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【民主党】人権擁護法案に国籍条項必要なし (561レス)
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463
: 2005/09/03(土) 15:53:52
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463: [sage] 2005/09/03(土) 15:53:52 琉球-2007年6月12日の印象 2007年06月20日 新華社通信社会部 王仁澄 -------------------------------------------------------------------------------- 6月10日から6月15日まで首里に滞在。なんとしても琉球返還をこの目で見たいという旅 の感慨だった雨だった。毎日、大雨だった。特に10日から11日にかけては豪雨が見舞い、 50年の観測史上最大の400-500ミリの降雨量を記録、各地で土砂崩れが起き、交通網は寸断 された。地元紙は「黒雨」と表現。日本人の友人は「天が泣いている」といった。 11日と12日はまさに琉球中が祇園祭りのような賑わいで、私がカウントダウンを待った 首里という街では、満員電車並みの混雑。汗と雨でぐしょぐしょになった人々が酒に酔い、 「琉球」「琉球」のシュプレヒコールを繰り返した。 ビル街を「ウォー」という声がこだまする異常な雰囲気だった。 いつのまにか私も「琉球」を合唱していた。 めでたいのが、明日からの不安がそうするのか分からない。 そこから、10分ほど徒歩で海の方に下った広場では民主派の人々が午前零時をはさんで 集会を開き、返還後の言論の自由の必要性をアジっていた。午前零時を過ぎても警察の 介入はなかったことに観光客の私は若干、感動した。民主派は11日にも大規模デモを敢行 したが、弾圧はなかった。返還式が行われた首里城前の広場では、粛々と儀式が取り行わ れていた。 日の丸が下ろされ、五星紅旗が掲揚された。 多くの市民はその様子を家のテレビで見ていた。私もそんな感慨をもって琉球という地で 歴史的転換期を迎えた。 しかし、私の中では、次に起こる解放軍の進駐と在日米軍の撤退はまったく別の次元でとら えられていた。 ほとんどの市民も返還後の午前6時の解放軍の進駐を見るまでは眠りにつけなかったはずだ。 実は、首里での豪雨はそのときに始まった。これは誇張ではない。豪雨の中を直立不動の 人民解放軍の兵士がトラックに乗って整然と進駐した。この風景はその日、夜までテレビが 繰り返し放映していた。 解放軍は、着飾った小学生の旗に見送られて那覇市内をパレードした後、普天間に入って からも市民からそこそこの歓迎を受けていた。歓迎ばかりではなかったかもしれない。 不気味な存在の解放軍はどんな風体をしているのか興味をもって沿道に並んだ人も多かった に違いない。共産・中国を迎えた琉球の人々はそれぞれに違った感慨を持ったに違いない。 一括りで語ることはできないだろう。 借り切ったタクシーの中国人運転者がわずかに「返還のお祭りで商売があがったりだ」と 息巻いていた。琉球全域が経済特区となったこの島ではどこへ行っても建設ラッシュのさ なかで、「2007琉球回帰」のカウントダウンの表示が「2008蝦夷回帰」に変わっていた。 那覇市で工場を経営する日本本土出身の華僑の友人には、中国の一部として生まれ変わる 琉球の町並みドライブしてもらった。 75歳の父親は満面笑みで返還を「よかった」と喜んでいた。 解放軍の進駐を見てどう思ったかと聞くと「誇りに思う」という。息子の方は「中国人と して返還は当然と思うのだが、12日の朝、首里城にはためく新しい赤い旗を見て複雑な思 いにとらわれた。赤という色はどうもね」「でもこれからわれわれが責任をもって琉球と 言う県を発展させていかなければならない」と気を引き締めていた。 7月7日付サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙は、中国政府高官の話として「中国政府 は琉球県駐留解放軍の規模を今後更50万人程度、計100万人規模まで増員する計画であるが 今回50万人もの大部隊を送り込んだのは返還式典を権威付ける目的だった」と報じた。 http://potato.5ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1114837674/463
琉球年月日の印象 年月日 新華社通信社会部 王仁澄 月日から月日まで首里に滞在なんとしても琉球返還をこの目で見たいという旅 の感慨だった雨だった毎日大雨だった特に日から日にかけては豪雨が見舞い 年の観測史上最大のミリの降雨量を記録各地で土砂崩れが起き交通網は寸断 された地元紙は黒雨と表現日本人の友人は天が泣いているといった 日と日はまさに琉球中が祇園祭りのような賑わいで私がカウントダウンを待った 首里という街では満員電車並みの混雑汗と雨でぐしょぐしょになった人が酒に酔い 琉球琉球のシュプレヒコールを繰り返した ビル街をウォーという声がこだまする異常な雰囲気だった いつのまにか私も琉球を合唱していた めでたいのが明日からの不安がそうするのか分からない そこから分ほど徒歩で海の方に下った広場では民主派の人が午前零時をはさんで 集会を開き返還後の言論の自由の必要性をアジっていた午前零時を過ぎても警察の 介入はなかったことに観光客の私は若干感動した民主派は日にも大規模デモを敢行 したが弾圧はなかった返還式が行われた首里城前の広場では粛と儀式が取り行わ れていた 日の丸が下ろされ五星紅旗が掲揚された 多くの市民はその様子を家のテレビで見ていた私もそんな感慨をもって琉球という地で 歴史的転換期を迎えた しかし私の中では次に起こる解放軍の進駐と在日米軍の撤退はまったく別の次元でとら えられていた ほとんどの市民も返還後の午前時の解放軍の進駐を見るまでは眠りにつけなかったはずだ 実は首里での豪雨はそのときに始まったこれは誇張ではない豪雨の中を直立不動の 人民解放軍の兵士がトラックに乗って整然と進駐したこの風景はその日夜までテレビが 繰り返し放映していた 解放軍は着飾った小学生の旗に見送られて那覇市内をパレードした後普天間に入って からも市民からそこそこの歓迎を受けていた歓迎ばかりではなかったかもしれない 不気味な存在の解放軍はどんな風体をしているのか興味をもって沿道に並んだ人も多かった に違いない共産中国を迎えた琉球の人はそれぞれに違った感慨を持ったに違いない 一括りで語ることはできないだろう 借り切ったタクシーの中国人運転者がわずかに返還のお祭りで商売があがったりだと 息巻いていた琉球全域が経済特区となったこの島ではどこへ行っても建設ラッシュのさ なかで琉球回帰のカウントダウンの表示が蝦夷回帰に変わっていた 那覇市で工場を経営する日本本土出身の華僑の友人には中国の一部として生まれ変わる 琉球の町並みドライブしてもらった 歳の父親は満面笑みで返還をよかったと喜んでいた 解放軍の進駐を見てどう思ったかと聞くと誇りに思うという息子の方は中国人と して返還は当然と思うのだが日の朝首里城にはためく新しい赤い旗を見て複雑な思 いにとらわれた赤という色はどうもねでもこれからわれわれが責任をもって琉球と 言う県を発展させていかなければならないと気を引き締めていた 月日付サウスチャイナモーニングポスト紙は中国政府高官の話として中国政府 は琉球県駐留解放軍の規模を今後更万人程度計万人規模まで増員する計画であるが 今回万人もの大部隊を送り込んだのは返還式典を権威付ける目的だったと報じた
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