[過去ログ] 原爆投下は人類史上最大最悪の犯罪 3 (79レス)
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1: 2010/02/17(水) 12:50:05 0 AAS
そもそも無差別爆撃からして巨大な戦争犯罪だが、
その上、降伏寸前になってる国家への原爆投下は、
ノックアウトされたボクサーにガソリンまいて火を放つような行為である。
しかも、ウラニウム型とプルトニウム型の2種類投下したかったと推測され、
人体実験としての企みがあったことは明白。
おぞましき人類史の汚点である。
「原爆ホロコースト」の実態
外部リンク[html]:inri.client.jp
☆過去スレ
原爆投下は人類史上最大最悪の犯罪
2chスレ:whis
外部リンク:mimizun.com 925まで
原爆投下は人類史上最大最悪の犯罪 2
2chスレ:whis
外部リンク:mimizun.com
原爆投下の犯罪性 - コピペ集
外部リンク[php]:p2.chbox.jp
2: 2010/02/17(水) 12:51:00 0 AAS
☆関連スレ
トルーマンこそが真の戦争犯罪人
2chスレ:whis res129でdat落ち
外部リンク:mimizun.com 129まで
アメリカでは原爆について教育してるんですか?
2chスレ:whis res984でdat落ち
外部リンク:yomi.mobi 984まで
外部リンク:mimizun.com 931まで
原爆がドイツに落とされる可能性は無かったの?
2chスレ:whis res914でdat落ち
外部リンク:mimizun.com 914まで
【東京大空襲】米軍による無差別都市爆撃
2chスレ:history
外部リンク:mimizun.com 983まで
アメリカの最大の悪事と汚点
2chスレ:kokusai
3: 2010/02/17(水) 12:51:59 0 AAS
「原爆投下問題への共通認識を求めて−長崎の視点から」
外部リンク[html]:www.ops.dti.ne.jp
>最初に確認しておく必要があるのは、「原爆が第二次世界大戦の終結をもたらしたというより、むしろ戦争終結を
遅らせたということだ」(注4)(米国のマ−ティン・シャ−ウィン教授)という基本的事実である。米国は、すでに1943
年5月の軍事政策委員会や翌年9月の英国とのハイドパーク協定(1944年9月)で原爆投下の対象を日本にする
ことをほぼ決定していた。
>つまり、米国政府は都市の物理的破壊ばかりでなく都市住民の皆殺しを狙って新型兵器の実戦使用を行った
のであり、人体実験の性格が濃厚であったという主張である。これが真実であるならば、原爆投下は戦争の
短期化と人命の救済という「人道的行為」であったという「原爆神話」が根底から崩れ去ることになり、これまで
主張されてきたいかなる「米国の論理」をもってしても原爆投下を正当化することは到底できなくなる。
『原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀』
鳥居 民 (著) 草思社
外部リンク:www.amazon.co.jp
4: 2010/02/17(水) 12:53:14 0 AAS
陸軍長官スティムソンと国務次官グルーは、日本に降伏を勧告するときだと大統領トルーマンに何回も説き、
日本側が受け入れることができるように、天皇の地位保全を約束すべきだと主張した。それでも日本が降伏
を拒否するのであれば、そのときこそ原爆の投下を警告すべきだと説いたのである。
海軍長官フォレスタル、陸軍参謀総長マーシャル、海軍軍令部総長キングもまた、警告なしに日本の都市
に原爆を投下することには反対の立場であった。
ところが、トルーマンと彼のただ一人の協力者である国務長官バーンズは、日本に降伏を勧告する
スティムソンの草案から天皇の地位保全を認める条項を削ってしまう。
また、スティムソンの草案では共同提案国にソ連の名前が入っていたが、トルーマンとバーンズは、
日本がソ連に和平の仲介を依頼していることを日本外務省とモスクワの日本大使館との間の往復電報から
知り、ソ連の名前を削り、重慶の国民党政府に差し替えたのである。日本にソ連への期待を持ち続けさせ、
降伏勧告を無視させようとしてのことだった。
さらに、その降伏勧告をホワイトハウス、国務省からではなく、宣伝機関の戦時情報局から発表させた。
日本側をして宣伝文書と思わせるようにしたのである。
「原爆投下が米兵百万人救う」アメリカの大ウソ
外部リンク[htm]:kaz19100.hp.infoseek.co.jp
歴史家・鳥居民、自著を語る | 話題の本 | 書籍案内 | 草思社
外部リンク:www.soshisha.com
5: 2010/02/17(水) 12:54:14 0 AAS
『暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏』
長谷川 毅
中央公論新社
外部リンク:www.amazon.co.jp
Racing The Enemy: Stalin, Truman, And The Surrender Of Japan
Tsuyoshi Hasegawa
Belknap Pr (2005/5/15)
外部リンク:www.amazon.co.jp
元になる英語版
Racing the Enemy: Stalin, Truman, and the Surrender of Japan, (Harvard University Press, 2005).
