[過去ログ] 十十十 カトリック246 十十十©2ch.net (1002レス)
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59: 老クリスチャン 2016/10/14(金) 15:24:33.77 ID:zvfnR4x/(1)調 AAS
2004年(主日C年) 10月17日 年間第29主日

出 17:8〜13  IIテモ 3:14〜4:2  ルカ 18:1〜8
「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」(ルカ v.8)

私たちキリスト者の祈りは、神の国の福音への信仰と切り離されてはなりません。
その福音は御子に関するもので (ロマ 1:3)、御子はダビデの子孫から生まれ、死者の中から復活され、神の右に上げられました。
そして生きている者と死んだ者との審判者として再臨する日を待ち続けておられます。
使徒たちはこのことの証人であり、聖霊もこのことを証ししてくださいます(使 5:32)。

「モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。」(出 v.11)

これは元来、古い時代の預言者の所作の一つであったものと思われますが、後の時代の教会はこの物語りから祈りの大切さを学びました。
しかし物語りそのものが古い時代の呪術的な要素を留めているとしても、教会の祈りは決して呪術的なものでも、まして神の主体性を人間が奪う手段でもありません。
教会の祈りは、キリストの出現 (再臨) とその御国とを思いつつ (IIテモ 4:1) という、福音への信仰に基づいてささげられるものなのです。
そして神は教会に、そのような祈りを求めておられます。

「貧しい人々 (ひたすら神に信頼して祈る人々) は幸いである。 神の国はあなたがたのものである。」(ルカ 6:20)

・・・・・ 以下、本文参照。
外部リンク:www.kuwaei2000.com●Archives● より
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