[過去ログ] 主イエス・キリストは父なる神 2. (890レス)
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1(2): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/11(日) 18:05:03.70 0 AAS
主イエス・キリストは父なる神です。
クリスチャンもそのことを知りません。
ましていわんや哲学においておや。
2(2): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/11(日) 18:07:05.16 0 AAS
「宗教は、人間が作り出してると思うんだが
だってなんで宗派に分かれるの?
それって人間がよくやる(大企業では特に)
派閥争いに見えるんだが
もしかしたら宗派のことはおいといて議論なわけ? 」
宗派とは例えばキリスト教の中の複数の宗派という意味ですか?それとも
キリスト教、回教、仏教というような複数の宗教という意味ですか?
3: 2011/09/11(日) 18:19:29.93 0 AAS
>>1-2
よーう、むちぷり〜!
4: 2011/09/11(日) 19:57:31.67 0 AAS
余裕の板違い
5(1): 2011/09/11(日) 19:57:49.97 0 AAS
>>2
今見たらスレッドが終わっていて新しいスレ「2」が立っていました
なんとなくヨハネさんが哲学板のスタイルに合わせて書いているように感じたので
まあ気楽に書いていけばいいんじゃないですか
何でも対立するのは実に簡単なんですよね
しかし「寛容さ」を持ちあわせて話を進めていくことは大切なことだと思いますから
6(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/11(日) 22:06:48.34 0 AAS
>>5
了解しました。ありがとうございます。
7(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/11(日) 22:25:11.10 0 AAS
私は哲学について殆ど知りません。
一方、皆さんは宗教についてあまり知らないようにお見受けします。
知らない者同士で相手を非難するのは確かにナンセンスです。
私も宗教においてまだ未熟者ですが、何かお聞きになりたいことが
あれば気軽に聞いて下さい。
8(2): 2011/09/11(日) 22:26:31.30 0 AAS
>>6
いえいえ
何にせよレスがあるのは興味がある証拠です
柔軟性を忘れなければ思いもしない新しい発見が双方にあるものですし
考え方の違う人達と対話するのは多分イエス自身も重要視してきたきたことなのではないでしょうか
私は勝手にイエスという方は非常に多様性に満ちた考え方と行動力を兼ね備えた凄いお方だったんだと思います
そうでなければ後世には伝わっていないですよ
イエス自身が十字架にかけられて亡くなりそこで終了しなかったのはイエスに人としての魅力があったからです
こういう考え方は(つまりイエスは人間という解釈)私とヨハネさんでは大きな隔たりがあるのは承知していますが
考え方の差異というのはむしろある方が自然です
そいう差異さえもイエスはある程度受け入れていたのではないかと私は勝手に想像しているのですが
9(1): 2011/09/11(日) 22:36:28.93 0 AAS
>>8の続き
人間にとって一番難しいことは「寛容さ」ではないでしょうか
つまり「自分と違う」ということを認めるあるいはそれはそれとして受け入れる態度です
議論もぶつかり合ってこそ最後にはその「寛容さ」へと至るのではないかと私は思っています
だから言葉でぶつかり合うことは悪い事では決してないんですよ
ぶつかり合うことの原因は相手の考えが理解できないからです
相手を受け入れる「度量」があれば相手に「受け入れてもらえる」機会もやがて来るのではないですか
対話や議論で一番大切なことは「自分の頑なさ」を認識することです
それは相手の立場になって考えてみれば分かることでもあるでしょう
初期哲学もこの「思考」と「対話」からスタートし活字として残すようになったのは人類にとっては最近のことですから
10(1): 2011/09/11(日) 23:08:13.82 0 AAS
>>8-9
なるほど。おっしゃるとおりです。
今日のミサの朗読は「七の七十倍赦しなさい」(マタイ18・22)
の箇所でした。
それでは寝ます。
11: 2011/09/11(日) 23:10:09.70 0 AAS
んあ?
なでこのだあ?
12(2): 2011/09/11(日) 23:24:41.86 0 AAS
>>7
スポーツ選手が特に外国人の人が神に感謝って上空に指差しますがあれはなんですか?
13(1): 名前を持たない主義 2011/09/12(月) 01:44:39.43 0 AAS
他人の痛みが分からないように我らを作りたもうた
神に感謝します。
でなければ、とっくに人類は滅びていたでしょう。
14: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 06:26:10.76 0 AAS
失礼しました。>>10は名前が入っていませんでした。
>>12
残念ながら分かりません。
>>13
キリストに倣いて1巻16章[1]
他人の欠点を耐え忍ぶこと
「自分や他人の身において改めることのできぬ所は、神が別の摂理
(はからい)をしてくださるまで辛抱忍耐しなければならぬ。
そして多分これは自分の試練(こころみ)となり、忍耐のために
いっそう役立つのだろうと思うがよい。忍耐がなければ、私たちの
功勲(いさおし)はほとんどなんの価値もないからである。
しかしかような妨げに出会ったならば、神があなたを助け、柔和な
心でこれを辛抱させてくださるよう、熱心に祈らなければならぬ。
もし人に一二度忠告してみて、相手がそれを聞き入れないならば、
争わずにすべてを神にお任せするがよい。それは主のみむねが行な
われ、主があらゆるしもべにあがめられたもうためである。神は悪
を善に変えることをよくご承知である。
他人のどんな不足や弱点もがまんするように努めるがよい。なんと
なればあなたもわが身にそういう所をたくさんに持っていて、他人
に辛抱してもらわなければならぬからである。」
15(1): 名前を持たない主義 2011/09/12(月) 07:55:30.97 0 AAS
進化という過程において、人類が最終的に獲得した理性は、
実は遅れて登場しても、何の問題もなかったということを
神に感謝します。
16: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 21:26:15.46 0 AAS
>>15
?
17: 2011/09/12(月) 21:29:19.20 0 AAS
んあ?
なでこのだあ?
18(2): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 21:30:26.53 0 AAS
私は哲学の本は以下の4冊しか読んだことがありません。
・意志と表象としての世界(抜粋)
・視霊者の夢
・キリスト教は邪教です!