は権威のある賞として知られているアメリカ外交史学会(SHAFR)のロバート・フェレル賞を06年4月に授賞
外部リンク[html]:src-h.slav.hokudai.ac.jp
第7回「読売・吉野作造賞」に長谷川毅氏
外部リンク[htm]:www.yomiuri.co.jp
第7回読売・吉野作造賞を受賞する 長谷川 毅(はせがわ つよし)さん 65
外部リンク[htm]:www.yomiuri.co.jp
原爆投下ではなく、ソ連参戦こそが日本の降伏の最大要因だった、との結論は、通説を大胆に否定したものだ。
発表直後、米国の学者らに、この分野の研究の基礎となる作品、と高く評価された。
6: 2010/02/17(水) 12:55:50 0 AAS
アメリカ指導者らの原爆投下不要論
2chスレ:whis res.94 95 377 612
外部リンク:mimizun.com
ルーズベルト大統領(当時)の主席補佐官ウイリアム・レーヒー提督は、開戦後間もない
昭和十七年(1942年)一月に出した覚え書きの中で
日本の野蛮人と戦う際は、かつて戦争ルールとして認められていたことを全て放棄しな
ければならい。
という当時米国内で言われていた言葉を引用しました。
トルーマン米大統領はポツダムにおける対日戦争終結のための会議に出席中に
原爆実験成功を知り、それを日本に対して使用することを直ちに決断しましたが、
その際の日記に
このことは遺憾であるが必要なことなのだ。なぜなら日本人は野蛮人であり、無慈悲、
残酷、狂信的だから
と記していました。相手を野蛮人と見なせば、又そういう理由にすれば
何をしても許されるという、人種差別、蔑視、偏見に基づく一方的な考え方でした。
外部リンク[htm]:homepage3.nifty.com
米軍の残虐行為:リンドバーグの衝撃証言
外部リンク[htm]:www1.u-netsurf.ne.jp
孤高の鷲〈下〉―リンドバーグ第二次大戦参戦記 学研M文庫
チャールズ リンドバーグ (著), Charles A. Lindbergh (原著), 新庄 哲夫 (翻訳)
外部リンク:www.amazon.co.jp
7: 2010/02/17(水) 12:56:39 0 AAS
太平洋戦争について
外部リンク[htm]:homepage3.nifty.com
原爆投下(一) 外部リンク[htm]:homepage3.nifty.com
原爆投下(二) 外部リンク[htm]:homepage3.nifty.com
東京裁判の際にオランダの代表判事をつとめたレーリンク(後述)によれば、アメリカが
日本に原爆を投下した理由について
ナチス・ドイツがユダヤ人を人間として扱わなかったように、米国も日本人を人間として
扱わなかったからだ
さらに連合国の国民(白人)は有色人種を、昔から人間以下とみなすように教育されて
きた。有色人種である日本人は人間ではないと、トルーマン大統領をはじめ政府、
軍の高官、科学責任者が感じていたからこそ、広島、長崎で数十万人を一瞬にして焼殺できたのだ
と述べています。
原爆開発を担当していたロスアラモス研究所から原爆投下作戦を指揮するために、
原爆搭載機の発進基地であったテニアン島に呼び寄せられたウイリアム・パーソンズ
大佐も、投下後の記者のインタービューに答えて、
ジャップがひどい目に遭うことについて、特別な感情はなかった
と語っていました。
当時のアメリカの雑誌タイムの記事によると、
普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを
示すような点はどこにもない
とありました
8: 2010/02/17(水) 12:57:29 0 AAS
5:人種蔑視に基づく残虐行為
外部リンク[htm]:homepage3.nifty.com
連合国側がおこなった非戦闘員の無差別大量虐殺、戦場における捕虜の虐殺や
戦闘能力を失った者に対する虐殺以外にも、戦死者の遺体に加えた冒涜行為などは
日本人の宗教的感覚とは相容れないものであり、その実態は彼等の残虐行為を戦場
で体験し、目撃した者が書いた以下の著作にあります。
