[過去ログ] 【言葉】ほかす、かしわ、いきしな... 関東では通じない関西弁★9 (481レス)
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150(1): 名無しさん@1周年 2019/09/02(月) 23:58:17.65 ID:Bcwdlst50(1)調 AAS
なぜ新撰組は京都で嫌われたか
新撰組の主な隊員は多摩の百姓たちであった。
(今の府中市から調布市あたり)
多摩の百姓の言葉は、おら、だべの東北弁である。
ちなみに、今は東北弁というが、もとは関東一円で話されていた言葉である。
東北、北海道は関東からの移民なので、関東弁が東北にも広まったのだ。
その後関東人が関東弁(おら、だべ)を人前では話さなくなったので、
東北弁と呼ばれているだけである。
今は話さないといっても、現在の老人の世代だと、世田谷、横浜もだべの
勢力範囲であった。老人世代だと油断すると今もおら、だべが出る。
幕末の多摩の百姓であった新撰組もおら、だべ組みである。
この言葉は上方京都では蛇蝎のごとく忌み嫌われたことは確実である。
京都の茶屋でおら、だべと言っている侍を京都の人はどう思ったか?
この辺が上方における新撰組への蔑みの大きな要因だと思われるのである。
武士なのに、武家言葉が使えない、関東の水呑百姓の言葉をしゃべるからである。
ちみみに、剣術の習得は原則、武家に限られていたが、甲斐や武蔵など
武家の少ないところでは、治安のために百姓にも剣術の習得が許されたのである。
近藤勇らは、そうした剣術だけ修めた、ただし学問のない文字の読めない武士、
剣術道場の養子であった。よって、新撰組が捉えられたときには、武士としての
切腹は許されず、百姓として磷付けになったのである。
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