[過去ログ] 津波対策を潰して所長になった吉田が被曝死w 2 (176レス)
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42: (禿) 2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN ID:x+Bmp4BS0(1)調 AAS
142 :地震雷火事名無し(禿) [] :2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN ID:x+Bmp4BS0
吉田所長チェルノブイリの10倍です福島第一原発は何も隠しません(享年58)
<「福島第1には、6基の原子炉があります。ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もうこれを
制御する人間が近づくことはできません。そのために次々と原子炉がやられて、当然、
(10キロ南にある)福島第2原発にもいられなくなります。ここにも4基の原子炉が
ありますから、これもやられて10基の原子炉がすべて暴走を始めたでしょう」>
『週刊現代』に載っている東京電力の吉田昌郎元福島第一原発所長の言葉である。享年58。
吉田元所長の早すぎる死は、深い悲しみとともに、あの頃の『悪夢』を再び思い起こさせた。
吉田さんのインタビューをしたジャーナリストの門田隆将氏によれば、食道がんの
手術をして抗がん剤治療を終えた吉田さんに会ったのは2012年の7月だったという。
184センチの長身でやや猫背気味の吉田さんの容貌は、ニュース映像とはまったく違っていた。
だが、吉田さんは人なつっこい笑顔で「私は何も隠すことはありません」といい、
「チェルノブイリの10倍です」と続け、冒頭の言葉になる。門田氏はこう書く。
<「吉田さんたち現場の人間が立っていたのは、自分だけの
『死の淵』ではなく、日本という国の『死の淵』だったのである」>
吉田さんは全電源喪失の中で、暴走しようとする原子炉を冷却するには海水を使うしかないと
決断し、すぐに自衛隊に消防車の出動を要請して原子炉への水の注入ラインの構築に着手した。
<彼らは、放射能を遮断する全面マスクをつけて原子炉建屋に
何度も突入し、この作業を展開している>(門田氏)
◆奇蹟のように日本を救い、風のように去っていった男
吉田さんらしさが最も出たのは、官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから、
官邸の意向として海水注入の中止命令が来たとき、敢然と拒絶したことである。
しかし、東電本店からも中止命令が来ることを予想した吉田さんは、あらかじめ担当の班長にこういった。
「テレビ会議の中では海水注入中止をいうが、その命令を聞く必要はない。そのまま注入を続けろ」
と。この機転によって、原子炉の唯一の冷却手段だった海水注入は続行され、
何とか最悪の格納容器爆発という事態は回避されたのである。
門田氏は<「奇蹟のように日本を救い、風のように去っていった男」吉田さんに
「お疲れさまでした。本当にありがとうございました」>と結んでいる。
電力各社は赤字を理由に原発再稼働を申請し、安倍首相は認める方針だ。
彼はまた原発を世界に売り歩いている。原発事故の現場で何度も死ぬ寸前まで
いった吉田さんは、どういう思いでこの日本の『あさましい』姿を見ていたのであろう。
猛暑日が続く中、参議院選挙で「脱原発」は争点にも上らない。再び原発事故が起き
なければ、福島を除く日本人の多くは原発の恐ろしさに目覚めないのかもしれない。
だが、その日が来れば、この地に人が住めなくなるのは間違いないのである。
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