[過去ログ] 【古代ロマン】「卑弥呼が田川に眠っている可能性はたいそう高い」…研究家・福永氏が古代史フォーラムで自説/福岡★3 (712レス)
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389: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:12:21.28 ID:znTr8J4a0(6/10)調 AAS
同じ様式の土器がいくつもの地域に見られた場合
どこからどこへ拡散したのか、ってどうしてわかるんだろう
同じ様式は同時代ってだけじゃないのだろうか
390
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:16:31.32 ID:0ZJx2W5+0(11/12)調 AAS
>>388
纏向出現前後に畿内・吉備周辺の勢力の連合が成立している
その後に纏向型の古墳が関東から九州に至る範囲に広がってる形

ただ考古学的には九州が真っ先に影響下に入っているから記紀の記載と前後する
記紀だと崇神天皇の四道将軍の後に九州に遠征してこれを支配している
その辺は伝説時代で正確な情報がないから仕方ないと言えるかもしれない
391: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:23:18.84 ID:e4FMbuf90(1)調 AAS
>>388
邪馬台国は、九州にあって、その後、畿内へ東遷したわけだね。
392
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:27:53.95 ID:+uDyYrN10(5/7)調 AAS
地域によって作り方に違いがあって、その特徴から何々式土器、て呼んでるんだろな
庄内式は他の土器に比べて薄いとか、紋様の付け方に特徴があるとか。後形とか
そしてより古い様式が有るところが源流、て感じ
(発掘時の地層や作り方の複雑さで判断してるんだろう)
そして時代が下るにつれて(これは土器の様式の変化を見ているらしいが)
福岡だと元々西新式が優勢だったのが庄内式に塗り替えられる感じになってるとか
後、ヤマト政権の象徴的な前方後円墳の周りから広まってる
(恐らく庄内式のまだ古いものは古墳のある那珂周辺からだけだが、様式が新しくなるにつれ他の遺跡でも出るようになる)
のが、九州に(畿内が源流の)庄内式が広まっていった、て事になると判断してるんだろう
ただ、庄内式自体は九州の方が良く出るらしい。
393: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:31:39.64 ID:CQreacAE0(1/4)調 AAS
>>383
なるほど
実に論理的ですね
394: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:35:17.74 ID:pzxCaXlw0(1)調 AAS
ララ・クロフトが見つけたってよ
395: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:37:29.49 ID:CQreacAE0(2/4)調 AAS
倭国の大乱とはほぼ九州北部での各クニ入り乱れての戦乱だったのかもしれませんね。
396: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:41:57.55 ID:+uDyYrN10(6/7)調 AAS
>>390
まあ言い伝えだとどこかに齟齬はあるだろうし、しょうがないかも
397
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:45:00.32 ID:0ZJx2W5+0(12/12)調 AAS
>>392
庄内式というか庄内系

庄内土器が持ち込まれて在地で模倣生産が行われている
だから広範囲に現れバリエーションも多くなっている
在地土器の癖や特徴が現れて少しずつ各地で変わる
この動きからも九州が庄内式を「受け入れた方として理解することができる
398: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:49:18.54 ID:jFfHxJp80(1/9)調 AAS
奈良や大阪なんか征服された側。
大和朝廷に最初に支配された集団。

大和朝廷の主体は出雲や尾張東海だ。
399: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:51:59.73 ID:jFfHxJp80(2/9)調 AAS
大阪なんかヘタレで、大阪平野に引きこもり、いつもやられる側。
敗者の歴史しか無い地域。
400: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 17:58:00.88 ID:+uDyYrN10(7/7)調 AAS
>>397
畿内式を受け入れ、それが広まったんだろな
後は時期の問題か
401: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 18:02:15.65 ID:znTr8J4a0(7/10)調 AAS
素人目には、庄内式は九州式であって
畿内にも持ち込まれた、というふうに見えるけどな
402: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 18:47:22.36 ID:wYcybglX0(1/2)調 AAS
福岡が商業を含めた中心都市だったと仮定すれば
納得

