[過去ログ] 悟りを開いた人達参加のこれから3 (1001レス)
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260(1): 2007/04/30(月) 01:46:25 ID:dJapiq0l0(1/2)調 AAS
仏の気持ちが少しでもわかる人は迷える衆生を救うために努力をするはずだ。
まあこれはあくまでも自分は正しい考えを持っていると思っている人にいってんだけどね。
261(1): 2007/04/30(月) 02:00:51 ID:+kNnboRK0(2/2)調 AAS
>>259
仏教の目的は、
強度100%の橋を作る設計図を作る前に、
川がどこから来て、この世界はどうなっているのか?という切り口で
考えて「修行」しまくって、さらにそんな人たちから金を巻き上げる人たちもいたり、
そういう中で出来上がって行った概念なんだよね。
結局、それは無だ!って事になるんだけど、
似たような事は科学の世界で解明と解析が進められてる。
まぁ、結局最後は全員安心して橋を渡るんだけど、
一人が橋を渡って川に流されたら、
その流された原因を見つけて、その部分を強化していくような、
いわゆる「失敗に学ぶ」スタイルで、皆で渡りながら強度100%を目指すか、
完璧に世の中の把握をして、完璧な設計図を書いて、
完璧な施工方法で建造して、完璧な強度実験をして、完璧な橋を、
完璧な歩き方で渡ろうとしてるのが、修行とか、そういうジャンルね。
時々何を間違えたか、自称完璧な人が現れて神っぽく扱われちゃう。
オカルト板的に言えば、ただの宇宙人かもしれないのに。
強度100%の橋を作るのが大事なんじゃなくて、
渡りきる、生ききる事が大事な訳じゃない。
で、一人が生きたら、その生きた結果が、後世に残って、それを「参考」として若い人がまた生きる。
それが歴史や、教科書の一文になってたり、家訓とかになったりする。
今の人間に求められるのは、
生きて、様々な事を経験して、後世にそれを残す事なんだ。
それは、まだ誰も知らないたった一言なのかもしれない。
遠い未来の、
まるで全人類が悟り人になったかのごとくな世界を作るために。
違うかな?
262: 鬼和尚 2007/04/30(月) 21:46:25 ID:hld5UnwV0(1/3)調 AAS
なんだかえらく書きこみが増えたのう。
みんな元気になったようじゃな。
>>242 中の人などいない。
>>243 そうじゃ、疑問などもなくなり、己も滅却し尽くしたところに悟りはある。
>>244 智恵とは人が本来持っている能力じゃ。先入観や自我によって曇らされている智恵を、再び取り戻すことが能力から見た悟りと言ってもよい。
>>245 未だ知識に囚われておるようじゃ。知識に止まらずおぬしの内在する智恵を磨くべし。
>>246 うむ100点じゃ、正解じゃよ。
>>247 中の人などいない。
>>248 成るがいい、わしが許す。
263: 鬼和尚 2007/04/30(月) 22:07:45 ID:hld5UnwV0(2/3)調 AAS
>>249 >>250 人を救いたいと修行するのは大乗だが、全ての人がそうしなければならないということはない。おぬしはおぬしの答えを求めよ。
>>251 >>253 生物というカテゴリーに囚われているようじゃな。目前に在る物を推論の基盤にするのは己の思考を狭めることになろう。さらに大きな視野を求めるのじゃ。
>>254 >>258 >>259 おぬしも生物としての人に囚われているのう。人とはただ生物であるだけでなく、もっと大きな実在に到達できる智恵がある。それは人だけが持っている可能性なのじゃ。
264: 鬼和尚 2007/04/30(月) 22:08:33 ID:hld5UnwV0(3/3)調 AAS
>>255 そうじゃ。
>>257>>261 うむ、後の人に何かを残すために生きるというのも良い。
>>260 わしを呼んだかな?
265(1): 2007/04/30(月) 22:30:52 ID:xN4sP/xi0(1/2)調 AAS
確かパウロが苦しめる者を助けるためなら神の栄光から永遠に切り離されてもいいというようなことを言っていた。
菩薩も自分の悟りを捨てて、苦しめる衆生とともにいるため、欲と煩悩をもつ身体をまとった。
法蔵菩薩は衆生救済の本願が果たされるまでは本覚を得ないと誓った。
そして、すでに本願は果たされ、法蔵菩薩は阿弥陀如来になった。
この穢土において、すべての人が平等であり、神の目から見て差別されない。
差別は人間の目と心の中にある。
この差別意識を煩悩という。
義人は、どんなに自我にとって不快であっても、神の公平さを選ぶ。
それが真如だから。
時間は永遠が具象化したもの。
空間は無限が具象化したもの。
煩悩は悟りが具象化したもの。
人間は仏が具象化したもの。
物質界において。
悟りとはそれを知ることであり、
すでに救われており世界に包まれてるということを知ること。
超人になることではなく、何かを獲得するのでもなく、
以前と変わるのでもない。
自分も他者も真如の具象化であるということを知ること。
266(1): 2007/04/30(月) 22:38:29 ID:xN4sP/xi0(2/2)調 AAS
真の公平とは、
同じ快楽を等分に与えられることではなく、
快楽も苦痛も等価であるということ。
神は、人から見て一番小さく一番醜い者でも、
人から見て一番強く美しい者と同様に愛する。
ぶどう園で12時間働いたものにも、30分働いたものにも、同じ1デナリオン。
一番醜いものにも一番美しいものにも同じ愛。
快楽も苦痛も真如。
267(2): 2007/04/30(月) 23:00:39 ID:dJapiq0l0(2/2)調 AAS
なぜ悟りとは修行をしなくてはいけないということがわからないのであろうか。
なぜ知ることが悟りとなるのであろうか。
なぜあんいに仏様になれるとおもうのか。
そして謙虚に生きるという。自分が人よりも高く、偉くなっているがゆえに
慢心しないという配慮であろう。
馬鹿馬鹿しい限りである。精進している人は慢心などしないというのに。
268(1): 里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 2007/04/30(月) 23:14:41 ID:WIBVo5TiO携(1/2)調 AAS
苦しみが快楽のひとはどうすればいいんだろう。と、ふと思った。
269(1): 2007/04/30(月) 23:32:08 ID:vOAo3lfU0(1)調 AAS
その人にとっての「苦痛と快楽」なんじゃないかな。
270(1): 里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 2007/04/30(月) 23:54:49 ID:WIBVo5TiO携(2/2)調 AAS
>>269
楽しみながら修行してて、果たして悟れ(?)るのかなあ、と…。
271: 2007/05/01(火) 00:05:18 ID:nm7oWU3g0(1)調 AAS
新スレでうまくいかないからって、
戻ってくんなよ。
このままスレごとDAT落ちさせろ。
272: 2007/05/01(火) 01:08:59 ID:hvPIg/dm0(1/5)調 AAS
悉有仏性
山川草木悉皆成仏
となうれば我も仏もなかりけり
273: 2007/05/01(火) 01:09:31 ID:hvPIg/dm0(2/5)調 AAS
己身の弥陀
唯心の浄土
274(1): 2007/05/01(火) 06:28:12 ID:gW2Ej+M0O携(1/2)調 AAS
書き現したことは核心ではなくなるが書く
究極は0
世界は究極のバランス
有は無 無は有。それ以外に理屈はない
余計な理屈は後付け説明。説明もバランスの一部。口に出したりこうして書き現しているものもバランスの一部になる。
書き現したものや教えから核心には基本的に至らない。この書き込みも導きにはならない
様々な思索を重ねて最後はシンプルになる
エネルギーは保存される 0で消える 0から生まれるかもしれない 思索中 バランスの中で生きる他はない
275(1): 2007/05/01(火) 08:42:12 ID:5p7uHc9L0(1/3)調 AAS
つまり人間はガラクタ箱だと
276(1): 2007/05/01(火) 08:44:00 ID:lLDeh/jh0(1)調 AAS
そして、そのガラクタそれぞれに価値を見出すのもガラクタ自身なのでした チャンチャン
ありがとう
277(3): 2007/05/01(火) 09:20:26 ID:rH73siPS0(1/5)調 AAS
>>267
ん? 仏になるって、偉くなることじゃないと思うんだが。
謙虚になる理由は自分が小さい人間だと自分ではっきりと分かるからだよ。
だから努力して無理に謙虚な状態を演じるんじゃなくて、心の底から謙虚な
人になるんだ。それで、そういう自分のことを理解して謙虚にしている人を
