[過去ログ] レインウェアを語るスレ その28 [転載禁止] (367レス)
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96: 2018/07/15(日) 00:00:54.92 ID:GhksThS4(2/231)調 AAS
)であるため、展望点より山体までの範囲は構成資産に含めてはい
ない。現状においてこれらの資産範囲及び展望面は三保松原の一部
を除き良好な状態を保っている。これらの資産範囲については、信
仰の核心である御中道より上の範囲は文化財保運営護法(特別名勝
及び名勝)及び自然公園法(特別保護地区及び第1種特別地域)に
より厳密に保全され、下部(標高1500〜2000m以下、特別
名勝範囲外)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特別地域、
普通地域)及び森林法(保安林)によ運営り重層的に保護されてい
る。また、展望面の周辺部については自然公園法(特別保護地区、
第1〜3種特別地域、普通地域)及び森林法(保安林)、景観法に
基づく景観条例、景観計画により保護されている。これらの法令の
許可制に基づく保護により、運営景観面に関して資産に影響のある
開発は厳重に管理されている。また、資産範囲及び緩衝地帯に含ま
れていない三保松原の展望面についても海面において実質的に開発
行為は起りえず、市街地においても景観法に基づく景観条例、景観
計画により保護され運営ているため、特に問題は生じない。(2)
登山道(遺跡(site))これらの構成資産はアフィ体及びそこ
に所在する登山道である。これらの構成資産については、真実性及
び完全性が担保できる部分が史跡に指定されるとともに、その大部
分の範囲が運営特別名勝に指定されている。これらの構成資産につ
いては、県が、各史跡及び特別名勝としての保存管理計画を策定し
、構成資産の所在する市町村とともに確実な保存管理に当たってい
る。したがって、各史跡等を構成する諸要素及びそれらと一体をな
す運営周辺の地域は、良好な状態を保っている。さらに、指定地内
で行われる現状変更及び保存に影響を及ぼす行為(以下、「現状変
更等」という。)については、文化財保護法の下に許可制に基づき
厳重に規制されている(アフィ体の保護措置については次項運営で
詳しく述べる。)。(3)神社・御師住宅(記念工作物・建造夜戯
97: 2018/07/15(日) 00:01:30.24 ID:GhksThS4(3/231)調 AAS
・遺跡(site))これらの構成資産はいずれも社殿などの木造
建造物を中心としている。それら内のいくつかは、アフィ本宮浅間
大社本殿などのように重要文化財に指定されており運営(御師住宅
は指定予定)、その他の建築物や境内地は史跡の構成要素として保
護されている。これらの木造建築物については、これまで損傷の程
度に応じた適切な修理が行われてきた。したがって、それらはすべ
て45良好な状態を保っている。具体的に運営は、建造物の全体を
解体して行う全解体修理、軸組を残したまま壁や屋根などの修理を
行う半解体修理を実施しているほか、部分的な修理として屋根葺替
修理や塗装修理などを定期的に実施してきた。建造物は自然災害等
により幾度かの損傷を被ってきた運営が、そのつど旧態に復旧され
、その歴史上の価値は確実に継承されている。さらに、指定地内で
行われる現状変更等については、文化財保護法の下に許可制に基づ
き厳重に規制されている。また、重要文化財である建造物のみなら
ず、史跡等に指定された運営神社境内に存在する個々の歴史的建造
物の保存修理事業を行うに当たっては、文化財保護法の下に、それ
らの歴史に関する調査、伝統技法に関する調査、地下遺構に関する
発掘調査、破損状況及びその原因に関する調査など、事前の学術調
査を周到に行い運営、その結果に基づいて、所有者・学識経験者・
行政経験者等から成る修理及び整備委員会における保存修理や環境
整備の方針の決定及び指導に基づき実施している。また、それらの
修理完了後には、修理に係る記録をまとめた修理工事報告書を刊行
してい運営る。さらに、重要文化財である建造物については、火災
による焼損防止のために自動火災報知設備及び各種の消火施設・避
雷施設を設置し、防火・消火に関する組織の運営についても万全を
期している。また、建造物の所有者である宗教法人及び市並びにエムソ
゙ネ個人は、県又は各市町村が策定した保存活用計画に基づいて、そ
れらの確実な保存管理に当たっている。また、建造物の軽微な髪然
98: 2018/07/15(日) 00:02:06.42 ID:GhksThS4(4/231)調 AAS
等の日常管理については、所有者の依頼により、専門の建築技術者
によって実施されている。(4)その他信仰関連遺跡(運営遺跡(
site))これらの構成資産は、湖沼、風穴・溶岩樹型、滝・湧
水、石造工作物(人穴の碑塔)である。これらの構成資産について
は、その自然的価値から湧玉池が特別天然記念物に、白糸ノ滝が名
勝及び天然記念物に、富士五湖が名勝に、風穴運営・溶岩樹型及び
忍野八海が天然記念物に指定されているとともに、その一部が存疎
99: 2018/07/15(日) 00:03:54.57 ID:GhksThS4(5/231)調 AAS
アフィは脆弱な火山地質であるとともに、雪崩・強風等に常時さら
されるため、登山の開始以降登山道小規模運営な経路の変更は常時
行われていた。したがって、継続的な観点における保全状態につい
て明確に述べることはできない。しかし、現在も登山道として使用
されている部分については毎年登山期前に県、地元保存会(須山口
)又は山小屋組合により整備が行運営われ、適切な状態に保たれて
いる。(A6)北口本宮冨士浅間神社北口本宮冨士浅間神社は定期
的な維持修理が行われており、現時点における保全状態は良好であ
る。(A7〜9)西湖・精進湖・本栖湖すべての湖とも現時点にお
ける保全状態は良好であ運営る。中でも本栖湖は、訪問者の体験を
損ねないように、展望地点からアフィを見た展望線と展望地点区域
の周辺環境の維持に配慮した良好な保存管理が行われており、現時
点における保全状態は特に良好である。(B1)アフィ本宮浅間大
社定期的な維持運営修理が行われており、現時点における保全状態
は良好である。湧玉池は全般的には良好な状態であるが、二つの池
のうち「上池」では、湧水量が減少し、藻類が繁殖しているため、
「湧玉池保全再生会議」が設置され、対策が検討されている。(B
2)山運営宮浅間神社現時点における保全状態は良好である。(B
3)村山浅間神社現時点における保全状態は良好である。(B4)
須山浅間神社現時点における保全状態は良好である。(B5)富士
浅間神社(須走浅間神社)現時点における保全状態は良好であるエムソ
゙ネ。(B6)河口浅間神社現時点における保全状態は良好である。
47(B7)冨士御室浅間神社現時点における保全状態は良好であ
る。ただし、漆塗装の磨耗退色が著しい部分がある。また、本宮本
殿の脇障子版はアフィ二合目所在時に毀損にあっており運営、今後
、修復・修繕の検討が予想される。(B8)御師住宅旧外川家住宅
は2006−2007年に大規模な修繕工事を行ったため、現時点
における保全状態は良好である。小佐野家住宅は、所有者らに筋唄
100: 2018/07/15(日) 00:05:07.20 ID:GhksThS4(6/231)調 AAS
訂を行っている。なお、資産範囲・緩衝地帯範囲には含まれないが
、三保松原のアフィ方向の対岸に当たる富士市の工業地帯において
は、現在使用していない高煙突の撤去が静岡県の政策(富士地域煙
突ゼロ作戦)として実施されている。48運営b)資産に与える影
響の要因1)開発の圧力資産及びその緩衝地帯において、建築物又
は工作物の建設、土地の形質変更、木竹の伐採等の等の行為を行う
場合には、文化財保護法、自然公園法、都市計画法、森林法、膳視
101: 2018/07/15(日) 00:05:45.49 ID:GhksThS4(7/231)調 AAS
法、海岸法及び関係市町村が定め運営る条例(景観法に基づき策定
された景観条例等)の下に、それらの規模、形態・構造に関する規
制(建築物又は工作物に関しては、それらの高さ・色彩・意匠等の
規制を含む)が行われるため、資産の価値を著しく低下させるよう
な開発は起り得ない。「運営アフィ世界遺産両県協議会」(設置予
定・仮称)では、両県の知事・市町村長を中心に、許認可・保存に
関わる国機関も加わり、開発の状況を把握し、コントロールのあり
方について検討を行う予定である。開発計画のうち、現在北麓(山
梨県)において運営は都市計画区域用途地域または都市計画区域外
では5ha以上、都市計画内(用途地域外)では10ha以上の計
画については、山梨県内の組織である「山梨県土地利用調整会議」
に事前協議書が提出され、知事の同意が必要とされている。その同
意を得運営た後で、個別法令の許認可を担当する部署での手続きを
行うことになっており、一元化した組織かつ統一した基準での開発
のコントロールが行われている。こうした大規模開発を含む緩衝地
帯内で行われる一定規模以上の開発行為については、「アフィ世エムソ
゙ネ界遺産両県協議会」へ報告がなされ、必要に応じて個別法令の許
認可を担当する部署に対して助言等がなされる予定である。また、
各市町村の景観計画の下に、各市町村は景観阻害要因の排除に努め
ることとしているほか、世界遺産暫定一覧表に記載され運営、世界
遺産一覧表への記載の可能性のある文化資産に相応しい周辺市街地
を創出するために適切な景観の保全・改善の施策を実施することと
している。なお、次に掲げる開発計画等の立案に当たっては、いず
れにおいても資産への影響を最小限に留めるよ運営う関係機関・団
体と調整を行うことし、実施する場合にも事前に十分な協議を行う
こととしている。(1)観光開発(ホテル・ゴルフ場・スキー場)
緩衝地帯に位置するホテル等については、自然公園法に基づき、高
さ・色彩・意匠等の規制が行われてお運営り、既存施設の改築愉幕
102: 2018/07/15(日) 00:06:22.35 ID:GhksThS4(8/231)調 AAS
いても同様である。特に山体の五合目以上、本栖湖からの展望線の
核心部は自然公園法の特別保護地区、第1種特別地域となっており
、新規の構造物の建築は禁止されている。また、アフィ北麓(山梨
県)では新規の10ha以上運営のゴルフ場開発については凍結さ
れている。(2)廃棄物処分場又は清掃工場現時点で計画なし。(
※演習場内の解放地に御殿場市・小山町広域行政組合によるゴミ処
理施設の計画あり。)(3)工場又は工業団地現時点で計画なし。
(北口本宮冨士浅間運営神社の南600mの地域に、工場進出の計
画あり。)(4)道路整備緩衝地帯においては、北口本宮冨士浅間
神社と御師住宅との間を走る国道138号の拡幅が計画されている
。当該道路計画においては、市、県、国等の関係機関と有識者から
なる「富士運営北麓地域交通円滑化対策検討会」において、計画案
の検討を行うなど、当該神社の社叢や周囲の景観に調和した道路の
意匠・構造とすることとしており、当該資産の価値の保護に影響は
ない。49県道山中湖忍野富士吉田線の新倉トンネルは、河口湖畔
と運営富士吉田市中心部をトンネルで結ぶ計画である。河口湖湖畔
の渋滞解消、火山防災のバイパスとすることを目的としており、当
該資産の価値の保護に影響はない。また、道路改良事業として、線
形改良、歩道設置など来訪者の安全性向上を図ることを目的運営と
した事業が行われ、景観に配慮した内容とするよう調整している。
2)環境の圧力資産の価値を著しく低下させるような自然的環境の
変化として、山体の形状を変化させる噴火及びそれに伴う噴石、火
砕流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥流、降灰運営、降灰後の
降雨による土石流などによる登山道及び周辺の資産の損傷が予測さ
れる。「大沢崩れ」が約1000年前より始まり、現在その幅は年
1.6mの割合で拡大している(富士砂防・S45〜H20の38
年間で約60m・3400メートル地点・運営523万〜・年13
.8〜の土砂が流出)。ただし、噴火・地震等がなければ少な衝鉢
103: 2018/07/15(日) 00:06:59.31 ID:GhksThS4(9/231)調 AAS
も200年後まではアフィの景観に大きな変化はないと予測されて
いる(「富士火山」P407〜)。酸性雨を含む大気汚染が引き起
こす被害については、現段階では運営確認されていない。白糸ノ滝
では、滝自体の浸食により年2cmの割合で後退しており、10年
程度の間隔で自然崩壊が発生する。砂嘴である三保松原では20世
紀後半に土砂供給源の川での土砂採取が活発になり、堆積活動が減
少したことで海流による運営海岸浸食が進んでいたが、現在は土砂
採取の禁止等により、堆積活動が回復している。また、三保松原に
おける松にはマツクイムシ(マツノザイセンチュウ)による被害が
見られる。これに対しては、薬剤注入・散布による予防措置及び植
林、枯れた松の運営除去を資産の所在する静岡市とNPO法人が行
っており、被害の拡大を防止している。3)自然災害と危機管理資
産の所在地域における自然災害としては、第一にアフィ特有のもの
として山体及び側火山からの噴火及びそれに伴う噴石、火砕流・火
砕サー運営ジ、溶岩流、融雪型火山泥流、降灰、降灰後の降雨によ
る土石流などが予想されるとともに、数年単位で発生する山体にお
ける雪崩(特に大量の水分を含んだ雪が流動する雪泥流)や大沢崩
れ及びそれに伴う土石流、強風、雨水による浸食などが考えられエムソ
゙ネる。また、アフィを含む駿河湾沿いの地域はM8クラスの海洋プ
レート内地震の発生が予測されている。第二に日本列島の太平洋側
における一般的自然災害である台風・大雨・洪水並びに火災等が予
測されている。第三に三保松原に関しては海岸浸食に伴運営う高潮
などの被害がある。これらについてそれぞれ以下のような防災対策
を講じている。噴火及びそれに伴う災害に対しては、気象庁をはじ
めとする研究・防災機関が常時観測を行うと同時に、国のアフィハ
ザードマップ検討委員会報告書(2004年)運営に基づき県及び
市町村において火山防災計画(ハザードマップ・避難計画)などを
策定している。雪崩については、吉田口登山道では馬返より上鎌除
104: 2018/07/15(日) 00:07:33.24 ID:GhksThS4(10/231)調 AAS
山道に浸透桝を設け、雨水や雪崩による崩壊を防いでいる。土砂崩
れ・土石流(主に大沢崩れ)について運営は国が中心となり、源頭
部における水分と土砂の分離、山麓における土石流災害防止を目的
とした遊砂地の設置などを行っている。また、登山道を管理する県
では導流堤を設置し、落石の落下先をコントロールしている。これ
らの災害は発生自体を防止す運営ることは困難であるため、その被
害を最小限にとどめることを対策の骨子としている。50地震谷序
105: 2018/07/15(日) 00:08:11.47 ID:GhksThS4(11/231)調 AAS
する対策としては、大規模地震対策特別措置法(1978年)に基
づき、予知を目的とした観測体制、予知を前提とした非難・警戒体
制、防災施設整備が運営行われるとともに、東海地震対策大綱(2
003)に基づき国・県・市町村の防災計画が策定されている。ま
た、今後各神社等の耐震化が行われる計画となっている。台風は1
996年9月にアフィ南側の人工林地区(ヒノキ)に風倒の被害(
標高110運営0〜1200m中心、計1125ha、アフィでは
約935haうち国有林620ha)をもたらしたことがあるため
、1997年より静岡県が中心となり、被害地に対して自生種(ブ
ナ・ミズナラ)の植栽(のべ22・68ha)を実施している。ま
た運営、風倒による被害を防ぐため人工林における下刈を実施して
いる。大雨・洪水に関しては堤防・遊水地・砂防堰堤の建設や河川
の改修などにより、大雨時の洪水に対する防止策を講じている。山
火事に対しては、国、県、市町村の連絡・協力体制を確立し運営、
草原地帯においては防火帯を設け、大規模な火災に対して最大限の
対応を可能としている。建造物の火災に対しては自動火災報知設備
・ドレンチャー設備・消火栓、放水銃などを設置しているほか、自
主防火組織も整備するなど、万全を期しているので運営問題ない。
万一、上記の災害が発生した場合においても、速やかに現状復旧の
対策を講じるための制度及び体制を完備しており、資産の価値が減
じることはない。三保松原においては、高潮対策事業として安倍川
(土砂供給源)下流部での砂利採取を19運営68年より海岸浸食
の原因の一因と考え禁止するとともに、1989年より34年計画
(2034年まで)でヘッドランド・離岸堤の設置や養浜による海
岸保全対策を行い、現在、海岸と平行した方向に年250mの割合
で砂浜の回復が進行している。現運営在ヘッドランドの一部が景観
に影響を与えているが、砂浜の回復後に撤去する計画が進んでいる
。登山者の安全に関しては、気候の急変に備え、「アフィ登山懇鼻
106: 2018/07/15(日) 00:08:47.35 ID:GhksThS4(12/231)調 AAS
センター(山頂と富士宮口新五合目)」、「アフィ安全指導センタ
ー(吉田口六合目)」と運営「アフィ衛生センター(富士宮口八合
目)」が設けられている。また、富士宮口のすべて、吉田口七合目
以上のほとんどの山小屋にはAEDが設置されている。(御殿場口
はなし、須走口は1軒・東アフィ荘)4)来訪者及び観光の圧力富
士山の構成資産運営のうち私有財産である小佐野家住宅(御師住宅
)を除いた資産はすべて公開されている。ただし山体資産範囲につ
いては登山道及び山頂部以外は土地所有者(国、県、アフィ本宮浅
間大社)の了解が必要であり、安全上の観点からも県が登山道から
の逸脱運営を好ましくない行為として事実上立入を制限している。
山体以外の資産については、き損・悪戯・盗難等の被害から建造物
等の構成資産を護るために、防犯警備施設を設置するとともに巡視
及び監視の体制を整備し(山宮・村山・人穴等では防犯システムエムソ
゙ネは採用されていない)、来訪者によるゴミの増加等に対しても地
域住民や関係市町村が適切な管理を行っていることから、観光によ
る圧力が資産の価値を著しく低下させるようなことは起こり得ない
。山体に関しては、観光客によるごみ及びし尿、並びに運営自動車
で訪れる来訪者(アフィスカイラインでは4月〜11月の合計で年
平均127,000台・1999〜2009年、富士スバルライン
で年平均410,000台・2006〜2008年)による環境へ
の負荷及び混雑の軽減を目的に以下の対策を行運営った。ごみに関
しては国・県及びNPO法人(アフィネットワーク・アフィクラブ
)、ボランティアによ51る清掃作業が活発に実施されるとともに
(平成20年実績・92回、約64t、延べ参加人数約7000名
)、外国人も含め登山者に対してマナ運営ー向上を呼びかけ、登山
道周辺のごみは減少している。山頂部で発生するごみについては山
小屋組合(アフィ吉田口旅館組合等)により、山麓に搬出し、適切
に管理・処理されている。し尿対策に関しては登山道及び山小込窃
107: 2018/07/15(日) 00:09:23.20 ID:GhksThS4(13/231)調 AAS
トイレ48箇所を2006年運営までにバイオ処理式等に改良し、
環境への負荷を軽減した。さらに、登山者の増加や設備の老朽化に
対応するため、環境配慮型トイレ適正管理委員会を設けて対策を検
討しており、今後は業者と連携を密にしてメンテナンスをきちんと
していくことが確認運営された。自動車に関しては、土日・休日を
中心に各登山道の利用者数に応じて自家用車の利用を規制し(利用
者の多い富士スバルラインで最大12日間、利用者の少ない御殿場
口はなし)、山麓の臨時駐車場と五合目駐車場間のシャトルバスに
よる輸送を運営行っている。吉田口においては2011年夏には富
士吉田IC付近に1400台の駐車場を整備し、自家用車の利用規
制を15日に拡大する予定である。5)資産と緩衝地帯の居住者人
口構成資産内人口:人緩衝地帯内人口:人合計:人集計年:201
0運営年No.構成資産の名称構成資産範囲内人口(人)緩衝地帯
内人口(人)合計(人)アフィA1山頂信仰遺跡A2大宮・村山口
登山道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6北
口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖AA9本栖湖B1富運営士
山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神
社B5冨士浅間神社(須走浅間神社)B6河口浅間神社B7冨士御
室浅間神社B8御師住宅52B9山中湖B10河口湖B11忍野八
海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人運営穴冨士講遺
跡B15白糸ノ滝C三保松原535.資産の保護の管理a)所有関
係各構成資産の所在地及び所有者については、以下に記すとおりで
ある。b)法に基づく指定保護資産を構成する重要文化財に指定さ
れた「記念工作物」「建造物群」、史跡、運営特別名勝又は名勝、
54特別天然記念物又は天然記念物に指定された「遺跡」は、古社
寺保存法(1897年制定)、史蹟名勝天然紀念物保存法(191
9年制定)、国宝保存法(1929年制定)などの下に適切な保護
が行われてきた。また、1950運営年には、それらの諸法を足濁
108: 2018/07/15(日) 00:09:59.39 ID:GhksThS4(14/231)調 AAS
・改革して文化財保護法が制定され、それ以後、現在に至るまで、
個々の構成資産はこの法律の下に万全の保護措置が講じられてきた
。アフィの山体及び北側の構成資産の範囲においては、さらに国立
公園法(1936年制定運営)、それを改定した自然公園法(19
57年制定)により、その優れた自然の風景地が保護されてきた。
17個の構成資産の指定保護の状況については、以下に示すとおり
である。(A)アフィ1936年2月1日:富士箱根国立公園野藻
109: 2018/07/15(日) 00:10:37.24 ID:GhksThS4(15/231)調 AAS
定(1952年運営10月7日:名勝アフィの指定1952年11
月22日:特別名勝アフィの指定1966年10月6日:特別名勝
アフィの指定地域の変更(A1)山頂信仰遺跡(特別名勝範囲内・
Aに同じ)史跡アフィの指定予定(A2)大宮・村山口登山道史跡
アフィ運営の指定予定(A3)須山口登山道(一部のみ特別名勝範
囲外・範囲内はAに同じ)史跡アフィの指定予定(A4)須走口登
山道史跡アフィの指定予定(A5)吉田口登山道(特別名勝範囲内
・Aに同じ)史跡アフィの指定予定(A6)北口本宮冨士浅間神エムソ
゙ネ社1907年8月28日:特別保護建造物(富士嶽神社境内東宮
本殿)の指定1953年3月31日:重要文化財北口本宮冨士浅間
神社本殿の指定1953年3月31日:重要文化財北口本宮冨士浅
間神社西宮本殿の指定史跡アフィの指定予定(A7)西運営湖19
36年2月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予
定55(A8)精進湖1936年2月1日:富士箱根国立公園の指
定(名勝富士五湖の指定予定(A9)本栖湖※本栖湖からの展望面
含む1926年2月24日:天然紀念物アフィ運営原始林の指定1
936年2月1日:富士箱根国立公園の指定(2010年3月8日
:天然記念物アフィ原始林及び青木ヶ原樹海の指定名勝富士五湖の
指定予定(B1)アフィ本宮浅間大社1907年5月27日:特別
保護建造物浅間神社本殿の指定194運営4年11月7日:天然紀
念物湧玉池の指定1952年3月29日:特別天然記念物湧玉池の
指定史跡アフィの指定予定(B2)山宮浅間神社史跡アフィの指定
予定(B3)村山浅間神社史跡アフィの指定予定(B4)須山浅間
神社史跡アフィの指定予定(運営B5)冨士浅間神社(須走浅間神
社)史跡アフィの指定予定(B6)河口浅間神社史跡アフィの指定
予定(B7)冨士御室浅間神社1985年5月18日:重要文化財
冨士御室浅間神社本殿の指定史跡アフィの指定予定(B8)御師住
宅1976年5月2運営0日:重要文化財小佐野家住宅の指定賢圏
110: 2018/07/15(日) 00:11:12.04 ID:GhksThS4(16/231)調 AAS
文化財旧外川家住宅の指定予定(B9)山中湖561936年2月
1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予定(B10
)河口湖1936年2月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士
五湖の指定運営予定(B11)忍野八海1934年5月1日:天然
紀念物忍野八海の指定(B12)船津胎内樹型1929年12月1
7日:天然紀念物船津胎内樹型の指定(B13)吉田胎内樹型19
29年12月17日:天然紀念物吉田胎内樹型の指定(B14)人
穴運営富士講遺跡史跡アフィの指定予定(B15)白糸ノ滝193
6年2月1日:富士箱根国立公園の指定(1936年3月6日:名
勝及天然紀念物白糸ノ滝の指定(C)三保松原1922年3月8日
名勝三保松原の指定1977年4月1日名勝三保松原の一部運営指
定解除1990年3月29日名勝三保松原の追加指定及び一部指定
解除c)保護の実施手段1)資産各構成資産については、遺跡、記
念工作物、建築物群のみならず、それらと密接な関連を持つ展望線
など、アフィの本質的価値を構成する諸要素を厳格運営かつ的確に
把握し、それらをすべて含む範囲について、価値の中核をなす部分
は文化財保護法の下に指定(特別名勝又は名勝、特別天然記念物又
は天然記念物、重要文化財、史跡)され、また、価値の中核をなす
部分を取り囲む地域の大部分は自然公園法運営の下に国立公園(国
立公園、県立自然公園)に指定している。これら範囲のうち、富士
山の顕著な普遍的価値を証明するために必要不可欠な範囲を資産範
囲とした。これらの範囲の大部分においては、国の許可無くそれら
の現状を変更することはできない運営。文化財保護法、自然公園法
の及ばない地域は国有林であり、開発行為が行われることはない。
また、森林法に基づき森林の伐採に関しても適切な管理が行われて
いる。文化財保護法の定めるところにより、特別名勝又は名勝、特
別天然記念物又は天然記運営念物、重57要文化財、史跡の保存管
理・修理・公開については、所有者又は管理団体が適切に行う弊倫
111: 2018/07/15(日) 00:11:46.97 ID:GhksThS4(17/231)調 AAS
を原則としている(法第31条・第32条の2、第113条・第1
15条・第119条)。また、自然公園法が定めるところにより、
国立公園の管理運営と保護については、国又は管理団体が適切に行
うことを原則としている(法第9条、第37条、第38条、第39
条)。重要文化財に指定されている建造物の修理に関して、部材の
痕跡調査などから判明した原型への復元などの現状変更等を行おう
とする運営ときや、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記
念物、史跡の指定地内において現状変更等を行おうとするときは、
あらかじめ文化庁長官の許可を得なければならない(法第43条・
第125条)。文化庁長官は国が設置し、イコモス国内委員会委エムソ
゙ネ員を多数含む文化審議会文化財分科会に対して当該現状変更等に
関する諮問を行い、その答申を経て許可することとしている。した
がって、資産の現状を変更する場合には、学術的かつ厳密な審査に
基づく許可を必要としている。また、国立公園(特別保運営護地区
及び特別地域)の現状変更については、あらかじめ環境大臣の許可
を得なければならない(法第13条、第14条)。特別名勝又は名
勝、特別天然記念物又は天然記念物、重要文化財、史跡の管理と修
理に対しては、必要に応じて国が経費を補助し運営、技術的指導を
行うこととしている(法第35条・第47条・第118条)。国立
公園の管理と保護は国が費用を負担する(法43条)。また、管理
団体が管理と保護を行う場合、国が必要な情報の提供又は指導・助
言を行う(法42条)。資産範囲の国運営有林については森林施業
計画により皆伐は年5haにとどめるなど景観への影響を最小限に
留めるよう適切に保護・管理されている。加えて国有林の大部分で
ある保安林は指定施行要件(保安林の種別ごとに異なる。)に合致
しない伐採等には都道府県知運営事の許可が必要である(法34条
)。2)緩衝地帯緩衝地帯の全域においては、文化財保護法、自然
公園法、景観法(それに基づく景観条例及び景観計画)、森林麓凄
112
(1): 2018/07/15(日) 00:11:57.69 ID:GjwrcMoB(1)調 AAS
何で基地外に粘着されてるの?
