[過去ログ] 主イエス・キリストは父なる神 2014.8.24 (1158レス)
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1059(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 13:29:54.74 ID:4HUvWEFLi(8/19)調 AAS
宗教によって人々を支配しようとする輩のことをバビロンと言います。
あるいはルシファーもそうでしょう。
主から神性を奪い取り、自分が神になろうとする輩たちのことです。
彼等は地獄の住人であり、悪魔や魔鬼(サタン)と呼ばれ、すべてもとは人間です。
彼らがこの世に影響を及ぼしてきたのです。
彼等が教会を長い間支配してきたのです。
あなたは聖書は読まない方が良い、読ませない方が良いとおっしゃいますが、
それは半分事実、半分誤りです。
解説、すなわち正しい教義がなければ誤って理解してしまいます。
聖書は「内意」を持った言葉で書かれているので、文字の意義とは違うからです。
文字の意義だけに捕われると、大きな間違いを犯すことになります。
その意味においては読まないというのは正しい。
しかし、正しい解説、すなわち教義によって読むならば、聖書の中に真理を確認すること
が出来、それは聖書を読まなければ不可能なのです。
もちろん、昔の人は字を読まず、説教から聞いて信じたでしょう。でも
それは正しい説教でなければなりませんし、また信徒も今よりはるかに
敬虔であったから可能だったのだと思います。
今時、聖書を読ませないなどというのはナンセンスです。
私なら、そんなことを言う教職者がいたら、はなからその人間を信じません。
病気になるから聖書を読むなと教職者が言うなら、どうして正しい解説をしない
のかと私は聞くでしょう。彼等はその義務を放棄しているのですから。
あなたが聖書を読んで病気になった責任の一端は真の聖職者の不在にあります。
もちろん、私は彼らに期待していません。残念ながら、彼らが善意であったと
しても、真理を知らないのは事実です。彼らは盲人の道案内をする盲人なのです。
1060: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 13:44:08.35 ID:4HUvWEFLi(9/19)調 AAS
>>1035
>じつは、ここは聖書でも好きなところですが、なぜ好きかというと、
>ユダヤ人が石を投げつけようとしたから。
>私もユダヤ人のように思うので、すっきりするからです。
あなたは主に出会う前の少年サンダー・シングのようなものです。
彼はキリスト教を迫害したのです。聖書を燃やしたり、宣教師に石を投げたり
していたのです。
しかし、救いのないことに絶望して、神が出て来てくれないなら夜が明けたら自分は鉄道自殺
すると覚悟を決めて祈っていると、明け方、光とともに主が現れられたのです。
そして、サウロ(パウロ)に言われたように、お前はどうして私を迫害するのか
とおっしゃったのです。
まさか、自分が迫害していたキリストが現れてくださるとは彼は思いもしなかったのです。
そして、主こそ神ご自身であり、救い主であることを理解し、その日から彼は
クリスチャンになります。そして15歳で宣教を始めたのです。
家族の猛反対にあいながら。
1061(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 13:55:47.68 ID:4HUvWEFLi(10/19)調 AAS
あなたは全く、主(イエス・キリスト)を知りません。
主が本当の神であり、救い主であることを。
どれほど慈悲深い父なる神であるかを。
それを理解しないうちは悟ることも救われることも出来ないでしょう。
もちろん、仏教や回教という方法もあります。
しかし、主を知ることの方がより直接的でしょう。
すべては同じ主のことを言っているのですから。
それには、主を知らない学者や聖職者に教わるのではなく、主を本当に理解した
「見神者」の解説によって聖書を読むのが早道です。
見神者の解説も、聖書も実は主がその中で直接語っておられるのです。
主こそ唯一の教師なのです。
見神者は主の言葉を預かって、私たちに教える預言者であって、特別な役割を担っています。
ですから、神に直接お会いして、主のお言葉を主から直接口授していただいています。
私たちは、彼等の本、および聖書で主に接することが出来るように主は計られているのです。
1062: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 14:00:43.61 ID:4HUvWEFLi(11/19)調 AAS
私たちが皆、預言者たちのように、脱魂状態になって、主から直接教えられたら、
社会は大変なことになってしまいます。主はそうではなく、本を通して語られる
ことを望んでおられるのでしょう。
1063: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 14:07:47.52 ID:4HUvWEFLi(12/19)調 AAS
いずれ、そうやって主を本当に理解した人たちが聖職者になってくださることを期待します。
現在の聖職者たちを軽蔑することは主も聖母も許されません。
彼等には敬意を表さなくてはなりません。
彼等はその人物がどうであれ、主を表象しているからであり、また、彼等に慈しみをもって
と敬意をもって接するのは私たちの義務です。
1064: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 14:29:17.33 ID:4HUvWEFLi(13/19)調 AAS
スウェーデンボルグもハンサムな紳士でしたが、サンダー・シングもとびきりの
ハンサムです。好みもあるかも知れませんが、私にはそう思えます。
スウェーデンボルグは静思社の表紙カバーにある絵はウィキペディアの写真とは異なり
もっと歳をとってからのようですが、とても柔和な微笑んだ顔をしています。目のぱっちり
したチャーミングな老紳士です。
サンダー・シングは40歳でチベットへの宣教へ向かう途中、ヒマラヤ山中で消息を
絶ちました。背も高く、来日して講演のために学校へ行くと、女子生徒が彼を見て
キリストが現れたと勘違いしたという逸話があります。
1065: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 15:49:57.94 ID:4HUvWEFLi(14/19)調 AAS
「聖母から司祭へ」の中で、聖母は当時のヨハネ・パウロ2世教皇を、特別
高く評価されておられました。主もヴァッスーラの本の中で同様に評価されて
おられたように思います。
お二人ともその後の教皇については触れておられなかったと思いますので直接
は知りませんが、主は教皇を大切に見守っておられるでしょう。
いつの教皇も内部での反逆など、大変なご苦労をされておられると思います。
1066: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 18:00:58.94 ID:4HUvWEFLi(15/19)調 AAS
しかし、私たちは自分の救いに努力しなければなりません。
すぐ悪に傾き、良からぬことを考えている自分がいます。
心で分かっていても、現実の行いが伴わないのです。
全くこの世で生きてゆくことは大変です。
まことに、主の慈悲をねぎまつるのみです。
自分がみじめな存在であることを自覚すればするほど主によりすがるように
なります。自分が調子に乗ったり、自惚れているうちはまだまだです。
私など本当に気をつけなければなりません。
1067: 2014/10/14(火) 18:57:20.29 ID:U+006E2rO携(1/6)調 AAS
ヨハネさま。
ほんとうにたくさんありがとうございました。
パウロについては、(私は本が読めなかった時期もありましたが、)
具体的に書かれている部分、例えば、結婚について、などは、
文章として意味がわかりますが、その他ほとんどについて、
何を言っているのか、意味がわからない。ずっと、今もそうです。
今も、その他の手紙についてもそうですが、解説をみても、わからない。
内容が頭に入りません。たぶん、理解する能力がないのでしょう。
私は、パウロについては、よく思っていません。
(ただし、「皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう」
これにはたいへん救われました。)
>>1059 聖書を読むな
私は、教職者ではありませんし。棄教者で、アンチキリスト教です。
以前は日本の教会には戻らないと思ったけれど、
今は、カトリックそのものに、関心もなくしました。
聖書は、絶対化するものではないとおもいました。
聖書研究次第では、大幅に意味が変わることもあるのではないかと思います。
1068: 2014/10/14(火) 19:00:22.29 ID:U+006E2rO携(2/6)調 AAS
「イエス・キリストは神ご自身」
これが、理解できないです。そういうことは、聞いたことがありません。
旧カトリックでは、「イエスは神」「唯一」、今よりは、強調されていたとおもいます。
しかし、それは、三位一体の中のことです。
もちろん、他宗教では、それはありません。
イスラム教では、イエスは預言者。(ユダヤ教の一部で、メシア)
グノーシス、スピリチュアル系でも、それなりに尊敬される存在でありますが、
神ご自身というのは、ないと思います。
キリスト教の間違いは、「イエスを神として祀り上げたこと」、これはよく聞くのですが、
ヨハネさまがいつもおっしゃっていることとは逆です。
「イエス・キリストは神ご自身」
これを受け入れようとすると、私の宗教的な価値観は、すべて棄てなくてはいけません。
よほど、何かないと、受け入れられるとは、思いません。
殆どの人がわからないのに、私にわかると思いませんが。
1069: 2014/10/14(火) 19:11:54.90 ID:U+006E2rO携(3/6)調 AAS
ローマ教皇については、私は、今は複雑な思いがあります。
ネットのなかった時代は、日本のテレビでは、何かない限り、
滅多にお目にかかれない方 でした。
いつもテレビにはりついているわけではありませんから。
今は、いつでも、ローマから情報が得られるわけですが。
前教皇、今の教皇、外から見れば、されていることに、違いがありすぎます。
今の教皇さまは、一番初めから、伝統ぶち壊しで、出ていらっしゃいました。
それから、1ヶ月ぐらいの間も、次々に伝統を壊し続けられ、
もう見たくなくなりました。
壊せば壊すほど、注目され、カトリック以外からも、
「まるで、イエスのようだ」と、人気がでていたと思います。
言われるように、今の教皇さまは、イエスさまみたいですが。
ローマ法王:同棲カップルら招き結婚式ミサ 2014年09月17日
「法王が推進する『慈悲』の実践だ」
外部リンク[html]:mainichi.jp
無神論者も救済の対象、と教皇フランシスコ 2013年05月27日
外部リンク[html]:blog.livedoor.jp
1070(2): 2014/10/14(火) 19:37:56.18 ID:U+006E2rO携(4/6)調 AAS
三位一体について。
ヨハネさまのおっしゃる「三位一体」の意味がわかりません。
三神論とは、スウェーデンボルグ以外にどこから来ているのでしょう。
私が、カトリックから知ったのは、重層的な三位一体でした。
いまの時代、教職者は、自由に好きなことを言っていると思いますが。
「イエスはローマ兵にレイプされてできた子」神父がそんなことを言ってもお咎めなし、
三位一体の真実を知っているけれど黙っている、とは考えられないです。
ネットでも、本でも、なんでも言えるわけですが。
何か、勘違いされているのではありませんか。
あの、無神論スレの方もこう言っていましたが。
「しかし、スエボグによってカトリックの三位一体の部分をいじくって信仰しているために、」
2ch.scスレ:psy
1071: 2014/10/14(火) 19:57:38.15 ID:U+006E2rO携(5/6)調 AAS
「イエス・キリストは神ご自身」
カトリックの三位一体は、じつは「三神論」
殆どの人が理解できないとすれば、
限られた人にだけ明かされる「秘密」なのでしょう。
私にわかるとすれば、すべての価値観を棄てなくては理解できないと思います。
ほんとうに、それが「秘密」なら、
私にとって、そういうことは、無理に知るのは、
いいことかどうかわかりません。無理に知りたいとは思いません。
1072(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 21:05:36.58 ID:4HUvWEFLi(16/19)調 AAS
>>1070
>ヨハネさまのおっしゃる「三位一体」の意味がわかりません。
>三神論とは、スウェーデンボルグ以外にどこから来ているのでしょう。
>私が、カトリックから知ったのは、重層的な三位一体でした。
福音書に「父と子と聖霊」と書かれているために(マタイ28・19)、あるいは
キリストが父に祈られたりする場面が出て来るために、カトリックに限らず、
プロテスタントでも父なる神と子なるキリストは別人格すなわち、別人(神)と
考えているのではないでしょうかと申し上げたかったのです。
秘密などではなく、個人個人が本当はどう考えているかということです。
父と子と聖霊を三人の神と考えているのか、そうではなくてキリスト一人が神と
考えているのかという意味です。
実は私はそれについて何も考えたことはなかったのです。
ただ、スウェーデンボルグから実はキリストは唯一の神ご自身、すなわち父なる神ご自身であると
教わって初めて、なるほどそうかと思ったのです。
他にはサンダー・シングくらいかもしれません。はっきりとキリストは父なる神ご本人
であると言っているのは。プロテスタントもカトリックもそこまで明言しているものは
知りません。
殆どの人が理解出来ない、というのではなく、知らないという意味です。
教わったこともないであろうという意味です。
1073: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 21:17:18.06 ID:4HUvWEFLi(17/19)調 AAS
