[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)6【ダメ工作員】 (335レス)
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293: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 09:34:22.22 ID:nhLYBjhR0(82/96)調 AAS
梯子が架けられている。・ベンチ・テーブル須山御胎内から登
山道を80mほど進んだ場所に、木製のベンチ2脚とテーブル
1台が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入口に、
木製の蝋燭台が設けられている。・標識須山御胎内から幕岩ま
での登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設
置されている。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流
点より上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一され
た登山道案内標識が設置されている。この標識は富士山におけ
る標識類総合ガイドライン(仮称)に沿ったデザイン案で統一
されている。B5須走浅間神社・神馬舎楼門の西側に神馬舎が
建てられている。・神輿庫恵比寿大黒社の東側には、例大祭で
使用される神輿の格納庫が建てられている。・あずまや祖霊社
の北側には、あずま屋が建てられている。・神橋(太鼓橋)県
道138号線から、川を渡って参道へと通じる橋が架けられて
いる。・説明板・案内板浅間神社の由緒、天然記念物の樹木の
概要等を記した説明板、参拝路を表示した案内板等が立てられ
ている。・駐車場社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車6
台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には、参拝者用
のトイレが建てられている。・ベンチ−73−浅間の杜内には
、散策する際に休憩するためのベンチが、6基置かれている。
・社務所・記念資料館参道入口脇に、神社を管理し社務を取り
扱う社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料を保管
する記念資料館が併設されている。・須走護国神社西南の役か
ら太平洋戦争に至る間の、須走の戦没者24名が祀られている
。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅旧外川
家住宅は、主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗資料等を
展示し、定期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富士講など
に関する理解を深めるよう活用されている。B9山中湖B10
河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型船津胎内樹型の管理
を行う施設として河口湖フィールドセンターがある。溶岩樹型
に関わる資料や自然、生物等の展示施設をもち自然共生室とい
う研究機関も兼ね備え、洞穴や周辺環境の価値の普及、
294: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 09:40:23.86 ID:ncJKes9f0(163/190)調 AAS
富士山本宮浅間大社指定地の南西部分には、自動発券機(料金収
受機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮浅間神
社乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を
横切る道沿いに設けられている。−75−B3村山浅間神社境内
地西端に、参詣者用の駐車場が整備されている。B4須山浅間神
社裾野市と須山振興会によって、須山口からの登山道の案内図が
設置されている。B5須走浅間神社社務所東側には、参拝者用の
駐車場乗用車6台分が設けられている。B6河口浅間神社B7冨
士御室浅間神社B8御師住宅国道139号に面した敷地入口には
、御師住宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容を示す解説板
が設置されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B1
2船津胎内樹型河口湖フィールドセンターの開設に伴い整備され
たトレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩道には石造物の分
布が確認でき、自然散策路としての要素以外に歴史散策路的要素
も兼ね備えている。B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登山道の
「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうものである。古くから
富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」には「胎内道」として
記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)2本の
道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石垣の西側に位置する。
建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有していたと考えられる
。B15白糸ノ滝市道・私道等の道路、階段、曽我橋、滝見橋等
がある。また、それらの付属施設がある。危険を伴う区域には、
護岸や落石防護ネットが整備され、また、立入禁止の札が立てら
れている。県道沿い及び芝川本流左岸等には駐車場があり、管理
小屋等の付帯施設がある。また、県道沿いの駐車場には公衆トイ
レがある。ウ眺望C三保松原−76−なし(3)周辺環境を構成
する諸要素@自然的要素構成資産の周辺には、山並み、河川をは
じめとする各種自然地形が存在している。また、統一感のある山
並み景観を構成している天然林及び施業林からなる森林が存在し
ている。ア富士山山体及び登山道A富士山・宝永火口静岡県側か
らの富士山の景観を特色付ける噴火口で山頂信仰遺跡の南東側に
ある。宝永4年(1707)に発生したテフラの爆発的噴
295: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 09:40:50.51 ID:ncJKes9f0(164/190)調 AAS
所西側に、大金剛杖が置かれている。開山祭に使用されていた。・藤棚水屋神社の
南側に、藤棚が設けられている。・駐車場指定地の南西部分には、自動発券機(料
金収受機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮浅間神社・案内板・
説明板籠屋の南側に、案内板等が建てられている。山宮浅間神社の由緒を記したも
の、山宮浅間神社の概要と、市指定文化財であることを記したもの、山宮浅間神社
の概要と、富士宮市「歩く博物館」のコースであることを示すものの3本である。
・手すり籠屋から遥拝所へ向かう石段の脇に、手すりが設置されている。・鉄柱籠
屋から遥拝所へ向かう参道と石段の両脇に、祭祀で利用する鉄柱が設置されている
。・トイレ籠屋西側に、水洗トイレが設置されている。・水道籠屋南側に、コンク
リート製の水道施設が設置されている。−71−・水飲み場水道施設の南側に、コ
ンクリート製の水飲み場が設置されている。・ベンチ休憩用のベンチが設置されて
いる。・鳥居駐車場横の参道に、コンクリート製の鳥居が建てられている。・燈篭
コンクリート製の鳥居から籠屋へ至る参道の両側に氏子等が奉納した燈篭が並んで
設置されている。また、籠屋北側鉾立石の左右にも1基ずつ設置されている。・駐
車場乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに
設けられている。・石碑山宮浅間神社の由緒を記した石碑が、駐車場の北側に設置
されている。・石造物参道沿いには、道祖神、青面金剛、観音等の石造物が置かれ
ている。B3村山浅間神社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物
殿社殿の南西側に、宝物殿が建てられている。・村山公会堂社務所の西側には、元
村山地区の住民が、会合等で利用する公会堂が建てられている。・トイレ社務所北
側に、トイレが設置されている。・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ
製の手すりが設置されている。・御神木柵県指定天然記念物のイチョウの周囲には
、樹木保護のための柵が設置されている。・御神木指定証県天然記念物に指定され
ているイチョウと大スギが、御神木に指定された旨を示す札が、イチョウ周
296: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 09:41:08.05 ID:nhLYBjhR0(83/96)調 AAS
境の保護、入洞者の安全確保に寄与している。B13吉田胎内
樹型吉田胎内樹型に関する解説板が山梨県・富士吉田市教育委
員会により設置されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間
神社)・説明板、案内板洞穴の入口に、人穴の由緒や市指定文
化財であることを記した説明板、碑塔群や洞穴内の危険に対し
て注意を促す旨の案内板が4本建てられている。B15白糸ノ
滝なしウ眺望C三保松原なしC道路とその他人工物構成資産の
土地には、日常生活を営む地域住民が使用する生活道路
297: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 09:47:22.13 ID:ncJKes9f0(165/190)調 AAS
り、白い灰のデイサイト質軽石・黒曜石(烏石)・凝灰石など新
第三紀の基盤岩類、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降ら
せた。記録によれば約100q離れた江戸にまで火山灰が到達し
たが、溶岩の流下はなかった。活火山であり、今後も噴火活動の
可能性がある。・富士山特定地理等保護林8合目から標高約2,
400m付近にかけて展開する約927haの保護林である。富
士山の国有林においては第3次国有林野施業実施計画、自然環境
の維持、動植物の保護が図られ、あわせて遺伝資源の保存を図る
ことを目的として設定されている。富士山独特の地形・地質を持
つ区域の植生として貴重な区域である。・富士箱根伊豆国立公園
富士山管理計画区自然公園法の特別保護地区あたる概ね5合目以
上の火山高原を主体とした山頂部までの区域である。富士山の火
山景観の核心部を呈する区域であり、富士山の秀麗な山容、植物
の遷移過程等が保全の対象となっている。A1山頂信仰遺跡なし
A2大宮・村山口登山道・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約
160種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山
域には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中に
は、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記念
物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生
息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生
息数は少ない。A3須山口登山道・幕岩登山道の東側50m、標
高1,650m付近にあり、新富士火山の中期溶岩の切り立った
岩壁で、比高は15mを超える。岩肌には樹木が生い茂り、崖の
下には直径1〜2cmのスコリアが一面に堆積している。その存
在は宝永噴火前の古絵図にも記録されている。古絵図には「まこ
岩」「孫岩」の名で記述されることもある。役行者が7世紀後半
に伊豆に流された折、この地で修行したという言い伝えが残って
いる−77−(日本霊異記)。登山道から幕岩の直下に降りる道
