[過去ログ] スウェーデンボルグ派の教会や書籍 2014.12.29 (1345レス)
上下前次1-新
抽出解除 必死チェッカー(簡易版) レス栞 あぼーん
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
144: 2015/01/05(月) 10:45:46.71 ID:b0KRNNBG.net(1/10)調 AAS
外部リンク[htm]:www.relnet.co.jp
▼檀家制度は教区制の焼き直し
葬式と結婚式という人生の通過儀礼の最も重要なものが、実はキリスト教の影響を受けて形成されていたのである。さらに、意外なほどキリスト教の影響を受けていたという宗教上の制度がもうひとつある。
実は、江戸時代に切支丹邪宗門でないということを確認するために、国民を全てそれぞれの町々、村々にある仏教寺院の檀家にするという、いわゆる寺請制度が完備され、後の"葬式仏教"の元になるのだが、
これも意外なことに、キリスト教の制度の借用であると考えられる。ヨーロッパにおいては、キリスト教は完全に支配的な宗教であった。宗教改革後のドイツにおける30年戦争を見てもわかるように、
それぞれの封建領主は、自らの属するキリスト教の宗派を一種の基準にして神聖ローマ帝国内での戦争を戦ったのである。
教会の管轄区域は「parish(教区)」と呼ばれる地域に分割されていた。今でもヨーロッパに行けば、その跡がハッキリと見られる。
もちろんカトリック教会は、教皇から任命された世界中でそれぞれの教区を司る責任者=司教(bishop)というのがおり、
たとえば大阪大司教であるとか京都司教であるというふうに管轄圏が分かれているが、プロテスタントにおいても、
英国の国教会やドイツのルター派教会のように、国家権力と密接に繋がった教会では、国中のあらゆる地域、村々を教区に分け、
国民をその教区のある教会のメンバー(檀徒)としたのである。
145(1): 2015/01/05(月) 10:50:47.96 ID:b0KRNNBG.net(2/10)調 AAS
外部リンク:www.google.co.jp
yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1474148774&ei=Mu2pVK33Oob58QWYu4Ew&usg=AFQjCNGy4oHbRva4X2b-wo4w7-Uhxw9i7w
>そもそも、お寺は聖徳太子の仏教伝来の頃から維新まで、自治体の役所でもあった訳で、その自治体の人々が造ったとも言えるよねえ。
> 元は、会所場であったところに宗教施設も併設して、お寺にしたとか。
> 江戸期の檀家制度の創設期も、そういうお寺がほとんどじゃない?
> だから、氏寺って言葉があるんですよ。
>今のほとんどの人は、お寺は昔、宗教施設機能だけでなくて、役所であったこと判ってないでしょ。
>そんなことなので、僕は幕府が頭ごなしに檀家制度を造ったとは思えません。
>各自治体の人々の思惑と、幕府の思惑が一致したんだと思います。
>仮に、幕府の一方的な指示だったら、きっと内乱が起ってるでしょう。
>幕府と反りが合わない朝廷も、いくら権威に、その当時、陰りがあったといっても、黙ってはいないでしょう。
146: 2015/01/05(月) 11:02:33.70 ID:b0KRNNBG.net(3/10)調 AAS
外部リンク[html]:www2.tba.t-com.ne.jp
>パウロは布教の名手であり、レトリックに長けていたという。神の子、処女生誕という神話は聖書には記載されていなかったものの、パウロによる布教のレトリックとしてギリシャローマ文化圏で大きな力となった。
>ギリシャ神話では、ヘラクレスのように神の血を引く英雄が活躍する説話は無数にあり、ギリシャ人やローマ人にとって「神の子」という概念はなじみが古い。そのヘレニズム文化圏の人々に「神の子が現れたのだそれも神話時代にではなく、つい最近のことだ。」
>という布教方法は受け入れられやすかっただろう。当時ローマの版図であった地中海沿岸の広大な地域にキリスト教が浸透して行ったのはパウロの功績であり、イエスの神格化が布教の成功をもたらしたことは疑いもない。だがそれはイエス本人の意図だったのだろうか?
