[過去ログ] 【第十回】 太平記 part.10 【帝の挙兵】 (994レス)
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27: 2010/04/26(月) 19:26:11 ID:fysHYLV1(1/2)調 AAS
何となくだけど、各家が室町〜戦国期に持っていた地盤ってわかるんだけど
足利家って、領土的な地盤って無かったの?
28: 2010/04/26(月) 20:13:18 ID:aTz7z2G5(1)調 AAS
看板はあっても地盤はないのが将軍家
29: 2010/04/26(月) 20:46:03 ID:fysHYLV1(2/2)調 AAS
やっぱそうか
高一族皆殺しとかが響いてるのかねぇ・・・
30: 2010/04/27(火) 04:28:46 ID:rzB5dHda(1)調 AAS
各地に幕府直轄領(御料所)はたくさんあるだろ?

もっとも室町幕府の御料所は、基本的に奉公衆か守護クラスの武家を代官と
して預け置く形式だから、中央の統制力が低下すると結局預け置かれた者の
私領化する傾向が強くなる。

但しこうした構造自体は、豊臣政権の蔵入地(関ヶ原以降は実態喪失)や、
江戸幕府の天領(除、軍事・経済上の要地)も、同様の構造だけどね。
31
(1): 2010/04/27(火) 10:00:10 ID:xHtoAURT(1)調 AAS
鎌倉幕府以上に財政基盤が貧弱だったというのを何かの本で読んだ記憶が
32
(1): 2010/04/27(火) 10:30:14 ID:uJNeK2vd(1)調 AAS
義政以降は看板だけで
とうてい封建領主とはいいづらい状態だしなあ
33: 2010/04/27(火) 14:08:36 ID:Kpe9F4rE(1/2)調 AAS
>>31
そんなこともないと思うが。
もっともこの時代は、貨幣経済の発達に為政者側がついていくことが
できていないために起こる経済的な混乱はあるけど。

>>32
少なくとも、明応の政変までは義政以前とさほど変わっていない
イメージがあるけど。
義尚・義材の六角氏征伐なんかは、幕府(将軍家)の経済力や軍事動員力が
この段階ではまだまだ十分に機能している証左だし。

それに明応の政変後の京兆専制論(細川京兆家による将軍傀儡化論)だって
もはや過去の学説になりつつあるわけだし。
34: 2010/04/27(火) 14:38:49 ID:Kpe9F4rE(2/2)調 AAS
>>24
小沢への忠誠心を示すための功を焦って、独断で生方を解任しようとしたあの人は?
35: 2010/04/28(水) 21:34:29 ID:fGv0R6R+(1)調 AAS
最近DVDで見直したが・・最初のほうの闘犬のシーンや子役による乗馬アク
ションなどに度肝を抜かれた。地味だが、かがり火の火力もハンパないし。
しかし高時の側にいた小田茜の顔が印象深かったな。なんとも退廃的で美しい
少女だった。自決するときに始めてしゃべったような気がするが・・
36: 2010/04/29(木) 00:24:32 ID:J8cH5/5g(1)調 AAS
六波羅陥落の時に
「顕子の父も…」
ってぼそりと言ってる
37: 2010/04/29(木) 00:29:14 ID:jl4SDp1C(1)調 AAS
ええっずっと乳だと思ってた!
38: 2010/04/29(木) 08:06:51 ID:EmOi4d81(1)調 AAS
小田茜、ちょっと足りない唖の娘の役かとおもったら、最後にしゃべり出したので焦った
39: 2010/04/29(木) 23:35:24 ID:0Jdd3YD1(1)調 AAS
顕子の乳も・・・

(;´Д`)ハァハァ で、続きは?
40
(2): 2010/04/30(金) 12:55:49 ID:OehpsgMS(1)調 AAS
逆に、だからこそ、意のままになる将軍を据えようと政元以降の歴代の細川京兆家当主は悪戦苦闘していた訳だ。
将軍が本当に傀儡だったら、追い出したりすげ替えたりする必要もないしね。
41: 2010/04/30(金) 15:18:57 ID:fJg1g3RY(1)調 AAS
>>40
最後の義昭だって大人しく傀儡の座に収まっていられる人物だったなら、
あんな早く信長と決裂しなかっただろうからね。
42: 2010/04/30(金) 18:28:09 ID:eglo3weF(1)調 AAS
>>40
政元以降といったって、実際のところそれ以降で将軍をコントロールしようとしたのは、高国くらいのものじゃね?
晴元の段階になると、三好氏の台頭などで足下の京兆家家中の動揺が激しく、将軍がどうのという前に自分のことで精一杯な感じのイメージがある。
43: 2010/04/30(金) 18:32:07 ID:wjzechoR(1)調 AAS
室町後半の内容は「花の乱」スレのほうが相応しいかも
2chスレ:nhkdrama
44
(1): 2010/04/30(金) 21:23:39 ID:KXtl7yTo(1/2)調 AAS
花の乱は脚色過多だからなぁ・・・
富子視点じゃない、普通の室町を見たいねぇ・・・

つーわけで、次は足利義満でどないだ?

