[過去ログ] 【映画】「アバター」のジェームズ・キャメロン監督、広島と長崎への原爆投下を映画化へ (866レス)
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717: 2010/01/11(月) 19:05:56 ID:gfVzX4G90(1/3)調 AAS
美輪明宏
美輪さんの家は長崎市南部の本(もと)石灰(しっくい)町(まち)にあった。
原爆が投下された9日、縁側の机で宿題の絵を描いていた。
「絵の出来を見ようと椅子から立ちあがり後ろに下がったとき、
マグネシウム1000万個をたいたような光に包まれた。
あれっ、と思った瞬間、大音響、地響き。瓦が落ち、窓ガラスが飛び散った」
お手伝いさんと兄で、隣の船大工町にある防空壕(ごう)を目指した。
家の外は地獄絵図だった。髪がずるりと抜けた人、
服なのか皮膚なのか判別がつかないほど焼けただれた人。
死んだ子供をおぶったり抱いたまま逃げる女たち、
中腰のまま、坂の途中でぼーっと焼ける町を見ている下宿屋のお姉さん。
リヤカーの上には枕が一つ。理性的な行動をしている人は誰もいなかった。
金融会社を経営していた父は爆心地に近い浦上に集金に行く予定を
サボって釣りに行ったため、助かった。
実母は美輪さんが2歳のときに病死、継母もすでに病死していた。
山を越え、弟たちが疎開していた田手原村(たでわらむら)に
逃げた一家は、玉音放送を聞き、すぐに長崎に戻った。
昔カフェだった自宅の玄関にはショーウインドーが突き出ていた。
ガラスは吹っ飛び、板とゴザをひくとちょうど縁側のようになった。
畳が懐かしいのか、溶岩が流れたような顔の人が
「休ませてください」「水をください」と寄ってくる。
焼けただれた唇が合わず、茶わんから飲むことができない人には、
土瓶で口に水を注いであげた。
「怖いというより気の毒でした。いまでも思い出します。
いい年した大人が10歳の私を拝むんですよ、こうやって……」。
美輪さんが胸の前で手を合わせた。
「ずいぶん多くの人に末期の水を飲ませました」。
そんな状態が終戦後も2カ月近く続いた。
718: 2010/01/11(月) 19:08:16 ID:gfVzX4G90(2/3)調 AAS
美輪明宏 2
美輪さんは浦上天主堂の近くにあった母方の祖母の家に向かったが、
がれきの山があるだけだった。後に原爆で伯母が亡くなったと知る。
「とにかく臭い。死体のような塊がいたる所に転がっている。
親子の遺体は必ず子供がおなかの下に。
抱きかかえるように覆いかぶさって、自分は焼け焦げても子供は助けたいと思ったのでしょう」
既に恐怖感を超えていた。
「もうおしまいだ。日本は二度と立ち直れない。この国はなくなるんだ」。
そんな気持ちだけだった。
県庁近くの小さな病院の前を通ると、髪の毛が抜け落ち、
体中にやけどを負った人たちが炎天下に列を作っていた。
病院は半分壊れ、薬も包帯もない。治してもらえる可能性は
万に一つもないのに座り込んでいる。夏だから傷口にウジがわく。
いくら取ってもぞろぞろと出てくる。
「あの光景を米軍に見せてやりたい」
原爆を開発した科学者、投下にゴーサインを出した政治家、死の商人たちは許せない。
名前を挙げた科学者の一人は、物理学者エドワード・テラー(03年没)。
核兵器開発のマンハッタン計画に参加し、一部の科学者が反核に転じた後も
水爆開発の中心となった人物だ。
「ビキニ環礁で水爆実験を成功させた後の記者会見で、
放射能の後遺症は絶対にありません、と笑ったやつ」
美輪さんも放射能の後遺症に苦しんだ。
16歳で東京に出てきてから悪性貧血になり、髪が「だー」と抜けた。
「死んでたまるか、と思ってました。怖いなんて言っている暇はなかった」
719(2): 2010/01/11(月) 19:16:08 ID:gfVzX4G90(3/3)調 AAS
美輪明宏
取材中、美輪さんは繰り返した。
「私の原爆体験より、いかに一般の日本人が知力に欠けた生活を強いられたか、をお書きなさい」
米軍は武器も弾も食料もふんだんにあるのに、日本は竹やり。
米軍の上陸に備えて、なぎなたの先生は女の子たちに「金玉の握りつぶし方」を教えていた。
「日本は石油も鉄もニッケルもない。もともと戦争できない国なのに、
根性、根性、根性――。根性なんて何の役にも立ちません。
原爆が落ちた日、美輪さんの家の屋根瓦が落ちたのは「天井板をはずせ」
という町内会の通達に従ったからだ。
「スパイが隠れているかもしれない、不発弾がひっかかるかもしれないからって。
そんなことを真剣に言っていたんですね、当時の日本人は」
大声で話すと(米軍の)飛行機に盗聴される、と怒られた。
歌や踊り、音楽、映画、芝居は「奢侈(しゃし)に流れる」と禁止され、
美しいものは軟弱という理由で排除された。
着物は紺のもんぺ色、国防色のカーキ色、どぶネズミ色しか許されず、
美しい色を着ていたら警察にひっぱられた。
インテリは国賊。大学を出た人が徴兵されると、上官に殴られた。
無能な上層部が国を運営して国民が疲弊した知力なき時代。
美輪さんは戦後64年たっても憲法9条を変えようとする勢力にその名残をみる。
「そんな時代の残滓(ざんし)である自民党が壊滅状態になるということは
日本が進化している証しの一つだと思う」。美輪さん、すっきり言い切った。
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