[過去ログ] 第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-019 (577レス)
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216: ものすごい勢いで炎上 1/5 2005/04/16(土) 22:07:32 ID:32Eq1BNg(1/19)調 AAS
野球の試合では意外な出来事が起きることが多々ありますが、
リリーフで登板して、16失点、うち13失点は1イニングに。
しかも、『自責点0ながら1イニング13失点の悪夢』を紹介したいと思います。

その投手はレフティ・オドール(Lefty O'Doul)
外部リンク:www.amazon.co.jp
外部リンク:www.baseball-reference.com
外部リンク[php]:www.baseball-almanac.com

レフティ・オドール(Lefty O'Doul)投手は後に外野手に転向して大活躍した名選手で、
1951年に大リーグ選抜の監督として来日したこともあります。
217: ものすごい勢いで炎上 2/5 2005/04/16(土) 22:07:57 ID:32Eq1BNg(2/19)調 AAS
October 20, 1951: Joe DiMaggio accompanies Lefty O'Doul's all-stars on a
tour of Japan. They will win 13 of the 15 games.
外部リンク[stm]:www.baseballlibrary.com

オドールは選手や監督として何度も来日しているのですが、全部で何回来日したのかは
数え切れないです。
レフティ・オドールは「忘れられた日本野球の父」とも言われています。

Lefty O'Doul(Francis Joseph O'Doul)
日本では「フランク・オドール」という表記のほうが多いようですが「レフティ・オドール」
のほうで書きます。
218: ものすごい勢いで炎上 3/5 2005/04/16(土) 22:08:27 ID:32Eq1BNg(3/19)調 AAS
『自責点0ながら1イニング13失点の悪夢』
レフティ・オドールは野球の歴史家たちから「インディアンの大虐殺」と呼ばれる一件で
どん底を味わっています。
それは1923年7月7日の「ボストン・レッドソックス対クリーブランド・インディアンズ、
ダブルヘッダー第一試合」でのことでした。

4回裏、ルーキー投手フラートのリリーフとしてオドールがマウンドに向かったとき、レッドソックスは
0対8と劣勢でした。その回、オドールは1点を取られ、5回裏には2点取られました。

有名となった6回裏。四球、内野ゴロ(二塁封殺)、単打、レフトフライ、
そしてトリス・スピーカー(選手兼監督)が四球を選び2アウト満塁。

次打者はライトフライを打ち上げました。右翼手フラグスレッドが落球。。。。
219: ものすごい勢いで炎上 4/5 2005/04/16(土) 22:08:48 ID:32Eq1BNg(4/19)調 AAS
その後、インディアンズ打線は堰を切ったようになりました。二塁打、単打、四球、四球、
単打、四球、単打。
インディアンズのスピーカー(監督兼選手)は安全圏に入ったとみて、自分の代打に
ボブ・ノードを送りました。
そのノードは四球。次打者は、さっきのライトフライ(右翼手が落球)で命拾いしたシーウェル。
シーウェルは単打。次打者ステファンソンが二塁打を放ち、1イニングに13点(オドール投手の自責点は0)。
ステファンソンは相手への同情心もあってか、暴走気味に三塁へ盗塁を試みてアウト。やっと3アウト。
オドール投手はこの回の猛攻から脱出することができたのですが、野球の記録集に入り込むことに
なりました。なお、試合はCleveland Indians 27, Boston Red Sox 3でした。
220: ものすごい勢いで炎上、そして‥ 5/5 2005/04/16(土) 22:09:20 ID:32Eq1BNg(5/19)調 AAS
翌日の『クリーブランド・プレインディーラー』紙は、レッドソックスのフランク・チャンス監督が
どうしてオドール投手を屈辱の中にさらし続けたのか?については何も触れず、
「監督は投手が疲れてもう投げられないと言うまで投げ続けさせた。その内の一人(監督)は
大虐殺の中を生き延び、怪我もしないで逃走した」と書くのみでした。
ダブルヘッダー第2試合のために投手を温存しておきたい、ということだったかもしれないです。

オドールは1923年のシーズンをもってしてメジャーの舞台から姿を消しましたが、
5年後の1928年に31歳で再昇格し、翌1929年にはリーグ新記録の254安打、打率1位、
本塁打5位と大活躍。(中略)故郷サンフランシスコでは英雄的な存在となりました。

親日家で選手や監督として何度も来日し、日本プロ野球に尽力、その発展に寄与したことを
認められて、2002年に日本の野球殿堂に入りました。

野球殿堂入りオドール氏のレリーフ贈呈式
外部リンク[html]:www.sanspo.com
221: データ&サイト 1/7 2005/04/16(土) 22:17:30 ID:32Eq1BNg(6/19)調 AA×