がある。・側火山登山道沿いには宝永山(標高2,698m)、
二ツ塚(標高1,926m、1,804m)、アザミ塚(1,6
26m)などの側火山が見られる。宝永4年(1707)の宝永
の噴火により須山口旧登山道は崩壊し、その後、宝永山を
298: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 09:47:45.85 ID:ncJKes9f0(166/190)調 AAS
と大スギの幹に掲げられている。・石柱村山浅間神社が、大正14年(1925)
に縣社に昇格したことを示す石柱が、参道入口左側に設置されている。また、昭和
62年(1987)に寄贈された「富士根本宮村山浅間神社」と刻まれた石柱が、
参道入口右側に設置されている。・児童公園六道坂入り口付近に、すべり台等の遊
具を備え、またプールを併設した児童公園が整備されている。・駐車場境内地西端
に、参詣者用の駐車場が整備されている。−72−・村山水道完成記念碑社
299: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 09:48:03.61 ID:nhLYBjhR0(84/96)調 AAS
士スバルラインや富士山スカイラインなどの観光道路をはじめ
てとして、電柱、看板、誘導標識などをはじめとする各種の建
築物及び工作物が存在している−74−ア富士山山体及び登山
道A富士山・救急搬送・荷物搬送区域救急用・緊急避難道とし
ての役割を持つ道路等の施設である。搬送には、ブルドーザー
が使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意表示板が
設置されている。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山
道6合目以上では、登山者の安全確保のため、登山道に沿って
鉄杭、ロープ等が設置されている。A3須山口登山道須山御胎
内から幕岩までの登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内を
示す標識が設置されている。木製と金属製のものがある。御殿
場口との合流点より上部については、茶色と緑色の地に白い文
字で統一された登山道案内標識が設置されている。この標識は
富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統
一されている。A4須走口登山道登山者の安全確保のため、登
山道に沿って鉄杭、ロープ等が設置されている。須走口登山道
は、茶色地に赤色の帯が入り、白い文字で統一された登山道案
内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類総
合ガイドラインに沿ったデザインで統一されている。吉田口登
山道が合流する八合目より上部は、さらに黄色の帯が加わる。
A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿
ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められている
。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖湖
西側に位置する水力発電用取水口は、(株)日本軽金属蒲原製
造所の工場群に電力を供給する自家用水力発電所の一つ、本栖
発電所のものである。イ信仰B1富士山本宮浅間大社指定地の
南西部分には、自動発券機(料金収受機)を設置した第1駐車
場が整備されている。B2山宮浅間神社乗用車3台程を駐車で
きる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けら
れている。−75−B3村山浅間神社境内地西端に、参詣者用
の駐車場が整備されている。B4須山浅間神社裾野市と須山振
興会によって、須山口からの登山道の案内図が設置され
300: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 09:54:19.79 ID:ncJKes9f0(167/190)調 AAS
回する形で復興した。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約1
60種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域
には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には
、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記念物
に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生息
するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生息
数は少ない。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴)須走口登山
道6合目の北側(標高2,630m付近)にある溶岩洞穴。開口
部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが、内部は数名が立つ
ことのできる空間が広がっている。・小富士標高1,959mの
側火山で、須走口登山道5合目からほぼ北に600mほど離れた
場所にある。延暦19年(800)とそれに続く噴火により形成
されたとされている。須走口5合目から高低差の少ない小富士遊
歩道が整備され、気軽に訪れることができる。周辺は針葉樹林(
シラビソ・コメツガ・トウヒ)に覆われているが、頂上部分はス
コリアに覆われて樹木がなく、山中湖・箱根など東の眺望が楽し
める。小山町観光協会によるコンクリート製の標識と、大正13
年(1924)に扶桑教によって建立された祠がある。祠内部に
仏像が三体あったというが、現在は残っていない。・鳥類相富士
山域で観察された鳥類は約160種である。固有種は存在しない
。・陸生哺乳類富士山の山域には、6目14科35種程の陸生哺
乳類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されている
ニホンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる
。また、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生
息できる環境が限られ、生息数は少ない。A5吉田口登山道A6
北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖北側・西側
・南側の山は御坂層基盤により構成されている。北側から西側に
かけては、標高1100m〜1300m前後の山が連なっている
。また南側には標高1485mの竜ヶ岳が位置している。イ信仰
B1富士山本宮浅間大社・神田川−78−湧玉池の湧水を水源と
する神田川が、約1,000mを流れ潤井川に注いでいる。かつ
ては禊所より下流(下池)の部分も含めて御手洗川と呼ば
301: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 09:54:45.73 ID:ncJKes9f0(168/190)調 AAS
側に、村山水道の完成を記念する碑が建てられている。昭和33年に建立された。
・説明板(富士山表口真面之図)麓の吉原から山頂へ至る登山道と、途中のポイン
トとなる地名、集落を繋ぐ道等を示した地図が、村山公会堂の北側に設置されてい
る。B4須山浅間神社・御胎内説明板須山口御胎内の由緒等についての説明版が、
富士山須山口登山道保存会により、鳥居脇に設置されている。・洞窟内説明板「須
山胎内」と書かれた金属板が、洞穴内部壁面に設置されている。・梯子須山御胎内
の北西側入口に、ジュラルミン製の梯子が架けられている。・ベンチ・テーブル須
山御胎内から登山道を80mほど進んだ場所に、木製のベンチ2脚とテーブル1台
が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入口に、木製の蝋燭台が設けられ
ている。・標識須山御胎内から幕岩までの登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎
内を示す標識が設置されている。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流点
より上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道案内標識が設
置されている。この標識は富士山における標識類総合ガイドライン(仮称)に沿っ
たデザイン案で統一されている。B5須走浅間神社・神馬舎楼門の西側に神馬舎が
建てられている。・神輿庫恵比寿大黒社の東側には、例大祭で使用される神輿の格
納庫が建てられている。・あずまや祖霊社の北側には、あずま屋が建てられている
。・神橋(太鼓橋)県道138号線から、川を渡って参道へと通じる橋が架けられ
ている。・説明板・案内板浅間神社の由緒、天然記念物の樹木の概要等を記した説
明板、参拝路を表示した案内板等が立てられている。・駐車場社務所東側には、参
拝者用の駐車場乗用車6台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には、参拝
者用のトイレが建てられている。・ベンチ−73−浅間の杜内には、散策する際に
休憩するためのベンチが、6基置かれている。・社務所・記念資料館参道入口脇に
、神社を管理し社務を取り扱う社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料
を保管する記念資料館が併設されている。・須走護国神社西南の役から太平
302: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 09:55:04.21 ID:nhLYBjhR0(85/96)調 AAS
。B5須走浅間神社社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車
6台分が設けられている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間
神社B8御師住宅国道139号に面した敷地入口には、御師住
宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容を示す解説板が設置
されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船
津胎内樹型河口湖フィールドセンターの開設に伴い整備された
トレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩道には石造物の分
布が確認でき、自然散策路としての要素以外に歴史散策路的要
素も兼ね備えている。B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登山
道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうものである。古
くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」には「胎内道
」として記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神
社)2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石垣の西側
に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有してい
たと考えられる。B15白糸ノ滝市道・私道等の道路、階段、
曽我橋、滝見橋等がある。また、それらの付属施設がある。危
険を伴う区域には、護岸や落石防護ネットが整備され、また、
立入禁止の札が立てられている。県道沿い及び芝川本流左岸等
には駐車場があり、管理小屋等の付帯施設がある。また、県道
沿いの駐車場には公衆トイレがある。ウ眺望C三保松原−76
−なし(3)周辺環境を構成する諸要素@自然的要素構成資産
の周辺には、山並み、河川をはじめとする各種自然地形が存在
している。また、統一感のある山並み景観を構成している天然
林及び施業林からなる森林が存在している。ア富士山山体及び
登山道A富士山・宝永火口静岡県側からの富士山の景観を特色