ムリ? もぉ戦国幕末は飽き飽き
45
(2): 2010/04/30(金) 22:07:15 ID:LkEZm8FQ(1)調 AAS
>>44
残念、再来年は一休宗純です。
46: 2010/04/30(金) 23:11:57 ID:KXtl7yTo(2/2)調 AAS
>>45

マブっすか? それはそれでオイシイ
47: 2010/04/30(金) 23:53:00 ID:4YfiDJCh(1)調 AAS
子役は人気が出るからと、延々とんち小坊主の話だったりして。
48: 2010/05/01(土) 09:28:45 ID:Wg9EE1Ad(1)調 AAS
だから子ども店長が声変わりする前に一休を撮らねばと
少年時代に25話費やしてもいい
49
(2): 2010/05/02(日) 12:23:45 ID:X7E/5bWc(1/2)調 AAS
結局、新田義貞はどうすりゃよかったのかね?
後醍醐帝奉じてる限り、局地戦でどれだけ勝利しても
最終的に全国の武士は足利に流れちゃう
かといって後醍醐帝の権威を否定は自分の正当性も否定する事になる
なんか詰んでる気がする
50
(2): 2010/05/02(日) 13:07:51 ID:dKpmv9fP(1/3)調 AAS
>>45
大河ドラマの主人公に天皇と宗教家はNG、というルールはどうなる?
51: 2010/05/02(日) 13:08:49 ID:dKpmv9fP(2/3)調 AAS
>>49
早い段階で足利に従って、室町幕府の有力守護として生き残るのが最善の選択だったのでは?
52
(1): 2010/05/02(日) 13:16:12 ID:NSjSk8FU(1/2)調 AAS
>>49,50
戦死しないで北陸で地盤を築いていれば、どこかで足利と妥協し
同じ南朝の中心だった北畠氏のように有力守護として生き延びられたかな
53: 2010/05/02(日) 13:39:00 ID:dKpmv9fP(3/3)調 AAS
>>52
でも新田が北陸(除、越後)に地盤を築くのは難しいと思うよ。

北陸は元々鎌倉時代に名越の地盤だったから、それを引き継いだような
感じになった斯波に分があると思うし。
54: [age] 2010/05/02(日) 15:23:21 ID:MR81VLRL(1)調 AAS
中世(除戦国)の大河ドラマスレ一覧

【1976年大河】 『風と雲と虹と』
2chスレ:nhkdrama
【1979年大河ドラマ】 草燃える part7
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【第十回】 太平記 part.10 【帝の挙兵】
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炎立つ
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花の乱3
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【ファミ劇放送中】北条時宗【竹中半兵衛の子孫】
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【スレッド】義経Part141【復活】
2chスレ:nhkdrama
55: 2010/05/02(日) 17:42:42 ID:fW+jpimw(1)調 AAS
>>50
金村馬子と鎌足不比等道鏡
主役ならおK?
56: 2010/05/02(日) 19:10:26 ID:VyBh8JpW(1)調 AAS
新田の地盤ってどこだろう
確認してないけど群馬県?

ドラマ内でも「貧乏御家人の新田が・・・?」とか言われてたが
弱小(?)新田が
足利と競うためには、後醍醐側に居続けなければならないよなあ
57: 2010/05/02(日) 21:46:42 ID:X7E/5bWc(2/2)調 AAS
そして後醍醐側につく限り足利に勝てないんだよなぁ・・・
やっぱり詰んでるよな
58: 2010/05/02(日) 23:23:48 ID:NSjSk8FU(2/2)調 AAS
足利に勝つのは無理でも、ここを上手く生き延びられたら
大河の主役に成れたかもなあ、義貞
59: 2010/05/03(月) 01:29:32 ID:UyFPWSdA(1)調 AAS
片岡孝夫(当時)の後醍醐は本当にカッコいいのだが・・・。
後醍醐はどう時間をやりくりして子作りをしてたのかと、いつも思う。
60: 2010/05/03(月) 02:23:31 ID:/IkB2rHF(1)調 AAS
きっとものすごく早いんだよ。
61: 2010/05/03(月) 11:15:59 ID:M/jSmV0w(1)調 AAS
真言立川流秘奥義即身成仏ですよ
62: 2010/05/03(月) 14:01:15 ID:ia5kx9cE(1)調 AAS
仏魂でェェ
63: 2010/05/03(月) 14:37:44 ID:cx0qV3At(1/4)調 AAS
新田が鎌倉に割拠していれば、ある意味
足利と新田の立場は入れ替わったかも。

あと、尊氏が敗走した際も、新田はチャンスだった。

止めを最後まで刺しに行かずに内侍とまうまうしたくてすぐ帰るし
討伐軍だしても、メンツにこだわって、円心を前に全然進まないし
乾坤一擲で勝負してる尊氏との差がでかすぎる。
人物として尊氏とくらべて義貞は二枚三枚劣るような希ガス
弟も直義と義介じゃ比べもんにならん。
64: 2010/05/03(月) 15:52:03 ID:B+6d+PYN(1)調 AAS
義貞個人の力だけでは如何ともし難い事情もあったとは思う。