外部リンク:mlb.mlb.com
外部リンク:www.major.jp
外部リンク[php]:www.major.jp
222: データ&サイト 2/7 2005/04/16(土) 22:17:56 ID:32Eq1BNg(7/19)調 AAS
その他のサイト

メジャーリーグ総合サイト"MLB FRIENDS"(日本語)
外部リンク[htm]:mlb.fc2web.com

TSPスポーツ(日本語)
外部リンク:www.tsp21.com

サークルチェンジ.com(日本語)
外部リンク:circlechange.com

ESPN.com(英語)
外部リンク:sports.espn.go.com
223: データ&サイト 3/7 2005/04/16(土) 22:18:24 ID:32Eq1BNg(8/19)調 AAS
☆AMERICAN LEAGUE☆

   東地区            中地区              西地区
New York Yankees Minnesota Twins Oakland Athletics
ヤンキース          ツインズ             アスレチックス
Boston Red Sox Chicago White Sox Los Angeles Angels of Anaheim
レッドソックス        ホワイトソックス         アナハイム・エンゼルス
Tronto Blue Jays Cleveland Indians Seattle Mariners
ブルージェイズ        インディアンス          マリナーズ
Baltimore Orioles Kansascity Royals Texas Rangers
オリオールズ         ロイヤルズ            レンジャーズ
Tampa Bay Devil Rays Detroit Tigers
デビルレイズ         タイガース
224: データ&サイト 4/7 2005/04/16(土) 22:22:41 ID:32Eq1BNg(9/19)調 AA×

225: データ&サイト 5/7 2005/04/16(土) 22:23:10 ID:32Eq1BNg(10/19)調 AAS
Japanese Major Leagers! <<Multimediaでお楽しみください。さすが米国のサイト>>

<Batters>
イチロー(Seattle Mariners)
外部リンク[jsp]:mlb.mlb.com

松井秀喜(New York Yankees)
外部リンク[jsp]:mlb.mlb.com

松井稼頭央(New York Mets)
外部リンク[jsp]:mlb.mlb.com

田口壮(St.Louis Cardinals)
外部リンク[jsp]:mlb.mlb.com

井口資仁(Chicago White Sox)
外部リンク[jsp]:chicago.whitesox.mlb.com

中村紀洋(Los Angeles Dodgers)
外部リンク[jsp]:losangeles.dodgers.mlb.com
226: データ&サイト 6/7 2005/04/16(土) 22:23:40 ID:32Eq1BNg(11/19)調 AAS
<Pitchers>

野茂英雄(Tampa Bay Devil Rays)
外部リンク[jsp]:tampabay.devilrays.mlb.com

石井一久(New York Mets)
外部リンク[jsp]:newyork.mets.mlb.com

長谷川滋利(Seattle Mariners)
外部リンク[jsp]:seattle.mariners.mlb.com

大家友和(Washington Nationals)
外部リンク[jsp]:washington.nationals.mlb.com

高津臣吾(Chicago White Sox)
外部リンク[jsp]:chicago.whitesox.mlb.com
227: データ&サイト 7/7 2005/04/16(土) 22:24:03 ID:32Eq1BNg(12/19)調 AAS
大塚晶則(San Diego Padres)
外部リンク[jsp]:sandiego.padres.mlb.com

木田優夫(Seattle Mariners)
外部リンク[html]:www.major.jp

多田野数人(Cleveland Indians)
外部リンク[jsp]:cleveland.indians.mlb.com

藪恵壹(Oakland Athletics)
外部リンク[jsp]:oakland.athletics.mlb.com

デニー友利(Boston Red Sox)
外部リンク[html]:www.major.jp
228: 野球総合支援最終 1/7 2005/04/16(土) 22:27:38 ID:32Eq1BNg(13/19)調 AAS
<米国野球殿堂に残された写真−父から子へ伝える夢>

 ニューヨーク州クーパーズタウンにある野球殿堂博物館。そこは、野球史を彩ってきた偉大な選手たちに
敬意を表する場所である。展示物は、全て野球史の1ページを飾ったもので、誰もがそこにあることを認めた
ものばかりなのである。だがここに、誰も知ることのない一枚の写真が存在した。そこには、人々の心を揺り
動かす物語があったのだ。
 1994年2月、展示品を移動したばかりで館内ががらんとしていた時、学芸員のウェンディは一枚の写真が
床に落ちているのを見つけた。かなり古い選手の写真だった。彼女はその見覚えのない写真を、館長のテッド・
スペンサーのもとに持っていった。
 