他の人が見ると素晴らしい人に見えるから持ち上げられて偉い人として
扱われるんだよ。だから本人は偉くなろうとも偉くなったとも思ってない。
むしろそんな風に自分のことを偉い人だと思うのは事実に反するから
やめてくれと思ってたりするもんだ。
278(1): 2007/05/01(火) 09:30:29 ID:CNDzqlZS0(1)調 AAS
>>277
なるほど。
それなら「わしが許す」なんて書き込んでいる何の権限を持ってるんだか解らないやつが一番ダメダメだなw
279: 2007/05/01(火) 09:31:59 ID:4hdCr4DO0(1)調 AAS
普段そんな乱暴な言葉使わないのに
ネットだから使う人っていますよね
280: 2007/05/01(火) 09:33:47 ID:KGTxPVsL0(1)調 AAS
「これから」
281: 2007/05/01(火) 09:42:13 ID:rH73siPS0(2/5)調 AAS
新約聖書にもこんな話が書いてある。
外部リンク[htm]:www.cozoh.org
ルカ14:8
「だれかから婚宴に招かれた時は,上席に着いてはいけない。あなたより
身分の高い人も招かれているかも知れないからだ。 14:9 そうすると,あなた
方双方を招いた人がやって来て,『この人のために場所を空けてください』と
あなたに告げるだろう。その時,あなたは恥をかきながら最も低い場所に
着くことになる。 14:10 だが,あなた方が招かれた時は,行って,最も低い
場所に着きなさい。そうすれば,あなたを招いた人がやって来た時,『友よ,
もっと高い方へ移ってください』とあなたに告げるだろう。その時,共に食卓に
着いているみんなの前で,あなたは誉れを受けるだろう。 14:11 だれでも
自分を高くする者は低くされ,自分を低くする者は高くされるのだ」
282(1): 2007/05/01(火) 09:44:50 ID:hvPIg/dm0(3/5)調 AAS
>>277
そう思います。
さらにいうと、「謙虚」以上に、煩悩から絶対に逃れられない自分の「みじめさ」の自覚ですね。
浄土真宗の人なんかはオノレの悪性を自覚したり
人生への苦痛から、自分の矮小さをはっきり自覚した時に、逆転的に往生するらしい。
これはキリスト教の「へりくだるものは(神に)高められる」と同じだと
禅の鈴木大拙がいっていた。
むしろ自力の修行で「悟ろう」「悟った」とするものは、「増上慢」におちいり、魔境を
悟りとすることもおおい。鎌倉時代の比叡山仏教や初期の白隠禅師のように。
「謙虚」以上に自分のみじめさ矮小さと向き合うことだから、
自分がえらいとか、仏が自分を置いて他に存在するとか考える余裕もない。
浄土真宗の往生した人を妙好人というけど、その人たちやパウロの書いた
文章は、一貫して「自分という存在のみじめさ」について書かれている。
宮沢賢治も自分を「歯ぎしり行き来する修羅」と悲しんでいるし、
神を体験したというシモーヌ・ヴェイユもそう。
そこは自力の修行を旨としている禅宗でも認めるところだと思います。
一休や大拙も。
283: 2007/05/01(火) 09:45:13 ID:rH73siPS0(3/5)調 AAS
>>278
あれは半分ギャグで演じているだけだと思うけどな。w
284: 2007/05/01(火) 09:53:48 ID:rH73siPS0(4/5)調 AAS
>>282
> むしろ自力の修行で「悟ろう」「悟った」とするものは、「増上慢」におちいり、魔境を
> 悟りとすることもおおい。
努力したり苦労したりすると自分は人より偉くなったと勘違いしてしまう
ことがありますからね。それで人前で偉そうにしてしまったりして。
その辺が恐いところですね。
285(2): 2007/05/01(火) 10:32:07 ID:LzMmmyAqO携(1)調 AAS
悟ってももとに戻るものだよ
坊さんはほとんどが偽善
286: 2007/05/01(火) 10:34:06 ID:rH73siPS0(5/5)調 AAS
>>285
今の坊さんは大半が職業でやってるだけでしょう。
287: 2007/05/01(火) 10:37:38 ID:5p7uHc9L0(2/3)調 AAS
各々が持つ「悟り」のレシピおもしろい。
ガラクタ箱に放り込んでおく。
288(1): 2007/05/01(火) 19:52:55 ID:hvPIg/dm0(4/5)調 AAS
>>285
でもまあ一理あるかな。
道元は悟りについて、
修行をして、ある境地に達して、それでおしまい、というものではなく、
次から次へと煩悩は出てくるから、それに一生対処していくもの、と言うようなことを言っていた。
そういう解釈で悟ったからおしまい、という人は「仏道を知らぬものなり」といってた。
まあ仏教の話だけど。
つまり、マラソンみたいに「走る→ゴール(達成)→終了」じゃなくて、
庭に葉っぱが次々と落ちてくるのを、「一生掃除しつづける」ようなものらしい。
たしかに「大悟」というものの経験はあるだろうけど、
それは、「大掃除」みたいなもので、またどんどん葉っぱ(煩悩)は、
自然に出てくるんでしょう。
だから、頓悟よりも漸悟が重要なわけで。
まあ、(自力の法門)で悟ろうという、あるいは(他力の法門)で救われようという
のは、「庭の汚さに気がついて、本来の姿に戻りたい」という発願でしょう。
普通の人は、葉っぱが庭に積もっていることにも気づかず、
もとの庭がどんな様相だったかも忘れて日常を過ごしている。
自力の修行って、その積もった葉っぱを取っていく作業のことだと思う。
そして、浄土宗やキリスト教みたいな他力の法門は、
自分の庭の汚さを自覚することによって相対的に本来の庭が現出する
というか、まあ結局「葉っぱ」に気づくことが両方ともキーなので、
ただアプローチが違うだけで、本質は同じことらしい。
289(2): 鬼和尚 2007/05/01(火) 20:24:20 ID:KR7MK0ni0(1/2)調 AAS
>>265>>266 そのような修辞の言葉を連ねて何になろうか。もっと己を晒すのじゃ。己の全てを曝け出さないなら、ここに書きこむ意味すらもあるまい。
>>267 その通りじゃ。日本語の悟りという言葉は知識を得るということばと同じ意味があるから小さな知識を得た者が、自分は悟ったなどと勘違いする。悟りは知識でも体験でもなく、認識そのものの転換なのじゃ。
>>268->>270 中道は苦痛も快楽も離れた道じゃよ。おぬしも来なさい。
>>274 思考に囚われているようじゃのう。己の心を見つめよ。そこにこそ全ての真理がある。
>>275>>276 己を安っぽいものとしてはいかん。自らに最高の価値を見出すのじゃ。
290: 2007/05/01(火) 20:30:25 ID:caC2vpxOO携(1)調 AAS
>>288
あー。葉っぱね。うまい言い回しだなあ。
まあしかし、俺の部屋は本で山盛りで元の部屋の様相がどんなだったか
思い出せないな。w
291: 里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 2007/05/01(火) 20:30:35 ID:BuE0cSmkO携(1)調 AAS
>>289
苦痛も快楽も極め尽くしていないので、まだ悟れません。
292: 鬼和尚 2007/05/01(火) 20:34:48 ID:KR7MK0ni0(2/2)調 AAS
さて、残りは謙虚についての話であったか。
謙虚とは何か、或いは何に対して謙虚であらねばならぬかということになれば、それは真実に対して謙虚であらねばならないということになろう。
真実に対して謙虚であれば、真実の表れを見出すことが出来よう。
しかし、人に謙虚であることにより、認められようと思うのであればそれは揚棄に他ならない。
謙虚であると言うことだけで、人を判別しようとするものは、謙虚なる詐欺師にだまされ続けることにもなろう。
詐欺師というものは実に巧妙に謙虚な者を装うものじゃ。
謙虚であらねばならぬのは、真実を見出すためであり、それは心の在り様を顕わすものならば外に現れることもあるまい。
己の内にある真実を見出すことに勤める者こそ、真に謙虚な者と言えようか。
293(1): 2007/05/01(火) 21:10:53 ID:hvPIg/dm0(5/5)調 AAS
>そのような修辞の言葉を連ねて何になろうか。もっと己を晒すのじゃ。己の全てを曝け出さないなら、ここに書きこむ意味すらもあるまい。
何の中身もない言葉のための言葉って感じだな。
>その通りじゃ。日本語の悟りという言葉は知識を得るということばと
>同じ意味があるから小さな知識を得た者が、自分は悟ったなどと勘違いする。悟りは知識でも体験でもなく、認識そのものの転換なのじゃ。
まさに言葉の遊戯だな。
アホくさ、、、。心底アホくさい。
294(1): 2007/05/01(火) 22:48:03 ID:5p7uHc9L0(3/3)調 AAS
ガラクタが安っぽいと?
