渋谷凛「フロッシュゲザング」 (28レス)
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15: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:02:54.72 ID:8iVJtLSD0(15/27)調 AAS
◆
いつだったか。
「できる男なんですよ」と私のプロデューサーがそう自称していたことがあるが、どうやら嘘ではなかったらしい。
私がそれを思い知ったのは、正式に彼の担当アイドルとなってから、すぐだった。
曲ができただとか、衣装が届いただとか、お仕事が決まっただとか。
その手のビッグニュースは毎日聞かされている気がするし、何より劇的に忙しくなった。
息つく暇もない、というのはこういうことを言うのだろう。
なんて、どこか他人事のように思うのも半ば習慣となっている。
「凛。大丈夫か」
窓の外を流れる景色を、見るでもなく眺めていると右側からの温かな声が私を現実に引き戻す。
「ん。ぼーっとしてた?」
「してたよ。話しかけても生返事だった」
「んー。疲れてるのかな。それか、まだ現実感がないのかも」
「……まぁ、無理ないか」
プロデューサーが短く息を吐く。
再び窓の外に視線をやると、流れていた景色がゆるやかに形を取り戻して、車が停止した。
正面に視線を移す。交差点で右折待ちをしているようだった。
「ライブハウス形式とは言え、初めての千人規模だったもんな」
プロデューサーが言って、私を見る。
かちかち鳴るウィンカーの音がやけに耳に響いて、それが煩わしく私は右折し終わってウィンカーが鳴り止むのを待ってから口を開く。
16: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:03:46.91 ID:8iVJtLSD0(16/27)調 AAS
「私、千人の前で歌ったんだよね」
「実感、ないか」
「あるよ。あるんだけど」
「けど?」
「私がやった、って気がしないんだよね」
「……どういう」
「なんて言えばいいんだろ。用意されたレールの上、みたいな」
「俺に走らされてる、ってか」
「んーん。プロデューサーには感謝してるんだよ。いつも気にかけてくれるし、私結構めんどくさい性格してると思うんだけど、懲りずに向き合ってくれるし」
「……でも、今日見に来てくれた千人は凛のために、チケット代を払って、凛のために二時間声援をくれていたわけだろ」
「うん。ファンのみんなは大事だと思ってる。それに、ありがたいとも」
「何かしながら、する話じゃなさそうだなぁ」
「え?」
「ちょっと冷えるかもだけど、良い公園があるんだよ」
彼は優しく微笑んで、車線を変更し通りを折れる。
彼の言う、良い公園がどこを指しているのかはすぐに見当がついて、私は「ああ」と返した。
「あの公園、ね」
17: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:06:15.99 ID:8iVJtLSD0(17/27)調 AAS
○
こつり。
助手席から左足を降ろせば、アスファルトと打ち合って軽い音が鳴る。
プロデューサーの革靴も同様で、順番に四回。
最後にばたん、ばたんとドアが閉まる音が二回。
それらを経て、彼が歩いていくのに従い私も続いた。
「何から、話そうかな」
「ごめん。別に現状に不満があるわけではないんだけど」
「いやいや、そういう違和感は放っておかないほうがいい。話してくれて嬉しいよ」
「……うん」
んー、と彼が伸びをするので、私もそれに倣う。
伴って、肺いっぱいに冷たい空気が流れ込んできて、ライブ後の高揚感を程よく冷ましてくれているみたいだった。
「もし、勘違いだったら自惚れてると笑ってくれていいんだけど」
「うん」
「凛はさ、今の凛の活動……というか、人気が俺に用意されたもの、だと感じてるんじゃないかな」
「え」
実際、そうだった。
私としてはレッスンを頑張って、頑張ってひたすらにやっていると、彼がやってきて曲やら衣装やらを渡される。
同じように、お仕事も。
18: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:07:30.37 ID:8iVJtLSD0(18/27)調 AAS
「それはさ、違うんだよ。全部、凛が持って来てくれたんだよ」
「でも」
「例え話。してもいいか」
話の流れを千切って、プロデューサーが脈絡なく自身の話題へ引き込むのはいつものことだったが、今日だけは違った。