その中には米軍兵士の残虐行為を目撃した米国人のものも、数多くありました。
昭和二十年(1945年)四月七日沖縄への海上特攻に赴いた戦艦大和をはじめ巡洋艦矢矧(やはぎ)
など二隻、駆逐艦三隻が敵の空襲を受けて沈没しました。
「現場の海面で浮遊物につかまり漂流中の無抵抗な乗組員に対して、空母を飛び立った米軍戦闘機
の群が執拗に来襲しては情け容赦もなく機関銃を撃ちまくり殺戮した。」(矢矧の原艦長の証言)
「この悲惨な状況をあざ笑うかのように、米軍機は何時間にもわたって、無抵抗の漂流者に執拗な
機銃掃射を加え続けた。」(著書、「伊藤整一」、大和と運命を共にした第二艦隊司令長官)
同様な残虐行為はニューギニア近海でもおこなわれました。昭和18年3月3日に起きたビスマルク海戦
(空襲)の結果、陸軍の兵士を乗せた輸送船八隻と駆逐艦四隻が敵機の攻撃により沈められましたが、
沈没した日本の艦船からボートや筏で逃れ、浮遊物につかまり漂流中の千名の兵士達に対して、
アメリカとオーストラリア軍の飛行機が低空から機銃掃射をおこない、機関銃の弾を撃ち尽くすと基地に
戻り弾を補給し、映画撮影のカメラマンまで乗せて何度も弾の補給に往復しては攻撃を続けました。
「決して男らしいやり方ではなかった」と第五爆撃隊のある少佐は戦闘記録の中で報告していました。
「隊員の中には気分が悪くなる者もいた」。
救命ボートやその周辺を文字どおり血の海に変えたその殺戮の様子を、機上から撮影した実写フィルム
が十年ほど前にオーストラリアのテレビ局から放映されて、国民に大きなショックを与えました。
「我々はフェアーな戦をしたと思っていたのに.....と」。(容赦なき戦い、ジョン・ダワー著)
ちなみに日本海軍では漂流者に対する攻撃を禁止していました。
9: >>8 の続き 2010/02/17(水) 12:58:23 0 AAS
終戦直後ある米陸軍大尉が公表した記事には、第四十一師団、捕虜を取らずという堂々たる見出しが
付けられていた。この師団が例外的に日本兵を捕虜にしたのは、軍事情報の収集のために捕虜が
必要な場合だけであった。(容赦なき戦争、副題太平洋戦争における人種差別、カリフォルニア大学教授
ジョン・ダワー著)
病院に対する爆撃
昭和十九年(1944年)五月二十四日にブーゲンビル島ラバウル基地にあった第八海軍病院が、
米軍機による攻撃を受けて、患者、看護婦、医師ら千四百名が死傷した。病院の屋根には国際法の
定めに従い、上空からよく見えるように赤十字の標識を大きく塗装していたにもかかわらず、それを
無視して病院の建物に対して爆撃や銃撃を加えるという国際法違反の非人道的攻撃をおこなった。
それ以後日本軍は病院施設に対する国際法違反の攻撃を防ぐために、地下壕や洞窟内部に病院
を設営することにした。
フィリピンのラグナラ州カランバには日本兵を収容するルソン第一捕虜収容所があったが、ここは
フィヒリピンにおける最大規模の収容所であった。米軍の発表によれば収容された捕虜のうち、
戦争が既に終了した昭和二十年(1945年)末までに、栄養失調で死亡した日本兵捕虜は
一万二千人にものぼった。
もし日本側の捕虜収容所がこのような米兵の大量死を起こしていたら、原因や経過はどうであれ、
B C 級戦犯裁判に掛けられて多数の責任者、兵隊が絞首刑になったことは間違いない。しかし
ここの米軍責任者は誰も罪を問われなかった。
太平洋戦争中の米国による日本人に対する残虐行為は、人種差別に根ざすものだと
英国人ジャーナリストのラッセル・スーパーは述べています。
「アメリカ人は絶望的になっている敵国人を殺戮することに、気がとがめなかった。彼らは太平洋
において人種戦争を常に派手に戦ってきた。新聞の大見出しになる種を探しているアメリカの
高官連中は公然と、日本人を殺すことはシラミを殺すよりも悪いことではないと言明した。
この残虐性は四ヶ月後に広島でその頂点に達することになる。」 (著書、戦艦大和の運命)
10: 2010/02/17(水) 12:59:36 0 AAS
1:アメリカによる残虐行為
外部リンク[htm]:homepage3.nifty.com
(1)、実験の項目に分類、二度の人体実験