土器なんて言い方悪いが、どこででもつくれるし
様式が似てるだけで、釉薬や土成分も
焼かれてるから判断が難しい
403: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 18:49:26.59 ID:69tjbWaN0(1)調 AAS
>>46
さっき偶然Youtubeで公式一話を見つけて視聴したらクッソおもろかったわ
それに曲が最高に良いな
404: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 19:09:26.20 ID:jFfHxJp80(3/9)調 AAS
博多辺りは、播磨系の土器が多いからなぁ。
吉備に征服された播磨の民は、兵として徴用され博多征伐に動員されたんだろう。
播磨物部。
405: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 19:21:33.04 ID:jFfHxJp80(4/9)調 AAS
奈良や大阪、讃岐、播磨、皆大和朝廷に征伐された地。物部が多いのはその為だ。
征伐された民は徴用され物部の兵としてかりだされた。

虐げられた民は、神功皇后応神を旗頭に大和朝廷に対して立ち上がるんだな。
406: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 19:31:11.13 ID:q5605QpJ0(1)調 AAS
妄想でここまで出鱈目を語れるって凄いです。
407: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:01:15.52 ID:i2/TfxZk0(1/17)調 AAS
錫を見ていたら、歴史が見えてくるな。伊弉諾尊が左の手に白銅鏡を取り持って天照大神を生み、右の手に白銅鏡を取り持って月弓尊(月読命)を生んでいる。
408: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:06:57.98 ID:i2/TfxZk0(2/17)調 AAS
天照大神と卑弥呼。月弓尊(月読命)と卑弥弓呼。つながる。ツクヨミの支配領域については、天照大神と並んで天を治めるよう指示されたとする話が幾つかある。卑弥弓呼は、狗奴国で、、邪馬台国の南。畿内説も比定している。
409: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:07:22.37 ID:CQreacAE0(3/4)調 AAS
5世紀になるかならないかのころ百済と組んで新羅や高句麗をヤマト王権はぶいぶい言わせてたようだけど、3世紀終盤あたりは他のクニを征伐していったというイメージがあまりしないんだよなコレが。鉄による攻撃力を持っていたのだろうか
410: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:09:19.24 ID:jFfHxJp80(5/9)調 AAS
奈良や大阪で神功皇后応神住吉さん仁徳鹿島の鹿さんが大切にされている理由を考えないとな。

応神さん住吉さん鹿島の鹿さんは、大阪や奈良の民の救世主。
411: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:09:58.47 ID:pE2PGwdc0(1/5)調 AAS
ひみこなんて実在してたかどうかもわからない
412: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:11:27.41 ID:i2/TfxZk0(3/17)調 AAS
熊本と鹿児島の連合としての熊襲というが、鹿児島市には、これまた錫がとれる錫山があり、硫化鉄までとれる。卑金属の産地。ちなみに、高千穂の祖母山も錫や鉛、蛇紋石までとれる。鉱物の宝庫。
413: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:13:56.77 ID:i2/TfxZk0(4/17)調 AAS
そんなに、鉱物とれるなら、福智山の麓と同じく、横穴群あるかな?と思うとしっかり、高千穂にも横穴墓がありますな。たたら製鉄や鍛冶のあとやね。八咫鏡つくれるはずだわ。
414: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:18:08.67 ID:wYcybglX0(2/2)調 AAS
錫「すず」理論か
素晴らしい目の付け所だね
いろんな研究が進み、謎がとける日がくるかな
個人的には土器だけで判断しろと言われても信用できないなあ
415
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:20:27.11 ID:i2/TfxZk0(5/17)調 AAS
ちなみに、三国時代に、呉の連雲港から、徐福さんが、日本へ行ってる。その呉が、青銅文明盛んな場所。魏も呉も錫を探しにきたんだな。
演歌歌手がうたう「無錫旅情」の無錫は、呉の支配下にあった。錫が無いと書く。ところが、漢の前時代まで、有錫と書いていた。それが、掘り過ぎて無くなった。
416: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:21:22.56 ID:q32Rx2NV0(1)調 AAS
東日流外三郡誌の偽書追及本読んでいて、
それの肯定派の人が、自分の邪馬台国研究に合っているので
決して偽物って言わないのが面白かった
417
(3): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:23:00.57 ID:ZZ/fkrGh0(1)調 AAS
>>367
鋭いな
山陰も近畿も九州の製鉄技術の影響下にあった
古代西日本の文化は西高東低

弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
外部リンク:www.kobe-np.co.jp
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
418: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:24:06.10 ID:i2/TfxZk0(6/17)調 AAS
それからは、ずっと無錫と呼ばれる。錫は、川などで流れて、たまる傾向あるから、山でなければ、そりゃ枯渇する。錫は、金属の賜なんだね。九錫と言う、天子のみあつかえるのがある。その行為に、錫をつけてるからね。
419: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:24:47.18 ID:WSX0xoQ90(1)調 AAS
昔上野から常磐線乗ったらボックス席の向いの爺が座るなり酒を飲み始めて
紙袋から卑弥呼(っていうAV女優)の写真集を取り出してビニール破って
一心不乱に見てた。俺が松戸で降りる時は目が血走ってた。
420
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:25:46.84 ID:pE2PGwdc0(2/5)調 AAS
錫なんてだれもきょうみないのにばんで錫錫言ってんの
421: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:26:21.56 ID:k3+kJKgf0(1)調 AAS
>>417
やっぱり鉄は重要だよな
鉄器で武装した九州の修羅どもを惰弱な畿内が征服するなど不可能
逆しかあり得ない
422: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:29:36.47 ID:PaSrhRHs0(1)調 AAS
保守的排他的であった九州北部の邪馬台国が、柔軟に渡来系でも何でもかんでも受け入れて発展した畿内勢力に滅ぼされたんだろうな
畿内の方が今の半島文化に近い遺跡が多いし
423: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:30:25.90 ID:pE2PGwdc0(3/5)調 AAS
この時代の人がどうかわからないけど
最終的には関西が日本を支配したのは歴史的にわかってるのに
畿内は征服できないっていうのは理屈が通らない
長く関西が日本の中心だったのはわかってるの
424
(2): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:30:32.83 ID:SnWE6ms/0(1/2)調 AAS
徐福伝説があるから紀元前に中国から九州にやってきたのがいるんだろね。鉱山資源を求めて阿蘇、霧島連山とか火山帯を調査して宮崎に都市を形成。津波かなんかで壊滅的打撃で東に移動、津波の無い台地の奈良に都市を形成。そんなもんだろ。
原始的な国で漁業を捨て大きな川のない奈良を選ぶ理由が見つからない。
425: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:31:16.46 ID:k+PCb7qK0(3/3)調 AAS
今判明してる情報を無理に繋げようとしなくてもって気はする。
426
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:32:15.69 ID:u/K+/RkM0(1)調 AAS
>>417
ほう、これは興味深いな
畿内論者は淡路島に鉄工房があったと自分の手柄のように喧伝するが、
肝心のその時期の奈良の都から鉄製品が出ないんだよな
むしろ淡路島までは九州の海人族の縄張りだったというわけか
427: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:33:00.99 ID:NqpGZ7sr0(1)調 AAS
空白の4世紀。ここの情報が出て来るといいんだけどな
428: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:33:50.43 ID:i2/TfxZk0(7/17)調 AAS
>>420
錫は、青銅器、三角縁神獣鏡など、弥生や古墳時代の出土に、100パー入ってる。しかし、錫の産地は、鉄と違って、かなりの局所しかない。
しかし、銅鏡の錫は、どこどこですと、論文をみない。
429: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:34:03.58 ID:pE2PGwdc0(4/5)調 AAS
卑弥呼がどこでも
長く日本を支配してきたのは関西で
その後関西に負けた それは事実でしょ
神話の時代なんかどうでもいい
430: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:34:36.85 ID:pE2PGwdc0(5/5)調 AAS
まちがえた 関東に負けた
431: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:36:18.53 ID:SnWE6ms/0(2/2)調 AAS
出雲とかは大陸からの移民だと思う製鉄とかハイテクすぎる。九州北部は稲作を中心に人口増してきた農業国だろうから戦では圧倒的に弱かっただろうよ。
432
(2): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:37:49.49 ID:JehaHrRh0(1)調 AAS
>>424
日本で最初に灌漑を伴う本格的な稲作が始まったのも、日本で最初の弥生式土器である遠賀川土器が作られたのも
遠賀川の流域だから、渡来人が住み着いたのはここだろうな

