[過去ログ] ╭(^O^)「どうもー!!!優木せつ菜で〜〜〜す!!!!!」 (1002レス)
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193: (もんじゃ) 2021/02/19(金) 20:38:55 ID:tXpXR/NO(4/4)調 AAS
〈/jイ^ヮ^レ| 今日はお世話になります、かすみさん
从cι˘σ ᴗ σ˘* かすみんのおうちは何日泊まっても大丈夫ですよ〜
⁄/*イ`^ᗜ^リ かすみさん、ちょっとお部屋がちらかってるみたいです。お掃除しませんか?
从cι˘σ ᴗ σ˘* え?
┏┫^□^┃ ソウイエバ宿題ヲ済マセテイマセンデシタ。一緒ニヤッチャイマショウ!
从cι˘σ ᴗ σ˘* え、ええ〜?いや、かすみんまだそういう気分じゃ…
╭(^O^) せっかくなのでかすみさんも一緒に今日の分の筋トレもしちゃいましょう!
从cι˘σ ᴗ σ˘* えええ〜〜〜〜!?
194: (公衆) 2021/02/19(金) 21:27:09 ID:CGAim8Fd(1)調 AAS
せつ菜ちゃん好きだけどこれもネタとして好きだわ
195: (もんじゃ) 2021/02/20(土) 01:03:16 ID:O9elrQvL(1/7)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_195_EFEFEF_000000_240.gif)
196: (もんじゃ) 2021/02/20(土) 02:55:01 ID:zy2gU6Z4(1)調 AAS
くっせぇからオリキャラ出すな
197: (もんじゃ) 2021/02/20(土) 10:05:45 ID:O9elrQvL(2/7)調 AAS
⁄/*イ`^ᗜ^リ┏┫^□^┃〈/jイ^ヮ^レ|╭(^O^) オリキャラ…?私たちは優木せつ菜ですが
198: (庭) 2021/02/20(土) 10:17:31 ID:7/KxwCFz(1)調 AAS
単純にセンスがない
199: (もんじゃ) 2021/02/20(土) 10:39:42 ID:O9elrQvL(3/7)調 AAS
パッ
. <´⌒`>
\/
∩
╭(^O^)つ はい扇子
┃┃
200: (らっかせい) 2021/02/20(土) 12:49:19 ID:hhMZ5K06(1)調 AAS
草
この中でやる分には好きにしていいと思うぞ、メノノリすれみたいなもんだ
201: (しうまい) 2021/02/20(土) 12:54:10 ID:RDI1CAlC(1)調 AAS
これ続ける根性あれば流行ると思うな
202: (茸) 2021/02/20(土) 13:03:52 ID:xo6hySaC(1)調 AAS
一発ネタかと思ったらまだ続いてて草
203: (さくらんぼ) 2021/02/20(土) 13:46:45 ID:Nc62vuEn(1)調 AAS
>>1から>>14までのSSは普通に不快だわ
204: (公衆) 2021/02/20(土) 14:09:51 ID:Hg+Vvh3r(1/22)調 AAS
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
205: (公衆) 2021/02/20(土) 14:11:01 ID:Hg+Vvh3r(2/22)調 AAS
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたのでね
206: (公衆) 2021/02/20(土) 14:11:23 ID:Hg+Vvh3r(3/22)調 AAS
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたのでけ
207: (公衆) 2021/02/20(土) 14:11:37 ID:Hg+Vvh3r(4/22)調 AAS
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたのでお
208: (公衆) 2021/02/20(土) 14:14:15 ID:Hg+Vvh3r(5/22)調 AAS
の古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたのでね
209: (公衆) 2021/02/20(土) 14:19:31 ID:Hg+Vvh3r(6/22)調 AAS
ほ古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたのでと
210: (公衆) 2021/02/20(土) 14:20:11 ID:Hg+Vvh3r(7/22)調 AAS
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたのでなた
211: (公衆) 2021/02/20(土) 14:20:55 ID:Hg+Vvh3r(8/22)調 AAS
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
212: (公衆) 2021/02/20(土) 14:21:23 ID:Hg+Vvh3r(9/22)調 AAS
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかななはを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
213: (公衆) 2021/02/20(土) 14:21:47 ID:Hg+Vvh3r(10/22)調 AAS
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているやかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたのでゆこ
214: (公衆) 2021/02/20(土) 14:23:26 ID:Hg+Vvh3r(11/22)調 AAS
なわい話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
215: (公衆) 2021/02/20(土) 14:24:01 ID:Hg+Vvh3r(12/22)調 AAS
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
ねね条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
216: (公衆) 2021/02/20(土) 14:26:11 ID:Hg+Vvh3r(13/22)調 AAS