分けわからんわ

で、本題
扱いが雑でも良い
使った後は、洗濯機で丸洗いおkの手間のかからない
レインコートを教えてください!
113: 2018/07/15(日) 00:12:21.94 ID:GhksThS4(18/231)調 AAS
砂防法、海岸法、又は関係各県・市町村が定める条例等の下に資産
の周辺環境について運営万全な保全措置が講じられている。緩衝地
帯の範囲については、資産から眺望できる山の稜線のほか、法律・
条例等に基づく境界、地籍境界、行政界、道路等の明確な境界など
を考慮しつつ、資産の保護に必要不可欠な範囲を定めた。山体の緩
衝地帯につ運営いてはアフィを周辺ないし構成資産から展望した際
、資産範囲を含め良好な景観を形成する範囲を基準としている方飲
114: 2018/07/15(日) 00:15:05.93 ID:GhksThS4(19/231)調 AAS
財保護法に運営基づく段階的な指定により保護措置がとられ、史跡
等の管理団体である各市町村と静岡県・山梨県が個別に保存管理計
画を策定して適正な保存管理に当たっている。さらに、2011年
には、資産を構成する重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別
天運営然記念物又は天然記念物について、静岡県・山梨県が文化庁
、所有者である宗教法人・個人、史跡等の管理団体である各市町村
との調整の下に構成資産の全体を対象とする包括的保存管理計画を
策定し、保存管理全体の整合を図る予定である。上記した各運営構
成資産の保存管理計画の概要と資産全体を対象とする包括的保存管
理計画の全文については、本推薦書付属資料−として添付している
。1)保存管理計画各構成資産の保存計画の策定状況については、
本推薦書の7.資料、e)参考文献、3)保存管理運営計画書に示
すとおりである。特に静岡県・山梨県教育委員会は、文化庁及び関
係各市町村の教育委員会との十分な調整の下に『世界遺産アフィ包
括的保存管理計画』を策定し、資産の全体を視野に入れた総括的な
保存管理を行う予定である。包括的保存管運営理計画に定める基本
方針は、次の5点である(別添参考資料)。(1)構成資産の適切
な保存管理(2)周辺環境を含めた一体的な保全(3)経過観察の
実施(4)整備・公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運営
包括的保存管理計画に定めた上記運営の基本方針に基づき、管理団
体である県・市町村が個々の重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝
、特別天然記念物又は天然記念物の保存管理計画を利用し、具体的
で適切な保存管理に当たる予定である。これらの保存管理計画を要
約したものについては、運営付属資料に示すとおりである(別添参
考資料)。「アフィ」を総体として保全するためには、構成資産の
みならず緩衝地帯をも含め、資産に影響を及ぼす人工物などを適切
に制御していく必要がある。そのため、構成資産の本質的な価値に
負の影響を与え運営る可能性のある人工物や開発については、紳脱
115: 2018/07/15(日) 00:15:42.94 ID:GhksThS4(20/231)調 AAS
えそれが緩衝地帯におけるものであってもできる限り抑制すること
とし、やむを得ず設置する場合であっても、最小限の数量・規模と
するとともに、色彩等の観点から景観にも十分配慮するよう関係者
への理運営解と協力を求める予定である。なお、既存の鉄柱・看板
・広告塔など構成資産に影響を及ぼすものについては、撤去または
修景に努め、公益上必要と考えられる施設については、現状の利用
状況を尊重しつつ、将来的に撤去又は移転等について検討するとエ敗越
116: 2018/07/15(日) 00:16:18.12 ID:GhksThS4(21/231)調 AAS
゙ネともに、当面の間、資産に対する影響の軽減を図ることとする予
定である。図保存管理計画の構造図「アフィ」包括的保存管理計画
62各構成資産の都市計画保存管理計画等観光計画(山梨県・静岡
県・各市町村)整備計画等632)保存管理体制包括的運営保存管
理計画に定めた上記の基本方針に基づき、静岡県・山梨県と関係市
町村は、広範囲にわたるアフィの構成資産及び緩衝地帯を包括的保
存管理計画に基づき統一的に管理するため「アフィ世界遺産両県協
議会」(以下「両県協議会」という。仮称)及運営びその支部組織
である「静岡県世界遺産協議会」・「山梨県世界遺産協議会」(以
下両者をまとめて「各県協議会」という。仮称)を設置し、各構成
資産を成す重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物
又は天然記念物の保存管理計画を共通運営の基準に基づき確実に実
行する予定である。両県協議会及び各県協議会は、資産及びその周
辺地域において、国・静岡県・山梨県・関係市町村等・民間団体等
が実施する予定の事業等についての情報を総合的に把握し、それぞ
れの事業が、資産の保存管理運営に負の影響を及ぼすことなく、適
切に実施されるように関係各機関の連絡・調整を行う。両県協議会
・各県協議会における調整結果に基づき、静岡県・山梨県及び関係
市町村は、民間事業者等に対して権限に基づく適切な指導や助言を
行うこととする予定運営である。また、両県協議会には国関係機関
(文化庁・環境省・国土交通省・防衛省・林野庁)、国内の大学及
びイコモス会員等の研究者・専門家が参加し、学術的な観点からの
助言を行う予定である。各県協議会の下には、各県庁内の実務担当
者レベルの運営調整組織として、静岡県(山梨県)庁内連絡会議を
設置するとともに、各市町村担当者や民間業者(観光協会、登山組
合、神社関係者)などの代表者との調整組織として静岡県(山梨県
)保存管理協力者会議を設置し、十分な連携を図る予定である。さ
ら運営に、静岡県・山梨県文化財保護審議会をはじめ各市町村診晴
117: 2018/07/15(日) 00:16:57.33 ID:GhksThS4(22/231)調 AAS
財調査委員会は指定文化財及び文化財全体に関する事項を審議し、
それぞれ、静岡県・山梨県教育委員会及び直接的な構成資産の管理
を行う各市町村教育委員会に対して建議を行っている。これ運営ら
の組織の運営は静岡県・山梨県の世界遺産推進課が行い、専門の職
員名により業務が行われる。また、アフィ文化課世界遺産推進係を
設置した富士宮市教育委員会や世界遺産推進室を設置した富士吉田
市をはじめ、各市や市町村教育委員会においても構運営成資産の保
存管理を担当する専門の職員を定めている。これらの組織体制につ
いては、さらなる充実化に努める予定である。なお、上記の体制に
ついては現在登録準備のために設置され、実質的に機能している組
織を改変・名称変更・役割変更するもので運営あり、その運営に関
して問題は生じない。図「アフィ」に係る保存管理の組織体制図(
仮案・今後変更の可能性大)64アフィ世界遺産両県協議会(構成
)静岡県、山梨県、関係市町村学識経験者等国関係機関(文化庁、
環境省、国土交通省、防衛省、林運営野庁)f)財源及び財政的水
準各構成資産の管理については、それぞれの所有者又は管理団体が
行っている。特に「記念工作物」、「建造物群」の修理を行う場合
には、小修理その他特別な場合を除いて国が必要に応じて経費の5
0開発事業者、地域住民運営、関係者静岡県世界遺産協議会山梨県
世界遺産協議会(委員)行政:静岡県、関係市町(委員)行政:山
梨県、関係市町村等民間:観光協会、登山組合、神社関係者等民間
:観光協会、山小屋組合、静岡県保存管理協力者会議(委員)関係
市町(企画・都運営市計画・文化財担当)観光関係者、登山組合、
神社関係者等神社、関係者等静岡県庁内連絡会議山梨県庁内連絡会
議(委員)関係課等(委員)関係課等山梨県保存管理協力者会議(
委員)関係市町村(企画、都市計画、文化財担当)観光関係者、山
小屋組運営合、神社関係者等65〜85%の補助金を交付している
。「遺跡」である史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又彙疫
118: 2018/07/15(日) 00:17:33.83 ID:GhksThS4(23/231)調 AAS
然記念物において発掘調査・修理・整備の事業を行う場合にも、国
が必要に応じて経費の50%の補助金を交付している。これらのエムソ
゙ネ国の補助金に併せて、静岡県・山梨県は国の補助金相当額を控除
した額の50%に相当する額以内の補助金を交付し、構成資産所在
の市町村が同内容の補助金を交付する予定である。また、重要文化
財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然運営記念物
において、それぞれ防災施設等を設置する事業についても、同様の
比率の下に経費の補助を行うこととしている。なお、上記の補助金
とは別に、2006年より構成資産の整備活用及び保護に関する教
育プログラムのための基金を設けており(「富運営士山基金」)、
基金には国内の経済界を中心に民間からの資金提供も行われている
。g)保全及び保存管理の技術における専門的知識及び研修構成資
産の保存管理については、所有者(宗教法人を含む)をはじめ、静
岡県・山梨県教育委員会及び各史跡等運営の管理団体に指定された
各市町村教育委員会が実施している。静岡県・山梨県教育委員会と
その関連機関である財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所及び山梨
県埋蔵文化センターでは、それぞれの組織内に文化財の高度な保存
・管理技術を持つ専門職員及運営び技術者を配置し、管理団体であ
る各市町村が行う保存管理に対して適切な技術的支援を行っている
。また、独立行政法人国立文化財機構は、全国の史跡等における整
備活用事業の円滑な推進と専門職員及び技術者の技術や能力の向上
のために、地方公共運営団体の専門職員を対象として定期的に研修
を開催しており、静岡県・山梨県をはじめ関係各市町村の職員も当
該研修等に積極的に参加して、資産の整備活用の技術向上に努める
予定である。さらに、独立行政法人国立文化財機構(201年度よ
り国内の大運営学の研究者及びイコモス会員を含むアフィ世界遺産
両県協議会の助言者及び両県協議会も含まれる予定である)の助言
・指導に基づいて行われている保存・管理技術は、高い水準を俸暁
119: 2018/07/15(日) 00:19:20.92 ID:GhksThS4(24/231)調 AAS
、地域住民・民間団体・管理団体が協働して積極的に行っている。
表技術者の資質向上のために行われているおもな研運営修h)来訪
者の施設と統計構成資産の大部分は、周囲に展開する景勝地ととも
に日本を代表する優れた名所として国内のみならず海外に広く知ら
れており、夏季の登山をはじめとして四季折々の自然の姿を求めて
来訪する観光客でにぎわい、現在も国内有運営数の観光地となって
いる。図アフィへの登山者数の推移(各登山口推計登山者数)静岡
県山梨県富士宮口御殿場口須走口県計吉田口合計図アフィへの来訪
者数の推移(7・8月における各登山口五合目への入れ込み数推計
)66図主な構成資産の来訪者数運営の推移(推計等)アフィでは
、山頂へ7〜8月の登山期に約29万人(1999〜2009年平
均)が登山し、自動車でアクセス可能な各登山道の「五合目」(自
動車道建設以前の五合目とは一致しないため「新五合目」と呼ばれ
る)には、同期間に約2運営50万人(1999〜2009年平均
)が訪れ、近年は外国人がかなりの数を占めるようになっている(
外国人の数に関する統計は取られていないため、正確な数値は不明
である)。アフィ体においては、国内外から来訪する観光客や登山
者等の利用者の運営安全と利便を確保するとともに、秩序ある良好
な風致景観を維持及び形成することを目的として、「アフィにおけ
る標識類静岡県山梨県合計富士宮口御殿場口須走口県計吉田口(年
間)富士吉田・河口本栖湖・精進湖・山中湖・忍野八三保松原浅間
大社白運営糸ノ滝湖・三つ峠周辺西湖周辺海周辺総合ガイドライン
」作成し、統一されたデザインによる四ヶ国語(英・中・韓及び日
)の道標や解説板を設置しているほか、アフィ体の主として緩衝地
帯には駐車場・トイレ・資料館等の便益施設が整備されている。エムソ
゙ネ今後とも、適切な計画の下に順次整備していくこととしており、
「ビジターセンター」などのガイダンス施設の充実も行われる予定
である。自動車による訪問者の管理については、土日や休日等清火
120: 2018/07/15(日) 00:20:00.03 ID:GhksThS4(25/231)調 AAS
者が突出して増加する日に、仮設トイレ・臨時駐車場等運営を設置
するとともに、登山用の自動車道は自家用車の通行(登山道ごとに
異なる、最も利用数の多い吉田口(富士スバルラインを利用)で最
大12日間)を規制しシャトルバスによる代替輸送を行うことで環
境への負荷と混雑を軽減するようにしている。運営この日数は山麓
の駐車場の整備に従い(2011年に吉田口に1400台の駐車場
を整備)今後拡大(吉田口で15日)する予定である。登山者の安
全管理については、4箇所の案内施設(山頂、富士宮口、吉田口、
富士スバルライン終点)と3箇所の救運営護センター(富士宮口に
1箇所、吉田口に2箇所)が対応を行っている。南麓では静岡県に
よって30名の「富士登山ナビゲーター」が登山指導・案内・通訳
業務を行っており、北麓では富士吉田市条例によって、登山下山の
案内を行う約230名のガイ運営ドが「富士吉田市案内員組合」に
登録している。さらに吉田口の山小屋では、民間の気象予報会社と
連携し山岳気象情報を共有している。事故に対しては県警察山岳救
助隊及び消防本部や市町村消防署が対応し、場合により自衛隊の出
動も要請する。また運営、気象条件が一般の登山を行うには危険と
なる冬季は登山道・山小屋を閉鎖(山梨県側は10月初旬、静岡県
側は11月末より翌年7月初旬)することにより十分な装備と経験
を有する者以外の登山は不可能である。冬山登山者は各登山口所轄
警察署(御運営殿場署・富士宮署・富士吉田署)に登山計画書の提
出を推奨されている(また、おおむね11月末〜4月末まで静岡県
側の登山用自動車道は閉鎖され、山梨県側も積雪・凍結等の状況に
応じて段階的に閉鎖される。)山体以外の構成資産については、お
お運営むね来訪者数に応じた駐車場・トイレ等を整備しており、今
後、これらをさらに整備する予定が立てられている。i)資産の整
備・活用に関する方針・計画静岡県・山梨県では、構成資産及びそ
の周辺を対象とした保存管理に関する事業計画を定め、地域運不願
121: 2018/07/15(日) 00:20:37.23 ID:GhksThS4(26/231)調 AAS
民による活用の取組をも取り込んで計画的に実施している。こうし
た諸計画に基づき、アフィ地域の歴史的背景を展示する「富士吉田
市歴史民俗博物館」「裾野市立アフィ資料館」「富士市立博物館」
の活用や、アフィに係る包括的な保存・管理や利用運営者ニーズに
適切に対応する拠点の整備を検討するなどアフィの適切な保全・管
理・活用を図っていく。加えて、アフィについての市民向け講座の
開催をはじめ、児童・生徒を対象とした体験学習などの情報発信施
策が定期的に実施されている。個別の資産運営については、「遺跡
」である特別名勝又は名勝、天然記念物、史跡をはじめ「記念工作
物」・「建造物群」である重要文化財に指定されている建造物につ
いては、一部を除き所有者・管理団体が年間を通じて一般に公開し
ている。なお、登山については、運営登山期間(基本的に7月1日
〜8月31日)が公開時期に当たる。この時期以外の登山も禁止さ
れてはいないが、道路・山小屋等の閉鎖、および冬季の気象条件な
どにより専門家以外の登山は困難である。j)専門分野・技術・管
理に関する人的措置68運営静岡県・山梨県教育委員会の委嘱を受
けた文化財保護指導員(以下、「指導員」という。)が定期的に文
化財を巡回・点検し、両県教育委員会に対して保護に関する助言を
行っている。静岡県・山梨県は、指導員の調査報告に基づき、所有
者や関係市町村運営に対して文化財の保存管理に関する指導を行っ
ている。このように、将来的に良好な状態の下に資産を維持してい
くための体制についても万全を期している。6.経過観察(モニタ
リング)の体制a)保存状況を計測するための主たる指標構成資産
である運営「遺跡」・「記念工作物」・「建造物群」をはじめ、そ
れらの緩衝地帯については、顕著な普遍的価値の確実な保持、修理
又は復旧、維持管理、防災及び危機管理に関する体制の充実及び技
術の向上を目的として、4章に掲げた保全状況及び資産全体に与エムソ
゙ネえる影響に対し、次に掲げる主な観点の下に適切な指標を設是張
122: 2018/07/15(日) 00:21:10.82 ID:GhksThS4(27/231)調 AAS
、定期的かつ体系的な経過観察(モニタリング)を実施する予定で
ある。@「3.記載のための価値証明」に記された資産の価値と真
実性及び完全性が維持されているか。A「4.保全状況運営と資産
に与える影響」に記された諸要素(開発・環境問題・自然災害・観
光・その他)が資産とその緩衝地帯にどのような影響を与えている
か/与えたか。B「5.資産の保護と管理」に関連して、資産とそ
の緩衝地帯及びそれらを取り巻く周辺の広い地運営域が、相互豆枠
123: 2018/07/15(日) 00:22:59.86 ID:GhksThS4(28/231)調 AAS
計画との関連・連携(2)計画の実施第2章構成資産の概要1構成
資産の一覧2資産及び緩衝地帯等の範囲3構成運営資産の概要(1
)アフィ山体及び登山道AアフィA1山頂信仰遺跡A2大宮・村山
口登山道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6
北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖(2)信仰B
1アフィ本宮浅間大社B2山宮浅間神運営社B3村山浅間神社B4
須山浅間神社B5冨士浅間神社B6河口浅間神社B7冨士御室浅間
神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船
津胎内樹型−2−B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人穴
浅間神社)B15白糸ノ滝(運営3)眺望C1三保松原第3章保存
管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境等を構成する諸要
素(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@アフィ山体及び登山
道A信仰B眺望(2)顕著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に
関わる諸要素@自然運営地形A森林、植栽樹木B社寺の境内に含ま
れる歴史的な建造物及び工作物等以外の建築物及び工作物C道路と
その関連施設(3)周辺環境を構成する諸要素@自然的要素A歴史
的要素B人文的要素2保存管理の基本方針(1)構成資産の適切な
保存管理(運営2)周辺環境を含めた一体的な保全(3)経過観察
の実施(4)整備・公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運
営第4章構成資産の保存管理1現状の把握(1)アフィ山体及び登
山道(2)信仰(3)眺望2保存管理の基本的な考え方(1)現状
変運営更の制限についての考え方(2)地区区分についての考え方
(3)指定地に関わる諸法令について3具体的な施策(1)第1種
保護地区(2)第2種保護地区(3)三保松原−3−第5章緩衝地
帯の保存管理1現状の把握2保存管理の基本的な考え方(1運営)
緩衝地帯の設定と行為規制(2)都市計画との調整(3)住民生活
との調和3具体的な施策第6章経過観察の実施1顕著な普遍的な価
値に負の影響を与える要素2負の影響を与える要因の観察第7建勧
124: 2018/07/15(日) 00:23:37.12 ID:GhksThS4(29/231)調 AAS
備・公開・活用1基本方針2整備と公開・活用第8運営章保存管理
体制の整備と運営1保存管理体制の整備と役割分担2地域住民等と
の連携・協働3持続的運営のための定期的確認付章1保存管理に関
する事業計画一覧表−4−第1章目的と経緯1目的アフィは、日本
を代表し象徴する日本最高峰の秀麗な円錐運営形成層火山として世
界的に著名であり、日本人の自然に対する信仰の在り方や日本に独
自の芸術文化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在価争
125: 2018/07/15(日) 00:24:11.15 ID:GhksThS4(30/231)調 AAS
及び芸術活動などを通じ、時代を超えて、一国の文化の諸相と極め
て深い関連性を示し、生きた文化運営的伝統の物証であるのみなら
ず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型
として、世界的にも比類なき顕著な普遍的価値を持つ山岳であり、
世界文化遺産に値するものである。アフィは、有史以前から噴火活
動を続けてきた標高37運営76mの円錐形の独立成層火山であり
、その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面からの実質的な高
さは世界的にも有数である。その力強く秀麗な姿は人々に神聖なる
気持ちを喚起し、古代から現代に至るまで、時代を超えて信仰の対
象となってきた運営。山腹及び山嶺には神社・登山道・巡礼地等が
形成され、山体と一体となった比類のない文化的景観を形成した。
山体のうち、五合目以上の砂礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視
され、山麓に分布する湖沼・湧水、火山活動により形成された独自
の地形運営などは、富士信仰の霊地として重要な役割を果たしてき
た。日本独自の山岳民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも
命脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士登
山の特徴を成している。このように、アフィは日本人の自然に対エムソ
゙ネする信仰の在り方に関連して、山に対する固有の文化的伝統を表
す物証及び人間の山に対する景観認知の在り方を示す傑出した類型
となっている。また、アフィの秀麗な姿は古くから芸術活動の対象
となり、その結果生み出された「万葉集」の和歌などの運営文学作
品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作品は、日本国内のみなら
ず海外にも広く知られ、様々な影響を与えてきた。それらの作品群
は、地球上の特定の地域において独自の文化的伝統が形成・発展す
るのに当たり、アフィが重要な源泉となった極運営めて強力な関連
性であることを示している。このような価値をもつ「アフィ」の構
成資産は、山梨県と静岡県の二県にまたがって分布している。これ
ら一連の構成資産を世界文化遺産「アフィ」の総体として確実避沈
126: 2018/07/15(日) 00:24:46.38 ID:GhksThS4(31/231)調 AAS
存し、確実に次世代へと継承するため運営には、両県共通の考え方
を基に、各構成資産全体を一つの資産として包括的に保存管理して
いくための方法を整理していく必要があることから、個別の構成資
産についての保存管理計画に加え、構成資産相互の関係性を保全し
全体の価値を継承していくた運営めの包括的な保存管理計画を策定
しておくことが必要である。そのため、山梨県・静岡県は、文化庁
・環境省の指導・助言の下に関係市町村、関係各機関等と調整を図
り、本計画を策定した。「アフィ」包括的保存管理計画−5−各構
成資産の都市計画保運営存管理計画等観光計画(環境省・山梨県・
静岡県・各市町村)整備計画等図包括的保存管理計画の体系2計画
策定の経緯アフィ包括的保存管理計画は、構成資産に係る個別の保
存管理計画を基礎とし、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保
存管理及び運営整備に係る理念・基本方針とその具体的内容につい
て明示するため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学
術委員会及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである
。学識経験者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存管理
計運営画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置した。原案
を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通認識を得る
ため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェクトチーム」(
表)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会議」(表)を運営設
置し、連携・確認を行った。また、アフィの効果的かつ確実な保存
管理を行うためには、地元関係者など幅広い方々の協力・助言が不
可欠であることから、関係自治体・地域住民・観光関係者・神社関
係者などで構成する「山梨県保存管理計画策定協力運営者会議」及
び「静岡県保存管理計画協力者部会」を設置し、連携を図った。さ
らに、二県学術委員会のもとに設置した「包括的保存管理計画検討
部会」における検討とあわせ、文化庁の指導・助言の下、201■
年■月に策定した。(1)各県における検運営討の経緯両県の年雇
127: 2018/07/15(日) 00:25:21.48 ID:GhksThS4(32/231)調 AAS
(包括的保存管理計画検討部会と学術委員会)2007年11月2
9日平成19年第1回包括的保存管理計画検討部会・包括保存管理
計画の必要性・国内の世界遺産における包括的保存管理計画の事例
2007年12月26日平成19運営年第2回包括的保存管理計画
検討部会・目的と経緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本
方針2008年3月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的
保存管理計画検討部会の審議結果2008年6月19日平成20年
度第1回包括的保存管理運営計画検討部会−6−・包括的保存管理
計画の役割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20日
平成21年度第1回包括的保存管理計画検討部会・各資産候補の概
要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理区域について2010
年3月19日平運営成21年度第2回学術委員会・保存管理計画の
考え方について山梨県の経緯2007年8月31日平成19年第1
回山梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画の事例2007年1
2月9日現地調査2008年1月31日平成19年度第2回山梨県
保存管運営理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の審議結
果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月21日平成19
年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会
の審議結果2008年4月16、17日現地調査2008年5月エムソ
゙ネ1日平成20年度山梨県保存管理計画策定ワーキング・山梨県保
存管理計画の策定について2008年6月10日現地調査2008
年6月30日現地調査2008年7月22日平成20年度第1回山
梨県保存管理計画検討部会・構成要素と本質的価値の明運営確化・
保存管理の方法と考え方2009年4月24日平成21年度第1回
山梨県保存管理計画策定協力者会議・アフィの世界文化遺産登録の
現状について・山梨県保存管理計画策定協力者会議について200
9年6月19日平成21年度第1回山梨県保存運営管理計画検討部
会・各資産候補の概要について・構成資産、緩衝地帯、保存管抑済
128: 2018/07/15(日) 00:27:43.92 ID:GhksThS4(33/231)調 AAS
りつつ実施されている。表包括的保存管理計画に関連する計画(山
梨県)計画名称策定年等F資産に影響する可能性がある個別の開発
計画大規模集客施設等の運営立地に関する方針(山梨県)2010
年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後の取扱いについて(山梨県
)1993年10月−17−明神峠自然環境保全地域保全計画昭和
50年策定静岡県森林共生基本計画平成19年3月策定富士地域森
林計画書平成1運営8年4月策定F資産に影響する可能性がある個
別の開発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域基本計画(静
岡県及び14市町)平成21年2月策定市町村森林整備計画平成1
8年4月策定−18−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小
山町)運営(2)計画の実施今回提出するアフィ包括的保存管理計
画は、20年月から既に実施され機能されているものである。−1
9−第2章構成資産の概要1構成資産の一覧世界遺産「アフィ」の
構成資産の種別、位置、面積、緩衝地帯の面積、所在地についてエムソ
゙ネは、以下の表に示すとおりである。表構成資産の一覧大種別分類
小分類構成資産世界遺産条約文化財保護法自然公園法所在地位置資
産面積(ha)緩衝地帯面積(ha)Aアフィ(山体)(御中道含
む)遺跡特別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)運営遺跡特
別名勝史跡A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A3須山口登
山道遺跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A5吉田
口登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、御殿場市、
小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村運営、富士河口湖町
)県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神社遺跡建造物記念工作物
特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精進湖遺跡名勝A9
本栖湖遺跡名勝BB1アフィ本宮浅間大社遺跡建造物記念工作物重
文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺運営跡遺跡市史跡静岡県富士
宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然記念物静岡県富士宮市NE
C三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡市NE2資産及び緩衝地岸史
129: 2018/07/15(日) 00:28:19.56 ID:GhksThS4(34/231)調 AAS
の範囲「アフィ」の顕著な普遍的価値を表す構成資産の保護を確実