その遠賀川の上流こそ>>1の田川であるというのは示唆的である
433: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:44:07.60 ID:AAkawDhP0(1)調 AAS
>>426
淡路島まで九州勢の手に落ちていたのなら、神武東征は案外簡単に行われた可能性があるな
東征の痕跡が少ないのはほとんど抵抗を受けなかったからか
434
(3): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:45:31.43 ID:CQreacAE0(4/4)調 AAS
>>432
水行とは遠賀川をルートとしたということかね
435: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:45:39.45 ID:i2/TfxZk0(8/17)調 AAS
>>432
田川には、三ケ岳あり、奈良の大仏用銅、日本初貨幣「和同開珎」の銅もここから行ったからね。だからこそ、その麓で、スサノオが、ちみどろの戦いをしているからね。その東の行橋は、京都郡があり、景行天皇の行宮がありました。それほどの重要な場所ですね。
436: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:46:55.89 ID:CyPtOZwV0(1)調 AAS
徐福らは佐賀平野に上陸し住み着いたんじゃないかな
その後2世紀辺りに朝鮮半島から来た集団が佐賀平野に移り住んで来た
このどちらかで言葉が日本語無アクセントになったはず
437: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:47:50.81 ID:jFfHxJp80(6/9)調 AAS
淡路島の鉄工房は2世紀末に活動が終焉している。
吉備&阿波連合に征伐されたんだろう。

同じ時期に入れ替わるように纒向の活動が始まる。
尾張出雲吉備阿波連合による畿内征伐があったんだろう
438: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:49:43.01 ID:jFfHxJp80(7/9)調 AAS
丹後半島に遅れて、1世紀に畿内淡路島や池上曽根、伊吹山の麓稲部遺跡で鉄工房が始まる。

丹後半島からヤマタノオロチ族が逃れて来たのかもね。
439: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:51:56.54 ID:i2/TfxZk0(9/17)調 AAS
>>434
最初は、そう考えた。宇美町から、投馬国までが、水行20日。となると投馬国が、遠賀川上流になる。しかし、わからない。
440: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 20:53:57.41 ID:S57LhJhV0(1/3)調 AAS
>>434
そうです。 津屋崎の少し先で「南に水行」できるのは遠賀川しかありません。
441
(2): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:05:44.38 ID:S57LhJhV0(2/3)調 AAS
「東行、不弥国に至る。百里。官は多摸と曰い、副は卑奴母離と曰う。千余家有り。」
(奴国から)東に行き不弥国に至る。百里。官はタボといい、副官はヒドボリという。千余りの家がある。

南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
「南、投馬国に至る。水行二十日。官は弥弥と曰い、副は弥弥那利と曰う。五万余戸ばかり。」

ここにあるように、不弥国(津屋崎)から遠賀川を南に向かって「水行二十日」遡った
したあたりが、(田川市くらい?)投馬国

「南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。官は伊支馬有り。
次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳?と曰う。七万余戸ばかり。」

そこからさらに遠賀川を「水行十日」遡って上陸、
(つまりそこからさらに遠賀川を十日遡れるわけです。 決して最上流にはなりません。)

そして上陸後、南に「陸行一月」したあたりという事は、だいたい甘木・朝倉あたりが邪馬台国でしょう。
「水行30日」が当時のほぼ水行できる遠賀川の距離なわけです。そんなたいした距離ではない。
そして同じ「一日分」の距離をさらに南に30日行ったところが邪馬台国です。
442: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:10:26.61 ID:IFmfV2jI0(1/2)調 AAS
徐福は始皇帝の時代じゃねえの?
443
(2): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:11:36.58 ID:q3xTQjSL0(3/3)調 AAS
>>441
津屋崎から田川までなんて50kmもないだろ。
どんなにゆっくり行っても3日とかからん。
どうやったら20日もかけられるんだよ。
444: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:13:39.61 ID:IFmfV2jI0(2/2)調 AAS
>>284
頭大丈夫?
445
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:13:54.01 ID:YD/kOeHY0(1)調 AAS
>>1 卑弥呼と石炭とを勘違いしてると思うぞ。
446: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:17:28.00 ID:AZa7YQ5w0(1/3)調 AAS
>>445
ああ、なるほど!
「燃える石」 を鬼道に使ってたんかもな。
447: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:18:13.77 ID:n4sloHf/0(1)調 AAS
>>434
>>235のように考えると別の可能性もある

奴国が博多周辺、不弥国を宇美町とすると、宇美町の南にある大城山と宝満山の間の谷間が
御笠川の源流なのでここから水行開始、宝満川も利用して水行20日で投馬國(久留米)に至り、
久留米から東へ筑後川を水行10日して、うきは市のあたりから現在の県道52号ルートで山道を一月陸行
北上して田川(邪馬台国)へ抜ける