付ける噴火口で山頂信仰遺跡の南東側にある。宝永4年(17
07)に発生したテフラの爆発的噴火により、白い灰のデイサ
イト質軽石・黒曜石(烏石)・凝灰石など新第三紀の基盤岩類
、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降らせた。記録によ
れば約100q離れた江戸にまで火山灰が到達したが、溶岩の
流下はなかった。活火山であり、今後も噴火活動の可能性があ
る。・富士山特定地理等保護林8合目から標高約2,4
303: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:00:12.03 ID:ncJKes9f0(169/190)調 AAS
た。現在、護岸の一部は、神田川ふれあい広場から下りる親水護
岸として整備されている。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神
社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社なしB6河口浅間
神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B10河
口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・溶岩洞穴等の主体とな
る地形・溶岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物によ
り構成)B13吉田胎内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・溶
岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構
304: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:00:39.84 ID:ncJKes9f0(170/190)調 AAS
に至る間の、須走の戦没者24名が祀られている。B6河口浅間神社B7冨士御室
浅間神社B8御師住宅旧外川家住宅は、主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗
資料等を展示し、定期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富士講などに関する理
解を深めるよう活用されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船
津胎内樹型船津胎内樹型の管理を行う施設として河口湖フィールドセンターがある
。溶岩樹型に関わる資料や自然、生物等の展示施設をもち自然共生室という研究機
関も兼ね備え、洞穴や周辺環境の価値の普及、洞内環境の保護、入洞者の安全確保
に寄与している。B13吉田胎内樹型吉田胎内樹型に関する解説板が山梨県・富士
吉田市教育委員会により設置されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)
・説明板、案内板洞穴の入口に、人穴の由緒や市指定文化財であることを記した説
明板、碑塔群や洞穴内の危険に対して注意を促す旨の案内板が4本建てられている
。B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしC道路とその他人工物構成資産の土地
には、日常生活を営む地域住民が使用する生活道路や、富士スバルラインや富士山
スカイラインなどの観光道路をはじめてとして、電柱、看板、誘導標識などをはじ
めとする各種の建築物及び工作物が存在している−74−ア富士山山体及び登山道
A富士山・救急搬送・荷物搬送区域救急用・緊急避難道としての役割を持つ道路等
の施設である。搬送には、ブルドーザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁
止柵・注意表示板が設置されている。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山
道6合目以上では、登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設
置されている。A3須山口登山道須山御胎内から幕岩までの登山道脇に、須山口登
山道及び須山御胎内を示す標識が設置されている。木製と金属製のものがある。御
殿場口との合流点より上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登
山道案内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類総合ガイドライ
ンに沿ったデザインで統一されている。A4須走口登山道登山者の安全確保
305: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:00:58.43 ID:nhLYBjhR0(86/96)調 AAS
付近にかけて展開する約927haの保護林である。富士山の
国有林においては第3次国有林野施業実施計画、自然環境の維
持、動植物の保護が図られ、あわせて遺伝資源の保存を図るこ
とを目的として設定されている。富士山独特の地形・地質を持
つ区域の植生として貴重な区域である。・富士箱根伊豆国立公
園富士山管理計画区自然公園法の特別保護地区あたる概ね5合
目以上の火山高原を主体とした山頂部までの区域である。富士
山の火山景観の核心部を呈する区域であり、富士山の秀麗な山
容、植物の遷移過程等が保全の対象となっている。A1山頂信
仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・鳥類相富士山域で観察さ
れた鳥類は約160種である。固有種は存在しない。・陸生哺
乳類富士山の山域には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生
息する。その中には、特別天然記念物に指定されているニホン
カモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる。ま
た、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息
できる環境が限られ、生息数は少ない。A3須山口登山道・幕
岩登山道の東側50m、標高1,650m付近にあり、新富士
火山の中期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。
岩肌には樹木が生い茂り、崖の下には直径1〜2cmのスコリ
アが一面に堆積している。その存在は宝永噴火前の古絵図にも
記録されている。古絵図には「まこ岩」「孫岩」の名で記述さ
れることもある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、こ
の地で修行したという言い伝えが残っている−77−(日本霊
異記)。登山道から幕岩の直下に降りる道がある。・側火山登
山道沿いには宝永山(標高2,698m)、二ツ塚(標高1,
926m、1,804m)、アザミ塚(1,626m)などの
側火山が見られる。宝永4年(1707)の宝永の噴火により
須山口旧登山道は崩壊し、その後、宝永山を東に迂回する形で
復興した。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約160種で
ある。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、
6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特
別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記
306: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:06:58.29 ID:ncJKes9f0(171/190)調 AAS
14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)なしB15白糸ノ滝なしウ
眺望C三保松原なしA歴史的要素構成資産の周辺地域の地下には
、関連の遺構、遺物が良好に残されている区域があり、それらは
文化財保護法に基づき埋蔵文化財包蔵地として周知されている。
また、かつて登山者に利用された御師の家並みなど、文献史料に
記載された多数の伝承地や名所等が存在している。ア富士山山体
及び登山道−79−A富士山なしA1山頂信仰遺跡なしA2大宮
・村山口登山道・馬頭観音1村山浅間神社脇の舗装された道を登
って南西から北東に進んでいくと、舗装道が大きく北西方向にそ
れていく。村山口登山道跡はここを北西に行かずに、直進し北東
方向へ進む。その交差点に馬頭観音の碑が建っている(標高約5
90m)。昭和8年(1933)に上原伸郎によって建てられた
ものである。・馬頭観音2静岡県立富士山麓山の村を抜けた場所
にある。ここはやや道幅が広い、比較的直伸している経路と、屈
曲した経路の2つが存在する。前者については明治以降に木材の
切り出し・運搬に使われた木馬道であると推測される。ここで以
前に馬が死んだので、供養のために馬頭観音を建てたと伝えられ
ている。・2号建物跡平成5年の富士宮市の調査では、中宮八幡
堂跡手前で日沢を渡り、50mほど登ったところに2号建物跡が
あるとされる。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』では、「
道の南側に12m×8mの平坦面があり、道の北側にも平らな場
所がある」と報告している。平成20年の調査では平場らしき地
形を確認したが、平成5年当時の景観と著しく異なっており、両
者が同一のものか判断できない。写真建物跡の写真図建物跡の図
面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士公園線が交差する地点
から約60m南に下りた位置にある。周囲はなだらかな傾斜の天
然林で、地面は落葉に覆われている。むき出しになった岩石には
一面に苔がむしている。東西4m弱・南北6m弱の方形の石列が
あり、その北東側に小さなくぼみを確認した。『富士山村山口登
山道遺跡調査報告書』は、このくぼみを便所跡としている。写真
建物跡の写真図建物跡の図面・4号建物跡富士山スカイラインと
村山登山道が交差する地点から北北東の方角に約600m
307: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:07:24.22 ID:ncJKes9f0(172/190)調 AAS
、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設置されている。須走口登山道は、茶色地に赤
色の帯が入り、白い文字で統一された登山道案内標識が設置されている。この標識
は富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一されている。吉
田口登山道が合流する八合目より上部は、さらに黄色の帯が加わる。A5吉田口登
山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標
識等の整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9
本栖湖湖西側に位置する水力発電用取水口は、(株)日本軽金属蒲原製造所の工場
群に電力を供給する自家用水力発電所の一つ、本栖発電所のものである。イ信仰B
1富士山本宮浅間大社指定地の南西部分には、自動発券機(料金収受機)を設置し
た第1駐車場が整備されている。B2山宮浅間神社乗用車3台程を駐車できる駐車
場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けられている。−75−B3村山
浅間神社境内地西端に、参詣者用の駐車場が整備されている。B4須山浅間神社裾
野市と須山振興会によって、須山口からの登山道の案内図が設置されている。B5
須走浅間神社社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車6台分が設けられている。
B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅国道139号に面した敷地入
口には、御師住宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容を示す解説板が設置され