神が三人おられると言われたら、私たちは理解できないし、当然信じることもできないでしょう。
私はシンプルに、神は唯一であって、お一人しかいない、そしてそれはキリストのことであると
思っています。他宗教の神も同じ神のことを指していると思っています。当事者たちはそのことを
知らないのだと思っています。
神は唯一であり、それはキリストであると言われた方が、よく分かると思うのです。
1074: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 21:39:01.11 ID:4HUvWEFLi(18/19)調 AAS
>私はこの「浮き方」こそがプロテスタント独特のものであり、この人は正当な
>カトリックではない」と判断するのです。そしてこの「浮いている姿」こそが
>日本人が「あのようにはなりたくない」と、キリスト教を遠ざける原因のひとつに
>なっていると思います。
全く逆で、カトリックもプロテスタントも神を3人と思っているらしいと
部外者は思うので、キリスト教全体が一般の人の感覚(神は唯一という感覚)
から浮いているのだと思います。
私は、一般の人間でしたから、神は唯一だと感じていたと思います。
ですから、父と子に分けているらしい、キリスト教の「刑罰代償説」は本能的に
拒絶したのです。しかし、カトリックでは殆ど「刑罰代償説」は聞きません。
プロテスタントに顕著ではないかと思われます。
そういう意味で、カトリックの方がシンプルかと思います。
無意識のうちにキリストを神ご本人と思っている信者の方は多いかもしれません。
1075(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/14(火) 21:53:29.18 ID:4HUvWEFLi(19/19)調 AAS
>パウロについては、(私は本が読めなかった時期もありましたが、)
>具体的に書かれている部分、例えば、結婚について、などは、
>文章として意味がわかりますが、その他ほとんどについて、
>何を言っているのか、意味がわからない。ずっと、今もそうです。
>今も、その他の手紙についてもそうですが、解説をみても、わからない。
私はパウロの手紙を読むより、福音書を読む方がはるかに好きです。
私もパウロの手紙はあまり頭に入りません。
私が読むのは四福音書と黙示録くらいです。よく読む人に比べたら
たいして読んでいるわけではありません。
旧約聖書は通しては過去に2〜3回くらいしか読んだことがありません。
今夜はこの辺で。
あなたに主の平安がありますように。
1076: 2014/10/14(火) 22:04:02.12 ID:U+006E2rO携(6/6)調 AA×
>>1075
![](/aas/2chsc_psy_1408866599_1076_EFEFEF_000000_240.gif)
1077: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/15(水) 15:44:12.66 ID:sCa7IUwRs(1/8)調 AAS
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P32
‘87・11・8
イエス?
♡ 私です もしあなたを救い出さなかったなら、まだ深い眠りから覚めてはいなかった ♡
とても恥ずかしい思いです。私は本当に口を開く最後の人のはずです。主が今度も私のために
して下さったことを思うと、どんな償いと感謝も全然足りません。ほかの方のために祈りたい
時でさえ、後ろめたく ためらいがちになります、私よりはるかに良い人たちのためにどうして
祈れるでしょうか? 「最も惨めな者」がその者よりましな人のために どうして祈れるで
しょう? 一人の目には大鋸屑(おがくず)が、もう一人の目には丸太が、という主のみことば
を思い出します。丸太どころか 森全体が目にあるように感じていますのに、どうして
一言でも発することができましょう? 主よ、あなたが私を救って下さらなければ、
とうていできません。お願いです、清めて下さるように願うことをお許し下さい、
私の霊魂を憐れんで下さい、お望みなら兄弟のために品位をもって祈ることができます
ようにして下さい。
♡ ヴァッスーラ あなたの言葉を聞いて喜んでいる ふさわしくないことに気がつくまでは
完徳への道を歩み始めないからだ ♡
1078: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/15(水) 15:45:28.95 ID:sCa7IUwRs(2/8)調 AAS
私も反省しなければなりません。
1079(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/15(水) 15:51:10.12 ID:sCa7IUwRs(3/8)調 AAS
>>1061
>あなたは全く、主(イエス・キリスト)を知りません。
>主が本当の神であり、救い主であることを。
>どれほど慈悲深い父なる神であるかを。
>それを理解しないうちは悟ることも救われることも出来ないでしょう。
これは言い過ぎでした。
申し訳ありません。
1080(1): 2014/10/15(水) 16:58:39.87 ID:Wq9gFDIDL(1/9)調 AAS
>>1079
ヨハネさま。
その、ヨハネさまのおことばは、ほんとうに真実です。
あとで理由は言いますが。
ほんとうにありがとうございました。
昨夜から書き込みしてないのは、気分を害しているわけではありません。
医師がいうには、季節性×× の障害があって、
気温が下がってくると、やたら眠くて書けないのですww。
それも、あの、三位一体について考えているので、よけいに眠いです。
こちらこそ、申し訳ございませんでした。
三位一体については、ヨハネさまの勘違いではありません。
スウェーデンボルグ(派)の解釈がそうだったんですね。
お詫びします。
スウェーデンボルグ(派)がなぜそう解釈したか、にも理由があるかもしれません。
・・・だからではないか、と思うことはありますが、事実はわからないでしょう。
最初に、スウェーデンボルグの三位一体解釈があって、
それから(正統な)三位一体論を聞くと、ヨハネさまのおっしゃることになるのですね。
三位一体論について、いろいろな説があるということは、決まった解釈がないのでしょうか。
まあ、私にとっては、だいたいわかればそれでいいし、重要でもないのですが。
このスレをみる方が、そのところを疑問に思われるので。
「なぜ、イエス・キリストが父なのですか?」
また、あとで書きます。とりあえず、ありがとうございました。
1081(2): 2014/10/15(水) 21:42:24.98 ID:Wq9gFDIDL(2/9)調 AAS
>>1072
>スウェーデンボルグから実はキリストは唯一の神ご自身、すなわち父なる神ご自身である
最初から、挨拶の決まり文句のように、
『父と子と聖霊の御名においてアーメン』と言っていれば、
そういうものだと思えば、深く考えないのかもしれません。
「神は父、イエス・キリストは子」
「聖霊」 (ハトであらわされる。)
それが、三位一体。
「三 が 一」
「神は父、イエス・キリストは子」
「イエス・キリストは神の子」 新約聖書にも何度もでてくると思います。
「神、イエス・キリスト、聖霊 」 私は、別のものと考えています。
だから、逆に、「イエス・キリストは神ご自身」とすると
わからなくなります。
しかも、これは、三神論ではありません。
「子=イエス・キリスト」「聖霊」は 「神=父 からでたもの」
1082(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/15(水) 22:04:57.13 ID:sCa7IUwRs(4/8)調 AAS
>>1080
いえ、私は自分がまだ修行の身なのに、人のことなど言える筋合いはありませんでした。
申し訳ありません。
>それも、あの、三位一体について考えているので、よけいに眠いです。
確かに、そうだろうと思われます。
>最初に、スウェーデンボルグの三位一体解釈があって、
>それから(正統な)三位一体論を聞くと、ヨハネさまのおっしゃることになるのですね。
ええ、すべてスウェーデンボルグからの受け売りです。
でも、私はなるほどそのとおりと思っています。
>「なぜ、イエス・キリストが父なのですか?」
改めて、なぜ?と聞かれると何とご説明したらいいのか私も戸惑います。
スウェーデンボルグの説明を読んで、なるほどその通りだとインスピレーション(直感)
が湧きました。
1083(1): 2014/10/15(水) 22:13:14.44 ID:Wq9gFDIDL(3/9)調 AAS
>>1082
ヨハネさま、こんばんわ♪
ヨハネさまが、他のかたから誤解されている、
すべての誤解のもとは、ここにあると思います。
>>1070
「しかし、スエボグによってカトリックの三位一体の部分をいじくって信仰しているために、」
2ch.scスレ:psy
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『主の教義』からの抜粋
アタナシウス信条について
58 この信条(アタナシウス信条)は、複数人格の三一性(Trinitas Personarum)
のかわりに単一人格の三一性(Trinitas Personae)と理解するなら、
ことばの表現に関するかぎりすべて真理である。これを
書きなおすと次のようになるであろう。
外部リンク[html]:wwwd.pikara.ne.jp
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1084: 2014/10/15(水) 22:15:09.79 ID:Wq9gFDIDL(4/9)調 AAS
>>1083
つづき
しかし、最初から、現行のカトリックは
「単一人格の三一性(Trinitas Personae)」
現行のカトリックの三位一体とは、
ヨハネさまの「ヴァッスーラにおける三位一体」のページにあるとおりです。
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
ヴァッスーラにおける三位一体が、現行のカトリックの三位一体でないとしたら、
カトリックの高位聖職者が、好意的であるはずがないと思います。
外部リンク[htm]:tenshikan.jp
最初から、現行のカトリックは「単一人格の三一性(Trinitas Personae)」
だというのは、三位一体論の形成には、
ネオプラトニズム(新プラトン主義)の思想があった ということだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ネオプラトニズム (Neoplatonism) は、プラトンのイデア論を継承し、
万物は一者から流出したもの(流出説)と捉える思想で、
紀元3世紀頃にプロティノスによって展開され、ルネサンス期にイタリアで再び盛んになった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1085(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/15(水) 22:21:43.81 ID:sCa7IUwRs(5/8)調 AAS
>>1081
>「イエス・キリストは神の子」 新約聖書にも何度もでてくると思います。
>「神、イエス・キリスト、聖霊 」 私は、別のものと考えています。
ええ、確かにその「神の子」あるいは「人の子」という表現は福音書によく出て来ます。
しかし、「神」と明言されているところもあります。
すると、どちらを取るかということになってしまうと思います。
老婆に見えたり、少女に見えたりする「騙し絵」をご存知だと思われます。
私は「騙し絵」のようで、人によって、どちらかを重視するということなのだろうと
思います。
1086(2): 2014/10/15(水) 22:35:40.06 ID:Wq9gFDIDL(5/9)調 AAS
>>1085
それについては、書かれたものはたくさんあると思いますが、
一例として、こういうことでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「父と子と聖霊のみ名によって」という、主ご自身がわたしたちに与えた洗礼の定式から出発して、
(聖ヒラリオは)自らの三位一体論の神学を展開します。
御父と御子は同じ本性をもっています。
新約聖書のある箇所は、御子が御父に劣るかのように思わせることがあります。
そのため、ヒラリオは人を惑わせる解釈を避けるための正確な規則を示します。すなわち、
聖書のある箇所は神としてのイエスについて語り、
他の箇所はイエスの人間性を強調します。
ある箇所はイエスが御父とともに先在したことを示します。
他の箇所はイエスがご自分を低くされ(ケノーシス)、死に至るまで降られたことを考察します。
最後に別の箇所は、イエスが復活の栄光に上げられたことを観想します。
「ポワティエの聖ヒラリオ」
教皇ベネディクト十六世の111回目の一般謁見演説
外部リンク[htm]:www.cbcj.catholic.jp
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1087(1): 2014/10/15(水) 22:43:13.46 ID:Wq9gFDIDL(6/9)調 AAS
>>1086
ベネディクト16世教皇さまのこの演説は、
三位一体の解釈にはいいと思ったので、
前に、全部対訳したらどうなるか、試験的にやっていたのですが、
これについて、わかったこと
「量が多くて、全部対訳は大変だ」
主イエス・キリストは父なる神 2014.9.03
2ch.scスレ:psy
1088(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/15(水) 23:14:36.42 ID:sCa7IUwRs(6/8)調 AAS
>>1087
>前に、全部対訳したらどうなるか、試験的にやっていたのですが、
>これについて、わかったこと
>「量が多くて、全部対訳は大変だ」
すごいですね。たいした集中力です。
>>1086
>御父と御子は同じ本性をもっています。
この表現が問題です。著者は父と子を別人(神)と思っているのでしょうか?
