[過去ログ] 灘中学校・灘高等学校 Part39 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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879: 2019/02/27(水) 05:27:40.23 ID:KJ0b0FMU0(1/3)調 AAS
酒が売れず経営難だった蔵元 復活への道は味の追求
2019年2月26日 7時0分 写真:Smart FLASH
外部リンク:news.livedoor.com
880: 2019/02/27(水) 05:28:22.10 ID:KJ0b0FMU0(2/3)調 AAS
バブル崩壊で多額の借金を背負った蔵元、復活への道は
外部リンク:smart-flash.jp

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蔵の名前が書かれた昔の貧乏徳利を持つ高嶋さん

 継承というよりも、開拓という言葉がふさわしい。
高嶋酒造の高嶋一孝さんは、蔵の歴史を基礎にしながらも、大ナタをふるうように、高嶋酒造のあり方を開拓した人である。

 社訓「精力善用 自他共栄」も新たに高嶋さんが考えたもので、自らを鍛えて得たものを、他人と分かち合い、共に栄えるという意味がある。

 じつはこの言葉は、柔道の創設者である嘉納治五郎氏の教えであり、古くから酒処として知られる灘の酒蔵の数社が開校した、関西の名門・灘高校の教育方針でもある。

 このふたつが端緒となり、学生時代は柔道に打ち込んだという高嶋さんが、理念として選んだ言葉だった。

 高嶋酒造は海が近く、もともとは、漁業の網元だった初代が創業。東海道の宿場町として栄えたこの場所で、行き交う多くの人たちのために、酒造りを始めた。

 ところが、宿場町の衰退とともに、需要は激減しつづけ、先代は酒蔵だけでは食べていけないと、特にバブル期は、多角的なビジネスに着手する。

 だが、バブル崩壊の影響で多額の負債を背負うことに。負債を抱えたまま、酒も売れないという経営難に陥った。

 そんな状況で、高嶋さんが蔵を継いだのが2003年。経営を立て直すと同時に、「薄っぺらい味だった」という酒質も改善。自分の造りたい味を追求し、販路も一から開拓する。

 結果、需要が高まり、今や愛好家の間で広く知られる銘柄になった。

「僕が造りたいのは、燗酒でたくさん飲めるスタンダードな辛い酒。むやみに主張する味ではなく、さりげなく個性が滲み出る酒を目指しています」

 今までの高嶋酒造にはない酒を育みながら、高嶋さんは歴史を紡いでいく。
888: 2019/02/27(水) 23:43:34.08 ID:KJ0b0FMU0(3/3)調 AAS
ノーベル賞の数とか
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