アメ公は頭悪いんですね。 (448レス)
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336: 山椒太夫 2022/06/03(金) 12:59:42.06 ID:jdv6WGAl(2/3)調 AAS
>331 更に追加

『どうやらルーズベルト大統領はアメリカの海軍艦艇を「そこかしこにひょっこりと出現させる」ことで「ジャップを不安にしておく」ことを希望していたようだった。』

これは、スターク海軍大将が1941年4月19日付のキンメル海軍大将宛ての手紙の中で述べていることだ。(出典:チャールス・ビーアド著「ルーズベルトの責任 下巻」p.581)
 1941年4月19日といえば日米交渉が始まるか始まらないかの頃のことだ。FDR政権が、日米交渉をまともにやる気がなかったことが、この一文で分かる。

 俺は、ここに、フランクリン・ルーズベルトという人間の底意地の悪さを感じ取る。実際、年末まで続いた日米交渉でアメリカは何ら妥協せず、一方的な要求を突きつけるばかりで、ルーズベルトは近衛首相とのトップ会談にも応じなかった。
米政府がもう少し日本の言い分にも耳を貸し、柔軟に振舞っていたら、太平洋戦争は避けられたかもしれない。

もうひとつ、ヘンリ―・スティムソン陸軍長官が1941年11月25日、自身の日記に次のことを書いている。
「---- (中略) 会議に出席したのは、ハル、ノックス、マーシャル、スタークと私自身だった。----(中略) -----大統領は、わが国がおそらく(早ければ)次の月曜日にも、攻撃されるであろうと指摘した。これは日本が予告なしに攻撃することで悪名高いためであり、問題は、わが国としてどうすべきか、ということだった。問題は、いかにしてわが国に甚大な危険を招くことなく、日本が最初に発砲するような状況に導くかということだった。
(出典:チャールス・ビーアド著「ルーズベルトの責任 下巻」p.689−690)

 ハル・ノートの提示は翌日(日本時間では27日)のことであり、米政府トップは、日本との戦争を企図してハル・ノートを提示したことが分かる。
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