295(1): 2007/05/01(火) 23:05:32 ID:gW2Ej+M0O携(2/2)調 AAS
>>289
悪いけどあなたに批評される話はしたつもりはないから
しかしせっかくなので内容見るとほんと何にもわかってないな。なんにも触れてこない
むしろ菩薩のほうが間違いはあるにせよ深いところまで自力で行ってたよ
296(1): 2007/05/02(水) 00:17:40 ID:d26/Kdq50(1)調 AAS
嫌なら書かなきゃいいのに
297(1): 2007/05/02(水) 00:26:11 ID:K/5f/DrY0(1)調 AAS
>>277
自分の文章を繰りかえし読んでみな。
面白いことが発見できるぞ。
298(1): 2007/05/02(水) 00:49:56 ID:KE/vKOy70(1)調 AAS
完全な悟りっていったら人間には、ほぼ不可能だって最近気付いた。
到達出来る可能性はあるが、そこまで辿り着こうって殆ど誰も思ってないから多分。
(自我でならそう思ってる奴はごまんといるが)
ある程度の悟り、と言うか世の中の理解が出来ると言うのなら出来ると思うが。
(理屈じゃなく頭のてっぺんから足のつま先まで全てが理解するてことで)
>>158の言っていることは尤もなのかも知れないが、
でも自分の決められ範疇以外に手を出すと上手くいかない。
挫折とかそれに向かないとか限界を超えるとかそう言うのじゃないよ。
運命とか宿命とかも人間の概念。もっと別の何か、
人間には分からない何かがあるらしい、だから人間である俺にも分からん。
とにかく無駄だから。
だから悪いことは言わない。
おまいら見る目をちゃんと養ったら現実に目を向けた方が良いよ。
だいたい地面に足を付けて這って生きてる人間に知れることなど、
どんなに粋がった所で高が知れている。
俺はそんなことをしてる間に30過ぎてしまったぜ、
これから就職先探してくる。まあ後は実践あるのみだな。
あっ完全なニートじゃないよ。ここ一年働いてないけど。
299(1): 2007/05/02(水) 01:17:00 ID:2jPnBbpx0(1)調 AAS
>>1 = >>35 =これから=いばら=鬼=ここから
そして、
>>1の目的は
>>33へ誘導する事。
(セミナー参加する必要は無しと言ってもこのスレで発言しても、
本を読み感化され、自主的に洗脳状態に入った者は、参加するだろう。それが狙い)
悟りたかったら何も考えず瞑想や座禅をすれば良い。
王道はこれ以外に無いし、他の方法もネットで調べればくらでも出て来る程度の物。
本やセミナーに参加する必要は無し。
それなのに理屈をコネてしつこくスレを乱立する>>1は業者。
よって、
このスレは業者の、業者による業者のためのスレなので、
皆さんは注意しましょう。
*最近特にこういった、各種業者が誘導するスレが増えてます。オカ板以外でも。
300: 南無降三世明王と南無大威徳明王と五大明王☆ 2007/05/02(水) 02:12:13 ID:6izFubiK0(1)調 AA×
301: 2007/05/02(水) 20:16:24 ID:WwEGSm0O0(1)調 AAS
日本人もチョンの醜悪さを世界に知らしめる為の組織をネット上で作るべきだ。
英文、フランス文、何でも用意してキチガイチョン民族の劣悪遺伝子を嫌悪させよう!
302: 鬼和尚 2007/05/02(水) 20:55:26 ID:I6uwMMKK0(1/4)調 AAS
>>293おや、おぬしはあれだけ謙虚について語っておきながら未だ身についてはおらぬようじゃな。
おぬしのこれからの修行は、自らが語った言葉が嘘にならないように、本当の謙虚さを追求することじゃな。
303: 鬼和尚 2007/05/02(水) 21:04:24 ID:I6uwMMKK0(2/4)調 AAS
>>294 高いのかな?