それとも同一人物(同一神)と思っているのでしょうか?
あるいは以下の表現もそうです。著者は父と子を二人の方と思っているのか、
一人と思っているのか、という疑問が私にはあります。
>御子が御父と本質において「類似する」ことを告白することを受け入れる人々に対しては・・
>完全な信仰によれば、御父と御子は類似しているだけでなく、神性において真に同等だからです。
1089(1): 2014/10/15(水) 23:17:01.82 ID:Wq9gFDIDL(7/9)調 AAS
ヨハネさま、
ずっと、ヨハネさまのおっしゃることがわからなくて、
それは、アルカナ(秘密)なのかも? もう、ついていくのは、だめかもしれない…
とか思っていました。
スウェーデンボルグの言葉の解釈の違い だったのかもしれない、といま思っています。
ヨハネさまのおっしゃる三位一体も、現行のカトリックの三位一体も
ほとんど、同じものだとわかってもらえれば、
このスレも、もっと理解されるのではないかな〜♪
と、なんか希望がでてきます。
この看板をおろさずにすみます。
「主イエス・キリストは父なる神 」
1090(3): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/15(水) 23:24:02.82 ID:sCa7IUwRs(7/8)調 AAS
哲学者や神学者は非常に難しい話をしますが、要するに父と子を二人と思っているのか、
それとも同一人物と思っているのか、ということだと思います。
あなたは別人と思っているとのこと。
正直で良いと思います。
>>1081
>「神、イエス・キリスト、聖霊 」 私は、別のものと考えています。
1091: 2014/10/15(水) 23:41:02.86 ID:Wq9gFDIDL(8/9)調 AAS
あれは、4回分の演説です。
「聖ボナヴェントゥラ」の回が、3回で一つだったので、量が多くなりました。
前にも、言いましたが、ぶちぶち切って読まないと、理解しにくいので、
>父と子を二人と思っているのか、それとも同一人物
これについては、別とも同一とも言えない、「子は父から出たもの」
このような解釈は、そもそもなぜそのような解釈になったのか、から
ご説明しないといけないのですが。
ヨハネさまは、ずっとスウェーデンボルグ派の解釈でいらっしゃったし、
私も、どう説明すればよいのか、難しいところがあるかもしれません。
私も、現行のカトリックの三位一体を完全に理解しているわけではありませんし、
スウェーデンボルグ派の三位一体については、昨日知ったばかりです。
教皇の一般向け演説ですから、カトリックの教義から、あまりはずれた講義はなさらないと思います。
ヨハネさまのご質問の件は、>>1088
「現在のカトリックの三位一体の理解で、解釈するもの」だと思われます。
その現在のカトリックの三位一体の理解とは、
ということになりますが、いま、ここで、すぐ出せる適当なものはないのです。
すみません。
1092(2): 2014/10/15(水) 23:53:02.12 ID:Wq9gFDIDL(9/9)調 AAS
>>1090
今、ひとことで言えば、
◎ そとの円が「父」で、内の円が 「子」
こんな感じでしょうか。
まだ、いろいろ解釈はありますが。
1093(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/15(水) 23:58:33.62 ID:sCa7IUwRs(8/8)調 AAS
>>1089
>スウェーデンボルグの言葉の解釈の違い だったのかもしれない、といま思っています。
>ヨハネさまのおっしゃる三位一体も、現行のカトリックの三位一体も
>ほとんど、同じものだとわかってもらえれば、
うーん・・・、なかなかそうは行かないのです。
スウェーデンボルグは父と子は二人(二神)ではなく、一人(一神)だと
言っています。そして、プロテスタントであれ、カトリックであれ、
口では「一体」であると言うが、心の中では二人の神を考えていると明確に
言っているのです。
初代教会の人びとは主(イエス・キリスト)を唯一の神と認識していたが、時代が
降るとそのことを信じなくなり、窮余の策として「三位一体論」を考案した、
それは主を辛うじて神と何らかのつながりのある者として捉えさせることに一時的に
成功したが、却ってそれ以降三神論を助長させることとなった、これによってキリストの
神性は完全に剥奪されるに至り、キリスト教の内的崩壊を招いた、という趣旨のことを
述べています。
私もそう思います。
1094: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 00:18:52.54 ID:0JphgqnEu(1/13)調 AAS
>>1092
> ◎ そとの円が「父」で、内の円が 「子」
なるほど、おもしろいです。これは初めて聞きました。
私は逆で、内の円が「父」で、外の円が「子」と思っています。
(◎)です。
私たち自身を考えていただければ良いと思いますが、
霊魂が父、身体が子、活動が聖霊、です。
私たちは霊魂と身体と活動(動き)がまさに一体となっていて、初めて
私たち自身です。
私たちの霊魂は見えませんが、身体を見て、私たちだと思います。
身体は声を発したり、動いたりしますが、声や動きそのものを分離する
ことは出来ません。私たちがしゃべっているのであり、私たちが動いて
いるのです。
神もまさにそうです。霊魂を父、見える身体を子、働きや活動を聖霊と
呼んでいるに過ぎないというのです。
サンダー・シング流にいえば、神は天では父と呼ばれ、世では子と呼ばれている、
ということです。天には「内部」という霊的意義もあると思われます。
1095(1): 2014/10/16(木) 00:24:05.33 ID:y6CrauLW0(1/18)調 AAS
>>1093
>初代教会の人びとは主(イエス・キリスト)を唯一の神と認識していたが、時代が
>降るとそのことを信じなくなり、窮余の策として「三位一体論」を考案した、
ここが、一般に言われていることと、違っていると思います。
三位一体論を考案したのは、「『イエス・キリスト』を神に祀り上げるため」
唯一の神と認識されていたのは、イエスが「父」と呼んていた「神」
キリスト教の教義確立のため、
「イエス・キリスト」を神に祀り上げたが、それでは、「二神」 になるので、
一神教でないといけないので、そこで、考え出されたのが、「三位一体論」
三位一体論は、ギリシャ哲学の影響がありますが、
ヨハネ福音書成立にも、すでに、ギリシャ哲学の影響があったと思われます。
そこが、三位一体論を成立させやすかった理由でしょう。
>主(イエス・キリスト)を唯一の神
「主 」「YHVH」「 キリスト」「神」 これのヘブライ語解釈まで問題にしないと
解決しないかもしれません。わたしは、できませんが。
1096: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 00:31:18.39 ID:0JphgqnEu(2/13)調 AAS
私の方で言い換えると、
主は天におられるときは父なる神、エホバと呼ばれた神であるが、
御自ら世に降られ、イエス・キリストと呼ばれた。
これはイザヤ書にある通りです。
イザヤ9・5
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。
ちなみに、マザー・テレサもそういう捉え方をしているようです。
マザー・テレサ/わたしはあなたを忘れない/P60
神のたいへんな謙遜さを見てください。全能の神が幼子として来られたのです。
それでは。
主イエス・キリストは父なる神ご自身
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
1097(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 00:40:41.58 ID:0JphgqnEu(3/13)調 AAS
>>1095
>ここが、一般に言われていることと、違っていると思います。
仰るとおりです。
>「イエス・キリスト」を神に祀り上げたが、それでは、「二神」 になるので、
>一神教でないといけないので、そこで、考え出されたのが、「三位一体論」
宗教評論家たちはそう言います。
しかし、初代教会の人びとは本当に主を神ご自身と信じたのだと思います。
私も信じます。
父なる神が御父自ら世に降られた、だからこそ有難いのです。
これを信じられるようになったら本当に喜びが溢れて来ます。
あなたに主の平安がありますように。
1098: 2014/10/16(木) 07:22:59.66 ID:y6CrauLW0(2/18)調 AAS
>>1097
✝ また、ヨハネさまにも主の平安がありますように。
1099(2): 2014/10/16(木) 08:33:48.17 ID:y6CrauLW0(3/18)調 AAS
ヨハネさま。昨夜は遅くまでありがとうございました。
ヨハネさまは、現行のカトリックの三位一体を理解していらっしゃるのに、
>父なる神が御父自ら世に降られた、
それを、現行のカトリックの三位一体だと、お認めにならない。
だから、そこを解決できれば、 希望あり♪
とおもいますが♪。
>1090
>あなたは別人と思っているとのこと。
>正直で良いと思います。
別だと思っていても、
新プラトン主義の解釈で、「別」 (「子」は「父」より流出)
と言ったので、カトリックの解釈で言えば、それは、「同じ」です。
(言葉では、こう言うしかありませんけれどw)
>>1092
>なるほど、おもしろいです。これは初めて聞きました。
わたしは、初めから、カトリックの三位一体は重層的といってましたww
>> ◎ そとの円が「父」で、内の円が 「子」
>私は逆で、内の円が「父」で、外の円が「子」と思っています。
(◎)です。
「子は父より出て」をあらわす場合、ヨハネさまのおっしゃるほうが、正確だと思います。
「◎ そとの円が「父」で、内の円が 「子」」
これは、
「父」から見た場合、「子」は内側の円、
「子」から見た場合、「父」は外側の円
そういう解釈です。
1100: 2014/10/16(木) 08:35:29.24 ID:y6CrauLW0(4/18)調 AAS
2chで、私が、三位一体のことを書くとは思ってもいませんでしたw。
だから、まだここで書けるほど、まとまった考えがあるわけではありません。
三位一体に関しては、私は先に、新プラトン主義について知っていたので、
(キリスト教関連で)、少し見て、納得したので、それ以上難しいことを考えるのはやめました。w
今、説明するためにやりなおしですが、どこまで説明できるかですw。
たくさんの方がHP書いてくれているので助かりますw。感謝。
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キリスト教三位一体と新プラトン主義の流出説
外部リンク[html]:blogs.yahoo.co.jp
プロティノスと新プラトン主義
外部リンク[html]:philosophy.hix05.com
ネオプラトニズム(新プラトン主義)のプロティノスが唱えた流出説
完全なる一者(ト・ヘン)から段階を経て世界が流出して生み出されたとする思想で、
高次で純粋な世界より、低次で物質的な混濁に満ちた世界へと流出は進み、
最終的にこの世界が形成されたとする。
この流出過程を逆に辿ることができれば、純粋で精神的な高次世界へと帰還して行ける
・・・とプロティノスは考えた。
プラトンのイデア論から端を発するギリシア哲学者の絶対的完全な一神教の世界観と
ユダヤ教やキリスト教の世界観が、どこかの地下水脈で結合している。
カバラ創世記 第三段階 世界の修復
外部リンク[html]:blogs.yahoo.co.jp
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1101(1): 2014/10/16(木) 08:52:48.58 ID:y6CrauLW0(5/18)調 AAS
私は、スウェーデンボルグ神学についてはよく知らないです。
当時の、スウェーデンボルグの思想の背景を明らかにすることが大事だと思うのですが。
よく知らないのに、こんなことは まだ書くのははずかしいですけれど、
今のところで、わたしがおもうことです。思うだけですw。
>スウェーデンボルグは父と子は二人(二神)ではなく、一人(一神)だと
>言っています。そして、プロテスタントであれ、カトリックであれ、
>口では「一体」であると言うが、心の中では二人の神を考えていると明確に
>言っているのです。
これは、スウェーデンボルグの著作が書かれた当時のことではないでしょうか。
すべての人の心の中は、じつは、スウェーデンボルグはわかるのですか?
