[過去ログ] オリーブスパってエロいの???????????????????????????????????????????????? [244167401] (4レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
1: 2021/06/17(木) 09:10:52 ID:● AAS
外部リンク[html]:digital.asahi.com
ヤスが走り抜けた34年 最後に残した人を幸せにする服
点滴をつけたまま着替えができ、病室でもオシャレでいられる。そんな入院服が商品化された。つくったのは、病と闘い、昨年7月に神戸で亡くなった宮城県仙台出身の若者だ。生きる意味を探し、もがいてもがいて、走り抜けた34年間。最後に彼は、人を幸せにするプレゼントを残した。
若者の名は大村泰さん、皆にヤスと呼ばれた。
高校まで仙台で過ごし、神戸大学工学部に進む。肩まで髪を伸ばし、フットサルに明け暮れ、学生仲間とバーを経営した。大学院を終えた2011年、東京でIT企業大手に就職。神戸大出身者たちと東京・吉祥寺のシェアハウスに住んだ。
あごを激しい痛みが襲ったのは1年後。急性リンパ性白血病の中でも悪性のフィラデルフィア染色体陽性型と診断された。
姉から造血幹細胞移植を受けた後、今度は重い合併症GVH病にかかる。仙台の実家に戻り、入退院を繰り返す日々。全身を激痛が走り、腹水がたまる。会社は辞めざるを得なかった。
友たちは社会に出て、それぞれのボートをこぎ始めていた。広告プランナー、編集者……。「俺だけ時間が止まっている」「俺は何か悪いことをしたのかよ」。嘆きを口にした。
闘病を続ける中、泰さんが胸に温めていたことがあった。
病院で着せられる入院服は、前開き、ひもとじの形と決まっていた。年中同じ柄で、前がはだけることも多い。人一倍オシャレにこだわった泰さんには、耐えがたかったのだ。
患者は早く普通の生活に戻りたいのだから、普段着感覚の病衣がいい。触診や点滴のため、Tシャツのようなかぶり物は難しい。着脱が容易で、イケてる服をつくれないか――。
19年春、泰さんは計画を実行に移す。「入院服の開発のため、神戸に2年間行かせてほしい」。父泉さん(72)、母陽子さん(72)に頭を下げた。
関西には連絡をとってきたデザイナーや起業を手伝ってくれる友人がいた。小康状態とはいえ、病気がどうなるかわからない。それでも2人は、息子の自立の後押しを決めた。
その夏、神戸で転院手続きをし、アパートに引っ越す。両親の携帯にメールが届いた。
「8年間本当にありがとうございました。そしてこんな体になってしまい、心からごめんなさい。生計を立てていくのは当たり前なのに、今の自分にはあまりにハードルが高い。最後のチャンスをもらったからには、何も残らなくても、やり遂げたい……」
病魔はどこまでも追いかけてくる。
試作品のパターンができたところで、10月、緊急入院。その後は一進一退が続き、何度か集中治療室にも入った。「俺には時間がない。悔しい」。ベッドをたたいて言うのを、陽子さんは覚えている。
翌20年2月、縫製会社から服のサンプルができあがってきた。横開きでスナップボタンで止め、前後リバーシブル。見た目はゆったりしたTシャツだ。
泰さんは自ら病床で着用し、医師や看護師の意見も聞いた。「点滴を中断しなくても更衣ができる」「看護師の負担軽減になる」と高い評価を得た。
5月、感染症で再入院。コロナ感染防止で面会もままならない。7月17日、高熱に襲われ昏睡(こんすい)状態に。
19日未明、両親が見守る前で、泰さんは力を振り絞り、両手を持ち上げ、汗でぬれた入院服を着替えるそぶりを見せた。看護師が手際よく更衣を終えた2時間後、旅立った。
両親は昨年9月、入院服の会社「YAS(ヤス)」を設立。泰さんの名前で特許を出願し、少量ずつの生産を始めた。販売の企画やHP制作は、シェアハウスや学生時代の仲間がかって出た。
彼らが考えたブランド名は「Fudangi(ふだんぎ)」。
「ずっと病気だったヤスは、普段どおりの生活がどれだけありがたいか、教えてくれた」と、本田守武さん(36)は言う。商品撮影はフォトグラファーの七咲友梨さん(41)。「ヤスは言っていた。自分が生きたってことを、ちゃんと残したいんだって」
素材は天竺(てんじく)コットン100%、オリーブ、ネイビーなど4色で、男女兼用の2サイズ。1着1万500円で、FudangiのHPから購入できる。
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 3 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ
ぬこの手 ぬこTOP 0.165s*