・ソクラテスの弁明
19: 2011/09/12(月) 21:37:33.25 0 AAS
安売りしてたソース買ったら、家で工場ネットで調べたら、栃木県産だったよ。
しかも井戸水使用だって。冗談もほどほどにしたまえ。
もう、最近こんなのばっか。
20(1): 2011/09/12(月) 21:37:43.40 0 AAS
>>18
最初と最後はいいとして
真ん中の二つは哲学の本と言えるのだろうかw
21(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 21:47:39.68 0 AAS
昨日から「キリスト教は邪教です!」という本を読み直していますが、
これについて何と言っていいものか、とまどいます。あまりに事実誤認
というか何と言うか、無茶苦茶な内容です。これが皆さんに本当に受け
入れられているとしたらひどい話です。
22(1): 2011/09/12(月) 21:48:37.41 0 AAS
>>18
聖書のよりよき理解の為にも哲学関連書を読むことは補強になっていいと思いますけれども
今は有り難いことに簡単に読める「新書」で哲学関連のものが多数出ていますから
それを買って読むのもいいかと思いますよ
BOOK OFFなんかでしたらかなり安いですしね
私もけっこう利用していますが
23: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 21:52:24.07 0 AAS
>>20
哲学者の書いた本と言った方がいいのかと思いながら書きました。
しかしこれらが哲学のジャンルかどうかは知りませんが、当の本人の
考えと関係ないというわけではないでしょう。
24(3): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 22:07:14.57 0 AAS
>>22
残念ながら哲学が聖書の理解を助けるとは思いません。むしろ逆であると
思います。聖書を理解するためにはそこに書かれている言葉の霊的な意味を
学ぶ必要があります。例えば「草」は真理を意味するとか、「食べる」は
「真理を学ぶ」という意味であるとか。ですから、「羊飼い」「牧者」とは、
「羊」すなわち霊的な人間に真理の知識を教える者という意味であるとか
です。
これらの霊的な意味はスウェーデンボルグのように神ご自身から教えられ
た者にしか分からないのです。従って、そういう人の解説を読まない限り
分かりません。それを人間の知恵で考えても間違うばかりで全く逆効果
になるのです。
25: 2011/09/12(月) 22:09:45.81 0 AAS
>>21
『キリスト教は邪教です!』はニーチェの『アンチクリスト』の大胆な意訳版というか超訳版ですよね
訳者が面白おかしく訳しているのでヨハネさんのような方は避けた方がいいでしょう
今はキリスト教からは少し離れた哲学書の方がいいと思いますよ
26(1): A 2011/09/12(月) 22:19:05.42 0 AAS
>>24
哲学書が宗教を理解する事に
役に立つかどうかは読む人次第
だとおもいますが、哲学書を読むこと
で洗練される思考の力は
役立つと思いますよ。
思考を介して、真理に達する道も
ありますので。
で、洗練された思考に道徳を
足してあげると、真理感覚になる。
それが足場のない霊の道を歩くとき
の道しるべの一つになると考えています。
あくまで、一意見として
27(1): 2011/09/12(月) 22:21:22.87 0 AAS
>>24
それは少々偏りすぎた考え方なのではないですか
失礼かもしれませんが上記の4冊しか読んでいないとなればそれは完全に初心者レベルですし
私がヨハネさんおレスを読んでいて気になったのは確かに御自身の心の悩みを解決する上で大きな
役割をはたしてくれたことは理解できるのですが同時にヨハネさんは自分の今の考え方を守るために
「自己防衛の体制」で色々な意見にレスしえちるようにも感じてしまいました
そういうことであるならば「何でこの哲学板にスレッドを構えたのか?」ということになってしまいます
ヨハネさんは独り言を書くためにこのスレッドを哲学板に設けたのですか
それとも「宣教師」としてこの板に乗り込んできたのですか
哲学的なものとの関わり合いを通して何がしかの自己の化学反応を期待して来たのではないのですか
そこら辺を明確にした方がいいのではないかと思うのですね
「郷に入っては郷に従え」という言葉の意味は深いですよ
28(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 22:21:30.38 0 AAS
私は糞袋ですが、自分の頭で何かひねり出そうとは思いません。
皆さんは自分の頭で考えて何かひねり出そうとします。哲学とはそういう
ものでしょう。しかし、それは食えないしろものなのです。
ニーチェの「キリスト教は邪教です!」を読んでいてつくづくそう思い
ました。これは事実誤認であると。事実誤認の基礎の上には堅固な建物
はできないでしょう。ペトロは主から「あなたはペトロ。わたしはこの
岩の上にわたしの教会を建てる。」(マタイ16・18)と言われました。
「ペトロ」とは岩であり、真理という意味を持っています。
真理の上に教会(再生した人間)を建てるのです。すなわち、真理を学ば
ないと人間は再生できないのです。
29: 2011/09/12(月) 22:33:53.37 0 AAS
>>28
まあまあ自分のことを「糞袋」はないでしょう
『アンチクリスト』はあれはあれで意味のある書だと思います
『キリスト教は邪教です!』はまだ読んでいないので何ともいえませんがかなり汚い言葉が書かれているそうですね
何にせよ「哲学を知らない人」が「哲学とはそういうものでしょう。」とは感心しない表現です
聖書に関しても『キリスト教は邪教です!』しか読んでいない人が「キリスト教は本当に駄目な宗教だね」というのと全く同じレベルの発言でしょう
それから聖書の引用文もここではひとまず避けた方がいいでしょう
大抵の人は「はあ、そうですか…」としか言えないではありませんか
結局は信仰心のある人とそうでない人とに分かれるだけで建設的ではありませんしね
30(3): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 22:39:13.86 0 AAS
>>27
皆さんは真理を求めているのではないですか? その手段として人智で
真理に到達しようとしているのだと思います。しかしわたしはそれは無理
だと思います。それについて議論できればと願っています。
みなさんが正しければ私は郷に従うでしょう。そうでなければ従わない
でしょう。
議論は許されないのですか? 郷に従わないなら議論を待たず、とにかく
追い出すのが真理を求める哲学の立場でしょうか?
31(2): 2011/09/12(月) 22:57:59.06 0 AAS
>>30
人間は自由です
しかしそれは何でも勝手にできるという可能性の話であってみんなで勝手に滅茶苦茶にやろうということではありません
哲学は確かに「真理」という「究極の理」に向かって思考を進めるものですがそれは他の科学も同様のことでしょう
「人間」に今現在理解できていることなんていうのは極々一部のことだけです
「宇宙の始まりがなんたら…」とか宇宙物理学者は言っていますが地球の海の一番深いところにすらいまだに潜水艦でも潜れません
そんな状況でまだほとんど誰も行ったことのない宇宙のはなしをしたところで仕方ないとも思えますが前に進むということは
こういうような地道なで幼稚な試行錯誤を繰り返すしか無いのですね
私が「郷に入っては郷に従え」という言葉を書いたのはヨハネさんのいう意味で書いたのではなく「哲学的に色々と考えてみましょう」
という程度のはなしです
つまり当然ながら「議論は許される」わけですし「議論」しなければ何も進みません
「哲学」も「科学」も「(問題としての)対象を疑う学問」ですしさらに言えば「我々が当然と無条件に信じている事物」を検討することなんですね
だから「聖書は絶対真理だからこれは除外してその他の検討ね」というわけにはいかないのです
そういう「聖書」のタブーに思考的挑戦をしてきた哲学者は少くはないと思いますし
ヨハネさんが「それは嫌ですね」というのならば「哲学板」の方針とは合わないということになります
32(3): A 2011/09/12(月) 23:02:25.42 0 AAS
>>31
ヨハネさんの視点を要約すると以下になると思います。
あなたはどのようにお考えですか?