>>295 おぬしは菩薩の仲間か、ならば>>296の言うとおりここに書きこまず仲間のところに行ってあげた方が良いのではないかな。
>>297 面白い。
>>298 己に身きりをつけてはいかん。悟りを求めるのは一生の仕事じゃ。人生の最後の一日に悟りを得るだけでも良いのじゃ。もともとインドではこの世に未練のなくなった晩年に修行に入る。おぬしには未だその時期ではなかっただけじゃ。いずれ又、時期が来るだろう。
>>299 安心せよ。わしはカルトでもセミナーの勧誘でもない。いかなるカルトもセミナーも否定する。
悟りを得るにはお主の言うとおりただ一人で瞑想し、己の心を観ることじゃ。
セミナーもグルも金儲けのまやかしに過ぎぬ。
304(1): 2007/05/02(水) 21:19:18 ID:DlG9YQUs0(1)調 AAS
>鬼和尚
本当にあなたは下劣な人だ。
305: 鬼和尚 2007/05/02(水) 21:33:15 ID:I6uwMMKK0(3/4)調 AAS
>>304ありがとういい薬です。
306: 鬼和尚 2007/05/02(水) 21:34:51 ID:I6uwMMKK0(4/4)調 AAS
鬼和尚分封 のど飴もあります。
307(4): 2007/05/02(水) 21:58:31 ID:rFjZBvx50(1)調 AAS
>>鬼和尚さんに質問です。
わたしは未だに、なぜ菩薩道さんが皆に嫌われたのか、よく分からないのです。
さしつかえのない範囲で、どの辺がおかしかったのか解説してくれませんか。
よろしくお願いします。
308(1): 2007/05/02(水) 22:06:43 ID:RCp9rIKX0(1)調 AAS
>>307
これから=菩薩道=鬼=ここから
だから。
309(3): 2007/05/02(水) 22:27:18 ID:txmRTFql0(1)調 AAS
鬼和尚は>>131 だよ つまりは>>1でもある スレ伸ばすために必死なんだな バレてるのにあの文体 笑える
310: 2007/05/02(水) 22:57:57 ID:3LeTvlH10(1)調 AAS
己の価値を決めるのは己。
人がみな、我を見捨てた今こそ。
311(2): 里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 2007/05/02(水) 23:52:57 ID:z30pqOs0O携(1)調 AAS
>>309
確かに和尚はがんばって盛り上げようとしているように思える。常にアゲで…。
健気だね。
312(5): 2007/05/03(木) 00:13:40 ID:eMI0N3JI0(1)調 AAS
>>1は俺だ。勘違いするな。
所で一週間ほど留守にしてたらレスが伸びてて驚いた。
ネタ投下サンクス。
おまいらに感謝してるよ。
313(2): 2007/05/03(木) 00:34:25 ID:Dh/PwoJl0(1/2)調 AAS
>>312 0時越えてIDが変わってから出てくるところがミソ
ニラニラしながら演じてる所を見せてもらうよ
314(1): 2007/05/03(木) 01:13:29 ID:E8+56brI0(1)調 AAS
なんだろこのからみ酒は?
315(2): 2007/05/03(木) 09:35:57 ID:WEnAxqvH0(1)調 AAS
>>312
>131の書き込みでは「sage」で>312では鬼和尚と同じでsageてないw
ここで「おまいら」と使ってるのも限られてるw
さて、>>312で「違う」と言い張ったから、意地でネトカフェかなにかでID変えて出て自作自演を続けるのかw
131が嘘を続ける為に踊りまくるのを静かに見届けようかな?ww
316(3): 2007/05/03(木) 13:16:15 ID:Lt6cPGx00(1)調 AAS
>>307
>>>鬼和尚さんに質問です。
>わたしは未だに、なぜ菩薩道さんが皆に嫌われたのか、よく分からないのです。
酷な問いだ
鬼和尚が菩薩道のスレに対抗意識燃やしてる当人なんだから……
その証拠にあちらのスレには鬼和尚のハンドルでの書き込みは無い
ほとんどの人はここと菩薩道のスレの両方をみているのにね
317(2): 2007/05/03(木) 13:24:57 ID:5dBTxOcf0(1)調 AAS
鬼和尚が>131なのは問題無いのに・・
菩薩道に対抗意識出して鬼和尚で登場したので恥ずかしくて別人の振りをしたいのは解るが、
>>312にて否定しちゃうと、今度は意地で演じ続けなければならないね。
別に責める気はないよ。スレ立てた責任を感じて盛り上げようとする姿勢は好きだ。
そんな責任は感じる必要もないのに、まじめなところが余分な責任を請け負ってしまうんだろうね。
318(1): 2007/05/03(木) 18:57:37 ID:ND1Xs8bNO携(1)調 AAS
鬼和尚たんは華麗なる職人です…何故その心意気に気付かんのですか!自己犠牲ですよこれは!(つД`)
319(2): 2007/05/03(木) 19:26:13 ID:xYhPf2/b0(1)調 AAS
>>307
良い事を書いたからと、顔も身元も分からない相手を全肯定するのは危険かと。
嫌われた一番の理由
悟りを開いて精神的にも向上しているような書き込みをするも、時々現れる暴言癖。
これが致命傷だと思われる。
その暴言癖の方が、真の菩薩道の性格だということ。
320(1): 2007/05/03(木) 19:43:04 ID:HzBvd26i0(1/2)調 AAS
>>319
こういうことってみんなわかっていることだし、答になっていないんだよね。
それに菩薩道を肯定していた人はそれを暴言だとは思っていないし、
はたからみても、そんな暴言的ではない。しかし、
自分は救済をしているのにそれをなんでけちつけるのか、と言う感じで
通しているので、なんかいいくるめられちゃうんだよね。
修行者なのにけちつけられたら、いきなり仏陀のごとく、自分の説法を
邪魔するのは悪みたいな立場に立つのはおかしいでしょう。
321(1): 2007/05/03(木) 20:30:51 ID:HzBvd26i0(2/2)調 AAS
あと本当に真理学んで、物や金を与えることが愛だと思っている人って
おおいんだよね。そうして与え続けるということが物や金だと矛盾していくから
「智慧をもって与えよ」という、理屈で矛盾を解消しようとする。
すべてそういうふうに自己保身で真理を理解している。
「智慧をもって与えよ」というのも、ようは保証人にはなるな、とか、ようは
人を信用するなとか、あくまでも経営哲学のようなものであって、やはり
ないと困るというようなものではないでしょうか。松下幸之助の経営論とか。
必要なものであると。
つまり自分が必要でもないのに真理をしって、つまり、人に言うために
学んだ人って真理を実践する意味がないということなんだよね。
自分が生かされているってことも、とくに必要あることではないよね。
謙虚さもとくに必要としないでしょう。そうしなければいけないのであれば、
そうするだけでしょう。そんなのは真理ではないわな。
それを真理と錯覚するんですよ。
322: 鬼和尚 2007/05/03(木) 21:12:49 ID:e3Q+85Ig0(1/2)調 AAS
わしじゃよ。わっはっは。
又、一杯書きこんどるな。
>>307 これは大体、>>319>>320>>321の通りじゃろう。まだまだ修行が足りないようじゃよ。わしの教えを呼んで修行するように言ってあげなさい。
>>308>>309>>311 わしはわしじゃよ。もしかすると空海かもしれんぞ。油断するな。わっはっは。なぜみんなサゲる?
>>312 いや、おぬしはわしかもしれんぞ。あるいは尾関宗園かもしれん、油断してはいかんわっはっは。
>>313 みそじゃよわっはっは。もしかするとわしはわしかもしれんぞ。油断するな。
323: 鬼和尚 2007/05/03(木) 21:13:20 ID:e3Q+85Ig0(2/2)調 AAS
>>314 からんどるな。わっはっは。
>>315 アイデーを変えとるかもしれんぞ、油断するなわっはっは。
>>317 無問題かもしれんぞわっはっは。
>>318 正解はおぬしじゃ。わっはっは。I円
324(1): 2007/05/03(木) 22:09:28 ID:Dh/PwoJl0(2/2)調 AAS
笑い飛ばしてごまかそうとヤケに「わっはっは」が多いのがカワイイ
325(4): 2007/05/03(木) 23:07:18 ID:XUAdnyVG0(1)調 AAS
文章上で自分のことを「わし」とか、語尾に「**じゃ。」とか「**じゃよ。」なんて書くのは
若造が年配者を装う時以外はありえないww
ついでにIDのことをわざわざ「アイデー」なんてわざとらしすぎww
なにげに>>316をスルーしてるww
ID:eMI0N3JI0はもう今日は出てこれないww
326: 2007/05/03(木) 23:13:49 ID:QHLAEJlN0(1)調 AAS
何を思ったのか菩薩道、日記を書き始めてら
327(1): 2007/05/04(金) 01:50:12 ID:roRi31D40(1/2)調 AAS
では、悟りとは何かとなると、けっきょく
どれだけ多くの人を勇気の言葉をあたえて立ち直らせるか
みたいなことになっていくのではないか。つまり迷える人々を
助けるみたいなことになってくる。それが悟りであると。
つまり悟りには高さや広さ、深さみたいのがそれぞれあり、
形あるものでもなく、そういう意味で悟ったと言う状態はありえないのでは
ないかと。それで一生懸命自分だけ真理を実践して自分だけは高いと思って、
自分だけは進化できると、あたかも世の中のやつは心理を実践していないと
いうやつは、むしろ逆にむかってるかもな。
328(2): 2007/05/04(金) 01:57:50 ID:NaDMFhso0(1)調 AAS
禅でいうところの十牛図の入てん垂手(にってんすいしゅ)だな
「てん」は汚染した俗界のことであります。
垂手とは手を垂れることであり、人々に教え導くことであります。
汚染した世界に自ら飛び込んでいって人々を助け導く姿こそ最高の境地であります。
幸せを得ただけでは自分のみが幸せになっただけであり、たしかに自分は救われたがそれだけでは真の人間とは言えません。
すべての人を救い助けることが必要であります。
外部リンク[html]:www.kodaiji.com
329(4): 2007/05/04(金) 04:15:42 ID:gc3C/nm90(1/3)調 AAS
>>325
君、語尾にwをつける癖、いいかげんやめようね。
きちがいか、精神薄弱者か?それともブラク?
