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285: 366.56D◆FQ9xo/MvJhbB 2021/11/21(日) 21:28:57.64 ID:Z7Z9SOzC0(2/7)調 AAS
老荘思想で「上徳のものは徳を他人に施そうとしないから徳がある」という言葉がある。
これは一見、現在の価値観では理解できない。
つまり、貧民に対して、施しをしない者の方が、何故か、施しをするものより徳が高いと説く。

僕の解釈では
老荘思想というのは世界観が仙人の世界である。
彼らの理想とするところは、一人で山奥に住み、露や霞を食べて生きる。誰の助けもいらない仙人である。
まぁと言っても人間であるので、当然、物を食べねばいけないから、そういう物理的な意味で人間をやめるのではなく
重要なのは、社会的に可能な限り自立すること。

つまり、やはり仏教と同じ人間関係による悩みやトラブルが苦しみの要因として大きいと考え
可能な限り、他人に依存せず関係を持たずに生活することが理想であると考えている。

そして、仮に自分で自分の事はなんとかなるという状態になった時、
全ての人が、自分で自分の事をなんとかでき、他人との人間関係は一切不要であるというのは理想である(もちろん現実的には必要最低限の関わりは必要だが)

そうなった時に、他人に物を施してしまうと、そこで他人との関係が生まれてしまう(縁の発生)
これが徳を落とす要因なのだろう。
自分一人だったら、自分でなんとかできる能力があるが、他人の事まで自分のように大事にして面倒を見ようとした結果、
そこを漬けこまれ、人質に取られるとか依存関係が深まり、自立を妨げるとかして、本来、自立できる人1、できない人1だったのが
依存関係の悪化により、自立できない人2人になってしまう危険があると。
だから、施さない方が徳があると説いているんだと思う。

でも逆に自分の持つ財に執着する事は、禁忌のはずなので、重要なのは他人と関わりを持たないことであることだから
例えば匿名で施すなどすれば徳を下げずに施しを行うことが可能であると思う
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