「聖書理解」のためには、
1.「聖書に記載されているモチーフ」の霊的な意味を学ぶ必要があり、
2.それは神ご自身から教えられた者にしか分からない
3.それらの理解は神からの啓示によってのみ与えられる
4.神からの啓示は特別なものを介してのみ人に与えられる
5.人智では真理に到達できない
33(1): 2011/09/12(月) 23:21:22.06 0 AAS
>>32
5項目とも「そういうことなんだろうなあ…」と私も思いますよ
さらに言えばヨハネさんの「そいこと言う気持ちはわかる(と思う)」というところでしょうか
正確にはそもそも「神とは何か」という根本的な疑問は私の中にあるのですがそいうことはひとまず置いての上ですが
34(3): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 23:25:06.84 0 AAS
>>26
私は思考より識別だと思っています。私は思考はあまりしませんが、
食べるときには識別します。間違った事実認識の上に思考されて出て来た
食べ物はやはり間違いです。
私たちは食べ物が腐っていたら、口に入れるまでもなく、臭いで分かる
でしょう。思考を待たなくとも識別できるのです。
「キリスト教は邪教です!」はまさにそのようなものです。それは意訳か
超訳かの問題ではなく、本質的なものが事実誤認によって成り立っている
と感じました。私自身はこれを読んでも、何ら害は受けませんが、
これが世に流布するなら有害と思います。黄色や真っ赤な毒キノコのような
ものです。子供には有害でしょう。
35(3): A 2011/09/12(月) 23:25:21.20 0 AAS
>>33
私もあなたとほとんど同意見です。
ただ強いて言うならば5.についてのみ同意しません。
※ただ、同意しないのはヨハネさんが使用している「人智」という
単語の中身についてのみだと思いますが。
スウェーデンボルグは人で、真理の一側面に到達していることを
ヨハネさんは否定しないと思います。
それが「他力」なのか、「自力」なのかどう呼ぶか、というだけの
問題で5.の中身が変わります。
「自力」と呼べば「人智では真理に到達できる」となり
「他力」と呼べば「人智では真理に到達できない」になるだけです。
何れにせよ、「自力」も「他力」も決定的に必要なのは言うまでもありません。
36: A 2011/09/12(月) 23:26:48.35 0 AAS
>>34
はい。あなたの仰っていることに賛成します。
あなたのご指摘していることこそが真理感覚です。
霊の道における嗅覚です。
37(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 23:32:12.73 0 AAS
>>31
私に聖書のタブーなどありません。おおいに歓迎します。
38(2): 2011/09/12(月) 23:42:21.01 0 AAS
>>34
ヨハネさんもかなり憤っていらっしゃるようですが「あの本」にはあまりこだわらない方がいいのではないですか
ニーチェに父は牧師さんだったんですよ
そういう家庭環境の中で色々なことがあり父親に対して反発を覚えたのでしょう
『アンチクリスト』は父に向けた過激な言葉だと私は思っていますし
>>35
スウェーデンボルグについては間接的にしか知らないので今の私には何とも言えません
しかし一人の人間の言葉が「真理(たとえ一側面であっても)」に到達しているという意見には賛成しかねますね
人間は先に私も述べましたが大したことなど知り得ていないのです
39(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 23:43:53.12 0 AAS
>>35
人智というのは人間の思考という意味です。人間の思考で考え出す
ことは誤謬の塊りとなりやすいという意味です。
認識、あるいは識別という意味なら人智でも結構です。
考え出すのではなく、与えられた啓示による書物から認識・識別に
よって探し出し、見つけ、食べる(自分のものとする)のです。
40(1): 2011/09/12(月) 23:45:33.30 0 AAS
>>34
では俺がキリスト教は間違っている、神などいない、そしてそれは思考ではなく識別で分かる、
キリスト教は有害だから流布させてはいけない、と言ったらどうします?
41(2): 2011/09/12(月) 23:50:12.12 0 AAS
>>37
そうですかそれは大変失礼しました(笑)
ですがやはりヨハネさんの姿勢をもう少し柔軟にしてもらうことと哲学も何か勉強してもらわないと
対話にすらならないようにも思うのですがどうでしょう?
つまり「前スレ」のような状態は困るということです
哲学や科学の最先端を研究している人にだって物凄い数のキリスト教徒はいます
つまり哲学とキリスト教は両立し得るということです
問題はそのバランスの取り方なんでしょうね
42(1): A 2011/09/12(月) 23:51:54.00 0 AAS
>>39
純粋な思考は間違えようがありません。
ちなみに識別は「観察>思考>記憶」の後に可能になります。
思考を経ていない識別は不可能です。
43: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/12(月) 23:54:00.78 0 AAS
>>38
ニーチェに同情はしますが、これが世にもてはやされるなら危険だと
いう意味です。キリスト教が侮辱されたから私が怒っているというのでは
ありません。憂慮しているという意味です。
スウェーデンボルグは主ご自身から口授されたという意味のことを
述べています。
しかし、そろそろ休みます。皆さんのおかげで充実していました。
44(1): A 2011/09/13(火) 00:01:44.91 0 AAS
>>38
人間は大したことは知りえてないかもしれないですが
個人は大したことを知っている人もいると思いますが。
まぁ、意見を押し付けたいわけではないので
これから歴史上でも生きている人でも良いので
そのような個人との出会いがあると良いですね。
45(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/13(火) 00:03:58.88 0 AAS
>>40
小さなニーチェと呼んで同情します。
>>41
これだけ対話できれば本望です。
>>42
そうかもしれません。その辺は詳しくありません。
46(1): 2011/09/13(火) 00:11:52.21 0 AAS
