[過去ログ] 主イエス・キリストは父なる神 2014.9.28 (382レス)
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(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/09/30(火) 09:02:48.42 ID:Wce8P2i7(3/5)調 AAS
(ロトに現れた二人の天使)
天界の秘義2317
1節「そしてその二人の天使は夕にソドムに来た、ロトはソドムの入口に坐っていた、
ロトとは見て立ち上がって、かれらを迎えた、かれは身をかがめて、顔を地につけた」。
『二人の天使が夕にソドムに来た』は審判に先行している巡視[尋問]を意味し、
その『二人の天使』は、主の神的な人間的なものと発出している聖いものを意味して
おり―それに審判がぞくしている―、『ソドム』は悪い者を、とくに教会の中の悪い者ら
を意味し、『夕』は巡視[尋問]のときであり、『ロトはソドムの門に坐っていた』
は仁慈の善の中にはいるが、しかし外なる礼拝の中にいる者たちを、ここではロトで
ある者を意味しており、これらの者は悪い者の間にいるが、しかしかれらからは
分離していて、そのことが『ソドムの門に坐っている』ことであり、『ロトは見た』
はかれらの良心を意味し、『立ち上がって[起きて]かれらを迎えた』は承認と
仁慈の気質とを意味し、『身をかがめて顔を地につけた』は卑下を意味している。
207
(2): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2014/10/01(水) 12:20:01.48 ID:DTGGjk82(2/11)調 AAS
>>168の続き
(創世記19章)
天界の秘義2318

「その二人の天使は夕にソドムへ来た」。これは審判に先行している巡視〔尋問〕を意味
していることは、前の章に、三人の者によりまたはエホバにより言われた事柄から、また
この章に続いて記されている事柄から認められることが出来るが、同じく『夕』の意義から
も認められることが出来るのである。前章にエホバは『わたしたちは降って、ソドムと
ゴモラの民がわたしのもとに聞こえてきた叫び声に従って終局に至ったか否かを見よう、
もしそこに至っていないなら、わたしは知るであろう』(20、21節)と言われたが、
その言葉によりそこに示されたように、審判に先行している巡視〔尋問〕が意味されて
いるのである。この章にはその尋問の行為そのものが記され、次に審判が記されており、
そのことは以下の記事から明白である。『夕』は巡視〔尋問〕のときを意味していること
は以下の記事に見られるであろう。(尋問の何であるか、尋問は審判に先行していることは、
前の2242番に見られるであろう)。前の章は人類の歪められた状態を、悪の中にいた
ものの、それでも何らかの善と真理の中にいた者たちに対する主の悲哀と執成しとを取り
扱ったものであり、それでこの章は、それに続いて、何らかの善と真理の中にいる者たち
の救いを取り扱っており、この章に『ロト』により表象されているものはそうした者たち
である。同時にまた全く悪と誤謬の中にいる者らの破滅〔死滅〕が取扱われており、ここに
『ソドムとゴモラ』により意味されている者はこれらの者である。
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