[過去ログ] 【聖書と信仰】信者も未信者も 【神学と哲学 (650レス)
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192: 老クリスチャン 2015/12/04(金) 12:05:21.25 ID:fCe6jliW(1/3)調 AAS
【主の祈り -1-】
主の祈り
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
副文
( ・・・・・ わたしたちの希望、
救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます。)
国と力と栄光は、限りなくあなたのもの。

これは、現在日本のカトリック教会のミサで使用されている 「主の祈り」 の概要です。
193: 老クリスチャン 2015/12/04(金) 12:06:07.86 ID:fCe6jliW(2/3)調 AAS
【主の祈り -2-】
「主の祈り」 は、福音書ではマタイとルカに書かれていますが、ルカの方が簡素で、マタイにあるものの方が教会で使われているものに近い形です。
また、用語上の違いとして目に付くのは、下記の部分です。
「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」(マタ6:12)
「わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。」(ルカ11:4)

教会で祈るときの日本語の主の祈りでは、昔も今も、「負い目」 を使わずに、「罪」 に統一しています。
プロテスタントの教会で一般に使用されている文語の主の祈りでも、またカトリックと聖公会で現在使用されている口語の主の祈りでも、「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく」 「わたしたちも人をゆるします」 となっています。
プロテスタントの一部の教会では、日本キリスト教協議会(NCC)統一訳の主の祈りが使われていますが、そこではマタイ福音書に合わせて、「わたしたちに罪を犯した者をゆるしましたから」 となっています。
195: 老クリスチャン 2015/12/04(金) 16:57:17.58 ID:fCe6jliW(3/3)調 AAS
聖書は、古代の書物です。
しかもその古代というのが、ほぼ一千年余もの永い時代にまたがっているので、歴史的・文化的にもいろいろ異なる時代背景を考慮しないと、その元来の意味を正しく読み取ることが出来ません。
このような古代の諸文書を、現代人である私たちに理解出来るようにしてくれるのが、聖書神学者や聖書翻訳者という専門家の仕事なのです。

日本語聖書の翻訳者たちは、一般の信者(私も含めて)とは比べものにならないほどレベルの高い方々であって、その仕事というのは、ただ外国語(ギリシア語やヘブライ語)を日本語や英語に "変換" するような単純なものではありません。
ですから、しっかり聖書の素読に励んでいると、やがて福音の理解と共に、彼らへの尊敬と信頼も生まれてくるものです。

聖書が自ら語っているメッセージを明確に聞き取るためには、翻訳された聖書のテキストを素直に読んで理解することこそが大切なのであって、自己流の解釈や評価、感想や意見などを皆で話し合っても、ほとんど役に立ちません。
聖書は私たちが読んで理解し、そこから "神のことば" を聞くための器であって、私たちが浅はかな意見や感想を述べ合って、どの程度現代の感覚や価値判断に合致するかを評価する(採点する)ような書物ではないのです。

外部リンク[html]:www.kuwaei2000.com
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