ている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型河口湖フィー
ルドセンターの開設に伴い整備されたトレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩
道には石造物の分布が確認でき、自然散策路としての要素以外に歴史散策路的要素
も兼ね備えている。B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登山道の「中ノ茶屋」から
、吉田胎内本穴に向かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐
国誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神
社)2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡
と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有していたと考えられる。B15白糸ノ滝
308: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:07:41.82 ID:nhLYBjhR0(87/96)調 AAS
指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生息
するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生
息数は少ない。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴)須走口
登山道6合目の北側(標高2,630m付近)にある溶岩洞穴
。開口部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが、内部は数
名が立つことのできる空間が広がっている。・小富士標高1,
959mの側火山で、須走口登山道5合目からほぼ北に600
mほど離れた場所にある。延暦19年(800)とそれ
309: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:12:48.90 ID:ncJKes9f0(173/190)調 AAS
にある。登山道の西側には日沢が南北に走っており、北側と東側
には斜面が迫る。周辺は天然林で、下草にスズタケが生い茂って
いる。平場は東西約8m、南北は約6mで、南側の縁には一部石
組が確認された。南側中央部には石段が確認された。『富士山村
山口登山道遺跡調査報告書』はここを「矢立・新小屋」にあたる
としているが、後世まで木の切り出しなどの休憩小屋として使わ
れていた可能性をも指摘している。・6号建物跡5号建物跡から
北北東に約450mの位置(標高約1,985m)にある。周囲
は西向きに傾斜するやや急な斜面である。登山道の西側は、日沢
に向けて急激に落ち込んでいる。登山道の東側には、東西約12
m、南北約10mの平場がある。平場の南縁には石組が見られ、
登山道を挟んで東西12mにわたって延びている。平場の北側の
斜面にも石組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者から
の伝法で村山三坊が毎年年番で行っていた札打ちや勤行等を行う
富士峯修行の修行所の1つであった。江戸時代の絵図には、高所
にある洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ−80−ること
が多い。洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長7年
(1602)に書かれた「富士山持場之事」に記述があるが、宝
永4年(1707)の宝永噴火で堂室が消失したと言われている
。また、文化13年(1816)〜天保5年(1834)に執筆
された『修訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家のような板
葺きの建物があり、登山者の休憩所であったことが記されている
が、嘉永7年(1854)の「富士山室小屋建立古帳面写」では
「堂室無之」と記載され、この時点では再び堂室が消失している
と推測される。その後、岩屋不動の所在は不明となっていたが、
平成19年に候補地たりうる洞穴の存在を確認した。不動沢を標
高約1,820mの地点まで登りつめ、地上から7mほどの高さ
の場所にある。洞穴の内部は、高さ2m、幅6.4m(最奥)、
奥行9mを測る。洞穴内は人が立つことのできる程度の高さがあ
り、内壁は全体的に赤みがかっている。中央部向かって右側から
入口付近に向けて崩落した大岩が多く転がり、入口は半ば塞がれ
たような状態である。最奥の向かって左側については人工
310: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:13:12.36 ID:ncJKes9f0(174/190)調 AAS
私道等の道路、階段、曽我橋、滝見橋等がある。また、それらの付属施設がある。
危険を伴う区域には、護岸や落石防護ネットが整備され、また、立入禁止の札が立
てられている。県道沿い及び芝川本流左岸等には駐車場があり、管理小屋等の付帯
施設がある。また、県道沿いの駐車場には公衆トイレがある。ウ眺望C三保松原−
76−なし(3)周辺環境を構成する諸要素@自然的要素構成資産の周辺には、山
並み、河川をはじめとする各種自然地形が存在している。また、統一感のあ
311: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:13:28.77 ID:nhLYBjhR0(88/96)調 AAS
噴火により形成されたとされている。須走口5合目から高低差
の少ない小富士遊歩道が整備され、気軽に訪れることができる
。周辺は針葉樹林(シラビソ・コメツガ・トウヒ)に覆われて
いるが、頂上部分はスコリアに覆われて樹木がなく、山中湖・
箱根など東の眺望が楽しめる。小山町観光協会によるコンクリ
ート製の標識と、大正13年(1924)に扶桑教によって建
立された祠がある。祠内部に仏像が三体あったというが、現在
は残っていない。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約16
0種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域
には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中に
は、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記
念物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマ
も生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限ら
れ、生息数は少ない。A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間
神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖北側・西側・南側の山は御
坂層基盤により構成されている。北側から西側にかけては、標
高1100m〜1300m前後の山が連なっている。また南側
には標高1485mの竜ヶ岳が位置している。イ信仰B1富士
山本宮浅間大社・神田川−78−湧玉池の湧水を水源とする神
田川が、約1,000mを流れ潤井川に注いでいる。かつては
禊所より下流(下池)の部分も含めて御手洗川と呼ばれていた
。現在、護岸の一部は、神田川ふれあい広場から下りる親水護
岸として整備されている。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間
神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社なしB6河口
浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B
10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・溶岩洞穴等の
主体となる地形・溶岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と
火砕物により構成)B13吉田胎内樹型・溶岩洞穴等の主体と
なる地形・溶岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物
により構成)B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)なしB1
5白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしA歴史的要素構成資産の
周辺地域の地下には、関連の遺構、遺物が良好に残され
312: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:18:57.88 ID:ncJKes9f0(175/190)調 AAS
削された可能性が残る。写真岩屋不動の写真図岩屋不動の図面A
3須山口登山道なしA4須走口登山道・御室浅間神社跡ふじあざ
みライン沿いの標高1,830m付近にある。冨士浅間神社の末
社で、かつては中宮小室社と呼ばれた。女人禁制の時代には、須
走口登山道で女性が登山できるのはこの場所までであった。祭神
は瓊々杵命と木花開耶姫命である。昭和54年に古御岳神社に合
祀された。国土地理院の地形図に記載があるものの、社殿は昭和
50年代に倒壊し、廃屋となっている。鳥居、灯籠等、神社に関
連する工作物はなく、かつては石仏が多くあったが、現在は1体
も残っていない。写真神社跡の写真・大日堂(野中神社)冨士浅
間神社の末社で、富士あざみラインから南側の脇道を入った自衛
隊東富士演習場内の標高1050m付近にある。演習場内のため
、許可なく立ち入ることはできない。明治7年に野中神社と改名
されたが、それ以前は大日堂と呼ばれ、水源地に祀られているこ
とから雨乞いの神として地元の信仰を集めた。元禄3年(169
0)の冨士浅間神社の古文書に記述が見られ、成立年代は江戸時
代前期まで遡る。宝永4年(1707)の噴火によって被害を受
けたが、宝暦14年(1764)に再建された。祭神は大日要命
(大日如来)で、建物は本殿・拝殿合わせて間口二間、奥行き二
間三尺、それに四間と二間の籠舎が付いていたとされる。古絵図
(小山町史)では、須走口登山道から脇道にそれた場所に描かれ
ている。江戸時代には、大日堂に立ち寄ってから山頂を目指した
とされる。建物は現存しないが、二重の石組みに囲まれた建物跡
に一対の灯篭(江戸時代)と不動明王像が置かれ、敷地脇には地
蔵菩薩像と石碑がある。昭和58年(1979)に石の祠が建て
られ、毎年9月に祭礼が行われている。写真神社跡の写真・下山
道(砂走り)登山道の南側に、下山道(砂走り)がある。須走口
では江戸時代から登山道と下山道が別々に存在していた。下山道
は標高約2,900mの7合目付近で登山道と分岐し、登山道南
側の砂礫地を直線的に降りる。御殿場口(須山口)の「大砂走り
」と区別して、「砂走り」と呼ばれる。−81−A5吉田口登山
道北口本宮冨士浅間神社を起点とする登山道で、本8合目
313: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:19:25.72 ID:ncJKes9f0(176/190)調 AAS
み景観を構成している天然林及び施業林からなる森林が存在している。ア富士山山
体及び登山道A富士山・宝永火口静岡県側からの富士山の景観を特色付ける噴火口
で山頂信仰遺跡の南東側にある。宝永4年(1707)に発生したテフラの爆発的
噴火により、白い灰のデイサイト質軽石・黒曜石(烏石)・凝灰石など新第三紀の
基盤岩類、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降らせた。記録によれば約10
0q離れた江戸にまで火山灰が到達したが、溶岩の流下はなかった。活火山であり
、今後も噴火活動の可能性がある。・富士山特定地理等保護林8合目から標高約2
,400m付近にかけて展開する約927haの保護林である。富士山の国有林に
おいては第3次国有林野施業実施計画、自然環境の維持、動植物の保護が図られ、
