[過去ログ] 異世界系リプレイスレ 〜武田騎馬軍団vs三國志 その3 (673レス)
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510: 馬キユ 04/05/12 23:54 AAS
【怨敵撃攘】
―楽浪―
「邪魔だぁーっ、退けーっ!」
 張遼が病躯を押して先陣を切る。
「ひゃはははは。俺の名前を言ってみろぉ!」
 第二陣として突撃をかけているのは、馬超が2度目の楽浪
侵攻に失敗した時、呉に降った魏延である。
 以下第三陣に臧覇、第四陣に趙雲、第五陣に張[合β]、
第六陣に黄忠、第七陣に夏侯惇、第八陣に曹丕、後陣に
曹操と魯粛の総司令部が続いた。
 楽浪の馬超軍は、喩えれば彊弩の末勢だった。しかも楽浪
を攻め落として以来、兵士の補充がなされておらず、再編成
も行われていなかった。
 少なくとも馬超の才覚において、そこは彼の攻勢の終末点
だった。
 その終末点を、曹操は標的と定めた。楽浪では篭城を指示し、
将兵を損じる事なく退いた。そして彎弓が勁矢を放つが如く、
一挙に襲い掛かった。
 呉兵一人一人に猛る復讐心が、それを後押しした。
 馬超軍は抗する事が出来ず、忽ち算を乱して逃げ出した。
「この馬鹿共!逃げるな、戦え!」
 馬超が怒鳴るように叱責する。
 後一歩。後一歩で統一が成る。残る敵は易、襄平の曹操軍
だけではないか。何故ここで崩れねばならんのだ。
511: 馬キユ 04/05/12 23:55 AAS
 だが、一度傾いた戦況は覆らない。覆すだけの才知を馬超は
持ち合わせていなかったし、そんな才知を持った有能な参謀も
この場にはいなかった。
 百戦錬磨の兵士、武勇、軍略。馬超軍は嫌と言うほど思い
知らされた。
 況して。
「馬超が清河公主を姦殺した!」
「馬超が公主を拉致した!」
「蛮虜死すべし!」
 どろどろと轟く馬蹄の音に混じって、呉軍が呪言の如く唱えて
いる。馬超軍はその猛々しさと、相反する薄気味悪さと、敵の
文言の虚実を疑って、最初から戦意を喪失していたのだ。
「何故逃げる!統一はすぐ目の前ではないか。逃げる奴は斬首
に処す。逃げるな、武器を取って戦え!」
 馬超は声を嗄らして叫んだ。だが敗勢は止まらなかった。
 追い討ちをかけるかのように、呉班の戦死の報せが届いた。
「おのれ、何故だ。何故だ…!?」
 顔を赤黒く染める馬超の傍らで、厳顔が冷ややかな視線を
送った。
「閣下。一つお訊ねしたいのじゃが、敵の言っている事は真実
ですかな?」
「だったら何だ!」
「もしも真実であれば、将兵はそんな非道な主君の為に死力を
尽くして戦いたいとは思いますまい。夏の桀王、殷の紂王の
故事を紐解けば…(註1)」
512: 馬キユ 04/05/12 23:55 AAS
「黙れ、厳顔!曹操の娘は即ち逆賊の娘だ。誅殺して何が悪い!」
「誅殺?そうではありますまい。誅殺ならば堂々と捕縛し、然る
べき手順を踏んで罰を負わせれば宜しい。キユ殿はおろか
我等一同にまで秘匿して拉致し、殺める必要はござらん。況して
攫った女を凌辱するなど、気が触れられたとしか思えませぬ」
「黙れ黙れ!英雄色を好む。俺がどんな女を抱こうと文句を
言われる筋合いはないわ!」
「本気で言っておられるのか、閣下?戦場では婦女を戦利品と
して扱う向きもござろうが、閣下の所業はそれには当て嵌まり
ませんぞ。それに閣下はその娘の件でキユ殿を貶斥しようと
なさった筈。閣下のなさりようは余りにも筋が通りませんぞ。
この戦が終われば、恐らく閣下はこの件に関して罪を問われる
事となり…」
「黙れと言っているのが分からんのか、この老いぼれが!」
 馬超の佩剣の柄が鳴った。
 厳顔の首が刎ね飛んだ。厳顔は首から鮮血を噴き出しながら
後ろに倒れた。
「厳顔様が閣下に斬り殺された!」
「閣下がご乱心なさった!」
 動揺は瞬く間に全軍に広がった。
 最早馬超の為に戦おうとする者は一人もいない。蜘蛛の子を
散らすように四散してしまった。彼等は湊まで逃げ、数少ない
船に我先にと乗り込み、海路後方へと落ち延びて行った。船に
乗り損ねた者達は行き場を失って呉軍に降伏した。
513: 馬キユ 04/05/12 23:56 AA×

514: 馬キユ@プレイヤー 04/05/12 23:57 AAS
張遼は最初の頃のスタイルなら「山田ぁーっ!」となっていた
のですが、結局真面目なキャラになりました。
また別の機会があれば再チャレンジしてみたいです。

>>508
曹操軍は元々良将が多いだけに、密集すると恐いですね。

>>509
馬超にやらせたいと思いつつ、結局こんな形になりました。

ここで次回予告。進退窮まった馬超、追撃する曹操軍。
その先に待っていたものは…。ロケットでつきぬけろ!
515
(1): 04/05/13 00:55 AAS
馬超……(ノД`)
せめて最期は西楚の覇王が如くであって欲しいと思ったけれど、それも叶わぬ夢か。
516
(1): 04/05/14 17:48 AAS
今こそ言おう

馬 超 も う だ め ぽ !
517: 馬キユ 04/05/15 16:02 AAS
【因果応報】
 だが、馬超の逃避行は長くは続かなかった。いつの間にそう
なったのか、匈奴は曹操に協力的だった。味方、せいぜい中立
だと信じて近付いた瞬間、馬超は雨霰と弓を射掛けられた。
 幸い命に関わる矢傷は受けなかったが、貴重な足である馬を
失った。必死で山中に逃れて匈奴の追っ手を撒いたものの、
山に逃れた事自体はすぐに知れ渡った。匈奴は山を遠巻きに
して馬超の逃亡を防ぐと同時に、呉軍を案内してきた。
 馬超は岩場に偶然横穴を見つけると、中に転がり込んで漸く
一息ついた。
「糞っ、糞っ。愚か者共が。糞っ…!」
 荒い息を吐きながら罵る。鎧に突き刺さった矢を1本、また1本
と抜いては投げ捨てた。
「糞虫共め。帰ったら皆首を刎ねてやる。覚悟しておけ…!」
 …だが今は疲れた。腹も減った。
 少し休みたい。今だけ。ほんの少しだけ――…。
518: 馬キユ 04/05/15 16:03 AAS
 いつしか、馬超は浅い眠りについていた。
『馬超…馬超…』
 どこからか呼びかける声がする。
 馬超は「すわ、追っ手か」と慌てて飛び起きた。だが誰も
いなかった。
 ほっと安堵する馬超の耳に、再び自分の名前を呼ぶ声が
聞こえた。馬超はハッとして身構えた。
 暗闇の中に、白くぼんやりしたものが幾つか、現れた。
 目を凝らしてみると、それが人影である事に馬超は気付いた。
『貴様等、何者だ?』
『何者だとはご挨拶だな。俺の顔を忘れたのか』
 影の一つがクククと笑う。
『……曹休だな』
『御名答。しかし随分と惨めな姿を晒しているな、馬超』
『惨めだと?ふん。惨めなのは貴様だろうが』
『天下を九分九厘まで掌握しながら、こんな所で独りぼっち、
こそこそと逃げ回っているのが惨めではないと?』
『そんな貴方の逃げっぷりを、いつか詩にしてあげましょう。
――貴方を呪う詩にして』
 見覚えがあるような、ないような顔。
『貴様等は誰だ』
『曹孟徳の四男、曹子建です』
『同じく五男の曹熊』
519: 馬キユ 04/05/15 16:04 AAS
『貴様等なぞ知らん。何の用向きだ』
『知らぬとはご挨拶。私は洛陽で貴様に斬り殺されたのだが』
『何かと思えば恨み言か。遠吠えする事しか出来んこの負け犬
共が。失せろ』
『失せろと言われて素直に失せるとでも?妹が止めてと哀願
したのに止めなかったのは誰ですか?』
『黙れ!』
 馬超が剣を一閃する。
 剣は曹植の胴を真っ二つに切り裂いた。だが曹植の身体は
陽炎のように揺らめいただけで、また一つの身体に戻った。
 曹休達が嗤笑を響かせた。
『ふふっ。貴様の力はその程度か』
『何事も暴力でしか解決出来ない。愚かで惨めな男ですね。
ふふふふ…』
『何だと…!』
 馬超は躍起になって剣を振るった。何度も何度も、3人の影を
切り裂く。だが何度やっても結果は同じだった。馬超は遂に
息切れを起こし、切っ先を地面に落とした。
『ハァ、ハァ、ハァ…この化物共が…!』
『うふふふふ…化物とは笑止。貴方ほど人の皮を被った鬼畜生は
おりませんものを…』
 代って聞こえる、若い女の声。
 馬超はその声に聞き覚えがあった。ギクリとして振り返る。
 そこには若い男女の影が茫と佇んでいた。
520: 馬キユ 04/05/15 16:04 AAS
『曹操の…娘…!』
『馬超…よくも俺様の妻を凌辱してくれたな…』
 蒼白い顔の男が、目を赤く光らせる。
『ハッ…!天下は俺のものだ。天下の女は即ち俺のものだ。
どうしようと俺の勝手だ!』
『うふふ…まだ解っておられないのですね。女は物ではありません。
そんなだから実の妹にも牙を剥き、疎まれる羽目になるんですよ。
くすくす…』
 馬超はぎょっとした。
『何故貴様がそれを知っている!?…そうか、キユだな。キユが
貴様に喋ったんだな!』
『うふふ…キユ様にお伺いしなくとも、貴方の罪は天が知り、
地が知り、人もまた知っています。不義不貞の虫豸、馬超よ…』
『だ、黙れ黙れ!不義と言うなら奴等こそ不義ではないか!』
『さあ、それはどうかしら?くすくすくす…』
『笑うのを止めろ、この死に損ないがぁ…っ!』
 馬超が再び剣を振り回す。
『ふはははは。無駄無駄無駄。何度やっても同じ事よ』
曹休が背後から嘲弄を浴びせ掛ける。
『何を…!』
 と振り返る馬超の背に、冷んやりとしたものが触れた。
『馬超殿…』
 ぎょっとして振り返る。目の前に清河公主の蒼い顔が迫っていた。
『お恨み申し上げます』
521: 馬キユ 04/05/15 16:05 AAS
 刹那。清河公主の姿が豹変した。
 身体がぶよぶよと膨れ上がり、顔が紫色に腫れ上がる。頭蓋が
砕け、脳漿が弾け飛ぶ。全身が急激に腐爛し始め、眼球が零れ
落ちた。眼窩から、七つの竅(あな)から、体液が腐臭を放ちながら
流れ出す。美しかった黒髪がざんばらに解け、瞬く間に抜け落ちて
いった。
 醜怪。その一言に尽きた。
 流石の馬超もこれには肝を消し飛ばし、吐き気すら催した。
 馬超は慌てて洞穴から逃げ出そうとした。だがその行く手を
曹休達が阻んだ。
『どこへ行く、馬超』
『お前が妹をあのようにしたのではありませんか』
『あれが貴様の罪だ。目を逸らすなよ』
『だっ、黙れぇっ!』
 馬超は滅茶苦茶に剣を振り回した。
 馬超の心は既に恐怖に支配されていた。頭のどこか片隅では、
何度やっても無駄だと解っている。だが恐怖がそうさせた。
 ずしりと。馬超の背中に何かが圧し掛かった。
 腐臭。ぽたり、ぽたりと滴る腐肉。
 尖った何かが、馬超の頬をツツッと撫で上げた。
 恐る恐る振り返る。
『…………!』
 馬超はうわ言のような絶叫を上げた。
522: 馬キユ 04/05/15 16:05 AAS
 そこにあったのは、醜く腐り果てた清河公主の姿だった。
『どこへ行くのですか、馬超。私は貴方の奴隷なのでしょう?
次は御主人様にご奉仕しろと言ったのは貴方でしょう?お望み
通り奉仕してあげますから、そこに座りなさい。さあ』
『しっ、知らん!俺は何も知らん…!』
『あら、つれない。貴方のモノ、今日ならちゃんと口に入りますよ。
大きく開くようになりましたから。ほら、こぉんなに』
 クワッと。殆ど髑髏と化した公主の口が、馬超を呑み込まん
ばかりに大きく開いた。
『ひっ、ひぃいいぃいぃ…!』
 馬超が尻餅をつきながら後退る。曹休がげらげらと笑った。
『ははは。先刻の壮語を早や忘れたと見える。鶏頭か貴様は』
『馬超。貴様のような悖乱蚩々の輩を生かしておくわけには
いかん。覚悟せい』
 曹休らの背後から、甲冑に身を固めた若い将が2人、剣環を
鳴らして進み出た。
『だ、誰だ貴様等は』
『曹孟徳が第三子、曹子文』
『夏侯恩。懐公(曹熊)と同じく、洛陽にて貴様等に討たれた者だ。
そうか、覚えておらぬか』
 曹彰達がすっと佩剣を引き抜く。
『曹彰、貴様は楚軍に殺されたのだろうが。何故俺に仇を為す!?』
『可愛い妹の事を思えば些細な事だ』
『ば、馬鹿な…!』
523: 馬キユ 04/05/15 16:06 AAS
『馬鹿は貴様だ』
 曹休、曹植、曹熊、夏侯楙も各々佩剣を引き抜くと、馬超に
向かって剣を構えた。
『こんな…こんな所で終わって堪るか。俺の天下はもうすぐそこ
なのだ。俺の手でここまで成し遂げたのに、今更キユに全てを
持って行かれて堪るか…!』
『貴様の天下を望む者などいない。大人しく天の裁きを受けよ』
 6人の亡霊が一斉に襲い掛かった。
 洞穴内に絶叫が谺した。