尊氏と義貞を比較すれば、全然排気量の違う車で(勿論尊氏の方が大きい)
義貞は遥か後方スタートしたレースみたいなもんで。

それで直接戦うと結構義貞が勝ってたりする時があるのも面白い所。
65: 2010/05/03(月) 20:32:09 ID:yXWZzy5u(1/2)調 AAS
新田は鎌倉落とした後、何がなんでもそこを離れずに地盤とすればよかったのかな?
66
(1): 2010/05/03(月) 21:01:23 ID:cx0qV3At(2/4)調 AAS
鎌倉は武家の都だから、そこに割拠できれば最高だったんじゃない?
ただ、朝廷に第二の北条と目されて
招聘や攻撃をノラリクラリとかわす力もいっただろうし、
足利側も根を張ってたから
新田義貞の器量ではむずかしかったかも・・・

まぁ後醍醐帝さえまともだったら義貞はおいしいポジにいれたんだろうけどね。

京都・鎌倉攻めって、大河では尊氏と義貞が示し合わせてやったみたいな感じだったけど
実際も示し合わせてたのかな?
67
(1): 2010/05/03(月) 21:16:07 ID:yXWZzy5u(2/2)調 AAS
まあ義詮を担いでいるんだから、ある程度打ち合わせをしていないはずはないな。
68
(3): 2010/05/03(月) 21:18:43 ID:GUjRUdmH(1/3)調 AAS
たぶんさ尊氏が九州に敗走した時にちゃんと追撃してりゃ尊氏は死んだと思う
だけど後醍醐が武士を軽視する限り、第二、第三の足利が出てくるよね
結局義貞が後醍醐の忠臣である限り武士勢力と戦い続けなきゃならないよね・・・
69: 2010/05/03(月) 21:43:29 ID:cx0qV3At(3/4)調 AAS
>>68
足利、新田を除けば武家の束ねなんて・・・
吉良、今川で求心力があるとも思えんし
北条復活フラグか?
70
(1): 2010/05/03(月) 21:56:02 ID:GUjRUdmH(2/3)調 AAS
まぁ北条復活あたりが最有力だろうね
そして復活北条倒しても、今度は誰かを旗頭にってカンジじゃない?
誰かがまとめて立ち上がる、ってより
武家勢力が神輿を担ぎあげるってカンジになると思う
関東武士が頼朝担ぎあげたようにさ
71: 2010/05/03(月) 21:59:59 ID:cx0qV3At(4/4)調 AAS
>>70
高時の遺児って残ってなかったけか?
72: 2010/05/03(月) 22:08:58 ID:GUjRUdmH(3/3)調 AAS
時行だっけ?忘れたw
北条を根こそぎ滅ぼしたら
今度は源氏の血筋を無理やりもってくるんじゃないかな
武田とか佐竹とか旗頭にしてさ
73: 2010/05/03(月) 22:17:35 ID:mbm1Eid9(1)調 AA×


74: 2010/05/04(火) 03:28:42 ID:NEbsTn/r(1/2)調 AAS
>>66-67
時間的な問題としても挙兵は一日違いくらいでほぼ同時といってよい状況。
同時の交通・通信事情では、どんなに早くても畿内と関東の連絡には
片道で4〜5日はかかるはずだから、義貞は尊氏の六波羅攻めを知る前に
挙兵していることになる。
その状況で、義詮や関東残留の足利一門と直後に合流しているのだから、
事前に何の打ち合わせもしていないということは考えられない。
75
(1): 2010/05/04(火) 03:30:05 ID:NEbsTn/r(2/2)調 AAS
>>68
赤松円心が尊氏を保護した時点で、円心を倒さない限り、尊氏の息の根を
停めるのは無理だよ。
76
(1): 2010/05/04(火) 16:49:09 ID:D65E0+PG(1)調 AAS
>>68
後醍醐は、武士だけでなく大半の公家からも不評だから、万が一義貞が反後醍醐派の武士を根こそぎ叩き潰したとしても、その後に円滑な政権(朝廷)運営ができる保証はない。
77
(1): 2010/05/04(火) 17:30:51 ID:dcZqexjk(1/3)調 AAS
>>75
播磨から九州に落ちるとこ追撃すりゃいいんでね?
円心は籠城するしかないんだから、兵を一部割いて囲んで放置

>>76
だったら余計に詰んでるじゃないw
やっぱりどっかで後醍醐見限って、足利に臣従しか生き残れる道は無かったのかね
78: [age] 2010/05/04(火) 18:58:05 ID:RPup19qf(1/2)調 AAS
とりあえず、建武3年の段階では、公家・武家を問わず、
阿野廉子の取り巻き以外では、後醍醐の新政をプラスに評価している人は
皆無のような。
79
(1): [age] 2010/05/04(火) 19:03:46 ID:RPup19qf(2/2)調 AAS
>>77
>播磨から九州に落ちるとこ追撃すりゃいいんでね?
>円心は籠城するしかないんだから、兵を一部割いて囲んで放置

摂津・播磨国境付近は、陸路も海路も天然の要害という感じの場所だし、
尊氏は九州へ落ちる際の室津の軍議で、山陽道・南海道の各国に
大将(軍事担当者)を決めているから、後醍醐側は赤松を何とかしない
限り、それより西の敵地に深入りはできないと思うぞ。
下手に深入りすれば退路を断たれる危険性もあるわけだし。
80: 2010/05/04(火) 19:45:53 ID:MUdOwhVT(1/3)調 AAS
まぁ、円心の元に逃げついた尊氏は運があったんだろうが
新田の追撃がかなり手ヌルかったんじゃないかと・・・