>>44
出会いですよねえ本当に
色々な先生方にもお会いしましたがもっともっとお会いしたいものですねえ
出会いは財産ですから
47(1): 2011/09/13(火) 00:24:28.90 0 AAS
>>45
同情はお互い様になるでしょう。
俺が聞いたのはどちらの「識別」が正しいのか、そしてその「正しさ」は何によって判断されるのか、ということです。
あ、もちろん聖書だのスウェーデンボルグだのでは駄目ですよ。
だってあなたが聖書やスウェーデンボルグを思考ではなく識別で真理だとしたように
俺も自分の立場を思考ではなく識別で真理だと言えてしますわけですから。
48: A 2011/09/13(火) 00:27:22.16 0 AAS
>>46
なるほど、仰りたいことが良く分かりました。
49: ゲーム [.] 2011/09/13(火) 00:45:41.95 0 AAS
>>41
キリスト教と両立している研究者もいるだろうが、両立しているかの
ようにみせかけている学者もいなくはない。真っ向から反キリスト教
を唱えるのは、国柄にもよるけれども、危険が伴なうからである。
一神教の本質は、やはりその暴力性にある。
聖書の無謬性、すなわち処女降誕、贖罪死、肉体を持ったままの復活
…等々を、そのまま受け入れられるかどうかがキリスト教の信/不信を
分岐する。
非・キリスト教徒からみれば、聖書は御伽噺である、といって語弊が
あるのなら、優れた説話である。壮大な“喩”といってもよい。
それが人々を魅惑したのは間違いないが、その指南力は限界に達して
いる。この国でも彼の国でもこれ以上、キリスト教徒が増えることは
ないのではないか。それは、前記のキーワードをもとに、世界(存在の
総体)を描出するのには無理があるからである。
50: 名前を持たない主義 2011/09/13(火) 01:44:48.34 0 AAS
わしはニーチェ専門だ。
ドゥルーズの「ニーチェ」を勧めるぞ。
薄いから簡単に読める。
「ニーチェと哲学」は難しい。
翻訳すると「ニーチェ対哲学」。
もともと哲学以前に宗教と占星術が長い期間
支配的だったので哲学がその言葉を借用するのは
ある意味必然。
キリスト教の恩恵は次の一点においても計り知れない。
日曜日。
51: レイア 2011/09/13(火) 17:40:02.34 O携 AAS
>>12
ダヴィンチみたいで良いよね!ヨハネのポーズ
>>24
比喩多いからね
研究者でも試行錯誤してるし…本人がキリスト教徒なら間違いは認めたくない筈だし、中立なら間違いは間違いと認めるよね
宗教学研究者は
でも隠されてるのは事実であって、それをどう哲学的に証明するかはかなり難しいよね
52(1): レイア 2011/09/13(火) 17:48:39.37 O携 AAS
>>32>>35
5項目とも理解出来る
5番目の解釈なんだけど、「人智で理解出来ない」ならイコールで「他力」と言うのはどういう意味なんだろ?
他力がもしも「神の力」
だとしても、所謂「外部の話」になってるの?
53: レイア 2011/09/13(火) 18:26:54.25 O携 AAS
>>47
Aさんが言う様に勿論、個体の思考後の識別で明らかになる
明らかになる真理に至っては…
それが完全なる真理として議証されるには
神的話しをしてる以上
1、神をなんでも良いから信じてる(人間より上の全能的存在を)
2、霊的な世界感に詳しい(上下右左)
3、世界創造(物理学、熱力学、天文学、宗教学)に於いて、「哲学を寛容、または高位する 者」
等を駆使した者に真理が真理として理解可能になる
聖書やボルグその他の哲学書を「読みさえすれば到達する」なんて有り得ない虚像
54: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/13(火) 22:52:21.31 0 AAS
全くの余談で恐縮ですが、私と哲学、あるいはキリスト教との縁をお話ししておきます。
私は山の中で育ちました。小学生の頃、飛んでいるツバメを見て、ツバメの初めは
何だったんだろうとか、怠惰なせいか、人間はどうして生きなければならないんだ
ろうなどと考えました。平凡ですが、宇宙の果てはどうなっているんだろうとか。
5、6年生の頃「我が輩は猫である」を、卒業した春休みに雑誌のおまけの
「草枕」を読みました。
中学生の頃は空白あるいは暗黒時代でした。
高校生になって「意志と表象としての世界」の抜粋を旺文社文庫で読んで
初めて一つの世界観を知りました。哲学の本はそれだけで、ドストエフスキー
を好んで読みました。新約聖書はパウロの手紙類を読んだのでしょうが、あくが
強くて読めませんでした。キリストその人を知ることはありませんでした。当時
私はキリスト教ではキリストが身代わりになってくれたので人間は救われたと言っ
ていると思い、なんて気持ち悪い軟弱な宗教だろうと思っていました。
数学が苦手で大学は文学部に行きました。運動も苦手でしたが運動部に所属して、
勉強は全くしませんでした。進級するためにドイツ語の試験で生まれて初めて
級友にカンニングさせてもらいました。恥ずかしいことです。
専門過程は私のひどい成績で行けるところを消去法と少しの親近感で選び、実は
哲学科に行ったのです。唯一の英語のゼミを選択し、訳本で切り抜けました。何
のゼミだったか、当時も(!)今も分かりません。
一方、司法試験を受けようと思い法律の授業も受けました。しかし、弁護士は興味
が湧かないことが分かり、1回だけ受けてあきらめました。単位をやっと取って、
学部だけかろうじて卒業しました。今でも卒業できない夢をときどき見ます。
55(5): J.モーリアティ 2011/09/13(火) 23:12:36.39 0 AAS
>>30
小さなヨハネ。私も人智を持ってして真理に到達できるとは、
思っていないね。しかし、君の文章にはあきらかな誤りがいくつも
見当たるので、私はいらだつのだよ。
12使徒たちは、イエスを神ご本人だなどと信じたのではない。
救世主だ、と信じたのだよ。神の遣わしたもうた方だ、とね。
神の遣わされた者は、神の存在を明かす者ではあっても、もちろん、
神そのものではない。そんな説を聞いたら、イエス本人がまず、
卒倒してしまうだろうよ。
三位一体説というのは、のちに、なんとか公会議で、決定された
教会の公式見解のことで、イエスの信仰とは(ほとんど)関係のない
教会の自己保持の為に作られた基本方針のことだろう?
あきらかに、当時、イエスもそしてその支持者たちも、信じていた
事は、待ち望んでいた「救世主」がついに来た!!という事さ。
常識だろう?