 翌朝。
 趙雲麾下の一隊が一つの洞穴を見つけた。
 洞穴の中で、馬超が全身の穴から血を噴き出して死んでいるのが
見つかった。
 外傷はない。ただその死に顔だけが恐怖に引き攣っていた。
524: 馬キユ 04/05/15 16:08 AAS
今回は少し悪ノリしたかな?でも筆は進みました(笑)

>>515
覇王ではありませんが、小覇王には近かったでしょうか。
今書いているような馬超では、「潔く死ぬ」というのは
ちょっと難しかったです。

>>516
馬超に死なれるのはこちらとしても予定外でしたが、
こんな死に様も皆さんにしてみれば予想外でしょうね…。

ここで次回予告。権臣達による謀議再び。キユの選ぶ道は?
董[禾中]達の運命や如何に?ロケットでつきぬけろ!
525: 馬キユ@プレイヤー 04/05/15 16:09 AAS
また名前欄を変えるの忘れてた…。
526
(1): 04/05/15 18:58 AAS
よく考えると、厨王に似ているようなsage
527
(1): 劉香蘭 ◆y/OJcCTtM6 04/05/19 00:41 AAS
>馬キユ殿
こちらでは初めまして、韓玄スレで拙(つたな)いリプレイを書いている者です。
あちらでは度々のレス、ありがとうございます。

馬キユ……なんか当初の周囲の空気を読まないマイペースっぷりが
どっかいっちゃいましたね。雲禄と暴走(苦笑)し始めたあたりからかなぁ……。

馬超は、最近どーも「正義と結婚済み」とまで言われた某ゲームのイメージが強いんで(苦笑)
ただ、演義での馬超(力任せで短慮)などを見るに……これもまた馬超かな、と。
将としては優れているが、王の器ではない……彼はある意味、呂布に近い人間なのかも知れません。

「最近エゴむき出しで痛い」というレスがありましたが、しょーじき私もそう思います(苦笑)
雲禄はなんか視野がどんどん狭くなってきてる気がするし、
馬キユは自分に都合のいいことばっか考えてるし、馬超は言わずもがな。
(仕方ない面もある、と仰るかも知れませんし、事実そういう面はあるのでしょう。
が、それと読んでて気持ちいいかどうかはまた別の問題です)
ちと結末は読めませんね……馬キユは最終的に、何を選ぶのでしょうか?

ちなみに、このリプレイで一番気に入ったのは……韓玄です(w
いや、マジでなんか渋いんですが。与太者のように振る舞いながら締めるところは締める、ってカンジで。
でも、彼も寿命が近いのかなぁ……。

今回の「悪乗り」は……いいんじゃないですかね?因果応報、天罰覿面。
ラストへ向かってこのまま「ロケットで突き抜け」て下さい。
528
(1): 劉香蘭 ◆y/OJcCTtM6 04/05/19 00:43 AAS
随分長いレスになってしまいましたが、正味2スレ分ということでご容赦を。
529
(1): 04/05/20 15:26 AAS
保守
530: 馬キユ 04/05/21 02:21 AAS
【虚受】
―建業―
 馬超敗死。その話は雷電の如く海内を駆け巡った。
 孔明はこうなる事を予期していたのか、即座に重臣会議を
招集した。召集を受けるや韓遂は、陳羣と司馬懿に密書を
送って何事かを依頼した。彼等もまた、独自の諜報によって
薄々感付いている事があったのだ。
 司馬懿は密命を受け取ると、すぐに2人の息子を呼び寄せ、
小声で何か言い含めた。
「何やら騒々しいですね。どうかなさいましたか?」
 慌ただしく出て行く息子達の背中を見送って、張春華が
司馬懿に話し掛けた。
 張春華は司馬懿の正妻である。
「なに、大した事じゃない。害虫駆除の仕事が舞い込んだ
だけだ」
 害虫駆除と言われてただの虫取りかと思うほど、春華は
愚鈍ではない。彼女は静かに夫の顔を見詰めた。
「ただの害虫にしてはお顔の色が優れませんわ」
「気のせいだろう」
 司馬懿は愛妻に笑顔で応えた。
 尤も、その害虫は人間に直接危害を及ぼしてきた。私自身
危うく殺されかけもした。だがそれは黙っておいた。
531: 馬キユ 04/05/21 02:21 AAS
(それにしても――)
 あの時文聘の言葉にうかうかと乗らなくて本当によかった。
あの時清河公主を側室なり息子の嫁なりに迎えていれば、
いろいろな災厄が降りかかってくるところだった。主君に妻を
奪われて殺されるという屈辱も味わわずに済んだ。
 そう思った後、司馬懿はあの時の少女の思い詰めた顔を
思い出して、不意に眉を曇らせた。
「あなた?」
「いや、何でもない」
 司馬懿は呟くように応えて、妻の顔を見た。
 春華は今年で34歳。聡明で、女としても今が盛りだろう。
私が明日にでも亡くなれば、後家として心ない者達の欲情を
そそるには充分だ。
 清河公主に妻の姿を重ね合わせて、司馬懿の心は千々に
乱れた。
「…お前は私より長生きしてくれるなよ」
「何ですか、いきなり?」
「いや…お前は私の妻だという事だよ」
「まあ、今から嫉妬ですか?」
 春華はころころと笑った。
「大丈夫ですよ。妾の夫は貴方だけです。それにあなたが
亡くなる頃には、妾もきっと皺くちゃの老婆になっていますわ」
「――ああ、そうだな。そのとおりだ」
 司馬懿は頷くと、妻の手を取ってそっと撫でた。
532: 馬キユ 04/05/21 02:22 AAS
 重臣会議はまたもや紛糾した。但し今回は韓遂の建言に
対して、劉備一人が頑強に反対するだけだった。今度は
孔明も大っぴらに、キユの擁立に同意した。
「何を言われるか、軍師殿。孟起殿が亡くなれば、その後を
継ぐのは孟起殿の遺児と決まっているでしょう」
 劉備は熱の篭った声で反駁した。孔明は涼やかに劉備の
顔を眺めやった。
「それは正道ではありましょう、皇叔。ですが遺児の馬秋殿も
馬承殿もまだ若年。臣の観察致しますところ、才器も亡父に
遥かに及びません。斯様な者を戴いては、それこそ家中が
動揺致します。此度こそはキユ殿に後を継いで頂く他ないと
思います」
「軍師殿、自分の言っている事が解っておられるのですか?
キユ殿は――」
「皇叔が推薦なされた孟起殿と比較して考えられませ」
「う――」
 劉備は返答に詰まって沈黙した。
 僕にはこの2人が、僕と雲碌との関係について話し合って
いるのがすぐに解った。
(やり切れないな)
 それが素直な感想だった。いっそおおっぴらに言い合って
くれれば、僕の後継話も立ち消えになりそうなものなんだけど。
 自分からは言えない。それは父さんとの約束に反した。
 それにしても。殺したいほど憎んだ相手が、こうもあっさり
いなくなるとは。
533: 馬キユ 04/05/21 02:22 AAS
 殺したかったけど、唆されたけど乗らなかったのは、こんな
日が来るのを避けたかったからだ。我ながら自分勝手だと思う。
 召集を受けた時の、雲碌の嬉しそうな、それでいて哀しそうな
表情が目に焼きついている。
 雲碌は僕の後継を半分は望み、半分は望んでいない。
 僕は全く望んでいない。この世界に責任を取り続ける事なんて
出来やしないんだから。
 けど話は加速度的に進み、否応なく僕を巻き込もうとしていた。
 鉄と岱はこの会議の席にはいない。一族であるにも拘わらず、
今回も列席を許されなかったのだ。
 兄さんが死んで、鉄はショックを隠せないようだった。ただ僕と
目が合った時、一瞬だけ、突き刺すような視線を放った。僕に
後を継ぐなという意思表示なんだろう。理由はさて置き、その
意見には同意だった。
「ではキユ殿、宜しいですね?」
 孔明が確認してくる。僕は意識を引き戻されて慌てた。
「ぼ、僕は――」
「気に病む事はない、キユ。今儂等の上に立ち得るのはそなた
を措いて他にない」
「ですから、遺児のお2人が――!」
 劉備がなおもそこに縋る。けど韓遂は余裕綽々の笑みを
浮かべていた。劉備はふと、それを不審に思った。
「文約殿、何が可笑しいのですか?」
「いや何、もうすぐ判るわい」
534: 馬キユ 04/05/21 02:23 AAS
 突然、会議の席上に、司馬懿が兵士を連れて乱入したきた。
 劉備はその狼藉に怒気を発したのか、思わず声を荒げた。
「仲達殿、何をしに来られたか。この会議は貴殿の与かり知る
ところではない!」
「キユ。馬超の後を継げるのはもうそなたしかおらん」
 司馬懿は劉備の警告を無視して、僕に向き直った。
「いないとは異な事を。現に遺児が――」
「ん?その遺児とやらは既に監獄行きですが?――おい、
あれを」
「な、何を――」
 劉備が訊ねるより早く、司馬懿の声に応じて、1人の兵士が
進み出た。兵士は手にしていた麻袋をひっくり返すと、1つの
塊を放り出した。
「あっ――?!」
 僕は思わず、劉備と異句同音に、そう叫んでいた。
 それは生首だった。見知らぬ男の、既に土気色に変色した首。
「そいつは馬超の愛妾董氏の弟で董[禾中]だ。董[禾中]は
死んだ馬超に命じられて、暗殺稼業をしておった。私も文約殿も
狙われた。孔明殿も狙われたと伺っている。そしてキユ、そなたも
この者の刺客に襲われた。身に覚えはありますな?」
「何ですと!?」
 司馬懿が問い掛けてくる。劉備は知らなかったのか、今度は
声を裏返して叫んでいた。
「――刺客に襲われた覚えはある。けど誰の仕業かは知らない」
535: 馬キユ 04/05/21 02:24 AAS
「それがこいつの仕業だったのだ」
 僕は慎重に答えた。司馬懿はそんな僕を嘲笑うかのように、
あっさりと断定した。
「つまり、そなたは兄からそこまで疎まれておったという事よ。
恩知らずにも程があるとは思わんか?斯様な忘恩の輩に
いつまでも義理立てする必要はない。今こそそなた自身の足で
立つがよい」
「今更嫌だと申されても、今や正統はキユ殿にある。他の者が
後を継ぐ事こそ正道に悖る。お心を決めなされ」
 張松もそう言って唆す。
「しかし…!それが正嫡を廃する理由になりましょうか。どこに
正義がありましょうか!?」
 劉備が必死になって叫ぶ。けどそれすらも、新たな闖入者に
よって敢え無く否定された。
「正義なら頂いて参りました」
 陳羣だった。
「何…だと」
 劉備は陳羣に対して、今までより少し乱暴に反問した。
 陳羣はそんな劉備を意に介さず、詔勅を読み上げた。それは
馬超とその一族の誅殺を命じたものだった。
「馬鹿な!何故その様な詔勅が下るのだ!」
「なに、簡単な話です。馬孟起はキユ殿の傍から清河公主を
攫わせたうえ、これを犯し、殺し、捨てました。それを天子の
貴人方にお伝え申し上げたのです」
536: 馬キユ 04/05/21 02:24 AAS
 天子・劉協には現在、伏皇后の他にも何人かの側室がいる。
そのうちの3人は曹憲、曹節、曹華といい、彼女たちは皆曹操の
娘だった。つまり、死んだ清河公主の姉妹にあたっていたので
ある。
 彼女たちは馬超の非道を聞くや、愴恨として慟哭した。そして
陳羣等に勧められるまま、天子の居室を訪い、詔勅を下すよう
求めたのである。
 劉協は最初信じなかったが、陳羣が傍から曹操の発言を奏上
すると、凋然と座り込んだ。
「……だが、その話が真実だとしても、馬超は既に戦場で殪れた。
これ以上は死者を鞭打つ行為であろう」
「では陛下は天下に恥をお晒しになるお覚悟ですか?天下に
赦されざる罪が3つあります。盗、姦、殺です。この三者を同時
に行った者に大権を与えたばかりか、その罪が露見しても
罰する事が出来ぬ天子を、誰が天子として敬いましょうや。
斯様な者の罪が見逃されて、今後臣等はどうやって万民に
法の遵守を説けば宜しいのですか」
「陛下、妾の妹にお慈悲を…!」
 陳羣と、3人の貴人が代る代る訴える。それは粘り強いを
通り越して執拗だった。
 劉協は何より、女達の哀号に耐え切れなくなった。そして
已むなく、清河公主誘拐に携わった者達の誅殺を命じる
詔勅を書かせたのだった。
 唖然として声のない劉備に、陳羣等は悠然と笑顔を向けた。
537: 馬キユ 04/05/21 02:25 AAS
「そうか、一族誅殺か。なればやはりキユが立つ以外に途は
ないの。刑の執行はいつじゃ?」
「慣例に従えば、冬になればすぐにでも」
「殺すなんて駄目だ!」
 僕は陳羣達の会話に割り込んだ。
「ふむ、気に入らんか。まあ無理に殺す事もないかもしれんが、
詔勅は詔勅じゃ」
「でも妻子には関係ない事だ」
「何を生温い事を…」
 司馬懿は呆れたように僕を見た。それを見て韓遂がニヤリと
笑った。
「まあよいではないか。キユは既に我等の上に立って、我等を
指図しようとしているのじゃ。それこそ我等の望みではないか?
のう」
「な……ば、馬鹿な事言わないでよ。僕は――…」
「『命令』ならば謹んで承るぞ。そなたがここで我を押し通す
ならば、それは即ち主座に就く事に同意したと見做すが?」
 成程、と司馬懿が手を打つ。
「そうですな。では我等に命令して頂こうか、キユ殿。ならば
我等もそれに従うと致そう。各々方もそれで宜しいかな?」
「そうですね。キユ殿を首班に、減刑の嘆願書に連署しましょう」
 陳羣たちは頷いた。
(何でそうなるんだよ)
 毒づきたいけど言葉が出ない。
538: 馬キユ 04/05/21 02:25 AAS
(僕が後を継げば僕の一存でたくさんの人の命が救える事が
ある)
 解ってる。前にも思った事だった。
 けどその重圧に、僕は耐え切れそうにない。
 もう、逃げられないんだろうか。
 こうなる運命だったんだろうか。
 長い間、悩んだ。
 そして。
「――妻子を死なせる事は許さない」
「ではキユ殿、爾後は貴殿が我々を導いて頂けるのですね?」
 孔明が恭しく問い掛けてくる。
「…そうするしかないんだろう?」
 僕は答えた。重大な決断。なのに、僕の心はどこか他人事の
ようだった。
「では存分にするがよい」
 韓遂たちは北叟笑みながら拱手した。
「皇叔も納得して頂けますか?」
「……最早他に道もありますまい」
 観念したのか、劉備は瞑目してそう答えた。
539: 馬キユ@プレイヤー 04/05/21 02:26 AAS
>>526
紂王にしろ項羽にしろ、才長けていたが故の悲劇なのかもしれませんね。

