[過去ログ] 【歴史】曖昧で素朴な「感謝」がファシズムを支えるとき…過去に起きた戦争の本質を問い、「英霊」を無駄死にさせた人の責任を問おう★2 (186レス)
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133: 名無しさん@0新周年 2014/09/22(月) 16:57:37.43 ID:W0HTqwiri(4/6)調 AAS
盧溝橋事件当時の『朝日新聞』を見ると、政府に先がけて「暴支膺懲」を掲げ、数発の銃声を本格的な戦争に拡大しようと意図的な世論誘導をおこなっていたことがわかる。

 1937年7月9日付『東京朝日新聞』夕刊は1面トップで「北平郊外で日支両軍衝突」「不法射撃に我軍反撃」の見出しを掲げ、同社の現地特派員報告「硝煙の戦線を行く」では
「今回の事件は支那側の挑戦的不法射撃によって発生せるものなること1点の疑ひもなく、戦友中に死傷者さへ出した。我が将兵一同の痛憤もさこそと思はれる」と報道。
同時に、日本の現地駐在武官の「日本軍の攻撃はやむをえぬ自衛行動であった」との談話を掲載している。

 7月13日付『東京朝日』は、「北平の邦人遂に引揚ぐ」という見出しで、「信義を無視する支那軍は幾度か約束を破って我が方に挑戦してくる。
しかもその兵力は刻々増大して何時いかなる重大事が勃発するかも知れぬ情勢にあるのだ。
この不安な北平の刻々迫りつつある不気味な空気を前に在留邦人は12日以来続々引揚げを開始した。北平発津浦線は夜の厳戒に先立って北平を脱出しようとする婦人子どもを中心とした邦人の群で満載だ」と不安を煽っている。

 同じ紙面で日本軍の支那駐屯司令官にインタビュー、「帝国の望むところは常に和平解決であったが、最早支那側の不信極まる態度、その暴虐は黙して居られなくなった。
ここにおいて正義の軍を進めて支那の暴戻を断固膺懲すると共に北支の権益と在留同胞保護のため中外に声明を発して最後の態度に出ることに決した」との談話を引き出している。

 7月21日付『東京朝日』の社説「支那の挑戦的回答」は、中国側が「日本に対する最小限度の要求」として「主権を侵す解決策は絶対に拒否す」などの独立国として当然の要求をのべたことに対して、
それを「あたかも宣戦布告」だとみなし、「その調子のあまりに挑戦的であって、必要以上に興奮状態に陥っているといはねばならぬ。
かくては平和破壊の責任は当然支那が負うべきであらう」「救うべからざる最後通牒に向かって自らを追い込むことになるであろう」と、逆に宣戦布告的な主張をおこなっている。
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