 殿堂入りする全ての名選手の顔を覚えている館長さえも見たことのない写真だった。ユニフォームも見た
ことのないチームのもので、写真の裏には息子から父にあてたと見られる手紙が書かれていた。館長はこの
写真について調べてみた。
 この写真に写っていた男は、ジョー・オドネルといい、ユニフォームは1940年代のとある石油会社のユニ
フォームだった。ニューヨーク州アンドーバーに住んでいたジョーの最高に楽しみにしていた夢が、1948年、
ついに叶った。一番小さなグローブが、息子の手にぴったりはまった。ジョーの夢とは、息子パットと
キャッチボールをすることだったのだ。
229: 野球総合支援最終 2/7 2005/04/16(土) 22:28:00 ID:32Eq1BNg(14/19)調 AAS
 キャッチボールは、父から子へ何かを伝える儀式のようだった。やがて月日は流れ、今度はジョーの手が
痛くなるほどパットの腕は上がっていた。成長したパットは、野球への憧れを持ち始めていた。「勝つため
にはここという勝負所がある。そこで決めた者だけが生き残るんだ。いいな」とジョーは最高の球を投げた。
 10歳になったパットは、父と二人でやるキャッチボールの世界から、9人でやるベースボールの世界へと
入っていった。だが最初の年、パットは全くといっていいほどボールが打てなかった。

 パットは打てないため、ジョーに野球がつまらないと言った。ジョーはそんな息子を今度はバットの練習に
連れ出した。「打たせてくれるヤツなんていない。ヒットは自分の力でもぎとれ!人生もなんだって同じだ!」
と父は子に伝えた。練習が屈辱を乗り越えさせてくれる、そうパットは信じてバットを振り続けた。
 ジョーは、息子の試合にはいつも駆けつけた。その日の試合で、パットは1点差で相手チームを追っていて、
パットの一打で試合が決まる場面を迎えていた。しかしピッチャーは、ボールにかすりもしないパットを完全に
なめていた。
230: 野球総合支援最終 3/7 2005/04/16(土) 22:28:26 ID:32Eq1BNg(15/19)調 AAS
 逆転のチャンスに2ストライクと追いこまれたパット。しかし彼は最後の一振りに父の「ヒットは自分の力で
もぎとれ!」という言葉を思い出した。パットの打球はセンターの頭上をはるかに越えていった。チームも見事
逆転勝利をおさめた。このときチームメートの父親は、抱き合って喜ぶパットとジョーに「すごいな。将来は
殿堂入りかもな」と声をかけた。
 殿堂って何?と聞くパットに、ジョーは「最高の中でも最高の男が集まる所」と教えた。野球を目指す者の
夢となる野球殿堂博物館。パットはその夢を持ち始め、高校野球ではチームの中心打者にまで成長した。最大の
ファンは、もちろん父のジョーだった。

 高校卒業も迫った頃、息子の試合を見に来ていたジョーに、パットが言った。「ビッグニュースだよ、今日の
試合を大リーグのスカウトが見に来ているんだって!」。スカウトの目に止まれば大リーグに一歩近づける、
そして殿堂入りの夢が開けるのだ。パットは力一杯頑張った。
 しかしその日、力みすぎたパットにいい所はひとつもなかった。家に帰ってからも、パットは元気がなかった。
励まそうとするジョーにも、「なんで僕に野球なんか教えたんだ。おかげで僕は18になる今日まで野球のこと
しか考えてなかったんだ!」とあたった。
231: 野球総合支援最終 4/7 2005/04/16(土) 22:28:54 ID:32Eq1BNg(16/19)調 AAS
 「野球バカなのに、野球で食べていけない。どうすればいいんだよ!」と言うパットに、ジョーは「いいか
パット、夢は一つじゃない。それに、どう生きていくか教えてきたつもりだ」と言った。しかし、大きな夢に
破れたパットに、父の言葉を理解する余裕はなかった。
 ついにパットは、仕事を求め家を出ることになった。しかし、それからのパットの生活は荒れていた。
19歳で結婚し息子も生まれていた。しかし仕事に生きがいを見いだせず工場を解雇される有様だった。唯一
残されていた人間らしさは、時々実家に出す両親への手紙くらいだった。