「神の子イエス」言われても、必ずしも、二人の神を考えるとは限りません。
そんなこと、いちいち考えない人も多いと思います。
明確に言うのは、当時の三位一体論のうちで、
明確な間違いの三位一体論があったから、かもしれません。
>初代教会の人びとは主(イエス・キリスト)を唯一の神と認識していたが、時代が
>降るとそのことを信じなくなり、窮余の策として「三位一体論」を考案した、
>それは主を辛うじて神と何らかのつながりのある者として捉えさせることに一時的に
>成功したが、却ってそれ以降三神論を助長させることとなった、これによってキリストの
>神性は完全に剥奪されるに至り、キリスト教の内的崩壊を招いた、
『主(イエス・キリスト)』が何を指すのか、明らかにしないと、全く違う解釈になります。
「窮余の策として <人間、ナザレのイエスを神として祀り上げることで>「三位一体論」を考案した、」
と解釈すれば、『主(イエス・キリスト)』の神性は剥奪されたことになります。
1102(1): 2014/10/16(木) 08:54:07.85 ID:y6CrauLW0(6/18)調 AAS
「三神論」とは、当時あった、別の解釈の三位一体論のことかもしれません。
別の解釈の三位一体論について、こちらのHP に参考になることがありました。
(イルミナティとかは、無視してくださいw)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
東方ミトラにエジプト学派の流れを癒合させた。
それがスウェデン・ボルグ(1688-1772)である。
三位一体とは、ヘルメス・トリスメギストス=「三重に偉大な者」の意味で、
「神官、王、哲学者の3つの立場のヘルメス」という、
エジプト学派が持ち込んだものだからだ。
ボルグが、部分的に否定した三位一体は、
エジプト学派の侵略しすぎた三位一体、
エジプト3神化したものであって三重のヘルメス、
本来のヘルメス学に基づく三位一体は否定していないんだよ。
外部リンク:www.mkmogura.com
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1103: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 10:27:26.80 ID:0JphgqnEu(4/13)調 AAS
>>1099
>ヨハネさまは、現行のカトリックの三位一体を理解していらっしゃるのに、
>>父なる神が御父自ら世に降られた、
>それを、現行のカトリックの三位一体だと、お認めにならない。
>だから、そこを解決できれば、 希望あり♪
>とおもいますが♪。
おはようございます。たくさん有難うございます。
平信徒で、単純にキリストを唯一の神ご自身と思っている方はきっといらっしゃると思います。
ですけれど、教職者の方がたはどうなのかと、疑問を抱いています。
本当に父と子という表現にもかかわらず、同一人物(同一神)であって、神はただお一人
だと思っているのだろうかと。
>>1090
>>あなたは別人と思っているとのこと。
>>正直で良いと思います。
>別だと思っていても、
>新プラトン主義の解釈で、「別」 (「子」は「父」より流出)
>と言ったので、カトリックの解釈で言えば、それは、「同じ」です。
>(言葉では、こう言うしかありませんけれどw)
ということは、あなたご自身では父と子は同一人物とお考えなのですか?
1104: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 10:55:25.55 ID:0JphgqnEu(5/13)調 AAS
私はとても単純にしか捉えられない人間で、哲学的な話は苦手です。
初代教会の人々も単純に把握したのだと思っています。
つまり、ナザレのイエスは唯一の神ご本人であって、メシアでありキリストであると。
もちろん、そう思わなかったユダヤ人が大半であり、結局十字架につけられたわけですが。
あなたも教会の伝統破壊を嘆いておられるように、信仰心というのは段々薄れるものだと
私は考えています。最初は主を神と思っていたのに、段々とそうは思わなくなってゆく、
唯一の神ご自身がこの世に降られたなんて信じられない、と思うようになってゆくもの
だと考えます。
最初は神と思っていなかったけれど、教団が後にイエスを神に祭り上げたという発想は
それを主張している人は端から主を神などと思っていないことが明らかですし、
信仰心が時代が降るにつれて段々強まると言うのなら、それもおかしいという気がします。
もしそれがでっちあげの話なら、そんなにたくさんの人が信じるだろうかとも
思います。そんな話に騙されるほど当時の人は愚かだろうかと。
私は、それが本当だからこそ、最初の人々は、数は少数であったでしょうが、信じたのだ
と思います。私自身も本当だと思うから信じるのです。
嘘だと思ったら信じません。
1105(2): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 13:29:26.58 ID:0JphgqnEu(6/13)調 AAS
>>1099
>ヨハネさまは、現行のカトリックの三位一体を理解していらっしゃるのに、
>>父なる神が御父自ら世に降られた、
>それを、現行のカトリックの三位一体だと、お認めにならない。
それと、「父なる神が御父自ら世に降られた」というのが
現行のカトリックの三位一体の考えなのでしょうか?
1106: 2014/10/16(木) 19:46:48.52 ID:y6CrauLW0(7/18)調 AAS
ヨハネさま。ありがとうございます。
今、何からお答えしていいのか 考え中です。
仏教の世界で言うと、たくさんの宗派があっても、別にかまわないです。
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お釈迦様の教えは一つなのに、なぜこのように多くの宗派が成立したのでしょうか?
一つは、お釈迦様の教えは八万四千の法門(教え)といわれるほど多く、
しかもそれが方便(相手に分かりやすいように時と場合に応じて説くこと)
をもって説かれているからです。
したがって同じことを説いても、その解釈によって違いが生じてくるのです。
そうした解釈の違いが、様々な宗派を生み出したといえるでしょう。
さらに、後世の仏教徒は膨大なお釈迦様の教えの中から、
自分が最も正しいと思うものを選び取りました。
外部リンク[htm]:www.good-stone.com
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異端は弾圧するというキリスト教(カトリック)世界とは、全く違うわけです。
1107: 2014/10/16(木) 19:51:11.14 ID:y6CrauLW0(8/18)調 AAS
ヨハネさまは、ヨハネさまの神学(ジャングルジム)をお作りになっているので、
それは、それでいいと思うのですが。
しかし、「布教」ということになると、「相手にわかってもらわなければならない」
ことになります。「わかるやつだけついてこい」で、ついてくる人がいたらいいですが、
なかなか釣られない(例外wwとネカマは除く)場合は、変えなくてはいけないことがあるかもしれません。
でも、せっかくいままで作ってこられたヨハネさまのジャングルジムです。
ヨハネさまが、いいと思われているなら、このままでもいいことです。
わたしが、一部でも壊してしまうことは、もしかしたら、よくないかもしれません。
わたしが思うには、
ヨハネさまは、現行のカトリックをもう少し理解されれば、(誤解されていることが多いのではと思います)
たいへん将来性があって、新しいキリスト教の宣教師さまにふさわしいお方、だと思っています。
無神論スレでも、助言して応援していた方も、(複数かも)いらっしゃいました。
1108: 2014/10/16(木) 19:52:47.54 ID:y6CrauLW0(9/18)調 AAS
>父と子という表現にもかかわらず、同一人物(同一神)であって、神はただお一人
仏教的に言えば、それにこだわる必要はないと思うのですが。
人がどう考えているか、は、はっきり言ってわからないことです。
だいたい、共通の認識がないと理解できないと思います。
ただお一人の「主」の方向に向いていれば、それでいいと思いますが。
「イエス・キリスト」は神の子ですが、ユダヤ教では、全ユダヤ人が「神の子」だそうです。
人格神で考えると、一人か二人か問題ですが、
霊的なものであれば、一つが三つ、三つが一つになることもあるかもしれません。
神の世界、霊の世界は、人の理解を超えていると思います。
あの、、これは、わたしの考えですが。
1109: 2014/10/16(木) 20:40:57.13 ID:y6CrauLW0(10/18)調 AAS
現行のカトリックといっても、最近は自由すぎて、神父さまは好きなことを言ってもいいようです。
カトリックといえば、世界11〜12億人の組織で、世界中には、いろいろなカトリックがあるでしょう。
そこで、基本的なカトリックの考えは、私は、前教皇の著作が参考になるかと思います。(私の考えですが)
前教皇は神学者。教皇ヨハネ・パウロ2世の時代には、教義面で支えた方(枢機卿)です。
==================================================
ベネディクト16世 (ローマ教皇) (1927年4月16日 - )
第265代ローマ教皇(在位:2005年4月19日 - 2013年2月28日)
1981年:教皇庁教理省長官
