[過去ログ] 【靖国問題】「国益を考えるべき」 中曽根元首相、参拝中止促す★4 (1001レス)
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127: 名無しさん@5周年 2005/06/04(土) 21:58:11 ID:Al95PzPu(1/6)調 AAS
開戦の第一報を聞いた時、私は奉天にいた。堅い粉雪が降っていた。新京行の急行列車に
間にあうように、旅館を出るその玄関先で聞いたのだと思う。ラジオであったか号外であったかは
おぼえていない。
ただひとり洋車にのって奉天駅にいそいだのであるが、頬をうつ雪片も爽快であった。
肩を圧していた重荷がふりとばされ、全身の血管に暗く重くよどんでいた何ものかが一瞬に
吹きはらわれた気持であった。
洋車の車夫が満州人でなかったら、私は大声で話しかけたにちがいない。日本人たちと
いっしょにいたら、万才を三唱したことであろう。
それには特別な理由もあった。下関から大連にわたる汽船の中で、私は参謀肩章をつけた軍人、
外交官、満鉄社員、代議士、実業家、軍医などと同船したが、食堂での議論は日米開戦すべきか
否かに集中された。
参謀将校はだまっていた。外交官と実業家は開戦反対であった。日支戦争を解決せずに
対米戦争に突入しても勝算はないというものもあった。若い満鉄社員は「それは川越大使と
同じ意見ですな」と批評した。九州の田舎の町医者をしていたのを突然徴用されたという老軍医
(中尉の軍服を着ていたが、いかにも町医者らしいおだやかな人物)は、自分は政治も国際情勢も
知らぬが、どうして日支事変はこんなに長びくのか、何のためにわれわれ老人までが大陸の奥地の
戦線までひき出されるのか理解できぬと小声で言った。若い満鉄社員は「たしかにこれ以上
日支事変をつづけることは無意味だ、一刻も早く対米英開戦にふみきるべきだ」と力説した。
私も彼の意見に賛成した。参謀将校は「いずれ時期が来たらやるだろう、だが政府と海軍は自重論だ」
と言って議論から離れた。
林房雄 「大東亜戦争肯定論」
141: 名無しさん@5周年 2005/06/04(土) 22:05:28 ID:Al95PzPu(2/6)調 AAS
シンゴラ、バタニーの日本軍は、高さ約二メートルの荒波に悩まされたほかは、抵抗を
うけることなく、無血上陸に成功したが、コタバルでは、潮流に流されて、インド第八旅団
第三/十七ドグラス大隊の防御陣地の正面に上陸したため、激戦となった。また、コタバル
飛行場から発進した爆撃機、戦闘機の攻撃により、輸送船三隻は一隻が沈没、二隻が
大中破の損害をうけた。しかし侘美少将みずからが軍刀をふるって突撃、将兵もまた、
中にはクツを輸送船でぬいでハダシのまま、鉄条網をのりこえ、トーチカを爆砕するなど、
果敢な攻撃を行った。
海岸では、アンテナをはるべき立木も見あたらないため、檀上等兵、山崎一等兵の二人の
通信兵が電線をにぎって直立し、“人間アンテナ”をつとめた。絶好の目標とばかりに降り
そそぐ弾丸は、たちまちその一人、山崎一等兵の右腕を貫通したが、山崎一等兵はとっさに
左腕に持ちかえ、かけよる衛生兵を退けながら、アンテナをにぎりつづけた。
このような日本兵の猛勇ぶりは、コタバル飛行場を守るインド兵たちに深刻なショックを与えた。
午後四時ごろになると、早くも日本軍が防備線を突破して飛行場のすぐそばにせまった、という
デマがひろまった。たちまち、飛行場は撤退準備でごった返し、つぎつぎに飛行場、駅の建物に
火が放たれ、将兵はまっしぐらに南を目ざして逃げだした。建物は焼いたものの、弾薬、
ガソリンはそのまま、滑走路もそのままだった。
児島襄 「太平洋戦争」
198(2): 名無しさん@5周年 2005/06/04(土) 22:44:34 ID:Al95PzPu(3/6)調 AAS
>>172
戦前も電車の中での化粧はあったらしいよ。
たしか、谷崎潤一郎の細雪にそんな話があったと思う。
259: 名無しさん@5周年 2005/06/04(土) 23:09:54 ID:Al95PzPu(4/6)調 AAS
五十二年の会見では、珍しく終戦前後のことに焦点があてられた。
「『人間宣言』の冒頭に明治天皇の五カ条の御誓文をもってこられたのは、陛下のご意志とうかがって
おりますが」
記者団に天皇は答えた。
「あの宣言の第一の目的は『ご誓文』でした。神格とかは、二の問題でありました。・・・・・・民主主義を
採用されたのは明治大帝のおぼしめいしであり、民主主義が輸入のものでないことを示す必要が
大いにあった・・・・・・日本の誇りを忘れさせないため、明治大帝の立派な考えを示すために発表しました」
「ポツダム宣言で政体が国民の自由な選択にまかされるなどの条件がつき、国体護持が問題になった
ときの陛下は、(それに係わらず)ポツダム宣言受諾を即座にご決断されたと、うかがっておりますが」
「日本の皇室は昔から、国民の信頼によって万世一系を保ってきたのであります。戦国時代の皇室が
衰微したときの毛利元就、織田信長の武将が皇室に莫大な献上をしたことなどにもしめされており、
皇室を尊崇していたのです。皇室もまた、国民をわが子と考えてきたのであり、それが皇室の伝統で
あります。(その伝統に従って)私も決断したのです」
河原敏明 「昭和天皇とその時代」
265(1): 名無しさん@5周年 2005/06/04(土) 23:13:46 ID:Al95PzPu(5/6)調 AA×
355: 名無しさん@5周年 2005/06/05(日) 00:00:34 ID:Al95PzPu(6/6)調 AAS
>>340
また朝日鮮報かよw
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