> イエスを神の子と規定し処女生誕を肯定すれば、それはまるで神がマリアの寝屋に忍び込んで神の子をなしたかのごとくに解釈されかねない。実際、ローマ人はそう解釈していた節があり、ラテン語で唯一絶対神を言い表すのに「デウス」という単語を用いている。
>そう、ギリシャ神話の主神にして幾多の女と子をなしたゼウスを意味している。これはユダヤ教徒には耐えがたい侮辱と受け取られるだろう。パウロが広めたこの神話、処女生誕による神の子の誕生という神話は、決定的にユダヤ教との決別をもたらしたことは言うまでもない。
>そしてまた、ヘブライ語圏のキリスト教会であるエルサレム教会との完全な分裂を意味していた。つまり、パウロ以後のキリスト教は十二使徒の原始キリスト教およびユダヤ教から分離独立し、ヘレニズム文化圏の宗教となったと言っても過言ではない。
>実際のところパウロ以後のキリスト教をパウロ教と呼ぶ聖書学者もいるほどである。
147: 2015/01/05(月) 11:31:30.98 ID:b0KRNNBG.net(4/10)調 AAS
>さらに言えばパウロはイエス本人の思想とも隔絶していると言わねばならない。イエスの思想は、徹底した自己神格化の否定がその中心だからである。
>先に述べた通り、イエスは自己神聖化した者が自己の正義を絶対化して他者を攻撃することを徹底して否定している。
>自己神聖化と他者への攻撃、すなわちモーゼ神話にあるような異民族との絶滅戦は避けなければならない。
>イエスの構想した神の国にとって第一義に重要な思想のはずである。だからこそ「三つの試し」の説話で、
>イエスは、異民族からの収奪と自己神聖化という悪魔の誘惑を退けているのである。
>こうして見るとパウロの思想とは何か、パウロが何をしようとしていたのか、実に不気味に思えてくる。ユダヤ教ファリサイ派の司祭だったパウロは、神の律法を盾に人々を逮捕拘束して財産を奪い、追放し、場合によっては命さえ奪った。
>しかし「回心」後のパウロはその律法を「律法の役目は終わった」の一言で片づけてしまっている。その上、神を冒涜するような説、処女生誕説を布教しているのだ。
>律法に背いたとしてパウロに処罰された人々は何だったのだろうか?イエスの思想を全面に受け入れたため、律法主義を捨てたというならば話は分かるのだが、何度も述べた通り、
>パウロはイエスの教えとはかけ離れた思想を布教しているのだ。しかもそれはイエスの拒否した悪魔の思想、自己神聖化と他者への攻撃をキリストの教えとしてキリスト教に取り込もうとしている。
>先に述べたようにパウロの前に現れた復活したキリスト像(天から降り注ぐ光)はイエスと神の同一視化であり、また処罰する神とイエスとの同一視化である。
>イエス自身は悪魔に対して「私は神に仕える者」だと言っている。これは、自己を厳密に神と分離し、全くの別物としたイエスの自己規定である。
149: 2015/01/05(月) 11:37:36.48 ID:b0KRNNBG.net(5/10)調 AAS
>そしてイエスは神とは別個の自由意志をもつ独立した存在であり、その自由意志をもって「神に仕える」決心をつけた者なのだ。三位一体説では神と精霊とキリストは一体不可分とされ、受肉説では神の言葉が肉体を得たものがキリストだとされる。
>しかしこれではイエスは神が作り出した操り人形にすぎないことになってしまう。この方がイエスや十二使徒に対して不敬だと思えるのだが。
>実にパウロはイエスの思想に帰依などしていないのだ。ではパウロの根本思想とはどのようなものだったのだろうか?
>律法に基づいて人々を裁く異端審問官としてのパウロ、復活したイエスに会って「回心した」パウロ、そしてイエスをキリストとして神聖化し、
>またユダヤ教の教義からみれば冒涜ととられかねないイエスキリストイコール神の子説を唱えるパウロ、
>これらのパウロの行動の変遷を「是」する思想、それこそがパウロの根本思想というべきものだ。
>しかし、これを知る術はあるのだろうか?
>パウロはローマ帝国の領内を三度にわたって行脚し伝道に当たったとされているが、その中の説話にキプロスでのエピソードが伝えられている。
>そこではキプロスの総督に拘束されたパウロが、総督の頼りとしているユダヤ人魔術師を奇跡の力でねじふせて視覚を奪ったため、総督は驚いてパウロに帰依したという。
>この説話の恐ろしさはたとえようもないほどである。パウロの回心の説話では、神と同一化されたのは復活したイエスだったのに対し、
>ここではパウロ自身が神に聖別された聖人として奇跡を起こし、意に沿わないユダヤ教徒を罰しているのだ。
>つまり、パウロ自身が自らを神聖化し、他者への攻撃を行っているのである。そしてパウロの立ち位置にお気づきだろうか?
