない。

現実を言えば、確かに旧帝大に行った者の大半(多数派)は、そうでない者たちよりも、概して社会的に有力な処(一部上場企業、研究機関、上級公務員等)に就職し、
医学部に行った者は医師ないしは医学研究者となり、平均を上回る社会的地位と収入を得て、”ミドルアッパー”の階層を形成する。
高校時代の級友たちが仰ぎ見た優秀な○○君(さん)たちの大半は、エリートという表現は大げさにしても、確かに世間一般の基準からすれば「勝ち組」の人生を歩む。

問題は、それがあくまで”概して”ということであり、例外がいること。
またその例外は、案外少なくないということなのである。
誰もが認めるような高学歴を取得しても、社会で落ちこぼれる者が少なからずいる。
就職活動で拒絶されたり(例:東大生なのに”無い内定”)、職場に適応できず職を転々とし最悪の場合無職になる者・・・
そもそも社会に出ることができず卒業と同時に実家に帰って引きこもる者・・・・
もちろん彼らの大多数は「結婚して家庭を築く」などとは無縁である。

彼らを「高学歴社会不適応者」と呼ぶことが適当であると思う。
529: 2016/01/25(月) 05:40:53.57 ID:iQh+uG5R0(2/7)調 AAS
この酷薄な現実は近年問題となっていて、的確に捉えた報告もなされている。
当事者の側から → 新東大卒ニートばいお日記 外部リンク:baiodao.blog86.fc2.com
大学関係者の側から → 秋田大学保健センターの報告 外部リンク[cgi]:www.akita-u.ac.jp

当事者も教育する側も認めていることとしては、高学歴社会不適応者になる者は単に不運だからそうなるのではなく、
原因の多くが本人自身にあるということである。

どういう人間が、たとえ高学歴を取得しても社会で落ちこぼれてゆくのか? いや、その前に大学生活で挫折して将来の見通しを失ってしまうのか?
そこにはハッキリとした共通点がある。
・・・結論は簡単であって、いわゆる「コミュ障」である。
大学は高校までと違い人間関係が固定化されておらず、自分から広げてゆかねばならない。
入学後一ヶ月以内で多くの普通の大学生たちは「差し当たりしのいでいける人間関係」は築いている。
クラブ・サークルに加入しているし、唯一固定化された語学クラスでも友人の数人は作っている。
バイトをしてそこで人間関係を作っている者も多いだろう。
コミュ力に長けたいわゆる「リア充」グループはそれを起点に積極的に活動してさらに大きく人間関係を広げてゆく。
・・・「コミュ障」グループはその初期段階で完全につまづく。
530: 2016/01/25(月) 05:42:05.45 ID:iQh+uG5R0(3/7)調 AAS
人間関係が漠然と怖い。また高校までに何かに打ち込んでこなかった(←何かに打ち込むこと自体そこに人間関係が発生するので、「コミュ障」は何かに打ち込んだことのない者がほとんど)ために
クラブ・サークルといっても選択肢が限られてくる。
いわゆるオタク系サークルしか無くなってくるが、そこにも人間関係は厳然と存在するため、すでに人間関係に倦んでいる彼らは、好きなことを通じて他人を交わることすら煩わしく感じてしまい早々に撤退してしまう。
さらに高校までにきちんと人と交わって他人を気持ちを推し量ったり上手に自己表現をする術を身につけてこなかったために、たとえ一念発起して(いわゆる「大学デビュー」)
人間関係を広げようとしてもその言動が非常にぎこちなく気味悪いものとなり、肝心の周囲の人々に嫌われて失敗に終わる・・・
社会の疑似体験としての絶好の機会であり貴重な収入源であるアルバイトすら、人間関係を恐れて二の足を踏んでしまう・・・等等。

そうして、早くて3ヶ月、長く持っても2年も経つと、彼らは「お独り様」になっている。
通学も食事もほぼ独り、携帯の電話帳は閑散とし電話・メールの着信も滅多にない。Lineのグループなどまるで別世界に思えてしまう。
大多数の者が社会人の準備として諸々の社会的能力を作ってゆく貴重な時期に、その機会を完全に逸してただ時だけが過ぎてゆく。

就職しようにも人間関係が乏しいから情報が入らない、他人にアピールできるような「大学生活ストーリー」は皆無でコミュ力も身についていないから面接ですぐに見抜かれる。
これが「高学歴無い内定」につながる。(←そのへんは上記のばいお氏が詳しく説明してくれている)
531: 2016/01/25(月) 05:42:36.21 ID:iQh+uG5R0(4/7)調 AAS
コミュ力が無いのなら学問でやっていくしかないと認識している者は多いようだが、大学院でつまづいてしまう者が多い。
それまで人を避け続けてきた彼らが久々に放り込まれる「固定化された人間関係」だが、それに耐えられないのである。
(誰でも受けるであろう)教官の叱責にも耐えられず、先輩との上下関係もこなせない。
そうしたことが重なり、そのうち研究室に行けなくなり、しまいに退学してしまう者も多い。
(そのへんのことも上記の秋田大学保健センターの報告で述べられている)
本来研究室は学問研究の場であり、一見すればコミュ障の救いの場のように思われるが、現実にはそこでも挫折するのである。
学問研究にしても、それまでの人生でキャッチボールの会話をしっかりやってこなかったために、きちんとディスカッションが成立させられない者も多いだろう。
・・・そして研究室をドロップアウトした者の行先は・・・たいてい実家での隠遁である。
阪大院を不適応で中退して別の大学院に行かせてもらえた辻正彦はかなり幸運なパターンである。(実家の裕福さ、親の過剰ともいえる寛容さ、再入学した研究室の素晴らしさが重なった)