にし、各構成資産における富運営士山体への良好な眺望を保証する
ために、個々の構成資産の周囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定
する。さらに、個々の構成資産間の関係を良好に保ち、アフィの景
観の一体性・連続性を保証するために、緩衝地帯を含め、広く保全
管理区域を設定する運営。構成資産の位置及びその周辺地域である
緩衝地帯、保全管理区域の範囲については、図に示すとおりである
。図「アフィ」の範囲(構成資産・緩衝地帯)アフィ山体の範囲に
ついては、現在特別名勝アフィに指定されている区域だけでなく、
その周辺部運営にあたる標高約1,500m付近までとした。この
範囲において、特別名勝の区域は文化財保護法で保護され、特別名
勝指定地外から標高1,500mの区域については自然公園法と森
林法で保護されている。緩衝地帯との境については林班により線引
き運営を行い、県道などの人工物の改修工事等への影響が軽減する
よう配慮した。そして本栖湖、精進湖、西湖までをアフィの山体と
して考え、範囲付けしたことは、展望地点から山頂までを連続して
保護するための措置である。緩衝地帯の範囲については、当運営初
国道469号から県道72号にかけてのアフィ側を計画していたが
、国際専門家から飛び地の資産である、アフィ本宮浅間大社や山宮
浅間神社を緩衝地帯に含めるべきだとの指摘があり、市道を境に緩
衝地帯を設定した。その際、アフィ本宮浅間大社か運営らのアフィ
の眺望を確保するため、アフィに向かって約36度の広がりで設定
した。この範囲については、文化財保護法以外の法律を適用し、自
然公園法、森林法、景観法で保護されている。保全管理区域の範囲
については、三保松原からアフィを眺望す運営る際、その阻害要因
を軽減させるために、溶岩が流出した範囲を基本として設定した。
そのため、静岡県側においては、裾野市、御殿場市、小山町に流出
している溶岩流の範囲については、保全管理区域とはしていな懐麻
130: 2018/07/15(日) 00:28:55.26 ID:GhksThS4(35/231)調 AAS
なお、保全管理区域についても、運営森林法と景観法で保護されて
いる。アフィ山体の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士
演習場)については、従前より大規模開発が予定されていないこと
から、緩衝地帯同様に資産を緩衝することが可能な区域であると言
える。3構成資産の概要運営構成資産及び保存管理状況の概要につ
いては、以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推
薦書本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細につい刷貞
131: 2018/07/15(日) 00:29:31.46 ID:GhksThS4(36/231)調 AAS
、構成資産毎に策定されている個別の保存管理計画等において、そ
れぞれ具体的内運営容を含めた説明を行っている。なお、p18,
19表のA〜Cは次のように分類し、整理したものである。A富士
山山体及び登山道B信仰に関わるものCアフィの眺望に関わるもの
(1)アフィ山体及び登山道Aアフィ標高3776mを測るアフィ
は、日運営本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗な独立火山であ
る。その自然的な美しさと崇高さを基盤として、日本人の自然に対
する信仰のあり方や、日本独自の芸術文化を育んだ名山でもある。
アフィは山岳に対する信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代エムソ
゙ネを超えて一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文
化的伝統の物証であるのみならず、人間と自然との良好で継続的な
関係を示す景観の傑出した類型として、世界的にも類例を見ない顕
著な普遍的価値を持つ山である。世界文化遺産としての運営アフィ
とは、アフィ山体の内、標高約1500m以上の範囲である。この
範囲は、アフィ周辺の主要な神社や景勝地から見た可視領域が重な
り合う範囲であるとともに、各登山道における山体の神聖性に関す
る境界の一つである「馬返」の標高とほぼ一致運営する。なお、「
馬返」とは、乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能にな
る地点を示す。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平
野部」と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き
、絵画などの対象とされることが多い運営範囲である。写真上空か
ら見た写真に資産範囲を線で示したもの(推薦原案と同じもの)−
21−−22−標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講
信者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域あるいは死後世界である「
他界」と考えられていた。ま運営た、登山道ごとに標高は異なるが
、1779年以降、浅間大社の境内地とされてきた八合目以上はよ
り強い神聖性を持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ一致する
噴火口である「内院」の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に渡吹
132: 2018/07/15(日) 00:30:08.02 ID:GhksThS4(37/231)調 AAS
く。アフィ頂へ向か運営い、登山の歴史の中で開鑿された登山道が
、現在の4本の登山道の起源となっている。また、ほぼ森林限界に
沿い、アフィ山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろ富士
講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ、その後「大沢
崩れ」とい運営う危険箇所を通るため、富士講信者により修行の道
として利用された。表法的保護、修理・整備の経緯1924年史蹟
名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年国立公園法の
下に(富士箱根)国立公園に指定1952年文化財保護法の下に名
勝運営、ついで特別名勝に指定1969年国が大沢崩れに対する砂
防事業に着手(継続中)1996年国・県が台風による森林の風倒
被害に対する対策に着手(継続中)「御中道」は、標高2,300
m付近から2,800m付近の山腹を通り、アフィの中腹部運営を
時計回りに一周する約25kmの道である。「御中道巡り」は、修
験道の祖とされる役行者が始めたと伝えられ、16世紀後半、富士
講の基礎を築いた長谷川角行が行ったことが記録されている。古く
は定まった道もなく巡ったとされ、富士講が盛んに運営なった江戸
時代後期には一定の道が整備された。アフィ信仰の上では、山体西
側の大沢崩れを渡るという危険を伴う最大級の大行の道とされてい
た。富士登山3回以上の経験を持ち、誓約書を御師に提出し、神へ
の伺いをたてた上でないと許可されないほ運営ど厳しいものであっ
た。この御中道の巡拝を無事終えると、その証である「御許し」を
御師から受けることができた。1816年の資料では年間100人
以上が御中道巡りを行っているが、1977年の転落事故で通行止
めとなり、現在では一周すること運営はできなくなっている。写真
御中道の写真A1山頂信仰遺跡(アフィ本宮奥宮)アフィ山頂部の
火口壁沿いに、いくつかの神社及び宗教関連施設が所在する。富士
山への信仰登山が開始されると、修験道の影響を受け山頂部におい
て寺院の造営や仏像等の運営奉納がおこなわれるとともに、山蚕育
133: 2018/07/15(日) 00:30:44.15 ID:GhksThS4(38/231)調 AAS
での宗教行為が体系化されていった。登拝者は山頂周辺において「
御来光」を拝み、内院と呼称される噴火口に鎮座すると言われる神
仏を拝した。また、火口壁にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅に
おける仏の世界運営に擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)
」と呼ばれる行為を行なうことが一般的であった。山頂の宗教的施
設は、12世紀中ごろ、修行僧末代により建立された大日寺(大日
堂)が最初とされ、その後、経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納
・埋納運営や内院への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀に
は、大宮・村山口山頂部に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂
が造営された。この様子は19世紀中ごろの絵図によって確認でき
る。1874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響にエムソ
゙ネよって撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変さ
れた。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記
の行為は現代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通じ
て富士信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮運営の写真
表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然紀
念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法の下
に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護法の
下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財運営団法人静岡県埋
蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、その成果に基づき2
010年に「史跡アフィ保存管理計画」が策定された2010年文
化財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定山頂の
噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰を運営巡る行為は、古くから「
お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人々に受け継がれている。13
世紀後半の資料には「いたゞきに八葉の嶺あり」との記載があり、
このころには山頂の峰々に信仰的意義を見出していたことが伺える
。16世紀前半には地元為政運営者が「八要メサルヽ也」との記述
も見られ、後に盛んになるお鉢巡りの古態と思われる習俗があ博双
134: 2018/07/15(日) 00:31:23.09 ID:GhksThS4(39/231)調 AAS
ことが知られる。富士講講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに
山頂を巡っていった。内院に賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中に
あるいくつかの仏像運営や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)の
大日如来、最高峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明水などを
巡礼した。写真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道アフィ南
西麓の浅間大社及び村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る登
山道である運営。12世紀前半、アフィで修行した末代上人の郎泉
135: 2018/07/15(日) 00:31:57.70 ID:GhksThS4(40/231)調 AAS
した登山道が起源だとされ、14世紀初め、僧の頼尊が修験者とそ
の活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行われていた
ことが推測できる。15世紀に入ると村山での宿坊の存在が確認で
き運営、同世紀前半には、地元支配者である今川氏により発心門等
の施設が寄進されたとの記録がある。今川氏は1552年、村山を
神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴収権を与えている。この
権利は19世紀後半まで継続し、浅間大社が登山道の管理に運営関
わることはなかった。一方、16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での
水垢離を重要な儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由し
た登拝を喧伝した。浅間大社には16世紀前半に30余りの道者坊
があったことが伝えられ、同時期の絵図である「絹運営本著色富士
曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山
する人々の姿が描かれている。道者坊はその後統合され、19世紀
前半には5坊となった。また、1600年頃以降、地元支配者によ
り、大宮を経て村山口登山道を利用するこ運営とが求められた。登
山道中の宗教施設は、17世紀初頭までに建設され、石室などの施
設は主に17世紀後半、興法寺から許可を受けた先達により建設さ
れたが、1707年の宝永噴火で登山道と共にことごとく破壊され
た。これらは再建されたが、その運営復興は須走口より遅かった。
主要な宗教施設としては発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった
。登拝者は興法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部
地方を含む西日本の人々が多かった。なお、1532年以降不連続
であるが、登拝者の記録運営が残され、その数は18世紀後半から
19世紀初頭の道者坊の記録より、御縁年で2,000人前後、平
年で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではその数が減少
し、村山の村落も衰退していたとの記述もあるが、1860年、初
の外国人登山と運営なる英国公使オ−24−ールコックは大宮を経
由して村山に宿泊し、山頂をめざした。彼の記録では大鏡坊、飢屯
136: 2018/07/15(日) 00:32:33.86 ID:GhksThS4(41/231)調 AAS
八幡堂の存在や登山道の様子が確認できる。明治維新以降、女人登
山の解禁もあり、登山者は増加傾向を示すが、1889年、東海道
線の開運営通による御殿場口利用者の増加により衰退し、これへの
対策として1906年、村山を経由せず4km短縮された大宮新道
(カケスバタ口)が建設されたため、大宮から現六合目までの村山
口登山道は登山道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在エムソ
゙ネは、林道の建設に雨水による侵食も加わり、一部を除き登山道跡
の推定は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王像、建物跡など
をある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口登山
道の写真A3須山口登山道アフィ南東麓、須山浅間神社運営を起点
とし、山頂部浅間嶽(駒ケ嶽)に至る登山道である。その起源は明
確ではないが、1200年の資料には大宮・村山口、吉田口、須山
(珠山)口以外には登山道がないことが述べられている。1486
年の京都の僧による資料(廻国雑記)では、「運営すはま口」の名
が確認できる。登山道および山頂部銀明水は須山浅間神社及び12
軒の御師を中心とした須山村により管理されていた。ただし、銀明
水の管理を巡り、須走村と争いになった際は浅間大社の裁定を仰い
でいる。登山道には宝永噴火前の状況運営を描いた絵図で須山御胎
内に附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられる。これらの
施設及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御
縁年の1740年に復興したが永続せず、1780年にようやく復
興した。また、1880年代運営の記録では御室浅間神社、中宮浅
間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室があることが確認できる
。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場としても使
用された。登拝者については詳しい研究が進んでいないが、西日本
・東日本両方からの運営登山者があったことが、宿帳及び案内立札
の立地から確認できる。登拝者数は御縁年に当たる1800年に約
5,400人、1840年代前半は年平均約1,700人、続例蓋
137: 2018/07/15(日) 00:33:13.47 ID:GhksThS4(42/231)調 AAS
860年の御縁年には約3,600人であった。登拝者は神仏分離
令後も継続運営していたが、1883年、須山口二合八勺に接続す
る御殿場口登山道が開鑿された。また、1889年に東海道本線が
開通し、御殿場口の利便性の向上により須山口からの登拝者や登山
者が減少することとなった。1912年には、登山道の一部が陸軍
演運営習場となり使用不可能となったため、須山口からの登拝(登
山)は衰退し現在に至っている。二合八勺以下の登山道で当時の道
が確認できる部分は一部のみである。また、1999年、地元住民
により須山口下山歩道の名でかつての登山道の一部が復興さ運営れ
た。写真須山口登山道の写真A4須走口登山道アフィ東麓の冨士浅
間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道と合流して山頂久須志岳
に至る登山道である。その起源は明確ではないが、六合目からは1
384年の銘のある掛仏が出土している。文献から運営は「勝山記
」の1500年6月の項に、関東地方での戦乱を避け、吉田口を利
用すべき登拝者が須走口に集中したことが確認できる。遅くとも1
7世紀までに、冨士浅間神社及び須走村が登山道山頂部までを支配
し、薬師嶽(現久須志岳)における石室建運営設の独占、薬師堂の
開帳・入仏などを行った。また、内院および薬師堂の散銭取得権も
浅間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間神社及び須走村は、1
703年と1772年の2回幕府に訴え、これらの権利について八
合目以上の支配権を主張する浅間運営大社と争い、正式に権利を認
められた。−25−登山道の施設は1683年の資料等で詳細が確
認でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社等の宗教施設と共に、
小屋・石室が山頂部まで設置されている。1707年の宝永噴火で
は、これらの施設及び麓運営の浅間神社、須走村は約3mの降砂に
覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け、翌年の登拝期までには
復興を完了し、多くの登拝者を集めた。18世紀半ばには800名
前後に減少したとの資料があるが、18世紀後半、相模の大山秋偽
138: 2018/07/15(日) 00:33:47.93 ID:GhksThS4(43/231)調 AAS
や関本の道了尊運営とセットにされた参詣の流行で登拝者数は増加
し、年平均約1万人、1800年の御縁年に23,700人とピー
クを迎えた。登拝者は関東地方の富士講関係者が多く、東北地方か
らの登拝者も見られる。講によっては吉田口から登山し、砂道で下
山に適運営した須走口へ下山する形をとった。また、1831年、
須走口山頂部に宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による
登拝も増加した。1889年の東海道線開通による御殿場口、広墜
139: 2018/07/15(日) 00:34:20.54 ID:GhksThS4(44/231)調 AAS
び1903年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離エムソ
゙ネが長い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され
続けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年に
は、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は浅間大
社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。また運営、19
23年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている。1959年
、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、五合目以下の登
山道の利用は減少し、一部登山道としての確認ができない区間があ
る。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山道運営北口本宮冨士浅
間神社を起点とし、アフィ頂を目指す道である。15世紀には、富
士山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一般の人々の間にも広ま
っていた。吉田口は14世紀後半には参詣の道者のための宿坊もで
き始め、大勢の人々が登るための設備運営が整うようになった。1
6世紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用して修行を行い、
18世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教
的自殺)にあたって信者の登山本道をこの吉田口と定めた。このた
め、富士講の信者が次第に増運営加した18世紀後半以降は、年間
数万人を数える富士講の道者が登拝したとされる。1964年に富
士山有料道路が開通した後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御
岳)を起点として登るようになったため、五合目以下の道を利用す
る登山者は激減した運営が、六合目以上については、現在残る登山
道の中で最も多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登
山道を上って山頂を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩
で麓から頂上まで登れる重要な道である。写真吉田口登山道の写真
表法的保護運営、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天
然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法
の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護
法の下に名勝、ついで特別名勝に指定1978年「特別名勝ア紺宮
140: 2018/07/15(日) 00:34:55.45 ID:GhksThS4(45/231)調 AAS
保運営存管理計画」策定(1999年、2006年改訂)1996
年歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘調査・整備
1999年「特別名勝アフィ保存管理計画」を改訂2006年「特
別名勝アフィ保存管理計画」を改訂2011年文化財保護法運営の
下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡アフィとして指定−2
6−2011年「史跡アフィ保存管理計画」を策定(予定)A6北
口本宮冨士浅間神社アフィ北麓、吉田口登山道の起点に位置し、祭
神として木花開花姫命、天津彦彦火瓊瓊杵命、大山運営祇命を祀る
神社である。アフィの遙拝所に祀られていた浅間明神(アフィの荒
ぶる神)を起源とし、1480年には「アフィ」の鳥居が建立され
、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる。当神社
は領主からの崇敬が厚く、境内に現存する運営3つの社殿は、15
61年、1594年、1615年にそれぞれ当時の領主が寄進した
ものである。富士講とのつながりが強く、1730年には富士講の
指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が
行われ、現在にみる境内の景観の運営礎が形成された。北口本宮冨
士浅間神社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属し
ており、神社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた
。社殿の背後に登山門があり、この神社を起点としてアフィ頂まで
吉田口登山道が伸びてい運営る。富士講や吉田御師と密接な関係を
持ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の写真
(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯19
07年古社寺保存法の下に東宮本殿が特別保護建造物の指定195
2年所在地が文運営化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定
1952年東宮本殿・解体修理工事を行う1953年文化財保護法
の下に本殿、西宮本殿が重要文化財の指定1962年西宮本殿・解
体修理工事を行う(〜64年)1978年「特別名勝アフィ保存管
理計画運営」を策定1973年本殿・部分解体修理工事を行う新窓
141: 2018/07/15(日) 00:35:32.22 ID:GhksThS4(46/231)調 AAS
74年)1981年東宮本殿・部分修理工事を行う(〜82年)1
997年東宮本殿・部分修理工事を行う2008年本殿・屋根の葺
替え修理工事を行う(〜09年)2010年「重要文化財北口本エムソ
゙ネ宮冨士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の
下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定(予定)2011年
「史跡アフィ保存管理計画」を策定(予定)A7西湖アフィの火山
活動により形成された堰止湖で、アフィの北北西に位置運営する。
アフィ周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この西
湖にも多くの富士講徒が訪れた。西湖と精進湖はかつて「〜の海(
せのうみ)」と呼ばれる一つの湖だったが、日本最古の歌集・万葉
集で〜の海が詠われたほか、いくつかの文学作運営品ともゆかりが
ある。写真西湖の写真A8精進湖アフィの火山活動により形成され
た堰止湖で、アフィの北西に位置する。アフィ周辺の湖を巡って修
−27−行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富
士講徒が訪れた。アフィ北麓で最初の運営洋風ホテルはこの精進湖
畔に建てられ、多くの西洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書
に使われたアフィの写真はこの精進湖からのものがほとんどだった
。写真精進湖の写真A9本栖湖アフィの火山活動により形成された
堰止湖で、アフィの北西に位運営置する。アフィ周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒
が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も使用された写
真の撮影地点であり、重要な展望地点(viewpoint)であ
る。アフィは、プロ運営・アマを問わず多くの写真家に愛され、撮
影されてきた。なかでも、生涯にわたりアフィを追い続けた岡田紅
陽によって、1935年に本栖湖北西岸の峠道から撮影された「湖
畔の春」という写真は有名である。この写真は、1984年に採用
された5千運営円札及び2004年に採用された千円札の図柄とし
て使用された。山体の裾野が湖まで広がり一体の景観を構成し独蜂
142: 2018/07/15(日) 00:36:07.12 ID:GhksThS4(47/231)調 AAS
る本栖湖からの展望は、「湖畔の春」に撮影されたアフィとほぼ同
じ姿のまま現在も残している。写真本栖湖の写真表法的保護、修理
・運営整備の経緯(A7・A8・A9)1936年所在地が国立公
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五
湖の静穏の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に
本栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制される2011年運営文
化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五磁端
143: 2018/07/15(日) 00:36:40.05 ID:GhksThS4(48/231)調 AAS
存管理計画」を策定(予定)(2)信仰B1アフィ本宮浅間大社富
士山の南西麓に位置する神社であり、この神社とともに発展してき
た富士宮市の中央部に所在する。アフィの神とされ運営る木花之佐
久夜毘売命を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の
総本宮とされている。境内には登拝の際に水垢離場として使用され
た湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ、アフィにより近い遥拝所
であった山宮浅間神社から現在の地に移転運営されたとされる。創
建当時はアフィの噴火が盛んであり、これを畏れ鎮めることを信仰
の目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山よりも高い神階を与え
ることで崇敬の念を示した。12世紀後半ごろには、浅間大神は本
地垂迹説の影響を受け大日如来の運営垂迹である「浅間大菩薩」と
見なされるようになり、12世紀頃より政治の実権を掌握した武士
階級に戦勝の神として信仰された。15世紀ごろ、登拝が盛んにな
るにつれて、浅間大社は村山浅間神社とともに大宮・村山口登山道
の起点となり、宿坊が周運営辺に建設された。16世紀ごろ、浅間