>>527-528劉香蘭殿
本当に最初から読んで下さるとは…感無量です。
いえ、決して嫌味ではなく、自分でも読み返すのが既に面倒な
分量になっているものですから。

現在のキユと雲碌のエゴ剥き出しな行動には一応意味があります。
エゴに対する落とし前はいずれつけさせる予定ですので。

韓玄はリプレイスレ初期の主役ですし、今となっても出番が作れる
のであれば、やはり出したいと思っています。またゲームの性質上、
一度手許に置いたら能力的に配置換えが起こり難いキャラですので、
自然と出番も多くなりました。

馬超は、私的見解を申し上げますと、決して正義を背負ったキャラでは
ありません。ですが演義を中心としたそういう設定には感心しています。

>>529
保守ageして頂き有り難うございます。

ここで次回予告。馬超の官位を継ぐ為、数年ぶりに天子に謁見するキユ。
そこで示された意外な提案とは?プリンセス・オブ・ラブでつきぬけろ!
540
(1): 04/05/23 14:27 AAS
人間の負の感情をオチってはニヤリとする、悪趣味な自分にとっては
馬キユさんのリプは興味を感得するし、そういったものを書くところに斬新さを感じています。

長丁場でお疲れかもしれませんが、最後まで楽しみにしてますんで。
541
(1): 04/05/26 09:16 AAS
保守
542
(1): 04/05/28 09:10 AAS
この後の劉備の行動に期待age
543: 馬キユ 04/05/30 01:08 AAS
【称旨】
―洛陽―
 僕は父さんの(兄さんのとは思いたくなかった)後を継ぐ
決心をすると、洛陽に赴いて天子に謁見した。光禄勲の
官位の引継ぎを天子に承認して貰う為だった。
「馬休、面を上げよ」
 天子劉協の傍らで、宦官が天子の言葉を取り次ぐ。僕は
「はっ…」と短く答えて顔を上げた。
 僕が顔を上げたのを確認すると、劉協が直接声をかけて
きた。
「亡き馬超に代って、そちを光禄勲に任ずる。漢土はほぼ
恢復された。残るは幽州一州のみだ。一刻も早く平和を
取り戻してくれ」
「御意…」
 再び平伏する。
 …ふと、衣擦れの音と共に、かなりの数と思われる足音が
聞こえてきた。
「曹貴人…憲、節、華。如何致した」
 劉協が驚いた声で訊ねた。
 後宮の夫人が後宮の外に出るのは禁忌の筈だ。先日は
突然の事でこっちまで動転してしまい、その点に思い至ら
なかった。後で貴人達共々伏皇后に窘められたものである。
それでも尚慣例を犯すとは、どういう料簡であろうか。
544: 馬キユ 04/05/30 01:08 AAS
 曹節等は数人の女官と共に、陛下に跪いた。
「申し訳ありません、陛下。ですが妾等から新たな光禄勲に、
是非ともお願い致したき儀があって、斯くは罷り越しました。
何卒お許し下さいますよう、伏してお願い申し上げます」
 劉協は一瞬、苦い顔をした。今回、既に彼女達に押し切られ
る形で、馬超の一族を誅戮する詔勅を出しているからだった。
「…よい。申してみよ」
 少し考えてから、劉協は発言を許可した。あくまで発言を
許可しただけであって、まだ裁可するつもりはなかった。
 曹節は再び拝礼して奏上した。
「では申し上げます。妾の聞き及ぶ処に依れば、光禄勲
馬休は未だ独身だそうです。そこで妾の妹の曹英(註1)を、
光禄勲の妻に娶わせたいと存じます」
 朝廟がざわめいた。
 曹貴人の妹と云えば曹操の娘だ。無理にも程がある。
そもそもどこにそんな妙齢の娘が残っているのだろうか。
 僕も動揺した。けど僕が動揺した理由は、多分他の人とは
違っていた。
「皆々様のご懸念には及びません。曹英とは即ち、清河公主
の事ですから」
「何と?!」
 百官が更に困惑する。曹節は構わず、僕の方に向き直った。
545: 馬キユ 04/05/30 01:09 AAS
「光禄勲…いえ、ここではキユ様とお呼びして宜しいですか?」
「…仰せのままに」
「有難う」
 曹節は穏やかに微笑んだ。
「妹の件ですが、実は陳羣から奏上がある以前から、父より
書簡を受け取っておりました。尤も、行方不明になっている事
までしか報されておりませんでしたが」
「……守ってあげられなくてすみませんでした…」
 やっとの思いで答える。その声も擦れていた。
「謝罪などなさらないで下さい。貴方も辛かったのでしょう?
寧ろ妾達3人、貴方には感謝しております。実は妹が亡くなる
以前、妾の許へも時折、妹から書簡が届いていました。妹は
貴方の事ばかりを書いていました。優しい人だと。恥ずかし
ながら頼りにしていると。そして最後の手紙には、再嫁するなら
貴方がいい、ただ不貞を詰られるのが恐い、と」
 もう耐え切れなかった。
「…ごめん…なさい…守ってあげられなくて…ごめんなさい、
ごめんなさい……!」
 僕は人目を憚らず慟哭した。膝を折って、床に拳を叩き付けた。
何度も、何度も。
「そこでね、キユ様、妾達からお願いがあります。先程も申しました
けれど、妹を貴方の妻にして頂けないかしら」
546: 馬キユ 04/05/30 01:10 AAS
「……」
 僕には答えられなかった。清河公主の気持は嬉しかった。
公主を抱きたいと思っていたのは事実だから。けど、結婚と
なると話は別だ。
 何も答えない僕を見て、曹節が顔を曇らせた。
「どうかしましたか?何かご不満でもありましたか?…あ、
ごめんなさい。不満はありますよね。相手は死者なんですもの。
だけど、このままでは余りにも妹が可哀相なの。お願いです、
解って下さい」
 曹節は跪いて頭を下げた。これには流石に驚いた。僕は
慌てて彼女を助け起こそうとした。
「そんな畏れ多い事を…貴人ともあろう御方がそのような事を
なさってはいけません」
「可愛い妹の為ですもの、何だって致します。妹は夫を亡くして
から1年余、貴方の傍にあったのでしょう?せめてその間だけ
でも、貴方の妻だった事にしてあげて下さい」
「曹貴人のご希望、誠に勿体無き仕儀と感激しています。
ですが…」
 僕には雲碌がいるので…とは言えなかった。僕はまた言葉に
詰まってしまった。
 3人の貴人が口々に僕を説得しようと試みる。その申し出は
本当に有り難いと思う。けど僕には、何も答える事が出来なかった。
547: 馬キユ 04/05/30 01:10 AAS
 やがて。
「馬休。朕からも頼む。曹英の夫になってやってくれ」
 玉座からもその声が発せられた。
 僕はびっくりして玉顔を仰ぎ見た。劉協は眉間に小さな皺を
刻んでいた。話が遅々として進まない事に苛立っていたのかも
しれない。
「詔勅により、自今は曹英の清河公主という称号を公式に認める
事とする。貴人達の妹なら朕の妹も同然だ。天子の義妹であれば
強ち不適切な称号でもあるまい。それにそちが公主を娶ってくれる
なら、そちは朕の義弟という事になる。馬休。朕の義弟となって
朕の社稷に力を添えてくれ」
「その様な…畏れ多い…」
「そちは朕の義弟となるのは嫌か?」
「いえ、決してその様な事は…」
 劉協が不興げな顔になる。僕は慌てて平伏した。
「では何だ?…ああそうか。義父が大逆犯となるのが恐いのか。
心配するな。曹操の罪はその娘4人(註2)には累禍せぬと約束
する。異例の事だが、朕がそう決めた」
 僕は絶句した。はっきり言えば御都合主義な御託宣だ。無論、
公主の名誉が回復されるのは僕としても好ましい話だ。けど、
それを楯に天子の義弟になれというのは…。
 ……だけど。
 これ以上は断れそうにない。劉協の表情を見る限り、そう
思わざるを得なかった。
548: 馬キユ 04/05/30 01:11 AAS
 僕は深い溜息を吐いた。覚悟を決めて頓首する。
「陛下のたってのお望みとあらば、臣に否やはありません。
謹んでお受け致します」
「おお、そうか。承知してくれるか」
 劉協たちが一様に顔を綻ばせる。
「……ただ、臣からも1つ、陛下にお願いがあります」
「何だ。申してみよ」
 僕は面を上げて背筋を正した。
「曹操に降伏勧告の使者を送って下さい。そして曹操が降伏に
応じるなら、曹操以下呉国の全ての者を助命してあげて下さい」
「な、何を言い出すのですか、光禄勲!?」
 劉備が素っ頓狂な声を上げた。
「曹操は至尊の地位を掠め取った大逆犯ですぞ。死罪を以って
酬いる以外に途はありません!」
「しかし、曹操は朕の義父でもある…」
「陛下まで何を…。思い出して下さい、陛下。許田の巻き狩りを。
そして国舅董承の事を」
 劉協はすぐに何か思い出したような表情を見せたけど、貴人
たちに視線を転じて困ったような顔をした。
 劉備は熱弁を振るって劉協を説いた。劉協も他ならぬ自分が
下した密勅である為か、劉備の言にいちいち頷いている。けど、
それでもどこか迷っている風だった。
549: 馬キユ 04/05/30 01:11 AAS
 やがて。
「…諸葛亮はどう考える?」
 自分一人では判断しかねたのか、劉協は孔明に諮問した。
孔明は端的に答えた。
「皇叔の申されます事、逐一尤もかと存じます」
 劉備が我が意を得たりとばかりに頷く。関羽、ホウ統たちも
同意見のようだった。
「けど、曹操が赦されないなら、僕は官位を棄てて平民に
戻ります」
「何故じゃ!」
 韓遂だった。
「そなたが官を去るなぞ、儂は許さんぞ!」
「元々僕なんかじゃ鼎足を折る職務だけど」
「そんな事はない。いや、そういう事を問題にしておるのでは
ない!」
「文約殿、落ち着かれませ」
 宥めたのは徐庶だった。徐庶は韓遂の気が鎮まったのを見て、
僕に向き直った。
「岳父とはいえ父に孝を尽くすのは人としての責務。友に対して
義を尽くすのもまた、当然の理。結構かと存じます。しかし曹操の
罪が清河公主に及ばぬという勅があるうえは、閣下へも何の
害も及びません。官を棄ててまで庇うほどの事はないのでは?」
「僕はなるべくなら人を殺したくない。一言赦すと言って、曹操が
解ったと答えれば、それで済む話だと思う」
550: 馬キユ 04/05/30 01:12 AAS
「罪を法によって裁かなければ示しがつかんぞ」
 今度は田豊が口を開いた。
「法による裁きは殺人ではない。殺したくないから法を枉げる
など、あってはならん」
「けど僕は殺したくない」
「閣下の心境は複雑であろう。それは解る。だが我等にして
みれば、主君の讐を討たずしては臣下の名折れだ。如何に
無道の主君であろうともな(註3)」
「でも…」
「閣下!」
 今にも詰め寄ってきそうな人達。流石に腰が引けそうになった。
 けど引いちゃいけない。僕の理想を果たす為には。そう思った。
「……そうですね」
 ふと。今まで沈黙していた諸葛瑾が口を開いた。
「閣下の申されようは確かに、法に則ったものではありません。
しかしながら曹操が赦されないとあらば、敵は最後の一兵となる
まで戦い抜く事も考えられます。片や我が軍は天下の趨勢既に
定まり、下々には今更命懸けで戦いたくない者も少なからずある
ようです。頑として攻め滅ぼす事だけしか考えぬのであれば、
惜ら多くの犠牲を払わされる事も考えられます。それで流血が
避けられるのであれば、降伏勧告も宜しいかと存じます」
551: 馬キユ 04/05/30 01:13 AAS
 劉備は目に見えて仰天した。
「な、何を言われますか、子瑜殿。左様な妥協は一時的には
平和を齎そうとも、将来に禍根を残すものである事は疑いあり
ません。曹操を生かしておくのは危険過ぎますぞ」
「皇叔の仰言る事も尤もだが、臣からも一言、言上致したい」
 代わって発言を求めたのは孫策だった。孫策は劉協の許しを
得ると、劉備に向き直った。
「臣は嘗て楚王を僭称し、畏れ多くも陛下に対して弓を引く形と
なった。しかし最後は国破れて放浪し、当時建業太守であった
キユ殿の推挙によって、正道に立ち戻る事が出来た。皇叔は
孟達にこう言ったそうだな。人は何度でも道に迷う、ただその
度に正道に立ち戻りさえすればよいのだと。今、曹操に対しても
同じ事が言えまいか。確かに曹操は一代の傑物。だが天下が
定まれば善き臣下たり得るやもしれぬ。一度くらいは正道に
立ち戻る機会を与えてやってもよいのではあるまいか」
「彼奴の評を知っての言葉ですか、それは?奴は清世の姦賊、
乱世の英雄ですぞ」
「では孟達に言った言葉は偽りか、皇叔?」
「それは…」
「確かに。国敗れ進退谷まって後の降伏は遅きに失するで
しょうが、今からでも正道に立ち戻るというのであれば、その
赤心を嘉してこれを赦すのもまた王者の度量かと存じます」
 陸遜も頷いた。
552: 馬キユ 04/05/30 01:14 AAS
 喧喧諤諤、議論はなかなか纏まりを見せない。
 やがて馬良が折衷案を提示した。
「ではこうしては如何でしょうか。この際ですから清河公主の
件も含めて大赦を発し、天下の辜民の罪を一等減じるのです。
それを条件に降伏を勧告すれば、曹操をはじめ曹操の許で
重職にあった者達も、多少は応じ易くなるでしょう」
「幼常殿、こっちは孟起殿を討たれたのですぞ。曹操は今、
意気軒昂しているに違いありません。斯様な時にそんな弱腰
の条件を出しても、突っ撥ねられるのではありますまいか」
「…成程。幼常殿の御意見にも一理ありますね」
 劉備の言葉の後、孔明がぼそりと呟いた。
 驚いたのは劉備だけではない。関羽、徐庶、ホウ統等も
それぞれの表情で孔明を見やった。
「な…軍師殿!?」
「皇叔の御心配、御尤もです。しかし所詮は一敗です。今更
我等の優位が覆される心配はまず、ありません。ここは大人
の余裕を以って彼等に接してもよかろうかと存じます。先方が
拒絶すれば改めて攻め滅ぼせばよいだけの事。この程度の
労力を惜しむ必要はありません」
「或いは曹操も、此度の一勝を以って有利な外交をと望んで
いるかしれませんな。楽観に過ぎるかもしれませぬが、交渉
してみて損はないでしょう」
 張昭の一言で評議は決した。
 劉協は使者の人選をキユ以下の諸官に委ねると、貴人達を
伴って朝廟を後にした。
553: 馬キユ 04/05/30 01:15 AA×