>ファリサイ派司祭時代も回心後の伝道者の時代も、「正しい側」に立って他者を糾弾し処罰する立場にいる、という点についてパウロは何の変わりもない。
>回心前と後の違いは、パウロの立ち位置を保証する「正しい側」が入れ替わったにすぎないのである。
151: 2015/01/05(月) 11:41:38.58 ID:b0KRNNBG.net(6/10)調 AAS
>パウロにとって全てがパウロの立場を保証する「道具」だったとすれば、パウロの奇妙な矛盾は解消し、パウロが第一義とした「思想」も見えてくるのである。
>律法を絶対化し人々を罪に落として処罰しいたにも関わらず、回心後には律法の役目は終わったと言い放ったこと、そして涜神ともとれる言説で伝道したこと、
>イエスに帰依したと言いながらイエスの教えを無視して自己神聖化を行ったたことも、神も律法もキリストもパウロにとって「道具」にすぎなかったとすれば、
>パウロの行動は一貫しているのだ。常に他者を見下し糾弾しうる立場に立ち得るという意味で。
>先にも述べたが、司祭時代のパウロはローマ市民と熱心党の異端審問官という二重の意味で優位に立っていたが、そこには矛盾があった。ローマ市民であるという事はローマの支配に協力する者であり、
>ユダヤ教急進派から見れば裏切り者でありパウロ自身が異端審問にかけられかねない。
>逆にローマから見れば、ファリサイ派の熱心党は反ローマ主義者の巣窟であり、反乱の温床であった。つまり下手をすれば双方から迫害されかねない立場だったのだ。
>しかしキリスト教を布教し全ローマが帰依すれば、帝国という世俗の組織の上位に教会という神聖権力が君臨することになる。
>つまりパウロがキリスト教布教の功労者として聖人に列せられれば、先に述べた矛盾は解消されることになる。無論のことこの説は状況証拠から組み立てた仮説にすぎない。
>しかしパウロの行動の奇妙さを説明するパウロの行動原理を考えた場合、この仮説以外にパウロの動機を説明することができないのは確かである。
153: 2015/01/05(月) 12:00:44.76 ID:b0KRNNBG.net(7/10)調 AAS
>パウロは三度にわたる伝道旅行の後、ペテロの迫害前後に迫害されて亡くなったとされている。
>しかしこれはたぶんそうだろうという憶測にすぎず、実はその晩年のことは伝わってはいない。
>ローマ市民を拘束し処罰できるのはローマ帝国中央以外にはなく、迫害でパウロが亡くなったのなら公式記録が残るはずである。
>それに該当する記録が残っていないということは、公表できない事情があったのだろうと言われている。
>パウロの出自は本人が雄弁に語ったために明らかであるとされているが、累代のローマ市民称号を受けたパウロの実家の名は、帝国の支配を支える政商であったはずにも関わらず、明らかにされてはいない。
>パウロという人物は、闇の中から現れ闇の中に消えていった、ヌエ的な存在であると感じるのは私だけであろうか?
>そしてパウロというヌエが残していった置きみやげが
>世界にどのような惨状ををもたらしたのか、暗然とならざるを得ないのである。
155: 2015/01/05(月) 12:30:43.26 ID:b0KRNNBG.net(8/10)調 AAS
外部リンク[html]:www2.tba.t-com.ne.jp
>このように、イエスの復活の伝説は、その当時のリアルタイムではオカルトではなく、支持者や信者の期待による「生存説」の域を出ないものであった。
>もちろんその背後には、イエス生存説を利用してローマ帝国当局の弾圧を跳ね返そうとする残された使徒や信者の駆け引きもあったであろう。
>しかしそれはまだ政治闘争や教団の引き締め工作のレベルではあっても、この段階ではまだイエスの神聖化も神格化も始まってはいない。
>実際の所イエスの直弟子である十二使徒のひとり聖トマスは「イエスの復活が信じられない」と公言しながらも、兄弟弟子の使徒たちにも誰からも非難されてはいない。
>復活したイエス本人(?)までもが「自分の目で確かめるまで信じないってのは大事だよね」とトマスを誉める始末である。現在でも信じられないことは正直に信じられないという事は、「聖トマスの信心」として美徳とされている。
>これは後のキリスト教といかに違っているのか、説明は要しないだろう。中世のキリスト教が聖書の記述に反する説を唱えたとして科学者や医師を異端審問にかけ、科学の発展をいかに阻害したか、論を待たない。
>ガリレオもダーウィンも「聖トマスの信心」を実行していたにすぎない。教会はこれら科学者にエールを送るべきだったはずだ。復活したイエスがそうしたように。しかし後代のキリスト教は、神聖化されたものに対する反対意見を許さなかった。
>すなわちキリスト教の神聖化が全てに優先するのである。イエス本人の教えそのものよりも、だ。
156: 2015/01/05(月) 12:32:40.61 ID:b0KRNNBG.net(9/10)調 AAS
>新約聖書のなかにこの「聖トマスの信心」が盛り込まれたのは、聖トマスを含めたイエスの直弟子、十二使徒のメッセージに思えてならない。
>「イエスさんは反対意見を言う者を糾弾したり罰したりしたことはなかったぞ。」というメッセージである。
>ではこのメッセージは誰に対して発せられたものなのか?イエスの弟子ではなかったにも係わらず、イエスの死後深く教団に関わり、その後のキリスト教の方向性を決定づけた人物がいる。
>ギリシャ生まれでローマ市民権を持つユダヤ人、パウロである。パウロはユダヤ教保守派の立場からキリスト教を弾圧するが、復活したキリストに会って回心し、キリスト教に帰依したという。
>これをパウロの回心という。
>逆から言うとパウロ自身は、生前のイエスに会ったことはなかった事を意味するのである。
158: 2015/01/05(月) 12:54:44.36 ID:b0KRNNBG.net(10/10)調 AAS
第5章イエス後の世界4
外部リンク[html]:www2.tba.t-com.ne.jp
第5章イエス後の世界5
外部リンク[html]:www2.tba.t-com.ne.jp
第5章イエス後の世界6
外部リンク[html]:www2.tba.t-com.ne.jp
第5章イエス後の世界7
外部リンク[html]:www2.tba.t-com.ne.jp
第5章イエス後の世界8
外部リンク[html]:www2.tba.t-com.ne.jp
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ
ぬこの手 ぬこTOP 1.010s*