[過去ログ] 日経225先物オプション実況スレ32640 (1002レス)
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658: 2018/11/19(月) 04:14:37.56 ID:qdWG2Ssd0(1/3)調 AAS
まどかちゃん
すちだようううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう
704: 2018/11/19(月) 05:05:17.88 ID:qdWG2Ssd0(2/3)調 AAS
市況スレ公式認定アニメ「まどかマギカ」の基礎的概念構成
「円環の理」と言う条理の中で動く世界
何かを望み、希望を抱き奇跡を求める人々
しかし人々の儚い望みは条理の原則に打ち破られ、
希望は絶望に帰着する。
かつて仏陀は求めぬ事(希望を抱かない)、諦念、無心を行う事により、
苦しみ、渇望、絶望からの回避を説いた。これを「聖」とする(秩序、分相応、あるがままを受け入れる)。
一方、アルティメットは絶望に浸る魂の器「ソウルジェム」を砕き、「概念の楽園」へと導く事で魔法少女たちの
解放を図った(死を賜る。死と浄化。永遠の呪いからの開放)。
アルティメットは菩薩的存在だと言えよう。
概念への解脱。
(ただし、まどかマギカはアニメなので厳密なる教義は無く、「絶望に落ち永劫の憎しみに苦しむ魔法少女
たちを救いたい」という望みが悟りに置き変わっている。そのため厳密な意味の菩薩とは言えない。ただ救
済と存在がまるで菩薩の様なので、菩薩と言う言葉を用いた。また、まどかマギカのアルティメットは、仏
教の菩薩よりジャイナ教の菩薩の方が近い。ジャイナ教からの引用が見て取れる。聖と悪の対比。時空を超
えた存在。)
だが「概念」とは「実在しないもの」であり、それは「消滅」であり、まるで砂漠の砂の様に乾燥無味なもの
であった(ほむらの前で砂となって崩れ落ちるまどか)。砕かれた命に生は無い。死と消滅=穢れからの解放。
愛に生きる存在、悪魔ほむらはこの諦念、消滅の概念を受け入れず、「概念」を引き裂いて愛する人の魂を取り戻した。
救いと浄化の概念を引き裂いた時、生命の滴が落ちて人としての復活を果たした(ただ、今回の人としての復活は
悪魔の作った世界での幻覚に過ぎない可能性がある)。
人は肉体がある以上、円環の理に従って生きねばならない。穢れと絶望に終わる世界。しかしそこには確かに、
生命の潤い(活力)と儚い希望がある。
結局、円環の理の下、愛と絶望の狭間で喜び苦しみながら生を生きることでしか、生の潤い《肉体、繁栄。劇中
では野に咲く花々で表現されていた》は存在しないのだ。
肉体的存在の限界。だが肉体と魂の共鳴、ここにしか「愛」は存在しえない。
愛とは究極の求めであり、渇望でもある。「諦念」が仏陀の教えであるならば、求め執着する大欲「愛」は仏陀の
教義=「聖」に対しての完全なる反逆、「悪」となる。
悪魔ほむらは愛するがゆえに「聖」から見ての「悪」になる。
この悪魔は死神の悪魔ではなく、生命の活力を求める、破戒者、ニーチェの説く「ツァラトゥストラ」に近い。
ただ、ニーチェの説く「ツァラトゥストラ」が破戒し、伸び尽くし、「超人」を目指す男性的なものであるのに
対し、この悪魔は愛する人の存在を求め、愛しむ、女性的な面が強い。またこの悪魔も「永遠に女性的なるもの」
に他ならない。
まどかマギカはほむらのこの信念に貫かれたアニメであり、ほむらの「聖」に対しての「反逆の物語」と言える。
身を焼くほどの「愛の物語」でもある。愛とは業火でもあるのだろう。だから「炎」であるのかもしれない。
705: 2018/11/19(月) 05:05:28.89 ID:qdWG2Ssd0(3/3)調 AAS
また劇中で秩序と言う言葉が出ているが、秩序はある種の諦念(節度)から始まるものであり、礼もまたそれに従う
(礼儀正しいまどか。聖の片鱗)。
弓とは高貴さの象徴でもある。
様々な概念群から世界が成っている事をまどかマギカは示してもいる。
根源的概念と、それに類して生じた概念群。派生や類似によるツリー的繋がり。
アルティメットは「慈母」としての「永遠に女性的なるもの」であり
この悪魔は「愛する人」としての「永遠に女性的なるもの」である。
ベクトルは違うものの、性質は同じ。
この2つの「永遠に女性的なるもの」が二重奏曲となり、紡いで行く物語が「まどかマギカ」の根本となる。
この2つの存在の性質は同じ起源から来るもので、同一起源であるが、目的を達成しようとするやり方が異なる。
アルティメットの紋章を見ると、円と光のモチーフでデザインされている。これはアルティメットという存在が
円環の理を破戒するものではなく、その一部に組み込まれた存在である可能性を示す。
そもそも、魔女化というのはキュウベェの属する勢力が宇宙の寿命を延ばすために生み出したシステムであり、
宇宙の諸原則や円環の理の元の形ではなく、キュウベェの属する勢力がエントロピー抽出のため拡大激化させた
システムである。よってアルティメットの魔女化回避はそもそもの円環の理に叛くものではなく、キュウベェの
属する勢力のやり方を否定する行為である。
こう考えるとキュウベェの属する勢力も、ある意味で円環の理に叛いている勢力とも言える。なぜなら宇宙の諸原則
の元の形は、エントロピーの減少でいずれ終わるはずだからだ。元に従えば「宇宙は始まり、終わる」のである。
「希望に始まり、絶望に終わる」という現象は、元はこの大原則から来る基礎的物理法則である訳だ。これを否定し
延命を図るキュウベェの勢力も、また「宇宙の諸原則=円環の理」に対して反逆的である。
キュウベェの勢力は「絶望」に介入し、「宇宙の終わり」にも介入している。
一方、悪魔は自らのソウルジェムを強化することによって、自らの力を伸ばして願望を叶えようとする。
この悪魔は、円環の理など興味は無く、ただただ自分の願望を追及する。極めて人間的な側面を持つとも言えるだろう。
アルティメットとキュウベェの勢力が「宇宙の延命」という課題で対立関係にあるが、この悪魔はまったく関係が無い。
第三勢力とも言える存在である。
このようにアルティメットとこの悪魔は、元の性質は「永遠に女性的なるもの」で一致するが、目指す方向性と
力を得たやり方が全く異なる。方向性と今の存在のあり方が全く異なるものになってしまった以上、お互いに分かり
合うことができるのだろうか? 最終的な理解は、人間への復活「同一への回帰」を経て起こるのかもしれない。
もしこの度のアルティメットの人への復活が真の復活ではなく、悪魔が作り出した幻想であるなら、いつか
幻想は打ち破られる。その後に何を求めることになるのか?
神の曲は「審判の日」と「復活」で終わるが、まどマギは何を見せてくれるのだろうか?
期待している。
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