[過去ログ] 「線路内の公衆が立ち入った為〜」←これうざい (337レス)
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273: 2018/04/25(水) 12:26:40 ID:w6KGqjg30(1)調 AAS
JR東日本もいつ尼崎のような大事故起こすかわからない。
しかし公衆への責任転嫁には異常に執着。線路内立ち入りがないのに架空にでっち上げている。
当然、大惨事寸前の事故は しょっちゅう起こしている。長時間車内缶詰もしょっちゅう。
2005年4月に兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線脱線事故で生死の境をさまよい、
重い後遺症を負った兵庫県西宮市の鈴木順子さん(43)が昨夏から同県伊丹市内の介護施設で働き始めた。高次脳機能障害となり、事故車両に乗っていたことを覚えていないが、
イラストレーターだった記憶は残る。「昔の生活にね、ちょっと近づいたように思うの」。少し寂しげな顔をした後、笑みを見せた。
今月9日。施設に出勤した鈴木さんは、横に長い施設印の端を両手の親指と人さし指で持ち、書類に一枚一枚押していた。サポート役の石井仁美さん(64)に助けてもらいながら、約2時間かけて500枚。「誰かの役に立てるのは、本当にうれしい」と喜んだ。
鈴木さんはあの日、事故車両から心肺停止状態で救出された。脳挫傷や腹腔(ふくくう)内出血など瀕死(ひんし)の重傷で、5カ月ほど意識が戻らなかった。
「娘は0歳に戻った」。母もも子さん(70)は自らに言い聞かせながら介護した。事故から1年、2年と過ぎるうちに会話し、文字が書け、支えがあれば歩けるようになったが、記憶や言語に重度の障害が残った。
終わりのないリハビリ生活が10年過ぎた頃、もも子さんは「自宅の他にも居場所を」と知人に相談。昨春、介護施設を運営する石川智昭さん(34)から「うちで働きませんか」と声をかけられた。
鈴木さんは昨年7月から毎週月曜、自宅近くに住む石井さんと一緒に車で施設まで出勤するようになった。
勤務時間は1日5時間半で、単純作業が中心。久しぶりの社会生活に疲れ、夕飯を食べずに眠ってしまうことがある。「私には事故の記憶がないの。障害者になったつもりはないの。
だけど、できると思っているのに、できない事実がとても悲しいの」。たどたどしい言葉からもどかしさが伝わってくる。
心肺停止、5か月昏睡状態から生き返るなんてすごいな・・・・(涙)
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