56: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/13(火) 23:13:11.55 0 AAS
さて、それから実社会に出て樹海を長い間さまようことになります。しかし、
私の頭では歯が立たなかったのが正直なところですが、哲学を意地や何かで
やらなくて本当に良かったと思っています。なぜなら、哲学では魂の救いは
得られなかったろうということが今になって分かるからです。それは主のお導き
であったと感じています。
57: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/13(火) 23:19:14.94 0 AAS
>>55
ついに出て来てくれましたね。まずは歓迎のご挨拶をします。
それは聞き慣れたあなたの持論であることをよく知っています。
私はそれが事実誤認であるとこれから述べることになるのでしょう。
58(1): J.モーリアティ 2011/09/13(火) 23:23:49.48 0 AAS
ほお。それは、面白いね。
59: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/13(火) 23:28:25.10 0 AAS
ところが事実は常識より奇なりです。
卒倒したの捕まえに来たユダヤ人たちであり、主は「私はある」と明言
されたのです。これは、わたしはエホバ(ヤハウェ)であると宣言された
のと同じです。
60: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/13(火) 23:30:55.36 0 AAS
>>58
私もおもしろいです。この日が来るのを10年待っていました。
61: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/13(火) 23:42:44.70 0 AAS
>>55
それはあなたの解釈です。ニーチェの「キリスト教は邪教です!」も
ニーチェが好き放題の解釈を書き連ねていました。これが有名な哲学者
なのかと同情しつつも呆れるばかりでした。
62(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/14(水) 00:21:03.19 0 AAS
根拠も示さず、自分の解釈を述べるのはとても楽です。しかし、それは
無責任であり、どこかに逃げがひそんでいます。
私はしばしば引用を多用するので大抵の人から敬遠されますが、私だって
引用もしないでしゃべったら楽です。でも、極力自分の解釈が正しいか
どうかを判断していただくためにも引用するのです。
私が考えてもそれはひねり出す部類ですから、喰えたものではありません。
私が考えるのではなく、聖書や見神者の言葉から探して来て皆さんに提供
するのです。もちろんその際、識別、判断は自分でしています。しかし
でたらめに私自身で考え出さないということです。
しかし、夜もふけました。今日はこの辺にしましょう。
有難うございます、モリアティ。
63(1): J.モーリアティ 2011/09/14(水) 00:28:30.00 0 AAS
マタイによる福音書のその部分では、イエスは啖呵をきっている
ではないか? 「・・わたしが父に願って、十二軍団以上の御使い
たちを、たちどころにわたしに備えてもらえないとでも思っている
のか?」とな。むろん、後世の創作である可能性も強いが、イエス
自身が「父」であるなら、なぜ、このような言葉が飛び出るはずが
あろうか?
64: J.モーリアティ 2011/09/14(水) 00:34:49.83 0 AAS
マルコ、ルカ、ヨハネにも、君のいう「私は在る」なんて
あいまいな言辞を弄してなぞいないぜ?
いいかげんな妄想を垂れ流すのは、よしてもらおうか。
65: J.モーリアティ 2011/09/14(水) 00:40:10.40 0 AAS
君は、西洋哲学史の蓄積の重みをまったく理解せず、
なにかの新興宗教にはまっているだけなのさ。
しかし広告塔にしては、あまりにウブすぎるな。いわば使い捨ての
手駒ってやつだろうな?
66: J.モーリアティ 2011/09/14(水) 00:44:44.61 0 AAS
哲板で、新しいキリスト教の宣教を開始したいなら、
あと20年ほど、勉強してからにしてくれ。
67: J.モーリアティ 2011/09/14(水) 00:48:03.23 0 AAS
たぶん、君のお気に入りは「黙示録」だろう?
68(1): J.モーリアティ 2011/09/14(水) 06:15:25.02 0 AAS
まあ、昨晩は、私の虫の居所が悪く、小さなヨハネ君にやつあたり気味に
応対してしまった部分もある。だからというわけでもないが、少々、フォ
ローさせてもらおう。私や他のひとは、常識的にイエスを天才的宗教家と
呼び、君は大胆にも、いやイエスこそ、父なる神だった、と言う。
それは、じつは君の日本人的な感性から出ているのだと思う。われわれ、
日本人にとって神とは、おそるべきもの、崇高ななにものか、に対する
美称であって、モノやコトやヒトを神として崇拝して来た。三輪山とは、
ヤマそのものを神格化したものだし、コノハナノサクヤビメとは富士山
を神格化したもの、あるいは、オオモノヌシやアマテラスは、いまは特
定し難い、古代のヒトナミスグレタ働きをした個人、あるいは集団が、
神格化されたものだろう。その伝統にのっとって考えるならば、伝え聞
くイエスの宗教活動は、われわれ日本人にとっても「カミ」と呼ばれる
にふさわしいものであり、われわれにとって、イエスをカミと呼ぶこと
に何のためらいも感じることがない。。。というのは、それが日本人の
伝統的感性であり、血だからだ。
・・あまり、君のフォローにならなかったかな?
69: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/14(水) 06:32:29.73 0 AAS
>>63
王様が世を忍んで俗世間に普通の庶民の姿で来られたとします。
困っている人を見かけて哀れに思われた王様は、あなたを助けて
下さるよう王様に頼んでみようと婉曲に言われたと思えば合点が
いきます。王様はうそをついているわけではないのです。
そして、もう一つ言えることは当時もそうですが、後世になって
主が神ご自身であることを信じない人が大多数となることを配慮して
新約聖書は表現されているのです。他にも似たような箇所がたくさん
あるのはご存知でしょう。
「私と父とは一つである」(ヨハネ10・30)とか「そうすれば、父がわたし
の内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう」
(ヨハネ10・38)とか、「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父
も知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている」
(ヨハネ14・7)など、枚挙に暇がありません。
分かる人には分かるのです。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」
(ヨハネ10・27)からです。それはそれで止むを得ないのです。
あなたのように信じない人がいることを主はとっくにご存知だったのです。
70(2): 2011/09/14(水) 06:35:10.05 0 AAS
>>62
いや違うってw
聖書や君の言う見神者の言葉は哲板では根拠にならないの。
逆に聖書や君の言う見神者の言葉の正当性を君が理屈でもって根拠付けなきゃいけないの。
それが哲板での議論の仕方なの。
71: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/14(水) 06:35:31.41 0 AAS
>>68
ええ、あまり。
でもありがとうございます。
それでは失礼して勤めに行ってきます。
72(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/14(水) 06:41:39.68 0 AAS
>>70
もちろん自分でも努力するつもりです。しかし、読者のセンシビリティに
懸かっている点があることはご容赦ください。
それから、「キリスト教は邪教です!」には何の根拠もなしに
ニーチェは世迷い事を書いていますが、そのことについてコメント
していただけますか?
あれは単なるエッセイですか?しかしあの調子で他のことも考えて
いるとしたら、かれはあなたの言う意味の哲学をする哲学者なのですか?
73: 2011/09/14(水) 06:46:45.76 0 AAS
>>72
ごめんね。俺はそれ読んでないから読んでないものについてはコメントできない。
センシビリティについては理解出来ないことはないけど
できるだけ理屈でもって語るようにね。センシビリティの領域に入っちゃうと
それぞれの感性の違いで終わっちゃう危険性があるから。
74: キリスト教は邪教です! 2011/09/14(水) 20:10:05.75 0 AAS
【バチカン】性的虐待問題でローマ法王をICCに告訴 支援団体「事件を隠蔽」[11/09/14]
1 :やるっきゃ騎士φ ★:2011/09/14(水) 13:26:34.16 ID:???