遠賀川から直接遡れることを魏に知られたくなかったと考えればこうも考えられる
448
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:20:13.22 ID:i2/TfxZk0(10/17)調 AAS
>>443
そこだね。投馬国は、水行20日なんだよ。水行は、海岸沿いをよりながらいく事でもある。つまりは、宇美町から、20日かけたら、行橋や宇佐に行く。南は、イト国を起点としてみた場合。そのように捉える説もある。
449
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:23:55.90 ID:i2/TfxZk0(11/17)調 AAS
>>448トヨ国あたり、ついて、更に水行10日、陸行1カ月。このルートを逆にきたのが、神武天皇だね。高千穂から、降りてきた。日向市美々津から、お船手。北浦や、有名な米水津にきて、宇佐まで到着している。
450
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:26:57.39 ID:S57LhJhV0(3/3)調 AAS
>>441 >>443
「水行〇〇日」とあっても遠賀川の長さは限られている。
〇〇日の日数が少なければ急いだのだろうし、多ければゆっくり行ったのだろう。

また、この「〇〇日」というのは魏の役人をガイドした倭人の「いい値」だから
倭を大きく見せようとした意図があったとも考えられる。
451: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:28:44.34 ID:i2/TfxZk0(12/17)調 AAS
>>449
しかし。神武天皇は、8/1船出したが、寄り道や井戸ほったり、だから、日数は、わからない。ただ、古来よりそのルートがあった事実だけ。
景行天皇も周防から行橋まで、船で、来ている。
452: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:33:24.31 ID:i2/TfxZk0(13/17)調 AAS
だから、今もわからない。つまりは、たどり着かせたくない倭国役人がいたのだろう。現代まで、迷うわけだ。
453: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:35:34.56 ID:h9UZMHAy0(1)調 AAS
>>417
海人のネットワークがこれまで考えられていたよりも広範囲だったのかもね
隋書では王姓はアマ氏だと書いてあるし、実は天皇のルーツも海人か?
454
(4): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:35:57.10 ID:jFfHxJp80(8/9)調 AAS
魏志倭人伝において、ます到着するのは末盧国である。500里をはるばる歩き、伊都国(博多湾一帯)に至る。
伊都国から奴国(飯塚市を中心とした遠賀川流域一帯)へ。さらに東に進み、周防灘に面する不弥国(行橋市)に至る。飯塚市から行橋市に古くからルートがあり、関門海峡が通れなかった当時、玄界灘と周防灘を結ぶ重要な迂回路だった。
そこから船で南へ沿岸を航行し、20日かけ大隅半島を抑えている投馬国へ着く。
大隅半島を南へ漕ぎ出し黒潮に乗る。黒潮は時速7Kmであり、何もせずとも1日に150Km進む。黒潮は自然と潮岬に接岸する。(現代において観測され証明されている)つまり10日で潮岬に流れ着く。
熊野に上陸し、陸行1ヶ月でヤマトに至る。
これが魏志倭人伝当時の邪馬台国へ至るルートである。
455
(2): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:37:23.69 ID:i2/TfxZk0(14/17)調 AAS
魏志倭人伝の女王国の東、海を渡ること千余里にして、また国あり、皆倭種なり。
これが、邪馬台国「女王国」は、わからないが、高千穂なら、合うわけだが。
456
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:38:15.76 ID:yq6dth450(1/10)調 AAS
>>415
徐福何百年生きてるんだよw
457: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:39:04.47 ID:8xktywO80(1)調 AAS
BLK
458: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:41:18.29 ID:Av5pM2/v0(1/6)調 AAS
>>454
船出したとは書いてないんだよね
船出は、その下の人が書いてる通り
海を渡る、ってはっきり書いてる
459
(3): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:43:38.64 ID:yjAEJCtX0(1/6)調 AAS
同時期に出雲や纒向など九州のどこよりも大きなクニが存在していた以上
邪馬台国が九州ということはあり得ないんだよな
460: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:44:15.87 ID:WQqKt/3s0(1)調 AAS
>>455
田川から行橋まで邪馬台国の範囲内だとすれば東の海は周防灘でそ
1000里(約80km)ほど東に行けば山口県光市あたりに着く
461
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:44:36.35 ID:Av5pM2/v0(2/6)調 AAS
>>459
最後の一行が間違い
九州でいいんだよ?
462
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:45:12.52 ID:yjAEJCtX0(2/6)調 AAS
>>461
いや、それがあり得ないってことさ
463: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:45:54.45 ID:VvccbLYb0(1)調 AAS
>>459
出雲も纏向も博多の弥生銀座の足元にも及びませんがなにか?
464
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:46:08.71 ID:Av5pM2/v0(3/6)調 AAS
>>462

