[過去ログ] 【慰安婦問題】 安秉直・ソウル大学名誉教授 「調べた限り、日本軍が女性を強制動員して慰安婦にした客観的資料はない」 (1001レス)
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688
(2): 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 19:20:33.86 ID:PCmjpdX70(1/5)調 AAS
関釜元慰安婦訴訟第一審・山口地方裁判所下関支部1998年4月27日判決(抜粋)

 (1) 慰安婦原告らが、いずれもその貧困のため、慰安所経営者と思われる人物の甘言に乗せられ、
不任意に旧日本軍の関与する慰安所に連行され、監禁同然にして、長期間、慰安婦として旧日本軍人との性交を強要されたこと、
同原告らが被った肉体的・精神的苦痛は極めて苛酷なものであり、帰国後もその恥辱に苛まれ、
今なお心身ともに癒すことのできない苦悩のうちにあることは、前記事実問題においてみたとおりである。
 そして、この従軍慰安婦制度が、原告らの主張するとおり、徹底した女性差別、
民族差別思想の現れであり、女性の人格の尊厳を根底から侵し、民族の誇りを踏みにじるものであって、
しかも、決して過去の問題ではなく、現在においても克服すべき根源的人権問題であることもまた明らかである。
外部リンク:d.hatena.ne.jp
693: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 19:22:47.85 ID:PCmjpdX70(2/5)調 AAS
>>688つづき

例えば、甲一四(四五頁以下)に次の資料がある。
 昭和一三年三月、常州駐屯間内務規定、独立攻城砲兵第二大隊
 第九章 慰安所使用規定
 「単価
 使用時間は一人一時間を限度とす
 支那人 一円〇〇銭
 半島人 一円五十銭
 日本人 二円〇〇銭」
 「慰安所内に於て飲酒するを禁す」
 「女は総て有毒者と思惟し防毒に関し万全を期すべし」
 「営業者は酒肴茶菓の饗応を禁す」
 「営業者は特に許したる場所以外に外出するを禁す」
 慰安所という名の施設の「使用」規定であり、「使用」単価、料金であり、「使用」限度時間である。
酒肴茶菓の饗応、接待もなく、ただ性交するだけの施設がここにあり、慰安婦とはその施設の必需の備付品のごとく、
もはや売(買)春ともいえない、単なる性交、単なる性的欲望の解消のみがここにある。そして、
前記事実問題でみた慰安所開設の目的と慰安婦たちの日常とに鑑みれば、まさに性奴隷としての慰安婦の姿が如実に窺われるというべきである。
しかも、使用単価に現れた露骨な民族差別。希少性ないし需給法則のゆえに日本人の単価が高かっただけではあるまい。

関釜元慰安婦訴訟第一審・山口地方裁判所下関支部1998年4月27日判決(抜粋)
外部リンク:d.hatena.ne.jp

画像リンク

803
(4): 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 20:03:53.17 ID:PCmjpdX70(3/5)調 AAS
日本政府は、旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐり、強制動員を立証する直接的な証拠がないと主張してきたが
これに関する国際軍事裁判の資料を保管していたことが分かった。

日本共産党が23日発表したところによると、日本政府が同党の赤嶺政賢・衆議院議員の質問に対する答弁書で「日本政府が『バタビア臨時軍法会議の記録』を保管している」と伝えたという。
同資料は、日本政府が1993年、慰安婦の強制動員について認め謝罪した「河野談話」を発表した当時に入手、調査した後、現在まで保管していたとのことだ。

バタビア臨時軍法会議の記録は、日本軍が1944年、インドネシア(当時オランダ領)のジャワ島スマランなどにあった収容所3カ所から
少なくとも24人のオランダ人女性を慰安所に連行し強制的に売春をさせた、
いわゆる「白馬事件」について審判を行うため、戦後にインドネシアのバタビアで行われた軍法会議に関する記録だ。
1948年当時の軍事裁判で、日本軍将校7人や軍属4人の有罪が認められ、1人に対し死刑判決が下った。当時の裁判では「日本軍がオランダ人女性たちを慰安所に強制連行し
脅迫などにより売春を強要した」と結論付けた。

日本政府は関連資料を保管していながら、これまで国会での答弁の際、軍や官憲による直接的な強制動員を示す文書はない」と主張してきた。
赤嶺議員は「日本政府は関連記録を保管していたが、第1次安倍政権下の2007年以降、関連資料はないという誤った答弁を続けてきた」と主張した。
一方、オランダ政府も、インドネシアで旧日本軍がオランダ人女性を慰安婦として強制動員した事件について調査を行い、1994年1月に報告書を発表した。
当時の調査では、65人が慰安所に強制連行されたと推定した。
810: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 20:06:24.60 ID:PCmjpdX70(4/5)調 AAS
慰安婦最高裁
1 Ψ sage 2013/02/11(月) 17:19:21.47 ID:B8uVlbYF0
■中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第二次)
期間:1996年2月〜2007年4月

地裁と高裁の判決で被害の事実認定が行われ、最高裁でもこの事実認定を認めた。さらに、現在までPTSDの被害を受けていることも認定された。
「訴えていたのは、山西省出身の郭喜翠さん(80)と故・侯巧蓮さんの遺族。一、二審とも軍が15歳の郭さんと13歳の侯さんを連行、監禁、強姦(ごうかん)した事実を認定したが、請求を棄却した。
最高裁も、この事実認定自体は「適法に確定された」と認めた。」
外部リンク:d.hatena.ne.jp
外部リンク:megalodon.jp
831
(3): 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 20:13:54.39 ID:PCmjpdX70(5/5)調 AAS
>>814
日本人が強制した証拠↓

鹿児島県奄美諸島の沖縄戦
外部リンク[html]:blogs.yahoo.co.jp
沖縄戦は沖縄県だけの戦争ではありません。奄美諸島でも戦われていました。

奄美大島や加計呂間島ではヤンゴの女性達が慰安婦としての役割を果たしていた。これに近いのが喜界島の場合である。
喜界島に駐留していた陸軍の独立混成第22連隊第3大隊(隊長 田村道之助少佐)では、将兵の鋭気培養のため喜界町に慰安所の設置を求めた。(註1)
だが町は協力しなかったようで、田村少佐は町長に軍に非協力的だと暴言を言って威嚇したという。(註2)

すると軍では今度は西平守俊氏に命じると、奄美大島から13名の女性達が連れて来られ、田村部隊本部隣の滝川集落西南方に慰安所が設置された。
営業利益は軍に寄贈されたという。慰安所の経営者5人は西平氏を始め、全員が喜界島赤連に現住所がある人達だった。
だが折角設置した慰安所も軍が「色より食を望む」状態のため(註3)、あまり活用されなかったようだ。

また喜界島の慰安所については、上級指揮官が慰安所の女性を独占し公舎に出入りさせたり、
空襲の際に女性を連れて我先に退避したりして、部下から嘲笑されるということもあったようだ。(註4)
慰安所が当初想定した兵士ではなく、指揮官が利用したのは本末転倒という他ない。

(註1)福岡永彦『太平洋戦争と喜界島』(私家版 1958) 121頁
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