[過去ログ] 階伯(ケベク) -Gyebaek- その1 (1002レス)
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608
(1): 2014/05/07(水) 02:37:33.50 ID:YBjBkoP6(1/4)調 AAS
別人種ってw
言語が全くの別系統だったというのが推定されているだけで
高句麗や百済の人種がどうなのかは全く分かっていない
現在のエスニックグループとしての朝鮮人が形成されたのは朝鮮王朝以降
そもそも高句麗の後裔を称した高麗は渤海滅亡後の高句麗系を
受け入れているわけなのだが
609: 2014/05/07(水) 02:39:29.20 ID:YBjBkoP6(2/4)調 AAS
近代以降の人種観を古代まで投影しているだけですな
616: 2014/05/07(水) 22:11:49.63 ID:YBjBkoP6(3/4)調 AAS
>>612
勝手に在日にするな
そもそも朝鮮のやつがエスニックグループとしての朝鮮人は朝鮮王朝以降形成されたなどというわけがない

それに相も変わらず人種や民族が何かがわかってなさすぎ
ネーションと言わずにエスニックグループと言っていることが全く分かっていない

>日本人
 日本人については、長谷部言人が「日本人種」の存在を主張した事もあるが、学会の主流をなす意見では、
 日本人は民族であり、日本人という人種は存在しないとされる。現在、日本人という言葉は狭義では
 大和民族の事を指し、広義では日本の国籍を持つ日本国民の事を指す。
外部リンク:ja.wikipedia.org

>民族(みんぞく)とは一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体をいう。
 土地、血縁関係、言語の共有(母語)や、宗教、伝承、社会組織などがその基準となるが、
 普遍的な客観的基準を設けても概念内容と一致しない場合が多いことから、むしろある民族概念への
 帰属意識という主観的基準が客観的基準であるとされることもある[1]。また、日本語の民族の語には、
 近代国民国家の成立と密接な関係を有する政治的共同体の色の濃いnationの概念と、
 政治的共同体の形成や、集合的な主体をなしているという意識の有無とはかかわりなく、
 同一の文化習俗を有する集団として認識されるethnic group(ジュリアン・ハクスリーが考案)の
 概念の双方が十分区別されずに共存しているため、その使用においては一定の注意を要する。

>日本語への翻訳にまつわる問題[編集]
 日本語の民族という言葉には2つの主要な意味内容が存在する。一方はネーション(nation)であり、
 もうひとつはエトノス(ethnos:英ethnic group)である。 訳語としての「民族」は、
 nationに対するものであるとされている。しかし、西欧語としてのネーションの政治的自己意識、統合性、独立性、
 主権性といった概念をも含む語義とは、日本語としての「民族」は完全には一致せず、国家のなかの、
 あるいは国家以前の、同一文化集団、民族誌学的な意味での、文化・生活様式を基準とした集団である種族にも
 同じように通用される。文化的・民俗的帰属意識と政治的同胞意識は必ずしも一致しないが、
 日本語の民族はどちらの区分による用例かはしばしば判然としない。
 この区別は、同一文化集団は容易に政治的帰属意識を獲得しうる為に日々動揺する。しかしこのことは、
 同一文化集団が政治的自己意識を獲得する以前からあらかじめ潜在的にすでに
 「眠れる」nationであるということではない。事後的に、始めからnationであったことになるのである。

>現在の定義[編集]
 ホブズボームの説得力のある指摘によれば、もしも、nationに一個の定義を下さなければならないならば
 いわゆる客観的な条件はすべて適切な基準ではない。言語を例に挙げて、ホブズボームは資料に訴えている。
 イタリアが1860年に統一されたとき、正統な標準イタリア語を話せたのは全体の2.5%にすぎなかった。
 他にも、1789年のフランス革命の勃発時に半分以上のフランス人はフランス語を話せず、
 南フランス住民の殆どはオック語話者だった。言い換えるならば、いわゆる民族言語というものは、
 主としてナショナリズムの実践の結果なのであって、ネーションやナショナリズムの原因とみなすことは
 できないのである。そのうえ、こうしたnationを定義するのに用いられてきた「客観的」基準、言語、エトニ、
 その他のものも、それ自身が変化しうるものであり、明確な定義も欠いている。
617: 2014/05/07(水) 22:14:08.28 ID:YBjBkoP6(4/4)調 AAS
>ベネディクト・アンダーソンの有名な定義がある
 「nationとはイメージとして想像された政治共同体である――そしてそれは、本来的に限定され、
 かつ主権的なものとして想像される」
 アンダーソンによればnationは一種の人工物[15]であり、一個の「想像された政治的な共同体」である。
 しかし、このことは、nationが「虚偽の[16]」存在であることを意味しない。採用すべき戦略は、想像の様式、
 及びこの想像を可能にした制度を用いて、この2つの点でのnationの特殊性を理解することなのである。
 アンダーソンが挙げている例は「印刷-資本主義(print-capitalism)であり、またそれによって出現した、
 nationを一個の社会学的な共同体へと変えた新しい文学のジャンルであるところの、新聞と小説である[17]。
 実際には、しかし、日々顔を付き合わせる原初的な村落より大きいすべての共同体は
 (そして本当はおそらく、そうした原初的村落ですら)想像されたものである。共同体は、
 その真偽(falsity-genuineness)によってではなく、それが想像されるスタイル(the style)によって区別される[18]。
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