『カトリック教会のカテキズム』 教皇ヨハネ・パウロ2世は1986年に
教皇庁教理省長官 ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(現・名誉教皇ベネディクト16世)を
責任者とする12名の枢機卿と司教を任命し、カテキズムの草案作成を委託した。
--------------------------------------------------------------------------------
第2バチカン公会議ではケルン大司教ヨーゼフ・フリングス枢機卿の神学顧問。
1981年11月、教皇ヨハネ・パウロ2世は、ラッツィンガーを教理省の長官に任命した。(ー教皇位を受けるまで)。
教理省はかつて検邪聖省といわれていたもので、古くは異端審問を担当した組織である。
カトリック教会において是認されている教義に異を唱える神学者に対して厳しく対処するなど、
保守派の代表格とみなされていた。
ヨハネ・パウロ2世の健康状態が悪化するにつれ、教皇の側近であり実質的に教皇庁をとりしきっていた。
教皇就任前の2005年4月初頭には『タイム』誌の「世界でもっとも影響力のある100人」の一人に選ばれている。
1110(1): 2014/10/16(木) 20:42:16.94 ID:y6CrauLW0(11/18)調 AAS
>>1105「父なる神が御父自ら世に降られた」
教皇ベネディクト十六世の降誕祭ミサ説教 2012年12月24日
神が幼子となったことは、いつもあらためてわたしたちを感動させます。
だからわたしたちは神を愛することができます。あえて神を愛します。
そして、信頼をこめて、幼子である神を腕に抱きます。
神はこういっておられるかのように思われます。
わたしは知っています。わたしの輝きがあなたを恐れさせることを。
わたしの偉大さの前であなたが自己主張しようとすることを。
そこで今、わたしは幼子としてあなたのもとに来ます。
それは、あなたがわたしを受け入れ、愛することができるようにするためです。
主の降誕の記事のもう一つのことばをご一緒に考えてみたいと思います。 ←「主の降誕」
この聖なる夜、神ご自身が人となりました。
預言者イザヤが告げたとおり、ここで生まれた幼子は「インマヌエル」、
われらとともにおられる神となります(イザヤ7・14参照)。
習慣となった考え方や生き方を離れて、単なる物質的な世界を超えて行こうと。
それは、彼方にある本質的なもの、神に至るためです。
そして神も、こちら側にいるわたしたちのもとに来てくださいます。
主に祈りたいと思います。…
とくに主が至聖なる聖体のうちにご自身をわたしたちの手と心にゆだねてくださるとき、
わたしたちが主と出会うことができますように。
神はもっとも重要な存在です。究極的にいうなら、本当に重要な唯一の存在です。
外部リンク[htm]:www.cbcj.catholic.jp
1111(1): 2014/10/16(木) 20:48:32.11 ID:y6CrauLW0(12/18)調 AAS
>>1105
教皇ベネディクト十六世の2012年4月8日の復活祭メッセージ(ローマと全世界へ)
すべてのキリスト信者はマグダラのマリアが体験したことをあらためて体験します。…
それは、唯一の人であるかたとの出会いです。
このかたはわたしたちに神のいつくしみとまことをことごとく体験させてくれます。…
なぜなら、神ご自身が、わたしたちと人間性をともにするほど、近くに来てくださったからです。
外部リンク[htm]:www.cbcj.catholic.jp
1112(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 21:16:23.34 ID:0JphgqnEu(7/13)調 AAS
>>1110-1111
ありがとうございます。
意外でした。こんなことを仰る方がいたとは。
受洗して10数年経ちますが、こんなことを仰る方は初めてです。
しかし、どうも釈然としません。
これまで何人もの神父様の説教を聴いても、そんなお話しは聞いたことが
ありませんし、いかにも別人(別神)と捉えているというのが窺がえました。
これは一体どういうことなのでしょう。
本当にカトリックの教職者は皆、あるいは殆どの方が、主イエス・キリストを父なる神
ご本人と理解されているのでしょうか?
質問なのですが、
では「聖霊」については何と思っているのでしょうか?
「聖霊」もイエス・キリストご本人とカトリックでは理解しているのでしょうか?
もし、カトリックが父と子と聖霊をすべてイエス・キリストご本人と
思っているというのであれば、どうして父と子と聖霊と書かれているのか
理由は何と言っているのでしょう?
あなたご自身は結局、イエス・キリストは父なる神ご本人と思っておられる
のでしょうか?
1113: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 21:36:39.08 ID:0JphgqnEu(8/13)調 AAS
>>1101
>これは、スウェーデンボルグの著作が書かれた当時のことではないでしょうか。
スウェーデンボルグは全著作を通じて、現在では(当時)イエス・キリストを
神ご自身と考えている人間は非常に少ないことを言っているかと思います。
彼は確かにルター派が国教となっているスウェーデンの人ですが、
カトリックのことを知らないはずがありません。
彼自身は、聖言が読まれていることに関して、プロテスタントを評価していますが、
全般的にはカトリックの方を評価しています。カトリックの方が行いや悔い改めを
重視しており、天界へ入りやすいと。
でも、今のカトリックの信仰が主を神ご自身と考えているとなると、
信仰心が強まったことになり、普通の流れからいくと不自然な気がします。
信仰心というのは時代とともに薄れるものと思うからです。
現に、あなたも以前より伝統が破壊されていることを嘆いておられるのでは
ないでしょうか?
1114: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 21:49:10.24 ID:0JphgqnEu(9/13)調 AAS
それと、私が釈然としないのは、現在の教職者たちは聖言の霊的意義、すなわち
「内意」をよくご存知であるとは思えませんし、「外観の法則」もご存知とは
思えません。これはスウェーデンボルグを通じてはじめて主が啓示されたことでは
ないかと思うのです。個人的に主から直接教えられていた聖人はいたかもしれませんが。
例えば、主イエスが神の右の座に着かれた(マルコ16・19)などという
言葉をどう理解されているのでしょう?
1115(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 22:01:20.18 ID:0JphgqnEu(10/13)調 AAS
現行のカトリックが主を神ご自身と考えていないのではないかと思う理由の一つに
ミサにおいて、ぶどう酒を信徒に拝領させないことです。
主がご命令されているにもかかわらず、そうしないということは、主を神ご自身と
考えているとは思えません。
1116(1): 2014/10/16(木) 22:35:41.73 ID:y6CrauLW0(13/18)調 AAS
ヨハネさま、こんばんわ。
いつもありがとうございます。
もうしわけありませんが、私は、日本の教会の事情は、直接は知りません。
前にもいいましたが、正平協=日本のカトリック教会=ローマ・カトリック と思っていたので、
昭和天皇崩御の頃から、カトリック教会からは離れていました。
第二ヴァチカン公会議のあと(1970年ごろ)から、カトリック教会は変わったのですが、
日本の教会については、こんなHPがありました。既出ですが、そういうことだそうです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
カトリック中央協議会. 「カトリック風日本教」
「カトリック風の日本教会」ではなく「本当のカトリック」を知りたい人や、
…海外のメディアに頼るしかないのかもしれない。
日本のミサがカトリック教会の本当のミサからいかに逸脱しているか、
信徒が気付くきっかけともなりかねない本を、中央協が出版したのだから。…
典礼秘跡聖省の「聖体の年」を送るための提案(その中には、)
およそ日本の風潮と正反対のことが提言として挙げられている。
外部リンク[html]:andreabonazzi.blogspot.jp
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんなことばかり、表にでているようですが。
【正平協】カトリック大阪、さいたま他【反ローマ】XXXIX
2ch.scスレ:psy
1117(1): 2014/10/16(木) 22:43:54.52 ID:y6CrauLW0(14/18)調 AAS
>>1115
聖体拝領については、パンとぶどう酒
聖体は舌で受ける、それが理想なのですが。
ぶどう酒の場合、こぼれる。
舌で聖体を受けると、落ちる。
衛生上の問題、時間がかかるなど、
いろいろ問題があって、現実的には
理想どうりにはいかないからです。
「跪く」高齢の方にとっては、難しいです。
だから、「・・・でなければいけない」と
決まってないほうが、信徒にとってもいいと思います。
許可されていると思えば、罪悪感で悩むこともありません。
1118(2): 2014/10/16(木) 23:08:04.29 ID:y6CrauLW0(15/18)調 AAS
>あなたご自身は結局、イエス・キリストは父なる神ご本人と思っておられる
のでしょうか?