554: 馬キユ@プレイヤー 04/05/30 01:16 AAS
>>540
今回は個人の視点から書いている部分が多いので、
多分好悪の感情が入り乱れていると思います。
ですから批判がある事も覚悟していますが、
そう言って頂けると有り難いです。

>>541
保守して頂き有り難うございます。

>>542
ageで頂き有り難うございます。
劉備の今後ですか…そう言えば梟雄としての
劉備の視点が今回のリプレイには抜けていますね。
むむ、どうしましょうか…。

ここで次回予告。キユの決断に雲碌は…?
シスター・オブ・ラブでつきぬけろ!
555
(1): 04/05/31 20:22 AAS
保守。

みんなで幸せになろうよ。by後藤隊長

ここまで乱世を生き抜いてきたので、皆終わりを全うして欲しいものですな。
最後には主立った人物のその後も是非書いて頂きたいと思います。
主人公の行く末も、この世界の行く末もどちらも気になりますので。
556
(1): 04/06/05 20:38 AAS
ほっしゅ
557: 馬キユ 04/06/06 01:29 AAS
【涕涙濡枕】
 洛陽で引継ぎの諸事を終え、キユは半月ぶりに建業に帰って
きた。
 だが、折角建業に帰ってきたのに、雲碌は迎えに出なかった。
「雲碌は?」
 そう訊ねるキユに、翡翠は非難がましい視線を向けた。
「お嬢様はもう半月近くも、ご自分の褥から出られようとしません」
「出て来ないって…何で?」
「それはご自分の胸にお聞き下さい」
 翡翠は冷たく突き放すと、キユを置いて立ち去った。
 キユは絶句した。
「何なんだよ、一体…」
 翡翠のつれない態度にもショックだったが、翡翠の態度にばかり
拘ってもいられない。キユは雲碌の部屋へ行き、取り次ぎに出た
琥珀に改めて雲碌の事を訊ねた。
558: 馬キユ 04/06/06 01:29 AAS
 琥珀は困ったような顔をした。
 琥珀達が見ている限り、雲碌はこの半月、食事も摂らなければ
水も飲まなかった。湯浴みもしなければ服も着替えない。一言も
喋らず、ただ褥席の中でじっと蹲っていた。
「多分、原因はあの件なんでしょうけど…」
 琥珀の話によれば、雲碌はキユが清河公主との「婚姻」に称旨
した話を聞いて、見るからにショックを受けていたという。
「キユ様も、お嬢様のお気持は解るでしょう?」
「えっ?あっ、ああ…」
 キユは吃りがちに答えた。雲碌が機嫌を損ねるだろうとは思って
いたが、そこまでとは思っていなかったのだ。
559: 馬キユ 04/06/06 01:30 AAS
(どうして…お兄様、どうして…)
 あの日、私との愛を誓い合った筈なのに。
 馬超、あの汚らわしい長兄の死によって、後を継ぐのはお兄様しか
いないと当然の様に思った。だから今までの関係が害われる事を、
惧れはしたけど覚悟もした。けどそれは一時的なものであって、世に
泰平が戻れば、隠遁して2人で静かに暮らす事になっている筈だった。
 けど、こんな事は予想していなかった。天子の義弟ともなれば、
簡単に隠棲出来る筈がない。それこそ帝室の藩屏として国体を
護持する義務が生じる。天子の義弟が実妹を妻になど出来よう
筈もない。
 私だって清河公主の死は憐れに思う。でも、それとこれとは話が
別だ。何故故人を、しかも後家だった女をお兄様の「正妻」に迎え
なければならないのか。翻って私は、「後妻」にすらなれない立場
に追いやられた。ただでさえ、最近は公主の死のせいで睦み合う
事が減っているというのに。
(どうしてこうなるの?理不尽にも程があるわ――)
 悔しくて、遣る瀬無くて。涙が出た。
 ふと気がつくと、琥珀と翡翠が、まるで憐れんでいるかのような
眼差しを向けてきていた。それが無性に腹立たしかった。私は
苛立ちを隠そうともせず、2人を部屋から追い出した。そしてもう
一度、頭から褥を被った。
560: 馬キユ 04/06/06 01:31 AAS
 それからどれくらい経っただろう。時間の感覚がない。ただ、
長い時間が過ぎたのだけは何となく分かった。
 衣擦れの音がした。音はどんどん近付いてきて、私の枕元まで
やって来た。
「お嬢様。キユ様がお見えですよ」
 どくんっ。
 琥珀の囁く声に、胸が大きく高鳴った。
 心臓がどんどん早鐘を打つ。
 会いたい。
 会ってすぐにでもお兄様の胸に飛び込みたい。
 なのに。
 動けない。
 会った瞬間何を口走ってしまうか解らない自分が恐い。
 きっと今、私は醜い顔をしている。それをお兄様に見られるのが
恐い。
「……放っといて」
「お嬢様?」
「放っといて。何度も言わせないで」
 少し間を置いて小さな溜息が聞こえた。
 跫音が遠ざかっていき、扉が開く音がした。そして閉まる音。
 しんと静まり返った。
561: 馬キユ 04/06/06 01:31 AAS
(またやってしまった)
 またつまらない意地を張って拒絶してしまった。
 あの時漸く素直になれたのに。
 これじゃあの頃と何も変わっていない。
 嫌だ。お兄様が傍にいないのは嫌だ。
 …けど。勇気が出せなかった。
(お兄様も悪いのよ)
 どうして無理矢理にでも踏み込んできてくれないのか。
 どうして「本当に愛してるのはお前だけだ」と言って抱き締めて
くれないのか。
 それだけで蟠りなんて消えてなくなる筈なのに。
 それだけで満たされる筈なのに。
「……馬鹿……」
 私は小さく呟いた。
 気を遣い過ぎるお兄様と、そして臆病な自分自身に向けて。
562: 馬キユ 04/06/06 01:32 AAS
―蓬莱山中―
 北斗、南斗の二仙は、仙界にあって下界を見通していた。
「老師の易卦はどうやら的中のようですね」
 南斗は敬愛する老仙の盃に酒を注ぎながら言った。
「ふむ…遂に運命を違える事はなかったか。我が理の中に在らざる
者ゆえ、或いはと思うたのじゃが…」
 答える北斗の声は心なしか張りがなかった。南斗はそれを疑問に
思った。
「卦が外れる事が望ましかったのですか?」
「吉卦は当たる方がよく、凶卦は外れるに越した事はない」
「成程」
 南斗は頷いたが、言葉ほどに納得した様子は見られなかった。
 北斗は北斗で、まだ言わないでいる事があった。
 帰妹の卦と一口に言っても、その卦の数は幾つかある。
年少の女性が長男に嫁ぐ事、女性側が縁談に積極的である事、
女房関白の前兆、晩婚、降嫁、離縁、破談……。
563: 馬キユ 04/06/06 01:32 AAS
 問題は、今のキユにはその全てが降りかかっているように
思われる事だった。
 南斗は恐らく、帰妹の上六(婚姻の不成立)を以って的中と
見做しているであろう。だが、キユに耳打ちした時に出ていた
卦は、それではなかった。
(何より…)
 帰妹の卦が出ているのは、独りキユのみの話ではない。
馬雲碌自身にもその卦は現れているのだ。まだ一波乱あると
見るべきだろう。
 俗世の感傷など、とうの昔に忘れた筈だった。だが今、
僅かに憐憫の情と共に、2人を見下ろしている北斗だった。
 北斗は一つ目を瞑ると、軽く頭を振って、盃に口をつけた。
564: 馬キユ 04/06/06 01:33 AAS
―建業―
 雲碌はそこにいる。けど触れる事はおろか、その姿を見る事
すら許して貰えなかった。
 僕だって望んでこうなったわけじゃないのに。
 この世界で結婚したって意味がないのに。
 ――けど、それは言えない台詞だった。
 僕は雲碌を愛してる。こんな世界とはいえそれは事実だし、
その雲碌の心を傷付けた責は追うべきだ。
 ただ、今はかける言葉が見つからなかった。
 僕は已む無く踵を返した。
 ふと。あの老人の言葉を思い出した。

『心を正しく持ち続ければ、或いはいずれか一方は手に入れる
事ができるかもしれん。じゃが両(ふたつ)ながら手に入れる
事は決して叶わん。心して選ぶがよい』
565: 馬キユ 04/06/06 01:34 AAS
(そうか。そういう事だったのか)
 僕は不意に悟った。
 元の時代に帰りたかったら、雲碌を置いて行かければなならない。
 雲碌と共に生き続けたかったら、夢をあきらめなければならない。
 2つとも手に入れる事は出来ないんだ。
 どちらかを選ぶしかないんだ。絶対に。
(もしかしたらこれでいいのかもしれない。だからこれで、このまま
統一を迎えれば――…)
 けど、無性に悔しいのは何故だろう。
「――雨が降ってきたな」
 僕は空を見上げた。
 空は嫌味な程、青く輝いていた。
566: 馬キユ@プレイヤー 04/06/06 01:34 AAS
>>555-556
保守して頂き有り難うございます。