 それは、ジョーが楽しげにパットからの手紙を読んでいる時だった。ジョーは突然、心臓発作を起こしてしま
った。数日後にパットが実家に戻った時にはすでに意識はなく、医者も手の施しようがなかった。母のメアリーは、
パットに話があると言った。
 メアリーはそう言うと、パットに一枚の写真を見せた。そこには、野球のユニフォームを着たジョーが写ってい
た。「父さんはね、本当はプロ野球に入るはずだったの」。母のその言葉に、パットは非常に驚いた。
232: 野球総合支援最終 5/7 2005/04/16(土) 22:29:29 ID:32Eq1BNg(17/19)調 AAS
 ジョーもまた、少年時代から野球に夢中だった。高校野球では豪快なホームラン打者としてならし、卒業後は
社会人野球の名門シンクレア石油会社の中心打者として活躍した。
 ジョーは20歳の頃、チームメートからも、「プロテストを受けろよ。おまえなら絶対大リーグでも活躍できるぜ」
と言われていた。ジョーも、大リーグでのプレイどころか、殿堂入りという夢ももっていた。
 しかし、彼はすでに高校時代からのガールフレンドだったメアリーと結婚していた。そして間もなく、彼女は
パットを身ごもったのだ。

 ジョーは悩んだ。厳しいプロの世界で、どんなに才能があっても一回の故障やアクシデントでその座を奪われて
しまう。自分一人ならどんな苦労も耐えられる、しかし、もう一人ではなかった。一児の父親だったのだ。しかも
当時、彼は安定した職にも就いていた。それを振ってまで大リーグへ行くのか?
 メアリーは、ジョーの望むようにしてほしかった。プロテストを受けないと言ったジョーは、メアリーにこう
言った。「いいんだよ。俺にはもう一つ夢があるんだ。息子とキャッチボールをするっていう夢が。キャッチボールで
親子の会話をしたいんだ。生き方や考え方をそこで伝えていきたいんだ。それは、大リーグで活躍するのと同じ位
価値のあることだよ」
233: 野球総合支援最終 6/7 2005/04/16(土) 22:29:54 ID:32Eq1BNg(18/19)調 AAS
 こうしてジョーは、大リーグと殿堂入りの夢を心の奥にしまいこんだ。野球を始めた息子の負担にならぬ様にと、
大リーグに誘われたほどの選手だったという事実もパットには話さずにいた。
 意識のないままベッドに横たわる父に、パットは泣いて謝った。なんで自分に野球を教えたんだなんて、言って
しまったんだろう。パットは悲しくて仕方なかった。
 自分の過ごした部屋で、パットは父との思い出のいっぱいつまったグローブを見つけた。パットは、ジョーの言った
「夢は一つじゃない」という言葉を思い出した。

 そのグローブを持ち帰ったパットは、息子のリックとキャッチボールを始めた。それまで父親らしいことをしてきた
だろうか、と自問しながら。やっとジョーの思いを心に受け止めたパットは、ジョーが自分にしてくれたようにしたいと
思った。
 「どんなに忙しくても疲れていても、キャッチボールをしてくれた父。休みの日には試合を見に来てくれ、面倒も
見てくれた。あなたこそ野球殿堂入りすべきだと思います」とパットは父の写真の裏に書き、その写真を殿堂博物館に
こっそりと置いてきたのだ。
234: 野球総合支援最終 7/7 2005/04/16(土) 22:31:04 ID:32Eq1BNg(19/19)調 AAS
 父さんこそ最高の中の最高の男だ、そう思ったパットの行動だった。この時のことを、「やったぞ父さん、これでずっと
父さんは殿堂入りだ、と思いました。まさか誰かに見つかるとは、思ってもいませんでした。誰も知らなくても、
自分の中では殿堂入りしたと思い、満足でした」とパットは語る。
 絶対見つかるはずのなかったその写真は、展示品移動の際、発見された。そしてこの写真と父と子の物語は、全米中に
共感を持って迎えられ、やがては野球殿堂自体をも動かした。

 アメリカ野球史に燦然と輝く幾多の選手と共に、このジョーの写真がアメリカの父親の象徴として殿堂博物館に飾られ
ることになったのだ。
 はじめはあの写真をもとの場所に戻すつもりだった館長も、野球を通した親と子のつながりを伝えるのにあの写真
以上のものはないと思い、展示することにしたという。
 現在この写真は、館長室に飾られ、いつでも見られるようになっているという。パットは、写真が永遠に殿堂入りする
ことを知った時、飛び跳ねるほど嬉しかった、生きていて一番嬉しいと感じたという。あの写真は、キャッチボールをする
全ての親子への贈り物なのだ。

外部リンク[html]:www.fujitv.co.jp

<本日野球総合板を応援して全ての皆様に、厚く御礼申し上げます>
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