[過去ログ] 【薔薇のように】松田聖子92【桜のように】©2ch.net (1002レス)
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372: 2016/08/08(月) 19:55:46.98 ID:kvIqeg3D0(1)調 AAS
⚫︎デビュー当時、実は2番手だった松田聖子、大逆転したワケ〈週刊朝日〉

外部リンク:zasshi.news.yahoo.co.jp

歌手生活36周年、今も輝きを放ち続けている“アイドルの中のアイドル”松田聖子──。

1979年にサンミュージックに所属して89年に独立するまでの間に
24曲連続オリコンシングルチャート1位など数々の金字塔を打ち立てた。
希代のスターはどうやって運命の扉を開けたのか。
デビュー前、九州の実家まで直々に親を説得に行ったという“立役者”の一人で
サンミュージック元専務の福田時雄名誉顧問が振り返る。

(中略)

応接間に通された福田氏は、そのときの“家庭の様子”が忘れられないという。

「応接間のソファに私とお父さんが向き合って座り、
音楽の才能のこと、相澤の家に下宿させて見守るということを話したのですが、
そのときに聖子が紅茶をトレーに載せて持ってきてくれました。
高校生ながらお茶を出す姿が板について、すごくよかったんです(笑)。
きちんとしつけられた娘さんだなと」

聖子は紅茶を配り終えると、応接間に続く縁側(板の間)に、
トレーを持ったままピシッと背筋を伸ばして正座して、
そのまま微動だにしなかったという。

「お父さんがいいと言うまで動きませんという表情で、
芯の強さを感じましたね(笑)。
この家でいい教育を受けたのだということも実感しました。
桜田淳子などもそうでしたが、芸能界で成功するには運、才能のほかに、
家庭の雰囲気も大きな要素だと思っています。
それまでにも何人もスカウトして自宅に行きましたが、
“この子がいなくなったら平和になる”というように親との関係が悪かったり、
アポをとって訪ねたのに親が泥酔しているような家庭環境では
デビューしても大成はしていません」

(後略)
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