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>>181 > ●南スーダン内部での派閥抗争(2013年〜)● > > 南北対立の終息は、残念なことに南スーダンの平和の到来を意味しなかった。今度は、北部(スーダン) > という共通の敵を失った南部(南スーダン)で派閥抗争が始まることになる。2013年7月23日、独立時から > 初代大統領を務めていたキール大統領は、南スーダン独立の功労者である与党スーダン人民解放運動 > (SPLM)の主要幹部を一斉に解任する内閣改造を行った。独立時から初代副大統領を務めていた > リエック・マチャルも、この内閣改造で解任された閣僚のうちの一人であった。 > > 同年12月14日、首都ジュバにおいてスーダン人民解放軍の一部と大統領警護隊が衝突し、部族対立も > 相俟って死者500人あまりもの流血の惨事となった。キール大統領は、この武力衝突をマチャル元副 > 大統領を首謀とするクーデターであると断言して元閣僚を含む関係者を逮捕。これにより、キール大統領は > 首都ジュバを掌握することに成功した。2015年3月、赤松武駐南スーダン大使が離任。同年4月27日、 > 紀谷昌彦が二代目の大使として着任。 > > 首都では一応の安定を見たが、地方各地ではその後もマチャル元副大統領を担いだ反乱が相次ぎ、 > キール大統領は国際社会の協力なしに武力紛争を停止させることができなかった。2015年8月、国際 > 社会の調停の下で「南スーダンにおける衝突の解決に関する合意文書」が両関係当事者によって署名 > されたことにより、南スーダン内部での派閥抗争は一旦、停止した。翌2016年4月には、キール大統領は > 対立関係にあったマチャル元副大統領を第一副大統領に就任させるという懐柔策を取り、南スーダンは > 派閥対立の解消と復興へと向かうかと思われていた。 > > ところが、この懐柔策も結果として派閥抗争の解消には資さなかった。同年7月、キール大統領派の正規軍と > マチャル第一副大統領派の武装勢力との間で銃撃戦を伴う衝突が発生し、南スーダンは再び内戦状態へと > 逆戻りした。この武力衝突はスーダンに駐在していた外国人にも決して無関係ではなく、国連の平和維持 > 活動に参加していた中国人隊員2名(李磊と楊樹朋)が殺害され、5名が重軽傷を負った。国際協力機構 > (JICA)の関係者ら在留邦人47人が退避し、日本大使館員のうち4名も自衛隊機C130に搭乗して自衛隊の > 駐屯している近隣国のジブチへと避難した。南スーダンに踏み止まった紀谷大使を含む日本大使館員も、 > ジュバの大使館では身の安全を図れないと判断して陸上自衛隊の宿営地へ駆け込み、戦闘状態が終息 > するまで同宿営地で宿泊を続けた。 > > 同月25日、マチャルは第一副大統領を解任された。その後、戦闘状態が沈静化して紀谷大使ら日本大使 > 館員もジュバの大使館に戻ったが、キール大統領派とマチャル元第一副大統領派の派閥抗争が完全には > 解消しないまま現在に至っている。 > > > ソース:日本と南スーダンの関係 - Wikipedia > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E5%8D%97%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82
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