[アムステルダム 13日 ロイター] カトリック聖職者による児童への性的虐待問題で、
被害者を支援する人権団体が13日、ローマ法王ベネディクト16世とバチカン幹部3人が
性的虐待を容認したとして、オランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)に告訴した。
2chスレ:news5plus
75: レイア 2011/09/14(水) 20:10:55.75 O携 AAS
Jモーリアティ
宗教板に最も相応しい迷い子w
★日本人の民族独特さと宗教の混同
★旧約に疎い存在感
★真理に程遠い、若しくは真理より遠ざかる思想の存在
★キリストの歴史上超端的なヴァチカンの手入れ如きのキリスト歴史話ししか出来ない
★イエスキリストは「父に祈りを捧げてた…」
だからこそ三位一体の真の意味は理解出来ません…
「イエスが父ならば、父に祈る筈がない」w
★〈天、地、地獄〉の超単的な総合世界感すらも携えない
76: レイア 2011/09/14(水) 20:15:27.03 O携 AAS
「人智」が外部なのか外部じゃないのかどっちなんだよ?
人の智と書くんだぞ?
人智が人間のものじゃないなら誰のものなんだよ?
神様のなら「神智」という漢字が出来るよな?
77: A 2011/09/14(水) 21:34:45.32 0 AAS
>>52
修行をどんなに厳格に、精力的に、正しく行ったとしても、その果実は結局与えられるものです。
ただ、その行為がないと何かを与えられることはそもそもありません。
そういう意味です。
78(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/14(水) 21:49:47.57 0 AAS
>>70
哲板ではそんなに根拠のある議論がされているのですか?
もしそうだとすればとっくに何かの結論が出ているはずです。
79(1): 2011/09/14(水) 22:38:09.81 0 AAS
>>78
割り込んですみません
「根拠」といっても思考や事実確認の積み上げを根拠として「論」を進めているんです
キリスト教では「神の存在」も「聖書」の信憑性も「まず信じること」が信仰のスタート点ですよね
歴史的にみて順番からいけば科学も数学もみんな哲学が先行して起点となっているんです
そのくらいに哲学の歴史は長いのですがニュートンですら当時は哲学者という位置づけなんですよ
そしてそうした「哲学→科学など」の成果は私たちの生活を現実レベルで便利にしてくれています
ですから「哲学」も当然ながら進歩しています
ニーチェなどは古典の部類に入っていて現代哲学は科学の成果と切っても切れない関係にまでなっていますから
現代哲学を知ると感嘆することもあるかと思います
ですが「物質とは何か」とか「意識とは何か」というような極限の問いは現在も継続中で答えは出ていません
もっとも出ていればヨハネさんだってご存知ですものね
つまり哲学というのは特別な考え方ではなくて人によってもその方法論が違いますから試行錯誤の学問なのです
80: 2011/09/15(木) 01:48:18.74 0 AAS
キリストの前に・・・
【 自殺強要・集団ストーカー犯罪 】
後ろ盾のない一庶民に対し、卑劣な人権侵害を『 集団 ( グループ ) 』で行なう犯罪です。
・24時間インターネットでの誹謗中傷、捏造、情報操作、印象操作
・24時間不特定多数の人々によるつきまとい、尾行、家宅侵入等々
・被害者の情報を共有
・盗聴、盗撮、ほのめかせ
加害者達が集団で、被害者を貶め、鬱病や統合失調症に仕立て上げ、
社会から抹殺しようとする凶悪な犯罪です。
この犯罪は海外でも存在し、アメリカではテレビでも報道され、
【生命倫理に関する大統領諮問委員会】も開かれています。
日本では20年以上も隠蔽され続け、年間自殺率3万人以上と増加の一途。
一刻も早く集団ストーカー犯罪を規制する法律が必要です。 認知、撲滅にご協力ください。
81: J.モーリアティ 2011/09/15(木) 05:07:00.29 0 AAS
・・だいたい、「キリスト教は邪教です!」というタイトルの本を
買って読め。。と示唆する神経を疑いますね。あきらかに、哲学に
まったく関心のないひと向けの駄本だからさ。・・これをもとに、
ニーチェを語るなんて、まさかする訳ないでしょ?
すくなくとも、容易に手に入る「悲劇の誕生」「善悪の彼岸」
「道徳の系譜」「ツァラトゥストラ」を読んでね。ニーチェを問題
にしたいんでしょ? ・・それから、ショーペンハウワーの主著も
手に入れるのがめんどくさそうだから、僕は「幸福について」新潮
文庫と「自殺について」岩波文庫を読むことにしますよ。
82: J.モーリアティ 2011/09/15(木) 05:13:50.10 0 AAS
あと、「ソクラテスの弁明」は当たり前だし、カントの「視霊者の夢」
には、さすがに関心、ありますな。今度、図書館に行ったおりにでも
チェックして、置きましょう。まあ、たぶん、1ヶ月先の話になりま
すが、しょうがないね。
83: J.モーリアティ 2011/09/15(木) 05:16:02.09 0 AAS
まあ、レイアくんのカキコは、わたしには理解不能。
もう少し、論理的な言葉をしゃべってね。
84: J.モーリアティ 2011/09/15(木) 07:25:52.00 0 AAS
・・だいたい、キリスト教とか、イエスが真か、偽か、だなんて
言い出すひとは、みずからの教養の圧倒的な欠如に気づいて欲しい
よね。そんなに簡単な問題な訳ないだろが。小さなヨハネは、
誰に洗脳されたか知らないが、おのれの姿を鏡に映して、穴のあく
ほど、よおく視るがいいさ。いったい、どれだけたくさんの人間が
この問題を考えてきたと思ってんだよ。そんなに、簡単な問題かよ。
小学生は、黙ってな。
85: J.モーリアティ 2011/09/15(木) 07:37:24.27 0 AAS
・・いままで、非常に多くのひとがよくよく考えた結果、スウェーデンボルグ
は、哲学じゃないよね。と判断したなら、私もその判断のほうを信じるね。
言いたくはないが、君のカキコは「板違い」というやつだろうね。
君が、この意見に反対なら、君は、引用ではなくて、君自身の言葉で反論を
展開しなければならない。わかるね。
86: J.モーリアティ 2011/09/15(木) 08:03:30.79 0 AAS
・・まず第一に、カトリックの三位一体説と君の(Sの、か?)
説との違いを、あきらかに述べよ。
君は、この問いにまったく答えようとしてないな?
