[過去ログ] 【森友】維新足立氏と立憲辻元氏の対立で再注目 「野田中央公園への売却額は実質2千万」 自民党青山繁晴氏がマスコミの誤報性を指摘 (1002レス)
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910: 2019/09/04(水) 19:57:25.24 ID:7MIY4lU+0(1/2)調 AAS
稲川組と東声会の対立事件の経緯

昭和38年(1963年)夏の終わり、東京都港区赤坂の「ホテルニュージャパン」地下の高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で、稲川組(後の稲川会。
組長は稲川角二で、後の稲川聖城)幹部・井上喜人が、東声会(後の東亜会)・町井久之会長(本名は鄭建永)に対して、「町井君」と声をかけた。
町井久之は、立腹して、井上喜人に対して「君呼ばわれする覚えはない」と言った。
井上喜人の若衆が町井久之を襲おうとしたが、井上喜人が井上喜人の若衆を止めた。
井上喜人は町井久之に「いずれ話をつける」と言って、井上喜人の若衆とともに、
ニューラテンクォーターを出た。
同日、井上喜人は、神奈川県湯河原の旅館「のぞみ旅館」に入り、稲川組組員に招集をかけた。
井上喜人が稲川組組員に招集をかけた翌日午前0時すぎ、のぞみ旅館の大広間に、長谷川春治、森田一家・森田祥生総長、
横須賀一家・石井隆匡総長、山川修身(本名は沈敬変)ら稲川組組員150人が集結した。
井上喜人は、稲川組組員150人に対して、東声会と全面戦争に入ることを宣言した。
長谷川春治は、井上喜人に「東声会と抗争することを稲川角二は了解したのか」と尋ねた。
井上喜人は、稲川角二から東声会との抗争の了解を貰うために、稲川角二のいる湯河原の錬成道場を訪ねた。
このころ、稲川角二と五代目山崎家一家・横山新次郎総長(稲川角二と横山新次郎の2人が、五代目山崎家一家総長だった)は、湯河原の錬成道場で、横綱の大鵬とプロレスラーの力道山を招いて、素人相撲大会を開催していた。
911: 2019/09/04(水) 19:58:10.32 ID:7MIY4lU+0(2/2)調 AAS
井上喜人が稲川組組員に招集をかけた翌日、湯河原の錬成道場で、井上喜人は、稲川角二に、東声会との抗争の了解を求めたが、稲川角二は了解しなかった。
稲川角二の実質的な親分は、右翼活動家の児玉誉士夫であり、町井久之は児玉誉士夫の側近だったからだった。
横山新次郎は、稲川角二に、井上喜人を破門するように勧めた。
同日午後9時、児玉誉士夫は、稲川角二と町井久之を、東京都世田谷区等々力の児玉誉士夫邸に呼んだ。
町井久之は、稲川角二に、歯向かう気がないことを告げた。稲川角二は、町井久之に井上喜人の非礼を詫びた。
同日、横浜市の「横浜ホテル」の一室で、横山新次郎は、森田祥生に「稲川角二が井上喜人を破門しないのならば、森田祥生が井上喜人を殺害するように」と指示した。
その後、大船の横山新次郎の自宅で、稲川角二は、横山新次郎に「井上喜人を破門はしないが、堅気にさせる」と提案した。横山新次郎は、稲川角二の提案を了承した。
その後、横浜ホテルの一室で、稲川角二は、井上喜人に、ヤクザからの引退を迫った。井上喜人は、ヤクザから引退した。井上喜人の若衆・舎弟の全員は、稲川組に残った。
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