[過去ログ] 【聖書と信仰】信者も未信者も 【神学と哲学 (650レス)
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481: 老クリスチャン 2016/09/16(金) 17:14:46.20 ID:O430i2xP(1)調 AAS
2010年(主日C年) 9月19日 年間第25主日
アモ 8:4〜7 Iテモ 2:1〜8 ルカ 16:1〜13
紀元前8世紀の預言者アモスにおいて、初めて神の民である選民イスラエルは、神の審判の対象以外の何物でもなくなりました(アモ 3:1-2)。
商人の不正は、商人だけの罪で終わらない。
祭司や職業預言者といった指導者層には責任がなく、不正を行う庶民だけが審判の対象になるなどということではない。
それは "イスラエルの家" の罪だからです。
その結果は、"主の言葉を聞くことの出来ぬ飢饉"(アモ 8:11) の到来であると預言しました。
それから200年を経て後、預言者エレミヤは語っています。
民は神のことばを聞かず、「わが民はおのが栄光を、助けにならぬものと取り替えた。」 そして
「律法を教える人たちはわたしを理解せず、指導者たちはわたしに背き、預言者たちはバアルに従って預言し、助けにならぬものの後を追った」 という主の言葉を残しています(エレ 2:8-13)。
私たち信徒は、自分の不信仰と無知の責任を聖職者だけに責任転嫁すべきではありません。
「彼らは (福音を) 聞いたことがなかったのだろうか。 もちろん聞いたのです。」(ロマ 10:18)
聖書を通し、カトリックのミサ典礼を通して、「あなたがたにまで伝えられたこの福音は、 ・・・・・
あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長している」(コロ 1:6) ということが、私たちの実感となる日が来るように、共に励んで賢くふるまおうではありませんか。
・・・・・ 以下、本文参照。
外部リンク:www.kuwaei2000.com●Archives● より
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