[過去ログ] 人権擁護法案反対運動 PR戦略準備室2 (920レス)
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(2): 穴埋男 2005/09/26(月) 20:50:47 ID:be3CPZQ3(1/3)調 AAS
↓クラウゼヴィッツ戦略論を現代情報戦に適用する事の問題や是非について。
↓国家権力自体が敵の手に半ば以上落ちている状況で、
↓国民の団結を希求する先にあるべきは、総力戦なのか否か?わけわかめ...

☆クラウゼウィッツ批判
外部リンク:plaza.rakuten.co.jp
(略)
クラウゼヴィッツ戦略論は今日でも関心を持つ多くのファンがあるので、
現代戦略理論の立場から明確に否定しなければならないと思う。
 そもそもクラウゼウィッツの≪戦争論≫初版は、彼の死後になってから
未亡人の手によって、ささやかに出版されたものであって、未完成原稿や
項目は削除されていたと考えられる。
 彼の≪戦争論≫は国民経済の大半を軍事力の展開に利用する「総力戦構想」
について述べたものであるが、軍事と外交の関係については全く記述がない。
 また軍事と政治との関係についても記述が少ない。
 もしも≪戦争論≫の出版までクラウゼウィッツが健在であったら、
 「そこのところはどうなんですか」という質問にも答えられたであろうし、
おそらくはモルトケと同じように
 「国家の大戦略において軍事は外交と一体化する」という原則を自著に
書き加えたであろう。
 そこに死後・未完成出版という大きな穴がある。
(略)
 クラウゼヴィッツはナポレオン戦争時代の人物であり、トルストイの≪戦争
と平和≫には、ナポレオンのドイツ侵攻でロシアに亡命してきたドイツ貴族
の一人としてあまり好意的でなく描かれている。
 彼の思想には、鉄道を軍事利用したモルトケや電報で怪情報を操作した
ビスマルクのような新しい技術をドンドン利用するような発想はない。
 ナポレオン軍がロシアで敗退した状況を知っているので、ゲリラ戦の効果の
大きさは知っていたが、貴族なので自分からコマンド部隊を率いて敵地に乗り込むような具体性はない。
479
(2): 穴埋男 2005/09/26(月) 20:52:35 ID:be3CPZQ3(2/3)調 AAS
外部リンク[cgi]:www.warbirds.jp
#民兵
v.Clausewitzに関して解答すると、彼は「小(klein)−戦争」論と言うモノを書いています。
コレは全集およびマールウェーデル版『戦争論(レクラム版)』に収録されており
何てことのないスペイン語の『小戦争』の独訳、つまり「ゲリラ戦争論」のこと何ですが
何でクラウゼヴィッツがこんなモノを書いているかと言えば
彼がゲリラ戦部隊を指揮していたことがあるからです。
(略)
「こんな下品な部隊の下劣な戦闘には人として堪えられない(意訳)」と
転属願いを出したのが残っています。

「有事戦略研究会」における戦略研究のための一考察
外部リンク[html]:www.iris.dti.ne.jp
ロジスティクス・ライン攻撃の重視、抵抗線の迂回などという、本来正規軍のとるべき
戦術としては、騎士道から外れたものとされがちであった作戦は、ゲリラ戦術へと
導入されていくこととなる。エルンスト・チェ・ゲバラ(Ernst Che Guevara)は、
『ゲリラ戦争』(1960)の中で、ゲリラ戦術・戦略のポイントは、機械化された師団とは
異なる意味での「機動性」であり、秘密性であり、交通・通信の重要性を指摘している。
また、ホー・チミン(Ho Chi Minh)もまた、ゲリラ戦術において、ロジスティクス・ラインへの
攻撃を重視した。その有効性は、ベトナム戦争、中越戦争においていかんなく発揮されている。
 このように、戦争がその時代の「技術的要素」や「地政学的要素」、「国際関係的
要素」などによって変容するように、戦略それ自体または、その戦略研究の流行も
時代によって変容していく傾向がある。当然、その時代にあった戦略研究が必要となる。

↑結局、戦略とて目的達成の手段でしかないのに
↑時代に合わせた柔軟性が持てねば戦略論が目的より優先されるってトコか?
↑でも、それは敵も同様なハズなんだよな...
480
(2): 穴埋男 2005/09/26(月) 21:10:58 ID:be3CPZQ3(3/3)調 AAS
秘密性が見込めないとなると、現状はゲリラ戦の範疇には入らんのかな?
従うべき規範など現状にはない、自力で柔軟に時代に合わせるしかないのか?
ゲリラ戦でないならと「国家の大戦略」など検索していたら、類似概念(?)の
「勝利条件」をカタっている人がいた↓ やはり目的は絞り込まねば...??

外部リンク[html]:kenuchka.paslog.jp 戦闘教師「ケン」
日本国の勝利条件は何か
 ゲーム的発想になるが、日清・日露戦争時と15年戦争時の日本が最も異なる点は、
自らの「勝利条件」を理解していたかどうか、に尽きると思われる。
勝利条件とは、ゲームに勝利するために何をする必要があるか、である。
 将棋なら敵の王を取ること、囲碁なら相手よりも多くの陣地を確保することにある。
(略)
日露戦争の戦争目的は、ロシアの南下を食い止めることにあり、朝鮮利権の絶対的確保と、あわよくば
満州地方を軍事的に空白化することにあった。ギリギリの軍事的勝利(陸軍は限界だった)と必死の
外交努力によって、その目的を達成した。が、多くの国民にはその実情を知らせることなく、そのことが
「無敵皇軍」などの軍事崇拝を生み、シベリア出兵から15年戦争に至る帝国主義につながっていった。
 もともと日本の朝鮮進出は、軍事的空白地帯となっていた朝鮮半島(李氏朝鮮は清の属国で
ほぼ非武装)が、日本の国土防衛にとっての不安定要素となっていたために、独立国とするか
日本の勢力圏とするかの国家的選択にかられた結果のものだった。現代に生きる私たちからすると
被害妄想の類に思えるが、明治の要人たちは、朝鮮が他の列強の支配下になることを極度に恐れていた。
工業力がなく投資するような資本もない日本は、朝鮮を軍事的に支配する選択を行った。だが、
今度は朝鮮を守るために満州に進出し、さらに満州を守るために中国侵略を開始し、ソ連とも
衝突した(ノモンハン事件)。日本の植民地経営は軍事に依存していたために、国際政治は常に
軍事の論理に基づいて進められ、その結果、際限なき戦争に向かっていった。
(略)
植民地とは独占的に自国の商品を売りつけ、自国の資本を投資するために存在する。それは
現在の米国も同じだ。しかし、昭和初期の日本には、まともな商品も資本もなく、植民地経営
は大赤字で、いたずらに防衛範囲を広げ、他国と衝突する場所を増やしていただけだった。
明治日本の勝利条件を確認すれば、「日本本土を防衛し、産業を育成、国民を富ます」ことにあったはずだが、
日清・日露戦争以降の日本政府は、目的を見失い、全世界を敵にして、恨みを買い、国土を灰燼に帰した。
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