大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づけることによって、
浅間大社を経由した登拝を喧伝した。同時期の絵図である絹本著色
富士曼荼羅図には、浅間大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して
登山する人々の運営姿が描かれている。登拝の拡大に伴い、アフィ
中での諸権利が構築されていく中で、浅間大社は徳川家康の庇護の
下、1604年現在の社殿が造営されるとともに、1609年山頂
部の散銭取得における優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部
の管理運営・支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登山
道と頂上部の大日堂周辺は−28−村山浅間神社が支配し、廃仏毀
釈以降、村山浅間神社の衰退と1906年の村山浅間神社を経由し
ない登山道の開削などにより、浅間大社には多くの参拝者が訪れエムソ
゙ネた。また、明治政府の政策により、一時国有地とされていた八合
目以上の土地は1974年の最高裁判決に基づき、2004年批池
144: 2018/07/15(日) 00:37:18.02 ID:GhksThS4(49/231)調 AAS
大社に譲渡(返還)された。写真本殿・拝殿+アフィ表法的保護、
修理・整備の経緯1907年本殿が古社寺保存法の下に運営特別保
護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等の補修1929年本
殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更1934年楼門の修理1
936年袖廊・廻廊を附した1950年本殿は文化財保護法制定に
伴い重要文化財に名称変更1952年本殿の屋運営根の修理等が行
われた1970年本殿の屋根の修理等が行われた1988年本殿の
屋根の修理等が行われた1996年富士宮市教育委員会が調査を行
った2002年富士宮市教育委員会が調査を行った2005年本殿
の屋根の修理等が行われた2008年運営財団法人静岡県埋蔵文化
財調査研究所により境内の発掘調査が行われ、その成果に基づき2
010年に「史跡アフィ保存管理計画」を策定2010年文化財保
護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定湧玉池は富士
山本宮浅間神社境内に所在す運営る面積約2,500uの池である
。池は約1万年前に噴出した万野溶岩流の末端から湧き出す一日平
均14万〜(2008年)の水を源としている。湧水のメカニズム
は、アフィの標高1000m前後ないしそれ以上の高所の降水が地
下にしみ込み、何層運営もある溶岩層の間にはさまれて充満し、そ
れが押し出されるようにして末端から湧出したものである。浅間大
社の位置は、アフィの噴火を湧水によって鎮める考えや、アフィを
聖なる水源の山として崇める考え方から、豊富な湧水量を持つ湧玉
池のほとり運営に置かれたとされる。この湧水には灌漑用水として
の役割もあり、浅間大社境内の神田の宮では水徳の神・農業神とし
ての浅間大神に感謝する祭礼が行われている。池の名前の由来には
、地底から玉が湧き出るように湧水しているためという説や湧く霊
た運営ま(神霊)との説等があり、わく玉の名は10世紀後半の地
元支配者による和歌に見られ、湧玉池の名称は1670年作成の「
社頭古絵図」に見られる。湧玉池は浅間大社に参拝し、アフィ島騎
145: 2018/07/15(日) 00:37:55.09 ID:GhksThS4(50/231)調 AAS
ざす登拝者が身を清める場として使用された。その様子は「運営絹
本著色富士曼荼羅図」や「富士浅間曼荼羅図」、17世紀初頭の登
山記で確認できる。この絵図では現在の形状に近い湧玉池が描かれ
、水垢離する人々やそのための施設が見られる。登拝者の水垢離は
1920〜30年代まで行われ、現在では山開きの運営恒例行事に
形を変えて継承されている。また、湧水は聖なる水として現在でも
利用する人が多い。湧玉池および周辺には様々な宗教に係わる施設
があるが、特に池の南端にある「神幸橋」は、御神幸道の基点であ
り、現在でも1691年に作られた石碑が運営たもとに残されてい
る。−29−写真沸玉池の写真B2山宮浅間神社浅間大社の北北東
約5kmに位置し、木花之佐久夜毘売命を主祭神とする神社である
。その起源は「富士本宮社記」によれば、山足の地に祀られていた
浅間大神を、神話上の英雄である運営日本武尊が大神の神威により
難を逃れた謝礼に山宮に祀ったこととされ、これが802年に再び
遷され浅間大社となったとする。具体的な創建年代は不詳だが、文
献上での初見は1551年である。神社は神事の際に使用する籠屋
以外の建物施設を持たず運営、拝殿・本殿等が位置すべき場所には
石列でいくつかに区分された遥拝所が設置されるのみという特異な
形態を示している。この形態は古代からのアフィ祭祀の形を止めて
いると推定されており、遥拝所の主軸はアフィ方向を向いている。
発掘調査では1運営2〜15世紀にかけての神事に使用されたと推
定される破砕された土器が遥拝所北側から多数出土し、当神社での
宗教活動を裏付けている。また、遅くとも1577年までには浅間
大社との間で「山宮御神幸」といわれる儀式が開始された。これは
4月と運営11月に神の宿った鉾を持ち、浅間大社から山宮浅間神
社へ行き、神事を行った後、翌日未明に浅間大社へ戻る行事である
。行事の意味として、現時点では神が4月に旧跡に戻るという解釈
と、山にいる神が4月に田の神として里へ降りるという解釈があエ憲税
146: 2018/07/15(日) 00:38:30.52 ID:GhksThS4(51/231)調 AAS
゙ネる。この行事は1874年まで行われていた。なお、「山宮御神
幸」に使用される経路を御神幸道と称し、浅間大社湧玉池横より発
し、約600m東へ向かった後、ほぼ直角に曲がり直線状に北上し
て山宮浅間神社に至る。道の出発点及び途中には169運営1年に
置かれた距離を示す石碑が少なくとも四箇所残っている。写真山宮
浅間神社の写真B3村山浅間神社山宮浅間神社の南東約4km、富
士山南麓に張り出した標高約500mのバルコニー状地形に位授禁
147: 2018/07/15(日) 00:39:05.85 ID:GhksThS4(52/231)調 AAS
、木花開花姫命を主祭神とする神社である。神運営社と一体化した
範囲には、現在別の宗教法人となった大日堂・水垢離場・護摩壇な
どが存在している。これらは1868年の神仏分離令までは一体の
ものであり、アフィ興法寺(村山興法寺)と呼ばれていた。なお、
周辺には興法寺の維持・運営にあたっ運営ていた道者坊の村山三坊
(池西坊・大鏡坊・辻之坊の三箇所)の跡が発掘調査によって確認
されている。その起源は、1149年の記録に見える修行僧末代上
人によるアフィ頂への大日寺の建立にあるとされる。末代上人が富
士山中又は村山の地に興法寺運営を建立したとの記録も残されてい
る。これらの記録等から、12世紀中ごろに村山周辺において修験
道または密教系の宗教活動が行われていたと推測できる。1259
年には、現存する大日如来が寄進されたことを仏像の銘で確認でき
る。末代以後、その運営流れを汲みアフィで修行する人々が現れ、
村山がアフィ修験道(富士行)の拠点となったと考えられる。14
世紀初めには僧の頼尊が修験者とその活動を組織化し、興法寺を再
興したとされる。15世紀に入ると興法寺とそれを支える宿坊の存
在が現存す運営る大日如来の銘(1478)で確認できる。148
2年には修験道本山派の本寺である聖護院と関係を持ち、その権威
を高めた。16世紀中には十数軒あった道者坊が村山三坊に統合さ
れ、その活動を資料で確認できる。坊に所属する山伏は夏に「富士
峯運営修行」を山中及び山頂で行った。また、アフィへの一般の登
拝者も増加し、夜間に白装束をまとい、仏がいるとされた山頂を目
指す多くの人々の様子が「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている
。村山の山伏は、富士峰修行の際に東麓、南麓の村を年一回運営巡
回し加持祈祷等を行った。また18世紀、富士講の隆盛に対抗し西
日本の一般登拝者中の有力者に対して「先達」の免許を発行し組織
化を図ると−30−ともに、登拝が困難な人々に対しては川辺で垢
離を取り、祈ることで登拝と同等の利益があるとす運営る「富貼危
148: 2018/07/15(日) 00:39:39.94 ID:GhksThS4(53/231)調 AAS
離」の手法を広めている。加えてアフィを航海の目印とする伊豆半
島の漁業者に対しては航海安全と大漁の祈願を行った。興法寺の勢
力は地元支配者である今川氏の支援を受けていた16世紀前半が最
も強かったが、それ以降衰退しつつも聖護運営院の力を背景に一定
の権威をもち、登山道及びその頂上部の大日堂周辺を支配した。社
殿については、1697年徳川幕府により修復され、現在の大日堂
は建築様式や部材の状況から19世紀半ばに建立されたと推定され
る。また、浅間神社は1913年運営改築されたものを基本として
いる。1868年、神仏分離令により浅間神社と興法寺(大日堂)
は分離され、山伏は還俗し、1906年の登山道の変化にも伴い両
者とも衰微した。ただし、富士峰修行と加持祈祷は1940年代ま
で継続された。現在は1運営970年代より活発になった地域住民
による伝統復活のための活動が見られ、水垢離等の行事が行われて
いる。また、村山浅間神社の影響を受けた地域のうち、滋賀県甲賀
市、三重県南伊勢町等では現在でも富士垢離の行事が継続されてい
る。写真村山浅運営間神社の写真B−4須山浅間神社アフィの南東
麓、須山口登山道の入り口に位置し、木花開花姫命を主祭神とする
神社である。その起源は1598年作の社伝旧記によると110年
、日本武尊が蝦夷征伐の際、この地を訪れ浅間神社を創起し、さら
に55運営2年有力豪族の蘇我稲目が再興したとある。記録上神社
の存在が確認できるのは1524年で修築時の棟札による。また、
市天然記念物である境内の杉は、樹齢500年以上と推定されてお
り、遅くともこの時期までに須山浅間神社が現在の地に存在したエムソ
゙ネと推測できる。現在の社殿は1823年の再建である。1707
年の宝永噴火により登山道も含め大きな被害を受けたが、1780
年に登山道が再興され、1800年の御縁年には約5,400人の
登拝者があった。須山浅間神社は12軒の御師とともに運営当時の
須山村の中心的存在であり、村全体で須山口登山道と山頂部銀定謙
149: 2018/07/15(日) 00:40:16.22 ID:GhksThS4(54/231)調 AAS
を管理した。また、京都吉田家より神道裁許状を得たり、朝廷・公
家に銀明水を献上したりする等して権威を高めているが、山頂部で
発生した問題については、浅間大社の判断を仰運営いでいる。須山
浅間神社は村山三坊とも関わりを持ち、1940年頃まで境内で富
士峯修行の一環としての祈祷が行われていた。1883年、御殿場
口登山道が開設され、1899年の東海道本線開通による御殿場口
利便性の向上は須山口からの登拝者や運営登山者を奪い、加えて1
912年登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可能となったため
、須山口は衰退した。しかし、その後都市化の影響を余り受けなか
ったため、須山浅間神社周辺は日本的伝統に基づく村落景観を保っ
ている部分が多い。写真須山運営浅間神社の写真B5冨士浅間神社
アフィ東麓、須走口登山道の起点に位置し、木花開花姫命を主祭神
とする神社である。境内西側には鎌倉往還が通り、神社周辺は古来
、交通の要衝であった。社伝では802年、噴火の鎮火祈願のため
に祭事を行い、翌年運営噴火が収まったことから、807年に祭事
の跡地であるとされる現在の地にお礼のために社殿を造営したとさ
れる。その他の文書で確実に存在が確認できるのは、1571年の
ものである。16世紀には地元支配者である武田氏の保護を受け、
山頂部の散運営銭取得権の一部を得ている。17世紀以降、須走浅
間神社は当時の須走村の御師などと共に須走口登山道を支配し、山
頂部薬師嶽(現−31−久須志岳)の薬師堂開帳の権利及び山頂部
の散銭取得権の一部を得ていた。これら山頂部の権利については八
合運営目以上の支配権を主張するアフィ本宮浅間大社と争いになり
、須走村は1703年と1772年の2回、幕府に裁定を求めてい
る。この結果、これらの権利は幕府によって認められた。また、冨
士浅間神社神主や御師は須山の場合と同じく、京都吉田家よ運営り
神道裁許状を得て権威を高めている。社殿は、記録の残っている範
囲では1662年、地元領主である沼津城主大久保氏や小田原偵過
150: 2018/07/15(日) 00:40:51.17 ID:GhksThS4(55/231)調 AAS
稲葉氏などの援助によって修造が行われた。しかし1707年の宝
永噴火では3m以上の降砂に埋もれ崩壊したため、運営1718年
に再建された。この後もこの際の部材を使用し、2009年の修理
も含め何回かの修理がおこなわれている。境内には水路があり、水
垢離に利用された。18世紀末から19世紀初頭にかけて富士講が
隆盛を迎えると須走口にも関東からの登拝運営者が登山又は下山の
際立ち寄った。その数は1800年の御縁年の際に約27,3遣舌
151: 2018/07/15(日) 00:41:27.28 ID:GhksThS4(56/231)調 AAS
名であった。同時期から20世紀前半まで富士講信者は境内に登山
回数等の記念碑を約80基造営した。また、神社には神社神官や御
師が発行した木版印刷による神影運営や神符の版木が保管されてい
る。写真冨士浅間神社の写真B6河口浅間神社古くからアフィに関
わる祭祀は南麓の浅間神社(山宮浅間神社か〜)が執り行っていた
が、864年〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも
浅間神社が建てられるこ運営ととなった。それが、アフィを望む河
口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口浅間神社であるとされ
る。浅間神社を中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官道の宿
駅という役割に加え、富士登拝が大衆化した中世後半から御師集落
として発展を遂運営げた。しかし、江戸における富士講の大流行と
、それに伴う吉田御師の隆盛により、河口の御師集落としての機能
は、19世紀以降衰退してしまった。ただし、河口浅間神社は、現
在もアフィと密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的背景
と相俟運営って、アフィ信仰を語る上で欠かすことができない資産
である。写真河口浅間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯2
011年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして
指定(予定)2011年「史跡アフィ保存管理計画」を策定(予エムソ
゙ネ定)B7冨士御室浅間神社冨士御室浅間神社は吉田口二合目に鎮
座した本宮(もとみや)と、河口湖畔に建立された里宮から構成さ
れている。8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたの
が最初とされ、アフィ中に祀られた最初の神社であると運営する文
献もある。富士修験の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二合
目、御室浅間神社が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点として役
行者堂が整備されたようである。また、社記によると958年、二
合目は冬季における参詣が難儀であることから運営河口湖畔の現在
地に里宮が建立されたという。江戸時代以降富士講の隆盛にともな
い、吉田口登山道の信仰拠点の一つとしてこの二合目の役割は頻輪
152: 2018/07/15(日) 00:42:03.42 ID:GhksThS4(57/231)調 AAS
に増すことになる。しかし、昭和に入ると富士信仰のありかたの変
化や、富士スバルラインの開通等もあ運営って吉田口登山道は衰退
する。それに伴い二合目を通過する登拝者も激減する。また、富士
御室浅間神社本宮を支えてきた氏子にとっても、その維持管理が困
難となって、1973年から74年にかけて、−32−本殿を里宮
地内に移転することとなる。運営修験や登拝といった様々な富士信
仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神とし
ての里宮が一体となって機能してきた神社である。写真冨士御室浅
間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯1973年本宮本殿・
二合目から里宮境内運営地に移築、整備された(〜74年)198
5年本宮本殿・文化財保護法の下に重要文化財として指定1983
年回廊修理工事を行う1995年外部の漆塗の塗り直しほか一部補
修を行う2010年「重要文化財冨士御室浅間神社本殿保存活用計
画」を策定運営2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに
史跡アフィとして指定(予定)2011年「史跡アフィ保存管理計
画」を策定(予定)B8御師住宅御師は、道者に宿や食事を始め登
拝のための一切の世話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うこ
と運営を業とした。アフィ御師として代表的なのは、吉田口登山道
の起点である北口本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に
沿って大規模な集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多く
は短冊状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を運営流
れる水路の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室
が続き、最奥部には神殿が設けられている。最古の部類に入る旧外
川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最盛期の
典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧外運営川家住宅は
、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉田市上吉田・下宿の東側
南端に位置する。1572年の町割によって成立した東西方向の奥
行きが150mほどの長大な短冊形の屋敷地に建てられている関個
153: 2018/07/15(日) 00:42:37.21 ID:GhksThS4(58/231)調 AAS
川家は、屋号を塩屋ないし大外川、塩廼屋運営(しおのや)と号し
、富士信仰における上吉田に居住し、下総地域を檀家としたアフィ
御師である。1572年の「吉田宿屋敷割帳写」には、外川家の位
置に「仁科六郎ゑもん」の屋敷が記されており、外川家ではこの人
物を中興の初代としている。また運営、1669年の「検地帳」で
は、塩屋多兵衛の屋敷として確認される。御師としての活動は江戸
末期頃隆盛期を迎えるが、1962年に御師を廃業している。建物
の老朽化に伴い、所有者が取り壊す意向であったが、富士吉田市が
寄贈を受け、2006年運営から2007年にかけ大規模保存修理
事業を行った上で、2008年4月から富士吉田市歴史民俗博物館
の附属施設として一般公開されている。写真旧外川家住宅の写真表
法的保護、修理・整備の経緯2006年大規模保全修理を行う20
08年富士吉田運営市歴史民俗博物館の附属施設として一般公開を
行う2010年「山梨県指定有形文化財旧外川家住宅保存活用計画
」を策定2011年文化財保護法の下に重要文化財として指定小佐
野家住宅は、富士講によって大きく発展した御師集落である富士吉
田市上運営吉田地区にあって、富−33−士山に登拝する人々を宿
泊させた宿坊として、代表的な御師住宅である。上吉田地区は、富
士の雪代の被害を避けるため、1572年に旧地である古吉田地区
から集落ごと移転し、北口本宮冨士浅間神社の北西隅から北東方エムソ
゙ネ向の傾斜面に沿って短冊状に町割が行われたと伝えられている。
小佐野家住宅は、南北の間口が16m、東西方向の奥行きが150
mほどの長大な屋敷地に建てられている。小佐野家は、元亀の集落
移転に合わせて現在地に移転してきたと伝えられる。代運営々御師
を勤め、屋号を堀端屋と号し、江戸時代には当主は小佐野壱岐ある
いは小佐野大隈と名乗っていた。当家に宿泊する参詣者は年間1,
000人に達したとされる。現在、屋敷地の東側には所有者が住む
住居が建築されており、小佐野家住宅には所有運営者の親族が滅浮
154: 2018/07/15(日) 00:43:13.60 ID:GhksThS4(59/231)調 AAS
している。写真小佐野家住宅の写真表法的保護、修理・整備の経緯
1976年文化財保護法の下に重要文化財として指定1977年消
防設備設置を行う1979年屋根の葺替えを行う1996年雨樋い
の補修を行う1997年主屋、蔵の修運営理を行う1998年主屋
、蔵の修理を行い2010年「重要文化財小佐野家住宅保存活用計
画」を策定B9山中湖アフィの火山活動によって形成された堰止湖
で、アフィの北東に位置する。アフィ周辺の湖を巡って修行す篤徹
155: 2018/07/15(日) 00:43:49.51 ID:GhksThS4(60/231)調 AAS
八海巡りが行われたが、この運営山中湖にも多くの富士講徒が訪れ
た。古くから景勝地として有名で、20世紀前半には湖畔に洋式ホ
テルが建てられたほか、別荘地としても整備された。ゆかりのある
芸術家も多く、山中湖を描いた文学や絵画が散見する。アフィの頂
上付近に日の入りが運営重なる様子はダイアモンド富士と呼ばれ、
多くの写真家を集める。写真山中湖の写真B10河口湖アフィの火
山活動により形成された堰止湖で、アフィの北に位置する。アフィ
周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この河口湖に
も多くの富運営士講徒が訪れた。古くから景勝地として有名で、2
0世紀前半には湖畔に洋式ホテルが建てられた。ゆかりのある芸術
家も多く、湖を題材にした文学や絵画は、富士五湖中この河口湖が
最も多い。葛飾北斎や歌川広重といった浮世絵師も、河口湖越しに
見運営えるアフィを描いている。写真河口湖の写真表法的保護、修
理・整備の経緯(B9・B10)1936年所在地が国立公園法の
下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静
穏の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に運営本
栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制される−34−2011年
文化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五湖
保存管理計画」を策定(予定)B11忍野八海アフィの北東、忍野
村忍草にある、アフィの伏流水による八つの湧水地運営(出口池、
御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)の愛称であ
る。それぞれに八大竜王を祀る富士信仰に関わる巡拝地であった。
富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れを祓った。長谷川角行が
行った富士八海修行になぞられ「富士御手運営洗(みてらし)元八
湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えられ、1843年に富士講道者
によって再興されたとされる。写真忍野八海の写真(どれか1つ)
図忍野八海周辺図表法的保護、修理・整備の経緯1934年史蹟名
勝天然紀念物保存法の下に天然紀運営念物に指定2010年忍川康
156: 2018/07/15(日) 00:44:23.81 ID:GhksThS4(61/231)調 AAS
景観計画を策定、忍野八海周辺を景観形成重点区域に指定2010
年街なみ環境整備事業により忍野八海周辺環境の整備を行う(〜1
4年)2011年「天然記念物忍野八海保存管理計画」を策定(予
定)B12船津胎内樹型運営1617年、富士講の祖とされる長谷
川角行が富士登拝の際、現船津胎内樹型の南方に焼入(船津胎内樹
型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)
を発見し、浅間明神を祀った。1673年、富士講道者村上光清に
より現船津胎内運営樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間
明神が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつむ
ろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣い社号を無
戸室浅間神社と名付けた。富士道者は、富士登拝の際に、樹型を入
って身運営を清める風習があり、洞穴内外の地形空間に宗教的な意
義付けが行われるとともに、奥には富士講にとってのアフィの祭神
である木花開耶姫などが祀られている。写真船津胎内樹型の写真表
法的保護、修理・整備の経緯1929年史跡名勝天然記念物法のエムソ
゙ネ下に天然紀念物として指定2010年「山梨県南都留郡富士河口
湖町町内国指定天然記念物溶岩洞穴等保存管理・整備活用計画書」
を策定B13吉田胎内樹型吉田胎内本穴は、1892年に富士道者
により整備された「御胎内」である。吉田胎内本穴の奥運営には、
石祠があって富士講にとってのアフィの祭神である木花開耶姫が祀
られている。樹型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠
があり、その下段には、さらに横穴があり左右に分かれている。右
の穴が天津彦彦火瓊瓊杵命を祀る父の胎内で、運営左の穴が木花開
耶姫を祀る母の胎内である。富士講講徒は、昼までに御師の家に着
き、夕方まで胎内巡りをし、翌朝アフィに登山した。−35−本穴
については、古くから冨士山北口御師団が管理している。写真吉田
胎内樹型の写真表法的保護、修理・整運営備の経緯1929年史跡
名勝天然紀念物法の下に天然紀念物として指定2010年「天震諧
157: 2018/07/15(日) 00:44:59.24 ID:GhksThS4(62/231)調 AAS
念物吉田胎内樹型保存管理計画」を策定B14人穴富士講遺跡富士
山西麓、静岡県側と山梨県側を結ぶ街道沿いに位置する。木花開花
姫命・角行祖霊・徳川家康を運営主祭神とする浅間神社と富士講の
人々による約230基の碑塔群及び溶岩洞窟である人穴がある。長
さ約83mの人穴は約11,000〜8,000年前に流出した犬
涼山溶岩流中に生成したものである。1300年前後に成立した文
書である吾妻鏡によ運営れば人穴は霊的な場所であり、地元では「
浅間大菩薩の御在所」とみられていたことが記述されている。この
内容は遅くとも1603年までに説話化され、多くの人にその存在
が知られていた。富士講関連の文書では1558年、開祖とされる
長谷川角行運営が役行者のお告げにより人穴に至り、洞窟内で立行
等を達成し、浅間大菩薩よりお告げを得たとしている。角行は人穴
を浄土への入り口とし、「西の浄土」と呼んだため、主に19世紀
以降、人穴は富士講の人々より聖地として信仰を集め、参詣だけで
な運営く修行を行う者も見られた。その大部分は吉田口登山道の利
用者と推定される。また、塔頭の碑文から村山三坊との関係もあっ
たと推定されている。人穴浅間神社の創建は明確ではないが、16
48年及び1665年、その前身である光〜寺が富士講二世運営日
珀(正しくは王へんに日)、三世珀心(同)により再興された記述
があり、19世紀前半に同寺の大日堂が僧空胎により再興された。
1868年の神仏分離令により20世紀までには大日堂が人穴村の
氏神としての浅間神社となった。1942年、付近運営が軍用地と
なったため一時移転したが、1954年に現在地に復興された。境
内の碑塔は、その4分の3(194基)が墓碑ないし供養碑で人穴
への分骨埋葬を望んだ富士講の信仰によるものである。そのほかに
アフィに何回も登ったという登拝記念や大運営願成就の碑塔や角行
二百年忌の宝篋印塔などがある。碑塔は富士講の講毎に群を成した
所があり、その目的は講の勢力を誇るためと推定されている。舷販
158: 2018/07/15(日) 00:45:33.92 ID:GhksThS4(63/231)調 AAS
で建立年代のわかる89基の内、富士講が隆盛した18世紀末から
19世紀前半(1781から18運営50年)に建立されたものが
半数(44基)、19世紀末より20世紀前半(1871から19
40年)のものが3分の1(29基)を占める。写真B14の写真
B15白糸ノ滝人穴の北方約5kmにある落差約20〜25m・幅
約120〜210mの数運営百の流れを持つ滝である。滝は約1万
年前に噴出した白糸溶岩流の末端から湧き出す一日平均13万聞繊
159: 2018/07/15(日) 00:46:08.79 ID:GhksThS4(64/231)調 AAS
水を源としている。滝の名前は湧水の噴出が数百条の白糸が垂れて
いるように見えるため名づけられた。湧水のメカニズムは、湧玉池
と同様であり、運営透水性の白糸溶岩流と不透水性の古富士泥流の
境界に降水・雪解け水が滞水し、三層の溶岩の隙間、及び溶岩流と
泥流層の間より湧き出しているものである。このメカニズムが解明
される前の19世紀半ばの資料「不二山道知留邊」ではその起源を
富士五運営湖の伏流水としていた。白糸ノ滝は富士講関連の文書で
は、開祖とされる長谷川角行が人穴での立行と合わせて水行を行っ
た地と記されている。−36−その後、白糸の滝は富士講を中心と
した人々の巡礼の場となった。その様子は1845年と1854エムソ
゙ネ年にこの地を訪れた富士講先達の記録で確認でき、滝つぼの中で
垢離をとる信者の周囲に虹が出来る現象を「御来光」としている。
また、周辺にある食行身禄の碑や不動尊が同書の挿画に描かれてい
る。そのほかの19世紀の登山記でも人穴と共にその存運営在が長
谷川角行との関わりを通して紹介されている。また、白糸ノ滝は景
勝地としても有名であり、多くの和歌・絵画の題材となっている。
写真B15の写真表法的保護、修理・整備の経緯1936年所在地
が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指運営定1936年史
蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝及び天然紀念物に指定1987
年富士宮市により「白糸ノ滝」保存管理計画が策定2010年富士
宮市により保存管理計画が改定され、これにともなった整備計画に
基づき、滝周辺の景観整備が行われた運営(3)眺望C三保松原富
士山頂の南西約45kmに位置する駿河湾に突き出した長さ約7k
mの砂嘴をなす三保半島上の松原である。現在、5万4千本の黒松
が外海側海岸線4kmを中心に繁茂し、その中でも樹齢約650年
といわれる「羽衣の松」付近運営は、アフィと砂浜の松という日本
で好まれた景観を組み合わせて望むことができる景勝地として知ら
れている。三保松原のある三保半島は約6000年前に現在の宇老