そうするとエピローグが長くなりそうですね…。
まあ構想の段階で結構長くなっていますので、
数滴加わるようなものですが。
出来るだけの事はやってみます。

ここで次回予告。易京に遣わされた陳羣。
嘗ての主君と相見え、何を思う?
ロケットでつきぬけろ!
567
(1): 04/06/07 14:48 AAS
保守
568
(1): 04/06/12 04:52 AAS
保守
569
(1): [age] 04/06/12 09:21 AAS
保守
570: 馬キユ 04/06/13 08:18 AAS
【決裂】
―易京―
 陳羣を正使、郭奕を副使とする使者の一行は、国境を守備
していた満寵によって導かれて、易京の城に到着した。
 易京に入る時、南の城門の上に一個の死体が吊り下げられ
ているのが目に入った。鉄鎖によって雁字搦めに縛られた
その死体は、無数の黒鴉に群がられて、僅かに両足の爪先
だけが見えるだけだった。
 靴だけで判断する事は出来ないが、まず間違いなく馬超の
ものだろうと、陳羣は推測した。
 城内に入ってからは、大鴻臚の曹宇が自ら案内をした。
 陳羣は曹操の眼下に立つと、三跪九叩頭を施した。
「久しいな、陳羣。何をしに来た」
 曹操は陳羣が自分の面子を保ってくれた事を覚り、柔らかい
口調で訊ねた。
「光禄勲のご下命で、足下に銭5千万銭を進呈致しに参りました」
「ほう…。で、その莫大な銭を以って何を望む?」
「まず、馬超殿のご遺体を引き取らせて頂きたく存じます」
「何故かな?」
「罪人と雖も墓に入り、祭祀を受ける資格はございましょう。
光禄勲のご意志です」
「ほう…それは意外だな」
 曹操は目を細めた。
571: 馬キユ 04/06/13 08:18 AAS
 清河公主を攫った馬超はキユにとっても仇敵と言っていい。
引き取って私刑を加えるのかと思ったが、どうやら違うようだ。
 まあそれもキユらしい。
(出来れば激情に身を任せて欲しい気もするが、それは結局
朕すらも出来なかった事だ。況してキユではな…)
 曹操は最初、満寵の前で言ったとおり馬超の肉を食らうつもり
だった。だが馬超の不審な死に様は、多少医学の心得がある
曹操を鼻白ませるに充分だった。
 一時的な熱狂が去った曹操は、法家としての冷静さを取り
戻した。ただ何もしないのでは気が晴れないので、馬超の
屍体を宮刑に処した後、城門に吊るして晒し物にする事で
些か溜飲を下げているところだった。
「……相解った。朕としても持て余していたところだ。存分に
せよ」
「有り難きお言葉」
「それから?銭5千万銭の代償が罪人の遺体1つでは済むまい」
 曹操が探るような視線を寄越す。陳羣の表情がやや強張った。
「…ご賢察。光禄勲はこの仮王宮の廃宮、また黄衣朱蓋旒冕
その他の廃止をお求めです」
「…つまり、朕に降伏せよと、キユはそう言うのだな?」
「御意」
 曹操が勃然と立ち上がった。
「帰ってキユに伝えよ。顕職に祭り上げられたくらいでのぼせ
上がるな、と」
572: 馬キユ 04/06/13 08:19 AAS
「たかが一勝でのぼせ上がっておられるのは足下ではありま
せんか?」
 陳羣が峻烈に言い返す。
「何だと!?」
「無礼者め!」
「裏切り者の分際でほざくな!」
 途端に左右が沸騰する。中には早や剣の柄に手を掛けて
いる者も、少なからずあった。
「鎮まれ」
 曹操は眼光鋭く百官を制止すると、そのまま陳羣を睥睨した。
「暫く見ぬうちに囀るようになったな、陳羣」
 陳羣は跪いて三礼した。
「非礼を承知で申し上げます。今足下は大勝を博し馬超孟起の
首級を挙げられましたが、我が軍にはなお無傷の精兵百万が
あり、幽州を併呑すべく続々と集結しつつあります。また呉班、
厳顔を失ったとはいえ、なお武には関羽、甘寧、ホウ徳、孫策、
呂蒙があり、智には諸葛亮、ホウ統、徐庶、司馬懿、陸遜らの
名将が燦然と名を連ねております。万が一にも足下の勝ち目
はありません。ここは潔く降伏なされませ」
「ほざくな。朕にも数多の勇将智将があり、三十万の精兵と
それを支える百年の兵糧がある。この城も漢軍が攻め寄せる
頃には、更に堅牢にものとなっておろう。容易く勝てると思うな。
否、朕が勝つ」
573: 馬キユ 04/06/13 08:19 AAS
「足下の軍は既に窮地にあります。足下に解らぬ筈があります
まい。無用な意地は捨てて降伏召されよ。今なら陛下も足下を
義父として特赦するとの仰せですぞ」
「甘言には乗らぬ」
「甘言とは異な仰せ。そもそも足下の特赦を陛下に進言なさ
れたのは光禄勲です。足下の女婿が2人して、足下を赦そうと
仰言っているのです。そのご厚意を無下になさいますな」
 曹操は一瞬胸を詰まらせた。位階を高めるにつれ、人の厚情
に触れる事がなくなっていた。それを思い出したのである。
 だが。他人に憐れみを乞うなど、最早考えられない事だった。
「……駄目だな。朕は既に他人に屈する膝を持ち合わせて
おらん。遠路はるばるご苦労だった。その首は繋げたまま
帰してやる。銭5千万銭も返そう。それ故、帰って朕の意志を
篤と伝えるがよい」
 陳羣は曹操の顔を凝視した。
 陳羣は曹操の一瞬の表情の揺らぎを見逃さなかった。故に
曹操の真意を探ろうとした。
 だが曹操の表情は傲然としたまま、二度と揺らがなかった。
「…そうですか。是非もありませんね」
 陳羣は曹操の意志が固い事を覚ると、溜息を一つ吐いて
踵を返した。
 だが。その陳羣の背中を曹操が呼び止めた。
「何か」
 陳羣は振り返った。
574: 馬キユ 04/06/13 08:20 AAS
「風の便りで楽進が亡くなったと聞いた。弔辞を一筆書こう。
よければ楽進の墓に供えてやってくれ」
陳羣は一瞬言葉を失った。
「我、人に背くとも人、我に背く事勿れ」
 それが曹操の信条だった筈だ。敵方に奔った元部下を
これほど気にかけ、その死に対しても厚情を施すなど、
思いも寄らなかったのだ。
「…ご厚情、亡き文謙殿に代って御礼申し上げます」
 陳羣は戸惑いながらも恭しく一礼した。

「…というわけで、曹操には拒否されました」
 陳羣は洛陽に帰着すると、一部始終を復命した。
「そう…ご苦労様」
 キユはそれ以外に返す言葉がなかった。
「こうなってはもう攻め滅ぼす以外にありませんな」
 劉備が周囲を見渡しながら意見を諮る。その表情は得意げ
ですらあった。
 異論は上がらなかった。
「閣下もそれで宜しいですな?」
 劉備が最後にキユに問う。
「……仕方ないね」
 キユは已む無く頷いた。
575: 馬キユ@プレイヤー 04/06/13 08:21 AAS
>>567-569
保守して頂き有り難うございます。

ここで次回予告。
そして戦乱は終局へ。曹操、夢、見果てたり。
576
(1): 名も無き冒険者 04/06/17 08:29 AAS

  守
577: 馬キユ 04/06/17 22:24 AAS
建興元(223)年6月
【終熄へ】
 曹操が降伏を拒絶した後、僕は再び建業に戻って政務を
執った。
 大概の事は孔明達の判断に任せている。僕はただ決裁
するだけだった。
 御史台で兄さんの妻子の取り調べが行われ、彼等が一連
の事件に関知していない事が判明した。僕は連署によって
彼等の減刑を嘆願し、それは容れられた。
 その代わり彼等の身柄は官に没収された。兄さんの妻妾
と娘は官婢として織室に入れられ、馬承、馬秋他の男子は
労役刑に従事する事になった。
 その間、僕が独自に行った事と言えば2つ。
 1つは昇進だ。諸将の功績に応じて将軍位を上げ、禄を
加増した。
578: 馬キユ 04/06/17 22:25 AAS
 もう1つは大規模な人事異動。城陽に孫策、陸遜、呂蒙、
甘寧、呂岱、朱拠、孟達、張任、呉蘭、雷銅を、呉に司馬懿、
司馬師、ケ艾、文聘、郭淮、赫昭、韓遂、ホウ徳、張虎、
軻比能を、南皮に劉備、関羽、諸葛亮、ホウ統、徐庶、
馬岱、王平、馬忠、関平、陳到を集めて軍の再編成を
急がせる一方、後方の治安や内政は馬良、張松、張昭と
いった賢臣に委ねた。
 それから1年。
 城陽からは孫策を主将とする海軍が楽浪を陥落させた。
 南皮からは劉備を主将とする陸軍が北平を陥落させた。
 呉軍は善戦した。けど共に支え切る事は出来なかった。
 捕虜は誰一人として降伏しなかった。
 叛臣は斬罪に処すべしという声は高かった。けど僕は
全員を解放した。
 そして建興元年6月。劉備率いる漢軍は曹操最後の拠点、
襄平に向けて進撃を開始した。
579: 馬キユ 04/06/17 22:25 AAS
【夢の終わり・曹操】
―襄平―
「…最早これまでのようだな」
 曹操は城の中央にある高閣から眼下を見下ろして、
ぽつりと呟いた。
 三重に築かれた、高く堅固な城壁。二重に張り巡らされた
濠。城門には尽く甕城を築き、守りとした。馬面を配置する
間隔を詰めて、より効率的な迎撃が出来るようにもした。
 だが、所詮は易京を失っての急拵えでしかなかったのか。
 あらゆる設備は意味を為さなかった。
 敵が一撃放つ毎に、城壁が脆くも打ち砕かれていく。
 以前、官渡で袁紹と戦った時、霹靂車というものを作った。
 この遼城を攻略するに当たって敵が用意してきた兵器は、
その時の霹靂車よりも飛距離、威力共に遥かに上回っていた。
 城内からは矢も弩も届かない。そんな所から雨霰と砲弾を
撃ち込まれた。
 干戈の交わる音は今日も聞こえない。城内の兵士達は、
ある者は敵に手が届かない事を悔しがり、地団駄を踏む。
またある者は止む事の無い轟音に耐え切れず、打ち拉がれ
たり震えたりしていた。
 敵が免死の旗を掲げてから三日が経つ。兵卒のうちには、
夜陰に紛れて姿を消す者も散見されるようになっていた。
敵に降伏したか、それもせず逃げ出したか。どちらにせよ、
既に去ってしまった者を如何ともする術を、曹操は持たなかった。
580: 馬キユ 04/06/17 22:27 AAS
「何を言うか、孟徳!まだ終わってはおらんぞ!」
 夏侯惇が叱咤する。だが曹操はゆっくりと首を振った。
「これは最早戦いではない。嬲り殺しだ。残念ながら、朕の
智恵ではあの兵器に対抗出来そうにない。これ以上戦いを
長引かせても、惜ら将士を失うだけだ」
「……くっ!」
 夏侯惇はどかりとその場に腰を下ろした。その顔には
恨悔の色が濃く表れていた。
 張遼、黄忠、魯粛は既に亡い。この1年の間に皆、黄泉路
へと旅立った。
 だが生きていたとして、今日のこの日に善策を講じる事が
出来ていたかどうか。朕の天下を信じ、斯様な屈辱を目の当り
にせずに済んだだけ、彼等はまだ幸せだったかもしれない。
「王朗。百官を朝廟に集めよ。朕から皆に話がある」
「陛下……」
「今し方夏侯惇に言ったとおりだ。急いでくれ」
 王朗は老いた顔に深い皺を刻み、やがて黙然と一礼した。
581: 馬キユ 04/06/17 22:27 AAS
 開城する。
 曹操の口からその言葉を聞き、廟内は暫しの間寂と
静まり返った。
「…何故…何故ですか父上!?」
「何故左様な重大事を、我等臣下一同にお諮りになる
事もなく決してしまわれるのですか」
 曹丕、蒋欽等が色を為してにじり出る。だが曹操は
「見てのとおりだ」
 の一言で片付けた。
「では…陛下はどうなさるおつもりですか?」
 満寵が慎重に、しかし重要な疑問を口にした。曹操は
苦笑いを浮かべた。
「さて…な。朕の女婿2人の我が侭が通るか、劉備らの
弾劾が通るか。まあ見通しはよくないな」
582: 馬キユ 04/06/17 22:28 AAS
 百官が散会しても、曹操は玉座から動かなかった。
 今、曹操の心中には様々な記憶が去来していた。
 十常侍に盾突いて上表した事。騎都尉に任じられて黄巾賊
を鎮圧した事。董卓に抗って九死に一生を得た事。天子を奉戴
して天下に号令をかけた事。天子を失って自ら登極した事。
 しかし。全ての策は無に帰し、今日のこの日を迎えた。
 何故こうなったのか。朕には何が足りなかったのか。
 これまでに数多の将士を失った。人材の喪失こそがその
根本原因であろう。
 そして今、嘗て篭絡せんと欲したキユによって、この地に
追い詰められた。
 馬騰や馬超に追い詰められたとは思わない。キユの常勝が
なければ、奴等如きに追い立てられる事は有り得なかった。
(結局は朕自らの過ちであったか)
 自らキユと対峙し、その進撃を食い止める努力を怠った。
全ては朕の過失。
 そしてその過失故に、数多の将士を失う事となった。
 敗れたのもむべなる哉。
 我が野心は潰えた。
(――そうだ。これは野心だったのだ)
 曹操は不意に悟った。
583: 馬キユ 04/06/17 22:28 AAS
 朕は朕を信じて跟いてきてくれた者達に酬いてやらなければ
ならぬと思った。故に群臣の推挙を受け、帝位を称した。
 だがそれは間違っていた。我が帝位は天命を俟たず、玉璽
だけを頼りにしたものだった。それは野心でしかない。袁術と
同じである。故にその末路もまた、袁術と同じくするだろう。
(――いや)
 袁術と同じになどならぬ。断じて、あのような醜態は晒さぬ。
 それが漢朝400年の功臣の裔として、大呉の天子として、
朕が保ち得る最後の矜持だ。
 曹操は未だ陛下に残っていた夏侯惇に声をかけた。
「元譲。そなたは玉璽と朕の首を持ってキユの許へ行け」
 曹操の言葉に、夏侯惇は仰天して右目を剥いた。
「なっ、何を言うか、孟徳!そんな真似が俺に出来るか!」
「いや、この役目はそなたにしか出来ん。朕の首を携え、
張既と共に降伏の使者となれ。そしてこの首と引き換えに、
残余の者の助命を乞うてくれ」
 曹操の声は淡々として落ち着いていた。
 夏侯惇は何か言いかけて一度口を噤んだ。曹操の決意の
固さを看取したのだった。
「…何故死に急ぐ、孟徳」
「漢朝に叛して皇帝を称したのだ。今更赦してくれなどと誰が
言えようか」
584: 馬キユ 04/06/17 22:29 AAS
「随分とあきらめがいいな」
「これも天命だ。仕方あるまい」
「ならば俺も死ぬ」
「ならん。そなたは生きろ」
 夏侯惇の隻眼が烱烈に光った。
「何故だ。俺とて呉の大将軍だ、生き長らえるわけにはいかん」
「そなたには朕の妻子を守って貰いたいのだ。子桓の性格では
降伏の屈辱に耐え切れまい。恐らくは礼を失して誅殺される
羽目に陥ろう。だが朕は子桓の命も助けてやりたい。その時、
その一命に代えても、子桓の命を守ってやって欲しい」
「…つまり、俺はいざという時の楯であり、贄であるわけか」
「そうだ」
 夏侯惇はじっと曹操を見据えた。
 曹操は身じろぎもせず、厳しい表情で夏侯惇を見返した。
 やがて。
「…ふぅ――」
 夏侯惇は大きな息を吐くと、破顔した。
「そうか、お前の妻子を守る為か。ならば異存はない。この
夏侯惇元譲、人生最期の大役を見事務めてみせよう」
「済まぬな。朕の我が侭に付き合わせて」
「我が侭とは水臭いな。俺とお前の仲じゃないか」
「…ああ、そうだな」
585: 馬キユ 04/06/17 22:30 AAS
 曹操は立ち上がると、一歩一歩踏みしめるように、階を降りた。
 夏侯惇が見詰める前を素通りし、闔閾に差し掛かる。
 そこで夏侯惇が声をかけた。
「待っていろ。俺もすぐに行くからな」
 曹操は立ち止まって振り返ると、涼やかに笑った。
 夏侯惇はにやりと笑って言葉を継いだ。
「あの世に着いたら妙才達を集めて、また天下取りでもするか?」
「あっちには董卓も呂布もいる。孫子も項羽もいるかもしれん。
手強いぞ」
「望む所だ」
 二人は一頻り笑い合った。
「――では、一足先に」

