[過去ログ] 活動再開☆八神純子【みずいろの雨】part1 [転載禁止]©2ch.net (435レス)
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157: 2015/05/24(日) 17:09:03.46 ID:9FXz21s50(7/16)調 AAS
80年8月14日、TBSの人気番組「ザ・ベストテン」で、聖子の「青い珊瑚礁」が待望のランクインを果たす。
デビュー曲「裸足の季節」は注目曲を紹介する「スポットライト」には登場したが10位以内には届いていなかった。
実は聖子の登場まで、久米宏を筆頭とした「ザ・ベストテン」のクルーは、
山口百恵に認められたくて精力を傾けていたという。
「今夜の演出は素敵でしたわ」「来週はどうなるか楽しみです」
そんな”女神”の座も、百恵の引退に合わせて聖子に禅譲される。
放送が終わるとサブ(副調整室)を必ず訪れ、きちんとお礼を述べてから帰途につく。
1人、また1人と聖子の演出を希望するスタッフが増えていったという。
のちに「クリスマス・イヴ」や「ホームワーク」など、TBSの名作ドラマをいつくもプロデュースする遠藤環は、
当時、若手ディレクターとして「ザ・ベストテン」に関わっていた。
初登場から5週後、遠藤は「青い珊瑚礁」が初めて1位になった9月18日の担当ディレクターだった。
感動の場面を、最高に盛り上げるのは、どう演出すればいいか
・・・遠藤は、やはりデビューまでを支えた母親の存在だろうと思った。
「番組の女性デスクに福岡まで飛んでもらい、お母さんの手作りのお弁当を受け取り、そのまま東京に戻る。
中身よりも、聖子が小さい頃から親しんだお弁当箱こそ大事だった」
黒柳徹子から弁当箱を見せられた瞬間、聖子は瞳をうるませ、あまりにも有名な「お母さ〜ん!」の絶叫へとつながる。
作り手たちの意図に、これ以上ない反応を見せてくれた。
遠藤は中継後、聖子をタクシーで駅まで送っていったことがある。
真冬の寒さにも関わらず、聖子は運転手にこう告げた。
「喉に悪いので暖房を切ってください」
そんなプロ意識の高さは、聖子に次々と「伝説の扉」を開かせることになる
158: 2015/05/24(日) 17:09:55.41 ID:9FXz21s50(8/16)調 AAS
作曲家の平尾昌晃が初めて聖子と会ったのは79年のことだった。
聖子、いや本名の「蒲池法子」は久留米市から歌手になるため
平尾が主催する音楽学院の福岡校に通っていた。
平尾は当時、福岡にライブハウスを開いた関係で、月に一度はレッスンを見る機会があった。
そこに誰よりも早く来て、誰よりも遅くまでレッスンを受けていたのが聖子だったという
「僕の好きな西田佐知子やちあきなおみにも似た、ビロードがかかった声の艶があった。
当時の発声は荒っぽいけど、中高音の伸びは圧倒的だったね」
とにかく、人懐っこい性格と、歌手になる夢を父親に認めさせる固い意志が印象的だった。
そんな79年当時、街にはインベーダーゲームの嵐が吹き荒れていた。
夢中になっていた平尾は、レッスンが終わると聖子らを引き連れて近くのゲームセンターに駆け込む。
対戦する聖子は、やはりリズム感の賜物か、平尾が舌を巻くほどの上手だった。
そんなゲームの最中も、視線をそらさずに聖子は言う。
「先生、私は歌手になって必ず成功するから!」
歌手を「夢見る」子は多いが、自分が成功している姿を「イメージ」出てきている子は珍しい。
平尾は、間違いなくこの子はプロになれるだろうと思った。
そのため、時間の無駄遣いなど一切せず、目標へ一直線に向かう姿勢が好ましかった。
「レッスンではいろんなタイプの曲を歌わせてみた。
特に印象深いのは『ボーイハント』などのオールディーズね。
ものまねではなく、自分の曲として消化できている。