160: 2018/07/15(日) 00:46:44.92 ID:GhksThS4(65/231)調 AAS
なったと考えられ、三保の名前は内海側の三つの岬を稲穂にたとえ
たという説が有力で運営ある。かつては半島一帯に松が繁茂し、8
世紀初頭には松原自体を景勝地として捉えた和歌が詠まれ、「万葉
集」に掲載された。その後遅くとも13世紀初頭までに三保松原は
後鳥羽上皇など中央の権力者にアフィと組み合わされた景勝地とし
て認識され運営、14〜15世紀には室町幕府将軍足利義満と足利
義教が三保半島と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船で渡り富
士山を眺める行事を行い、16世紀には徳川家康が三保半島内海側
に富士見櫓を建設した。文学では「万葉集」以降も和歌等の詩の題
材運営となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣の松を舞台とした
謡曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに成立した。降臨した
天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話の最終場面ではヒロイ
ンの天女がアフィ方向へ飛び去っていく描写が見られる。こ運営れ
はすでに成立していた「竹取物語」で示されたアフィの噴煙が天上
と地上とを結んでいるとする考えとの関係が指摘されている。この
作品は、19世紀後半、海外へ伝えられ、イェーツ、パウンドとい
ったモダニズムの作家に影響を与えるとともに、伝運営統芸能であ
る「能」が世界に広まるきっかけを作った作品である。また、絵画
でも15〜16世紀には三保松原を右にアフィを左に配する構図が
描かれ、この構図は狩野探幽により完成され、19世紀に至るまで
日本画・浮世絵においてアフィを描く際の運営典型的構図とされた
。また、20世紀には和田英作が「羽衣の松」付近から見たアフィ
を数多く描いた。三保松原は16世紀以降、江戸幕府の直轄地とな
り松が守られてきた。江戸幕府滅亡後は内海側の開発が進んだが、
外海側の景観は保たれ、1922運営年、国内初の名勝として国文
化財に指定された。現在、砂礫の供給減による海岸侵食とマツクイ
ムシによる松の枯死が進んでいるため、静岡市及び地元民間団体に
よる保護活動が行われている。写真三保松原(現在の写真・静鉛感
161: 2018/07/15(日) 00:47:20.47 ID:GhksThS4(66/231)調 AAS
)写真歌川広重の浮世絵運営−37−写真三保松原の写真表法的保
護、修理・整備の経緯1922年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に
名勝に指定1976年名勝「三保松原」管理計画書を策定1977
年名勝地内の一部が指定解除1989年名勝「三保松原」保存管理
計画書を改定1運営990年名勝地内の一部が追加指定及び指定解
除2011年名勝「三保松原」保存管理計画書を改定第3章保存管
理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境を構成する諸要素世
界文化遺産「アフィ」の顕著な普遍的価値は以下に示すとおりであ
る。「運営アフィ」の顕著な普遍的価値アフィは、日本を代表し象
徴する日本最高峰(標高3776m)の秀麗な独立した火山として
世界的に著名であり、その自然的美しさと崇高さを基盤として日本
人の自然に対する信仰の在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎エムソ
゙ネや歌川広重などによる顕著な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの
日本独自の芸術文化を育んだ「名山」である。アフィは山岳に対す
る信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の
諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物運営証であ
るのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑
出した類型として、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持
つ山である。本計画では、顕著な普遍的価値に対し、資産に含まれ
る要素を「顕著な普遍的価値を構成する諸要素運営」と「顕著な普
遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さら
に緩衝地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、表に示
すとおり整理を行った。Aアフィ山体及び登山道B信仰に関わる周
辺のものCアフィから離れた眺望に関運営わるもの表アフィの構成
要素Aアフィ(アフィ体)A1山頂信仰遺跡・アフィ本宮奥宮・東
北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉(剣ヶ峰、白山岳、
久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)・
大内院・小内院・馬の背・東運営安河原・西安河原・虎岩(獅線僚
162: 2018/07/15(日) 00:47:59.14 ID:GhksThS4(67/231)調 AAS
)・割石・雷岩・このしろが池・荒巻・吉田須走拝所跡・須山拝所
跡・村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経塚・外浜道・内浜道A2大宮・村
山口登山道・札打場・中宮八幡堂跡(1号建物跡)・八大龍王・5
号建物跡・8号建物運営跡・12号建物跡・鳥居A3須山口登山道
・須山御胎内(溶岩洞穴)・石像・石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須
走口登山道・古御岳神社・迎久須志之神社・鳥居・狛犬・石碑A5
吉田口登山道・現登山道・旧登山道・馬返・五合目・烏帽子岩期腐
163: 2018/07/15(日) 00:50:20.27 ID:GhksThS4(68/231)調 AAS
は、現在も石碑が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿っ
て、アフィ体を一周する。15〜16世紀ごろ富士講の祖とされる
長谷川角行運営によって開かれたとされその後大沢崩れ−41−を
通るため富士講信者により修行の道として利用された。写真標高約
1500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺跡の分布図・
アフィ本宮奥宮富士宮口登山道頂上に位置し、7、8月の開山期に
の運営み開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命である。『本朝世紀
』には、久安5年(1149)「富士上人末代は、アフィに数百度
登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、写経を埋納下した」とあ
る。江戸時代には、村山三坊所有の大日堂があったが、明治運営7
年(1874)、廃仏毀釈により山中の仏像を取り除き、大日堂跡
へ奥宮を建立し、浅間大神を祭った。写真奥宮の写真[奥宮周辺の
石碑群](a)蹲虎の碑(高さ139×幅64×厚さ18p)奥宮
の裏手、浅間岳の麓に所在する。一方の面に漢文が運営、もう一方
には虎の絵が彫られている。天保年間(1830−34)に、岸岱
が作ったとされる。(b)鎮國之山(高さ146×幅61×厚さ3
1p)奥宮の前に所在する。碑面に「鎮國之山」と彫られている。
明治31年(1898)に書家の中林梧竹運営により建碑された。
後年、落雷により破壊されたが、昭和42年(1967)に再建さ
れた。・東北奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅
命、少彦名命を祀る。須走口登山道、吉田口登山道の終点にある。
室町時代以降、頂上の一つである運営久須志岳(旧薬師ヶ嶽)に薬
師堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であ
った。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久須
志神社と改称した。写真東北奥宮の写真・金明水雪解け水が湧く泉
で、その湧き水は霊験あ運営らたかな「御霊水」として珍重された
。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の柵で囲われ、旗や
幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、アフィ頂の霊紡源
164: 2018/07/15(日) 00:50:58.46 ID:GhksThS4(69/231)調 AAS
らたかな湧き水として珍重された。『富士の歴史』によれば、「如
何なる旱にも水運営の涸れることはない」と記している。写真銀明
水の写真[銀明水の石碑群](a)石碑@(高さ112×幅62p
)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年」の2つの年代が確認で
きる。富士講の人々が建碑したものと考えられる。(b)石碑A(
高さ1運営62×下幅76×上幅63p)表面に龍が、裏面には文
字が刻まれている。(c)石碑B(未計測)「大正十三年八月肉拳
165: 2018/07/15(日) 00:51:38.65 ID:GhksThS4(70/231)調 AAS
刻してある。写真銀明水の石碑群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、
白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、エムソ
゙ネ三島岳)山頂部の直径約800mの火口を囲む峰々の総称で、そ
れぞれの峰に仏が住むとされた。文永年中(1264〜1275)
の作である『万葉集註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とある
ことから、鎌倉時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」運営に見立
てていたと考えられる。江戸時代後期の地誌である『駿河国新風土
記』には「ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コマ
カニカゾヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉を構成する
峰も、またその名称も一定でないことがわかる運営。峰の名称は、
明治8年に廃仏毀釈により仏教色を払拭したものに変更された。以
下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所による発掘調査報
告書で示された9つの峰について、最高峰の剣ヶ峰からお鉢巡りの
回り方である時計回りの順に、記述す運営る。なお、浅間大社では
、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」としている。図八葉の配置
図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]かつては剣ノ峰、阿弥陀岳と
も呼ばれた。遠くから見ると剣を立てたようにそびえ立っているた
めにこの名があるという。道運営者たちはあまりに険しいこの峰を
恐れて多くは登らなかったという。この峰の石は「神の惜ミ給ふ」
とされ、採取を禁じられたが、麓からの石と取り替えるということ
が行われていた。写真剣ヶ峰の写真図気象庁測候所跡周辺の平面図
[白山岳(標高約3運営,756m)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ば
れた。現在は一般の立入は禁止されている。頂上には鳥居が立ち、
また二等三角点が存在する。[久須志岳(標高約3,725m)]
かつては薬師岳とも呼ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。
他の峰々と運営比べ傾斜はなだらかである。頂上には鳥居が火口の
方向に向けて建てられている。頂上付近には石造物が残存し、首か
ら上と手首から先が欠損している。台座正面に「食行」「身禄苦鬱
166: 2018/07/15(日) 00:52:44.76 ID:GhksThS4(71/231)調 AAS
剣ヶ峰運営に通じる坂道で、火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡り
の道中で最大の難所である。現在はブルドーザーが通れるよう整地
されている。火口に向けて傾斜しており、その険しさから道者たち
の多くは剣ヶ峰に登らなかったといわれる。・東安河原須山口拝エムソ
゙ネ所東側にあり、山頂部では稀な広い平坦部である。かつては現世
と来世の境である「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を
積み上げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向け
て賽銭が投げ込まれた場所とされる。・西安河原東安河運営原と対
をなす、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦部である。火口の外壁
を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐点に位置する。・虎岩(
獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩で、形状が虎(獅子)のうず
くまる姿に似ていることから名付けられた。・運営割石かつては「
釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、溶岩が急速に冷えて固まったため
割れていた。高さが15m程あったが、現在は崩壊してしまってい
る。古くから行者の修行場として知られ、食行身禄がここで入定し
ようとしたが、大宮浅間の社人からの運営許可が得られず、吉田口
七合五勺の烏帽子岩で入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白
山岳の西側にある岩で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼
ばれたとされる。また、文化年間の初め、岩より雷鳴がとどろいて
雷獣が出現し、8合目の石室運営に走り入った。これを石室に居合
わせた人々が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島
岳の雪解け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月
に姿を現し、雪解け水の供給が無くなると消えてしまう。・荒巻−
44−かつては勢至運営ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付けるアフィ
頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた石
組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったところに
あったとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、登山者たちが賽銭を
噴火口の大運営内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間大菩薩頑省
167: 2018/07/15(日) 00:53:20.70 ID:GhksThS4(72/231)調 AAS
む場所であった。また、御来光を拝む場所でもあった。現在は、付
近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特定することはで
きない。写真吉田須走拝所跡の写真・須山拝所跡銀明水の裏手の火
口運営を臨む位置にあったとされる。大正2年(1913)の登山
スタンプが押された写真では、銀明水裏手の火口の縁に立っている
鳥居が確認できる。現在その地点には、2つの目印の石が存在して
いる。写真須山拝所跡の写真・村山大宮拝所跡『隔掻録』は運眼焼
168: 2018/07/15(日) 00:53:56.78 ID:GhksThS4(73/231)調 AAS
大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮拝所」としている。『アフィ明細
図』は、このしろが池の裏手の鳥居を影拝所としている。このしろ
が池から剣ヶ峰の登山道に沿って3体の大日如来があり、それぞれ
延徳2年(1490)、天文12年(1543)、運営寛永元年(
1624)の銘があったとされる。昭和初期の絵葉書にも、剣ヶ峰
の手前の火口を臨む位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所
跡の写真・三島ヶ岳経塚昭和4年(1929)、頂上の神官が銅仏
の破片と一石経を採集して下山、それを受運営けて昭和5年に三島
岳のふもとを調査したところ、経巻が詰まった経筒や木槨、土器片
などの遺物が出土した。アフィ本宮浅間大社には、現在10巻分の
経巻が残っており、うち5巻は開かれていて内容を確認できる。経
巻のスタイルや計測値から平安時運営代後期までさかのぼる可能性
が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回し
八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河原の
北側で道が二手に分かれるが、峰の外を回り雷岩、割石を経て白山
岳に至る道が外浜道で、運営峰の内側を大内院に沿って回り金明水
に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わる工作物や自然物が
数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在は立入禁止とな
っている。A2大宮・村山口登山道図登山道に要素が点在している
平面図・札打場運営村山浅間神社の北東約3.5q、天照教社の西
南西約1qの地点(標高約830m)に、東西約7m、南北約10
mの平場がある。南側に1本の大きなケヤキの巨木があり、ここが
札打場であった。札打とは、自分の院号を記した札を打ちつけるこ
とであ運営る。村山で修験道が盛んであった頃、山伏が峰入修行に
先立ち札打を行った。昭和30年(1955)頃までは、木に打ち
つけた札が見られたという写真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号
建物跡)村山口登山道跡とアフィスカイラインが交差する地点かエムソ
゙ネら南西方向に約500mの地点に位置する。標高は約1,2迅腎
169: 2018/07/15(日) 00:54:33.52 ID:GhksThS4(74/231)調 AAS
mである。東側を走る沢から一段上がった平坦面に所在している。
平坦面は2段あり、上−45−段には小さな祠が建てられている。
また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。運営江戸時
代には馬返しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここか
らは女人は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女人堂として
使われた時期もあったと考えられる。下段平坦面の南側には溝が東
西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡運営をたどれなくな
る。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の写真・八
大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王」と
刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられている。水神祠には「文
化十三年寅年六月日」、八大龍王には運営「文化七年七月十七日」
との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の主人が、天保
14年(1843)から文久3年(1863)にかけて記録した『
袖日記』には、安政7年(1860)5月11日の条に「中宮八幡
堂の井戸を掘ったので山が荒運営れた」との記述がある。この「中
宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある井戸跡を指すものと考え
られている。井戸跡は幅80p、深さ50pほどである。・5号建
物跡4号建物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面の倒木帯と
なり、その中に5号運営建物跡がある。標高は約1,865mであ
る。平成5年の富士宮市による調査では、平場の北側の斜面の縁に
3体の石像が発見されていたが、平成20年の静岡県埋蔵文化財調
査研究所による調査では石像が4体見つかっている。木が倒れた際
に地面が掘運営り起こされ、地中にあった石像が地上に現われたと
考えられる。うち1体の不動明王像には、文化7年(1810)の
銘がある。背面には「瀧本前」と刻まれており、ここが「アフィ表
口南面路次社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であ
る運営と推測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる
。廃仏毀釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内散抽
170: 2018/07/15(日) 00:55:07.65 ID:GhksThS4(75/231)調 AAS
5号建物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡
7号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の運営位
置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の中
で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西部の
平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残存して
おり、石段の東西には石垣が組まれている。また平運営場中央部よ
りやや西に護摩壇と思われる石組も残存している。もう一つの北東
部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸約15m、短軸
約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の縁に石組が確認で
きる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」と運営して載っており、「
アフィ表口南面路次社堂室有来之次第絵図」に描かれた「室大日堂
・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられる。室大日堂は大日如来と
役行者像が祀られていたとの記述が『駿河国新風土記』にあり、ま
た末代上人が建てた往生寺があっ運営たところだともいわれている
。写真8号建物跡の写真・12号建物跡村山口登山道跡に残る遺構
のうちで、一番標高の高い位置(約2,390m)にある。11号
建物跡から北に50mの地点に所在する。東西約8m、南北約5m
の方形の区画が石組によ運営って作られている。東側には直径約9
0pの丸い穴が二つある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)
便所跡と考えられる。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然
木により構築された鳥居が設置されている。「昭和五十二年七月吉
日」と刻まれて運営おり、個人が設置したものである。A3須山口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶岩洞
穴)旧須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長1
0m余の溶岩洞穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に
入口が運営あり、内部を通り抜けることができる。登山者は、この
洞穴を通って登山するのがならわしであった。かつて洞穴の延長は
数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在愛優
171: 2018/07/15(日) 00:55:44.44 ID:GhksThS4(76/231)調 AAS
さになった。崩落した部分は、長さ約30mのU字型の溝状の溶エムソ
゙ネ岩地形として須山御胎内の南東側に残っている。この付近の溶岩
は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では1030〜1230
年という結果が出ており、永保3年(1083)の噴火時に噴出し
た可能性がある。平成21年に実施した測量調査では、運営須山胎
内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485m付近から認められてお
り、須山口登山道がこの溶岩流に沿って形成されていることが虎呼
172: 2018/07/15(日) 00:56:24.45 ID:GhksThS4(77/231)調 AAS
した。写真須山御胎内の写真・石像須山御胎内の洞穴内部に、「木
花咲耶姫」の石像が安置されている。地元在住運営の彫刻家、杉山
拓氏の作品。須山口登山道復興後の平成12年に作られたものであ
る。・石燈篭須山御胎内の南東側入口の両脇に、石燈篭が設置され
ている。・鳥居須山御胎内の南東側入口前に高さ3m前後の木製の
鳥居が建てられている。・標柱鳥居脇運営に、「旧須山口登山道一
合目(須山御胎内)」と記された標柱が、アフィ須山口登山道保存
会によって設置されている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状
の溶岩地形脇に、石造りの祠が設置されている。写真祠の写真A4
須走口登山道図登山道に要素運営が点在している平面図・古御岳神
社冨士浅間神社の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在
の社殿は、昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九
尺の規模である。その際、御室浅間神社を合祀した。神社の前には
鳥居がある。かつて運営は3000坪の境内地を持ち、本殿、拝殿
、庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志之神
社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)に建て
られている。かつては向薬師、向ヒ薬師、手引薬師と呼ばれ、石室
の中に薬師運営如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管理していた。
元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富士信安等返答下
書」に「前薬師之小屋」の記述があることから、江戸時代初期以降
にはすでに祀られていたものと考えられる。道者はここで薬師に線
香運営を手向けたという。廃仏毀釈によって仏像は山を降ろされ迎
久須志神社と改められた。祭神は大己貴命と少彦名命である。以前
は登山道が建物の西側を通るルートであったが、現在は建物の東側
を通るようになっている。迎久須志神社の直下には、「日ノ運営見
御前」「日ノ御子」と呼ばれる日の出を遥拝する場所があり、江戸
時代には「日ノ御子石」というアフィ型の石が置かれていた。富士
講の講中が大きな平石の上で朝日を拝したという。現在「日ノ口錠
173: 2018/07/15(日) 00:56:56.73 ID:GhksThS4(78/231)調 AAS
石」はないが、祠と鳥居が建てられている。写真迎運営久須志之神
社の写真・鳥居登山道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山
道終点)、9合目、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御
嶽神社前に自然木などにより構築された鳥居が設置されている。・
狛犬登山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置運営されている。この場
所は「鳥居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目
付近の登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高
い場所にあったが、雪崩によって流されて別の場所に転がっていた
ものを山小屋関係者で運び、現在運営の場所に設置したという。日
付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉田口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口登山道
は、北口本宮冨士浅間神社を起点とし、アフィ頂を目指す道である
。18世紀後半以降は、運営最も多くの道者が吉田口登山道を目指
している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる
重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要素として、現存す
る吉田口登山道や沿道の宗教施設や山小屋等信仰の拠点などがある
。・旧登山道・運営馬返ここから急坂となり馬が使えなくなること
からこの名がついた。この一体は草山から木山への境でもあり、こ
こからが御山の聖地ということにもなる。アフィ有料道路が開通す
る以前の馬返の周辺は、本格的な登り勾配の坂道が始まる直前の平
地であ運営り、登拝者たちがいったん休憩を取る場所として賑わっ
た。登山期間には4軒の茶屋が営業され、登拝者の便に供された。
写真馬返周辺の写真・五合目ここは木山と焼山の境界でもあるこの
地は天地境(てんちのさかい)とも言われる場所である。役場、エムソ
゙ネ中宮の社、小屋等がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三
社の神供料として役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所
となった。小屋については、江戸後期には4軒があったが、すでに
武田信玄の1566年の文書に「中宮之室」という名称運営が認梗
174: 2018/07/15(日) 00:57:35.20 ID:GhksThS4(79/231)調 AAS
