[過去ログ] 主イエス・キリストは父なる神 2014.8.24 (1158レス)
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1142
(1): 2014/10/18(土) 08:04:16.19 ID:7/N0VGWwT(2/4)調 AAS
>>1138
(ご参考)
また、ベネディクト16世は著書の中で「私たちが今日経験している教会の危機は、
『あたかも神が存在していないかのような(etsi Deus non daretur)』の原則に従って行われた改革の結果である
『典礼の崩壊』が原因であると、私は確信しております。」と述べたことがあり、
2007年に自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」を発布し、その中で
「多くの地域で、新しいミサ典礼書の規定が忠実に守られなかったためです。
それどころか、実際に、新しいミサ典礼書が『典礼を創造的に行うこと』を正当化し、
さらには要求しているとまで考えられたからです。
この『典礼を創造的に行うこと』は、しばしば耐えがたいしかたで典礼をゆがめました。
わたしは経験から述べています。わたしもあの希望と混乱に満ちた時期を体験したからです。
そしてわたしは、典礼を勝手にゆがめることが、
教会の信仰に完全なしかたで根ざした人々をどれほど深く傷つけたかを目にしてきました。」と、
第2バチカン公会議以降の行き過ぎた典礼刷新を戒めた。

教会の危機
外部リンク:ja.wikipedia.org
1143: 2014/10/18(土) 08:07:14.81 ID:7/N0VGWwT(3/4)調 AAS
>>1142
「教皇ベネディクト十六世の
全世界の司教への手紙-1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって」  より

ミサ典礼の「特別な形式」である1962年のミサ典礼書の使用に関して、
わたしは次のことに注目していただきたいと思います。すなわち、
このミサ典礼書が法的な意味で廃止されたことは決してありません。
したがって、このミサ典礼書は原則的にはつねに認められてきたということです。

このような望みが生じたのは、何よりも、多くの地域で、
新しいミサ典礼書の規定が忠実に守られなかったためです。それどころか、実際に、
新しいミサ典礼書が「典礼を創造的に行うこと」を正当化し、
さらには要求しているとまで考えられたからです。
この「典礼を創造的に行うこと」は、しばしば耐えがたいしかたで典礼をゆがめました。
わたしは経験から述べています。わたしもあの希望と混乱に満ちた時期を体験したからです。
そしてわたしは、典礼を勝手にゆがめることが、
教会の信仰に完全なしかたで根ざした人々をどれほど深く傷つけたかを目にしてきました。

1962年のミサ典礼書の使用は、この典礼書とともに育った古い世代に限られると考えられていました。
しかし、やがて、若者もこのミサの形式を再発見し、この形式に引きつけられ、
これが至聖なる聖体の神秘と出会うためのとくに自分たちに適した形式だと考えていることが明らかになりました。

(パウロ六世のミサ典礼書)
――それは、この典礼書の典礼規則に従ってできるかぎりうやうやしく典礼を行うことです。
このことは、このミサ典礼書の霊的な豊かさと深い神学的な意味を明らかにします。

ローマ・ミサ典礼書の二つの版の間には何の矛盾もありません。
典礼史には、成長や発展はあっても、決して断絶はありません。
過去の人々にとって神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。
外部リンク[htm]:www.cbcj.catholic.jp
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