[過去ログ] ワイが文章をちょっと詳しく評価する!【237】 (1002レス)
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(2): 第六十回ワイスレ杯参加作品 (ワッチョイ 9901-5Ix7) 2022/08/19(金) 14:32:04.45 ID:f0ZGh47r0(1)調 AAS
 
 私のクラスにはトマトちゃんという、少し変わった子がいた。
 トマトちゃんは髪がぼさぼさで、背が低くて、眼鏡をかけていて、いつもむすっとしていて、私の前の席に座っていた。私とは似ても似つかない孤高の人だった。
 なぜトマトちゃんと呼ばれているかというと、給食の時間に誰かが面白がって、彼女の皿に自分のトマトを置いたことがあった。彼女は、それを気にせずに食べた。以降、彼女はトマトちゃんになった。
 実は私もトマトが嫌いで、よくトマトちゃんのお世話になっていた。
 ある日、トマトちゃんが登校すると靴箱から上履きが無くなっていた。トマトちゃんは裸足で授業を受けることになった。最初は靴下を履いていたけど、廊下を歩いているときに水の入ったバケツをひっくり返されたから、裸足になるしかなかった。それでもトマトちゃんは顔色一つ変えずに授業を受けた。
 最初はみんな気持ち悪がった。すれ違いざまに悪口を言う子や、私物を隠す子は何人もいた。トマトちゃんは例外なく無視を貫くと、目立ったイジメは無くなった。あとに残ったのは「無視をする」という行為だけど、それはトマトちゃんが最初から皆にやっていたことなので、クラスはずいぶんと平和になった。
 私はそんなトマトちゃんと仲良くなりたいと思っていた。どうしたら、あんなに酸っぱいトマトを食べて平気でいられるのか。何をされても平気でいられるのか。聞いてみたかった。
 でも、トマトちゃんは誰かと話をすることがない。授業であてられれば答えるし、簡単な受け答えならするけど、人と雑談しているところを一度も見たことがなかった。平気な顔でトマトを頬張るトマトちゃんを観察して、いったいどんなことを考えているのだろうと想いをめぐらせる。そんな日々を過ごして、いよいよ行動を起こそうかなという日に、トマトちゃんは転校してしまった。
 寂しかったけど、私はチャンスだとも思った。トマトちゃんが座っていた席に、私はこっそりと座ってみた。周りの人は誰も気にしなかった。
 席に着くと、勇気が湧いた。試しにトマトをかじってみると、まるで酸っぱさを感じない。全然平気になっていた。
 それから、どんなに嫌なことがあっても、トマトをかじると勇気が湧いてきて、何でも乗り越えることができた。トマトちゃんのおかげだ。

 10年経って就職した今でも、私はトマトちゃんの力を借りようとしていた。
『もう少し愛想よくならない?』『そんな顔でお茶くみされたらお客さん逃げちゃうよ』『挨拶もまともにできないのか』
 入社してから今まで言われ続けた言葉が頭の中いっぱいに広がる。
 直そうという努力はした。良いシャンプーを使って髪のお手入れをしたし、背筋を伸ばして歩くようにしたし、メガネからコンタクトレンズに換えたりもした。でも表情ばかりはどうにもならないのだ。
 鏡の前に立って練習しても、私の表情は私とは別の死んでしまった誰かみたいに、ぴくりとも動かない。
『そんなんじゃ、この先やっていけないよ』『私たちは仲間なんだから』『コミュニケーション、とろう?』
 辛らつな言葉たちをはね退ける力がほしい。そう思った。
 だから私は、今までそうしてきたように、用意してきたトマトをポーチから取り出した。右手でつかんで、口元にもっていく。
 今が旬の、真っ赤なトマト。丸くてきれいな、玉の肌。かぷり。
 ひどい味が口の中いっぱいに広がった。酸っぱいなんて生易しいものではない。10年間、感じずにいたトマトの酸味が、ここにきてまとめて押し寄せてきた。
 酸っぱくて、酸っぱくて、何度も吐き出しそうになりながら、私はトマトから溢れ出る果汁を夢中で吸った。

 あまりの味に、鏡の中の私は笑っていた。
 10年分の涙を流しながら笑う私の後ろで、トマトちゃんもまた静かに笑った気がした。
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