「父なる神」私の場合、「父なる神」は人格神ではありません。
だから、ご本人 とかいう概念がありません。
さっきも言いましたが、神の世界、霊の世界は、人の理解を超えていると思っています。
だから考えても、仕方がないと思って考えません。
神・イエスについては、聖書に書いてあるとおり、
「イエスが父よ」と呼びかけられるときは、そのとき、
父よ、と呼びかける存在があるのだろう、と思うのです。
1119(3): 2014/10/16(木) 23:10:14.16 ID:y6CrauLW0(16/18)調 AAS
私の宗教的な知識は、日本のカトリック以外からのものです。
今のように情報がありませんし、私に学歴と読書力がなかったので、
難しいことは学んでいませんが、いろいろな宗教が入っています。
神理解は、他宗教からキリスト教の神を理解したので、
だから、純粋なキリスト教、カトリックの考えではありません。
しいて、言うなら、「永遠哲学」的な神理解です。
「永遠哲学」(根源的普遍的真理、それゆえ形而上学的原理の全体を意味する)
外部リンク[html]:schuon.at.webry.info
それで、(新興宗教は除いて、)ほとんどの伝統宗教は受け入れられるのですが、
キリスト教、特に、カトリックだけはどうしても理解できませんでした。
それは、十字架・贖罪でした。他の宗教でそういうことは普通ないと思います。
贖罪というのは、イエスさまの教えではなかったのですね。
1120: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 23:12:05.06 ID:0JphgqnEu(11/13)調 AAS
>>1116
>もうしわけありませんが、私は、日本の教会の事情は、直接は知りません。
そうですか。
私の見たところでは、主を神ご自身と考えておられる神父様はおられない
ように思えました。
>>1117
諸般の事情があるにせよ、私たちにもぶどう酒を拝領させていただければ嬉しいです。
1121(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 23:13:27.88 ID:0JphgqnEu(12/13)調 AAS
しかし、今夜はこの辺で失礼します。
主の平和。
1122: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/16(木) 23:23:36.29 ID:0JphgqnEu(13/13)調 AAS
>>1118
>「父なる神」私の場合、「父なる神」は人格神ではありません。
>だから、ご本人 とかいう概念がありません。
>神・イエスについては、聖書に書いてあるとおり、
>「イエスが父よ」と呼びかけられるときは、そのとき、
>父よ、と呼びかける存在があるのだろう、と思うのです。
なるほど。
>>1119
明日拝読いたします。
ありがとうございます。
1123: 2014/10/16(木) 23:28:36.04 ID:y6CrauLW0(17/18)調 AAS
>でも、今のカトリックの信仰が主を神ご自身と考えているとなると、
>信仰心が強まったことになり、普通の流れからいくと不自然な気がします。
>信仰心というのは時代とともに薄れるものと思うからです。
最初から「主は神ご自身」だと思います。三位一体論の最初のときから、そうでした。
信仰心は、強くなったり、弱くなったりするものだと思います。ふりこのように。(宗教改革)
日本でも、1990年代 その頃は 宗教ブームでした。
教義として、ずっと、「主は神ご自身」でも、その時代の背景は変わって、
スウェーデンボルグのときは、明らかな三神論の三位一体の考えが、
庶民レベルであったのだと思われます。
歴史は、表と裏がありますから、教会では正統な教義が言われていても、
庶民のなかでは、魔術、まじない、オカルトが流行っていました。
1124: 2014/10/16(木) 23:33:50.11 ID:y6CrauLW0(18/18)調 AAS
>>1121
ヨハネさま、ありがとうございました。
✞ 主の平和
1125(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/17(金) 08:00:31.79 ID:1MIzQiC6U(1/7)調 AAS
>>1119
>神理解は、他宗教からキリスト教の神を理解したので、
>だから、純粋なキリスト教、カトリックの考えではありません。
>しいて、言うなら、「永遠哲学」的な神理解です。
>「永遠哲学」(根源的普遍的真理、それゆえ形而上学的原理の全体を意味する)
おはようございます。
初めて「永遠哲学」というのを知りました。
生長の家の谷口雅春氏が書いていた「万教帰一」に似ています。
しかし、おそらく、「永遠哲学」の方が元祖で、谷口氏はそこから学んだの
でしょう。しかし、これはニューソートそのもののような気がします。
では、ニューソートの定義は何かということになりますが、結論から言うと
それは最終的には無神論のような気がします。
それを神と称しているものの、神の中味が違うという意味で。
>>1102でスウェーデンボルグについて、帰一教の元祖のように説明している
HPをご紹介いただきましたが、これはよくある誤解だと思います。
確かに、ニューソートはスウェーデンボルグを利用していることがあると思いますが、
だからといって、スウェーデンボルグがニューソートであるというのは違います。
スウェーデンボルグは神は人格神であり、それはイエス・キリストその方である
と言っています。イエス・キリストは唯一の神ご自身であると言っているので
あって、そんなことを言うニューソートなど聞いたことがありません。
ご参考
スウェーデンボルグはニューソートではない
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
1126: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/17(金) 10:43:44.37 ID:1MIzQiC6U(2/7)調 AAS
私は神を知る前はまさに自己崇拝の塊でした。
今でもそうですが、非常に痛い目に会ってそれはまずいということだけは知っています。
ただなかなか出来ないだけです。
今も、自己愛と世間愛と悪戦苦闘しています。
1127(2): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/17(金) 15:09:26.76 ID:1MIzQiC6U(3/7)調 AAS
>>1119
>それで、(新興宗教は除いて、)ほとんどの伝統宗教は受け入れられるのですが、
>キリスト教、特に、カトリックだけはどうしても理解できませんでした。
>それは、十字架・贖罪でした。他の宗教でそういうことは普通ないと思います。
>贖罪というのは、イエスさまの教えではなかったのですね。
仰る意味は違うと思いますが、今ふと考えたのですが、神を知るということは
痛みと引き換えのような気がします。
痛みとはつまり「悔い改め」です。主がしきりに「悔い改めよ」といわれますが、
悔い改めを要求するのはひょっとしてカトリックだけなのかもしれないと今思いました。
1128: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/17(金) 18:21:28.62 ID:1MIzQiC6U(4/7)調 AAS
贖うとは次のことであるとスウェーデンボルグは述べています。
真の基督教95(5)
贖罪の行為とは、彼は霊界で最後の審判を為し、悪しき者を善き者から即ち山羊を
羊から分離し、天界から龍の獣達と一つになっていた者を放逐し、価値ある者によって
新しい天界を、無価値な者によって新しい地獄を形成し、徐々に凡ゆる物を至る所で
秩序に回復し、地上に新しい教会を建設し給うたという事であった。
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
1129: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/17(金) 18:33:39.95 ID:1MIzQiC6U(5/7)調 AAS
>>1118
>「父なる神」私の場合、「父なる神」は人格神ではありません。
>だから、ご本人 とかいう概念がありません。
(ご参考)
人間
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
主のご人性によって主を把握する
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
>神・イエスについては、聖書に書いてあるとおり、
>「イエスが父よ」と呼びかけられるときは、そのとき、
>父よ、と呼びかける存在があるのだろう、と思うのです。
(ご参考)
主はエホバと他の者と語られるように語られた(主の卑下の状態)
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
1130: 2014/10/17(金) 19:21:32.96 ID:VueNOYAtq(1/9)調 AAS
>>1125
永遠の哲学(えいえんのてつがく)とはあらゆる民族と文化に共通の真理であるとされる思想。(wiki)
という意味で、
世界の宗教的伝統(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、道教、儒教、
神道、シーク教、仏教 など)を基礎に、普遍的真理を学問する 哲学(のようなもの)です。
リンク先にあるのは、フリッチョフ・シュオン(形而上学者、比較宗教学者)
の「永遠の哲学」に関する思想の一部です。
同じページにあるリンク先にも、「イスラーム、インド哲学、ヒンドゥー教、仏教」
とありますが、(このHPの管理人さんの場合)
「永遠の哲学」とは、理論であって、実践は、それぞれの伝統宗教に従って、
ということになると思います。
(その意味では、万教帰一の宗教、
ニューソート、その他の新興宗教、もここからでたもの かもしれませんが、
「永遠の哲学」は、伝統的な普遍的真理に関する学問、私は、それだけだと思っています。)
1131(1): 2014/10/17(金) 19:23:45.23 ID:VueNOYAtq(2/9)調 AAS
私の、場合、まず、第一は「カトリック」だったのですが、
やはり、「十字架・贖罪」がどうしても理解できませんでした。
まだ堅信・初聖体の前ですから、ここはどうしても理解して、
受け入れなければいけないと思っていましたから。
「十字架・贖罪」がキリスト教の基本だと思っていました。
受け入れられないことに罪悪感がでて、ますます病むスパイラルでした。
聖書にもこうありますから。↓
ヨハネによる福音書 8
「 あなた方がわたしの話すことを理解しないのはなぜなのか。
それはあなた方がわたしの言葉を聞くことができないからだ。
あなた方は自分たちの父,悪魔からの者であり,自分たちの父の欲望を行ないたいと思っている。
彼ははじめからの人殺しであって,真理の内に立たない。彼の内には真理がないからだ。」
だから、「永遠の哲学」は救いでした。キリスト教だけが真理ではないと、思ったからです。
しかし、基盤がキリスト教ですから、(なくすと精神的な安定をなくしてしまう)
簡単に棄てるわけにもいかずに、ずっと悩みでした。
ヨハネさまには、こういうときに助けていただきました。
その後もずっとお世話になっています。
ほんとうにありがとうございました。
1132(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/17(金) 20:38:56.13 ID:1MIzQiC6U(6/7)調 AAS
>>1131
>まだ堅信・初聖体の前ですから、ここはどうしても理解して、
>受け入れなければいけないと思っていましたから。
それはいくつくらいの時だったのですか?
>「十字架・贖罪」がどうしても理解できませんでした。
それはどういうことだと思われていたのですか?
1133(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/17(金) 20:43:41.62 ID:1MIzQiC6U(7/7)調 AAS
まだ書けるのですね。
>それはどういうことだと思われていたのですか?
というか、どういう内容に対して、理解できなかったと仰るのですか。
1134: 2014/10/17(金) 21:30:05.22 ID:VueNOYAtq(3/9)調 AAS
>>1132
まず、初聖体から。
聖体拝領は、2歳頃から知っていて、興味あるので、列にだけは並んでいました。
もちろん、聖体拝領はできませんでしたが。
母が言うには、「聖体いただけなかったら、また後ろに行って列に並んでいた」と言って
おもしろがっていましたけど。よほど、食べ物に執着があったのでしょうね。
神父さまは祝福は下さったのでしょうね。おかげさまで。いまおめぐみをいただいています。
初聖体ということを知ったのは、中学に入る前でした。洗礼を受けた教会から、お誘いがありました。
(洗礼台帳から、中学生になることは教会はわかっていたので、中高生担当の神父さまから)
それまで、日曜学校は行っていなかったので、
中学生で初聖体はまだというのは、私以外には、ほとんどいなかったとおもいます。
今と違って、当時は幼児洗礼だけでは、聖体拝領はできなかったのかもしれません。
それから、なんだかんだあって、いい加減早くしないと、このままお終いになるかもとか、
まじめに考えたのが、10年ぐらい前でしたが。結局、やめましたが。
1135: 祝 「主イエス・キリストは父なる神」 1000KB 達成 2014/10/17(金) 21:41:37.14 ID:VueNOYAtq(4/9)調 AA×
![](/aas/2chsc_psy_1408866599_1135_EFEFEF_000000_240.gif)
1136(1): 2014/10/17(金) 21:53:16.08 ID:VueNOYAtq(5/9)調 AAS
>>1133
ひとことで、「刑罰代受説」です。
日本人にとって理解が難しいとして、よく言われている、
「十字架、生贄」 について、言われていること、そのとおりです。
あと、やたら、「罪人」とか。これもよく言われますが。
生まれてきたら、「罪人」になるなら、子供をつくるということは、
「罪人」をつくることになります。
子供からも、うらまれそうです。
こんな苦しみは、自分の代で終らせたいとか、思ってしまいます。
1137: 2014/10/17(金) 22:09:43.43 ID:VueNOYAtq(6/9)調 AAS
やはり、ほかの方も思っているのですね。知恵袋にもありました。
外部リンク:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
キリスト教会は原罪などというでっち上げを垂れ流し人々を苦しめるのか?
私は、原罪思想は人を惑わす、悪質な思想であると考えます。
(人は確かに「狂った存在」の面はありますがその根底は善であるはずです。)
1、人には原罪があると脅迫する。
2、キリスト教に入信すれえば救われるといって誘い込む。
3、キリスト教から離れると罪に溺れ地獄に落ちると言い人の心を縛り付ける。
パウロの原罪論の問題点は。人の可能性を奪い取ってしまうことにあると思います。
キリスト教のみによる救いへと、人の全への可能性を奪い取り、
脅迫し、キリスト教という泥沼に人間を囲い込み。
そこで教会が人間の生存権までの権限を握ってしまうことに問題があるのです。
1138(2): 2014/10/17(金) 22:46:17.53 ID:VueNOYAtq(7/9)調 AAS
>>1112
>意外でした。こんなことを仰る方がいたとは。
>受洗して10数年経ちますが、こんなことを仰る方は初めてです。
ヨハネさまが、「初めて」とは、私も意外でした。
前教皇さまは、1981年(教皇庁教理省長官(枢機卿))〜2013年2月(教皇退位)まで、
ずっと、教義面で、カトリックの最高位にいらっしゃったのですが。
日本のカトリック教会は、前教皇の文書は、信徒に積極的に公開することはなかったのでしょうか?