 そして曹操は姿を消した。
586: 馬キユ@プレイヤー 04/06/17 22:32 AAS
>>576
保守して頂き有り難うございます。

ここで次回予告。
祭りの刻は過ぎた。その時キユの決断は…?
ロケットでつきぬけろ!
587
(1): 04/06/19 17:29 AAS
曹操の葬送
588: 馬キユ 04/06/21 00:07 AAS
【夢の終わり・キユ】
―建業―
 キユは北平の孔明に進軍の指示を出すと、自らは荷物を
纏め始めた。
「今後は洛陽で政務を執る」
 言わば引越しの準備である。それが建前だった。
 それに応じて、琥珀たちも全員が中央に戻るべく、荷物を
纏め始めた。
 1人、雲碌を除いては。
 だが、雲碌は別に洛陽に行きたくないわけではない。
単に不貞寝が続いているだけだった。
 そんな雲碌の様子を見て琥珀は溜息を吐いたが、何も
言わずに雲碌の荷物も纏め出していた。
589: 馬キユ 04/06/21 00:08 AAS
 その日僕は、建業の自室において、遼城の陥落と曹操の
自決の報告を受け取った。
 曹操の首なんて見たくない。生首だけになった義父の姿
など正視に堪えない。
 実検の必要なんてない。劉備や関羽が確認すればそれで
十分だ。それよりも――。
(遂にこの日が来たのか)
 僕は慄然とした。
 中原は遂に統一された。
 平和は来た。もう僕が戦う必要はない。こんな時代と場所
に縛られなければならない理由はなくなった。これからの
僕は自由だ。どこにだって行っていいんだ。やっと元の時代
に帰れる。
 ――そう思うのと同時に、いろいろな事が脳裡を過った。
590: 馬キユ 04/06/21 00:08 AAS
『心を正しく持ち続ければ、或いはいずれか一方は手に
入れる事ができるかもしれん。じゃが両(ふたつ)ながら
手に入れる事は決して叶わん。心して選ぶがよい』

『海内が再び統一された暁には、2人して隠棲し、どこか
人目の届かぬところで静かに慈しみ合ってくれ。くれぐれも
人目を憚らぬような真似だけはしてくれるな』

『お兄様は私の全てなんです。お兄様さえ傍にいて下されば、
それだけで私は幸せなんです。だからどこにも行ったりしない
で下さい。約束ですよ』

『私はお嬢様付きの侍女です。ですが御恩があるのはキユ様、
貴方に対してだけです。キユ様がお望みであれば、私はどの
ような事でも致します。そう心に誓っているんです』
591: 馬キユ 04/06/21 00:09 AAS
 思えば随分と柵(しがらみ)が出来た。愛する女性(ひと)も
出来た。雲碌の為にこの時代に骨を埋めるなら、僕は元の
時代に帰る事をあきらめるべきだろう。けどこうして何とか
生き残る事が出来たのは、僕に漫画家としての命運が
尽きていないという事の証かもしれない。
 僕は元の時代に帰りたい。帰ってもう一度漫画家として
チャレンジしてみたい。
(僕はどうすればいい?)
 あれから何度となく悩んだ。煩悶しつつも答えが出ずに
今日まで来た。
 けど、砂時計の砂はもう落ちきってしまった。これ以上答えを
先延ばしにする猶予は僕にはもうない。今日、決めなければ。

 それからどのくらいの時間が過ぎただろう。空はもう茜色に
染まっていた。
 僕は遂に意を決すると、琥珀さんの部屋へと足を運んだ。
592: 馬キユ 04/06/21 00:10 AAS
 翌朝。
 といっても、既に陽は高い。
「お嬢様、おはようございます。お召し替えの時間です」
 雲碌の目を覚ましたのは、いつもと違って翡翠の声だった。
 雲碌は応えない。
「洛陽へ上る準備が整いました。今日にでも出立せよとの、
キユ様からの仰せです」
 随分と愚図ったが、雲碌は結局、渋々ながら牀台から出た。
いくらすれ違いが続いているからといって、離れ離れになる
のだけは嫌だった。
 牀台から出て、雲碌は琥珀の姿がないのに気付いた。
「翡翠。琥珀は?」
 一瞬、翡翠の身体が強張ったように見えた。雲碌は首を
傾げた。が、翡翠はすぐに冷静を装った。
「姉さんは今、用事があって城を離れています」
「私の侍女なのに、主人である私よりもその用事とやらの
方が重要なの?」
 翡翠に着替えをさせながら問い詰める。
「お嬢様を軽んじているわけではありません」
「それは用事の内容を聞いてから私が判断します。琥珀が
外せない用事って何?」
「出立には間に合わせますので、どうかご安心下さい」
593: 馬キユ 04/06/21 00:10 AAS
「誰がそんな事を訊いてるの?私が訊いているのは琥珀の
用事の内容です。どんな用事なの?」
「……」
「翡翠…貴女侍女の分際で私に隠し立てをするつもり?」
 翡翠は恐怖に打ち震えたが、歯を食いしばって堪え、
雲碌の着付けを終えた。
「そう…そんなに言えない用事なの…」
 雲碌の声音が落ちた。そっと瞼を閉じる。
 刹那。雲碌は片手で瞬時のうちに翡翠の首を締め上げて
いた。
 このあたりは如何にも馬超の妹だった。
 翡翠は動転した。慌てて雲碌の手を引き剥がそうとしたが、
両手を以ってしてもびくともしなかった。
「かは…お…お嬢…様…」
 声が擦れる。頭に血が上る。だが雲碌は目尻を吊り上げて
翡翠を睨み付けた。
「言いなさい、翡翠。言わないと死ぬわよ」
「い、言います…言いますから手を…」
 どうしようもなかった。翡翠は息も絶え絶えに懇願した。

 翡翠から話を聞き出すや、雲碌は翡翠を突き飛ばして
部屋を飛び出した。
594: 馬キユ 04/06/21 00:11 AAS
『キユ様は挂冠なされました。今日、東夷に向けて出航
なされます。姉さんはその見送りに出かけました』

(それって一体どういう事?解らない。何故そんな事に
なってるの?)
 混乱する頭で愛馬『胡蝶蘭』の手綱を取る。
 だがその視界に、キユの的廬が繋がれたままなのを
見咎めた。
 雲碌は迷わず手綱を持ち替えた。

『お嬢様には内密にと言われていました。キユ様のご意志
だそうです。この事を知られないうちにお嬢様を洛陽まで
お連れしろとの事でした』
595: 馬キユ 04/06/21 00:11 AAS
(何故私に一言も相談してくれないの?どうして私を連れて
いってくれないの?)
 私はお兄様を愛している。お兄様も私を愛していると言って
くれた。そして幾百幾千の夜を愛し合った。なのに何故?
 もう飽きたというの?私の事なんてもうどうでもいいの?
 私がずっと拗ねてたから…それが悪かったの?
 それともそんなに清河公主の事を愛してたの?
 解らない。何もかもが解らなかった。
 私にはお兄様が必要なのだ。絶対に離したくない。離れ
たくない。追いついて問い詰める。そしてお兄様がどうしても
この地を去るというのなら、私も一緒に連れていって貰う。
 着のみ着のままだっていい。他には何も要らない。お兄様
さえいれば私はそれだけで幸せなのだから。
「目指すは湊です。行きなさい、的廬!」
 雲碌が一鞭を当てる。的廬は一声、甲高く嘶いて駆け出した。
596: 馬キユ@プレイヤー 04/06/21 00:12 AAS
>>587
ダジャレでの保守、有り難うございます。

リプレイ開始から今日で丸2年が経ったわけですが、
漸く終わりが見えてきました。長い道程でした…。

ここで次回予告。それぞれの夢の終わり…。
ロケットでつきぬけろ!
597
(1): 04/06/23 02:41 AAS
保守

リプが始まった当初から拝読していますた。
話の結末がたのしみだけども、リプ終わったあといつも更新チェック
してたところが一個減るさみしさを考えると、複雑な気分……(´・ω・`)
598
(1): 04/06/23 04:39 AA×

599
(1): 04/06/25 16:04 AAS
保守
600: 馬キユ 04/06/26 00:23 AAS
【夢の終わり・雲碌】
―建業郊外の湊―
「本当にこれで宜しかったのですか、キユ様?」
 琥珀は一隻の楼船を前にして訊ねた。
 琥珀さんは相変わらず笑顔で話しかけてくる。けどその
笑顔も、今日ばかりは少し翳って見えた。
「ああ、これでいいんだ。これで――…」
 僕は雲碌の幻影を振り切るように言った。
 この数年間、琥珀さんには本当にいろいろとお世話に
なった。はっきり言えば利用した。琥珀さんの気持を
分かっていながら。それが僕の罪悪感を更に大きくする。
 けど。それでも僕は引き返せない。
「今までありがとう、琥珀さん。そしてごめん」
「謝って下さらなくとも結構です。全てはキユ様の御恩に
報いる為ですから」
 琥珀さんはくすりと笑った。けど、その微笑もやっぱり
どこか曇りがちだった。
「この事が雲碌にバレたら、ただじゃ済まないかも
しれないよ?」
「ではどうしてキユ様は私を頼られたのですか?」
「それは……」
601: 馬キユ 04/06/26 00:24 AAS
「でしょう?キユ様は最初から解っていらしたんです。
それでも私を頼られました。ですから私はキユ様の
ご希望にお応えしたんです。ただそれだけです」
「……ごめん」
 僕はそう言うしかなかった。琥珀さんは苦笑の溜息を
漏らした。
「でも、私やキユ様はそれでよくても、お嬢様はきっと
納得してくれませんよ?」
「そうだね…そう思って、実は雲碌に一筆認めた。
帰ってから雲碌に渡してほしい」
 そう言って僕は、一通の手紙を琥珀さんに手渡した。
「これでお嬢様が納得して下さればいいですけど…
確かにお預かりしました」
「はは、そうだね……」
 僕は苦笑した。確かに、こんなもので納得してくれるとは
思えない。けど、それでもこれは伝えなきゃならない事だ。
でも正面切っては告げられない。会えば必ず未練が残る。
だから直接会う事は出来ない。こうして琥珀さんに託す事
しか出来ないんだ。
「閣下、出航の準備が整いやしたぜ」
 船上から船長が声をかけてきた。
602: 馬キユ 04/06/26 00:24 AAS
「そろそろ行かなきゃ」
「これでお別れなんですね」
 琥珀さんが寂しそうに笑う。胸がずきりと痛んだ。
「…そうだね。本当にごめん」
「いいえ。私はこうしてキユ様の船出を見送る事が出来ます。
それだけでも他の人よりずっと幸せだと思います」
「そう言われると気恥ずかしいな」
 僕は鼻頭を掻いた。
「じゃあ行くよ」
「キユ様、あの……」
 踵を返しかけた僕を、琥珀さんが呼び止めた。僕は
何だろうと思って振り返った。
 琥珀さんは何だか顔を赤らめてもじもじしていた。
「なに?」
「あの、最後に…一度だけでいいんです。一度だけで
構いませんから、私を抱きしめてくれませんか」
 僕は琥珀さんをまじまじと見詰めた。
 琥珀さんは頬を赤らめながら、じっと僕の目を見詰めて
くる。その瞳から余程の覚悟と決意が伝わってきた。
 そんな事を言われるのは男冥利に尽きる。けど……
「ごめん。雲碌にさえしてやれなかった事を、他の女性
(ひと)にしてあげるわけにはいかないんだ」
603: 馬キユ 04/06/26 00:25 AAS
「そう――ですか。そうですよね――…」
 琥珀さんが寂しげな笑いとともに俯く。
 けど僕の身体は言葉とは裏腹に、琥珀さんの身体を
抱きしめていた。
「――えっ…?」
 琥珀さんが目を見張る。
「けど、僕は琥珀さんに何もお礼をしてあげられない。
だからこれが僕のお礼だ」
 そしてすっと手を放す。
「琥珀さん、ありがとう。じゃあ僕は行くよ」
「……はい。こちらこそありがとうございました」
「元気でね。皆にもそう伝えておいて」
「はい。キユ様もお元気で。よい船旅を」
 ステップを上がっていく僕に、琥珀さんは優しく微笑み
かけた。
 その目尻にはうっすらと涙が滲んでいた。
604: 馬キユ 04/06/26 00:26 AAS
 雲碌は的廬を湊まで直走りに走らせた。
 ここ最近引き篭もっていたせいか、身体が重い。馬を
駆る事がこんなに負担の掛かるものだとは思わなかった。
でもここで立ち止まるわけにはいかない。
 湊は人出で賑わっていた。帰還した兵士、故郷に錦を
飾った将校、彼らを出迎える家族。或いは積み荷に携わる
商人や人夫。誰もが中華全土の統一を祝い、来るべき
新時代、平和と進取の時代を謳歌しようとしていた。
 その人いきれの中を、雲碌は風のように駆け抜けた。
 桟橋で手綱を引き、兄の名を呼んだ。申し訳程度に
琥珀の名も呼んだ。
「お兄様とは誰の事ですかな?」
 裕福な身なりの壮年が雲碌に問い掛けた。
「漢の光禄勲、馬休の事よ」
「ああ、閣下でしたら、ほら」
 壮年は海に向かって指を指した。
「あそこに船が見えるでしょう。あれに乗っておられますよ。
何でも東夷に…」
 壮年の言葉が終わるのを待たずして、雲碌は的廬を
海に乗り入れていた。
 驚いた壮年が何か叫んでいたが、雲碌の脳には
届かなかった。
605: 馬キユ 04/06/26 00:27 AAS
 壮年が指差した船は、既に湊から一里余り離れていた。
 ほんの僅かの差だった。
 同じ陸地にいさえすれば、どんなに離れていてもいつかは
追いつく。追いつくまでの時間を短縮することも容易い。
 だが、海はそうではなかった。海では一度ついてしまった
差が容易に縮まることはない。それは宇宙の真理の如く、
厳然として雲碌の前に立ちはだかった。
「待って、お兄様!私を置いていかないで…!」
 私が悪かったのなら謝るから。
 これからは素直になるから。
 だからお兄様の傍にいさせて。
 雲碌は必死で船に追い縋ろうとした。
 だが両者の差は縮まるどころか、広がっていく一方だった。
 いつしか的廬は、海面に首を出しているだけで精一杯に
なっていた。
 雲碌は絶望に打ちひしがれて俯いた。
 でも。
606: 馬キユ 04/06/26 00:27 AAS
 離れたくない。