あと、九州落ちした後の新田の動きもヌルい
初動が遅いのはもちろん
白旗城にこだわりつづけて、前に進まなかったのも
自分の面子にこだわったからだろう

「円心はかの楠木にも匹敵する武将、六波羅が20万の大群で落とせなかったものを
なんでワシが6万で落とせようか」
といって、3千ほど囲いの兵を残して前に進めばよかったんだよ

九州はともかく、中国あたりは押さえられたんじゃないの?
81
(1): 2010/05/04(火) 19:51:37 ID:MUdOwhVT(2/3)調 AAS
円心を賞賛しつつ
「ワシの相手は朝敵尊氏だけぞ!」と小物は相手にしない姿勢を示せば
器の大きなところも見せられたんじゃなかろうか?

わりに新田はカッコつけだろ?
敗走してるのに橋を落とすのは源氏の大将のやることじゃない!
とか言って落とさなかったりしてるし
82: 2010/05/04(火) 20:02:57 ID:dcZqexjk(2/3)調 AAS
>>79
円心は攻勢に出られる程兵力無いんだから、睨みきかせておくだけで封じれるんじゃね?
確かドラマでも別働隊の脇屋義助が周防の辺りまで行ってたような・・・

>>81
結局自前の兵力持ってる足利と違い、血統しかないからかもね
カッコでもつけて周囲を心酔させなきゃ身内しかついてこないとか
83
(1): 2010/05/04(火) 21:45:12 ID:8PTBQURK(1)調 AAS
そもそも元弘の恩賞で円心を冷遇してなきゃ
足利方に付かれることも無かったがなw
84: 2010/05/04(火) 21:47:43 ID:MUdOwhVT(3/3)調 AAS
かっこの付け方が違うような気がするんだよね
九州落ちした尊氏が
わずか千の兵力で数万の菊池軍に突撃し
必死で戦う姿を九州の武士に見せる

なんか格が違うんだよね
85: 2010/05/04(火) 23:00:19 ID:dcZqexjk(3/3)調 AAS
そういえば多々良浜の戦いどころか九州落ちの辺り丸っきりドラマでやらなかったねw
必死で戦うのを見せるのがカッコつけるといえるかどうかワカランけど
高貴の血筋、源氏の大将らしく堂々とし品格見せるのもアリだと思うよ
とくに都コンプレックスの田舎武者相手なら効果高いと思う
ただ新田の場合、義貞自身正体が所詮坂東の田舎貧乏武者というところが・・・哀れw
86
(1): 2010/05/05(水) 00:28:20 ID:eZowFdr/(1)調 AAS
>>83
てゆうか、新田ってそもそも本気で赤松と戦う気があったのかね?
元はといえば、新田も赤松も大塔宮派で同じ釜の飯を食べた仲。
いくら赤松が足利方に付いたからといって、廉子派が牛耳っている朝廷の
いうがままに赤松と全面対決する心境になるものかどうか。
87: 2010/05/05(水) 01:23:47 ID:pU3z1HFV(1/3)調 AAS
>>86
面子にかけて白旗城を落としにかかってたとおもうよ
新田は大塔宮派とは少し違うような気がする

結局、大塔宮に対してもあまりアクションらしいアクションなかったもんな
新田は
流されるとき、自分の領地に!!とか言えばまた違っただろうに
88: 2010/05/05(水) 03:16:38 ID:fxfLze/M(1)調 AAS
新田って周囲からは明らかに大塔宮派と見られていたと思うけど
89
(2): 2010/05/05(水) 03:28:54 ID:/vPIvG1s(1)調 AAS
尊氏の九州逃亡中に、赤松が新田に対して
「自分が尊氏側に付いたのは建武政権の恩賞に不満があったからで、
大塔宮には恩義を感じているから、恩賞さえ再考してくれれば寝返る」
みたいなことを言って、それをもっともだと感じた新田の攻撃の手を緩め、
新田がこの件で京都にうかがいを立てている間に、赤松は播磨各地の
城の防備を固めた、って話がある。

播磨に攻め込んできた新田に対して赤松がこのようなことを言うのも、
また、それを新田がもっともなことだと受け取るのも、新田が元々は
大塔宮派だったからではないかな?
90
(1): 2010/05/05(水) 13:13:47 ID:pU3z1HFV(2/3)調 AAS
>>89
赤松に時間稼ぎに利用されただけだろ?