あわせて遺伝資源の保存を図ることを目的として設定されている。富士山独特の地
形・地質を持つ区域の植生として貴重な区域である。・富士箱根伊豆国立公園富士
山管理計画区自然公園法の特別保護地区あたる概ね5合目以上の火山高原を主体と
した山頂部までの区域である。富士山の火山景観の核心部を呈する区域であり、富
士山の秀麗な山容、植物の遷移過程等が保全の対象となっている。A1山頂信仰遺
跡なしA2大宮・村山口登山道・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約160種で
ある。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、6目14科35種程
の陸生哺乳類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されているニホンカ
モシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生
息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生息数は少ない。A
3須山口登山道・幕岩登山道の東側50m、標高1,650m付近にあり、新富士
火山の中期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。岩肌には樹木が生い
茂り、崖の下には直径1〜2cmのスコリアが一面に堆積している。その存在は宝
永噴火前の古絵図にも記録されている。古絵図には「まこ岩」「孫岩」の名で記述
されることもある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、この地で修行
314: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:19:41.00 ID:nhLYBjhR0(89/96)調 AAS
区域があり、それらは文化財保護法に基づき埋蔵文化財包蔵地
として周知されている。また、かつて登山者に利用された御師
の家並みなど、文献史料に記載された多数の伝承地や名所等が
存在している。ア富士山山体及び登山道−79−A富士山なし
A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・馬頭観音1村
山浅間神社脇の舗装された道を登って南西から北東に進んでい
くと、舗装道が大きく北西方向にそれていく。村山口登山道跡
はここを北西に行かずに、直進し北東方向へ進む。その交差点
に馬頭観音の碑が建っている(標高約590m)。昭和8年(
1933)に上原伸郎によって建てられたものである。・馬頭
観音2静岡県立富士山麓山の村を抜けた場所にある。ここはや
や道幅が広い、比較的直伸している経路と、屈曲した経路の2
つが存在する。前者については明治以降に木材の切り出し・運
搬に使われた木馬道であると推測される。ここで以前に馬が死
んだので、供養のために馬頭観音を建てたと伝えられている。
・2号建物跡平成5年の富士宮市の調査では、中宮八幡堂跡手
前で日沢を渡り、50mほど登ったところに2号建物跡がある
とされる。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』では、「道
の南側に12m×8mの平坦面があり、道の北側にも平らな場
所がある」と報告している。平成20年の調査では平場らしき
地形を確認したが、平成5年当時の景観と著しく異なっており
、両者が同一のものか判断できない。写真建物跡の写真図建物
跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士公園線が交差
する地点から約60m南に下りた位置にある。周囲はなだらか
な傾斜の天然林で、地面は落葉に覆われている。むき出しにな
った岩石には一面に苔がむしている。東西4m弱・南北6m弱
の方形の石列があり、その北東側に小さなくぼみを確認した。
『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』は、このくぼみを便所
跡としている。写真建物跡の写真図建物跡の図面・4号建物跡
富士山スカイラインと村山登山道が交差する地点から北北東の
方角に約600mの位置にある。登山道の西側には日沢が南北
に走っており、北側と東側には斜面が迫る。周辺は天然
315: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:24:58.15 ID:ncJKes9f0(177/190)調 AAS
口登山道に合流する。合流地点は古くから「大行合」と呼ばれた
。ここから上は頂上奥宮の神域で、小屋を建てることが許されな
かったことから、登山道最後の小屋場として多くの小屋が建てら
れていた。写真小屋の写真A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A
8精進湖A9本栖湖・中道往還と関連遺跡中道往還は甲斐と駿河
との交通路のうち、若彦路と河内路の中間に発達したので
316: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:25:24.97 ID:ncJKes9f0(178/190)調 AAS
いう言い伝えが残っている−77−(日本霊異記)。登山道から幕岩の直下に降り
る道がある。・側火山登山道沿いには宝永山(標高2,698m)、二ツ塚(標高
1,926m、1,804m)、アザミ塚(1,626m)などの側火山が見られ
る。宝永4年(1707)の宝永の噴火により須山口旧登山道は崩壊し、その後、
宝永山を東に迂回する形で復興した。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約16
0種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、6目14科3
5種程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されているニ
ホンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグ
マも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生息数は少な
い。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴)須走口登山道6合目の北側(標高2,
630m付近)にある溶岩洞穴。開口部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが
、内部は数名が立つことのできる空間が広がっている。・小富士標高1,959m
の側火山で、須走口登山道5合目からほぼ北に600mほど離れた場所にある。延
暦19年(800)とそれに続く噴火により形成されたとされている。須走口5合
目から高低差の少ない小富士遊歩道が整備され、気軽に訪れることができる。周辺
は針葉樹林(シラビソ・コメツガ・トウヒ)に覆われているが、頂上部分はスコリ
アに覆われて樹木がなく、山中湖・箱根など東の眺望が楽しめる。小山町観光協会
によるコンクリート製の標識と、大正13年(1924)に扶桑教によって建立さ
れた祠がある。祠内部に仏像が三体あったというが、現在は残っていない。・鳥類
相富士山域で観察された鳥類は約160種である。固有種は存在しない。・陸生哺
乳類富士山の山域には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には
、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記念物に指定されている
ヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生
息できる環境が限られ、生息数は少ない。A5吉田口登山道A6北口本宮冨
317: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:25:41.48 ID:nhLYBjhR0(90/96)調 AAS
下草にスズタケが生い茂っている。平場は東西約8m、南北は
約6mで、南側の縁には一部石組が確認された。南側中央部に
は石段が確認された。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』
はここを「矢立・新小屋」にあたるとしているが、後世まで木
の切り出しなどの休憩小屋として使われていた可能性をも指摘
している。・6号建物跡5号建物跡から北北東に約450mの
位置(標高約1,985m)にある。周囲は西向きに傾斜する
やや急な斜面である。登山道の西側は、日沢に向けて急激に落
ち込んでいる。登山道の東側には、東西約12m、南北約10
mの平場がある。平場の南縁には石組が見られ、登山道を挟ん
で東西12mにわたって延びている。平場の北側の斜面にも石
組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者からの伝法で
村山三坊が毎年年番で行っていた札打ちや勤行等を行う富士峯
修行の修行所の1つであった。江戸時代の絵図には、高所にあ
る洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ−80−ることが
多い。洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長7年
(1602)に書かれた「富士山持場之事」に記述があるが、
宝永4年(1707)の宝永噴火で堂室が消失したと言われて
いる。また、文化13年(1816)〜天保5年(1834)
に執筆された『修訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家の
ような板葺きの建物があり、登山者の休憩所であったことが記
されているが、嘉永7年(1854)の「富士山室小屋建立古
帳面写」では「堂室無之」と記載され、この時点では再び堂室
が消失していると推測される。その後、岩屋不動の所在は不明
となっていたが、平成19年に候補地たりうる洞穴の存在を確
認した。不動沢を標高約1,820mの地点まで登りつめ、地
上から7mほどの高さの場所にある。洞穴の内部は、高さ2m
、幅6.4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴内は人が立つこ
とのできる程度の高さがあり、内壁は全体的に赤みがかってい
る。中央部向かって右側から入口付近に向けて崩落した大岩が
多く転がり、入口は半ば塞がれたような状態である。最奥の向
かって左側については人工的に開削された可能性が残る
318: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:32:00.41 ID:ncJKes9f0(179/190)調 AAS
」と呼ばた。甲府市から国道358号線を経て精進湖赤池交差点
より国道139号に入り、静岡県の富士宮市・富士市に至る道で
ある。こうした交通の要地であることから本栖湖周辺には中道往
還に関連する遺跡が複数確認できる。イ信仰B1富士山本宮浅間
大社・浅間大社遺跡(埋蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北5
00m・東西200mの範囲は、縄文時代から近世にかけての複
合遺跡として埋蔵文化財包蔵地となっており、遺構や遺物等が発
見されている。写真出土遺物の写真・大宮城跡浅間神社大宮司の
居館としての大宮城が、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位
置していた。・神田宮第2駐車場から100mほど南にある水田
を備えた神社である。五穀豊穣を祈願して米を作り奉納する「御
田植祭」が毎年7月7日に行われる。・大鳥居昭和30年(19
55)に寄進された大鳥居が、第2駐車場に設置されている。・
大灯籠昭和35年(1960)に奉納された大灯籠2基が、第2
駐車場南側入口に設置されている。B2山宮浅間神社なしB3村
山浅間神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走護
国神社−82−西南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区
の戦没者24名が祀られている。・鎌倉往還指定地南側には、相
模から駿河、甲斐への連絡路であった鎌倉往還が通っていた。中