仮に(辻正彦のように)幸運にも就職にこぎつけても、コミュ力の欠如は社会人になってからさらに重くのしかかることとなる。
仕事上の失敗が重なって退職を余儀なくされる場合もあるが、たいていの場合、当人が心理的に耐えられなくて先に撤退してしまう。
彼らの行き着く先も・・・たいてい実家での隠遁である。
532: 2016/01/25(月) 05:43:41.96 ID:iQh+uG5R0(5/7)調 AAS
さて、この「コミュ障」層は、突如としてコミュ障になったのではなく、たいていの場合、早期に顕著な兆候を見せている。
早ければ幼児期・・・保育園や幼稚園で集団遊びができず、独り遊びに没頭し、先生を心配させている。
この兆候は「高機能自閉症」いわゆるアスペルガーと重なっているので、これらの子供たちは知的なことには強い関心・執着・吸収力を示し、
小学校に入るとずば抜けた学力を見せて一躍周囲の注目を集めることが多い。・・しかし周囲とは相変わらずうまく関係を築けず孤立しがち。
学力至上タイプの教師(近年は少数派)なら将来有望と褒め称え、コミュニケーション重視タイプの教師(最近はこちらが多数派)なら嫌うか心配して親や当人に問題を指摘する、、というアンバランスが生じる。
いずれにせよ、この子に対する忌憚のない評価は、周りの子供たちがやってくれる。
好かれない、敬遠される、学業優秀なのに尊敬されない、人望がない・・・・子供というものは素直でかつ残酷である。またその嗅覚はたいてい正確である。
これが中学に入ると、いじめに発展してしまうこともしばしばである。

年齢的にも未熟な当人に、その原因はたいてい理解できない。
客観的に見ればもちろん原因は当人の人間性にあり、同じように学力優秀でも、彼と全く違って、人に囲まれ人望を集め尊敬される同級生が必ずいて、
その2人を見比べれば違いなど歴然とするのだが、
やはり未熟な当人にはたいてい思い至らない。
ただ不満、恨みばかりが溜まってゆく。なぜ僕ばかり・・なぜ?なぜ?なぜ?・・・
533: 2016/01/25(月) 05:44:26.74 ID:iQh+uG5R0(6/7)調 AAS
彼らはたいてい、勉強以外に誇れるようなものは無い。(←上記で述べたように、人間関係をこなさずして特技を作れるようなもの自体、勉強等極めて限られている)
彼らは次第に、自らの唯一誇れるもの、勉強と、それを称揚する価値観にすがりつくようになってゆく。
バカにするな、軽んじるな、今に見ていろ、お前たちがいくら背伸びしても手の届かない大学に入って、エリートになって、お前らを下に見る立場に立ってやる・・・

高校に進学し、彼らはいわゆる進学校へ進む。
人目を気にせず堂々と勉強に邁進できる・・・勉学優秀なことがきちんと評価される・・・水を得た魚のように彼らは勉学に没頭する。
周囲との人間関係は煩わしいし、また中学までにそのための能力も身につけてこなかったからそもそもこなせない。
休憩時間も誰とも話さず黙々と勉強を続ける者が進学校のクラスには一人はいるものだが、彼らは一分一秒も惜しいから勉強しているのではない。
ある意味、「勉強に逃げている」のである。

こうやって日々を過ごしていれば、もちろん勉強はできるだろうし、また成績も上昇カーブを描くことが多いのだろう。
むろん、本来この時期に身につけるべき社会的諸能力は置き去りにして・・・
その過程で、まだ世間を知らぬ彼らは一時の夢を見る。自分が社会的成功者として輝く夢を。

その夢、いや妄想は、旧帝大(or医学部)二次試験合格発表の日に頂点に達する・・・・

そして・・その後上記のような孤独な大学生活を送り、遅くとも30歳になった頃には、彼らは挫折感にまみれ、自らが負け組であることを痛感するのである。
534: 2016/01/25(月) 05:45:22.53 ID:iQh+uG5R0(7/7)調 AAS
彼ら高学歴社会不適応者の圧倒的大多数は、既に自らの抱えていた問題を認識し、自らを恥じるようになっている。
かつて世間の誰もが認める大学に合格し通っていた・・・その過去は、むしろ恥として隠すよう心がける習性を身に付ける。

しかし中には、大学入学後、世間の誰もが恥と認識するであろう哀れな末路をたどり、40歳にして無職独身(実家寄生)となった今でも、
かつてすがりついた学歴至上主義観から解放されない、なんとも哀れな人間もいる。
それがこのスレで取り上げられている、畝傍高校卒業生の高学歴社会不適応者、辻正彦氏なのである。

彼のこの発言・・・これがいい年した40歳の吐いた言葉である。
2chスレ:ojyuken
社会の落ちこぼれとして実家に篭っている自分を、高学歴者として羨ましいのだろう・・と。
哀れとしか言いようがない。ある意味凄い感性である。
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