あり得るってこと
中国に使いを出したものが中国に拾われる
465
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:46:46.93 ID:yq6dth450(2/10)調 AAS
>>424
日本の徐副伝説なんて、成立するのは徐副の時代から何百年も後の話なんだがなあw

そんな後づけの徐副伝説がある場所だから紀元前に中国から渡来人が来た根拠だとか
馬鹿馬鹿しいにもほどがある
466: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:48:18.99 ID:J/WfHtSj0(1)調 AAS
>>454
畿内説は熊野か尾張が狗奴国なんだと思うが
その場合敵国に上陸することになるんだが。
ついでにいうと巻向からは伊勢や尾張の土器が大量に出ていて
とても敵国とは思えないんだが。
さらには真珠が出ると書いてあるので
真珠が大量に取れるのは大村湾と英虞湾だけ。
つまり畿内説だと伊勢志摩も邪馬台国でなければならない。
狗奴国はどこなんだってことになる。
467: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:49:31.40 ID:uxJQM1cB0(1)調 AAS
何をごちゃごちゃと言ってるんだろうな?
さっさとこの場所を掘って調査すれば、全てが明白になるのにな
邪馬台国論争に終止符を打てるんだから、地元の奴らは協力しろよ
468: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:49:54.34 ID:Av5pM2/v0(4/6)調 AAS
何で畿内説が遠いのか理解できんな
あり得ない
あらゆる意味で
どんな形でも機内に到達できないからね
469
(4): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:50:46.20 ID:yjAEJCtX0(3/6)調 AAS
>>464
逆、使いなんかどこでも出すんだよ
最有力のクニだからこそ倭王に任じられるんたまよ
470: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:52:24.91 ID:yq6dth450(3/10)調 AAS
>>459
中国様が倭王と認めたんだから
邪馬台国こそ当時の日本で最大のクニ

こういう思い込みで頭ガチガチの人が多いんだよねえ
471
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:52:27.83 ID:Av5pM2/v0(5/6)調 AAS
>>469
その最有力なんて断定が後世の錯覚でね
どこの国でもどれが最有力なんか断定できんよ
472
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:53:40.04 ID:qc1zetiJ0(1)調 AAS
>>455
畿内論者は短里を否定しているから、東に渡海千里を長里で考えなければならない
そうなると伊勢湾から出発しても東京を越えて太平洋に出てしまうw
ゆえに畿内ではあり得ないという結論になってしまうんだよな
473: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:54:57.16 ID:yq6dth450(4/10)調 AAS
>>469
ここまでピュアだと逆にかわいらしいなw
474
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:55:16.26 ID:yjAEJCtX0(4/6)調 AAS
>>471
それは君の妄想
王に任じた以上、魏は面倒を見る責任もおう
早くきたとこを都度その地域の王に任じて、その度近隣に潰されてたら面子丸潰れ
475
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:56:32.18 ID:Av5pM2/v0(6/6)調 AAS
>>469
君の主観が大幅に入ってるね
その、最有力、って所
476: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:56:56.81 ID:i2/TfxZk0(15/17)調 AAS
>>456
徐福は中国を出るとき,稲など五穀の種子と金銀・農耕機具・技術(五穀百工)も持って出たと言われます。
477
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:57:46.01 ID:gaab2qGF0(1)調 AAS
神田川 卑弥呼
478: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:58:09.23 ID:yjAEJCtX0(5/6)調 AAS
同時期に出雲、纒向という強国があるのに九州の小国を倭王に任じて金印を与えるとかないからな
479
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:58:51.24 ID:yjAEJCtX0(6/6)調 AAS
>>475
使いを出したとこが拾われるなんてまさに君の主観だね
480
(3): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 21:59:31.98 ID:yq6dth450(5/10)調 AAS
>>472
畿内説、九州説どちらにせよ
まともな研究者で、今時短里説なんて真に受けてる奴なんていねーよw
481: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:00:04.31 ID:HTcF3OHj0(1)調 AAS
邪馬台国だの卑弥呼だの、
そんなもんねぇからw

こんだけ邪馬台国がどこにあるかわからない時点で気付けよwww

卑弥呼がいたなら、どこに眠ってるかなんてわかるからw
いまだにわかんないんだろう?
そんなもんねぇからだよw
482: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:00:24.98 ID:aVQz0fQ90(1/5)調 AAS
>>474
言ってる意味がわからんが
そこが最も有力な所ならどこでもいいはずだが
それなりに尊重されてたはずだし
海を渡った所に別の国があるよ、で言われないとわからんものはどうでもいい

