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【社会】血縁によって損われる平等…「祖父母頼みの子育て」を礼賛できないワケ | 東洋経済 [11/17]©2ch.net (22レス)
【社会】血縁によって損われる平等…「祖父母頼みの子育て」を礼賛できないワケ | 東洋経済 [11/17]©2ch.net http://anago.5ch.net/test/read.cgi/wildplus/1416239123/
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1: かじりむし ★ 転載ダメ©2ch.net [sageteoff ] 2014/11/18(火) 00:45:23.14 ID:??? 「祖父母頼みの子育て」を礼賛できないワケ | 日本婚活思想史序説 http://toyokeizai.net/articles/-/53438 (週刊東洋経済2014/11/8号)榛原赤人 2014年11月17日 もうすっかり忘れ去られてしまっただろうけれど、1年ほど前、ある自民党 の杉並区議が「子育ては本来は家庭で行うもの」とブログに書いて、働く女性 たちの批判の的になったことがあった。最近も「女性が男性と同じように働け るわけがありません。もともと、性差というものが存在するのですから。(中 略)「自己実現」のために「母親」という一番大切な役割を犠牲にしてしまっ ては、本末転倒です」などと書いているのを見ると、所属政党とも相まって、 保守的と見なされるのも当然なのだろう。 でも、これって本当に保守的だろうか?ぼくはそう思わない。そもそも核家 族を前提にして、専業主婦一人で子育てするなんて、日本の歴史でもまれな現 象にすぎないし、そういった家族こそが革新政党の支持者だったのではなかっ たか。保守的な子育てということを考えるなら、旧来的な共同体にはあった血 縁や地域(もしくは武家のような職分による共同体)による子育てこそ重視し なきゃいけないだろう。 ◆吉本芸人の親の生活保護受給問題を振り返っても…… けれど、地域共同体の役割が薄れた現在において、こうした考え方は決して 有効とはいえない。実際、そうした「地域社会の中の家族」とでもいうべきモ デルが失われるに従って、国家はそこで担われていた機能を代替してきたのだ。 血縁や地域と無関係に、個人や世帯が国家と直接向かい合うこうしたモデルを 「社会民主主義」モデルという。 ところが最近になって、地域が無理なら血縁と、「血縁家族」モデルへの回 帰が訴えられるようになってきた。一時期話題になった吉本芸人の親の生活保 護受給問題なんか典型的だ。追及した政治家たちは法的に不正受給じゃないん だと知ると一斉にモラルの欠如を難じたけれど、そうしたモラルの強調自体が、 血縁者は扶養義務を負うべきという「血縁家族」モデルへの志向を示すものだ。 そもそも、法的には、疎遠になった家族に対しても、カネを渡せばパチンコ につぎ込んでしまう親に対しても、扶養義務自体が消えることはない。実際に 扶養を行うかどうかについては家庭の状況が勘案されるのだけれど、法的義務 としての扶養義務が消えることはないのだ。 このことについて、ただでさえ親族の経済状況によって機会の不平等が生じ るというのに自助努力で成功してもまだ足を引っ張られるのか?そうした疑問 が出てきても筋違いとは責められないだろう。育ててもらったのだから感謝し ろというのは、恵まれた環境を与えられた者の理屈ではあっても、逆境で刻苦 勉励した者の理屈ではありえない。それゆえ、平等を志向する「社会民主主義」 モデルでは血縁に基づく扶養の実行を抑制してきたのだった。 にもかかわらず、自民党なんか勇敢にも憲法草案に「家族助け合い義務」を 盛り込んでいる。おじいさん政治家たちが「血縁家族」モデルへの憧憬を爆発 させた結果なのだろうけれど、でも、そうしたモデルがほかの世代からもある 程度の支持を得ているのには、それなりの現代的社会背景もあるはずだ。 ◆働くお母さんたちの中の不平等 まず想起される要因は高齢化で、高齢で健康な血縁者がいる可能性が高まっ たことだろう。加えて、戦後都会に移住した若い世代が今では都市部で祖父母 世代になって、居住地が近接する親世代の子育てに参画するケースが増えたっ て事情もあるかもしれない。ぼくの周囲にも、地域に頼れない代わりに、近く に住む親に頼ったり、元気な親を地元から呼び寄せたりして、自身は外で働く というお母さんが結構いる。 けれど、これは「血縁家族」モデルを支持する理由にはならない。血縁者に よる育児補助の強調は、結局、血縁者の状況によって平等が損なわれるという 「血縁家族」モデルの陥穽を再生産しているにすぎないからだ。子育てを手伝 ってくれる血縁者がいなかったり、血縁者が問題を抱えていたりして、親の片 方が仕事を辞めざるをえなくなれば、共働き親の家族との間に経済的・教育的 格差が生じることになる。それが「血縁家族」モデルの行く末なのだ。 モラルを高唱するのは結構だけれど、そのモラルを環境の異なる他人に強制 してはならないし、同じ理由で、モラルを政策に反映させようとすることには 抑制的じゃなければならないのだろう。今あの狂騒を思い出すたびそう思う。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/wildplus/1416239123/1
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