330: 2007/05/04(金) 09:35:21 ID:9TTxRrZD0(1)調 AAS
>>329
自己紹介ですか?
331(2): 2007/05/04(金) 10:32:49 ID:gc3C/nm90(2/3)調 AAS
2006年10月23日 (月)
掛物3
■露堂々(ろどうどう)
もともと禅宗の言葉で「明歴々露堂々」といい「歴然と明らかに堂々と顕露していて、少しも隠すところがない」。翻って、得てして真理は高尚深遠なところに秘在しているものと考えられがちであるが、
それは、こちらの悟りが開けていないからであって、悟りの眼を開いた上で眺めてみると、真理は、ごく平凡卑近なところに実は少しも隠れる所なく、万物万象一木一草の上に堂々と顕露しているという意味で、
良く、好んで禅宗の関係者が色紙などに書く言葉です。
「明歴々 露堂々」とは、すべての存在が明らかに、すべての物事がはっきり現われ出ているさまで、そのままの姿のすべてが真理の現われであり、仏の表れであるという意味である。仏法とは必ずしも神秘的で
深遠高尚なものではない。松に吹く風の声、垣根の下の小さな野の花にも宇宙の大生命が息づき、明歴々、露堂々とあらわで出ている、そのことを感得するところに禅の妙味があり、茶禅一味の味わいがあるという
ものである。人生においても、執われず、あせらず、気取らず、ごまかさず、素直で、ありのままに堂々と生きたいものである。自分を飾れば不自然だし、虚勢を張り強く見せたり偉ぶれば、理論武装や無理がいく。
神仏に頂いた、与えられた立場や環境の中で神仏と共にあってかくすことなく堂々と生きようとするところに、この言葉が輝く。
「明歴々」は、すみきった、あきらかな様子。
「露堂々」は、何等かくすところのない生まれたままの姿。
332: 2007/05/04(金) 11:35:08 ID:7mcVrM0y0(1/2)調 AAS
うむ。やはりチンコは隠すべきではない。
333: 2007/05/04(金) 12:41:20 ID:roRi31D40(2/2)調 AAS
>>331
しかしむかつく文章だ。
仏の現れであると言っといて後半ではえらく高尚な教えをのべるなんて
けっきょく高尚でありたいわけだ。
334: 2007/05/04(金) 12:47:00 ID:7mcVrM0y0(2/2)調 AAS
よくわからんが、高尚だと、何か問題でもあるのか?
335: 2007/05/04(金) 13:44:28 ID:sSZcQ+1i0(1)調 AAS
>>331
いいですね、そういう感覚で物事を眺めてみたい。
周りの自然に対して、新鮮な洞察と素直な感動を体感してみたいです。
高尚を求める心に虚栄が宿るのかもしれませんね。
336: 2007/05/04(金) 16:09:52 ID:l507NzMB0(1)調 AAS
>>329
それでは>>329を見習って、>>325を修正します。
文章上で自分のことを「わし」とか、語尾に「**じゃ。」とか「**じゃよ。」なんて書くのは
若造が年配者を装う時以外はありえない きちがいか、精神薄弱者か?それともブラク?
ついでにIDのことをわざわざ「アイデー」なんてわざとらしすぎ きちがいか、精神薄弱者か?それともブラク?
なにげに>>316をスルーしてる きちがいか、精神薄弱者か?それともブラク?
ID:eMI0N3JI0はもう今日は出てこれない きちがいか、精神薄弱者か?それともブラク?
>>329アドバイスありがとうございます。かなりインパクトのある文章になりますね。
337(3): 2007/05/04(金) 20:21:00 ID:gc3C/nm90(3/3)調 AAS
>>325
>>329で誤解の生じる批判をし大変申し訳ありませんでした。
草の生えた記号は2ちゃんねる上では最早過去の遺物、不要な修飾という意味でした。
大げさに基地外とか書きましたが決して貴方が精白でも基地でもないのは言うまでもありません。
しかし公の場を借りそのような愚弄する発言をしたことは許しがたい冒涜でした。謹んで深くお詫びいたします。
なお>>325の文の内容はよく読んでいないので文そのものに対する私の感想も批評もありません。ことをつけ加えておきます。
338(2): 2007/05/04(金) 20:31:23 ID:QsWEjvFL0(1)調 AAS
>>337
>文の内容はよく読んでいないので文そのものに対する私の感想も批評もありません。
内容も読まないのに部分にだけレスを付けるんですね。 きちがいか、精神薄弱者か?それともブラク?
339(1): 鬼和尚 2007/05/04(金) 20:44:46 ID:0dUXnK/10(1/3)調 AAS
わしじゃよ、わっはっは
>>324 いや、おぬしのかわいさには負ける。わっはっは。
>>325 わしはほんとはリアル厨房かもしれんぞ。わっはっは。愛出に興味しんしんじゃ。
一つ抜けておったか。
>>316 わしが燃やしているのは対抗意識ではなく、愛なのじゃ。英語で言えばらぶ。
愛するおぬしらに語るためにここにのみ書きこむのじゃよ。わっはっは。
>>327>>328 いいこと言うではないか。偉いぞI円I円
340: 鬼和尚 2007/05/04(金) 20:46:47 ID:0dUXnK/10(2/3)調 AAS
>>229->>338 ケンカは止めるのじゃ。
いかんぞ。−I円
341: 鬼和尚 2007/05/04(金) 20:48:41 ID:0dUXnK/10(3/3)調 AAS
まちがえた。
>>329と>.>338じゃった。
342(1): 2007/05/04(金) 20:53:33 ID:fjvdWWVQO携(1)調 AAS
鮃のこだわりはげちゃびん
343: 2007/05/04(金) 21:25:37 ID:C1fQGwZLO携(1)調 AAS
鬼和尚「ワシの悟りは108式まであるぞ!」
>>337
芝は今でも使うだろ…常識的に考えて……wwwwwwwwwwwwwww
344(1): 里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 2007/05/04(金) 21:48:56 ID:iY2oCUqqO携(1)調 AAS
>>337
そりゃ、凡人なんかと一緒にされちゃあ、気違いも御立腹だよ。
冒涜もいいとこだ、ってね。
345(1): 2007/05/04(金) 21:52:54 ID:qziXwQs70(1)調 AAS
>>339
>愛するおぬしらに語るためにここにのみ書きこむのじゃよ。わっはっは。
それならここのスレタイと違う展開をしないでほしいな。
鬼和尚の内容は菩薩道スレの方が合うでしょう。
ここのスレタイの「悟り」から「これから」の話は?