つーか、赤松放置で前に進むべきだったとおもう
91: 2010/05/05(水) 16:56:26 ID:dzoJ1eIt(1)調 AAS
だから、相手が新田ならこの言い分で時間稼ぎができる、と赤松は考えたってことだろ?
92: 2010/05/05(水) 17:08:35 ID:5kC9eeGH(1)調 AAS
実際、義助がかなり西まで進んでいるのに、大して戦果はなかった
わけなんだから、義貞本人が行ったところで、大して意味ないだろ。

つうか新田ネタで史実と異なるifを語られても面白くないし
新田は所詮足利に対抗しうる器ではなかったっていうことのみが真実
93: 2010/05/05(水) 19:43:11 ID:syKC9rDf(1)調 AAS
まあ鎌倉期における家柄だけでなく、当人の器量でも尊氏>義貞だっただろうね。
94
(1): 2010/05/05(水) 20:21:57 ID:pU3z1HFV(3/3)調 AAS
実際、家柄で言えば兄の家系にあたる新田はいろいろ鬱屈したものを抱えていただろうけど
武家の棟梁としてはあんまり考えてなかったんだろうなぁ・・・

尊氏はスゴイ意識してただろうし、北条幕府下で腹芸も覚えただろうからなぁ・・・
95: 2010/05/05(水) 20:39:41 ID:NRMqCp+y(1)調 AAS
兄の家系だからっていう発想自体が後代のものだね
96
(1): 2010/05/05(水) 21:01:32 ID:jpmAA9Cd(1)調 AAS
>>89
大塔宮って、親房との会話で「所詮、東夷(あずまえびす)であろう」とか
言っていたような気が。楠木や赤松は一緒に戦った仲だけど、新田との接点は
あったのかな?
97
(1): 2010/05/06(木) 14:11:17 ID:2bT+dIgF(1)調 AAS
>>90
中国の戦記とか日本でも関ヶ原の直前での秀忠対真田親子でもこういう時間稼ぎって出てくるしなぁ。
むしろ日本の軍記モノによくある漢籍からヒントを得た創作エピソードなんじゃないかって気がする。
98: 2010/05/07(金) 00:08:58 ID:D0Z8iaG1(1)調 AAS
>>97
いやぁさ・・・うん百年後のアーヴも同じ様なことするんだから
何時の時代のどんな場所でも、みんな似たような事考えるんじゃない?
99: 2010/05/07(金) 01:29:49 ID:gNmeH1M/(1)調 AAS

100: 2010/05/07(金) 07:29:47 ID:IfBuLE6C(1)調 AAS
>>94
平家物語前後の、為義-為朝と頼政みたいなもんかな?
>兄の家系
101: 2010/05/07(金) 15:03:39 ID:G23Mr1iz(1)調 AAS
>>96
そういえば、ドラマの中で、大塔宮が幕府滅亡後、新田に上洛を促したり、
恩賞の仲介をしてやるといっている場面があったね。
「東夷には2つの頭があるから、片方だけが大きくなり過ぎないように
操ることが重要」とも言ってた。

個人的な関係において仲が良かったかどうかは別にしても、互いに足利への
対抗勢力として結びつこうとする意識が働いていたことはあるんじゃないかな?
102: 2010/05/07(金) 15:57:14 ID:W4Jh0xKJ(1)調 AAS
自前の兵力は足利が突出していたのかな?
新田は貧乏御家人だったし、千種・北畠はもともと公家
楠・名和・赤松は後醍醐あってこその地方豪族

実は判官殿が武力も政治力も血統も足利に次ぐ?
103
(1): 2010/05/07(金) 17:50:48 ID:EpBcaQJs(1)調 AAS
判官殿、武力・政治力はともかく血統はいかに?
源氏とはいえ清和源氏じゃなかったハズ・・・
104
(2): 2010/05/08(土) 05:19:32 ID:Ty2qIUIO(1)調 AAS
判官殿が京極ではなく六角なら
佐々木源氏の頭領なのでもっと力があった
でも警戒されるかも
105: 2010/05/08(土) 08:38:06 ID:LuoGyym4(1)調 AAS
いや、武力なら桃井直常だね。桃井が90で判官が70くらい。目じゃない。
桃井なら尊氏に最終決戦で勝てた。何でドタキャンするんだ。もったいなかったな…
106
(1): 2010/05/08(土) 10:54:23 ID:6K2CFCii(1)調 AAS
桃井は戦闘は強いが政治力はない、血統も足利一門の末の末
107: 2010/05/08(土) 14:21:08 ID:Rny58TNl(1)調 AAS
すげえな。このスレまだまだ続いてた。
チャンネル銀河の「独眼竜政宗」見られる人少ないのかな?
あっちのスレは閑散
108: 2010/05/08(土) 14:46:01 ID:fioIxsrj(1)調 AAS
太平記も含め、後から色々作品見たけど個人的に大河視聴率1,2位の作品は
期待が大き過ぎたのかあまり面白いと思えん。
109: 2010/05/08(土) 19:33:48 ID:d+bj+BJy(1)調 AAS
チャンネル銀河はCATVに入ってないところも多いんじゃないか
110: 2010/05/09(日) 20:56:44 ID:a1Fq0Uqn(1)調 AAS
ゴダイゴ天皇役の片岡孝夫が、大河史上最高の配役でしょう。
111: 2010/05/10(月) 19:52:29 ID:epkZBJ/n(1)調 AAS
全体を覆う禍々しい狂気が何ともいえず好きだ。
112
(1): 2010/05/10(月) 19:59:43 ID:0IXK9AST(1)調 AAS
>>104
南朝方も村上源氏の北畠卿に開幕させちまえば良かったんだよw
お公家様なのに奥州常陸と奮戦してたし。
113
(1): 2010/05/11(火) 09:08:57 ID:ry2nOXPX(1)調 AAS
天皇親政がゴダイゴの信念だから開幕はあり得ないと思う
114: 2010/05/11(火) 15:31:42 ID:5GGbojpQ(1)調 AAS
後醍醐没後は南朝の最高実力者は北畠卿だったのかな
115: 2010/05/12(水) 00:36:51 ID:TMPLNldk(1/2)調 AAS
>>103
朝廷や公家社会での本来的な血統意識においては、むしろ
宇多源氏>清和源氏だと思う。