次々と課題曲を与えると、一度も拒否することなく、貪欲にこなしていましたね」
159: 2015/05/24(日) 21:39:39.75 ID:t+bQSCJE0(1)調 AAS
活動再開した純子さんについて、まったり語りましょう。
160: 2015/05/24(日) 23:51:43.30 ID:9FXz21s50(9/16)調 AAS
松村和子は80年4月「帰ってこいよ」でデビューする。
聖子とは生年月日で13日違いであり、「黄金の80年組」として新人賞を争う。
松村は、30年前の日々を思い返す
「同期の皆が良かったから相乗効果で頑張れたなって思いますね。
当時は親衛隊の声援の声援もすごくて『聖子〜!』『良美〜!てなるのに、
私のときは『・・・』だったからちょっと寂しい思いも味わいましたけど」
楽屋で見る聖子はイメージと違ってキャピキャピした部分がまったくなかった。
自分を客観視できる人だと思った。
そして大晦日の天王山、「日本レコード大賞」で雌雄を決する。
順に5人が持ち歌を披露するが、岩崎は聖子の受賞曲「青い珊瑚礁」を後ろで聞きながら、
この声の伸びは聖子にしか出せないと改めて思った。
「第22回日本レコード大賞、最優秀新人賞は『ハッとして!Good』を歌った田原俊彦!」
その瞬間、誰よりも喜んでいたのが聖子だったと岩崎の目には映った。
ただし、田原を残して4人が舞台袖に引っ込む間際、松村は「もうひとつの表情」を見た。
「今にも泣き出しそうなくらい、聖子ちゃんが悔しそうにしているのを見ましたね。
あの顔は今でも忘れられない」
そして松村も岩崎も今年、同時に30周年を迎える。
松村は聖子を「子供を産んでもアイドルを続けられる先駆者」と言い、
岩崎は「ずっと皆をドキドキさせる松田聖子というブランド」と評する
161: 2015/05/24(日) 23:52:29.20 ID:9FXz21s50(10/16)調 AAS
80年のデビュー曲「裸足の季節」や「風は秋色」、
またアルバムを含め13曲をアレンジしたのが編曲家・信田かずおである。
信田は聖子と初めて会った日のことを思い出す
「デビュー曲のオケを作っているスタジオに、学生カバンを下げてやって来たんですよ。
まだ歌入れでもないのに、スタジオに来る歌手って珍しいなと思った」
しかし、いざ歌わせてみるとそんな素朴さが一変する。
信田は車の排気量にたとえ「5000ccクラスの歌声」と評価した。
「無理したりガナったりせず、自然な歌い方で心地よい音色が出せる。
歌のキャパシティがとてつもなく広いんだと思った」
それならばーーーそれを生かすアレンジをと信田は思った。
信田は初アルバムの1曲目「〜南太平洋〜サンバの香り」を筆頭に、
アレンジには絶大な自信をうかがわせる。
「作曲の小田さんが従来の歌謡曲と違って欧米系の作りをしていた。
なので、僕のアレンジもTOTOとかボズ・スキャッグスなど、
当時の最先端の洋楽をイメージしています」
信田は「ヤマハ合歓音楽院研究室」でアレンジの勉強を重ねるが、
ここから船山基紀、萩田光雄、大村雅朗ら、当時のチャートを度巻する編曲家を輩出している。
「とにかくカッコいい音作りがやりたかった。
日本の歌に洋楽のテイストをガンガンと乗せていったし、
彼女のボーカリストとしての容量がさらに冒険させてくれた」
デビュー曲「裸足の季節」はCMに使われ、30万枚を売り上げる。
そして信田にも桜田淳子やサーカスなど、アレンジの仕事が激増したという。
やがて、あの日の「学生カバンの少女」は瞬時にアイドルを飛び越え、
アーティストの域になっていったと信田の目には映った。
162: 2015/05/24(日) 23:54:05.11 ID:9FXz21s50(11/16)調 AAS
聖子ばかりがなぜモテる!?