世の幕府所在地鎌倉から放射状に存在した複数のルートの一つで
、当時の御家人らが鎌倉と自領との往還に利用した道である。ま
た、生活必需品を運ぶ商人や各国々に旅する人も多く、須走地区
が、古くから富士北麓地域と静岡県駿東部を結ぶ交通の要衝とし
て利用されていたことがわかる。写真鎌倉往還の写真B6河口浅
間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B10
河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・社寺等溶岩洞穴等に
ついては、洞穴本体あるいは富士山の関連として信仰の対象と位
置づけられたものが多く見られ、周辺には社寺等の宗教的施設が
みられ、船津胎内樹型に伴う無戸室浅間神社などの設置形態は、
洞穴と一体になって信仰が行われている事例である。・信仰的意
味を付された地形・空間B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登山
道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうものである
319: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:32:26.38 ID:ncJKes9f0(180/190)調 AAS
神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖北側・西側・南側の山は御坂層基盤により構成
されている。北側から西側にかけては、標高1100m〜1300m前後の山が連
なっている。また南側には標高1485mの竜ヶ岳が位置している。イ信仰B1富
士山本宮浅間大社・神田川−78−湧玉池の湧水を水源とする神田川が、約1,0
00mを流れ潤井川に注いでいる。かつては禊所より下流(下池)の部分も含めて
御手洗川と呼ばれていた。現在、護岸の一部は、神田川ふれあい広場から下りる親
水護岸として整備されている。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4須
山浅間神社なしB5須走浅間神社なしB6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8
御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・溶岩洞
穴等の主体となる地形・溶岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により
構成)B13吉田胎内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・溶岩洞穴等を構成する
地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構成)B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)
なしB15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしA歴史的要素構成資産の周辺地域の
地下には、関連の遺構、遺物が良好に残されている区域があり、それらは文化財保
護法に基づき埋蔵文化財包蔵地として周知されている。また、かつて登山者に利用
された御師の家並みなど、文献史料に記載された多数の伝承地や名所等が存在して
いる。ア富士山山体及び登山道−79−A富士山なしA1山頂信仰遺跡なしA2大
宮・村山口登山道・馬頭観音1村山浅間神社脇の舗装された道を登って南西から北
東に進んでいくと、舗装道が大きく北西方向にそれていく。村山口登山道跡はここ
を北西に行かずに、直進し北東方向へ進む。その交差点に馬頭観音の碑が建ってい
る(標高約590m)。昭和8年(1933)に上原伸郎によって建てられたもの
である。・馬頭観音2静岡県立富士山麓山の村を抜けた場所にある。ここはやや道
幅が広い、比較的直伸している経路と、屈曲した経路の2つが存在する。前者につ
いては明治以降に木材の切り出し・運搬に使われた木馬道であると推測され
320: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:32:42.92 ID:nhLYBjhR0(91/96)調 AAS
岩屋不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしA4須
走口登山道・御室浅間神社跡ふじあざみライン沿いの標高1,
830m付近にある。冨士浅間神社の末社で、かつては中宮小
室社と呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で女性が
登山できるのはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花
開耶姫命である。昭和54年に古御岳神社に合祀された。国土
地理院の地形図に記載があるものの、社殿は昭和50年代に倒
壊し、廃屋となっている。鳥居、灯籠等、神社に関連す
321: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:38:53.98 ID:ncJKes9f0(181/190)調 AAS
から富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」には「胎内道」と
して記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・
中道往還かつて甲斐と駿河を結んだ街道のひとつである。富士講
信者は、富士参詣に合わせて人穴参拝をする習慣があり、富士山
北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道として中道往還を通っていた。写
真中道往還の写真・赤池家跡境内地から南へ下ったところに、人
穴で修行する行者の食事や宿泊の世話、洞穴や周辺の碑塔の建立
や管理等を代々行ってきた赤池家の跡地がある。・石鳥居県道脇
の参道への入口に石鳥居が建てられている。額束には「富士人穴
」と刻まれている。・参道参道は、県道清水富士宮線から石鳥居
をくぐって進み、浄土門と刻まれた石碑を右折して、境内地内の
参道へ続いている。石碑から階段までの参道はかつての中道往還
と重複する。−83−B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なし
B人文的要素富士山山体においては、登山道沿いに登下山者の緊
急避難や遭難者の救助、応急処置の機能を兼ね備えた山小屋が立
地している。富士山麓における構成資産の周辺については、山林
、農耕地のほか市街地となっており、日常生活に関連する各種施
設等をはじめとして、道路、橋、線路、電柱、看板等の各種人工
物が存在している。また、構成資産の公開活用を目的した資料館
等の施設が存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山なし
A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動山小屋
とその関連施設標高の低い地点から順に、表富士宮5合目、雲海
荘(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来光山荘(新7合目)、
山口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(9合
目)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオトイ
レ、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置されている。・緊急
・救急施設富士山は、高山であり気候も急変することから、登山
客の安全確保を目的として、富士山登山指導センター(山頂、富
士宮口登山道新5合目)と富士山衛生センター(富士宮口登山道
8合目)が設けられている。写真救急施設の写真・救急搬送・荷
物搬送区域登山道にほぼ並行して、救急用・緊急用避難道として
の役割を持つ道路等の施設が設けられている。搬送にはブ
322: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:39:18.70 ID:ncJKes9f0(182/190)調 AAS
こで以前に馬が死んだので、供養のために馬頭観音を建てたと伝えられている。・
2号建物跡平成5年の富士宮市の調査では、中宮八幡堂跡手前で日沢を渡り、50
mほど登ったところに2号建物跡があるとされる。『富士山村山口登山道遺跡調査
報告書』では、「道の南側に12m×8mの平坦面があり、道の北側にも平らな場
所がある」と報告している。平成20年の調査では平場らしき地形を確認したが、
平成5年当時の景観と著しく異なっており、両者が同一のものか判断できな
323: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:39:36.32 ID:nhLYBjhR0(92/96)調 AAS
物はなく、かつては石仏が多くあったが、現在は1体も残って
いない。写真神社跡の写真・大日堂(野中神社)冨士浅間神社
の末社で、富士あざみラインから南側の脇道を入った自衛隊東
富士演習場内の標高1050m付近にある。演習場内のため、
許可なく立ち入ることはできない。明治7年に野中神社と改名
されたが、それ以前は大日堂と呼ばれ、水源地に祀られている
ことから雨乞いの神として地元の信仰を集めた。元禄3年(1
690)の冨士浅間神社の古文書に記述が見られ、成立年代は
江戸時代前期まで遡る。宝永4年(1707)の噴火によって
被害を受けたが、宝暦14年(1764)に再建された。祭神
は大日要命(大日如来)で、建物は本殿・拝殿合わせて間口二
間、奥行き二間三尺、それに四間と二間の籠舎が付いていたと
される。古絵図(小山町史)では、須走口登山道から脇道にそ
れた場所に描かれている。江戸時代には、大日堂に立ち寄って
から山頂を目指したとされる。建物は現存しないが、二重の石
組みに囲まれた建物跡に一対の灯篭(江戸時代)と不動明王像
が置かれ、敷地脇には地蔵菩薩像と石碑がある。昭和58年(
1979)に石の祠が建てられ、毎年9月に祭礼が行われてい
る。写真神社跡の写真・下山道(砂走り)登山道の南側に、下
山道(砂走り)がある。須走口では江戸時代から登山道と下山
道が別々に存在していた。下山道は標高約2,900mの7合
目付近で登山道と分岐し、登山道南側の砂礫地を直線的に降り
る。御殿場口(須山口)の「大砂走り」と区別して、「砂走り
」と呼ばれる。−81−A5吉田口登山道北口本宮冨士浅間神
社を起点とする登山道で、本8合目で須走口登山道に合流する
。合流地点は古くから「大行合」と呼ばれた。ここから上は頂
上奥宮の神域で、小屋を建てることが許されなかったことから
、登山道最後の小屋場として多くの小屋が建てられていた。写
真小屋の写真A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A
9本栖湖・中道往還と関連遺跡中道往還は甲斐と駿河との交通
路のうち、若彦路と河内路の中間に発達したので「中道」と呼
ばた。甲府市から国道358号線を経て精進湖赤池交差
324: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:45:31.05 ID:ncJKes9f0(183/190)調 AAS
ザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等
が設置されている。・県道180号線富士宮富士公園線浅間大社
前交差点を起点とする「県道180号富士宮富士公園線」が、村
山口登山道跡と2箇所で交差している。交差する地点は、西臼塚
駐車場から山頂方面へ約1.5q進んだ地点と、高鉢山駐車場か
ら約700m下った地点であるが、道路沿いには特別な表示等は
ない。また、この道路は富士山スカイライン、富士宮口登山道を
経て6合目から旧村山口登山道と合流し、富士山山頂まで続いて
いる。・宝永遊歩道富士宮口新5合目駐車場の東端から宝永第二
火口の西縁までほぼ等高線に沿って東西に通じる遊歩道で、旧村
山口登山道と11号建物付近で交差する。写真遊歩道の写真−8
4−・駐車場・附属施設450台収容の駐車場が5合目に設置さ
れている。付属施設として、レストハウス、宿舎、トイレ、バス