87(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/15(木) 09:20:46.87 0 AAS
今日は土曜出勤の振替休日です。小さなマンションの3階から見える空は青く晴れ、
まだ、心地よい朝の冷気が感じられます。モリアティ教授がたくさん書いてくださ
いました。名なし氏も。おいおいお答えしましょう。
ところで>>32でA氏が的確なまとめ方をしてくださいました。私もそれにならって
思いつくまま箇条書きにしてみました。内容は相互に重複・関連しています。
1.霊魂が救われるための方法論が決定的に間違っている
2.聞く・学ぶ相手を間違えている
3.誤った知識を学んでいる
4.真のキリスト教・宗教が何か知らない
5.真のキリスト教・宗教と従来のキリスト教・宗教を混同している
6.認識力・識別力がない
7.正しい知識・霊的知識がない
8.根拠を示せない
9.モラルに関する判断を有しない
10.真理を愛する心がない
11.宗教が死んでいるということは哲学も死んでいるということ
12.哲学が死んでいるということは宗教も死んでいるということ
13.人間に関する洞察力に乏しい
14.自分で判断を下せない
15.霊的なものを探求する動機
88(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/15(木) 09:29:24.62 0 AAS
これらを説明するためには相当な時間も労力もかかるでしょう。ススキの
原野を開墾して豊かな畑にするのと同様です。誤解を解きながら進めるのは
ススキに手や顔を切られながらそれを刈り、引き抜くことです。種を蒔く前
に涸れた土を耕して、柔らくし、肥料も水も与えて土壌を改良せねばなりま
せん。さらに種を蒔き、草を取り、実るまでにどれほど世話をしなければな
らないでしょう。
西洋ではススキではなく茨でしょう。茨とは誤謬という意味です。主が茨の
冠で血を流されたのは、神ご自身が人間の誤謬に苦しめられたことを意味し
ています。それは現在も全く一緒で、当時よりひどいかもしれません。
余談ですが、皆さんはご存知ないかもしれませんが、世界各地で主のご絵が
血の涙を流されたり、聖母像が涙を流されたりした事例がたくさん報告され
ています。あるいは聖母のご出現も。有名なルルドの泉もそうです。
秋田の聖母像が101回涙を流されたのをご存知ですか?
皆さんはそれを何と説明するのでしょうか?
それらは主から私たちへのメッセージです。
89(1): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/15(木) 09:37:12.57 0 AAS
まあ、今こんなことを言っても、皆さんはまだまだ受け付けないことをよく
知っています。科学で説明できないことはあり得ない、認められない。事実
の報告すら妄想だと傲慢に片づけるでしょう。しかし、科学が生命の存在の
所以を説明したと聞いたことがありません。自分達が被造物であり、どうし
て出来たのか知らないのに、造物主を否定するのです。無から私たちを創造
された造物主が聖母像に涙を流させることくらい出来るに相違ないのです。
陶器の土が陶物師(すえものし)を批判するたとえにあるとおりです。
イザヤ29・16
お前たちはなんとゆがんでいることか。
陶工が粘土と同じに見なされうるのか。
造られた者が、造った者に言いうるのか
「彼がわたしを造ったのではない」と。
陶器が、陶工に言いうるのか
「彼には分別がない」と。
日本にはこういう素晴らしい歌があります。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
人間は霊的に中味のない空疎な段階の時ほど自己愛と誤謬に溢れ、傲慢に
頭を反り返らせるのです。私自身がそうでした。
90(1): 名前は持たない主義 2011/09/15(木) 09:37:54.45 0 AAS
>>88
>皆さんはそれを何と説明するのでしょうか?
えっと「なぜ、私が説明するの?」
それが僕から主へのメッセージです。
91(1): 名前は持たない主義 2011/09/15(木) 09:54:43.70 0 AAS
>それらは主から私たちへのメッセージです。
それを知ってるか?
それは小さなヨハネの解釈か?
それとも神が小さなヨハネに特別に語ったのか?
それとも小さなヨハネ=神だったのか?
いつから神になったのだ?稲穂よ。
92: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/15(木) 10:18:55.87 0 AAS
>>90
それをあなたが何と思うのか主から聞かれているのです。
あなたは何と思われますか?
さて、では、>>79の名無し氏からまずお答えしましょう。
「キリスト教では「神の存在」も「聖書」の信憑性も「まず信じること」が信仰の
スタート点ですよね 」
前にも申し上げたとおり、それは誤解です。私もそんなものは信じていませんでし
た。いえ、むしろ、ノー・アイディアだったのです。考えたことのないことは
信じるも何も、知らないのですから、考えようもありません。
>>90氏と恐らく同じ状態です。
しかし、自分の中であなたの言われる
「「根拠」といっても思考や事実確認の積み上げを根拠として「論」を進めている
んです」
ということをくり返して信じるに至ったのです。
根拠のないものをどうして人間は信ずることができるでしょう。
従来のキリスト教と真のキリスト教は違うというのを知って下さい。
理性による判断によって信ずるのが真のキリスト教なのです。あなたに識別する
ための知識がないので仕方ないのでしょうが。確かにA氏の仰るとおり、人間は
知識がなければ識別は困難です。
93(2): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/15(木) 10:26:54.93 0 AAS
>>91
主のご絵が血を流され、聖母のご像が涙を流されたら、それは主と聖母が
苦しみ、悲しまれていると考えるのが自然です。そうでなければピカソ
のゲルニカが涙を流してもいいでしょう?
私が神だなんて、馬鹿なことを言うのはおやめなさい。そんな馬鹿なこと
など考えていはしません。
さて、涼しいうちにちょっと自転車に乗ってきます。
94: 名前は持たない主義 2011/09/15(木) 10:30:50.47 0 AAS
なんと思うと言われても、凄いなと思いますよ。
全くあり得ないことですからね。以上。
なんで人間は誕生するとき、赤ん坊の時には
理性を持っていないのか?という疑問の方が興味が
有りますね。たぶん重要度が低いから備わっていないのでしょう?
95(1): 名前は持たない主義 2011/09/15(木) 10:37:59.30 0 AAS
>>93
>主のご絵が血を流され、聖母のご像が涙を流されたら、それは主と聖母が
>苦しみ、悲しまれていると考えるのが自然です。
なるほど、では何が悲しいのですか?
96(1): 2011/09/15(木) 12:16:52.23 0 AAS
>>89
> 科学で説明できないことはあり得ない、認められない。事実
> の報告すら妄想だと傲慢に片づけるでしょう。
こんなバカな考え方をする科学者はほとんどいないでしょうね。
科学で説明できないことは、未だわからないのであって、あり得ないのではありません。
> しかし、科学が生命の存在の
> 所以を説明したと聞いたことがありません。
説明はいくらでもありますよ。まだ仮説の段階で定説と言えるものはありませんが。
> 自分達が被造物であり
無根拠な断定です。よって根拠を明示しない限り以下の展開は砂上の楼閣です。
97(1): 2011/09/15(木) 12:27:34.82 0 AAS
>>93
> 主のご絵が血を流され、聖母のご像が涙を流されたら、それは主と聖母が
> 苦しみ、悲しまれていると考えるのが自然です。
その血や涙は科学的に検証されたものですか?成分は科学的に確かめられていますか?