これが近年の謎でしたが、
曲を提供して初めてわかった気がします。
メレンゲのようなフワッと甘い声質は、
彼女の感性と人生の賜物で、
時代もそれを求めてるんでしょうね
聖子ちゃんにクシャミをしてもらいました。
それをレコードにしました。
あの「クシャミ」カワイかったナァ
聖子さんは曲をしっかり自分のものにできる稀な人だと思います。
たがら、レコードの出来上がりがとても楽しみでしたが、
期待以上の出来栄えで大変満足しています。
次はもうちょっと大人っぽい曲を書いてみたいですね。
松田聖子という有名な人に、
自分の曲を歌ってもらえるのは、
大変緊張することです。
あの伸びのある声で、
今度は宇宙へ向かって歌ってください。
聖子さんは、
心象風景の詩を歌うことが出来る
唯一の女性アイドルです。
言葉の裏に潜む、
微妙な心理の揺れまで歌ってしまう天性を感じます。
このアルバムは女性の方達に聴いて欲しい。
彼女がもう、ただのお人形さんじゃなく、
同時代を生きている
一人のアーティストにステップアップしたことを知ってもらえると思います。
163: 2015/05/24(日) 23:54:44.20 ID:9FXz21s50(12/16)調 AAS
スタジオに登場した聖子さんは、阿川が思わず「年齢をお伺いしても?」
と聞いてしまうほどデビュー当時と変わらぬ輝きをしていました。
そんな聖子さんが「記憶の中で今もきらめく1曲」に選んだのは、
芸能界入りのきっかけとなったオーディションで歌った
桜田淳子さんの「気まぐれヴィーナス」。
オーディションでこの曲をうたっている最中に
思わぬハプニングが起きたといいます。
さらに、アイドルとして輝き続ける中にも
転機になる出来事があったという聖子さんに阿川が迫ります。
白パラは昔から大好きで
給食のお昼の放送でかかってクラス中で大合唱して
『お〜ねが〜いよ〜♪』の後「せいこー!」つていうのまで皆で一緒に歌ってた
聴くと懐かしい当時の記憶が今でも蘇る
けどあんな単純に思える曲なのになんで当時もあんなに売れて
今聴いてもなんか心を掴まれるのか不思議な曲
聖子の歌声とあのアレンジなのかなぁ
「渚に 白いパラソル」
この、シンプルにして情景がパッと浮かぶ歌詞だな。
その後の「心は砂時計よ」「答は風の中」の方が凄いなって思う
164: 2015/05/24(日) 23:55:51.91 ID:9FXz21s50(13/16)調 AAS
素敵にOnce Again  大切なあなた  きっとまた逢える
時間旅行  あなたに逢いたくて  私だけの天使
逢いたい  素敵な明日  涙がただこぼれるだけ
聖子の作詞作曲は良い物ばかりなんだから沙也加にも作ってあげたら良い
今年の新曲なんてコンサート行った人は大喜び
沙也加だって近日行うコンサートで歌えばいい
きっと聖子のコンサートみたいに盛り上がるよ
今20代の女性日本語ポップスシンガーは松浦亜弥、西野カナ、神田沙也加の3強だと思うんだが
全盛期の松田聖子ほどの魔性の魅力を持ってる人はいないんだよなぁ
二年前からずっと沙也加のブログ読んできたけどフラフラしてる印象
祖母から生まれ変わって!強くなって!新しいサヤちゃんに!とか言われてたり
沙也加自身も自分は弱い、もっと強くなりたい、変わらなきゃ、外に出なきゃと12年末〜13年春〜13年年末まで
延々と定期的にこぼしてる
この時期の沙也加って聖子に相談し続けたりファンミを準備して貰ったり、結構頼ってるんだよね
沙也加は27歳だけど聖子は同じ年頃サンミューから独立したんじゃないの
弱い自分を変えたいと延々と思ってるだけじゃなく、2014年からは一人で頑張ってみせる
一度厳しい状況に自分(娘)を置く
親子が話し合った上での選択なんじゃないかと思うけどね
母が傍に居ると無意識の内に弱さが出てしまう
昨年までの沙也加を観てるとそんな感じがしてしょうがない
165: 2015/05/24(日) 23:56:55.06 ID:9FXz21s50(14/16)調 AAS
その文章やイラストを書いたのが聖子本人だとしても、個人的には
特段なんてことはないと思うんだよね。
不倫の是非は別として、肉体関係のある恋人同士が二人だけのときに
どういう振る舞いをするか、実感として知っていれば別に普通のことでしょ。
他人の前では絶対しないような子どもじみた真似をして甘えたり、自分を
さらけ出すことによって、いわば二人だけの秘密の花園を作っていくのは、
よくあることじゃない?
むしろ、聖子って恋をすると相手に身体全体でぶつかっていく情熱的な娘
なんだなと、好感を持ってしまうけどね。
ただ、夢中になった相手がジェフ君やアラン・リードという、あまりにも雑魚
だった点は、聖子の社会的評価を大きく下げたし、残念ながら俺の中でも
そうだった。
でもだからといって80年代半ばまでの聖子愛は変わらないけどね。
松田聖子はデビューした年から翌年にかけては、「ぶりっ子」(かわいい子ぶっている子、
という意味)だとして同年代の女性からは徹底的に嫌われていた。やがて、「聖子は嫌い
だけれと、聖子の歌は好き」になり、「聖子の歌も本人も好き」へ変化し、そのピークに彼女
は結婚する。その後、出産してもアイドルでありつづけるようになると、「松田聖子の生き方
が好き」と女性たちから圧倒的な支持を受けるようになった。その一方で、男性が権力を
握っている芸能マスコミからはバッシングを受けるようになる。男性のほうが「聖子の歌は
好きだが、あの生き方は嫌い」となるのだった。
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