翻訳の問題もありますが、「都合の悪い文書は隠している」というのは本当だったのでしょうか。
日本の教会は、前教皇のことはよくおもっていない、とか、2chに書き込みありました。
前教皇の言われることと、逆なことをしていましたから。
典礼破壊、共産主義とか。
カトリック教会のカテキズム 2425 Catechism of the Catholic Church 2425
「カトリック教会は、共産主義または社会主義などの現代に関連する全体主義や無神論のイデオロギーに反対する。
(中略)専ら中央集権化された計画による経済の規制は社会の枷をゆがめ(中略)
市場や経済的な自発性の合理的な規制、価値の適切な階層の維持、公益の視点などが求められる。」
外部リンク[htm]:www.scborromeo.org
「土着化」という言葉がありますが、日本のカトリック教会は土着化に努力してきたんですね。
このHP にもありますが、
外部リンク[html]:www.janis.or.jp
既出のHPでも、「カトリック風日本教」とか言われていましたが。
それに満足している方もいらっしゃるようですね。
でも、ヨハネさまが、「初めて」とおっしゃるほど、
日本の教会は、本当のキリスト教から離れてしまったのでしょうか。
1139(1): 2014/10/17(金) 22:49:07.67 ID:VueNOYAtq(8/9)調 AAS
私も、前教皇さまの文書を読むと、その「唯一の」とか、そういう所が、理解できなくて、
日本で、今のカトリックはそういう雰囲気ではないですし、(外国の事情は知りませんから)
だから、昔の排他的なカトリックのような感じがして、受け入れ難かったです。
その他の部分は、、ほんとうにいいと思うのですが。
やはり、他宗教から見たら、よく思わないのか、前教皇に対して、「苦情が寄せられた」とか。w
しかし、永遠の哲学のところででた、フリッチョフ・シュオン(この学者は名前しか知りませんでした)
の別のページをみたら
、
「アプリオリに、あるいは公教的には、キリスト教の真理の要素は、既に述べたように、
キリストが神であり、キリストのみが神であるという公理である。」
「キリストが神であり、キリストのみが神である」これが公理だったんですね。
ヨハネさまのおっしゃることも納得できるような気がしました♪。
前教皇さまの著作も。
ヨハネさまのおかげです。ありがとうございました。
1140: 2014/10/17(金) 23:18:07.45 ID:VueNOYAtq(9/9)調 AAS
>>1127
教皇さまの演説の中では「回心」ということがよく言われていました。
==============================================
「回心する」とは、イエスの福音に生活を具体的に導いてもらいながら、イエスに従うことです。
神に自分を造り変えていただき、自分が自分の人生を築くのだと考えるのをやめることです。
わたしたちは被造物であり、神とその愛により頼む者だと認めることです。
神のうちで自分のいのちを「失う」ことによってのみ、それを得るのだと認めることです。
そのために、神のことばの光に照らして決断を行わなければなりません。
現代において、単にキリスト教的な起源をもつ社会に生きているということだけで、
キリスト信者だということはもはやできません。
キリスト教的家庭に生まれ、そこで宗教教育を受けた者であっても、
日々、キリスト信者となる決断を新たにしなければなりません。
すなわち、世俗文化がつねに示すさまざまな誘惑と、現代に生きる多くの人々が示す批判的な見解に対して、
神に第一の場を与えなければなりません。
「イエスの誘惑と天の国のための回心」
教皇ベネディクト十六世の347回目の一般謁見演説 2013年2月13日
外部リンク[htm]:www.cbcj.catholic.jp
===============================================
1141(1): 2014/10/18(土) 00:32:04.26 ID:7/N0VGWwT(1/4)調 AAS
>>1127
「悔い改め」は、仏教、イスラム教ほか、他の宗教でもあると思いますが、
キリスト教とは 意味が違うのでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
キリスト教がローマの国教となって以来近代に至るまで、
現在でも多くの教会の聖職者(牧師、神父など)が語る福音とか
・・・人間は生まれながら罪人である(狭義の原罪)、
だから罪を悔い改めて福音を信じ、イエスを救い主(狭義のキリスト)として受入れなさい、
そうすれば救われます・・・ではなかったでしょうか?
つまり、人間は罪深いものであり、赦される事なしに救われない、
イエス・キリストは十字架に掛かる事で人間の罪を贖い、復活して永遠の命を得ているのだから、
イエスをキリストとして信じる事のみで、人間の罪が赦され活かされる、
これがキリスト教の福音の根本であると。
新約聖書中「悔い改め」 「罪」の出現回数
外部リンク[htm]:www.geocities.jp
1142(1): 2014/10/18(土) 08:04:16.19 ID:7/N0VGWwT(2/4)調 AAS
>>1138
(ご参考)
また、ベネディクト16世は著書の中で「私たちが今日経験している教会の危機は、
『あたかも神が存在していないかのような(etsi Deus non daretur)』の原則に従って行われた改革の結果である
『典礼の崩壊』が原因であると、私は確信しております。」と述べたことがあり、
2007年に自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」を発布し、その中で
「多くの地域で、新しいミサ典礼書の規定が忠実に守られなかったためです。
それどころか、実際に、新しいミサ典礼書が『典礼を創造的に行うこと』を正当化し、
さらには要求しているとまで考えられたからです。
この『典礼を創造的に行うこと』は、しばしば耐えがたいしかたで典礼をゆがめました。
わたしは経験から述べています。わたしもあの希望と混乱に満ちた時期を体験したからです。
そしてわたしは、典礼を勝手にゆがめることが、
教会の信仰に完全なしかたで根ざした人々をどれほど深く傷つけたかを目にしてきました。」と、
第2バチカン公会議以降の行き過ぎた典礼刷新を戒めた。
教会の危機
外部リンク:ja.wikipedia.org
1143: 2014/10/18(土) 08:07:14.81 ID:7/N0VGWwT(3/4)調 AAS
>>1142
「教皇ベネディクト十六世の
全世界の司教への手紙-1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって」 より
ミサ典礼の「特別な形式」である1962年のミサ典礼書の使用に関して、
わたしは次のことに注目していただきたいと思います。すなわち、
このミサ典礼書が法的な意味で廃止されたことは決してありません。
したがって、このミサ典礼書は原則的にはつねに認められてきたということです。
このような望みが生じたのは、何よりも、多くの地域で、
新しいミサ典礼書の規定が忠実に守られなかったためです。それどころか、実際に、
新しいミサ典礼書が「典礼を創造的に行うこと」を正当化し、
さらには要求しているとまで考えられたからです。
この「典礼を創造的に行うこと」は、しばしば耐えがたいしかたで典礼をゆがめました。
わたしは経験から述べています。わたしもあの希望と混乱に満ちた時期を体験したからです。
そしてわたしは、典礼を勝手にゆがめることが、
教会の信仰に完全なしかたで根ざした人々をどれほど深く傷つけたかを目にしてきました。
1962年のミサ典礼書の使用は、この典礼書とともに育った古い世代に限られると考えられていました。
しかし、やがて、若者もこのミサの形式を再発見し、この形式に引きつけられ、
これが至聖なる聖体の神秘と出会うためのとくに自分たちに適した形式だと考えていることが明らかになりました。
(パウロ六世のミサ典礼書)
――それは、この典礼書の典礼規則に従ってできるかぎりうやうやしく典礼を行うことです。
このことは、このミサ典礼書の霊的な豊かさと深い神学的な意味を明らかにします。
ローマ・ミサ典礼書の二つの版の間には何の矛盾もありません。
典礼史には、成長や発展はあっても、決して断絶はありません。
過去の人々にとって神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。
外部リンク[htm]:www.cbcj.catholic.jp
1144(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 09:08:36.57 ID:yvtlmLq+7(1/13)調 AAS
>>1141
おはようございます。夕べは早く寝てしまいました。
たくさんありがとうございます。順不同ですが、思ったことを書かせていただきます。
>「悔い改め」は、仏教、イスラム教ほか、他の宗教でもあると思いますが、
>キリスト教とは 意味が違うのでしょうか。
他宗教について私は殆ど全く知りません。
しかし、「悔い改め」の意味、内容は同じであろうと推測します。
なぜなら、同じでなければおかしいからです。
人間は同じです。同じ神から造られたものであって、神も実は同じ神です。
人間がそのことを認識していないだけです。
ですから、「悔い改め」も同じはずです。
そして、人間は「悔い改め」なければ「再生」は不可能です。
悔い改め
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
>イエス・キリストは十字架に掛かる事で人間の罪を贖い、復活して永遠の命を得ているのだから、
>イエスをキリストとして信じる事のみで、人間の罪が赦され活かされる、
>これがキリスト教の福音の根本であると。
よくある、「刑罰代償説」「信仰義認説」ですが、全く誤りです。
1145: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 09:28:27.61 ID:yvtlmLq+7(2/13)調 AAS
>>1136
>ひとことで、「刑罰代受説」です。
>日本人にとって理解が難しいとして、よく言われている、
>「十字架、生贄」 について、言われていること、そのとおりです。
「刑罰代受説」は間違いです。
そんなことは不可能であって、正義に反することは常識ある人なら誰でも
分かることです。間違いだから理解出来ないし、受け入れられることはないのです。
「十字架」「生け贄」については追って述べたいと思います。
刑罰代償説
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
>あと、やたら、「罪人」とか。これもよく言われますが。
罪、原罪とは「遺伝悪」のことです。特に「自己愛」という悪のことです。
原罪
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
遺伝悪
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
自己愛
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
悪
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
1146: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 09:51:18.01 ID:yvtlmLq+7(3/13)調 AAS
>>1138
>前教皇さまは、1981年(教皇庁教理省長官(枢機卿))〜2013年2月(教皇退位)まで、
>ずっと、教義面で、カトリックの最高位にいらっしゃったのですが。
もちろんお名前は存じております。しかし、どのようなことを言われたかは
知りません。
>日本のカトリック教会は、前教皇の文書は、信徒に積極的に公開することはなかったのでしょうか?