宇多源氏には公家として残った家系もあるが、清和源氏は中央にいても
出世の見込みがないから、みんな武士になったわけで。

>>104
京極は初代氏信の母方が得宗家だし、鎌倉期において代々検非違使に任官、
さらに佐々木一族の中で鎌倉幕府の評定衆を最も多く出した家だから、
六角との実質的な力関係は、道誉以前からかなり拮抗していたと思うよ。
116: 2010/05/12(水) 00:42:45 ID:TMPLNldk(2/2)調 AAS
>>106
桃井が政治能力のないタダの筋肉バカだったなら、直義が重用するとは
思えないよ。
直義にあれだけ重用されたってことは、それなりに頭の優秀な
人物だったんじゃないかな?

>>113
確かに全国政権としての開幕はあり得ないが、ただ建武政権期の
陸奥将軍府・鎌倉将軍府は、“事実上の小幕府”という矛盾もあるんだよね。
117
(1): 2010/05/12(水) 17:18:37 ID:8FFydTP4(1)調 AAS
>>112
北畠も、村上源氏の嫡流ではないから・・・。
118: 2010/05/15(土) 19:57:16 ID:pRAXWUey(1)調 AAS
存外非力じゃのぉ
119
(1): 2010/05/17(月) 21:22:21 ID:Kl2k76Cw(1)調 AAS
足利のイナゴはなかなか刈り取れんわ
120: 2010/05/17(月) 23:22:13 ID:FknKXLnn(1)調 AAS
館林のつつじ公園には「勾当内侍 遺愛のつつじ」が。
121: 2010/05/20(木) 09:51:53 ID:Xe5bkH6i(1)調 AAS
>>119
イナゴ×
稲穂○

イナゴ言ってたのは第一話の子供の喧嘩だよ
122: 2010/05/20(木) 19:23:09 ID:GW1sm2mW(1)調 AAS
偶然見つけたんで貼る。こういうの嫌いな人はごめんなさい。
でも個人的には笑って笑って涙出たんで。

429 名前:風と木の名無しさん 投稿日:2009/06/22(月) 23:34:45 ID:MDalWH7lO

騎乗位に禿燃える。
ノリノリで攻め攻めな受が攻を押し倒して騎乗位するんだけどやっぱ物足りなくて
結局攻に押し倒し返される。

受すねる。

体位変える時もガチュンしたまんまでアヒィなら直義。

430 名前:風と木の名無しさん 投稿日:2009/06/23(火) 00:42:30 ID:TcjscyUF0
足利の弟かと思ったぞ>直義

431 名前:風と木の名無しさん 投稿日:2009/06/23(火) 13:04:02 ID:h1GXh6YqO
官能の情乱…か
123
(1): 2010/05/21(金) 02:46:57 ID:TVnvCF7O(1)調 AAS
>>117
村上〜の嫡流って何家だっけ?
124: 2010/05/21(金) 09:31:43 ID:fG/DaEel(1)調 AAS
>>123
久我家
125
(1): 2010/05/21(金) 22:59:10 ID:4HLl//fU(1)調 AAS
尊氏は、おろかじゃのう。
朕は、神でも鬼でもない。人じゃ。
人であるがゆえ、腹も空く、おかしければ笑い
世が思うままにならねば怒りもする。
朕の政を邪魔立てする者は
たとえ誰であろうとも、この手で打ち払うてみしょうぞ。

案ずるな。関東をすておきはせぬ。
すでに奥州の北畠に命じた。
速やかに敵の背後を突き、鎌倉に攻め入るようにと。

北畠顕家は朕の分身のごときものじゃ。
必ずや北条を討伐しよう。
それゆえ、そなたは都にとどまれ。
動くことあいならぬ。
126: 2010/05/22(土) 00:21:20 ID:Jp0MMh9l(1/3)調 AAS
野に放った虎だわえ
127: 2010/05/22(土) 00:52:31 ID:nGvEuBh6(1/2)調 AAS
↓保守系のサイト巡ってたらこんな記事見っけたんだが・・

-----
外部リンク[html]:www33.tok2.com
光圀は「大日本史」上の編纂の中で摂津湊川に、楠木正成の忠魂の墓碑を建立しました画これは國の成り立ちを無視した足利幕府の批判、
及び徳川幕府の反省に連なる恩想です。そのため永く歴史の中で埋もれていた、楠木正成が真の忠誠の士として脚光を浴びる様に成りました。
その光圀の気風を内包するのが水戸学です。水戸学は光國の烈烈たる精神を受け継ぎ、あの明治の大政奉還を迎える為の、明治維新の呼び水となり、勤王の志士達の志の拠り所となりました。
128
(2): 2010/05/22(土) 00:54:44 ID:nGvEuBh6(2/2)調 AAS
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
外部リンク[html]:www.sankei.co.jp