 失いたくない。

「お願い、的廬…」
 雲碌の口が微かに動き、そして爆発した。
「お願い的廬!私をあなたの御主人様のところまで
連れていって…!」
 雲碌のその願いが通じたのか。
 的廬はひときわ高く嘶くと、五、六丈ほども飛び跳ねた。
 だが。
 的廬がどれほど驚異的な跳躍を見せようとも、キユの
船は遥か彼方。届くべくもなかった。
 そして船は見えなくなった。
607: 馬キユ 04/06/26 00:28 AAS
 閻行が駆けつけたのは、その直後だった。
 閻行は、表まで出てきたはいいがどうすればよいか
解らずに狼狽えていた翡翠の前を折よく通りかかり、
翡翠の頼みでここまで追ってきたのである。
 それから数分後。
 海中に沈みかけていた雲碌は、閻行の指示によって
救助された。
 続いて的廬の救出が試みられたが、こちらはなかなか
作業が捗らなかった。
 陸に揚げられた雲碌は、そのまま蹲って打ち震えていた。
 閻行は上着を脱いで雲碌の肩にかけてやった。そして一言
「無茶をしたな」
 と言った。
「…無茶苦茶なのはお兄様の方よ」
 雲碌は力なく呟き返した。
「何故…?どうして…?」
 囈のようにそれだけを繰り返す主人を見て、琥珀は流石に
胸が痛くなった。
「お嬢様、これを」
 琥珀は先刻預かったばかりの手紙を雲碌に差し出した。
 雲碌は呆けたように一瞥したが、手紙の存在に気付くと
引っ手繰るように受け取った。そして食い入るように内容を
検めた。
608: 馬キユ 04/06/26 00:28 AAS
『親愛なる妹へ。
 僕が黙って立ち去る事を赦して欲しい。
 君は何故と問うだろうけど、これには山よりも高く海よりも
深いわけがある。
 実は僕は、君の実の兄じゃない。いや、馬寿成の実の
息子じゃあない。お父さんには確かに馬休という次男が
いるらしいんだけど、それは僕の事じゃない。
 僕は本名を松井勝法、ペンネームをキユという、君たち
から見れば1800年後の倭人の漫画家なんだ。何故こう
なったのかはわからないけど、僕は僕の世界で事故に遭い、
気がつくと馬休という人物になっていた。これが真相だ。
 馬休本人と僕とが入れ替わってしまったのは20年以上も
前、君がまだ襁褓をしていた頃の事だ。それ以来僕はずっと、
全ての人を偽って生きてきた。最初は得体の知らない世界で
独り放り出される事が怖かったからだけど、長い年月のうちに
次第に居心地のよさに甘えるようになってたと思う。
 この話を伝えるのは君にだけだ。話しておかないと君は
きっと納得してくれないだろう。だからこの話は他の人には
黙っておいてほしい。
609: 馬キユ 04/06/26 00:29 AAS
 この時代も平穏になったことだし、僕はそろそろ本来の
自分を取り戻したいと思う。
 これは元々予定していた事だ。
 雲碌の事は勿論、愛してる。けど、それでも僕はこの
帰心を押し止める事が出来ない。だから僕は行く。
 最後まで嘘をつき続けてごめん。
 いつか本当のお兄さんが見つかるといいね。
 君の幸せを心から祈っています。
 バイバイ。
キユ

P.S.近々洛陽にたくさんの捕虜が護送されてくるだろう。
僕の意思は皆赦だ。出来れば僕に代ってそう奏上して欲しい。
これが漢朝に対する、僕の最後の奉公だ』
610: 馬キユ 04/06/26 00:30 AAS
「……何が『私の幸せを心から祈っています』よ……」
 雲碌の声が震える。
「お兄様がいないのに私が幸せになれるわけないのに…
お兄様がいない世界など私には意味がないのに……!」
 雲碌は握り締めた拳を地面に撃ちつけた。何度も、何度も。
「お兄様が誰だって構わなかった!お兄様は私にとって
お兄様だった!…………そして、兄以上だった…。
お兄様……お兄様!」
 閻行が雲碌の肩をそっと叩く。
 閻行を見上げた雲碌の顔は、滂沱に塗れていた。
「う…う…わああああああああああ!ああああああああああ
……!!」
611: 馬キユ@プレイヤー 04/06/26 00:30 AAS
>>597
最初からという事は、私がドラクエに嵌って更新を疎かに
していた時期もご存知のうえで、読んで下さっているのですね。
貴殿のような方がいて下さったお陰で、私も何とかここまで
くる事が出来ました。本当に有り難うございました。
何事も始まりがあれば終わりもまたあります。
寂しいと言って頂けるのは幸甚に尽きますが、
ご容赦の程、宜しくお願い致します。

>>598
何だかよく解りませんが、保守して頂き有り難うございます。

>>599
保守ageして頂き有り難うございます。

次回からエピローグになります。
2,3回に分けて書き込む事になると思いますが、
最後までおつきあいの程を宜しくお願い致します。
612
(1): 04/06/30 09:23 AAS
保守
613
(1): 04/07/01 22:18 AAS
関連スレ
武田騎馬軍団VS準急六田行き
2chスレ:rail
614
(1): 04/07/03 03:48 AA×

615: 馬キユ 04/07/05 14:21 AAS
【エピローグ】
 海の底から湧きあがって来るような感覚。
 意識の深淵が呼び覚まされるような感覚。
 そして光を感じた。

「あっ、母さん。カツが目を覚ました」
「えっ、ほんと?!」
 うっすらと目を開けると、見慣れない光景に、懐かしい顔。
「…アキ…と母さんに似てるなあ…」
 キユがぼんやりと呟く。
「似てるんじゃなくて、本人だよ本人」
「本人?」
 キユはあたりを見回した。近代的な病室に、近代的な設備。
そして目の前にいるのは自分の本来の母と弟。2人とも「よかった、
よかった」と、そればっかり繰り返してる。
「なんだか懐かしい顔だなあ。まるで20年ぶりくらいに見た
気がするよ」
「あ、まだボケてるわこいつ。20年も経ってたら俺も母さんも
こんな顔してないよ」
「…それもそうか」
 キユはまだぼんやりとしつつ、アキに訊ねた。
「ねえアキ。今日は何年何月何日?」
「ん、今日?今日は2002年の某月某日だ」
「そうか…帰ってきたんだな、僕は」
616: 馬キユ 04/07/05 14:22 AAS
「帰ってきた?何を言ってるの勝法。あなたはこの5日間、
ずっとこの病室で意識不明に陥ってたのよ」
「へっ?」
「まーまー母さん。きっとカツは三途の川を渡りかけたんだよ」
「こら、明紀。言っていい冗談と悪い冗談があるわよ」
「へーい」
 アキは首を竦めた。
「ところでさあ、カツ。さっきからビミョーなニオイがする
んだけど……」
「えっ、何が?」
 キユは問い返して不意に、自分の股間が生温かいことに
気が付いた。
(やっ…べえ、夢精か?そーいや雲碌とヤリまくってたん
だっけ)
「まったくウチの息子たちときたら、親の目の前で何て会話を」
 母が眉根を寄せて溜息を吐く。キユは赤面し、アキは再び
首を竦めた。
「…じゃあカツ。タオルと着替えはそこにあるから。俺らは
暫く出とくから、何かあったら呼んでくれ」
「おー」
 キユは母と弟を視線で見送ると、最後にある記憶を辿ってみた。
617: 馬キユ 04/07/05 14:23 AAS
 湊で一騒動あったとは露知らず、キユは、これで一件落着
とばかりに船内でダレきっていた。後は無事に日本に辿り着く
のを待つばかり。
 だが、そう思ったところで大きな疑問が湧き起こった。
「…待てよ?仮にこのまま日本に辿り着いたとして、でもそれは
日本だけど僕の知ってる日本じゃないよな。どうすればいいん
だろう?」
 うーむ、と考え込むキユだが、固より答えが出るはずもない。
「ま、なるようになるか」
 キユはそう呟いて、さっさとこの問題を忘れることにした。
「…それにしても、っかしーなー。アレ、持ってきたと思った
んだけどなー。どこやったんだろ?」

 そんなキユの薄情っぷりといい加減っぷりに天が怒ったのか。
 出港して5日後、キユの船は台風に巻き込まれた。
 よほど運が悪いのか、キユを巻き込んだ台風はかなりの大型
だった。海上は大時化状態。キユは忽ち船酔いを起こして嘔吐
を繰り返した。
「うわ〜、よく考えたらこの時代じゃなくても、6月って台風
シーズンじゃないか…うぇっぷ。しかも 東シナ海って台風の
通り道だよなー…おぇっぷ」
 船縁に縋って胃の中のものを吐き出していると、一人の水夫
がキユに近付いてきて、船長が呼んでいると伝えた。
618: 馬キユ 04/07/05 14:23 AAS
「あ〜…何?話って」
「言いにくい事なんですけどね」
 船長はそう前置きしたけど、ちっとも言いにくそうじゃない
のはなぜだろう。
「このままだとこの船はヤバイです」
「ヤバイ?」
「はい。早晩転覆か沈没か、2つに1つです」
「…それは頼もしい未来予想図だね」
「豪胆ですな」
「あんたほどじゃないよ」
「…ごほん。そこで倭人の持衰とやらに海鎮の祈祷をさせて
いますが、あんなのは私に言わせりゃアテになりません」
「同感だね」
「でまあ、こういうときの方便として、人柱を捧げて海神の
怒りを鎮めるという手法もありますが、どうしますか」
「要らない要らない。ただの自然現象相手に積極的に死ぬ
事もないさ」
「しかしこのままですと全滅の憂き目に遭いかねませんが」
「全滅は嫌だね」
「ではご決断を」
「でも人柱はダメ」
「そんな悠長な事を言ってる…と?!」
619: 馬キユ 04/07/05 14:24 AAS
 その時、一際大きな波が来たらしい。
 僕たちの船は中空に撥ね上げられて…そして海面に激突
した。
 勿論船はバラバラ。積み荷もバラバラ。人は…あ、僕は
大丈夫みたいだ。
 周囲を見渡すと、さっきまで船だったものが無数の破片と
なって海面に浮かんでいる。船に乗っていた人たちは思い
思いに、その船の切れ端に縋っている。僕は…この帆柱に
しとくか。
 僕が帆柱に縋って一息ついてると、船長が船の破片を
ビート板よろしく使って近付いてきた。
「や、あんたも無事だったみたいだね…」
「あんたのせいだぞ!」
 船長は開口一番、そう怒鳴った。
「あんたがぐだぐだ言わずに人柱を立てときゃ、こんな事
にはならなかったんだ!」
 …祈祷の効力は信じないのに人柱の効力を信じるのは
なんで?
「ま、仕方ないさ。覆水盆に還らずとも言うしね」
「還らないどころか水浸しだ」
 あーはいはい。しかしこれからどうしますかねえ…
「船長、船長!」
 水夫の必死の叫び声が聞こえてくる。
620: 馬キユ 04/07/05 14:25 AAS
「あーん?」
 僕と船長は同時に振り返った。
 その目の前に迫り来るのは、ワイキキビーチもかくやの
ビッグウェーブ。
「……!!」
 僕と船長は声も出せずにお互いを見やって…そのまま
波に飲み込まれた。
 嗚呼。勝って勝って勝ち続けて、こんなところで負ける
のか。それも台風に。所詮僕はここまでの男だったのか、
雲碌…なんつったりして。
 危機感とはおよそ無縁の事を考えながら、僕の意識は
海中深く沈んでいった。

 ――思い出した、こんなカンジだった。
 えーと、待てよ?つまり交通事故に遭って過去に飛んで
20年以上も過ごし、海難事故に遭って現在に戻ってきたと、
そういう事になるのかな?
 でも、母さんは僕が意識不明でずっと寝てたって言った
な。じゃああれは全部夢?
 しかしたかだか4,5日意識不明に陥ってたからって、
あんな壮大な夢を見るもんかねえ?
 てゆーか、意識不明の状態で夢って見られるもんなのか?
621: 馬キユ 04/07/05 14:26 AAS
 退院してからはいろいろと忙しかった。編集部や師匠、
友人の漫画家たちにご心配とご迷惑をおかけしたお詫び、
とかいって、暫くは挨拶回りが続いた。
 勿論、ナンバー10はとっくに打ち切りが決定していた。
あーあ、また当分はアシとバイトの生活かー。次作の連載
枠獲得に向けてLive Like Rocketだ。
622: 馬キユ 04/07/05 14:28 AAS
―225年夏、建業―
 雲碌は一人、桟橋に立っていた。