ゆわ古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行のよのよ動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
217: (公衆) 2021/02/20(土) 14:27:39 ID:Hg+Vvh3r(14/22)調 AAS
ふるるい話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつつゆく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
218: (公衆) 2021/02/20(土) 14:28:32 ID:Hg+Vvh3r(15/22)調 AAS
草い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
219: (公衆) 2021/02/20(土) 14:28:48 ID:Hg+Vvh3r(16/22)調 AAS
助手い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
220: (公衆) 2021/02/20(土) 14:29:15 ID:Hg+Vvh3r(17/22)調 AAS
やさしい話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
221: (公衆) 2021/02/20(土) 14:32:08 ID:Hg+Vvh3r(18/22)調 AAS
エロい話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
222: (公衆) 2021/02/20(土) 14:32:33 ID:Hg+Vvh3r(19/22)調 AAS
ねほ話僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
223: (公衆) 2021/02/20(土) 14:34:30 ID:Hg+Vvh3r(20/22)調 AAS
にわはゆは話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
224: (公衆) 2021/02/20(土) 14:34:45 ID:Hg+Vvh3r(21/22)調 AAS
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本なはわにやなやきもとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
225: (公衆) 2021/02/20(土) 14:35:15 ID:Hg+Vvh3r(22/22)調 AAS
古きもとい話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。
この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。
容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。
上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。
岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降り、藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町なかちょうをdって、湯d天神の社内に這入はいっさ、さ気はさ橘寺からたちでらのdを曲@って帰る。
しかd仲町をさかされて、は縁坂から帰るこさもあるさこれは一つの道筋であるa
或る時d大学の中を抜さて門に出る。
鉄門は早く鎖さざはれるので、患者の出入しゅさにゅうする長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので
226: (もんじゃ) 2021/02/20(土) 15:48:46 ID:O9elrQvL(4/7)調 AAS
╭(^O |::..
( つ:..
227(1): (もんじゃ) 2021/02/20(土) 16:26:55 ID:qUJfn0yJ(1)調 AAS
せつ菜アンチ激怒で草
228: (もんじゃ) 2021/02/20(土) 18:58:16 ID:O9elrQvL(5/7)調 AAS
⁄/*イ`^ᗜ^リ┏┫^□^┃╭(^O^)〈/jイ^ヮ^レ| アンチ怖いです!!!
229: (もんじゃ) 2021/02/20(土) 19:00:22 ID:iJpM7cvb(1/2)調 AAS
おめーもアンチだろ死ね
230: (もんじゃ) 2021/02/20(土) 19:10:30 ID:O9elrQvL(6/7)調 AAS
⁄/*イ`^ᗜ^リ┏┫^□^┃〈/jイ^ヮ^レ|╭(^O^) アンチ…?私たちは優木せつ菜ですが
231: (もんじゃ) 2021/02/20(土) 19:19:21 ID:iJpM7cvb(2/2)調 AAS
効いてないアピールなのかは知らんがキャラに代弁させてんのもキモいわ
232: (もんじゃ) 2021/02/20(土) 19:31:30 ID:O9elrQvL(7/7)調 AAS
⁄/*イ`^ᗜ^リ┏┫^□^┃╭(^O^)〈/jイ^ヮ^レ|
233: (もんじゃ) 2021/02/21(日) 00:07:07 ID:j4fJHYLI(1)調 AAS
次世代に語り継いでいくべきスレ
234: (もんじゃ) 2021/02/21(日) 03:09:11 ID:032kO57m(1/4)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_234_EFEFEF_000000_240.gif)
235: (もんじゃ) 2021/02/21(日) 04:49:32 ID:c2L1ZkDu(1/2)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_235_EFEFEF_000000_240.gif)
236: (もんじゃ) 2021/02/21(日) 12:58:20 ID:gs68xS5I(1)調 AAS
1番右のやつどうなってんだこれ
237(1): (光) 2021/02/21(日) 13:46:07 ID:k2OnX6B+(1)調 AAS
>>227
ずっとスレに張り付いて粘着叩きしてる顔文字アンチのせつ菜信者過激派がついにブチ切れて連投コピペ荒らししたって解釈で合ってる?