楠木正成、北畠親房、山崎闇斎、吉田松陰…
歴史を紡いできた忠臣の声に今耳を傾ける

(要約)
楠木正成公を代表する日本精神、武士道における「忠」とは?
問題点1.後醍醐天皇は”不徳”であるから、大楠公の「忠」は誤りではないか?
問題点2.親房が「正統」とした南朝の系統は断絶したではないか?
              ↓
解決1.”不徳”は儒教の「徳治主義」における問題であり、易姓革命の根拠。
 山崎闇斎は「拘幽操」にて”徳”という条件を排除し、易姓革命を否定。
  ”不徳”の「君」に「忠」を尽くす大楠公こそ、忠義の精髄である。
解決2.皇朝における「正統」とは神武天皇の血筋であること。
 加えて皇位継承の条件は”三種の神器”。

(まとめ)儒学における「正統」→血筋+徳
 日本精神(崎門の学、水戸学)における「正統」→神武天皇の血筋+神器

参考文献
『神皇正統記』北畠親房
外部リンク:www.amazon.co.jp
動画リンク[YouTube]

『拘幽操』山崎闇斎
動画リンク[YouTube]

『保建大記』栗山潜鋒、『大日本史』水戸光圀、『保建大記打聞』谷秦山、『太平記』
129: 2010/05/22(土) 00:58:17 ID:W+wLycK7(1)調 AAS
嗚呼忠臣楠子之墓ってやつだな
多分ここにお集まりの歴史ヲタク諸兄には特に解説不要なものだと思うが

水戸黄門ってのは弟なのに当主になっちまったってんで
誰が継ぐのが正統かみたいなこと考えすぎちゃったみたいな人なんだね
130: 2010/05/22(土) 02:23:08 ID:4f4RYp0s(1)調 AAS
>>128
まだ大日本帝国が続いてるつもりかこの認知症ジジイw
131: 2010/05/22(土) 08:53:56 ID:TxnmqtcR(1)調 AAS
江戸期でも後醍醐帝は、”不徳”の「君」という認識だったのかー
片岡さんの帝とか、真田の高氏とか当時の人に見せたらどんな反応だろな
132: 2010/05/22(土) 09:57:18 ID:ulAKJ4Un(1)調 AAS
>>125
その時代に、天皇の人間宣言があったとは。。。
133: 2010/05/22(土) 16:59:14 ID:Jp0MMh9l(2/3)調 AAS
朕も肩こりじゃ
134
(1): 2010/05/22(土) 20:30:00 ID:7o5LndyC(1/2)調 AAS
>皇學館大学

この大学ってギャグみたいな名前だけど、
普通にちゃんとした中世研究者もいるんだよ…
135: 2010/05/22(土) 20:57:32 ID:Jp0MMh9l(3/3)調 AAS
バカ田大学
136
(1): 2010/05/22(土) 21:19:35 ID:Fz3ehGfh(1)調 AAS
南北朝正閏論争って1世紀くらい前の日本の歴史学界じゃんw

今時水戸学のイデオロギーどっぷりというのは、マルクス主義史観どっぷり並みに

                恥 ず か し い ww
137: [age] 2010/05/22(土) 22:09:37 ID:Fe/70y2b(1)調 AAS
>>134
そこの大学の中世史研究者っていうと、源氏長者の話とかで有名な人とか?

>>136
つうか南北朝正閏論争って、歴史学界に属する歴史研究者がしていた
議論というよりも、むしろ国会とかで取り上げられたりして、政治家など
国を動かす立場の人達が繰り広げていた問題ってイメージがあるけど。

研究者にとってはどうでもいいことだったし、南北朝正閏論争以降、
教科書的にはこの時代の名称が「吉野時代」に変わったあとも、
東大史料編纂所発行の『大日本史料』など、研究者向けの専門書の類の
ものは、「南北朝時代」の時代名称を普通に用いていたからね。
138: 2010/05/22(土) 23:06:46 ID:7o5LndyC(2/2)調 AAS
昭和天皇が「余も北朝の血筋であるから変なものなり」と漏らしてるのに、、、

逆に言えば、後醍醐は日本に易姓革命的な発想を持ち込む危険があった異端児なんだな。
もし後醍醐がいなければ、大楠公精神なんて幕末から昭和まであんなに過激化しなかったかも
139: 2010/05/23(日) 00:09:27 ID:81bj4kk1(1)調 AAS
幕末以降のイデオロギー的な「大楠公精神」みたいなのはアレだが・・・。

ただ正成が後醍醐に最後まで尽くしたこと自体は、当時の北朝の武士から
見ても、非難の対象にはなっていない。
もっとも、それは
“相手が天皇だから”
というよりも、
“楠木にとって後醍醐は大恩ある人物だから”
その人に殉ずるのもアリ、というような認識だったのだと思うけどね。
140
(1): 2010/05/23(日) 08:43:42 ID:CsUh0AzJ(1)調 AAS
歴史においてはどっちが正統なんてどうでもいいことだよね。
141: 2010/05/23(日) 19:59:47 ID:Mm2bbF0p(1)調 AAS
欲を言えば、正成、あと劇中で亜相どのに死を強いられた形の正行
これに疑問を持つ正儀
そんな群像劇とか見てみたいね。義満時代を作れば可能じゃないの
142: 2010/05/23(日) 20:19:33 ID:IzISxqrs(1)調 AAS
>>140
しかし、つい最近まで、歴史というものは「正統」を主張するための道具だったりする。