それから「おまい」から「おぬし」に途中で変わってきてるのはナゼ?w
あんまりとぼけたまま進めてると、そのうちに大玉を出すよ?
おもいっきり赤っ恥かきたいんだ?ww
じゃ恥がもっと大きくなるまで踊らせておくよww
346(1): 2007/05/05(土) 09:30:04 ID:vxGojYuQ0(1/2)調 AAS
職業が和尚でもないのに和尚を名乗ったりし、虚勢で信用を得ようとしたり、
言葉も演じている状態では真理から遠ざかっているのは明白な事。
民衆を惑わす行為の罪深さを知らぬわけではあるまいに。
347: 2007/05/05(土) 15:12:20 ID:mKFsKHaKO携(1/2)調 AAS
しかし嘘も方便とも言う。
大切なのは嘘かどうかではない。
348(1): 2007/05/05(土) 16:06:04 ID:vxGojYuQ0(2/2)調 AAS
>大切なのは嘘かどうかではない。
その部分についても不純な動機なのはバレてるだろうに。
349: 鬼和尚 2007/05/05(土) 20:13:45 ID:KVumh4nn0(1/2)調 AAS
>>342 そうじゃはげちゃびん。
>.343 そんなアニメは知らん。中の人などいない。
>>344 おぬし・・・・オカ板のこわいスレに軒並み参加しとらんか?
>>345 おやおや、わしの話が悟りへの道だと未だ判らんようじゃのう。
よいかな悟りを得た者は道しるべのようなものじゃと、お釈迦さまも言っておられた。
後から道を行く者のためになることを説法するのが、悟りを得た者の役目じゃ。
わしの説法はみんなおぬしらを勇気づけてやり、励ましてやるためにあるのじゃ。
そして悟りを得た者は輪廻が終息し、無余涅槃に至る故に、わしのこれからとは愛するおぬしらのことだけなのじゃ。
うまくまとまったのう。
しかし、おぬしがそんなにわしの説法が待ち遠しいとは知らなかった。
あんまり説法ばかりだと嫌われると思っとったが。
それなら又一発やるかのう。
口調が変わるのはキャラ設定がまだ完全じゃないからじゃよ。
いや、中の人などいない。
350(1): 鬼和尚 2007/05/05(土) 20:27:54 ID:KVumh4nn0(2/2)調 AAS
>>346 >>348わっはっは わしこそが和尚と呼ばれるのにふさわしい者じゃよ。
真理とは我が教えそのもの、そして民を目覚めさせる我が教えに全ての世の如来と天神たちが称賛を送っているのが聞こえないのかな?
未だわしをどこかのカルトなどと勘違いしているようじゃのう。
わしの書きこみを良く見るがいい。
わしがどこで本を買えとか、カルトの集会に参加せよと書いている?
先入観などは取り払い、真の教えを味わうがいい。
351(1): 2007/05/05(土) 21:07:55 ID:qkUNvCn50(1)調 AAS
>>350
>口調が変わるのはキャラ設定がまだ完全じゃないからじゃよ。
不完全な状態で何ぬかしてる?
半分やけくそになってきているのがよく伝わってきてるよ。
352(1): 2007/05/05(土) 21:25:36 ID:mKFsKHaKO携(2/2)調 AAS
あの菩薩がこのスレに住み着いてたらここでキレてあなたにはわからないだろうけど
とか去れとか言い出してスレが荒れて終わりだろうな。
353(1): 2007/05/06(日) 00:06:27 ID:RWR49YWIO携(1/5)調 AAS
少しばかり悟ったつもりになっていると、異なる考えは邪道に見えてくる異論を唱えたくはなるね。
誰かさんの返レスによって悟りが開ける人がいるのか疑問。
宗教板のスレを見てこのスレに来たけど、本当に悟りを得た人はいますか?
たまに誰かわからないけれど感心するレスもあるけどね。
因みに空=無ではないと私は思う。無は無だけれど空は有だと思うから。
354(3): 2007/05/06(日) 00:53:40 ID:5BRz7NbJ0(1)調 AAS
たとえば、100人のうちに80人が地獄におちるとする。
そういう話をきいて自分がその80人の中に入っていると思う人は
まだいいほう。しかしそれを聞いても自分は関係ない、絶対自分は地獄に堕ちる
わけないと思っている人はたいてい地獄に堕ちる。どうしてだったら自分も
さらにヤバイと思わないのかわからん。金儲けしないで人助けやったら
完璧だと思っている。金儲けしない=自分を正当化する、で地獄決定。
もちろん常に反省できる人はより多く人を助けることができる人でしょう。
355(1): 2007/05/06(日) 01:28:33 ID:rRo4GZYf0(1/2)調 AAS
>>354
>自分は関係ない、絶対自分は地獄に堕ちる
>わけないと思っている人
誰かさんや、スピリチュアル系スレのコテハン、ミクシーの関連コミュでも多い傾向ですね。
356(2): 2007/05/06(日) 02:13:50 ID:Bswx/TEA0(1)調 AAS
無であるが故に空なり。
357(1): 2007/05/06(日) 02:19:19 ID:S7AMMMff0(1)調 AAS
興味深いお話ですね。誰しも幸せになりたいと思う。ああはなりたくないと思う。
しかしその気持ちが強ければ強いほど、努力すればするほど裏目に出てしまう。
それを捨てられるのは立ち上がる気すら起きない圧倒的絶望、
これだけは避けたかった、あれだけは手に入れたかった、全部打ち砕かれて
全てを諦める。目の前に幸せちらついても手を伸ばす気さえ起こらない。
そんなとき、それは皮肉にも訪れる。それは決して喜びの中で達成されるものではない。
神の悪意としか思えない。人は常に一番いらないものを押し付けられる。
358(1): 2007/05/06(日) 02:44:07 ID:jCw1Ud4m0(1/3)調 AAS
>>354
> 絶対自分は地獄に堕ちるわけないと思っている人はたいてい地獄に堕ちる。
その考えが出てくる状態はもう既に心だけ地獄へ堕ちていると思って良いと思う。
本当に救わねばならない人は、そういう地獄へ堕ちた人だ。そうではないと感じ
そういう人は倒さねばならない敵だと感じる場合は、多分あなたも既に地獄へ
堕ちている。周りが敵ばかりで争いが絶えない場所、そこが地獄だ。
359(3): 2007/05/06(日) 03:29:43 ID:RWR49YWIO携(2/5)調 AAS
>>356 短文で誤魔化された気もするけど、そう書くなら異論はない。
ただ凡夫が自己解釈の知識でお釈迦様と同等に語るのを見ると、仏教を冒涜してると思う。
360(1): 2007/05/06(日) 04:14:26 ID:jCw1Ud4m0(2/3)調 AAS
>>359
魔境に入ってるということでは?
361(2): 2007/05/06(日) 05:30:12 ID:HhcSPXDw0(1/2)調 AAS
>>359
仏教は冒涜されません。
あなたの心が、相手の軽率さに踏みにじられたと感じているだけだと思います。
そして凡夫が何を言う、というあなたの驕りを鮮明にしただけの事ではないの?