なぜが日本列島の最大精力の国だと勘違いする奴が多い
483
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:01:37.63 ID:aVQz0fQ90(2/5)調 AAS
>>479
いや普通の思考だと思うが?
何で別のもっと大きい国があるはずだと思うのかな?
484: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:03:17.72 ID:aVQz0fQ90(3/5)調 AAS
>>480
単理説は別として、九州から東に海を渡ってないのは確定
なぜならその後に海を渡るケースがあるからね
これで九州説は確定なんだけど
485
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:03:52.84 ID:znTr8J4a0(8/10)調 AAS
江戸時代の日本だって、和蘭陀よりもっと強くて
文明の進んだ国がいっぱいあるのに
西洋の玄関はオランダにしてたんだよな
486: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:04:27.07 ID:AZa7YQ5w0(2/3)調 AAS
古代都市国家で覇権を握るのは、守りが固い盆地の国。
北部九州に邪馬台(やまと)国があったなら、田川か飯塚だな。

田川or飯塚  ・・・ やまと(山戸) = 山手の邑(くに)
博多       ・・・ みなと(水戸) = 水辺の邑(くに)
487
(3): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:10:02.08 ID:KjBYUZZf0(1)調 AAS
九州にあったという事実を認めながら
万世一系の建前及び日本国の安定と領土の保全を図る

ソリューションは東遷説だわな
だから大和朝廷も採用した

最近ド左翼が書いた九州説の本読んで気づいたわ
488: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:11:41.35 ID:yq6dth450(6/10)調 AAS
>>485
もっと日本と中国の間の人の動きが増えた後世でも
明が懐良親王を日本国王に封じちゃってるんだよな
だからって懐良親王の征西将軍府が足利幕府以上の日本最大の勢力だって言う馬鹿はいねえだろ
489
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:13:05.85 ID:4Ks6/Od80(1/2)調 AAS
>>480
短里を否定したら東に千里海を渡れなくなって畿内説は滅亡するんだけど、いいね?
490
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:14:35.77 ID:MlwzwXL40(3/5)調 AAS
>>480
学者は短里の真偽に興味がない
不明だからな
491: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:15:33.35 ID:4Ks6/Od80(2/2)調 AAS
>>469
邪馬台国の位置すら正確に記述されてないのに、倭国でどの国がどの程度の力を持ってるかなんて
いちいち中国が知ってるわけがない
492: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:19:42.71 ID:U/4Wq7r90(1/3)調 AAS
>>487
前スレいれて8スレ目
ようやく気づいたようだな
493: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:21:09.21 ID:AZa7YQ5w0(3/3)調 AAS
>>487
東遷までが「神代」ということになっている。
要するに、西にあった邪馬台は、滅ぼされてしまったということだな。
だが、建前として、西の邪馬台の子孫が近畿に移ったと説く。
494: subo 2018/04/05(木) 22:21:20.57 ID:DShZHPtU0(1/4)調 AAS
一里=60m
495: subo 2018/04/05(木) 22:22:39.68 ID:DShZHPtU0(2/4)調 AAS
>>465
佐賀の諸富に上陸したよ
496: subo 2018/04/05(木) 22:24:38.82 ID:DShZHPtU0(3/4)調 AAS
台与は田川だったか
497: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:24:56.24 ID:U/4Wq7r90(2/3)調 AAS
君たちは真実に近づいてる
真実はそこにある
498
(5): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:25:23.48 ID:yq6dth450(7/10)調 AAS
>>490
なぜか魏志の東夷伝だけに使用されてて
他には中国側では一切言及されてない単位なんて
まともな頭を持った人間なら馬鹿馬鹿しくて相手にもしないだろw

短里の存在を証明するのは、短里説を主張する連中の責任
根拠も出せないような珍説なんてそりゃあ興味無いっすよw

>>489
短里説って九州説の中の、一部のお馬鹿一派の主張だぞw
499: subo 2018/04/05(木) 22:27:05.56 ID:DShZHPtU0(4/4)調 AAS
>>498
一里60mで何か困ることでもあるの?
500: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:30:02.08 ID:PHflmdTc0(1)調 AAS
>>487
ソリューションなんて言葉をドヤって語る奴を久々に見た
ほんと久々に見た
501
(5): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:30:54.97 ID:pmBR428G0(1)調 AAS
>>498
お前が無知なだけで、短里は当時の中国の文献で普通に使用されている
それも朝廷百官が教養書としてこぞって読んだ書物にな