もっとも、右翼や中国や北朝鮮、韓国は今もそうだけどね。
143
(1): 2010/05/23(日) 21:37:49 ID:g0IhUiKH(1)調 AAS
今や大河ドラマ空白地帯は義満時代しかないな
144: 2010/05/23(日) 22:32:50 ID:f8CwBEEG(1)調 AAS
不徳でカルトだが後醍醐にはカリスマ性はあったのだろうな
だから彼の狂気に多くの人が殉じた
145
(1): 2010/05/23(日) 22:59:47 ID:QW9Dd2Z1(1)調 AAS
>>143
将門の乱より前や、江戸期の家綱・家斉時代も空白
まぁ基本となる原作があるか否か、そして魅力ある作品に出来るかは別だけど
146
(1): 2010/05/24(月) 11:50:27 ID:+/MQniRD(1)調 AAS
湊川で何の戦果も上げずに尊氏軍を足止めもできず無様に玉砕したのを
「君に尽くした」と言えるのかは甚だ疑問だけどな やはり正成は後世の人間に造られた欺瞞の英雄
というイメージが付きまとう
147: 2010/05/24(月) 14:36:48 ID:yDn7Gobw(1)調 AAS
>>146
和睦はおろか叡山遷座⇒ゲリラ戦の策すら退けた
帝や坊門を糾すための諌死だったからな湊川の玉砕は・・・。
148: 2010/05/24(月) 23:25:02 ID:pEvhRstv(1)調 AAS
南北朝正閏論 - Wikipedia 外部リンク:ja.wikipedia.org

近代以前の南北朝正閏論

・・・その後、水戸藩主・徳川光圀が南朝を正統とする『大日本史』を編纂したことが後世に大きな影響を与えた。『大日本史』は三種の神器の所在などを理由として南朝を正統として扱った。その際、北朝の天皇についての扱いについても議論となり、当初北朝天皇を
「偽主」として列伝として扱う方針を採っていたが、今の皇室との関連もあり、後小松天皇の本紀に付記する体裁に改めたという。だが、光圀が生前に望んでいた『大日本史』の朝廷献上は困難を極めた。享保5年(1720年)、水戸藩から『大日本史』の献上を
受けた将軍徳川吉宗は、朝廷に対して刊行の是非の問い合わせを行った。
当時博識として知られた権大納言一条兼香(後、関白)はこの問い合わせに驚き、北朝正統をもって回答した場合の幕府側の反応(三種の神器の所在の問題)などについて検討している(『兼香公記』享保6年閏7月20日条)。この議論は10年余り続いた末に、
享保16年(1731年)になって現在の皇室に差しさわりがあることを理由に刊行相成らぬとする回答を幕府に行った。だが、吉宗は同書を惜しんで3年後に独断で刊行を許可したのである。また、水戸藩も不許可回答の翌年である享保17年(1732年)に江戸下向中の
坊城俊清に同書を託して朝廷への取次を要請した。これが嘉納されたのは実に69年後の文化7年(1810年)のことであった。ただし、光圀の南朝正統論は水戸学に継承されるが、細かいところでは議論があった。光圀仕えていた栗山潜鋒は神器の所在に根拠を求め、
同じく三宅観瀾は名分の存在に根拠を求めて対立している。これは三種の神器の所在で正統性を求めた場合、前述の後鳥羽天皇の即位の経緯の問題が発生する上、北朝でも光厳天皇は即位した時に本物の三種の神器を保有していた可能性が高いという問題が
発生するためである(これは後醍醐天皇が隠岐島を脱出した際に出雲大社に対し、天叢雲剣の代替品として出雲大社の宝剣を借り受ける綸旨が現存していることからも指摘される[2])。・・・
149
(1): 2010/05/25(火) 00:38:08 ID:0uvar8pw(1)調 AAS
このスレで藤木孝のロカビリー歌手時代を教えてもらって以来
坊門様が出るたび12000回のキスが脳内で流れてしょうがないw
150
(1): 2010/05/25(火) 10:16:23 ID:gc6wAqoS(1)調 AAS
結局、今は三種の神器はどこにあるの?本物なの?
151: 2010/05/25(火) 12:52:16 ID:JT+FsaRq(1)調 AAS
>>150
鏡が伊勢神宮
剣は熱田神宮
勾玉のみ皇居

いずれも「本物」

だれかが偽者であることを証明するまではね。
152
(1): 2010/05/25(火) 14:30:31 ID:0IfvbwbY(1)調 AAS
トートロジーっぽくなっちゃうけど、
天皇が所有しているものが本物の神器であって
本物の神器を所有しているのが天皇というわけではないのよ

しかし苔丸ときたらw
153
(1): 2010/05/25(火) 19:02:36 ID:BEYt+muL(1)調 AAS
>>152
政治的にはその通りだが、歴史的にはその現在「本物」の神器はいつから「本物」になったのかは興味あるとこであるな。
大河の時代考証で「本物の三種の神器ってどんなものです?」「私もまだみたことありません」ってやり取りしたエピソードを読んで笑った覚えがあるw
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