 あの日、お兄様はここから旅立って行った。
 お兄様の乗った船が難破した話は、すぐに大陸にも
伝わってきた。
 私は洛陽への出立を取り止め、お兄様を追う準備を
していた。その矢先の凶報に、私は半狂乱して周囲を
驚かせた。
 お兄様が生きていたという報告は、未だにない。
 そんな報告が決して齎される事がないという事は、
私がいちばんよく解っている。だってあの日以来、
私の身体は嘘のように軽くなったのだから。
 そう。これは昔感じていた身軽さ。お兄様に私の
神気を与える以前の感覚だった。
 狂乱するなという方が無理だった。
 お兄様が書き残していった「本物の馬休」なる人物
すら、姿を現さなかった。
 光禄勲の突然の棄官に、漢の朝廷は混乱を来した。
中でも落胆が大きかったのは天子劉協、文約の叔父様、
そして司馬懿だろう。
623: 馬キユ 04/07/05 14:28 AAS
 朝廷は大きく分けて3つの閥に分かれた。劉備、孔明
をはじめとして中央集権を図る一派。孫策、陸遜を
はじめとする江南の豪族連合。鉄兄様は我こそが次の
盟主たらんと大号令を発したけど、日を措かずして
何者かに暗殺された。馬岱様はその哀れな死に様を
見て、黙々と劉備の閥に加わった。
 捕虜を裁くどころではなかった。いや、却って助命
する代わりに、自らの閥に取り込もうという動きが
加速した。中でも司馬懿、陳羣らは諸夏侯曹氏の生き
残りや若手を取り込んで、もう一つの派閥を形成した。
 政争はもう始まっていた。
 いなくなった者の事など、誰も覚えていなかった。
624: 馬キユ 04/07/05 14:29 AAS
 お兄様の気配が失せて以来、私は抜け殻のような
日々を送っていた。
「郷里にお帰りになりますか?」
 ある時、琥珀が遠慮がちに訊ねた。
 最初は何を訊かれたのかさっぱり解らなかった。
 何度か訊き直されて漸く、私は首を振る事が出来た。
 ここから離れる事が出来なかった。郷里の、あんな
内陸に帰ってしまっては、お兄様との絆が本当に
断たれてしまうようで恐かった。
 けど、いつまでも城内に留まっているのは都合が悪い
という事にも気付いた。
 私は孔明を通じて建業郊外に一軒家を無心して貰い、
琥珀達と共に移り住んだ。
 荷物は一度纏まっていた。引っ越すのは簡単だった。
625: 馬キユ 04/07/05 14:30 AAS
 引っ越してから数日後。彦明様が大きな荷物を送って
きた。
 お兄様が描き溜めていた、たくさんの肖像画だった。
(こんな大事なものを忘れてたなんて…)
 いくら気落ちしていたとはいえ、城を引き払う際に
あの人の荷物を引き取らなかったなんて、何と間の抜けた
話だろう。私は自責しながら肖像画をめくり始めた。
 そこにはお父様がいた。孟起…兄様がいて鉄兄様が
いて文約叔父様がいた。彦明様がいて琥珀がいて翡翠が
いた。曹操がいて曹休がいて司馬懿がいた。他にも
たくさんの人物が描かれていた。
 そして幼い頃の私がいた。
「…私、目も口もこんなに大きくありませんでしたわ」
 半泣きでぼやきながら、次々に紙をめくる。
 …肖像画は次第に、私のものが増え始めた。怒った顔、
拗ねた顔、泣いた顔、笑った顔。横顔に寝顔まであった。
よくこんなに見ていてくれたものだと思いながら、
嬉しさと懐かしさで胸がいっぱいになった。
「…何かしら?」
 最後に一つ、別個に梱包されている包みが残った。
包み方が他のものとは違い、それだけで別人が包んだ
ものだと判った。
626: 馬キユ 04/07/05 14:31 AAS
 もしかしたらお兄様が忘れていったものだろうか。
私は何気なく包みを開いた。
「…………っ!」
 そこには、とびきりの笑顔で微笑む私がいた。
 私は胸が高鳴るのを覚えた。
 私はふと、その絵の左下隅に何か書いてあるのに気付いた。

『my love, 雲碌』

 堰を切ったように泪が溢れ出た。
 言葉は読めない。でもその想いは確かに私の胸に
伝わってきた。
 私はその絵を強く抱きしめた。
 私はこの上なく嬉しくて、そしてこの上なく悔しかった。
 ずっとお兄様と一緒にいたかったのに。
 でも、それはもう叶わない。
 私はいつまでも泣き続けた。

 そして3年が過ぎた。
627: 馬キユ 04/07/05 14:32 AAS
「お嬢様」
 背後から呼びかけられて、私は振り返った。
「琥珀。翡翠」
「やっぱりここでしたね。お急ぎ下さい。もうすぐ
平東将軍様との婚儀が始まりますから」
 私は琥珀に対して頷いてから、翡翠の咎めるような
視線に気付いた。
「なに、翡翠?随分不満そうだけど」
「一つお伺いしても宜しいでしょうか」
「いいわ。何?」
「お嬢様が今ここにおいでになっているわけは何でしょうか」
「さあ。強いて言えば郷愁かしらね」
 翡翠の目つきが一段と険しくなった。
「…僭越ながら言わせて頂きます。お嬢様は薄情です。
お嬢様までこのままキユ様をお忘れになるおつもりですか」
「そう見える?」
「はい」
「そう」
 私は思わず苦笑した。侍女の分際でいい度胸してるわ。
 この二人もあの人を慕っていたと知ったのは、
あの人がいなくなってからの事だ。
 といっても、あくまでそうらしいと覚っただけで
あって、二人に直接問い質した事はない。今ので
疑惑が確信に変わったけれど。
628: 馬キユ 04/07/05 14:33 AAS
 …まあ、そんな事はどうでもいいんだけど。
「私は忘れたつもりも、忘れるつもりもないわ」
「ではなぜ、あんな老人との婚礼を承諾なさったの
ですか」
「一つは丞相からの懇請だから」
 劉備亡き後、丞相となったのは孔明だ。
 政争は現在、小康状態にある。とはいえ呉会の豪族に
睨みを利かせるつもりなのだろう。趙雲が平東将軍揚州
都督諸軍事として、近頃建業に赴任してきた。その直後
にこの縁談だった。
 私は、事情を知りながらこんな縁談を寄越した孔明に
腹を立てたが、
『今更俗事に関わるつもりはない』
 と返すに留めた。
 孔明から折り返し返事が届いた。その使者として
やって来たのは徳衡(馬鈞)だった。
 徳衡は今、丞相鎧曹掾として朝廷に出仕している。
本来ならこんな役目を負う立場ではないのだけど、
恐らく遠戚にあたるという理由で起用されたのだろう。
『平東将軍は既に老齢です。形だけでも人妻の肩書きを
手に入れれば、その後貞義を貫くにも何かと都合が宜しい
のではないかと存じます。平東将軍にもその旨お伝え
致しますので、よいお返事を頂けますよう、伏して
お願い申し上げます』
629: 馬キユ 04/07/05 14:34 AAS
 親書にはそう書いてあった。
 正直、形だけでも他人のものになるのは嫌だった。
 せめてあの人の子供を授かっていれば。
 誰から何と言われようとも、頑として貞義を押し通す
事が出来ただろう。
 いや。寧ろ不義の兄妹よと謗りを受けて、世間が私を
爪弾きにしてくれた事だろう。
 けど、子供を授かる事は遂になかった。
 あの人がそれを望まなかったのだと、後日琥珀から
聞かされた。
 腹立たしくて、遣る瀬無くて。――けど、それが
正しかったのかもしれない。
 琥珀はその時死を覚悟しているようだったけど、
私は何も言わなかった。
 返事は書かなかった。
 それから2度、孔明からの親書が届いた。
 3度握り潰したところで、今度は孔明自らが足を
運んできた。
630: 馬キユ 04/07/05 14:35 AAS
「今を時めかれます丞相閣下が、このような怨婦に
何のご用でしょうか」
「既にご承知とは思いますが、貴女に平東将軍との
婚儀を承諾して頂きたく、かくは罷り越しました」
「たかがその程度の話で政務を蔑ろになさるなど、
とても常日頃の閣下とは思えません」
「貞婦は時に自決しますからね。女性の貞義はそれで
守られ、称揚されるのでしょうが、拒絶された側は
やはり傷つきますから。そう、あれはもう何年前の
話になりますか…」
 それはまだあの人がいた頃の話だった。
 郭奕が後妻に穎川の荀采という女性を望んだ事が
あった。荀采は19歳で後家となり、その時もまだ
二十歳を過ぎたばかりだった。荀采の父は結婚を認め、
嫌がる娘を無理矢理郭奕の家に送りつけた。すると
荀采は「尸還陰(我が屍は陰氏=夫の家に還る)」と
書き遺して、自ら首を縊って死んでしまった。
 その話を伝え聞いて、私はあの人と共に胸を痛めた。
私には彼女の気持が痛いほど解った。
「無理強いする男の側に問題があるのです」
「……そうですね。如何に言葉を取り繕った所で、
事実は枉げられませんね」
 孔明は躊躇った後、そう認めた。
631: 馬キユ 04/07/05 14:36 AAS
「しかしその、何と申し上げればよいですかね。
こればかりは訊くまいと思っていたのですが、
あの時の事を知る者として単刀直入にお尋ねします。
何故かの御仁は一人で旅立たれたのでしょうか?」
 びくりと。
 身体が震えた。
「…失礼。やはり訊いてよい話ではなかったでしょうね。
しかし余にはどうしても解せないのです。彼は貴女と
2人で隠棲する事を望んでいた筈ですが…」
 私は黙って文箱を取り寄せると、その中から一通の
手紙を取り出して孔明の前に示した。
 孔明は黙って一読し、そして何かを悟ったような
顔をした。
「成程。不思議な事もあるものですね。ですが漸く
合点がいきました。彼は最初から余を知っていたの
ですね」
 後にして思えば私にも心当たりはあった。いや、
あり過ぎた。
632: 馬キユ 04/07/05 14:37 AAS
 けど、それを知る事にどんな意味があったというのか。
 知らなくてもよかった。ただあの人さえ傍にいて
くれたら。
「しかしこの手紙を読む限り、貴女が頑として拒絶する
理由はないでしょう」
「何故ですか」
「彼は貴女に、幸せになってほしいと願っています。
このまま誰とも結婚せず、老い朽ちてゆくだけの一生は
幸せとは言えますまい」
「私の幸せは私が決めます」
「しかしそれが彼の最期の望みではありませんか?」
633: 馬キユ 04/07/05 14:38 AAS
「そしてもう一つは…あの人が幸せになれ、と」
「操をお捨てになるのがお嬢様の幸せなのですか?」
 翡翠の言うとおりだ。操を棄てて私の本当の幸せなど
あろう筈がない。この命を絶ってでもあの人への貞義を
貫くべきなのだ。
 けど。
「駄目よ翡翠ちゃん。せめて遺言だけでも守ろうとする
お嬢様のお気持を察してあげなきゃ」
 琥珀が人差し指を立てて、諭すように叱りつけた。
「遺言なんかじゃないわ」
「えっ?」
「あの人は生きています」
「…まあ、遺体は見つからずじまいですから、お嬢様が
そう思いたいのは解りますけど…」
 琥珀は駄々をこねる娘をあやすような顔をした。
「私には確信があります。貴女達に話しても仕方のない
事ですけど」
「では尚更、キユ様をお待ちになられるべきです」
 翡翠の抑揚のない声が私の頬を打つ。
「そうね。本当にそうするべきだわ」
 私は苦笑した。
634: 馬キユ 04/07/05 14:40 AAS
 でもね、翡翠。あの人は今は、私なんかではもう
手の届かない場所にいる。
「ではなぜ?!」
「今言ったでしょう。貴女達に話しても仕方のない
事だって」
 そう、あの人はまだ生まれていない。これから千年、
二千年の後、遠い異郷の地に生まれる人なのだ。
現世で寄り添う事はもう叶わない。
 私は道ならぬ恋に身を灼き尽くしたと唾棄されても
構わない。
 けど、あの人は私が死ぬ事を望んでいない。
 ならばせめて、精一杯生きよう。偽名でもいい、
清名を遺しておこう。そうすればあの人はきっと、
私を見つけてくれる。その時初めて、私はあの人の
許へ行く事ができる――。
(お兄様はあの空の彼方に――)
 私は青く広がる空に向かって両腕を広げた。
 穏やかな風が吹き抜けていった。
635: 馬キユ 04/07/05 14:40 AAS
―2003年、桑名―
「今度はテコンドー漫画で1年やる予定なんだって?」
「誰から聞いたよ、そんな話?」
「違うのか?」
「僕はそんな話は聞いてないよ」
「そうか。俺も出来れば止めて欲しいと思ってたけどな」
 僕は帰省して、地元の友人と久しぶりに再会した。
といっても、その友人自身もたまたま同じ時に帰省して
いたんだけど。
 彼と会うのは何年ぶりだろうか。昔はよく、自作の
漫画を描いては彼に見せていたものだ。
 僕はその友人が中国史に詳しいのを思い出して、
夢について訊ねてみた。
「ああ、あるよ」
 その友人は事もなげに言った。
「邯鄲夢の枕っていうんだけど。詳しい話聞きたい?」
「や、それはいいよ」
「ふーん。…で、その夢の結果がソレなの?」
 友人は僕が抱えている分厚い紙袋を指差した。
「うん、そうだよ」
 僕は答えて、その紙袋を抱える手に力を入れた。
 紙袋の中には『反三国志』が入っている。今し方
買ったばかりだ。
636: 馬キユ 04/07/05 14:41 AAS
「なんかね、さっきこの本に触れた時、僕はこの本を
買わなきゃいけないような気がしたんだ」
「そう?」
「うん」
「ま、俺は別にいーんだけどな。それより、その夢とやら
が今後の漫画家生活に活かせるといいな」
「そうだね」

 見上げれば、どこまでも続く青い空。
 そこに「夢」の中で会った人々の顔が次々と浮かんでは
消えていく。
 非命に倒れた友、中道で亡くなった父さん、最後まで
生き残った同僚たち。夏侯惇以外のそれは、みんな笑顔で
現れた。
 ともに笑い、泣き、ときには戦い合った。それが例え
夢であっても、今ではいい思い出だ。彼らの「将来」に
幸の多からんことを。
 最後に、雲碌が現れた。
 雲碌は優しく微笑みながら両腕を伸ばしてきた。
 ああ、君はそこにいたんだね。僕はここにいる。
これからはずっと一緒だよ――。
1-
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