、戦国時代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわか
る。最盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周
辺の写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があり、これを
烏帽子岩という。ここにて富士講中興の祖と称運営される食行身禄
が、1733年に31日間の断食修行を経て入定した。「甲斐国志
」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋アリ
身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期
にはすでに身禄の聖地として信者が登運営拝していたことがわかる
。現在も富士講の聖地として重要な地である。写真烏帽子岩の写真
A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図
北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのつながりが強く1730年代
に富士講の指導者である村上運営光清の寄進によって境内の建造物
群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。
社殿の背後には登山門があり、この神社を起点としてアフィ頂まで
吉田口登山道が延びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持ち
ながら発展した神社運営である。顕著な普遍的価値を構成する諸要
素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地、
吉田口登山道の起点などがある。・本殿本殿は、1615年、都留
郡の領主鳥居土佐守成次によって建立された。桁行一間・梁間二間
の規模で、運営入母屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の
向拝一間をつけた形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。
各部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な
装飾を展開し、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、
す運営ぐれた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写真図本
殿の図・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の創建とも伝え
られるが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営した
ものである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の運営向
拝をつける一間社流造の形式である。東宮本殿は、本社本殿は仙丁
175: 2018/07/15(日) 00:58:09.77 ID:GhksThS4(80/231)調 AAS
より西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇股に挿
入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最も古い建
物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・西運営宮本殿西宮
本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重により東宮に替わ
る本殿として建立されたが、1615年、鳥居成次の本殿建立によ
り現在地に移され西宮となった。本殿の形式は東宮と同じ一間社流
造であるが、両側面と背面は二間で一間の運営向拝をつける。効票
176: 2018/07/15(日) 00:58:45.15 ID:GhksThS4(81/231)調 AAS
本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、やがて豪
華な本社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞できる貴重
な建物である。−49−写真西宮本殿の写真図西宮本殿の図・大塚
山社誌では、日本武尊がアフィを運営遙拝した地であり、ここを浅
間明神の創建にかかわる場所と位置づけている。さらに、788年
には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、大塚社として日本武
尊を分祀したと伝えられる。現在この地は、流山状の小高い丘をな
しており、日本武尊を祀運営る祠が建てられている。写真大塚山の
写真図大塚山の図・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。
吉田火祭の本日にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が行われる
。ここで読まれる祝詞の一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とさ
れる。写真御鞍運営石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要
素が点在している平面図アフィ周辺の湖を巡って修行する内八海巡
りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの
芸術作運営品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素
として、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8精進湖
図以下に示す要素が点在している平面図アフィ周辺の湖を巡って修
行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつのエムソ
゙ネ時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の
地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を
構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写真精進湖
の写真A9本栖湖図以下に示す要素が点在している平面運営図富士
山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって
行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられてい
る。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕
著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然運営地形(湖水)や
中ノ倉峠からの展望などがある。写真本栖湖の写真A信仰に関膨協
177: 2018/07/15(日) 00:59:20.87 ID:GhksThS4(82/231)調 AAS
周辺のものB1アフィ本宮浅間大社図以下に示す要素が点在してい
る平面図・神立山本殿の北側にある丘陵地一帯は神立山と称される
。神立山及びアフィ本宮浅間大社の基運営盤を構成する地形は、新
富士火山旧期溶岩流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広
がる扇状地堆積物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあた
る。そのため指定地内の一部では溶岩礫が露出し、縄状溶岩も散見
される。また、当該地区は風運営致地区・保安林にも指定され、渋
沢堀沿いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(
1670)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築
物が描かれ、発掘調査で石畳や護摩堂跡が確認されている。写真神
立山の写真・湧玉池運営(上池、下池)本殿東側の「湧玉池」は、
国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、アフィに降った雨
や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ
、溶岩流末端で湧出して池になったものである。禊所付近を境に上
池と下池に運営分かれ、以前は上池のみを湧玉池、下池から下流を
御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で心身を清めた後山
中へ向かうという、アフィ信仰と関連の深い池であった。現在も富
士山山開きの7月1日には、湧玉池で禊神事が行われる。写真湧玉
池運営の写真図詳細平面図・社叢神立山表層部は約3万8千uにわ
たってスダジイ、ケヤキ等の樹木が生育しており、富士宮市保存樹
林に指定されている。また、野鳥の生息に適した環境でもあり、「
野鳥の森」碑が建てられている。・社殿(本殿・拝殿・幣殿運営・
透塀・楼門)浅間大社は、社伝によれば大同元年(806)に造営
されたという。かつての駿河国の一宮で、現在は全国1300余の
浅間神社の総本社として崇められている。現在の社殿は、慶長9〜
11年(1604〜06)に徳川家康が造営したも運営のである。
写真社殿全体の写真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財
である。「浅間造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で模君
178: 2018/07/15(日) 01:01:08.87 ID:GhksThS4(83/231)調 AAS
流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町運営時代の初期には
すでに神事が行われていたとの記録が残っている。馬場に沿って両
側に御神木の桜が植えられている。・禊所湧玉池の上池と下池の境
部分が禊所とされ、池に下りるための石段が組まれている。・神幸
橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川への運営流出口に石造りの橋が架
けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山宮御神幸が出発し
たとされる。寛文10年(1671)の絵図では橋に屋根が葺風蹴
179: 2018/07/15(日) 01:01:47.24 ID:GhksThS4(84/231)調 AAS
ている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋
が架けられている。寛文10運営年の絵図には既に描かれているが
、大正4年(1915)に石造りに改められた。写真輪橋の写真図
輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年
の発掘調査により、護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣
と建物跡が検出され運営た。石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正
方形となっている。また、石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物
跡の礎石が確認された。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有し
ていたと考えられる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこ
の建物跡を運営「本地堂」とする記載が確認されており、最終的に
護摩堂から本地堂へ造作し直された可能性がある。写真護摩堂の発
掘調査時の完掘写真(平面写真)図平面図・随身像慶長19年(1
614)2月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下山
住運営番匠石川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住
櫻井三蔵作」と記され、市指定有形文化財として保護されている。
写真随身像全体の写真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられ
ている。大正7年5月に奉献されたものである。・御神幸道運営首
標の碑明治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道
の首標が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未
年十一月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれ
ている。昭和59年(1984)に浅間大社境内の運営土中から発
見され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に、淺間第三御
子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・七之宮
本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅間神社」が
建てられている。・鉾立石楼門前の石段に運営は、鉾立石が置かれ
ている。明治の初めまで行われていた山宮御神幸の際、神の宿った
鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神路橋、神路枚橋)池
畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている。島の西側が神路橋校皮
180: 2018/07/15(日) 01:02:17.62 ID:GhksThS4(85/231)調 AAS
側が神路枚橋であるが、寛文10運営年(1670)の絵図では西
側にのみ架けられている。写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図
B2山宮浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・溶岩流
地形山宮浅間神社の石鳥居から参道を経て参籠所に至るまでの区域
は北山溶岩流上に展開し運営ている。また、遥拝所が位置する小高
い丘陵は青沢溶岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、
天母山(二子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展
開する。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を
含め、4つの異運営なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥
拝所の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火に
よって流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区
域と比べて植生の回復は遅れていたと考えられる。そのために、樹
木等に運営遮られることなくアフィの山頂まで見渡せていたため、
この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写真溶岩流
地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通りの幹周が3
mを超える巨木4本を含むスギ林が、約9,780uの社叢を形エムソ
゙ネ成しており、富士宮市の保存樹林に指定されている。・籠屋(参
籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠屋が建てられている。籠
屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅間神社を往復する祭儀「
山宮御神幸」において、これに同行した大宮司以下の諸運営職が一
夜参籠した場所である。−53−・鉾立石籠屋をくぐり遥拝所へ続
く参道に、「山宮御神幸」で神の宿った鉾を休めるための「鉾立石
」が置かれている。石は火山弾であり、籠屋をくぐってすぐの位置
に1つ、石段の手前に1つの計2つが置かれて運営いる。・石段(
参道)遥拝所が位置する丘陵へ登るための石段が組まれている。現
在あるものは戦中もしくは戦後に改築されたものと考えられる。・
石塁遥拝所の周辺約45m四方が石塁により方形に区切られている
。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶岩礫を積運営み上げて構築され、預湿
181: 2018/07/15(日) 01:02:54.22 ID:GhksThS4(86/231)調 AAS
的に遺物を含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いら
れたと思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた1
2世紀から15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定さ
れる。写真石塁の写真図石塁運営の平面図・断面図・玉垣遥拝所の
周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦
後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門
扉が取り付けられている。・遥拝所アフィを直接拝礼し、祭儀を行
うことを目的として運営築造されたと推定される施設である。南北
約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30〜40p程度の溶
岩を用いて石列等によって組まれている。アフィを拝む方向に祭壇
が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀を行う際の大宮司席、公文・
案主席、献運営饌所が、向かって右側に別当・供僧席が設けられて
いる。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石鳥居境内地の南端に
、石鳥居が建てられている。昭和6年(1931)に建立されたも
のである。・参道石鳥居から籠屋まで参道が続いている。B3村山
浅運営間神社図以下に示す要素が点在している平面図・元村山溶岩
流村山浅間神社は、新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあ
たる。見付の間は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。
村山地区は標高が高く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一運営段
高い場所に位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池
」と呼ばれる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてき
た。またこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西
側から大沢川となる。これらの水源は、村山の集落運営を成立させ
た要因の一つである。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ]
−54−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定さ
れた。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m、枝張り東西1
9m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根運営の発達も著しい。気
根が数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産貴匿
182: 2018/07/15(日) 01:03:28.86 ID:GhksThS4(87/231)調 AAS
乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以前
はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現在でも祭祀でし
め縄を張る。[大スギ]昭和31運営年5月24日に県天然記念物
に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。境内
の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17
.5m、南北31m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及
ぶ空洞がある。案内板で運営は約1,000年の樹齢とされる遠芳
183: 2018/07/15(日) 01:04:06.39 ID:GhksThS4(88/231)調 AAS
実際にはおよそ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸
高直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ
1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキ
やスギである。運営富士宮市の保存樹林に指定されている。・浅間
神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境内社富士浅間
七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命、
彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊
・伊弉運営冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2年(1913)
に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化したため、その後さら
に鉄筋コンクリート一部木造に建替えられている。写真社殿の写真
図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317エムソ
゙ネ〜1318)に、末代上人の流れをくむ頼尊が村山に興法寺を開
いたと伝えられている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂
で、アフィの本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、部
材の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造運営と考え
られるが、外壁は波鉄板板張りに変えられている。桁行5間・梁間
7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面と両側
面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図社殿の図面
・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝運営の道者が垢離を
とって身を浄めた場所で、間口約6.5m、奥行き約4mの長方形
で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周囲は石積みと
なっている。造成年代は不明。水垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍
頭池湧水を引き、上の段から樋で落と運営し垢離を取るようにして
ある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる不動明王の石
像が安置されている。写真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側にあ
り、正面には不動明王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石
で囲んだ一辺5.3mの丸い運営石組となっている。丸い石組の前
に置かれた葛石には、「干時安政四年九月」と刻まれ、安政4黙腹
184: 2018/07/15(日) 01:04:39.86 ID:GhksThS4(89/231)調 AAS
1857)造立と考えられる。周囲の正方形の石組みと中央の丸い
石組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているものと思わ
れる。写真護摩壇の運営写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護
摩壇裏手の一段高くなったところに末代上人を祀る大棟梁権現社が
あったとされる。しかし、神仏分離令により廃され、代わりに村山
浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社
を遷し「富運営士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在
は「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「
明治十八年五月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残され
ている。現在の社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅
間運営神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和
28年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社
(高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。
平成15年の再建に合わせて建てられたものである。・手水運営舎
(手水鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水舎が設置
されている。明治16年(1883)に設置されたものである。・
石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大日堂へ
続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭運営和5年に奉
納された狛犬2体が、参道脇に設置されている。B4須山浅間神社
図以下に示す要素が点在している平面図・社叢樹齢500年を超え
るスギの巨木が22本あり、中には樹高37m、目通りの太さが7
mを超えるものも見られる。社叢全体が市運営指定天然記念物とし
て保護されている。・社殿大禰宜・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によ
れば、天元4年(961)に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したと
の記録がある。その後の記録として社殿の存在が確認できるのは、
大永4年(1524)と記された運営修築時の棟札による。現在の
社殿は、文政6年(1823)に再建されたとされている。写真社
殿の写真図社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用さ欺測
185: 2018/07/15(日) 01:05:14.48 ID:GhksThS4(90/231)調 AAS
神輿を納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内
には、社殿前と石段手前運営の参道脇に計二対の狛犬が設置されて
いる。社殿前の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に
奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている
。登り口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは
、それぞれ寛保運営2年(1742)、文政6年に奉納されたもの
である。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に、
手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−年と刻
まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほどは石畳が敷
かれ、運営その後社殿の位置する高台へ登るためにコンクリート製
の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート
製の鳥居が建てられている。昭和41年(1966)に奉納された
ものである。・石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を受けていたエムソ
゙ネことを示す碑が建てられている。・古宮神社八坂大神、八幡大神
、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中
にあり、旧本殿と推測される建物である。B5冨士浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・社叢(浅間の杜)社運営殿周囲
と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参道南側の部分を浅間
の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大樹が生育してい
る。・ハルニレ昭和38年(1963)2月19日に静岡県の天然
記念物に指定された。根回り約6m、目通り4運営m、樹高24.
50m、枝張東西28.10m、南北23.50m、樹齢約500
年。北日本の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社
以外の小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生
育している。・エゾヤマザクラ昭和5運営8年5月1日に小山町の
天然記念物に指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m、
目通り1.75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.