そこでどうすればいいのかについては、私は語れる立場ではないのですが。
是非、自分の心の動きを観照して欲しいと思いました。
362(2): 2007/05/06(日) 05:52:22 ID:jCw1Ud4m0(3/3)調 AAS
なるほどなるほど。
そういえば>>359は自分を凡夫と思っていないような感じもするな。
高い位置にいて見下しているような感じ。
今、ジャイアンの「のび太のくせに」という言葉を思い出した。w
363(1): 2007/05/06(日) 11:46:43 ID:rRo4GZYf0(2/2)調 AAS
329 :菩薩道 :2007/03/25(日) 22:31:41 ID:3XXfEpYb0
>>328
はい。私自身は、普通の人間です。容姿はブサイクの部類に入るでしょう。
今生に生まれて、中学生くらいまでは、怒りと憎しみでいっぱいでした。
それは誰かからなにかいやなことをされて起こる怒りや憎しみとは違うものです。
それが自分にも何の怒りであり憎しみであるのかわかりかねていました。
高校生くらいからその怒りや憎しみがあまりにも苦しいので、生きるとはなんだろうか。
死ぬとはどういうことだろうかを考え始めました。
“普通の人はそれに長く囚われることはあまりないでしょう。”
私の場合は普通に生きるのも困難になるほど、その考えの答えを探し始めました。
およそ15、6年です。
364(2): 2007/05/06(日) 14:15:51 ID:RWR49YWIO携(3/5)調 AAS
明瞭な人がいて嬉しい。
>>361その通り。
少し前に鬼和尚さんに質問しているレスに、誰か答えをバシッと言ってくれないかと待っていた。けど思ったような答えがでない。自分の考えを言いたくなりましてね。
361の通りではあるのですが、素直にそう書くと面倒なのを相手にしなくちゃならない上に、もし本人及び同類が読んだ時、言いたいことを理解しないかもしれないと思いましてね。
姑息でしたかね。
365(3): 2007/05/06(日) 14:33:31 ID:RWR49YWIO携(4/5)調 AAS
>>360
(魔境)これが先日でた時に意味が分からなくて検索したけどゲームやアニメのことばかりで理解できなかった。
仏教は魔を拒否してるらしいけれど、まず私は魔が完全に理解できていない。
話をふって誰か答えてくれないかと思っていたけれど、判らないままなのでズバリ書こう。
神通力と魔は関連してはいないのだろうか?全く別ものなのか?我によってできたものが魔なのか?氣によれば神通力なのか?それとも解釈が間違いなのか?
だれか個人の考えでも話てもらえないかな。
366(2): 2007/05/06(日) 14:38:51 ID:RWR49YWIO携(5/5)調 AAS
>>362 見下しちゃいない。このスレに興味を持って来た者にそう言う?
367(1): 2007/05/06(日) 15:52:58 ID:Z0OJ3HMf0(1/2)調 AAS
>>365
魔も元は人間で、人々が悟ってこの世を離れていくのが嫌で足を引っ張る
人たちのことです。
釈尊やイエスもこれらからの試みに遭いましたし、これらと戦う日が来ます。
368(1): 2007/05/06(日) 15:55:46 ID:Z0OJ3HMf0(2/2)調 AAS
>>365
神通力というのは人間が本来持っていた神の能力であり、キリスト教の言う
原罪を負ってしまった我々はそれを失いました。
しかし、ヨガや気功、仙道行法などで回復させることが出来ます。
369(2): 里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 2007/05/06(日) 16:06:55 ID:C1bisoAIO携(1)調 AAS
>>366
ひとを見下すような醜悪な心が無いなんて、清廉な人ですね。凄いです…。
370(1): 2007/05/06(日) 16:31:56 ID:HhcSPXDw0(2/2)調 AAS
>>364
ああ、なるほど。
どうも私は視点を固定させてしまう癖があって、思考を柔軟に展開できないみたい。
少し視野が広がった気がします。
371(1): 362 2007/05/06(日) 19:06:57 ID:TOfpYtfOO携(1)調 AAS
>>365
魔境のことは Wikipedia に書いてありますよ。
>>366
すいません。こちらからはそんな感じに見えたということです。
それはもしかしたら自分の姿が映し出されてそう見えただけかも知れません。
その辺はよく分かりません。こちらはただの凡夫ですから。
372(1): 鬼和尚 2007/05/06(日) 21:16:01 ID:Ysm4QVUY0(1/3)調 AAS
>>351 シャレが通じんのか。もっと余裕を持つのじゃ。リラックスしろ。カルトは止めとけ。
>>352>>363>>355 このスレの者はまるで菩薩道とやらに取り憑かれているようじゃのう。菩薩道とはおぬしらの一番大事な人なのかな?
大事なのはおぬしら自身が己を観ることではないのかな。
>>353>>364>>356 空は無でも有でもない。空に対してはどのような概念を持ってもならない。概念を破壊するのが空なのだから。
空は悟りを得るための有力な技術であるが、もっと大事なのは本人のやる気なのじゃ。悟りの道に限らずどのようなことも、本人にやる気がなければ何も起こらない。
悟りを得ようと思わない者が、空を茶飲み話で語ることが冒涜と言えよう。
>>354 地獄とは心の状態じゃよ。地面の下にある穴ぼこに、角の生えたおっさんが居るわけではない。
>>357 もちつけ、和尚さんに訳をはなしてごらん。力になるから。
373: 鬼和尚 2007/05/06(日) 21:18:04 ID:Ysm4QVUY0(2/3)調 AAS
>>358 そうじゃ、
>>361 いいこと言った。観照こそが人を悟りに導く最も近い道なのじゃ。I円
>.365 神通力と魔は関連してはいない。力はただの力じゃ。
374(1): 鬼和尚 2007/05/06(日) 21:35:29 ID:Ysm4QVUY0(3/3)調 AAS
さて、久しぶりに説法じゃ。
悟りの道に限らず、どのような道を行く者も成功するためには一つの秘訣がある。
それは決してあきらめないということじゃ。
あきらめなければ成功する確率は常に50パーセントはある。
成功するか、しないかの50パーセントずつじゃ。
しかし、あきらめてしまえば可能性は0パーセントじゃ。
このはげちゃびんは何をあたりまえのことを言っているのかと、おぬしらもあきれているかも知れぬ。
しかし、このあきらめないということは、道の途中で本当に苦しくて、つらくてもう止めてしまいたくなった時にこそ判るのじゃ。
世の中には簡単に本当に大事な願いがかなうということは滅多にない。
大抵は苦労に苦労を重ねて、なおもうまく行かないということが多い。
自分の考えがうまくいかず、自分自身を否定され、打ちのめされ、叩きのめされたとしても、あきらめず、未だ可能性は50パーセントあると己に言うがいい。
そうすればどんなに否定され、打ちのめされ、叩きのめされても一度、立ち向かう勇気が湧いてくる。
そして、不可能を可能にし、勝利を手に入れるための最後の力を与えてくれるだろう。
375(1): 2007/05/06(日) 21:51:01 ID:Pvud/m2Z0(1/2)調 AAS
はいはい、演じた者の言葉はたいしたものだ。
>あきらめなければ成功する確率は常に50パーセントはある。
>成功するか、しないかの50パーセントずつじゃ。
あきらめなければ50%の人はバカを見る。
あきらめなければ50%の人は無駄なあがきをしたという意味になる。
アホ
成功だのなんだのは人生の終わりと共に意味を無くす。
あきらめないことにより進む物があることを知るのが重要。
それは死しても継続される。
>勝利を手に入れるための最後の力を与えてくれるだろう。
勝ち負けで言えば50%なのは当然。
勝つとは負ける相手を作ってしまう事。業である。
勝ち負けは対立である。つまりは争いの元となる概念。
さっそくボロがでてきたな。
「勝て」ではない。「包め」が正道。
376(1): 2007/05/06(日) 22:48:06 ID:TFzgF5On0(1)調 AAS
確かに「やられたらやりかえせ」の論理だと、憎しみって
世の中からなくならないんだよね。
377(1): 2007/05/06(日) 23:39:43 ID:Pvud/m2Z0(2/2)調 AAS
>>376
その点に気がつかれたのならその先は早いでしょう。言葉では表現しにくいけれども、もうすでに解っているでしょう。
よく「受け入れる」と言いますが、同じ位置では対立も起こってしまう。
自分を薄く広くして元の自分と相手とを合わせて包めば対立の意味の無さを知ります。
この包むということが愛でしょう。 愛は与えるというより相手を包む事です。
包むからこそ相手のすべてを受け入れた事となる。
釈迦はどんな相手でも、どの位置の人をも包めるから「すべては釈迦の手のひらの上」と言われるのでしょう。
378(3): 2007/05/07(月) 00:37:30 ID:kp6Sjkn00(1/2)調 AAS
我を捨てた時に悟るのでは??
