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>>4 > 獣医がある牛の状態を診て病気と診断する場合、彼はその診断のみでその牛の行動を変えはしない。 > つまり、牛にとっての病気は体験している生体生理学的状態であるにすぎず、それ以上の意味はないのである。 > ところが医者がある人間の状態を病気と診断すればその診断によって医者はその人の行動を変えてしまう。 > いうならば病気の意味を疾患に付け加えることにより、ある社会的な状態が生体生理学的な状態に付加されるのである。 > 次のような場合の帰結の差異について考察してみよう。 > 労働の無能力が怠状によるとされる場合、または単核症のためとされる場合、またはてんかんのためだとされる場合、 > あるいは飲酒癖が道徳的な弱さのためとされる場合、またはアルコール症のためとされる場合である。 > つまり医学的診断は人の行動、その人が自分自身に対してとる態度、他人がその人に対してとる態度に影響を及ぼすのである。 > 要約すれば、病気とはそもそもある状態に関する人間の判断に基づいた社会的構成物である。 > 病気はある意味では美意識と同じく見る人次第である。 > これは部分的には疾患とは何かということに関して流布している文化的な概念に基づいており、 > そうでない時、この方が西欧社会では殆どなのだが、生体生理学的な現象に基礎を置いている。 > だが、いずれにせよ病気というこの社会的評価を下すという過程が病気や疾患の概念にとっては枝葉末節なことでなくむしろ中心的なことなのである。 > 論理的には(体系化された分類である)診断と治療が共に社会的判断を土台としている以上、両者は不可分なのである。 > 「疾患」の原因である微生物を確認することが重要な結果をもたらすのとちょうど同じ様に病気を社会的判断として認識することが重要なのである。 > いうまでもないが、逸脱行動をめぐる病気の社会的構成は、明らかに生体生理学的な問題に比べてより多義的で解釈次第となりがちである。 > この点から見れば病気と定義された状態は、社会的な価値体系とある社会の一般的世界観とを反映していることが理解できるのである。 > > 批判的精神医学 : 反精神医学その後 D.イングレビィ編 177p.
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