米国のニューメキシコ州ロスアラモスにある米国最大のロスアラモス国立研究所の原爆に関する公文書によれば、
二回目の投下実験として、ウラン235を原料とした広島に投下した原爆が、三回目の投下実験として、それよりも
二倍の威力を持つプルトニュウム239を原料とした長崎に投下した原爆が、それぞれ実験という項目に分類されて、
被害の惨状全てが記録されています。
(2)、大統領が犯した戦争犯罪
戦場の異常な状況、特に生死の境に追いつめられた極限状態の中で兵士が殺人などの違法行為をするのは、
倫理的に許されるものではありませんが、心理的にはある程度の理解が可能です。
しかし戦場から何千キロも遠く離れたホワイトハウス、国防総省やロスアラモス研究所の事務机の上で、
女性子供を含む人口密集都市への投下により生じる人的被害の程度を冷静に計算し、予測し、その上で
計画を遂行した原爆投下の残虐行為に至っては、その計画者、承認者、投下命令者の悪魔的人間性を
物語る以外の何ものでもありませんでした。
この行為は大量のユダヤ人をガス室において殺害したナチス・ドイツが行った犯罪と、その残虐性、
その計画性においては同等です。彼等はその犯罪の故に死刑に処せられました。
(3)、投下に関する米国の世論調査
原爆投下から一ヶ月後の、昭和二十年九月におこなわれたギャラップ社の世論調査によれば、
原爆の使用について五十四パーセントがそれを是認していましたが、更に二十三パーセントが、
「日本が降伏の機会をつかまえないうちに、この爆弾をもっと落とすべきだった」と答えていました。
日本人は人間以下の、「ねずみ」や、「野蛮人」だという、ハルゼー提督(前述)が公言していた意見
と同じような考えを、多くのアメリカ人は持っていました。
11: 2010/02/17(水) 13:00:29 0 AAS
原爆投下計画
ヨーロッパ戦線での帰趨がまだはっきりしない昭和18年の時点で、アメリカは既に日本に対する原爆使用
を決め開発に着手していた。
原爆計画委員会の科学者顧問団は、原爆実験について下記のように答申した。
1、原爆は日本に対し出来るだけ早く使用すべきである。
2、原爆は日本政府に無条件降伏の最後の決断をさせる
よう、一大軍事施設に投下すべきである。
3、原爆は事前に予告せず軍事的に使用すべきである。
原子爆弾の使用される目標がドイツではなく日本であった理由は、黄色人種に対する人種差別以外の
何物でもない。
昭和20年5月、アメリカの目標選定委員会は原子爆弾の投下目標都市を選出した。
[AA級目標]…京都、広島 [A級目標]…横浜、小倉 [B級目標]…新潟
戦争中、京都が爆撃を受けなかったのは、アメリカが京都の文化財を守るために空襲しなかったからだ、
と信じている人が多い。しかし、これはまったくの誤解で京都が残ったのは原爆の目標として温存された
結果だった。そもそも、なぜ京都がAA級に選ばれたのだろう。
原爆投下地の選定基準
大きな都市地域に存在する重要目標であること
爆風により効果的に破壊出来る地形であること
八月までに空襲を受けていない都市であること
正確に原子爆弾の威力を測定するため、通常爆弾との被害の違いを区別できることが必要条件った。
京都はこれを満たす理想的な目標だった。原爆投下の照準点は京都駅に近い梅小路機関車庫に定められ
京都に対する通常爆撃の禁止命令が出され、古都の街並は原爆投下用にキープされた。
外部リンク[htm]:www.asahi-net.or.jp
12: 2010/02/17(水) 13:01:11 0 AAS
無防備の市民の上に
投下目標の広島上空の気象観測をし、原爆を目視投下できることを確認したB29が立ち去ったので、
原爆が投下されたとき空襲警報は解除されたばかりでした。一般市民約28万人と市外から通勤・通学
で広島に入った人たちは月曜日の生活を始めていました。広島にいた兵隊は4万3千人でした。
何千人もの中学生や女学生たちは、空襲で建物が延焼するのを防ぐために家々を強制的に取り壊す
「建物疎開」の作業をしていました。
エノラ・ゲイには、原爆の爆発力を測定し、原爆の爆発を記録するために2機のB29が随伴して
