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【訃報】オリックス小瀬外野手、キャンプ地の沖縄県宮古島の宿舎から飛び降り死亡 (1001レス)
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2010/02/05(金) 16:25:15
ID:XjelmHwB0(4/5)
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663: [sage] 2010/02/05(金) 16:25:15 ID:XjelmHwB0 しかしこの頃からうつ病の発作が見られるようになった。そして2年目のシーズン終了後の1972年11月23日、 ファン感謝デーの紅白戦で、この前日に無礼講の例会があったこともあり体調が優れない中で登板。打者一巡・2ホームランの滅多打ちに遭い、 これにより、川上監督をはじめ二軍監督の中尾碩志からも激しく叱責された。 さらにこの夜湯口は寮に戻らなかった。これに対し中尾は湯口を拳で殴り、湯口はうつ病を悪化させた。 11月27日の納会では誰が話し掛けても無言で、視点も定まらなかった。11月28日チームドクターからうつ病と診断され、11月29日には、都内の病院に緊急入院をする。 明けて翌1973年1月10日には東京都新宿区の晴和病院(当時内村祐之が院長だった)に移される。 うつ病の発作に回復の兆しが見え始めたが、マスコミの追及を恐れた球団側の意向により、2月15日には多摩川グラウンドに復帰、 2月19日から宮崎県宮崎市で行われた春季キャンプに参加した。ところが、初日に同室の淡口憲治が話し掛けても反応しない、 また真夜中に奇声を発する等の異常に気づき、淡口は藤本健作マネージャーに報告した。 事態を重く見た監督らは翌日2月20日、湯口をキャンプから脱退させ、強制送還(藤本マネージャーも同行)した。 羽田空港到着後もロビーで奇声を発したり暴れたりしたため空港警備隊に取り押さえられ、再び晴和病院に緊急入院させられた。 なお、球団は3月に入ってから、内規により入院費の支給を打ち切っている。 3月22日夕刻、湯口は病院のベッドで変死体となって発見された。 球団・病院は即座に「湯口敏彦投手の死因は心臓麻痺である」と発表したが、 前日までは元気だった湯口が死去したのは不自然であり、誰もが「自殺ではないのか?」と怪訝な目で見ていた。 http://hayabusa8.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1265353267/663
しかしこの頃からうつ病の発作が見られるようになったそして年目のシーズン終了後の年月日 ファン感謝デーの紅白戦でこの前日に無礼講の例会があったこともあり体調が優れない中で登板打者一巡ホームランの滅多打ちに遭い これにより川上監督をはじめ二軍監督の中尾碩志からも激しく叱責された さらにこの夜湯口は寮に戻らなかったこれに対し中尾は湯口を拳で殴り湯口はうつ病を悪化させた 月日の納会では誰が話し掛けても無言で視点も定まらなかった月日チームドクターからうつ病と診断され月日には都内の病院に緊急入院をする 明けて翌年月日には東京都新宿区の晴和病院当時内村祐之が院長だったに移される うつ病の発作に回復の兆しが見え始めたがマスコミの追及を恐れた球団側の意向により月日には多摩川グラウンドに復帰 月日から宮崎県宮崎市で行われた春季キャンプに参加したところが初日に同室の淡口憲治が話し掛けても反応しない また真夜中に奇声を発する等の異常に気づき淡口は藤本健作マネージャーに報告した 事態を重く見た監督らは翌日月日湯口をキャンプから脱退させ強制送還藤本マネージャーも同行した 羽田空港到着後もロビーで奇声を発したり暴れたりしたため空港警備隊に取り押さえられ再び晴和病院に緊急入院させられた なお球団は月に入ってから内規により入院費の支給を打ち切っている 月日夕刻湯口は病院のベッドで変死体となって発見された 球団病院は即座に湯口敏彦投手の死因は心臓麻であると発表したが 前日までは元気だった湯口が死去したのは不自然であり誰もが自殺ではないのかと怪な目で見ていた
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