238: (もんじゃ) 2021/02/21(日) 13:54:54 ID:psLCEqyT(1)調 AAS
>>237
なっが
239: (茸) 2021/02/21(日) 14:04:03 ID:HqN5Wx9W(1)調 AAS
ヒットマーク出たしそういう事なんだろう
240: (もんじゃ) 2021/02/21(日) 14:38:01 ID:VvmYGb9K(1)調 AAS
このスレaaに対するレスよりレスバの方が多いな
241: (しうまい) 2021/02/21(日) 14:57:45 ID:URyYnXOa(1)調 AAS
使い分けすりゃいいじゃんね
242: (もんじゃ) 2021/02/21(日) 15:38:53 ID:032kO57m(2/4)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_242_EFEFEF_000000_240.gif)
243: (SB-Android) 2021/02/21(日) 15:46:51 ID:OuK6uQyk(1)調 AAS
╭(˶ˆ ᴗ ˆ˵)
244: (もんじゃ) 2021/02/21(日) 21:31:10 ID:032kO57m(3/4)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_244_EFEFEF_000000_240.gif)
245: (もんじゃ) 2021/02/21(日) 21:57:27 ID:c2L1ZkDu(2/2)調 AAS
_[警]
( )(^O^)╮
( )Vノ)
|| ||
246(1): (もんじゃ) 2021/02/21(日) 22:33:06 ID:032kO57m(4/4)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_246_EFEFEF_000000_240.gif)
247: (光) 2021/02/22(月) 00:45:09 ID:4KlRM8pI(1)調 AAS
>>246
口デカイと思ったけど顔文字と同じくらいの比率なんだな
248(1): (たこやき) 2021/02/22(月) 09:45:06 ID:I1LH5dWq(1/2)調 AAS
⎛;c^O^⎞熱くてとろけてしまいました!
ペカイム
249: (もんじゃ) 2021/02/22(月) 10:38:22 ID:4BdXCWnH(1/4)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_249_EFEFEF_000000_240.gif)
250: (もんじゃ) 2021/02/22(月) 12:23:36 ID:4BdXCWnH(2/4)調 AAS
∧∧
╭(^O^ )_)〜 猫の日ですよ!にゃおおおおおおおお!!!
251: (もんじゃ) 2021/02/22(月) 13:16:18 ID:t+ItK/Cr(1)調 AAS
>>248
原型ねえじゃねえか
252: (SB-iPhone) 2021/02/22(月) 14:59:59 ID:SsKgAYAy(1)調 AAS
⎛;*イ`^ᗜ^⎞
253(2): (しうまい) 2021/02/22(月) 15:34:58 ID:Ndmun7Ey(1)調 AAS
ここがせつ菜個スレでいい?
254: (ほうとう) 2021/02/22(月) 15:45:21 ID:J6DnwoPF(1)調 AAS
>>253
確実に荒れるから余計な事言うのはやめろ
顔文字専スレの今ですら軽く煙たがってる奴が多いのに
255: (もんじゃ) 2021/02/22(月) 15:55:46 ID:D35W4+VD(1)調 AAS
いちいち触るな
256: (もんじゃ) 2021/02/22(月) 16:45:38 ID:4BdXCWnH(3/4)調 AAS
⎛;*イ`^ᗜ^O^ɔ;⎞ 暑くてとろけて混ざってしまいました!
257: (もんじゃ) 2021/02/22(月) 16:52:49 ID:kSjTj/rp(1)調 AAS
>>253
メノノリスレみたいなもんだ
258: (SB-Android) 2021/02/22(月) 17:11:45 ID:d7H1jCuR(1)調 AAS
⎛;*イ`^3 Ɛ ^ɔ;⎞
259: (茸) 2021/02/22(月) 20:31:27 ID:+UqK1+XS(1)調 AAS
╭(^8^) せつなぁ〜
260: (もんじゃ) 2021/02/22(月) 23:14:20 ID:4BdXCWnH(4/4)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_260_EFEFEF_000000_240.gif)
261: (たこやき) 2021/02/22(月) 23:26:40 ID:I1LH5dWq(2/2)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_261_EFEFEF_000000_240.gif)
262: (しうまい) 2021/02/23(火) 00:22:44 ID:6In+PQ2S(1)調 AAS
テスト
263: (もんじゃ) 2021/02/23(火) 09:42:33 ID:rmcxtXH+(1/4)調 AAS
╭(↑O↑)
264: (もんじゃ) 2021/02/23(火) 15:07:50 ID:rmcxtXH+(2/4)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_264_EFEFEF_000000_240.gif)
265: (もんじゃ) 2021/02/23(火) 20:58:03 ID:rmcxtXH+(3/4)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_265_EFEFEF_000000_240.gif)
266: (もんじゃ) 2021/02/23(火) 21:05:24 ID:2CP/bAaw(1)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_266_EFEFEF_000000_240.gif)
267: (もんじゃ) 2021/02/23(火) 21:49:34 ID:rmcxtXH+(4/4)調 AAS
╭(^O^)つ□ 電話が来ました!!!