乗車券販売所、登山シーズンの夏季のみ在番の交番がある。工作
物としての広告物、広告旗、バス停留所などがある。・林道富士
山麓には多くの林道があり、そのうち、大渕林道・吉原林道が、
旧村山口登山道と交差する。A3須山口登山道・山小屋登山道沿
いに、山小屋が建てられている。標高の高い地点から順に、赤岩
八合館(7合9勺)、砂走館(7合5勺)、わらじ館(7合4勺
)、日ノ出館(7合目)、(※休館:見晴館(8合目)6合目小
屋)がある。山小屋周辺にはトイレ、自動販売機、ベンチ、椅子
等が設置されている。・避難小屋登山道沿いの2箇所(7合8勺
、2合8勺)に、気象庁の避難小屋が建てられている。富士山頂
測候所に勤務する職員用の施設であったが、測候所廃止に伴い現
在は使用されていない。・救急搬送・荷物搬送区域登山道の南西
側に、救急用・緊急用避難道としての役割を持つ道路等の施設が
設けられている。搬送にはブルドーザーが使われる。歩道との交
差部には、進入禁止柵・注意看板等が設置されている。・下山道
(大砂走)登山道の南西側に、下山道(大砂走り)がある。標高
約3,000mの日の出館(7合目)付近で登山道と分岐する。
宝永山脇のスコリアで覆われた斜面を一気に下り、御殿場口新5
合目(標高1,450m付近)に至る。写真下山道の写真
325: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:45:58.92 ID:ncJKes9f0(184/190)調 AAS
真建物跡の写真図建物跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士公園線が交
差する地点から約60m南に下りた位置にある。周囲はなだらかな傾斜の天然林で
、地面は落葉に覆われている。むき出しになった岩石には一面に苔がむしている。
東西4m弱・南北6m弱の方形の石列があり、その北東側に小さなくぼみを確認し
た。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』は、このくぼみを便所跡としている。
写真建物跡の写真図建物跡の図面・4号建物跡富士山スカイラインと村山登山道が
交差する地点から北北東の方角に約600mの位置にある。登山道の西側には日沢
が南北に走っており、北側と東側には斜面が迫る。周辺は天然林で、下草にスズタ
ケが生い茂っている。平場は東西約8m、南北は約6mで、南側の縁には一部石組
が確認された。南側中央部には石段が確認された。『富士山村山口登山道遺跡調査
報告書』はここを「矢立・新小屋」にあたるとしているが、後世まで木の切り出し
などの休憩小屋として使われていた可能性をも指摘している。・6号建物跡5号建
物跡から北北東に約450mの位置(標高約1,985m)にある。周囲は西向き
に傾斜するやや急な斜面である。登山道の西側は、日沢に向けて急激に落ち込んで
いる。登山道の東側には、東西約12m、南北約10mの平場がある。平場の南縁
には石組が見られ、登山道を挟んで東西12mにわたって延びている。平場の北側
の斜面にも石組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者からの伝法で村山三
坊が毎年年番で行っていた札打ちや勤行等を行う富士峯修行の修行所の1つであっ
た。江戸時代の絵図には、高所にある洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ−
80−ることが多い。洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長7年(1
602)に書かれた「富士山持場之事」に記述があるが、宝永4年(1707)の
宝永噴火で堂室が消失したと言われている。また、文化13年(1816)〜天保
5年(1834)に執筆された『修訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家のよ
うな板葺きの建物があり、登山者の休憩所であったことが記されているが、
326: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:46:15.30 ID:nhLYBjhR0(93/96)調 AAS
国道139号に入り、静岡県の富士宮市・富士市に至る道であ
る。こうした交通の要地であることから本栖湖周辺には中道往
還に関連する遺跡が複数確認できる。イ信仰B1富士山本宮浅
間大社・浅間大社遺跡(埋蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南
北500m・東西200mの範囲は、縄文時代から近世にかけ
ての複合遺跡として埋蔵文化財包蔵地となっており、遺構や遺
物等が発見されている。写真出土遺物の写真・大宮城跡浅間神
社大宮司の居館としての大宮城が、現在の県道富士宮富士公園
線の東側に位置していた。・神田宮第2駐車場から100mほ
ど南にある水田を備えた神社である。五穀豊穣を祈願して米を
作り奉納する「御田植祭」が毎年7月7日に行われる。・大鳥
居昭和30年(1955)に寄進された大鳥居が、第2駐車場
に設置されている。・大灯籠昭和35年(1960)に奉納さ
れた大灯籠2基が、第2駐車場南側入口に設置されている。B
2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4須山浅間神社な
しB5須走浅間神社・須走護国神社−82−西南の役から太平
洋戦争に至る期間の、須走地区の戦没者24名が祀られている
。・鎌倉往還指定地南側には、相模から駿河、甲斐への連絡路
であった鎌倉往還が通っていた。中世の幕府所在地鎌倉から放
射状に存在した複数のルートの一つで、当時の御家人らが鎌倉
と自領との往還に利用した道である。また、生活必需品を運ぶ
商人や各国々に旅する人も多く、須走地区が、古くから富士北
麓地域と静岡県駿東部を結ぶ交通の要衝として利用されていた
ことがわかる。写真鎌倉往還の写真B6河口浅間神社B7冨士
御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11
忍野八海B12船津胎内樹型・社寺等溶岩洞穴等については、
洞穴本体あるいは富士山の関連として信仰の対象と位置づけら
れたものが多く見られ、周辺には社寺等の宗教的施設がみられ
、船津胎内樹型に伴う無戸室浅間神社などの設置形態は、洞穴
と一体になって信仰が行われている事例である。・信仰的意味
を付された地形・空間B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登山
道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうものであ
327: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:52:10.25 ID:ncJKes9f0(185/190)調 AAS
場口登山道明治5年(1872)に女性の富士登山が許可された
後、手軽に登れる登山道をめざし、御殿場在住の伴野佐吉らが中
心となって明治16年(1883)に完成した。同地の浅間神社
から滝ヶ原、馬返、太郎坊を経て、須山口登山道2合8勺に接続
する経路であった。明治22年、東海道線(現JR御殿場線)が
開通し御殿場駅が設置されたことにより、登山道が富士山東表口
新道本社浅間神社を通る現在の経路に変更された。御殿場口登山
道は須山口よりも距離が短い上に道も良く、関東方面から
328: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:52:36.12 ID:ncJKes9f0(186/190)調 AAS
年(1854)の「富士山室小屋建立古帳面写」では「堂室無之」と記載され、こ
の時点では再び堂室が消失していると推測される。その後、岩屋不動の所在は不明
となっていたが、平成19年に候補地たりうる洞穴の存在を確認した。不動沢を標
高約1,820mの地点まで登りつめ、地上から7mほどの高さの場所にある。洞
穴の内部は、高さ2m、幅6.4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴内は人が立つ
ことのできる程度の高さがあり、内壁は全体的に赤みがかっている。中央部向かっ
て右側から入口付近に向けて崩落した大岩が多く転がり、入口は半ば塞がれたよう
な状態である。最奥の向かって左側については人工的に開削された可能性が残る。
写真岩屋不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしA4須走口登山道・御
室浅間神社跡ふじあざみライン沿いの標高1,830m付近にある。冨士浅間神社
の末社で、かつては中宮小室社と呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で
女性が登山できるのはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花開耶姫命であ
る。昭和54年に古御岳神社に合祀された。国土地理院の地形図に記載があるもの
の、社殿は昭和50年代に倒壊し、廃屋となっている。鳥居、灯籠等、神社に関連
する工作物はなく、かつては石仏が多くあったが、現在は1体も残っていない。写
真神社跡の写真・大日堂(野中神社)冨士浅間神社の末社で、富士あざみラインか
ら南側の脇道を入った自衛隊東富士演習場内の標高1050m付近にある。演習場
内のため、許可なく立ち入ることはできない。明治7年に野中神社と改名されたが
、それ以前は大日堂と呼ばれ、水源地に祀られていることから雨乞いの神として地
元の信仰を集めた。元禄3年(1690)の冨士浅間神社の古文書に記述が見られ
、成立年代は江戸時代前期まで遡る。宝永4年(1707)の噴火によって被害を
受けたが、宝暦14年(1764)に再建された。祭神は大日要命(大日如来)で
、建物は本殿・拝殿合わせて間口二間、奥行き二間三尺、それに四間と二間の籠舎
が付いていたとされる。古絵図(小山町史)では、須走口登山道から脇道に
329: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:52:51.64 ID:nhLYBjhR0(94/96)調 AAS
くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」には「胎内道
」として記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神
社)・中道往還かつて甲斐と駿河を結んだ街道のひとつである
。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参拝をする習慣があ
り、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道として中道往還を通
っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地から南へ下っ
たところに、人穴で修行する行者の食事や宿泊の世話、洞穴や
周辺の碑塔の建立や管理等を代々行ってきた赤池家の跡地があ
る。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建てられている
。額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参道は、県道
清水富士宮線から石鳥居をくぐって進み、浄土門と刻まれた石
碑を右折して、境内地内の参道へ続いている。石碑から階段ま
での参道はかつての中道往還と重複する。−83−B15白糸
ノ滝なしウ眺望C三保松原なしB人文的要素富士山山体におい
ては、登山道沿いに登下山者の緊急避難や遭難者の救助、応急
処置の機能を兼ね備えた山小屋が立地している。富士山麓にお
ける構成資産の周辺については、山林、農耕地のほか市街地と
なっており、日常生活に関連する各種施設等をはじめとして、
道路、橋、線路、電柱、看板等の各種人工物が存在している。
また、構成資産の公開活用を目的した資料館等の施設が存在し
ている。ア富士山山体及び登山道A富士山なしA1山頂信仰遺
跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動山小屋とその関連施
設標高の低い地点から順に、表富士宮5合目、雲海荘(6合目
)、宝永山荘(6合目)、御来光山荘(新7合目)、山口山荘
(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(9合目)、
胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオトイレ、
自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置されている。・緊急・
救急施設富士山は、高山であり気候も急変することから、登山
客の安全確保を目的として、富士山登山指導センター(山頂、
富士宮口登山道新5合目)と富士山衛生センター(富士宮口登
山道8合目)が設けられている。写真救急施設の写真・救急搬
送・荷物搬送区域登山道にほぼ並行して、救急用・緊急
330: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:58:31.86 ID:ncJKes9f0(187/190)調 AAS
客の多くが同登山道を利用し、須山口登山道衰退の契機となった
。現在は、須山口登山道と接続する2合8勺から頂上までの部分
も、御殿場口登山道と呼ばれている。写真御殿場口登山道の写真
・須山口登山歩道須山浅間神社を起点とし、弁当場、水ヶ塚水源
地、水ヶ塚駐車場、御殿庭を通り、宝永火口の西側火口壁を抜け
て富士宮口登山道六合目に通じる登山道である。平成9年に富士
山須山口登山歩道保存会が中心となって復興した。道筋の一部は
裾野市と御殿場市の市境に沿っている。宝永噴火後から明治時代
までの須山口登山道とはルートが異なるため、区別する意味で須
山口登山歩道と呼ばれる。・須山口下山歩道須山口2合8勺から
二ツ塚の西側を下り、四辻分岐、幕岩上部、須山御胎内上部を通
り、水ヶ塚駐車場に至る道で、平成11年に富士山須山口登山歩
道保存会が中心となって復興した。道筋の一部(幕岩上部〜須山
御胎内上部)は宝永噴火後〜明治時代の須山口登山道と一致する
。−85−写真須山口登山歩道の写真A4須走口登山道・山小屋
とその関連施設登山道沿いに、山小屋が建てられている。上から
順に、御来光館(8合5勺)、胸突江戸屋(本8合目)、江戸屋
(8合目)、見晴館(本7合目)、大陽館(7合目)、瀬戸館(
本6合目)、長田山荘(6合目)、東富士山荘(5合目)、菊屋
(5合目)、吉野屋(砂払い5合目)がある。山小屋周辺にはト
イレ、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置されている。山小
屋周辺にはバイオトイレ、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設
置されている。・避難小屋下山道からブルドーザー道に入った2
,120m付近に地元山岳会による避難小屋が設けられている。
・救急搬送・荷物搬送区域登山道とほぼ並行して、救急用・緊急
用避難道としての役割を持つ道路等の施設が設けられている。昭
和40年(1965)の開通で、搬送にはブルドーザーが使われ
る。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等が設置されて
いる。須走口登山道は、特に吉田口登山道と合流する8合目から
上部の混雑が激しいため、頂上部から8合目までのブルドーザー
道が下山道として利用されている。写真ブルドーザー道の写真・
駐車場・附属施設200台収容の駐車場が5合目に設けら
331: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 10:59:14.16 ID:nhLYBjhR0(95/96)調 AAS
道としての役割を持つ道路等の施設が設けられている。搬送に
はブルドーザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵
・注意看板等が設置されている。・県道180号線富士宮富士
公園線浅間大社前交差点を起点とする「県道180号富士宮富
士公園線」が、村山口登山道跡と2箇所で交差している。交差
する地点は、西臼塚駐車場から山頂方面へ約1.5q進んだ地
点と、高鉢山駐車場から約700m下った地点であるが、道路
沿いには特別な表示等はない。また、この道路は富士山
332: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 11:05:35.03 ID:ncJKes9f0(188/190)調 AAS
る。付属施設として、登山シーズンの夏季のみ在番の交番と観光
案内所、小山町により設置・管理されている公衆トイレがある。
写真駐車場(交番・観光案内所)の写真A5吉田口登山道A6北
口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・建築物及び
工作物本栖地区集落の人口は156人(2008年4月1日現在
)国道139号線と300号線が分岐する本栖交差点周辺を中心
に集落が形成されている。その他湖畔にキャンプ場などの観光施
設及び管理施設が存在する。自然公園法第2種特別地域に指定さ
れていることから、建築物等の高さ規制を受けているので、景観
上良好な状況が保たれている。湖南東側にある本栖青少年スポー
ツセンターやキャンプ場などの管理施設等も同様である。その他
の工作物として、電柱やアンテナなどが存在する。イ信仰B1富
士山本宮浅間大社・駐車場神田川ふれあい広場の南側には第2駐
車場が整備されている。南北に仕切られ、北側が普通車用、南側
がバス専用となっている。トイレも併設されている。・宮町交番
−86−第2駐車場バス専用入口の東側に宮町交番が建てられて
いる。・売店協同組合富士山特産品振興会」が、第2駐車場内に
、富士宮の特産品を取り扱う販売所「ここずらよ」を設置し営業
している。・富士山せせらぎ広場第2駐車場から200mほど南
に富士山せせらぎ広場がある。入口には大鳥居が建てられており
、神田川に沿って散策できる遊歩道をはじめ、トイレ、無料駐車
場などの施設が整備されている。写真広場の写真・道路神田川東
側には、浅間大社前交差点を起点とし神田川に沿って北へ向かう
県道180号富士宮富士公園線が通っている。この道路は富士山
スカイライン、富士宮口登山道を経て富士山山頂まで続いている
。また、湧玉橋から約130m北上する区間が、山宮御神幸の経
路である「御神幸道」と重複している。第2駐車場南側には、県
道76号富士富士宮由比線が東西に伸びている。この道路はかつ
て「甲州街道(中道往還)」と呼ばれ、駿河と甲斐を結ぶ主要街
道であった。B2山宮浅間神社・御神幸道御神幸道は、祭儀「山
宮御神幸」で浅間大社と山宮浅間神社を往来した道である。石鳥
居から南方向へと伸びていたが、区画整理や道の付け替え
333: (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 11:06:01.70 ID:ncJKes9f0(189/190)調 AAS
0)に奉納された大灯籠2基が、第2駐車場南側入口に設置されている。B2山宮
浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走
護国神社−82−西南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区の戦没者24名
が祀られている。・鎌倉往還指定地南側には、相模から駿河、甲斐への連絡路であ
った鎌倉往還が通っていた。中世の幕府所在地鎌倉から放射状に存在した複数のル
ートの一つで、当時の御家人らが鎌倉と自領との往還に利用した道である。
334: (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 11:06:19.42 ID:nhLYBjhR0(96/96)調 AAS
ライン、富士宮口登山道を経て6合目から旧村山口登山道と合
流し、富士山山頂まで続いている。・宝永遊歩道富士宮口新5
合目駐車場の東端から宝永第二火口の西縁までほぼ等高線に沿
って東西に通じる遊歩道で、旧村山口登山道と11号建物付近
で交差する。写真遊歩道の写真−84−・駐車場・附属施設4
50台収容の駐車場が5合目に設置されている。付属施設とし
て、レストハウス、宿舎、トイレ、バス乗車券販売所、登山シ
ーズンの夏季のみ在番の交番がある。工作物としての広告物、
広告旗、バス停留所などがある。・林道富士山麓には多くの林
道があり、そのうち、大渕林道・吉原林道が、旧村山口登山道
と交差する。A3須山口登山道・山小屋登山道沿いに、山小屋
が建てられている。標高の高い地点から順に、赤岩八合館(7
合9勺)、砂走館(7合5勺)、わらじ館(7合4勺)、日ノ
出館(7合目)、(※休館:見晴館(8合目)6合目小屋)が
ある。山小屋周辺にはトイレ、自動販売機、ベンチ、椅子等が
設置されている。・避難小屋登山道沿いの2箇所(7合8勺、
2合8勺)に、気象庁の避難小屋が建てられている。富士山頂
測候所に勤務する職員用の施設であったが、測候所廃止に伴い
現在は使用されていない。・救急搬送・荷物搬送区域登山道の
南西側に、救急用・緊急用避難道としての役割を持つ道路等の
施設が設けられている。搬送にはブルドーザーが使われる。歩
道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等が設置されている
。・下山道(大砂走)登山道の南西側に、下山道(大砂走り)
がある。標高約3,000mの日の出館(7合目)付近で登山
道と分岐する。宝永山脇のスコリアで覆われた斜面を一気に下
り、御殿場口新5合目(標高1,450m付近)に至る。写真
下山道の写真・御殿場口登山道明治5年(1872)に女性の
富士登山が許可された後、手軽に登れる登山道をめざし、御殿
場在住の伴野佐吉らが中心となって明治16年(1883)に
完成した。同地の浅間神社から滝ヶ原、馬返、太郎坊を経て、
須山口登山道2合8勺に接続する経路であった。明治22年、
東海道線(現JR御殿場線)が開通し御殿場駅が設置さ
335: (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) 2018/01/12(金) 11:12:04.40 ID:ncJKes9f0(190/190)調 AAS
当時の道はところどころ途絶え、正確にたどる事はできない。・
御神幸道標石御神幸道沿いに、一丁(約109m)毎に標石が建
てられていた。現在ではそのほとんどが失われたが、山宮浅間神
社周辺には四十七丁目石、四十九丁目石が残っている。写真道標
石の写真・東山宮二区区民館山宮二区の住民が、会合等で利用す
る区民館が建てられている。・県道180号富士宮富士公園線山
宮浅間神社東南側には、浅間大社前交差点を起点とし、富士山山
頂が終点の「県道180号富士宮富士公園線」が通っている。B
3村山浅間神社・宿坊跡(大鏡坊、池西坊、辻之坊)江戸時代に
は、村山三坊のうち「辻之坊」は東屋敷跡が現在の児童公園付近
に、西屋敷跡が北西に300m離れた酪農用牛舎付近に、「大鏡
坊」は辻之坊東屋敷のさらに西側に、「池西坊」は現在の児童公
園の南側にあったとされる。児童公園から西へ道沿いに宿坊跡の
ものとされる石垣が残り、大鏡坊の入口跡と考えられる痕跡を見
ることができる。写真宿坊跡の写真・見付跡(東見付、西見付)
集落の出入り口となる東西のはずれに「東見付」「西見付」と呼
ばれる、村山に入る不審者を取り締まる関所があった。−87−
西見付跡は村山浅間神社門前から西へ約550m、東見付跡は神
社門前より南に約200mのところにある。B4須山浅間神社・
浅間橋朱塗りの欄干を持つ橋が境内地の南側に架けられている。
B5冨士浅間神社・駐車場(トイレ)境内地の南西側、裏参道を
出たところに、参拝者用の駐車場が設けられている。また駐車場
東端には、トイレも建てられている。・国道138号線及び県道
150号線足柄停車場富士公園線境内地の西側には、国道138
号線が、また東側には県道150号線足柄停車場富士公園線が通
っている。県道の終点は富士山頂となっている。B6河口浅間神
社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅来訪者のための駐車場とし
て、また緊急時や災害時の緊急車両の配置ができるよう駐車場敷
地が整備されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B
12船津胎内樹型・産業関連施設・その他の人工物B13吉田胎
内樹型富士スバルライン料金所付近から、吉田胎内本穴方面に向
かう、林業施業のための物資搬出路がある。B14人穴富
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
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