雲消霧散 (138レス)
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79: ◆63/fHcOTYY [sage saga] 2021/11/18(木) 23:01:01.59 ID:m0pXm4tao(1/3)調 AAS
列子   説符第八   第八章

  魯の施某の家に二人の息子があって、その中の一人は学問が好きで、もう一人は戦争ごとが好きであった。
学問の好きな方の子は、学問で斉の殿様に仕官したいと申し入れた。
斉の殿様は願いを聞き入れて、殿様のむすこたちのお守り役とした。
一方、戦争ごとの好きな方の子は遠く南方の楚の国へ出かけていって、戦術で楚の殿様に仕官したいと申し入れた。
楚の殿様は喜んで、この人を軍の規律をつかさどる役人とした。
かくて俸給は一家を豊かに暮らせるようにしたし、官位は一族を名誉あるものとした。
さて、施家の鄰に住んでいる孟某の家には、施家と同様に二人の子供があって、修めた学業もやはり同じであった。
それにもかかわらず、貧乏につまって苦しんでいた。そこで施家豊かなのをうらやましく思って、
ついに施家について、どうしたら出世ができるか教えてもらいたいと頼み込んだ。
それで、施家の二人の子供は、かくかくしかじかと、ありのままを孟家の人たちに話した。

  そこで孟家の一人のむすこは秦の国へ出かけて行き、その学問で秦の殿様に仕官したいと申し入れた。
すると秦の殿様は、「今日は、諸大名が実力で争い合っている時代で、力を入れている点は、軍備と食糧政策との二点にある。
それなのに、仁義の教えで私の国を整えて行こうなどとするならば、それは国家の滅亡を招くやり方に外ならない」と言い、
ついに去勢の刑罰を加えて追放してしまった。もう一人のむすこは衛の国へ出かけて行って、戦術で衛の殿様に仕官を求めた。
すると衛の殿様は、「私の国は武力の弱い国で、その上、大きな国の間にはさまれている。それで私の国としては、
大きな強い国には付き従い、小さな国はこれをいたわってゆくというのが、国家の無事を計る唯一のやり方である。
それなのに、軍隊の力に頼ろうなどとするならば、国家はまたたく間に滅亡してしまうであろう。
若しこの男を無事のままで帰した結果、よその国へでも出かけて行かれたら、
きっと私の国の難儀の種になることが軽少では済まないであろう」と言って、
ついに両足切断の刑罰を加えて魯の国へ帰してやった。

  とかくするうち、皆魯に帰って来た。孟家の親子は、胸をたたいて憤り、施家の人たちを責めなじった。
すると施家の人たちが言うには、「何事によらず、時節にぴったりなものは世に栄えるが、時期にはずれたものは滅亡する。
君たちのすることは、我々と同じであるけれども、成果は我々と違うというのは、それは時期が悪いからであって、
やっていることが間違っているわけではない。それに、世の中には、道理でいつでも通るといった種類のものもなければ、
事柄でいつでも成り立たない成り立たないといった種類のものもないのであって、
この前には役に立つとされたものが、今日では棄てられるということもある。
また、今日は棄てて顧みられないことが、後日になって用いられることもあろう。
要するに、用いられるのと用いられないとの間には、動かない是非の別などというものはないのであって、
機会を逃さず時期を捕らえ、事と次第でどうにでも出られるのは、結局が頭の働きによるのである。
若しも頭の働きに十分でない所があったら、たとえ君たちが、孔子のように博い学問を身につけ、
太公望呂尚のように計略に長じていたとしても、どこへいっても必ず動きが取れなくなってしまうであろう」とのことであった。
これを聞いた孟家の親子は、さらりと話が分かり、腹を立てた様子もなくて言った、「分かりました。もう重ねておっしゃるな」と。
80: ◆63/fHcOTYY [sage saga] 2021/11/18(木) 23:41:42.51 ID:m0pXm4tao(2/3)調 AAS
君主論   第25章