私の了解があるまでは、何も言わない。
そんな意思が感じられるような面持ちで、てくてくと歩き続けている。
やがて、私も彼も無言のまま例のベンチまでやってきてしまう。
「いいよ。例え話」
「……凛は甘いもの、ケーキとか。好きだよね」
「まぁ、うん」
「じゃあ、ケーキ屋さんだ。ケーキ屋さんがあるとする」
「どんな?」
「なんでもいい。凛が一番好きなケーキ屋さんを思い浮かべてくれたら、それで」
「わかった」
「そのお店の前に、一人店員さんが立っている」
「うん」
「で、言うわけだ。ここのケーキは世界一です。損はさせません。一度食べてみてください、って」
「……」
「さて、晴れてケーキは飛ぶように売れるようになりました。これはどうしてだろう」
「だけど」
「だけど、じゃない」
言って、唐突にプロデューサーは立ち上がる。
それから、三歩ほど歩いて私の正面に立ち、こちらを指でさした。
「いいか。俺の売ってるケーキはな。世界一なんだよ」
仁王立ち、というやつを決めて彼は得意げにふふんと笑う。
それを見て、どうしてか私はちょっとだけ視界が霞むのだった。
その後「どう? かっこよかった?」と訊いて来たので台無しだったが、そこはそれ。
このぐらいが丁度いいのかもしれない、などと私は思ったのだった。
19: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:09:00.63 ID:8iVJtLSD0(19/27)調 AAS
○
「さて、せっかくだし何か飲んで帰ろうか。奢るよ」
「カフェオレが無難じゃないかな」
「俺はブラックでいいんだけど」
「たまには甘いのも飲んでみたら?」
「そうかなぁ」
甘いのよりも今は苦いのの気分なんだけどなぁ、だとかなんとかぶつくさと言いながら自動販売機のほうへと歩いていくプロデューサーの隣を、私も歩く。
事件が起きたのは、その直後だった。
「あー! あのときのおっさん!」
野太く、鋭い声がして、私たちは同時に振り返る。
そこには体格の良い男性二人組がいた。
間違いなく、あのときプロデューサーが私のスカウトに巻き込んだ二人組だった。
「少年たち! 元気だったか!」
プロデューサーもプロデューサーで、唐突にキャラクターを演じ始めて二人組に向け手を広げる。
だが、逆効果のようだった。
「元気だったか、じゃねぇんだよ!」
「え?」
「俺ら、あれからしばらくしてフロッグスの人に会ったけど、お前らみたいなの知らねぇ、って言われたんだけど!」
「…………あー」
今にも掴みかかってきそうな剣幕で、ずんずんこちらへ歩いて来る二人組に、私は思わず後ずさる。
それをかばうように、プロデューサーが前に出てくれて、私の視界は濃紺のスーツの後姿のみとなった。
20: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:09:54.70 ID:8iVJtLSD0(20/27)調 AAS
ああ、どうか。怖いことが起こりませんように。
ぎゅう、と目を閉じて私は祈る。
21: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:10:44.11 ID:8iVJtLSD0(21/27)調 AAS
「まぁ、結果オーライってやつなんだけどよ」
果たして私の願いは叶えられ、二人組の片方がそう言って、どういうわけか笑う。
プロデューサーの背中越しに、だむだむとゆるやかなドリブルの音だけが聞こえた。
22: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:11:58.20 ID:8iVJtLSD0(22/27)調 AAS
○
「君らガッツあるなぁ」
「いや、おっさんほどじゃねぇよ。おっさんは実際は何者なんだよ」
ベンチに男三人、ぎゅうぎゅうと腰掛けて、私は一つ離れたベンチに座っている。
何がどうしてこうなったのか。
一部始終を見ていても、わけがわからなかった。
「前に言っただろ。プロのスカウトだよ」
「はぁ? だから、フロッグスの人は」
「だから、バスケットボールのスカウトだなんて言ってない」
「……あー? あー! そういうことかよ。じゃあ、あれだ。そこの女の子は芸能人ってわけだ」
「君ら知らないの? あの子。結構人気出てきてるんだけど」
「俺らバスケばっかだから」
「でも、それでフロッグスに一年契約もらったわけだろ」
「それは、おっさんのおかげ」
だはははは、と三人が大声を上げて笑う。