古代中国における地の測り方と邪馬台国の位置 - 東京地学協会
外部リンク[pdf]:geog.or.jp
>『周碑算経』は朝廷百官(文官)の天文学・測量学に関する教養書であったとされている.
>『周碑算経』には「1 寸千里法」という最古の天文測量法が記述されている.
>夏至の太陽南中時に、周の陽城(洛陽)付近の南北 2 地点で 8 尺の棒の影の長さを測り、その日影長に 1 寸の差があるとき、
>2地点間の南北距離成分を千里とする、というものである.これが「1 寸千里法」の名前の由来となっている.
中略
>谷本の図解(図 1)は 1 寸千里法の記述を現在の知識に当てはめたものである.この計算には三角関数表が必要である.
>地球半径 R=6357km を導入すれば、周の陽城(洛陽付近)で 1 里=76〜77m となる.
中略
>漢代以前から書き加えられながら、教科書として使われてきたためか、『九章算術』の距離に関わる例題には、
>1里=405m〜435m 程度の漢魏晋代の里の他に、1里=67.5〜72.5m 程度の(短)里が「但書きなしに」使われている.
>『三国志』にも短里と長里の混用がある.
502: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:31:25.55 ID:w8pW4jd40(1)調 AAS
>>454
>大隅半島を南へ漕ぎ出し黒潮に乗る。

これが最大の誤り
宮崎から鹿児島県大隅半島にかけて海の遺物が少ないのも
ちょっと沖に出ると直ぐ流されて帰ってこれないから
黒潮を自由に乗り降りできると思ったら大間違い
503: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:32:56.03 ID:pfGApty30(1)調 AAS
>>450
だとしたら、方向も距離も国名さえもウソの可能性があるな。
504: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:37:04.96 ID:ZXFIthU4O携(2/2)調 AAS
女王国、邪馬台国、倭国、一大卒

これが全部同じ?

何かヘンだよなw
505: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:39:02.71 ID:AIhhsYbP0(1)調 AAS
>>501
>『周碑算経』は朝廷百官(文官)の天文学・測量学に関する教養書であったとされている.
ということは、朝廷の官吏だった陳寿も当然その知識を持っていたってことになるな
しかし但し書き無しで混用とかえらい不便だったんだな
506: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:39:19.06 ID:zWOJQJ7b0(1)調 AAS
おまいらホント詳しいな
普段何してる人なんだよ
507: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:41:51.91 ID:U/4Wq7r90(3/3)調 AAS
>>477
二人で行った横町の風呂屋
一緒に出ようねって言ったのに
508: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:42:10.00 ID:aVQz0fQ90(4/5)調 AAS
>>498
魏の赤壁の歌の問題はどうするんだ?
509: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:44:22.59 ID:O102qHdj0(1)調 AAS
よりによって田川
510: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:51:26.42 ID:znTr8J4a0(9/10)調 AAS
>>498
韓伝
511
(2): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:52:44.17 ID:yq6dth450(8/10)調 AAS
>>501
最初に短里説ありきで、よくそんな解読ごっこやったなあと感心するが
そんなに歴代王朝の百官の間で常識のはずの短里が
現実には晋代の陳寿の三国志の、しかも東夷伝だけにしか使われてないのかw
512: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 22:53:44.49 ID:aVQz0fQ90(5/5)調 AAS
>>511
時代によって距離の概念は変わるんだよね
513: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 23:05:08.73 ID:yq6dth450(9/10)調 AAS
>>511
その時代ごとの里の単位を無視して
邪馬台国の解読ごっごのためにねじ込んできたのが短里なんだがw

>>501の御高説では歴代で使われた『周碑算経』や『九章算術』から見つけた短里なんだから
使用例が晋代の一史書限定ってのはおかしいだろw
514
(1): 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 23:06:58.14 ID:kFf3par00(1)調 AAS
田川は行っちゃいけないと九州人ですら言われている
515: 名無しさん@1周年 2018/04/05(木) 23:08:48.04 ID:MlwzwXL40(4/5)調 AAS
>>498
学者は短里があることは知ってるんだよ
正史三国志内で東夷伝以外すらも混じってるからな

だからと言って東夷伝の里がどれが短里かなんてわかるはずもなく
不明なんだよ

否定する奴も肯定する奴も学者にはいない
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