╭(^O^)]0 はい!!優木せつ菜です!!!
╭(^O^)]0 <アレ?ナカガワサンデスヨネ??
╭(^O^)]0 すいません中川です…
268: (もんじゃ) 2021/02/24(水) 00:17:18 ID:IGxUjjdX(1/7)調 AAS
╭━━━━━━(^O^) 毛が伸びました!!!
269: (しうまい) 2021/02/24(水) 00:20:56 ID:s7WZIgRQ(1/2)調 AAS
_╭(^O^)」z)_
270: (SB-Android) 2021/02/24(水) 00:49:44 ID:xJfiSMTC(1)調 AAS
_╭(^O^)」z)_ ╭(^O^)
_╭(^O^)」z)^)))
271(1): (もんじゃ) 2021/02/24(水) 01:49:05 ID:EAYNpVkI(1)調 AAS
>>120
ていうか前半でせつ菜disってるスレに普通に書き込んでる奴の気がしれんわ
272(2): (もんじゃ) 2021/02/24(水) 02:33:16 ID:IGxUjjdX(2/7)調 AA×
>>271
![](/aas/lovelive_1613213891_272_EFEFEF_000000_240.gif)
273: (もんじゃ) 2021/02/24(水) 07:41:30 ID:IGxUjjdX(3/7)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_273_EFEFEF_000000_240.gif)
274: (もんじゃ) 2021/02/24(水) 07:42:06 ID:5pHhKWQg(1)調 AAS
さいたまじゃねえか
275: (もんじゃ) 2021/02/24(水) 11:56:39 ID:IGxUjjdX(4/7)調 AAS
╭(^O^) さいたまってお台場と似てるんですよ!
276(1): (SB-iPhone) 2021/02/24(水) 12:36:08 ID:HiFF9XB3(1/2)調 AAS
>>272
ガッツ星人みたい
277(1): (もんじゃ) 2021/02/24(水) 16:26:46 ID:IGxUjjdX(5/7)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_277_EFEFEF_000000_240.gif)
278: (SB-iPhone) 2021/02/24(水) 19:17:48 ID:HiFF9XB3(2/2)調 AAS
>>277
すごい!
279: (もんじゃ) 2021/02/24(水) 21:13:18 ID:IGxUjjdX(6/7)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_279_EFEFEF_000000_240.gif)
280: (もんじゃ) 2021/02/24(水) 21:23:30 ID:IGxUjjdX(7/7)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_280_EFEFEF_000000_240.gif)
281: (SB-Android) 2021/02/24(水) 21:28:00 ID:91yK6LP1(1)調 AAS
⁄/*イ`^ᗜ^リ┏┫^□^┃╭(^O^)〈/jイ^ヮ^レ| てすと
282: (茸) 2021/02/24(水) 21:59:08 ID:epUsagZx(1)調 AAS
こういう奴が居ると普通にせつ菜応援したくなってくる
283: (しうまい) 2021/02/24(水) 23:37:58 ID:s7WZIgRQ(2/2)調 AAS
╭(^O^)rz
284: (もんじゃ) 2021/02/25(木) 08:50:45 ID:qYku3tVP(1/5)調 AAS
|
╭(^O^)
╭(^O^) だんご3せつ菜
╭(^O^)
|
285: (SB-Android) 2021/02/25(木) 09:15:31 ID:Y6FohwlR(1)調 AAS
ねいぶる規制されたってマジ?
286: (もんじゃ) 2021/02/25(木) 13:18:11 ID:qYku3tVP(2/5)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_286_EFEFEF_000000_240.gif)
287: (しうまい) 2021/02/25(木) 14:23:28 ID:NdoGPZQn(1)調 AAS
╭(^O^)y━・~~
288: (もんじゃ) 2021/02/25(木) 17:19:16 ID:qYku3tVP(3/5)調 AAS
ヘ╭(^O^)ノ うおおおおおおお
≡ ( ┐ノ
:。; /
289: (もんじゃ) 2021/02/25(木) 20:33:54 ID:qYku3tVP(4/5)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_289_EFEFEF_000000_240.gif)
290: (SB-Android) 2021/02/25(木) 22:43:14 ID:q5AzHCQK(1)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_290_EFEFEF_000000_240.gif)
291: (ほうとう) 2021/02/25(木) 22:57:08 ID:qYku3tVP(5/5)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_291_EFEFEF_000000_240.gif)
292: (もんじゃ) 2021/02/25(木) 23:00:52 ID:B3HOdj3O(1)調 AAS
>>276
草生えた
293: (ほうとう) 2021/02/26(金) 01:25:13 ID:kPp9A/IW(1/4)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_293_EFEFEF_000000_240.gif)
294: (ほうとう) 2021/02/26(金) 01:32:45 ID:kPp9A/IW(2/4)調 AAS
╭(^O^) いつの間にか地域がもんじゃからほうとうになってました!!!