いました。随伴機は原爆投下直前に3つのパラシュートに測定装置を付けて投下し、無線で測定結果
を観測機に送るようにしていました。空襲警報が発令されていなかったので、B29とパラシュートに
気付いた中学生や女学生も沢山いて、避難しないまま空を見上げていました。
外部リンク[htm]:www10.plala.or.jp
投下時刻は通勤通学時間帯の08:15(今日ではNHK朝ドラがスタートする象徴的な時刻)
B29は反転して逃避することで一旦空襲警報を解除させ市民を“安心”させることで被害の最大化を図る。
13: 2010/02/17(水) 13:02:34 0 AAS
●広島大学の名誉教授である芝田進午氏は、原爆の対日使用は「人体実験」だった
として、1994年に次のように述べている。
「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカの
覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への『人体
実験』である。
だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、
第1に、原爆の惨状についての報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占す
ることだった。
第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・
長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイド
の皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。
第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだ
った。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍
は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。
第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC(原爆障害調査委
員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被
害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」
外部リンク[html]:inri.client.jp
14: 2010/02/17(水) 13:03:27 0 AAS
「戦争早期終結論」の虚構
●一般のアメリカ人に、なぜアメリカが広島と長崎に原爆を落としたのかを尋ねれば、
たいていの人はこう答えるであろう。
「アメリカ軍の日本上陸により、多くの犠牲者を出すことを避けるためであった。原爆
を落とさなければもっと大きな悲劇を生んでいたであろう」と。
●しかし、この言説を鵜呑みにしてはならない。「当時、原爆投下以外にも日本への本
土上陸を阻止する方法があったことは識者の間ではすでに常識となっており、トルーマ
ンも彼の顧問もそれを知っていた」という事実があるからである。これは、アメリカ原
子力規制委員会の主任歴史家であるサミュエル・ウォーカーの言葉である。
●1946年実施の戦略投爆調査の結論も、「原爆が投下されなくても、またソ連が宣戦布
告しなかったとしても、さらには日本上陸を考えなくとも、1945年12月31日までには確
実に、そしておそらく1945年11月1日までには、日本は降伏していたであろう」として、
先の歴史家サミュエル・ウォーカーと同じ結論を示している。
●1989年に公開された、陸軍省諜報部による1946年の最高機密調査では、「日本の降伏
に原爆はほとんど関係がなかった」という大胆な結論が出されている。そして第二次世
界大戦終結の決定的要因はソ連の宣戦布告であったとされ、アメリカの大規模な日本侵