なんでも、男性二人組はプロデューサーのことをプロチームのスカウトだと勘違いしたまま、関係者の人に会うことになり、それをそのまま話したところ、大変なことになったという。
というよりも、大変なことにしたらしいのだが。
そして、その場で揉めた結果、プロチームの監督に実力を見てもらえることになって、契約まで行ったのだと言うからさらに驚きだった。
23: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:12:38.65 ID:8iVJtLSD0(23/27)調 AAS
「名前、教えてくれよ」
「俺の?」
「おっさんじゃなくて、その子」
「ああ。彼女は、渋谷凛さん」
「おっさんが俺らに絡んできたとき、その子をスカウトしてたんだろ」
「ああ、うん。そうだよ」
「じゃあ俺らにとったら、チャンスのきっかけをくれた女神ってわけだ」
「それを言うなら、俺が君らの恩人にならないか?」
「いや、おっさんはその子がいなかったら俺らになんて、絡みに来なかっただろ」
「まぁ、そうか」
「だから、お礼をしようと思うんだ」
「え?」
「仕事、やるよ。ギャラどれくらい出せるか知らねぇけど」
24: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:15:08.97 ID:8iVJtLSD0(24/27)調 AAS
○
男性二人組が「仕事」と言ってからの、プロデューサーの変わりようと言えばすごかった。
テキパキと決めるべき約束事を交わしていき、取るべき言質を抜け目なく取っていた。
どちらかと言えば、この男はプロデューサーよりも詐欺師のほうが向いているのではないかとすら思うほどだ。
「で。さっきもらった、おっさんの名刺の事務所に、ウチのチームから連絡してもらえばいいんだよな」
「うん。でも、いいのかな。君らのデビュー戦のオープニングアクトなんだろう」
「ウチのチームが予算内だったら好きな芸能人呼んでいいぞって言うんだから、俺らの勝手だろ」
「……いいなら、いいんだけど」
「それに、次の春までになるだろ。もっと有名に。呼べるのが奇跡なくらいのやつにさ」
「弊社の渋谷なら、余裕です」
プロデューサーと二人組はにやりと笑ったあとで、順番に握手を交わしている。
その後で「ね。渋谷さん!」と、急に蚊帳の外にいた私に話を振ってくるのと、人前だからか謎に他人行儀なのが面白くて私は笑ってしまいそうになりながら「そうですね。余裕です」と、同じく他人行儀で返す。
「言うじゃん」
「応援、よろしくお願いします」
「渋谷凛さん? って、なんか持ち歌とかあるんすか。いや、オファーしといて何も知らなくて失礼なんすけど」
問われて、一度プロデューサーを見る。
彼も視線を返してくれて、何も言わずにこくりと頷いた。
そのジェスチャーを私は「好きにやっていいよ」と受け止める。
25: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:16:09.51 ID:8iVJtLSD0(25/27)調 AAS
ようやく今、いつかに彼が「アイドルがカエルであることは間違いではない」と言っていた理由がなんとなくわかったかもしれない。
プロデューサーのよくわからない連想ゲームに始まって、私が歌って、バスケの人たちがプロに入って、またプロデューサーのところへ戻ってくる。
そして、最後には私の元にお仕事として帰ってきた。
輪唱みたいだ。
そうだ。
なら、こうしよう。
26: ◆Rin.ODRFYM [saga] 2021/08/29(日) 13:17:13.97 ID:8iVJtLSD0(26/27)調 AAS
「フロッシュゲザング、って知ってますか」
27: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2021/08/29(日) 13:19:43.67 ID:8iVJtLSD0(27/27)調 AAS
終わりです。ありがとうございました。
SS速報さんが復活していることを知らず、こちらへの投稿が遅れましたことお詫び申し上げます。
渋谷凛さん、今年もお誕生日おめでとうございました!
世界で一番大好きです。
28: 2021/08/29(日) 19:27:07.74 ID:3p7JLf7J0(1)調 AAS
乙でした
いいなあ、この縁が繋がる感じ
でもこのPはやはり詐欺師っぽいw
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