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ネギま萌え統 最終回
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>>434 > http://www1.fctv.ne.jp/~sksknet/timor.html > > > ◆インドネシアによる東ティモール人虐殺 > > 1979年に、マテリアンのフレテリンのリーダーが、降伏することを決意しました。降伏して、私達が山から降りる途中は、インドネシア軍に > よって殺された多くの東ティモール人の遺体を、またいで歩かなければいけませんでした。爆撃で殺された東ティモール人の遺体は、 > 埋葬されるような暇さえなかったからです。それらの遺体は、野犬に喰い荒らされるに任されている状態でした。 > しかし、インドネシア軍は降伏してきた人さえも殺害し続けたのです。父親と兄がフレテリンの代表だったこともあって、降伏した時には > 別の所に分けられました。女性と子供が片方の集団、男性が片方の集団、という風に分けられました。まずインドネシア軍が降伏してきた人を > 広場に集めてやったことというのは、最初に男性を拷問したり、切り刻む、ということをしました。その後、今度は、東ティモール人を > 根絶しなければならないということで、男の子どもの殺害を開始しました。殺し始めたときに、国際赤十字が割って入ってきました。 > 少年達を殺害するというインドネシア軍の行為は、国際赤十字が割って入ったために途中で止めざるをえなかったのです。避難民は > 国際赤十字の保護下に置かれることになりました。 山岳地帯にいた頃よりは、生活状況が良くなりました。町へ降りた人たちは、 > 一カ所に集められた集中キャンプで生活を始めました。しかし、インドネシア軍は抵抗戦線と見なされる怪しい人物を殺害しようと、 > 躍起になって探していました。多少は状況が良くなったとはいうものの、険悪な状況は続きました。1980年に、私の父親だけが首都のディリに > 移り住みました。家族はマテリアンの麓の町に住んでいたのですが、父親は看護士だったということもあり、国際赤十字から、 > ディリで仕事をすることを頼まれたためです。兄もディリに移り住みましたが、1年もたたないうちに、インドネシア軍に捕らえられてしまいました。 > それ以来、兄の行方は一切わかっていません。父が国際赤十字に働いているということもあり、最終的には家族全員がディリに移り住みました。
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