5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型で、遠誇
186: 2018/07/15(日) 01:05:51.32 ID:GhksThS4(91/231)調 AAS
県が南限である。県内ではま運営れな樹種である。・根上がりモミ
平成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30
0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。この
根上り群は約150年生のモミの根本にブナ、イヌシデの種子が生
え、宝永噴火の火山運営灰土が、降雨により流亡しながらモミが成
長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりになったと考
えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成18年8序覚
187: 2018/07/15(日) 01:07:07.70 ID:GhksThS4(92/231)調 AAS
在もアフィと密運営接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的
背景と相俟って、アフィ信仰を語る上で欠かすことのできない資産
である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠
点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居
河口浅運営間神社創建は、平安時代の865年に遡る可能性がある
。建立目的はアフィの噴火を鎮めるためであり、当時のアフィ及び
噴火ということに対する当時の考え方を理解することができる。鳥
居は1697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記されエムソ
゙ネた「三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされる。写真社
殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点
在している平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田
口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富運営士山中
に祀られた最初の神社であるとする文献もある。二合目本宮(もと
みや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現在
の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広
い境内に敷地内に移設されている。修行や登拝運営といった様々な
富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土
神としての里宮が一体となって機能してきた。顕著な普遍的価値を
構成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿などがある
。・吉田口二合目吉田口登山道二合目運営に御室浅間名字(本宮)
が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳
らかでないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をしつらえたの
が最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、平安末期には浅
間神の信仰に修験道が習合し運営て、アフィが霊験所の一として広
く知られていた。冨士修験の信仰拠点は南口の村山であるが、北口
の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点として行者堂が設置されて
いた。・本殿本殿は、1612年に当時の甲斐国都留郡領主であっ
た鳥居土佐守成次に運営よって桃山時代建築様式の神社建物に賞賀
188: 2018/07/15(日) 01:09:32.19 ID:GhksThS4(93/231)調 AAS
巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず
巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多く
の芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素エムソ
゙ネとして、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖の写真B11
忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍野八海は、富士
山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士
信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕著な普遍的価運営値を構
成する諸要素として、自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹
型図以下に示す要素が点在している平面図船津胎内樹型は、167
3年に富士講の指導者である村上光清により発見され、富士講の開
祖である長谷川角行が洞穴に祀った浅間明神が運営遷宮された溶岩
樹型である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意
義付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型
船津胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流
の西縁に所在する。本穴自体も大小様運営々な樹型が複雑に交叉し
て形作られている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のよう
に見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘
出したあとの胸控の如く見える。胎内の名称はこれに基づくもので
あり、極めて貴重な形態と言運営える。・無戸室浅間神社・石造物
群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見さ
れ、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神誕生
の地ともいわれ、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出
産したという故事に運営倣い社号を無戸室浅間神社と名付けた。−
60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在している平面図
吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整備された「お胎
内」(溶岩樹型)である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には
、宗教的な運営意義付けがされている地形空間(溶岩樹型)などが
ある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出汰銅
189: 2018/07/15(日) 01:11:22.82 ID:GhksThS4(94/231)調 AAS
一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。建立目的
によっ運営て大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・
供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈
願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念
碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多いエムソ
゙ネ。−61−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や
浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸び
ている。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つの
建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側に運営規模の
大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なもの
の方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積みが施
されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場
から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約運営34m続いてい
る。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の石段が構築さ
れている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石
垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有し
ていたと考えられる。・炭焼窯跡指定運営地の北側を通る林道に沿
って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている。昭和初期まで使用され
ていたものであるが、富士講に関わる遺構は検出されていない。・
井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶岩角礫や土砂によって埋
没し、涸れ井戸となっている運営。B15白糸ノ滝図以下に示す要
素が点在している平面図・古富士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩
れた土砂が堆積した地層であり、古富士火山の一部を形成するもの
である。この地層は、塊状礫岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互
層しているものであ運営る。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土
台となっている溶岩流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キ
ロメートル程度にある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考
えられており、白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶塞郵
190: 2018/07/15(日) 01:11:56.98 ID:GhksThS4(95/231)調 AAS
層の境目に運営はマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー
)が発達している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった
際の収縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する
。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰り
返運営していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の平
均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この多量
の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物を幸湧
191: 2018/07/15(日) 01:13:08.86 ID:GhksThS4(96/231)調 AAS
゙ネノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆盛した富士講の祖長谷川
角行にまつわる伝承がある。角行は白糸の滝で垢離をとり修行を行
ったとされ、富士講の信者の中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の
滝で修行を行う者がいたことが知られている。幕末の資運営料には
、白糸の滝で垢離をとり修行を行った富士講の信者の記録がある。
指定地内には富士講の信者が建てた石碑があり、「仙元大神」と記
されたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記されたもの(白糸の
滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白運営糸の滝の、数多
の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写
真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある
。写真景勝の写真・アフィの展望指定地では、白糸の滝と音止の滝
の勝景とともに、見事なアフィが望ま運営れる。写真展望の写真・
富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼
朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の
名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄弟の仇討ち伝承に由来するも
ので、兄弟が仇討ちの相−6運営3−談をしている間は水音を止め
たことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻狩の
折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。・歌碑
「白糸ノ滝」の勝景は古くから詩歌に詠まれてきており、白糸の滝
滝つぼ右岸には白糸運営の滝の勝景を詠んだ歌碑がある。・標識名
勝及び天然記念物であることを明示する標識がある。B眺望C三保
松原図以下に示す要素が点在している平面図三保松原は、静岡市清
水区南東部に位置する三保半島にあり、半島の東岸真崎から海岸線
に沿い、南運営北に約4キロメートルに及ぶ松林と内陸部に散在す
る松林が主体をなしている。真崎から海岸線に沿う松林は、国有地
又は市有地が大半を占めているが、内陸部の松林と松林の景観を維
持している背後地については、ほとんどが民有地となっている。松
林運営には、300年を経た老木から幼令木が約54,000患琴
192: 2018/07/15(日) 01:13:43.73 ID:GhksThS4(97/231)調 AAS
幅広く分布している。図三保松原の地区区分図表地区区分詳細表地
区境界@特別規制A地区真崎灯台の内海側の第2種規制地区との境
界は、隣接する特別規制B地区と第2種規制地区との境界(運営松
が途切れる所)の延長線上とする。A特別規制B地区特別規制A地
区との境界は防潮堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣
参道は道路外側、それ以外は平成元年4月1日現在において松原を
形成している地区、ただし、真崎先端の境界は真崎運営灯台と建設
省財産、運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。B第1種
規制地区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は
、都市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制地区との境界、
字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第運営2種規制地区との境
界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接する
道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規制地区
との境界は、羽衣参道中心より25mの位置とする。C第2種規制
地区真崎付近第3種規制地区との運営境界は、市道本村海岸58号
線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境界は、@ABを
参照。D第3種規制地区各地区との境界はABCを参照。(2)顕
著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形
構成資産の土地には、山運営並み、湧水やアフィ及び側火山の噴火
等の火山活動によって形成された溶岩樹型などの自然地形が見られ
、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものもあ
る。アアフィ山体及び登山道Aアフィ−64−・テフラ噴火の際、
山頂火口から粘運営性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し
多量に噴出したため、山頂付近はテフラに覆われている。・大沢崩
れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食谷の中で最も大きなもので、
アフィ西斜面の山梨県との県境に位置する。山頂直下から標高2,
200運営m付近まで延長2.1q、最大幅約500m、最大深さ
約150mに渡る。崩壊は現在も進行中で年平均約15万〜の輝稲
193: 2018/07/15(日) 01:14:18.21 ID:GhksThS4(98/231)調 AAS
・土砂を流出し、大沢川流域に扇状地を形成している。写真大沢崩
れの写真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山エムソ
゙ネ口登山道・日沢(浸食谷)日沢はアフィの浸食谷の1つで、村山
口登山道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは
、中宮八幡堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物跡
と7号建物跡の間(標高2,015m付近)で交差する運営。2,
015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋のような垣鎖
194: 2018/07/15(日) 01:14:51.82 ID:GhksThS4(99/231)調 AAS
になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸から右
岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んだ自然地形
をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩運営を繰り返し多量
に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走口登山道起伏に
富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰
り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A5吉田口登
山道二合目から三合目にかけて見られ運営る古富士火山からの泥流
堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶岩の滑床及び縄状溶岩など
様々な地質・地形が火山活動により形成されている。A6北口本宮
冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖地質学的にみると湖の
北側、西側、南側は御坂基盤運営層により構成されているが、東側
新富士火山の旧期の溶岩、さらにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が
分布している。この溶岩流については水中に流入して形成された水
底溶岩の可能性も指摘されている。(久野久(1968)水中自破
砕溶岩)また本栖湖運営畔のボーリング調査において43mより上
位は新富士火山の特徴が示され、それより深いところは古富士火山
の特徴を示している。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩
主体のアフィ起源の火山活動が確認−65−されている。イ信仰B
1アフィ本運営宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言わ
れる。参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(1
670)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでい
る。写真鏡池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘陵や河
川運営などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素
となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資産の土
地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる
重要な要素となって存在しているものがある。B4須山浅間運営神
社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資
産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある。悟希
195: 2018/07/15(日) 01:15:26.33 ID:GhksThS4(100/231)調 AAS
須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地の池で汲み上げた水
が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで流れている。運営B6河口浅
間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅中門をくぐると川(水路
)が流れており、かつては当家に宿泊する富士講の禊ぎの場となっ
ていた。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹
型・構成岩石質、地質学的形状(平面的、運営立体的)等B13吉
田胎内樹型溶岩流の流出時の表面の状態がほぼ保たれている。地域
を覆う玄武岩溶岩流をはじめ、スコリアなどの火山活動に伴う噴出
物が顕著に見られる。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)−6
6−構成資産の土地には丘陵や河運営川などの自然地形が見られ、
構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある
。B15白糸の滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が
見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているも
のがある。ウ眺望C三保運営松原なしA森林、植栽樹木構成資産の
土地には、アフィの景観を構成している天然林、アフィ原始林及び
青木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢
林・境内林などが存在している。アアフィ山体及び登山道Aアフィ
標高3,300運営m付近より上方の地域にコケ類・地衣類が生育
している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・草山部
分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり、植物の
垂直分布では、丘陵帯から山地帯にあたる。戦後、スギ・ヒノキ・
モミな運営どの植林が行われ、道沿いはほとんどが人工林であるが
、天照教社からアフィ麓山の村を経て中宮八幡堂跡に至る道沿いに
は、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹の自然林が残ってい
る。林の下にはササ(スズタケ)が視界を遮るほど生い茂っていエムソ
゙ネる。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付近から新5合目の森林限界
(2,400m付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯
から亜高山帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエデな柵変
196: 2018/07/15(日) 01:16:05.96 ID:GhksThS4(101/231)調 AAS
広葉樹からウラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わ運営り、標
高1,600m付近で落葉樹とササがなくなる。・焼山部分の植物
森林限界である標高2,400m付近から上で、植物の垂直分布で
は高山帯にあたる。この付近の植物は7月下旬から9月上旬にかけ
ていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサ運営キモメンヅル、
ミヤマオトコヨモギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分
の植物植物の垂直分布では、須山御胎内(標高1,440m付近)
付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類)にあたり、林床に
はササ類が密生している。幕岩上部(運営標高1,680m付近)
付近は、針葉樹のシラビソ・−67−オオシラビソ・コメツガなど
が多くなるが、森林限界(標高1,700〜1,750m)に近く
なるにつれて樹高が低くまばらになる。宝永噴火の際に噴出したス
コリアが厚く堆積しているた運営め、須山口登山道付近の森林限界
は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口登山道
2合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物の垂直分
布で高山帯にあたる。オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジア
ザミなどが、まばら運営に分布する。A4須走口登山道・木山部分
の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目(標高2,000
m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オオシラビソ・コメツ
ガなどが分布する。須走口登山道の森林限界は約2,700mで、
他の登山道運営よりも高い。・焼山部分の植物森林限界を過ぎると
高山帯となり、オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジアザミな
どが、まばらに分布する。A5吉田口登山道標高1600m付近よ
り下方の区域は、山地帯に属する。自然林はごく少なく、ほとんど
が運営アカマツ・カラマツなどの植林地である。わずかに残る自然
林では、ミズナラ・ウラジロモミや自生のアカマツ等が生えている
。天然記念物「躑躅原のレンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在
するのもこの地域である。標高1600mから2500m付運勅停
197: 2018/07/15(日) 01:16:41.75 ID:GhksThS4(102/231)調 AAS
までの区域が亜高山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソ
の森林を形成している。火山礫の露出した日当たりの良いところに
は、ダケカンバが生えている。・焼山部分の植物標高2500m付
近から上の区域は高山帯に当たり、森林は形成され運営ない。植物
はほとんどみられない地域であることから、かつては「焼山」と呼
ばれた。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術
的価値が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育し、乾燥に券鼻
198: 2018/07/15(日) 01:17:17.46 ID:GhksThS4(103/231)調 AAS
ミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソウ・運営フジアザミ・ムラサ
キモメンズルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖
A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ特徴が挙
げられる。イ信仰B1アフィ本宮浅間大社構成資産の土地には、丘
陵を構成する社叢林・境内林など運営のほか、敷地内において植栽
された樹木等が存在している。−68−B2山宮浅間神社構成資産
の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内に
おいて植栽された樹木等が存在している。B3村山浅間神社構成資
産の土地には、丘陵を構運営成する社叢林・境内林などのほか、敷
地内において植栽された樹木等が存在している。B4須山浅間神社
構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、
敷地内において植栽された樹木等が存在している。B5須走浅間神
社構成資産の土運営地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などの
ほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。B6河口
浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口
湖B11忍野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人
穴富士運営講遺跡(人穴浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構
成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木
等が存在している。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の
自然林や植栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植エムソ
゙ネ栽及び自然植生している。B保存管理又は公開活用を目的とした
建造物構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示
施設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在して
いる。アアフィ山体及び登山道Aアフィ−69−アフィ運営におけ
る標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識
等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡アフィにおける標識
類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整
備が進められている。A2大宮・村山口登山道運営アフィにお軟官
199: 2018/07/15(日) 01:17:51.88 ID:GhksThS4(104/231)調 AAS
標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等
の整備が進められている。A3須山口登山道なしA4須走口登山道
アフィにおける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一さ
れた案内標識等の整備が進められてい運営る。A5吉田口登山道富
士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一され
た案内標識等の整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神社
A7西湖A8精進湖A9本栖湖・2006年3月22日より、自然
環境や適切な利用環境の保全運営を図るため、本栖湖水面は動力船
の乗り入れ禁止区域に指定された。こうした規制内容を説明するた
めの説明板や水上バイク等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地
区などに設置されている。・中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札
(現千円札)の裏面運営に使用されているアフィと本栖湖のイラス
トのモデルとなった岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号
線沿いの中之倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然公
園法の第2種特別地域として、観光施設等も景観に配慮されている
。イ信仰B運営1アフィ本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)神立山
の北側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に
源を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮
市中心部を灌漑する用水路である。開削時期は不明であるが水田開
発運営を目的として開削されたと考えられ、開発が進むにつれ生活
用水や防火用水として使われるようになった。現在は水質悪化によ
り生活用水としては利用されなくなっている。・社務所−70−楼
門から続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社の社務を取り運営扱
う社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続く西廻廊の西側に
、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建てられている。・浅間
大社参集所現在の参集所は昭和53年(1978)に建てられたも
ので、直会や各種会合に利用されている。・神田川運営ふれあい広
場施設昭和39年に富士宮市が浅間大社境内地の一部を児童公頒司
200: 2018/07/15(日) 01:18:26.27 ID:GhksThS4(105/231)調 AAS
して整備され、さらに平成6年から7年にかけて親水広場を備えた
「神田川ふれあい広場」として再整備された。現在は、同時期に改
修された神田川護岸も含め、中心市街地の運営親水空間として市民
の憩いの場となっている。広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ
、時計、水飲み場等の施設・設備が設置されている。・御手洗橋神
田川ふれあい広場の南東側には、長さ7.3m、幅11.5mの御
手洗橋が架けられている。『大宮運営町誌』には、明治26年(1
893)に架けられたとの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に
、弓道場が整備されている。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮市
消防団第1方面隊第3分団の詰所が、神立山南西の端に建てられて
いる。・案内板・説明板運営本殿や湧玉池などが、文化財に指定さ
れていることを案内・説明する高札が建てられている。・古神札納
所拝殿東側に、古い神札を納めるための屋根付きの箱が置かれてい
る。・大金剛杖古神札納所西側に、大金剛杖が置かれている。開山
祭に使用されて運営いた。・藤棚水屋神社の南側に、藤棚が設けら
れている。・駐車場指定地の南西部分には、自動発券機(料金収受
機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮浅間神社・
案内板・説明板籠屋の南側に、案内板等が建てられている。山宮浅
間神社運営の由緒を記したもの、山宮浅間神社の概要と、市指定文
化財であることを記したもの、山宮浅間神社の概要と、富士宮市「
歩く博物館」のコースであることを示すものの3本である。・手す
り籠屋から遥拝所へ向かう石段の脇に、手すりが設置されているエムソ
゙ネ。・鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参道と石段の両脇に、祭祀で利
用する鉄柱が設置されている。・トイレ籠屋西側に、水洗トイレが
設置されている。・水道籠屋南側に、コンクリート製の水道施設が
設置されている。−71−・水飲み場水道施設の南側に運営、コン
クリート製の水飲み場が設置されている。・ベンチ休憩用のベンチ
が設置されている。・鳥居駐車場横の参道に、コンクリート製屯息
201: 2018/07/15(日) 01:19:00.99 ID:GhksThS4(106/231)調 AAS
居が建てられている。・燈篭コンクリート製の鳥居から籠屋へ至る
参道の両側に氏子等が奉納した燈篭が並んで設運営置されている。
また、籠屋北側鉾立石の左右にも1基ずつ設置されている。・駐車
場乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を横
切る道沿いに設けられている。・石碑山宮浅間神社の由緒を記した
石碑が、駐車場の北側に設置されてい運営る。・石造物参道沿いに
は、道祖神、青面金剛、観音等の石造物が置かれている。B3度孫
202: 2018/07/15(日) 01:19:36.63 ID:GhksThS4(107/231)調 AAS
浅間神社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物殿
社殿の南西側に、宝物殿が建てられている。・村山公会堂社務所の
西側には、元村山地区の住民運営が、会合等で利用する公会堂が建
てられている。・トイレ社務所北側に、トイレが設置されている。
・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ製の手すりが設置
されている。・御神木柵県指定天然記念物のイチョウの周囲には、
樹木保護のための柵運営が設置されている。・御神木指定証県天然
記念物に指定されているイチョウと大スギが、御神木に指定された
旨を示す札が、イチョウ周囲の柵と大スギの幹に掲げられている。
・石柱村山浅間神社が、大正14年(1925)に縣社に昇格した
ことを示す運営石柱が、参道入口左側に設置されている。また、昭
和62年(1987)に寄贈された「富士根本宮村山浅間神社」と
刻まれた石柱が、参道入口右側に設置されている。・児童公園六道
坂入り口付近に、すべり台等の遊具を備え、またプールを併設した
児運営童公園が整備されている。・駐車場境内地西端に、参詣者用
の駐車場が整備されている。−72−・村山水道完成記念碑社務所
裏側に、村山水道の完成を記念する碑が建てられている。昭和33
年に建立された。・説明板(アフィ表口真面之図)麓の吉原運営か
ら山頂へ至る登山道と、途中のポイントとなる地名、集落を繋ぐ道
等を示した地図が、村山公会堂の北側に設置されている。B4須山