295: (光) 2021/02/26(金) 08:58:22 ID:eX/0f8iW(1)調 AAS
>>272
ぶん殴りたくなる顔してんな
296(1): (SIM) 2021/02/26(金) 10:03:05 ID:w1MT0Tv2(1)調 AAS
動画リンク[YouTube]
297: (ほうとう) 2021/02/26(金) 15:40:18 ID:kPp9A/IW(3/4)調 AA×
>>296
![](/aas/lovelive_1613213891_297_EFEFEF_000000_240.gif)
298: (ほうとう) 2021/02/26(金) 19:48:57 ID:kPp9A/IW(4/4)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_298_EFEFEF_000000_240.gif)
299: (SB-Android) 2021/02/26(金) 23:43:23 ID:C8bjaMnD(1)調 AAS
╭(^O^)ノシ うおおおおおおおい
300: (もんじゃ) 2021/02/27(土) 00:01:31 ID:uWP5Wr7A(1)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_300_EFEFEF_000000_240.gif)
301: (ほうとう) 2021/02/27(土) 14:38:55 ID:kSdwusGy(1/5)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_301_EFEFEF_000000_240.gif)
302: (ほうとう) 2021/02/27(土) 18:22:54 ID:kSdwusGy(2/5)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_302_EFEFEF_000000_240.gif)
303: (ほうとう) 2021/02/27(土) 19:51:18 ID:kSdwusGy(3/5)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_303_EFEFEF_000000_240.gif)
304: (ほうとう) 2021/02/27(土) 22:01:17 ID:kSdwusGy(4/5)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_304_EFEFEF_000000_240.gif)
305: (SB-Android) 2021/02/27(土) 22:23:48 ID:bcn4arMs(1)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_305_EFEFEF_000000_240.gif)
306: (ほうとう) 2021/02/27(土) 22:47:20 ID:kSdwusGy(5/5)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_306_EFEFEF_000000_240.gif)
307: (SB-Android) 2021/02/28(日) 01:08:41 ID:F9l4MwNV(1)調 AAS
┏(^O^)┌(^O^) r(^O^) ∫(^O^)√(^O^)
308: (ほうとう) 2021/02/28(日) 02:36:45 ID:vrX8MWIU(1/11)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_308_EFEFEF_000000_240.gif)
309: (しうまい) 2021/02/28(日) 02:40:07 ID:u+EDJybF(1)調 AAS
。・°°・╭(^O^)・°°・。 ウワアアアアアアアン
310: (ほうとう) 2021/02/28(日) 02:40:35 ID:vrX8MWIU(2/11)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_310_EFEFEF_000000_240.gif)
311: (ほうとう) 2021/02/28(日) 11:23:39 ID:vrX8MWIU(3/11)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_311_EFEFEF_000000_240.gif)
312: (ほうとう) 2021/02/28(日) 13:28:22 ID:vrX8MWIU(4/11)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_312_EFEFEF_000000_240.gif)
313: (もんじゃ) 2021/02/28(日) 13:30:27 ID:QBeBxPKw(1)調 AAS
今日も元気だな
314: (しうまい) 2021/02/28(日) 13:55:02 ID:hpf0B3YX(1)調 AAS
:; ╭(∩^O^∩);:
315: (ほうとう) 2021/02/28(日) 14:35:09 ID:vrX8MWIU(5/11)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_315_EFEFEF_000000_240.gif)
316: (ほうとう) 2021/02/28(日) 16:12:03 ID:vrX8MWIU(6/11)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_316_EFEFEF_000000_240.gif)
317: (ほうとう) 2021/02/28(日) 18:28:12 ID:vrX8MWIU(7/11)調 AA×
![](/aas/lovelive_1613213891_317_EFEFEF_000000_240.gif)
318: (もんじゃ) 2021/02/28(日) 18:55:41 ID:nGmtLJPb(1)調 AAS
後から来たやつにスレ乗っ取られるのめっちゃ萎える
319: (ほうとう) 2021/02/28(日) 19:11:05 ID:vrX8MWIU(8/11)調 AAS
╭(^O^) ……あんた誰です?
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