  だが、より細部に分け入るならば、まず言っておくが、性質や資質を何ら変えていないのに、
ある君主が今日は栄えていたのに、明日には滅びるといった事態を、見かけることがある。
これは、私の考えでは、まず初めに、これまで長々と論じてきた理由によって、生じたのである。
すなわちその君主が、全面的に運命にもたれかかっていたので、それが変転するや、たちまちに滅びてしまったのである。
私の考えでは、次いで、その君主が幸運に恵まれたのは、彼の行動様式が時代の特質に合っていたためであり、
同様にして不運であったのは、彼の行動が時代と合わなかったためである。
なぜならば、人間というものは、各人が行手に抱く目標へ、すなわち栄光と富貴へ、
おのれを導いていく事態のなかで、さまざまに行動することが知られているから。
すなわち一人が慎重であれば他の一人は果敢であり、一人が暴力に訴えれば他の一人は策略を用い、
一人が忍耐強ければ他の一人はその逆であるといったように、各人がそれぞれに異なった態度をとりながらも、
目標へ到達できるのであるから。またさらには、慎重な態度をとった二人のうち、一人は目標へ到達したのに、
他方がそうでなかったり、同様にまた一方が慎重であり他方が果敢であるというように、
異なった行動様式をとりながら、二人が同じように幸運な結果に達することもあるから、すなわちこれは、
時代の特質が彼らの行動と合っていたのか、あるいはいなかったのか、それ以外の何ものからも生じなかったのである。
この点から、先に私の述べたことが、すなわち二人が異なった行動をしながらも、同一の結果を達成したり、
また二人が同じように行動しながら、一方が目標へ到達したのに他方がそうでなかったという事態が、生ずるのである。
さらにまた、幸運の変転も、この点に依存しているのである。なぜならば、もしもある者が慎重にかつ忍耐強く統治して、
時代と状況がその統治を良とするように回るならば、彼は栄えてゆくであろうから。
だが、もしも時代と状況が変れば、彼の方が行動様式を変えないかぎり、滅びてしまう。
この点に適合できるほど、思慮深い人間は見出せない。
なぜならば、生まれつきの性質が赴かせたところから、おのれの身を引き離すことなど、人間にはできないから。
ましてや一つの道を辿って栄光の歩みを進めてきた者に、そこから離れた方が良いなどと、説得することはできないから。
それゆえ、慎重な人間は、果敢になるべき時がきても、そうはなれないので、そのために滅びてしまう。
だが、もしも時代と状況に合わせて自分の性質が変っていれば、自分の運命は変わらないであろうに。
81: ◆63/fHcOTYY [sage saga] 2021/11/18(木) 23:41:54.49 ID:m0pXm4tao(3/3)調 AAS
  教皇ユリウス二世はいかなる場合にも果敢に行動した。
そして時代も状況もそのような彼の行動様式に見事に合致したため、つねに幸運な結果に達した。
まだジョヴァンニ・ベンティヴォッリ卿が存命のころ、ボローニャに対して彼が企てた最初の作戦のことを、
あなた方は熟慮してみていただきたい。ヴェネツィア人はこの企てに反対であり、スペイン王もまた同様であって、
フランスに対してはこの企てをめぐって交渉を重ねねばならなかった。だがしかし、彼は勇猛果敢にみずからこの遠征の途へついた。
そのような作戦はスペインとヴェネツィア人を曖昧で身動きならぬ状態に置いた。
後者は恐怖からそうなったのであり、前者はナーポリ王国の全土を回復したいと願ったからである。
また他方で彼がフランス王を自分の側へ引き入れたのは、自分が作戦を開始したのを見た以上、
フランス王は自分の味方となってヴェネツィア人を打倒したいと願っているから、
明らさまに自分を傷つけない限り、彼の軍隊の派遣を拒むことはできない、と判断したためである。
かくしてユリウスは、他の教皇ならば、人間的な思慮のすべてを注いでも、実行に移さなかったであろうことを、
彼特有の果敢な作戦によって成し遂げてしまった。なぜならば、もしも彼がローマから出発するのを控えて、
他のいかなる教皇でもそうしたように、すべての交渉が成り立って準備万端が整うまで待ったならば、
彼は決して成功しなかったであろうから。なぜならば、フランス王はいくらでも言い訳を重ねたであろうし、
他の者たちはいくらでも恐怖の種を撒いたであろうから。この他の彼の行為はみな同じようなものであり、
またいずれもが見事に成功したものばかりであるので、私としては触れないことにしておきたい。
ただ政権が短命であったために、彼に逆境を味わわせずに済んだ。
なぜならば、もしも慎重に行動すべき時代が彼に迫って来たならば、その時には、彼は滅びることになったはずだから。
それでも彼が生まれながらの性質がとらせる態度から離れることは決してなかったであろうから。
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