あきらめが肝心ちゃうのか?
無駄あがき。ってゆわへん?
379: 2007/05/07(月) 00:45:13 ID:NJuATZErO携(1/2)調 AAS
>>1-378に悟りマスターの称号を与える!
380: 2007/05/07(月) 02:03:37 ID:PJFR7k8Y0(1)調 AAS
>>378
まったくもってその通りです。
>我を捨てた時に悟るのでは??
個としての我(われ)を捨てる。 全体一つとして我(われ)を見る。
>あきらめが肝心ちゃうのか?
努力無しのあきらめはスタートにも立てない。
努力してのあきらめは、方向が間違っていた事への気付きにより方向転換のため起こる。正しい方向への進歩である。
>無駄あがき。ってゆわへん?
現物世界での無駄あがきであっても、精神世界では進歩である。心の葛藤無しの騒ぐだけのあがきは無駄あがきである。
381(1): 2007/05/07(月) 03:11:47 ID:cpLLKQ6KO携(1/2)調 AAS
>>367-368
ありがとう。キリスト教で魔がどう登場したか覚えていませんが、仏教では煩悩をそそのかす魔が登場していた。
神通力は信じているが人間は本来持っていたと断言されると、ありえるけど何故か捏造された文章を読んで影響を受けているような気がしてならない。
>>371 とても知りたかったことなので感謝する。しかし槍で突けとは強烈だね。何人も証言者がいて、その次元というか世界はあると思う。けど何故魔境と言うのだろう?
382(1): 2007/05/07(月) 03:17:20 ID:cpLLKQ6KO携(2/2)調 AAS
>>369 誰がどんな相手でも見下さないと書いてたって?そんなこと書いている人いたっけ?
>>370 371ややこしい言い回しで悪かった。
>>372 読み取れない人だというのはわかった。
383(1): 2007/05/07(月) 06:45:26 ID:9qubfqcM0(1/2)調 AAS
>>381
キリスト教の魔はイエスが40日の断食の際に3つの試みにあった時ですね。
地上の支配を与えると言ったり、がけから落ちろと言ったり、空腹ならパンを出せと
言ったり。
神通力の捏造ですか。 うーむ、どう説明すれば良いやら・・・
我々は罪により天での栄光を絶たれて地上に落ちたので、神通力などの力は
初めから持っていました。というか、神と同じ属性を有していたわけです。
栄光を失って、つまり能力が闇に閉ざされて地上に落ちたわけです。
384: 2007/05/07(月) 06:46:43 ID:9qubfqcM0(2/2)調 AAS
>>378
ていうか、我なんて無いんだということの理解が悟りだと思う
385: 覚せい剤中毒の詐欺師 羽賀三輔雄AIC総合研究所(TAO庵) [fdf] 2007/05/07(月) 13:05:50 ID:23eHUQlm0(1)調 AAS
覚せい剤中毒の詐欺師 羽賀三輔雄AIC総合研究所(TAO庵)
<羽賀プロフィール>瞑想、潜在意識、気功などをネタに精神世界のオタクから
金を巻き上げる詐欺師。最近までAIC総合研究所(TAO庵)というヒーリングの
インチキ商売で詐欺を重ねている詐欺師。(この男を見かけたら110番)
〒982-0241 宮城県仙台市太白区秋保町湯元字湯向東40−3
■<狂人、羽賀三輔雄の逃亡人生>
東京に大地震がくるといって山形県天童市に逃亡したが、予言が外れたため会員
に見放される。その後、彼の故郷山形県天童市では何らかの事情(借金踏み倒しか?
後妻と別れたためか?もちろん前妻の子は養育費も払わずドロン)で居辛くなり
宮城県仙台市に移動。 数々の金さえ払えば「伝授」してくれるセミナーを渡り歩き、
彼の「自己中」の被害にあった良心的セミナーも多くある。ともかく金・金・金中毒
のため、セミナーで得た「情報」を加工して自己流に改造。新しいセミナーを受講する際は、
ただの顔見知りに過ぎない方を本人の了解無く「私は○○の友人です」などと
吹聴して、セミナーの主宰者に取り入ろう(易く・安く、そのセミナーのエッセンスを
取り込むため)とする典型的詐欺師。我空徳生(もとUWFの神社長とタッグを
組んで火水伝文を公表、金を集めまくってドロンした詐欺師野郎)みたいな男。
オショー生前は国内イニシエーションはおろか、オショーの本を読んだことがあるくらいなのでご注意。
◆◆◆どうしても羽賀三輔雄をブチ込みたい人は◆◆◆ 投稿者:ラジニーシ
「アセンション・フォトンベルト投資詐欺」これなんか被害者が警察に駆け込めば、
即「出資法違反」もしくは「詐欺罪」でぶち込めるハズ。証拠がなくても(羽賀のやりそうなこった)
内偵捜査って手法があるので、とにかく警察に相談にいかないと、勇気がないなら
国民生活センター(所により窓口の名称が違うが)にいけば?大抵「悪質」と
判断されれば警察とリンクしているので、いきなり警察に行くより信憑性を
高く警察に評価されるのでお勧め。
386(2): 鬼和尚 2007/05/07(月) 21:19:22 ID:3XfuVzX90(1/2)調 AAS
>>375>>377 ありがとう、我が僕よ。
いつもわしを引き立たせるために、自らつっこみ所満載のレスをくれるおぬしの努力には頭が下がる思いじゃよ。
そんなおぬしの心遣いに答えて、遠慮無くつっこませて貰うぞよ。
おぬしの高説する愛とは、他人にアホと暴言を吐くことなのかな?
それが相手を包むことなのかのう。
己の身についていないことを説いても、感心してくれるのはおぬしの仲間だけではないかな。
仏者の言う勝利は、己に克ち、悟りを得ることじゃよ。
未だ競争原理から離れられない初心者は、直ぐに相手を想定したがるようじゃのう。 仏陀である釈迦も勝利した者と呼ばれる。
もっと経典を良く読むのじゃな。
我が僕よ、今回もつっこみ所満載のレスをありがとう、次もこの調子で頼むぞよ。
>>378 捨てるべき我はどこにある?
我を捨てるには先ず我を見つけなければならない。
初学者は我を見つけ、悟りを得る為に悟りを得るまではあきらめない不退転の決意をしなければならぬ。
修行を無駄なあがきとあきらめるならば、悟りは決して訪れることはないじゃろう。
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