略が行なわれることはなかったであろうと記されている。
つまり、「日本を降伏に追い込んだのは、原爆の使用ではなく、ソ連の参戦であるとい
っても過言ではない」というのが同調査の結論であった。
●また、スタンフォード大学の歴史家バートン・バーンスタイン教授によれば、統合参
謀本部の諮問グループ、統合戦争計画委員会は当時、ソ連が宣戦布告しない場合でも、
九州への上陸だけで戦争を終結できるであろうと結論づけていたのだ。
15: >>14 の続き 2010/02/17(水) 13:04:16 0 AAS
●原爆投下の決定を聞かされたアメリカ軍部の指導者の中には、嫌悪を催した者もいた。
ヨーロッパのアメリカ軍司令官アイゼンハワー将軍は、スチムソン陸軍長官から計画を
報告された時のことをこう記している。
「彼の報告を聞いているうちに、暗い気持ちになった。私は彼に深い不安を伝えた。まず、
日本はすでに敗北しており、原爆は全く必要ないということ、次にアメリカ人の命を救う
手段として、もはや不要ともいえる兵器を使用することで国際世論に衝撃を与えることは
避けるべきだと伝えた。」
アイゼンハワーの見解は「日本はできる限り体面を損なわない降伏の方法を模索している。
恐ろしい兵器で日本に打撃を与える必要はもはやない」というものであったのだ。
1945年7月20日に、彼は「日本に対し原爆投下は不必要」とトルーマン大統領に進言していた。
●現在では、原爆は恐らく戦争を長引かせ、アメリカ兵の命を救うどころか、奪ったと信
じる歴史家もいる。
なぜなら、国務次官ジョセフ・グルーは、1945年5月には降伏条件を変えるだけで戦争は
終結すると大統領に進言しており、また大統領は原爆が完成するまで明らかにそれを引き
延ばしたからである。
タフツ大学の歴史家マーティン・シャーウィンは、「トルーマン大統領がジョセフ・グルー
の助言を受けていれば、アメリカ兵、日本人の犠牲者の数は大幅に削減されたことであろう」
と語っている。
●アメリカ極東軍司令官だったダグラス・マッカーサーは、1961年の書簡で次のように証言
している。
「私は原爆使用については相談を受けなかった。もし相談を受けていたとすれば、それは
不要である、日本はすでに降伏の準備をしている、との見解を表明していたであろう。」
外部リンク[html]:inri.client.jp
16: 2010/02/17(水) 13:04:56 0 AAS
例えば、なぜ敗色濃厚だった日本に原爆が落とされたのか?
それは、ウラニウムの広島型とプラトニウムの長崎型、2つの原爆の殺傷能力の人体実験であったといわれる。
外部リンク[html]:www.tv-asahi.co.jp
米の放射能人体実験
次々崩れた機密の壁
外部リンク[html]:homepage.mac.com
プルトニウムファイル〈上〉 (単行本)
アイリーン ウェルサム (著), Eileen Welsome (原著), 渡辺 正 (翻訳)
翔泳社 (2000/07)
外部リンク:z.la
「プルトニウムの人体投与」…名だたる医師や科学者が犯した今世紀最大の罪。同意も説明もなく実験台に
された数千のアメリカ国民。ヒロシマ・ナガサキの原爆投下…被害者は日本だけではなかった。
プルトニウム原子の誕生からわずか四年半、マンハッタン計画が正式に発足し、アメリカは国費をつかって
放射能「人体実験」をはじめた。その厚い国家機密の壁は、半世紀を経て、一人の女性記者によって
崩れはじめた…。
プルトニウムファイル〈下〉 (単行本)
外部リンク:z.la
ソ連の核実験勃発!陸海空軍、NASAをも巻きこみ、「人体実験」が加速したアメリカの狂気。
実験台にされた人々の体内に残ったプルトニウムは?実験に手を下した医師たちの医療倫理は?
国家ぐるみの人体実験の顛末。
「人体実験」の機密のヴェールは開かれ、コードネームだけの被害者達はようやく生身の人間へと
変わる。だが、汚染された被害者の体は? 実験によって亡くなった人達は? 秘密主義の名残が
証拠隠蔽や言い逃れに変わるのか…。
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