> ピカソ
> のゲルニカが涙を流してもいいでしょう?
世界中に絵画や像は何千万とあるでしょう。中には「涙」を流した絵画や像もあるかもしれませんよ。
特別の絵画や像ではないので話題にならなかったのかも知れないし、人に気付かれなかったのかも知れません。
98(4): 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/15(木) 14:59:31.30 0 AAS
>>95 >>97
秋田の聖母について、聖母は何を悲しまれたかについてですが、聖母のから3回メ
ッセージが当時シスターにあったそうです。
1回目はそのシスターの耳の不自由がきっと治るということ、その修道会の祈りを
心して祈ること、教皇、司教、司祭のためにたくさん祈るようにという内容でした
(エンデルレ書店/安田貞治(神父)著/聖母マリア像の涙/P63)。2回目は
世の多くの人々が主を悲しませていること、主を慰める者を望んでいるということ、
清貧、貞潔、従順の釘で十字架につけられる心をもって誓願を立てることです(同
P110)。3回目はもし人々が悔い改めないなら、おん父は全人類の上に大いな
る罰を下そうとされていること、ロザリオの祈りをもって司教、司祭のために祈る
こと、悪霊の働きが教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は
司教に対立すること、聖母を敬う司祭は攻撃されること、悪魔の誘惑によって多く
の司祭、修道者がやめること、迫っている災難から助けることができるのは聖母だ
けであること、聖母に寄りすがる者は助けられることなどです(P138)。
涙についての鑑定について。(その鑑定書の写しが上述の本の巻末にありました。)
「涙が流れるたびに、姉妹たちはそれぞれの作業の手を休めてご像の前に集まり、
一緒にロザリオの祈りを一環捧げ、最後に神父が涙を拭き取るのが常であった。
涙を拭った脱脂綿は後に秋田大学と岐阜大学の法医学教室で鑑定を受け、「ヒト
体液」と判定された。」
「秋田の小さな修道院の物語」/秋田文化出版社/P15
>>96
まあ、あなたは神の存在を信じないのですから被造物という概念はないのでしょう
ね。仕方ありません。
99: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/15(木) 15:33:20.14 0 AAS
さて、連続投稿は8回までのようですので(このタームは24時間ということでし
ょうか、それとも日付が変わると更新されるのでしょうか?)、次はモリアティ教
授のご質問にお答えします。
86 :J.モーリアティ:2011/09/15(木) 08:03:30.79 0
・・まず第一に、カトリックの三位一体説と君の(Sの、か?)
説との違いを、あきらかに述べよ。
君は、この問いにまったく答えようとしてないな?
? ? ? このご質問は前のスレッドにもありました。実は10年前の冒頭でもいた
だいたものです。
10年前にこうお答えしました。「私は知りません」と。
今でも同じです。カトリックの三位一体説を私は勉強していないので実際知らない
のです。もちろん手元に公教要理関係の本は持っています。(「カトリック教会の
カテキズム要約」/カトリック中央協議会、「カトリックの信仰」/岩下壮一(神
父)/講談社学術文庫)しかし、正直なところ読んでいません。
要点だけならばこういうことだろうと思います。つまり、私は父と子と聖霊はキリ
ストご自身のことと思っています。しかし、カトリックの公教要理は難しいことを
言っているのではないかと思います。そしていくら「公教」要理と言っても、人に
よって考えることは別ですから、殆どの人は三人の神と思っているでしょう。口に
は出しませんが。
わたしはあなたがなぜこんなことを聞くのか不思議だったのです。あなたは当然
カトリックの三位一体説を知っていると思ったので、それと私のものがどう違う
かなど、あなたなら瞬時に分かるだろうと思ったからです。
あなたはカトリックの三位一体説を知らないのですか?
100(1): 名前は持たない主義 2011/09/15(木) 15:45:22.97 0 AAS
>>98
なんでメッセージだけでなく、わざわざ絵画に涙を流させるのだろうか?
メッセージだけでも十分ではないか?
101: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/15(木) 16:06:01.65 0 AAS
81 :J.モーリアティ:2011/09/15(木) 05:07:00.29 0
<・・だいたい、「キリスト教は邪教です!」というタイトルの本を
買って読め。。と示唆する神経を疑いますね。あきらかに、哲学に
まったく関心のないひと向けの駄本だからさ。・・これをもとに、
ニーチェを語るなんて、まさかする訳ないでしょ?
すくなくとも、容易に手に入る「悲劇の誕生」「善悪の彼岸」
「道徳の系譜」「ツァラトゥストラ」を読んでね。ニーチェを問題
にしたいんでしょ? ・・それから、ショーペンハウワーの主著も
手に入れるのがめんどくさそうだから、僕は「幸福について」新潮
文庫と「自殺について」岩波文庫を読むことにしますよ。>
ニーチェを問題にしたいわけではありません。哲学者の根拠のなさを一例として
あげただけです。皆さんは哲学は根拠だエビデンスだとおっしゃいますが、こんな
出鱈目があるのはどう評価するのですか?と。
すると返って来る答えは、それは超訳だからとか、素人向けの駄本だからという
これもまた説得力に乏しい回答しか返ってきません。
人の発言は少しでも、その人全体を現しているということを皆さんは知らない
のでしょうか?
102: 小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. 2011/09/15(木) 16:36:10.51 0 AAS
85 :J.モーリアティ:2011/09/15(木) 07:37:24.27 0
<・・いままで、非常に多くのひとがよくよく考えた結果、スウェーデンボルグ
は、哲学じゃないよね。と判断したなら、私もその判断のほうを信じるね。
言いたくはないが、君のカキコは「板違い」というやつだろうね。
君が、この意見に反対なら、君は、引用ではなくて、君自身の言葉で反論を
展開しなければならない。わかるね。>
>>87の14番に書きましたが、あなたは「自分で判断を下せない」の典型例です。
自分で判断が下せず、他人の判断で判断する人のことを言います。
天界の秘義10551[3]
「なぜならかれらは何かの事柄が真であるか、否かをただ他の者からのみ確認する
ことによって認めており、それは真理を外部から認めて、内部から認めないことで
あり、または説得的な信仰からそれを認めることであるからである。その性質は
9363−9369番に認めることができよう。こうした人物は誤謬を真理として、
真理を誤謬として、また悪を善として、善を悪として認めることができるのである。」
ルカ12・57
「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。」
自分で識別、認識、判断が出来ない結果、当然のこととして「不可知論」が生まれ
ます。私には何も分からない、と。
私の引用は私がそれは正しいと識別、判断したものを引用しています。ですから
これは私の言葉とも言えるのです。しかし、私がひねり出したものでないのです
から却って安心できるのです。
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