[過去ログ] 皇室御一行様★part3191©2ch.net©2ch.net (1002レス)
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112: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @無断転載は禁止 [Kotchian] 2017/01/18(水) 00:55:57.13 ID:XmvfLHyU0(13/83)調 AAS
ウラルトゥはその当初から、ミタンニ人やヒッタイトのフッリ人、カッシュ人、チュルク人から成る、いくつかの部族の連合体だったのである。
ウラルトゥ人の誕生前一〇〇〇年頃、フェニキア人(女)とヒッタイト人(男)の混血によって、ウラルトゥ人(血液A型)が生まれた。このとき、
ウラルトゥ人によって小アジア(トルコ)のヴァン湖周辺に建国されたのがウラルトゥ王国であり、その初代王となったのがアマテル神(男神)である。
ヘロドトスは、『歴史』のなかで、前五世紀、ウラルトゥの故地に、「サスペイレス族(カルトヴェリ族)・マティエネ族(フッリ人)・
アラロディオイ族(ウラルトゥ人)・アルメニオイ族(アルメニア人)の四族がいた」(カッコ内は著者補筆)と述べている。この人々はのちに、
北西部でグルジア人に、南西部と中央部でアルメニア人にそれぞれ引き継がれて今日に至っている。前七八○年頃、ウラルトゥで英主アルギシュティシュ
一世が即位した。韓国の史書『檀君世ゲンハフッシュ紀』は、この王を「彦波弗吟」と記し、日本の『宮下文書』は、「ウガヤフキアエズコトアイ」
(ウガヤ王朝の祖)と記している。また『契丹北倭記』第二十五章は、ニギハヤヒノミコトを「ニギシ」と記して、ウラルトゥうこうれいの
アルギシュティシュ一世がアッシリアを伐ったとき、高令が参戦していたと述べている。この高令はチュルク人のことで、アンドロノヴォーカラスク人の
喬であり、今のトルコ人であるが、また高句麗の桂婁部でもあって、カルデア人をはじめとする南海諸族とともに韓民族の主流を構成している。
ゆえにウラルトゥ史は、オリエント時代の韓民族史  檀君朝鮮史でもあるということになる。ウラルトゥの諸王は『上記』『宮下文書』などでは
ウガヤ王朝と書かれているが、その系譜を記せば次ぺージのようになるであろう。
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