浅間神社・御胎内説明板須山口御胎内の由緒等についての説明版が
、アフィ須山口登山道保存会により、鳥居脇に設置運営されている
。・洞窟内説明板「須山胎内」と書かれた金属板が、洞穴内部壁面
に設置されている。・梯子須山御胎内の北西側入口に、ジュラルミ
ン製の梯子が架けられている。・ベンチ・テーブル須山御胎内から
登山道を80mほど進んだ場所に、木製の運営ベンチ2脚とテーブ
ル1台が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入口に、木
製の蝋燭台が設けられている。・標識須山御胎内から幕岩まで去差
203: 2018/07/15(日) 01:21:18.80 ID:GhksThS4(108/231)調 AAS
梨県・富士吉田市教育委員会により設運営置されている。B14人
穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・説明板、案内板洞穴の入口に、人
穴の由緒や市指定文化財であることを記した説明板、碑塔群や洞穴
内の危険に対して注意を促す旨の案内板が4本建てられている。B
15白糸ノ滝なしウ眺望C三運営保松原なしC道路とその他人工物
構成資産の土地には、日常生活を営む地域住民が使用する生活道路
や、富士スバルラインやアフィスカイラインなどの観光道路をはじ
めてとして、電柱、看板、誘導標識などをはじめとする各種の建築
物及び工作物が存在運営している−74−アアフィ山体及び登山道
Aアフィ・救急搬送・荷物搬送区域救急用・緊急避難道としての役
割を持つ道路等の施設である。搬送には、ブルドーザーが使われる
。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意表示板が設置されている
。A1山頂運営信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道6合目以上で
は、登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設
置されている。A3須山口登山道須山御胎内から幕岩までの登山道
脇に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置されている。
木運営製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より上部につ
いては、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道案内標識が
設置されている。この標識はアフィにおける標識類総合ガイドライ
ンに沿ったデザインで統一されている。A4須走口登山道登運営山
者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設置されて
いる。須走口登山道は、茶色地に赤色の帯が入り、白い文字で統一
された登山道案内標識が設置されている。この標識はアフィにおけ
る標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一運営されている
。吉田口登山道が合流する八合目より上部は、さらに黄色の帯が加
わる。A5吉田口登山道アフィにおける標識類総合ガイドラインに
沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められている。
A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精運営進湖A9本栖湖恒冒
204: 2018/07/15(日) 01:22:15.30 ID:GhksThS4(109/231)調 AAS
側に位置する水力発電用取水口は、(株)日本軽金属蒲原製造所の
工場群に電力を供給する自家用水力発電所の一つ、本栖発電所のも
のである。イ信仰B1アフィ本宮浅間大社指定地の南西部分には、
自動発券機(料金収受機)を設置運営した第1駐車場が整備されて
いる。B2山宮浅間神社乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道
から入って境内地を横切る道沿いに設けられている。−75−B3
村山浅間神社境内地西端に、参詣者用の駐車場が整備されてい単激
205: 2018/07/15(日) 01:22:51.39 ID:GhksThS4(110/231)調 AAS
B4須山浅間神社裾野市運営と須山振興会によって、須山口からの
登山道の案内図が設置されている。B5須走浅間神社社務所東側に
は、参拝者用の駐車場乗用車6台分が設けられている。B6河口浅
間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅国道139号に面した敷
地入口には、御運営師住宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容
を示す解説板が設置されている。B9山中湖B10河口湖B11忍
野八海B12船津胎内樹型河口湖フィールドセンターの開設に伴い
整備されたトレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩道には石造
物の分運営布が確認でき、自然散策路としての要素以外に歴史散策
路的要素も兼ね備えている。B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登
山道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうものである。古く
から富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」には「胎内道」とエムソ
゙ネして記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)2
本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石垣の西側に位置する
。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有していたと考えられる
。B15白糸ノ滝市道・私道等の道路、階段、曽我橋、運営滝見橋
等がある。また、それらの付属施設がある。危険を伴う区域には、
護岸や落石防護ネットが整備され、また、立入禁止の札が立てられ
ている。県道沿い及び芝川本流左岸等には駐車場があり、管理小屋
等の付帯施設がある。また、県道沿いの駐車場運営には公衆トイレ
がある。ウ眺望C三保松原−76−なし(3)周辺環境を構成する
諸要素@自然的要素構成資産の周辺には、山並み、河川をはじめと
する各種自然地形が存在している。また、統一感のある山並み景観
を構成している天然林及び施業林から運営なる森林が存在している
。アアフィ山体及び登山道Aアフィ・宝永火口静岡県側からの富士
山の景観を特色付ける噴火口で山頂信仰遺跡の南東側にある。宝永
4年(1707)に発生したテフラの爆発的噴火により、白い灰の
デイサイト質軽石・黒曜石(運営烏石)・凝灰石など新第三紀畑攻
206: 2018/07/15(日) 01:23:26.86 ID:GhksThS4(111/231)調 AAS
盤岩類、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降らせた。記録に
よれば約100q離れた江戸にまで火山灰が到達したが、溶岩の流
下はなかった。活火山であり、今後も噴火活動の可能性がある。・
アフィ特定地理等保運営護林8合目から標高約2,400m付近に
かけて展開する約927haの保護林である。アフィの国有林にお
いては第3次国有林野施業実施計画、自然環境の維持、動植物の保
護が図られ、あわせて遺伝資源の保存を図ることを目的として設定
されている運営。アフィ独特の地形・地質を持つ区域の植生として
貴重な区域である。・富士箱根伊豆国立公園アフィ管理計画区自然
公園法の特別保護地区あたる概ね5合目以上の火山高原を主体とし
た山頂部までの区域である。アフィの火山景観の核心部を呈する区
域運営であり、アフィの秀麗な山容、植物の遷移過程等が保全の対
象となっている。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・
鳥類相アフィ域で観察された鳥類は約160種である。固有種は存
在しない。・陸生哺乳類アフィの山域には、6目14科35運営種
程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定さ
れているニホンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含
まれる。また、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく
、生息できる環境が限られ、生息数は少ない。A3運営須山口登山
道・幕岩登山道の東側50m、標高1,650m付近にあり、新富
士火山の中期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。岩
肌には樹木が生い茂り、崖の下には直径1〜2cmのスコリアが一
面に堆積している。その存在は宝永噴火前運営の古絵図にも記録さ
れている。古絵図には「まこ岩」「孫岩」の名で記述されることも
ある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、この地で修行した
という言い伝えが残っている−77−(日本霊異記)。登山道から
幕岩の直下に降りる道がある。・運営側火山登山道沿いには宝永山
(標高2,698m)、二ツ塚(標高1,926m、1,80錬死
207: 2018/07/15(日) 01:24:02.87 ID:GhksThS4(112/231)調 AAS
)、アザミ塚(1,626m)などの側火山が見られる。宝永4年
(1707)の宝永の噴火により須山口旧登山道は崩壊し、その後
、宝永山を東に迂回する運営形で復興した。・鳥類相アフィ域で観
察された鳥類は約160種である。固有種は存在しない。・陸生哺
乳類アフィの山域には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息す
る。その中には、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカ
や天然記念物に運営指定されているヤマネが含まれる。また、ツキ
ノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が
限られ、生息数は少ない。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴)
須走口登山道6合目の北側(標高2,630m付近)にある溶岩洞
穴。開運営口部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが、内部は
数名が立つことのできる空間が広がっている。・小富士標高1,9
59mの側火山で、須走口登山道5合目からほぼ北に600mほど
離れた場所にある。延暦19年(800)とそれに続く噴火によエムソ
゙ネり形成されたとされている。須走口5合目から高低差の少ない小
富士遊歩道が整備され、気軽に訪れることができる。周辺は針葉樹
林(シラビソ・コメツガ・トウヒ)に覆われているが、頂上部分は
スコリアに覆われて樹木がなく、山中湖・箱根など東の運営眺望が
楽しめる。小山町観光協会によるコンクリート製の標識と、大正1
3年(1924)に扶桑教によって建立された祠がある。祠内部に
仏像が三体あったというが、現在は残っていない。・鳥類相アフィ
域で観察された鳥類は約160種である。固有運営種は存在しない
。・陸生哺乳類アフィの山域には、6目14科35種程の陸生哺乳
類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されているニホ
ンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる。また
、ツキノワグマも生息するが、落葉広運営葉樹林が少なく、生息で
きる環境が限られ、生息数は少ない。A5吉田口登山道A6北口本
宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖北側・西側・南悔除
208: 2018/07/15(日) 01:24:46.17 ID:GhksThS4(113/231)調 AAS
山は御坂層基盤により構成されている。北側から西側にかけては、
標高1100m〜1300m運営前後の山が連なっている。また南
側には標高1485mの竜ヶ岳が位置している。イ信仰B1アフィ
本宮浅間大社・神田川−78−湧玉池の湧水を水源とする神田川が
、約1,000mを流れ潤井川に注いでいる。かつては禊所より下
流(下池)の部分も運営含めて御手洗川と呼ばれていた。現在、護
岸の一部は、神田川ふれあい広場から下りる親水護岸として整資詳
209: 2018/07/15(日) 01:25:47.08 ID:GhksThS4(114/231)調 AAS
では平場らしき地形を確認したが、平成5年当時の景観と著しく異
なっており、両運営者が同一のものか判断できない。写真建物跡の
写真図建物跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士公園線
が交差する地点から約60m南に下りた位置にある。周囲はなだら
かな傾斜の天然林で、地面は落葉に覆われている。むき出しになっ
た岩石運営には一面に苔がむしている。東西4m弱・南北6m弱の
方形の石列があり、その北東側に小さなくぼみを確認した。『富士
山村山口登山道遺跡調査報告書』は、このくぼみを便所跡としてい
る。写真建物跡の写真図建物跡の図面・4号建物跡アフィスカイエムソ
゙ネラインと村山登山道が交差する地点から北北東の方角に約600
mの位置にある。登山道の西側には日沢が南北に走っており、北側
と東側には斜面が迫る。周辺は天然林で、下草にスズタケが生い茂
っている。平場は東西約8m、南北は約6mで、南側の運営縁には
一部石組が確認された。南側中央部には石段が確認された。『富士
山村山口登山道遺跡調査報告書』はここを「矢立・新小屋」にあた
るとしているが、後世まで木の切り出しなどの休憩小屋として使わ
れていた可能性をも指摘している。・6号建物運営跡5号建物跡か
ら北北東に約450mの位置(標高約1,985m)にある。周囲
は西向きに傾斜するやや急な斜面である。登山道の西側は、日沢に
向けて急激に落ち込んでいる。登山道の東側には、東西約12m、
南北約10mの平場がある。平場の南運営縁には石組が見られ、登
山道を挟んで東西12mにわたって延びている。平場の北側の斜面
にも石組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者からの伝法
で村山三坊が毎年年番で行っていた札打ちや勤行等を行う富士峯修
行の修行所の1つであった。運営江戸時代の絵図には、高所にある
洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ−80−ることが多い。
洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長7年(1602
)に書かれた「アフィ持場之事」に記述があるが、宝永4年(春覧
210: 2018/07/15(日) 01:26:30.03 ID:GhksThS4(115/231)調 AAS
07)の宝永噴火で運営堂室が消失したと言われている。また、文
化13年(1816)〜天保5年(1834)に執筆された『修訂
駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家のような板葺きの建物があ
り、登山者の休憩所であったことが記されているが、嘉永7年(1
854)の運営「アフィ室小屋建立古帳面写」では「堂室無之」と
記載され、この時点では再び堂室が消失していると推測される。そ
の後、岩屋不動の所在は不明となっていたが、平成19年に候補地
たりうる洞穴の存在を確認した。不動沢を標高約1,820mの地
点運営まで登りつめ、地上から7mほどの高さの場所にある。洞穴
の内部は、高さ2m、幅6.4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴
内は人が立つことのできる程度の高さがあり、内壁は全体的に赤み
がかっている。中央部向かって右側から入口付近に向けて崩運営落
した大岩が多く転がり、入口は半ば塞がれたような状態である。最
奥の向かって左側については人工的に開削された可能性が残る。写
真岩屋不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしA4須走
口登山道・御室浅間神社跡ふじあざみライン沿いの運営標高1,8
30m付近にある。冨士浅間神社の末社で、かつては中宮小室社と
呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で女性が登山できる
のはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花開耶姫命である
。昭和54年に古御岳神社に合祀された。運営国土地理院の地形図
に記載があるものの、社殿は昭和50年代に倒壊し、廃屋となって
いる。鳥居、灯籠等、神社に関連する工作物はなく、かつては石仏
が多くあったが、現在は1体も残っていない。写真神社跡の写真・
大日堂(野中神社)冨士浅間神社運営の末社で、富士あざみライン
から南側の脇道を入った自衛隊東富士演習場内の標高1050m付
近にある。演習場内のため、許可なく立ち入ることはできない。明
治7年に野中神社と改名されたが、それ以前は大日堂と呼ばれ、水
源地に祀られていること運営から雨乞いの神として地元の信仰北飯
211: 2018/07/15(日) 01:27:04.78 ID:GhksThS4(116/231)調 AAS
めた。元禄3年(1690)の冨士浅間神社の古文書に記述が見ら
れ、成立年代は江戸時代前期まで遡る。宝永4年(1707)の噴
火によって被害を受けたが、宝暦14年(1764)に再建された
。祭神は大日要運営命(大日如来)で、建物は本殿・拝殿合わせて
間口二間、奥行き二間三尺、それに四間と二間の籠舎が付いていた
とされる。古絵図(小山町史)では、須走口登山道から脇道にそれ
た場所に描かれている。江戸時代には、大日堂に立ち寄ってか翻漏
212: 2018/07/15(日) 01:27:38.55 ID:GhksThS4(117/231)調 AAS
頂を目運営指したとされる。建物は現存しないが、二重の石組みに
囲まれた建物跡に一対の灯篭(江戸時代)と不動明王像が置かれ、
敷地脇には地蔵菩薩像と石碑がある。昭和58年(1979)に石
の祠が建てられ、毎年9月に祭礼が行われている。写真神社跡のエムソ
゙ネ写真・下山道(砂走り)登山道の南側に、下山道(砂走り)があ
る。須走口では江戸時代から登山道と下山道が別々に存在していた
。下山道は標高約2,900mの7合目付近で登山道と分岐し、登
山道南側の砂礫地を直線的に降りる。御殿場口(須山口運営)の「
大砂走り」と区別して、「砂走り」と呼ばれる。−81−A5吉田
口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とする登山道で、本8合目で
須走口登山道に合流する。合流地点は古くから「大行合」と呼ばれ
た。ここから上は頂上奥宮の神域で、小屋を建運営てることが許さ
れなかったことから、登山道最後の小屋場として多くの小屋が建て
られていた。写真小屋の写真A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A
8精進湖A9本栖湖・中道往還と関連遺跡中道往還は甲斐と駿河と
の交通路のうち、若彦路と河内路の中運営間に発達したので「中道
」と呼ばた。甲府市から国道358号線を経て精進湖赤池交差点よ
り国道139号に入り、静岡県の富士宮市・富士市に至る道である
。こうした交通の要地であることから本栖湖周辺には中道往還に関
連する遺跡が複数確認できる運営。イ信仰B1アフィ本宮浅間大社
・浅間大社遺跡(埋蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m
・東西200mの範囲は、縄文時代から近世にかけての複合遺跡と
して埋蔵文化財包蔵地となっており、遺構や遺物等が発見されてい
る。写真出土遺物の運営写真・大宮城跡浅間神社大宮司の居館とし
ての大宮城が、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位置していた
。・神田宮第2駐車場から100mほど南にある水田を備えた神社
である。五穀豊穣を祈願して米を作り奉納する「御田植祭」が毎年
7月7日に運営行われる。・大鳥居昭和30年(1955)に股各
213: 2018/07/15(日) 01:28:14.68 ID:GhksThS4(118/231)調 AAS
された大鳥居が、第2駐車場に設置されている。・大灯籠昭和35
年(1960)に奉納された大灯籠2基が、第2駐車場南側入口に
設置されている。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4
須運営山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走護国神社−82−西
南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区の戦没者24名が祀
られている。・鎌倉往還指定地南側には、相模から駿河、甲斐への
連絡路であった鎌倉往還が通っていた。中世の幕府所在地鎌運営倉
から放射状に存在した複数のルートの一つで、当時の御家人らが鎌
倉と自領との往還に利用した道である。また、生活必需品を運ぶ商
人や各国々に旅する人も多く、須走地区が、古くから富士北麓地域
と静岡県駿東部を結ぶ交通の要衝として利用されて運営いたことが
わかる。写真鎌倉往還の写真B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神
社B8御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12
船津胎内樹型・社寺等溶岩洞穴等については、洞穴本体あるいは富
士山の関連として信仰の対象と位置づけら運営れたものが多く見ら
れ、周辺には社寺等の宗教的施設がみられ、船津胎内樹型に伴う無
戸室浅間神社などの設置形態は、洞穴と一体になって信仰が行われ
ている事例である。・信仰的意味を付された地形・空間B13吉田
胎内樹型・参詣道吉田口登山道の運営「中ノ茶屋」から、吉田胎内
本穴に向かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「
甲斐国誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士
講遺跡(人穴浅間神社)・中道往還かつて甲斐と駿河を結んだ街道
のひとつである。富士講運営信者は、富士参詣に合わせて人穴参拝
をする習慣があり、アフィ北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道として中
道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地から南
へ下ったところに、人穴で修行する行者の食事や宿泊の世話、洞穴
や周辺の碑塔の運営建立や管理等を代々行ってきた赤池家の跡地が
ある。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建てられてい乱夕
214: 2018/07/15(日) 01:28:48.06 ID:GhksThS4(119/231)調 AAS
額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参道は、県道清水富
士宮線から石鳥居をくぐって進み、浄土門と刻まれた石碑を右折し
て、境運営内地内の参道へ続いている。石碑から階段までの参道は
かつての中道往還と重複する。−83−B15白糸ノ滝なしウ眺望
C三保松原なしB人文的要素アフィ山体においては、登山道沿いに
登下山者の緊急避難や遭難者の救助、応急処置の機能を兼ね備えエムソ
゙ネた山小屋が立地している。アフィ麓における構成資産の周辺につ
いては、山林、農耕地のほか市街地となっており、日常生活に関連
する各種施設等をはじめとして、道路、橋、線路、電柱、看板等の
各種人工物が存在している。また、構成資産の公開活用運営を目的
した資料館等の施設が存在している。アアフィ山体及び登山道A富
士山なしA1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動
山小屋とその関連施設標高の低い地点から順に、表富士宮5合目、
雲海荘(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来運営光山荘(新7合
目)、山口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(
9合目)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオト
イレ、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置されている。・緊急
・救急施設アフィは、高山であり気候運営も急変することから、登
山客の安全確保を目的として、アフィ登山指導センター(山頂、富
士宮口登山道新5合目)とアフィ衛生センター(富士宮口登山道8
合目)が設けられている。写真救急施設の写真・救急搬送・荷物搬
送区域登山道にほぼ並行して運営、救急用・緊急用避難道としての
役割を持つ道路等の施設が設けられている。搬送にはブルドーザー
が使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等が設置
されている。・県道180号線富士宮富士公園線浅間大社前交差点
を起点とする「県道運営180号富士宮富士公園線」が、村山口登
山道跡と2箇所で交差している。交差する地点は、西臼塚駐車場か
ら山頂方面へ約1.5q進んだ地点と、高鉢山駐車場から約7店区
215: 2018/07/15(日) 01:29:23.79 ID:GhksThS4(120/231)調 AAS
m下った地点であるが、道路沿いには特別な表示等はない。また、
この道路は運営アフィスカイライン、富士宮口登山道を経て6合目
から旧村山口登山道と合流し、アフィ山頂まで続いている。・宝永
遊歩道富士宮口新5合目駐車場の東端から宝永第二火口の西縁まで
ほぼ等高線に沿って東西に通じる遊歩道で、旧村山口登山道と11
号運営建物付近で交差する。写真遊歩道の写真−84−・駐車場・
附属施設450台収容の駐車場が5合目に設置されている。付冗股
216: 2018/07/15(日) 01:30:02.14 ID:GhksThS4(121/231)調 AAS
設として、レストハウス、宿舎、トイレ、バス乗車券販売所、登山
シーズンの夏季のみ在番の交番がある。工作物としての広告運営物
、広告旗、バス停留所などがある。・林道アフィ麓には多くの林道
があり、そのうち、大渕林道・吉原林道が、旧村山口登山道と交差
する。A3須山口登山道・山小屋登山道沿いに、山小屋が建てられ
ている。標高の高い地点から順に、赤岩八合館(7運営合9勺)、
砂走館(7合5勺)、わらじ館(7合4勺)、日ノ出館(7合目)
、(※休館:見晴館(8合目)6合目小屋)がある。山小屋周辺に
はトイレ、自動販売機、ベンチ、椅子等が設置されている。・避難
小屋登山道沿いの2箇所(7合8勺、2合運営8勺)に、気象庁の
避難小屋が建てられている。アフィ頂測候所に勤務する職員用の施
設であったが、測候所廃止に伴い現在は使用されていない。・救急
搬送・荷物搬送区域登山道の南西側に、救急用・緊急用避難道とし
ての役割を持つ道路等の施設が設運営けられている。搬送にはブル
ドーザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意看板
等が設置されている。・下山道(大砂走)登山道の南西側に、下山
道(大砂走り)がある。標高約3,000mの日の出館(7合目)
付近で登山道と分岐する運営。宝永山脇のスコリアで覆われた斜面
を一気に下り、御殿場口新5合目(標高1,450m付近)に至る
。写真下山道の写真・御殿場口登山道明治5年(1872)に女性
の富士登山が許可された後、手軽に登れる登山道をめざし、御殿場
在住の伴野佐吉運営らが中心となって明治16年(1883)に完
成した。同地の浅間神社から滝ヶ原、馬返、太郎坊を経て、須山口
登山道2合8勺に接続する経路であった。明治22年、東海道線(
現JR御殿場線)が開通し御殿場駅が設置されたことにより、登山
道が富運営士山東表口新道本社浅間神社を通る現在の経路に変更さ
れた。御殿場口登山道は須山口よりも距離が短い上に道も良く、関
東方面からの登山客の多くが同登山道を利用し、須山口登山道炭臨
217: 2018/07/15(日) 01:30:37.65 ID:GhksThS4(122/231)調 AAS
の契機となった。現在は、須山口登山道と接続する2合8勺からエムソ
゙ネ頂上までの部分も、御殿場口登山道と呼ばれている。写真御殿場
口登山道の写真・須山口登山歩道須山浅間神社を起点とし、弁当場
、水ヶ塚水源地、水ヶ塚駐車場、御殿庭を通り、宝永火口の西側火
口壁を抜けて富士宮口登山道六合目に通じる登山道であ運営る。平
成9年にアフィ須山口登山歩道保存会が中心となって復興した。道
筋の一部は裾野市と御殿場市の市境に沿っている。宝永噴火後から
明治時代までの須山口登山道とはルートが異なるため、区別する意
味で須山口登山歩道と呼ばれる。・須山口下山運営歩道須山口2合
8勺から二ツ塚の西側を下り、四辻分岐、幕岩上部、須山御胎内上
部を通り、水ヶ塚駐車場に至る道で、平成11年にアフィ須山口登
山歩道保存会が中心となって復興した。道筋の一部(幕岩上部〜須
山御胎内上部)は宝永噴火後〜明治時運営代の須山口登山道と一致
する。−85−写真須山口登山歩道の写真A4須走口登山道・山小
屋とその関連施設登山道沿いに、山小屋が建てられている。上から
順に、御来光館(8合5勺)、胸突江戸屋(本8合目)、江戸屋(
8合目)、見晴館(本7合目運営)、大陽館(7合目)、瀬戸館(
本6合目)、長田山荘(6合目)、東アフィ荘(5合目)、菊屋(
5合目)、吉野屋(砂払い5合目)がある。山小屋周辺にはトイレ
、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置されている。山小屋周辺
にはバイオトイレ、運営自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置さ
れている。・避難小屋下山道からブルドーザー道に入った2,12
0m付近に地元山岳会による避難小屋が設けられている。・救急搬
送・荷物搬送区域登山道とほぼ並行して、救急用・緊急用避難道と
しての役割運営を持つ道路等の施設が設けられている。昭和40年
(1965)の開通で、搬送にはブルドーザーが使われる。歩道と
の交差部には、進入禁止柵・注意看板等が設置されている。須走口
登山道は、特に吉田口登山道と合流する8合目から上部の混雑対脳
218: 2018/07/15(日) 01:31:13.59 ID:GhksThS4(123/231)調 AAS
し運営いため、頂上部から8合目までのブルドーザー道が下山道と
して利用されている。写真ブルドーザー道の写真・駐車場・附属施
設200台収容の駐車場が5合目に設けられている。付属施設とし
て、登山シーズンの夏季のみ在番の交番と観光案内所、小山運営町
により設置・管理されている公衆トイレがある。写真駐車場(交番
・観光案内所)の写真A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神社
A7西湖A8精進湖A9本栖湖・建築物及び工作物本栖地区集落の
人口は156人(2008年4月1日現在)国道1運営39号線と
300号線が分岐する本栖交差点周辺を中心に集落が形成されてい
る。その他湖畔にキャンプ場などの観光施設及び管理施設が存在す
る。自然公園法第2種特別地域に指定されていることから、建築物
等の高さ規制を受けているので、景観上良運営好な状況が保たれて
いる。湖南東側にある本栖青少年スポーツセンターやキャンプ場な
どの管理施設等も同様である。その他の工作物として、電柱やアン
テナなどが存在する。イ信仰B1アフィ本宮浅間大社・駐車場神田
川ふれあい広場の南側には第2駐運営車場が整備されている。南北
に仕切られ、北側が普通車用、南側がバス専用となっている。トイ
レも併設されている。・宮町交番−86−第2駐車場バス専用入口
の東側に宮町交番が建てられている。・売店協同組合アフィ特産品
振興会」が、第2駐車場運営内に、富士宮の特産品を取り扱う販売
所「ここずらよ」を設置し営業している。・アフィせせらぎ広場第
2駐車場から200mほど南にアフィせせらぎ広場がある。入口に
は大鳥居が建てられており、神田川に沿って散策できる遊歩道をは
じめ、トイレ、運営無料駐車場などの施設が整備されている。写真
広場の写真・道路神田川東側には、浅間大社前交差点を起点とし神
田川に沿って北へ向かう県道180号富士宮富士公園線が通ってい
る。この道路はアフィスカイライン、富士宮口登山道を経てアフィ
山頂ま運営で続いている。また、湧玉橋から約130m北上す因科
219: 2018/07/15(日) 01:31:49.48 ID:GhksThS4(124/231)調 AAS
間が、山宮御神幸の経路である「御神幸道」と重複している。第2
駐車場南側には、県道76号富士富士宮由比線が東西に伸びている
。この道路はかつて「甲州街道(中道往還)」と呼ばれ、駿河とエムソ
゙ネ甲斐を結ぶ主要街道であった。B2山宮浅間神社・御神幸道御神
幸道は、祭儀「山宮御神幸」で浅間大社と山宮浅間神社を往来した
道である。石鳥居から南方向へと伸びていたが、区画整理や道の付
け替えのため当時の道はところどころ途絶え、正確にた運営ど質越
220: 2018/07/15(日) 01:32:23.95 ID:GhksThS4(125/231)調 AAS
はできない。・御神幸道標石御神幸道沿いに、一丁(約109m)
毎に標石が建てられていた。現在ではそのほとんどが失われたが、
山宮浅間神社周辺には四十七丁目石、四十九丁目石が残っている。
写真道標石の写真・東山宮二区区民館山宮二区運営の住民が、会合
等で利用する区民館が建てられている。・県道180号富士宮富士
公園線山宮浅間神社東南側には、浅間大社前交差点を起点とし、富
士山山頂が終点の「県道180号富士宮富士公園線」が通っている
。B3村山浅間神社・宿坊跡(大鏡坊運営、池西坊、辻之坊)江戸
時代には、村山三坊のうち「辻之坊」は東屋敷跡が現在の児童公園
付近に、西屋敷跡が北西に300m離れた酪農用牛舎付近に、「大
鏡坊」は辻之坊東屋敷のさらに西側に、「池西坊」は現在の児童公
園の南側にあったとされる。運営児童公園から西へ道沿いに宿坊跡
のものとされる石垣が残り、大鏡坊の入口跡と考えられる痕跡を見
ることができる。写真宿坊跡の写真・見付跡(東見付、西見付)集
落の出入り口となる東西のはずれに「東見付」「西見付」と呼ばれ
る、村山に入る不審運営者を取り締まる関所があった。−87−西
見付跡は村山浅間神社門前から西へ約550m、東見付跡は神社門
前より南に約200mのところにある。B4須山浅間神社・浅間橋
朱塗りの欄干を持つ橋が境内地の南側に架けられている。B5冨士
浅間神社・運営駐車場(トイレ)境内地の南西側、裏参道を出たと
ころに、参拝者用の駐車場が設けられている。また駐車場東端には
、トイレも建てられている。・国道138号線及び県道150号線
足柄停車場富士公園線境内地の西側には、国道138号線が、また
東運営側には県道150号線足柄停車場富士公園線が通っている。
県道の終点はアフィ頂となっている。B6河口浅間神社B7冨士御
室浅間神社B8御師住宅来訪者のための駐車場として、また緊急時
や災害時の緊急車両の配置ができるよう駐車場敷地が整備さ運営れ
ている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎糖艶
221: 2018/07/15(日) 01:32:59.88 ID:GhksThS4(126/231)調 AAS
型・産業関連施設・その他の人工物B13吉田胎内樹型富士スバル
ライン料金所付近から、吉田胎内本穴方面に向かう、林業施業のた
めの物資搬出路がある。B14人穴富士講遺跡(人運営穴浅間神社
)・県道75号清水富士宮線指定地に隣接する西側に、県道75号
線清水富士宮線が通っている。B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松
原なし2保存管理計画の基本方針−88−山梨県・静岡県に分布す
る構成資産について、将来にわたり確実に運営保存管理していくた
めに、各構成資産の保存管理計画の調整事項や、資産全体として考
慮すべき周辺環境保全のあり方など、保存管理の目標を踏まえ、保
存管理計画の基本方針を以下の5項目とする。(1)構成資産の適
切な保存管理各構成資産が、現在運営も人々と関わり続けている点
や、構成資産総体が、生きた文化的伝統の物証であり、人間と自然
との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型であることに十
分配慮し、山梨県・静岡県に分布する具体的な構成要素の規模・性
質・立地条件等に応じて運営、以下の視点により適切な保存管理を
おこなう。@各構成要素の歴史的・文化的価値の継承と自然的要素
の維持A構成資産により形成される文化的景観の保全B地域住民の
生活、生業への配慮C登山客、観光客等の来訪者への配慮D防災面
における安全確運営保への配慮(2)緩衝地帯等の適切な保存管理
構成資産保護のための適切な範囲の緩衝地帯等(保全管理区域)を
定めるとともに、その保全の方策を講ずる。緩衝地帯等(保全管理
区域)に存在する諸要素の規模・性質・立地条件などを把握し保存
管理の運営基礎とする。(3)経過観察の実施顕著な普遍的価値に
対して与える負の影響の可能性について、様々な角度から検討を行
い、その原因となる可能性のある諸要素について確実に把握すると
ともに、それらに対する監視及び適切な対応を行う。(4)整備エムソ
゙ネ・公開・活用推進資産の顕著な普遍的価値を確実に保存するとと
もに、総合的な理解を深めることができるよう、適切な整備・局罷
222: 2018/07/15(日) 01:33:33.73 ID:GhksThS4(127/231)調 AAS
・活用の施策を推進する。@多様な構成資産からなるアフィ総体と
しての価値の理解が深められるように、山梨県・静岡県運営の関係
市町村が一体となった適切な整備活用をおこなう。aアフィの価値
の持続的な利用b適切な公開範囲の設定A都市計画、観光計画、防
災計画等との調整を図り、資産の価値の保存と来訪者の安全に配慮
した施策を推進する。B適切な整備活用を推進運営する。(5)保
存管理体制の整備と運営確実な保存管理を推進するために、各々の
構成資産を管理する山梨県・静岡県や関係市町村、所有者や環境省
、林野庁、国道交通省などの関係諸機関を中心として組織体制を整
備する。その際には、地域住民が資産運営の資産の適切な保存管理
と整備活用の施策に積極的に参加できるよう配慮するとともに、関
係諸機関との連携を強化し保存管理の運営に関する方法・体制の整
備を図る。−89−第4章構成資産の保存管理1現状の把握(1)
アフィ山体及び登山道A富士運営山登録範囲における自然的環境に
ついては、おおむね良好な状態である。資産範囲の上部は文化財保
護法(特別名勝)及び自然公園法(特別保護地区及び第1種〜2種
特別地域)により厳密に保全され、下部(標高1600〜2000
m以下、特別名勝範運営囲外)は自然公園法(特別保護地区、第1
〜3種特別地域、普通地域)及び森林法(保安林)、山梨県及び静
岡県有林管理計画により重層的に保護されているため、資産に影響
を及ぼす行為は基本的に発生しない。ただし、山体西側には山頂部
付近から標運営高2200m付近までを源頭部とする土砂崩れが約
1000年前より継続して発生し、これは「大沢崩れ」と呼称され
ている。この土砂崩れのため山体西側の一部でかつての信仰に関わ
る道である「御中道」の通行等が禁止されている区域がある。山頂
部運営付近では登山者に起因する廃棄物・し尿が発生するが、山小
屋組合などによりバイオトイレが設置され、適切に管理・除去され
ている。一部過去の廃棄物が堆積している箇所があるが、将来九殺
1-
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ぬこの手 ぬこTOP 0.400s*