>翻訳の問題もありますが、「都合の悪い文書は隠している」というのは本当だったのでしょうか。
>日本の教会は、前教皇のことはよくおもっていない、とか、2chに書き込みありました。
>前教皇の言われることと、逆なことをしていましたから。
>典礼破壊、共産主義とか。
何度も申し上げましたが、私は独学でキリスト教を学びました。聖書と新しい啓示群によって。
それらは、実は神である主イエス・キリストの御言葉であって、恐れ多くも大胆な
ことを言ってしまうと、直接主から教わったのだと思っています。
ですから、私は、確かにカトリック教会に属していますが、自分の信仰が固まって
から教会を自分で選択して行ったので、教会から教わったことはなく、日本の
カトリック教会がどんなことをしているのか殆ど知らないのです。
カトリック教会を愛していますが、所謂カトリック・フリークではなく、
単なるクリスチャンであり、主や聖母と心で語り合いたいと願っているだけで、
私の中では現在殆ど教会、教会組織は介在していません。教会へ行くのはミサに与らせて
いただくだけです。
十数年ミサに通っているだけであり、教会の歴史や伝統についても殆ど知らないのです。
ミサの説教だけでは現在のカトリックの流れなどの話はあまり出てきません。
隠しておられるかどうかもよく分かりません。
1147: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 11:37:15.29 ID:yvtlmLq+7(4/13)調 AAS
>>1139
>「アプリオリに、あるいは公教的には、キリスト教の真理の要素は、既に述べたように、
>キリストが神であり、キリストのみが神であるという公理である。」
>「キリストが神であり、キリストのみが神である」これが公理だったんですね。
本当はそうなのですが、実際のところそれが信じられているとは私は思いません。
カトリック、プロテスタントに限らず、キリスト教界全般に、もちろん部外者も
もう、キリストは唯一の神ご本人であると理解している人は殆どいないと思います。
「刑罰代償説」「信仰義認説」が跋扈しているのがその証拠です。
これは父なる神とキリストを別人(神)と捉えていることに相違ないからです。
あなたも、父というものがキリストとは別にあるのだろうと思っておられるように。
父が人格神と捉えるかどうかは別として。
父と呼んでいるのは主の中の善、愛そのもの、内なるもの、神性そのものを意味
しているのであり、子と呼んでいるのは主の中の真理、身体、外なるもの、人間性
を意味しているに過ぎないのです。
主が人間の身体を持った(受肉した)神とはそういうことです。
神が受肉されて来られたのがキリストなのです。ですからキリストとは神ご本人
なのです。キリスト以外に父と呼ばれる神など存在しないのです。あるいは
聖霊と呼ばれる神など存在しないのです。
私たちが、中味は霊魂で、外は身体を持っているのと同じです。そして声を
発したり、行動したり、それら全部をあわせて、私たち自身なのです。
1148: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 11:53:26.33 ID:yvtlmLq+7(5/13)調 AAS
では、他の宗教の神はにせものか?というと、そうではなく、それも同じ
神なのです。神とは万物の創造主なのですから。
宗教は神が啓示されて存在しています。それが世界中に伝播して行ったのです。
太古の昔から、カナンの地に神は啓示されたそうです。
そこからユーラシア大陸、アフリカ、アメリカへと伝播して行ったのです。
民族、時間の要素が加わって、神の名や教義内容は全く異なるもののように
見えるのですが、宗教はもともと一つなのです。
宗教の要件は神を信じ、神の掟に従って生活することです。
ですから、どの宗教でもその神を信じ、その掟に従って善良な生活を送れば
天界へ行けるのです。他生であなた方の信じていた神とは主のことであると
教わるのです。
1149: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 12:35:24.64 ID:yvtlmLq+7(6/13)調 AAS
(主は人間の形をとられたエホバ御自身であられ、または父であられることを知られたい)
天界の秘義9315[3]
主が人間として生まれることをよしとされた理由は、主は人類を救うために、
人間的なものを現実に着けられて、それを神的なものとするためであった。
それゆえ主は人間の形をとられたエホバ御自身であられ、または父であられる
ことを知られたい、このことをまた主御自身ヨハネ伝に教えておられるのである―
わたしと父とは一つである(10・30)。
イエスは言われた、これから後は、あなたらは父を知り、また見ている、わたしを
見た者は父を見たのである。わたしは父の中におり、父はわたしの中におられると
いうわたしを信じなさい(14・7、9,11)。
わたしのものであるものはことごとくあなたのものであり、あなたのものは
ことごとくわたしのものであります(17・10)。
1150: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 12:38:18.76 ID:yvtlmLq+7(7/13)調 AAS
(父と子と聖霊の意味)
霊界日記4340
主はその弟子たちに父、子、聖霊の名において洗礼をほどこすように命じられたが
(マタイ28・19)、このタイトル[敬称、称号]は、その内意では、善いもの、
真のもの、そこから生まれてくる善と真理との凡てのもの以外には何ごとも意味
していないのである。父は善いもの、子は真のもの、聖霊はそこから発出している
善いものと真のものである。この凡てのものは主のみの中にあるのである。
1151: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 14:26:54.51 ID:yvtlmLq+7(8/13)調 AAS
(あたかも、主御自身とは相違した方に祈られるかのように祈られた)
天界の秘義1999[2]
主は主の父エホバを崇拝され、エホバに祈られたこと、また主は、エホバは主の中
におられたけれども、あたかも、主御自身とは相違した方に祈られるかのように祈
られたことも福音書の聖言から知られている。しかし主がこれらのときその中に
おられた状態は主の卑下の状態であり、その性質は第一部に述べられたところで
ある。すなわち、主はそのとき母から来ている弱い人間的なもののうちにおられた
のであるが、しかしそれを脱ぎ棄てて、神的なものを着けられるに応じて、主の
栄化の状態と呼ばれている他の状態の中におられたのである。前の状態の中では
主はエホバを、エホバは主御自身の中におられたけれども、御自身とは異なった
方として崇められたのである。なぜならすでに言ったように、主の内なる人は
エホバであったからである。しかし後の状態では、すなわち、その栄化の状態では、
自分自身と話されるものとしてエホバと話されたのである。なぜなら主はエホバ
御自身であられるからである。
1152: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 14:31:34.97 ID:yvtlmLq+7(9/13)調 AAS
(神的なものは人間的なものとは異なって、分割出来ないもの)
天界の秘義1999[5]
しかし主の内なるものはエホバ御自身であった。なぜなら主は、エホバからみご
もられたもうたために、エホバ御自身であられて、人間の父からみごもる息子の
場合とは異なって、(父から)分離されて、他のものとなることは出来ないから
である。なぜなら神的なものは人間的なものとは異なって、分割出来ないもので
あり、同一のものであり、また同一のものとして存続するからである。この内な
るものに主はその人間的な本質を結合されたのであり、そして主の内なるものは
エホバであったため、それは人間の内なるもののような生命を受容する形ではな
く生命そのものであったのである。主の人間的な本質もまた合一により同じよう
に生命になされたのであって、そのため主は御自身が生命であると極めてしばし
ば言われたのである。例えばヨハネ伝には―
父は御自身の中に生命を持たれるように、子にも子自身の中に生命を持たせられた
(5・26)。
その他その同じ福音書の中に他の記事が記されている(ヨハネ1・4、5・21、
6・33、35、48、11・25)。
それ故主は母から遺伝により受けられた人間的なものの中におられたに比例して、
主はエホバとは明確に区別されるものとして現れ、エホバを御自身とは異なった
者として崇められたのである。しかし主がこの人間的なものを脱ぎ棄てられたに
応じ、エホバとは区別されないで、エホバと一つの者であられたのである。前の
状態は、前に言ったように、主の卑下の状態であったが、しかし後のものは主の
栄化の状態であったのである。
1153: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 14:45:13.51 ID:yvtlmLq+7(10/13)調 AAS
昔、「スーパーマン」というアメリカのTVドラマがありました。
スーパーマンは普段は大人しい「クラーク・ケント」という新聞記者で、
同僚の女性記者からは頼りない男と思われています。
しかし実は彼はスーパーマンその人であり、ひとたび危機が来ると、人のいない部屋に
駆け込み、上着を脱ぎ捨て、ネクタイを毟り取るなり、スーパーマンに変身して窓から
空中へ飛び立つのです。機関車より早く。
皆さんは主イエス・キリストをただの人間であり、頼りない聖人と思っておられるの
ですが、実は万軍の主・エホバその方なのです。
1154: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 15:02:38.22 ID:yvtlmLq+7(11/13)調 AAS
(主の試練)
天界の秘義1651
本章(創世記14章)は主の試練の争闘をとり扱っており、それがここに記さ
れている戦いにより表象され、また意味されている。
天界の秘義1652
外なる人の中にあって、善と真理として見えたに過ぎなかったところの諸善と
諸真理とはそれによって主がその子供時代に幾多の悪と幾多の誤謬に対して戦わ
れたものであった。この外面的な諸善と諸真理とが一節に記されている王たちに
より意味されているが、しかし主がそれに向かって戦われた悪と誤謬とは二節に
記されている王たちにより意味され、これらは不潔なものであった(創世記14章三節)。
1155: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 15:05:56.83 ID:yvtlmLq+7(12/13)調 AAS
天界の秘義1653
主がそれに向かって戦われたこれらの悪と誤謬とは幼児時代以前には現れなかったが、
しかし子供時代になってほとばしり出たのである、それが彼らが以前には
ケダラオメルに仕えていたことにより意味されているのである(創世記14章四節)。
天界の秘義1654
主はレパイム人、ズジ人、エミ人、ホリ人であるところの、凡ゆる種類の誤った
確信[信念]と戦われて、それを征服され(創世記14章5、6節)次に、アマレク人
とアモリ人であるところの、いくたの誤謬と悪それ自身と戦われてそれを征服され(7節)、
後には8節から11節に記されている王であるところの他の誤謬と悪と戦われて、
それを征服されたのである。
1156: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/18(土) 15:27:45.42 ID:yvtlmLq+7(13/13)調 AAS
私たちは主が地獄の悪魔と戦っておられたことを知りません。
ほんの少しだけ、荒れ野で誘惑を受けられたことがマタイ4章などに載っています。
あるいは次の個所もそうです。
ルカ10・18
わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
ヨハネ12・31
今こそ、この世が裁かれる時、今、この世の支配者が追放される。
しかし、それだけではなく、幼少の頃から亡くなられるまでずっと戦っておられたのだそうです。
天界の秘義1661[2]
たれ一人悪と誤謬とは何であるかを学んで知らない中は、それで教育されない中は
悪と誤謬に反抗して戦うことは決して出来はしない。人間は自分の理解と判断と
を十分に用いない中は悪の何であるかを知らないし、ましてや誤謬の何であるか
を知らない、それが人間が成人期に達しない中は試練を受けない理由となっている、
それで人間はことごとくその成人期に試練を受けるが、しかし主はその子供時代に
それを受けられたのである。
1157: 2014/10/18(土) 16:37:23.69 ID:7/N0VGWwT(4/4)調 AAS
>>1144
ヨハネさま。たくさんありがとうございました。
とりあえず、お礼を先に。
それで、他のスレに、以下の書き込みがありました。
きょう(いままでも)このスレに書いていただいたことは、
ここだけではもったいないので、そのスレにコピペされたらいかがでしょう。
本当に心配なさっている方もいらっしゃるでしょう。
2chの愛されキャラ「小さなヨハネ」さん ですから。
かくれファンは多いかもしれません。
(元かくれファンがこのごろ大量にカキコしております、誰とは言いませんが)
★主イエス・キリストは父なる神 2014.10.3
2ch.scスレ:psy
40 :神も仏も名無しさん:2014/10/18(土) 11:44:20.56 ID:G6TEoITn+
小さなヨハネさん、書き込みがなくなりましたね、どうしたのかな?
主イエス・キリストは父なる神 2014.9.22
2ch.scスレ:psy
459 :神も仏も名無しさん:2014/10/18(土) 11:41:19.57 ID:QbPOC5MFz
小さなヨハネは、2ちゃんねるから消えたね
自分の愚かさに気がついたのだと思われます
1158: 過去ログ ★ [過去ログ] AAS
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